お前って付き合ったら毎日かわいいな「ヘイ! デートしよルド君!」
「うるせえ馬鹿今何してんのか見えねえのか仕事中じゃ!! そういうかわいいお誘いは家でやれ外だと抱き締めらんねえんだわボケカス!!」
こっちは大量発生したスラミドロの体液まみれになって仕事をしているというのに、能天気な吸血鬼は「えー今言いたくなったもん」と馬鹿げたとこを言う。だからそういう、そういうイチャつきチャンスみたいなことは家で言ってほしい。頼むから。
「まあ私とデートするのは決定事項だしこれは単なる連絡なんだけど」
「あ!? なんて!? あーもう羽音で聞こえねえよクソ蚊!!」
「じゃそういうことで、明日楽しみにしていたまえよ」
「えっ明日? え、何お前なんで先に帰……ウエエン置いてくなよぉ!」
「ロナルド、もういいか!? そっちまとめて行ったぞ!!」
一緒に下等吸血鬼退治へと繰り出したギルドの面々に生温い目を向けられて、俺はようやく自分の置かれていた状況を思い出した。同時に、顔面すれすれを横切って行ったデカい蚊をぶん殴って塵に帰す。
というかもういいかって言われたよな、もしかしなくても皆さっきのドラ公とのやり取り聞いてたんかな、うそヤダ普通に恥ずかしい、蚊を殴る手にも力がこもっちゃう。
ドラ公と付き合う前からちょくちょく相談に乗ってもらってた関係で、ギルドのほとんどの奴には俺たちのことを話してあるけれど、だからってそういう、あの、公衆の面前で堂々とデートに誘われてるところとか、俺がうっかりドラ公にかわいいって言っちゃうところを聞かれるのは普通に恥であって、つーかそういうキャラだと思われたらめちゃくちゃ困る。俺はこれからもショットやサテツをバンバン頼りにしちまうつもりだったし。もうすぐ一ヶ月記念だけどプレゼントは何がいいかとか、風呂上がりのしっとりしたドラ公と下心を抑えてイチャつくにはどうしたらいいかとか、ゆくゆくはホラ、お互い大人なんだし、俺はド健全な男子で、付き合いたての恋人同士が一つ屋根の下に暮らして何も起こらないはずがなく……
「おいロナルド」
「えっあっちが、違うんだ俺はまだ新品の童貞で」
「それは知ってるけど」
「多分ギルドの皆が知ってるけど」
「エーン俺たち童貞三兄弟じゃねえか! そんな酷いこと言うなよ!」
「桃園で誓ったのに先に裏切ったのはお前だロナルド! どう思いますサテツさん!?」
「俺はその三兄弟入ってないし、最近のロナルドは浮かれすぎてて微笑ましさ通り越して鬱陶しい」
「パ」
「あっ泣いた」
サテツのあまりに的確な一言は俺の心にぐっさり刺さった。浮かれてる自覚はあるんだ、確かに。だってドラ公と付き合ってからというもの、昼でも夜でも世界はキラキラと眩しく光り輝いてるし、無意識に道行くカップルの幸せを願ってしまうし、ネットの掲示板でロナ戦とか俺の悪口を書かれていても「まあ俺のドラ公ならそんなとこも好きだよって言ってくれるしな」とか考えてしまう。新横のポンチ共を笑えないくらいには生まれて初めての好き合った恋人に浮かれているのだ。意味もなくツーステップで家に帰りたくなるこの気持ちこそが俺の春、俺の恋。それを鬱陶しいだなんて……そうか、他人から見ればそうか……。
「うっうっ俺は生乾きのまま床に落っこちた洗濯物……」
「その訳のわからない例えも地味に家庭的な感じを匂わせてきて本当に鬱陶しい」
「サテツさんめちゃくちゃ怒ってんじゃん、お前がこないだ満漢全席ごっこしたとか言ったから」
「謝れよ、俺に」
「あれはジョンがグルメ番組見てて『食べてみたいヌ』って言ったおこぼれにあずかっただけじゃん! 出てきたのも珍味じゃなくてからあげとかシュウマイだったし!」
俺たちがわちゃわちゃやってる横を通り過ぎざまに、ターちゃんとマリアが「またやってんのか」という目を向けてきた。ターちゃんに至っては「全員鬱陶しいから早く去ねヨロシ」と毒舌を吐く始末。それで俺たちはそろって肩をすぼめて、ようやくギルドへ報告に向かうべく歩き出した。
「……で、ロナルド、さっきのは何だったんだよ」
「え?」
「ドラルクさんとデートってやつ。もしかして付き合う前どころか付き合ってから一度もデートに行ってないの? ロナルドの仕事中にわざわざ言うなんてよっぽどだと思って」
「や、そんなことはねえ……と思う、多分。先週も弁当持って公園行ったし」
「いい大人とおっさんが公園で何してんだよ」
「ジョンが穴掘るの見てる」
「保育園の運動会見にきた夫婦……?」
二人に哀れみの目を向けられるが、いやいや哀れまれるようなものじゃないぞ。ジョンのかわいいお手手が一生懸命土を掘っていくのは抜群の見応えだ。ライブカメラで流し続けたらあっという間にチャンネル登録者数爆伸びするからな。
「あれは完全にドラ公の気まぐれっつうか、遊んでんだよ俺で。いつも通りだろ……む、むしろ惚れた弱みにつけ込まれるのも、わ、悪くないっていうか」
「解散」
「ギルドへの報告はお前一人で行け」
「ウワーン話振ってきたのはお前らなのに!」
ショットもサテツも振り返らず行ってしまった。俺は仕方なく一人でギルドへ赴き、マスターに今晩の退治の報告をすることになった。デカい蚊だけじゃなくてよく見ればデカい虻もいたもんだから、報告にも余計な手間がかかったせいで、家に帰ったのは夜明けが近くなってから。当然ドラ公はもう棺桶の中で、俺はラップに包まれたカツ丼をチンして一人で食う羽目になった。悲しかったから棺桶の上で食ってやった。
数時間ほどの仮眠から目覚めると、カーテンの向こうは快晴だ。ラジオの天気予報が言う通り、なるほど今日はお出かけ日和だろう。さて、昨日のドラ公の言葉が本当なら、デートは今晩のはずだ。それまでに溜まりかけていた事務仕事とロナ戦の原稿……は一ミリも進む気配がないからそっと寝かしておく。カレーと同じで味が染みて良い文章になっているはずだ。事務所の掃除と洗濯干し、ゴミ出しといった細々とした作業が終わったら、デートに向いてそうな夜景スポットを探しにインターネットの海を泳ごう。歯を磨きながらそんなことを考え、いっちょやるかと事務所へと続くドアを開いた。
「ヤッホー若造! 早くデート行くぞ♡」
「…………あ?」
事務所のソファに見知らぬ女性……少女? が座って、いやいやいやまだ事務所開いてないんだが!? さすがに家賃破格の八千円であったってドアの鍵くらいはちゃんとついてる、ついてるのにセロリとか半田とかが入り込めてしまうのが新横クオリティではあるが、待ってくれ本当に誰だ? メビヤツに防げない侵入者だなんて何者だ?
「ぁ、え、ご依頼の……?」
「はあ? この真祖にして最強、唯一無二のミラクルかわいい吸血鬼である私を前にして、誰だか分からんとのたまうつもりかね? 実家に帰らせていただくが」
「え……えぇ!? ドラ公!?」
言われてみれば、着ている服も血色の悪い肌の色も、二本の角みたいな髪型も、ドラ公によく似ているように見える。ただし顔は正統派美少女という感じに整っているし、袖のない服から覗く二の腕や短いスカートの裾から伸びた太ももは記憶よりも健康的な肉付きをしている。この子からドラ公を連想しろという方が無理じゃないだろうか、俺の知ってるドラ公はガリガリ悪役面おっさん吸血鬼だ。
「誰が鶏ガラ悪役継母いじめ顔吸血鬼だ」
「そ、そこまで言ってねえだろ。というかドラ公、なんだその格好。またおふくろさんが襲来したか?」
「いや手伝ってもらったのはお祖父様。まあちょっと見ていたまえ」
ドラ公はそう言うなり立ち上がると、ブラインドが閉まったままの事務所の窓に近づき……って窓!?
「おいコラ早まるな!!」
「せいっ!」
俺が伸ばした手が届く前に、ドラ公が勢いよくブラインドを上げる。いつも通りスナァと崩れ……ない、死なない。ドラ公は太陽の光をバックに不敵な笑みを浮かべている。
「え、なんで……?」
「ふふーん、御覧じろ! お祖父様特製の薬で目もくらむような美少女になっただけでなく、日光やにんにく、銀なんかの吸血鬼の弱点をことごとく克服した、ウルトラスーパー畏怖最カワ吸血鬼となったドラちゃんを! 泣いて崇め奉っても一向にかまわんっ!」
「なんだじいさんのせいか、悪さする前にはよ元に戻れ」
「ッカー!! 話を聞いとらんのかクソゴリ耳にバナナ詰めてんじゃねえぞ!! デートだデート、このままデート行くぞ!」
「は……はあ!?」
デートって、そりゃ確かに昨日の夜誘われたし、俺も今日はそのつもりで起きてきたけど、まさかその格好で行くつもりなのか。今のドラ公の見た目は完全に女の子だ。身長は俺の胸あたりまでしかないし、整った顔立ちと喜怒哀楽の豊かな表情の差が幼さを感じさせて、女性というより少女といった方がしっくりくる。というかヒマリよりも年下に見える。仲良く手をつないでデートなんてしようものなら、児童売春だと通報されるかもしれない。勘弁してくださいおまわりさん、俺には支えるべき家族も子どももいるんです、マジロと金魚と無機物だけど。
「いつものお前じゃ駄目なんかよその薬……」
「うるさいな、もう私はこれで出かけるって決めてるんだ。かわいいドラちゃんを連れ歩く権利をやるって言ってんだからありがたく受け取れ」
「でも……」
「ええい煮え切らんな! さっさと着替えてこい! 昼食は外で食べるぞ!」
「えっ」
背中をぐいぐいと押す手のひらは小さかったが、その温度はよく知ったドラ公のものだ。それに安堵を覚えて、しぶしぶさっき出てきたばかりの居住スペースに続くドアを開ける。
「デートったってそんなキメた服持ってねえよ……」
この間私服はことごとく駄目出しされたし……。むしろドラ公のことだから、一周回ってダサい方が喜ばれるんじゃないか? いや俺は全然ダサいとは思ってないんだけど、と少しばかりわくわくしながら服をあさっていると、ドアの外のドラ公に「私とのデートだぞ、ダサい服着てくんなよ」と釘を刺された。俺は黙ってクローゼットのから取り出したばかりの「お出かけハッピー」と書かれたシャツをそっと元に戻した。
結局、前にドラ公が選んでくれたシャツとジャケットに着替えて出てきた俺を見て、女の子の見た目をしたドラ公は満足げに頷いた。俺はどうにもいたたまれない。この子がドラ公だっていうのは間違いないし、俺を煽ってくる表情も仕草も、腹の立つ罵倒もいつも通りだけれど、見た目が違うというのは結構大きいのだ。
折角のデートなのに申し訳ないとは思うが、俺はドラ公ほど乗り気にはなれそうにない。ドラ公と出かけるのは、それこそデートと銘打って一緒に出かけるのはめちゃくちゃ嬉しいのに、なんだか引っかかりを感じてしまう。正直にそう告げればドラ公は不思議そうな顔をして、「この美少女の何に不満が……?」と言った。別に美少女に不満はない、お前なのにお前じゃないのが不安なだけだ。
ドラ公にしても、日が出ている中で出かけるのは当然初めてのことらしく、事務所から出た途端、あんまり多くの人が歩きまわっていたのに驚いて立ち止まってしまった。
「新横ってこんなに人口いたの!?」
「そりゃ今日は土曜だし、平日よりは人通りも多いけど……別にたくさんってほどじゃねえだろ」
「はあ~……夜は人が少ないって本当なんだな、新横は夜も賑わってる方だと思ってたけれどもね」
「それよりどうなんだよ、昼の世界は。それが知りたくてそんなことになったんじゃねえの?」
「ん? ああ、いやそういうわけではないんだがね……ふうん、青空ってこんな感じか」
ドラ公は眩しそうに空を見上げた。直後にギャッと悲鳴を上げて顔を覆ったから、慌てて太陽を背にして腕の中に囲いこむ。いつになく頼りない、細い背中を、このまま抱きしめていいものか判断しかねて、むき出しになった肩をゆるゆると撫でた。
「ど、どうしたんだよ、やっぱり日光は身体に悪いんじゃねえの?」
「うう……いや眩しくて……」
「は? 何……そうか、お前太陽を直視したな」
サングラスもなしに太陽を見るような馬鹿な真似、今時の小学生だってやらない。失明の危険があるから絶対やるなと、学校や親から教わることだ。けれどもこいつはそれを知らないから、多分月を見上げるのと同じ調子で太陽を見上げたんだろう。思わぬところに吸血鬼らしい無知を発見してしまって、思わず笑みが漏れた。
「う~……私の美しい瞳が焼けちゃったかも……どう、ロナルド君?」
「んっ、いや……大丈夫だろ、しばらくチカチカするかもしんねえけど、そのうち直る」
「本当に? もう……君たちよくこんな中で生きていけるな、そりゃあゴリラの一匹や二匹が紛れて生活していても気付かないわけだ……」
好きな人の上目遣い! それほど身長に差がない俺たちにとってこれはなかなかないシチュエーションで、照れやからかいの色のない、純粋に俺を頼る瞳に見上げられて、心臓がバグったかのように暴れ出した。あんな瞳で見つめられて、思わず抱きしめたくなったがギリセーフだ。それに、呆れたと言わんばかりに肩をすくめる仕草は普段のドラ公そのもので、いい感じに腹が立ってきた。少し調子が出てきたかもしれない。
「なあ、今のお前って死なねえの?」
「そう簡単には死なないよ」
「そっか…………」
「えっなんでちょっと残念そうなのロナルド君、いつも言ってるが恋人に暴力振るう男ってマジで最低だからな」
「俺を最低最悪の彼氏にしたくないなら、お前もちょっとは口のききかたに気をつけるんだな」
「なんだこいつ最悪だな」
もう別れようか私たち、と縁起臭い憂いの表情を浮かべたところで、いつも通り殺すことは叶わない。仕方がないから非常に手心を加えたチョップで許してやった。
「行きたいところは決まってる」と言うドラ公に連れられて、明るい大通りを歩く。普段俺たちが通る時間にはシャッターを降ろしている店も、この時間ならかわいらしい内装を見せつけている。ドラ公は人混みにも慣れたのか、軽やかに俺の先を行く。あれだけデートだデートだと騒いだんだから、これでクソゲー買うのに並ばされたり荷物持ちをさせられたりしたらさすがに泣くぞ、と身構えていた俺が連れて行かれたのは、広いテラス席が売りの、洒落たカフェだった。
「……」
「何をボケッとしてルド君、入るぞ」
「え、や、もしかして今日はここでクソゲーオフ会……?」
「クソゲーを愛する者たちがこんな陽の気にあふれた場所で集まるわけないだろ、普通にお茶しに来たんだよ」
「普通に!?」
「普通に」
振り返ったドラ公が訝しげに俺を見上げたが、怖じ気づいた俺に気がつくとにんまりと口の端を持ち上げた。
「ははーん? さてはこんな小洒落たカフェに恋人と入ることに緊張してるな? 魂の端々まで童貞」
「ううううるせえ、だってこんな……普通のデートみたいな……」
「普通にデートなんだよ、今日は。最初からそう言ってるだろうが」
ドラ公は俺の腕を取り、自分の胸に抱くようにして引っ張ってきた。これはいわゆるカップルの腕組み……! というか腕に当た、いや当ててやがるこの柔らかい感触は、間違いなくおっぱ…………あわわ意識したらヤバい、ここは外だぞ。冷静になれロナルド。よく考えてみろ、こうして胸を押しつけてきてる美少女の中身はガリガリのクソ砂で、この行動自体も俺をからかうためでしか……エーンえっちなクソ雑魚おねえさんおじさんにもてあそばれてる! こんなお洒落なカフェの前で人間としての尊厳を失いそうになってる! 最悪なのにドキドキする!
「ぐぅ……!」
「おいどうしたロナルド君、早く入…………勃起ルド!?」
「うるせえまだギリ柔らけえわ!! おっ立ててる男の横を歩きたくないならその腕を放せ!!」
「いや期待通りの反応だけど面白すぎるな君」
そっと組んでいた腕を解放したドラ公が、そのままじりじりと後退る。元に戻ったら覚えてろよてめえ。童貞のちんちんは簡単にもてあそんじゃいけねえんだぞ、そのうち絶対責任取らせるからな。「童貞おもしろっ」じゃねえよ俺の股間を見て楽しそうに笑うな!
どうにかこうにか荒ぶる息子を鎮めてカフェに入れたのは、それから三十分後だった。店員さんに席を案内されて堂々と歩くドラ公の後ろを、俺は背中を丸めるようにしてついて行った。なんだか客層までもがお洒落でキラキラした人ばかりに見えて、家を出る前のドラ公の忠告は妥当だったのだと胸を撫で下ろす。案内された席でようやく人心地がつき、水を一気に飲むと、ドラ公は俺を指さして「どんだけ緊張してんだ」とケラケラ笑った。むっとして「しかたねえだろ」と反論したが、ドラ公は煽ってくるでもなく、ただ楽しそうに笑っている。今日は予想外の反応ばかりじゃねえか。
「……なに?」
「いや、なんかこうしてっと、普通にデートだなって……」
「だろ? ほらロナルド君、ここふわっふわのパンケーキが売りなんだってさ。おかず系もあるみたい」
「えー……でもなぁ、お前が作ったやつのがうめえじゃん」
「んっ……」
「なに気持ちよくなっとんじゃ」
ドラ公は料理の腕を自負しているから、なんとなくあんまり外の飯を褒めないように気をつけていたけれど、メニューを勧めてくるということはそうでもないらしい。ふうん、料理はただの趣味っていうのは本当なのか。じゃあ遠慮なくカフェのランチを……と思ったが、華やかな写真を見ても今ひとつ食指が動かない。だってドラ公の飯のが美味いし、何というか、俺のためって感じの味がするから、やっぱりなるべく家で食べたい。どうせ今日も飯用意してくれるつもりだろうし。
「ええと、じゃあ俺はこの自家製コーヒーゼリー」
「ご飯食べないの?」
「……ちゃんとしたのは帰って食う」
「ふうん。じゃあ私はいちごのパンケーキにしよっかな!」
「え!? お前食うの!?」
固形物を食って死なねえのかと焦る俺に対して、ドラ公は「今の私は虚弱体質からも解放されているからな」と胸を反らして誇らしげな顔をした。もしかして、これはめちゃくちゃレアチャンスじゃないか。ドラ公と飯、しかも血や牛乳じゃなくて固形物を食えるなんて。
「ほ、ほんとに食えるんか?」
「食べられるぞ、注文いい? 店員さん呼ぶよ」
「待て、じゃあ俺も飯食う! ええと、オムライス大盛りとホットサンドとハンバーグと、あとライスつけて」
「急にめちゃくちゃ食うな、デブるぞ」
ドラ公は本当にパンケーキを平らげた。控えめに開いた口元から覗く尖った牙や真っ赤な舌が見える度、俺の胸はドコドコとやかましかった。それでしょっちゅう食うのを中断してしまった上、注文した品数が違うから、ドラ公がとっくに食べ終わっても俺の前にはまだ皿が残ってた。
「珍しいなロナルド君。そんな味わって食べるほど美味しいの? そのオムライス」
「え、いや、そういうわけじゃ」
「どれ、後学のためにも一口味見させてくれたまえよ」
ドラ公はそう言って小さな口をぱかっと開けた。……えっいわゆる「あーん」的な? ボーナスステージ? 俺は明日死ぬのか?
「……早くしろ、顎が疲れて死にそうな気持ちになるだろ」
「ホェ……ふあ……」
「なぁんだ、もっとかわいくおねだりしてやろうか? ……ロナルド君、オムライス美味しい? ドラちゃんにも一口ちょうだい♡ あーん♡」
「ヴェッポアラファババ!!」
「ロナルド君―!?」
垂直に飛び上がった俺は店のオーニングを突き破ってそのまま屋根の上で震えていた。取り残されたドラ公は「いい子だから降りてこい! ……あっハンバーグ? オホホごめんなさいこちらにお願いできるかしら……いやちょっと連れがバネ仕掛けのおもちゃになっちゃって」と焦っている。案内されたのがテラス席で良かった。これが店内だったらガラスを突き抜けて通りに飛び出していたところだった。
「まっっったく信じられん!! いかに童貞とはいえあんな奇行に走るかね!?」
「ウワーンごめんってばドラ公ぉ! ゲーム買ってやるから、なっ?」
「……フン」
肩を怒らせてずんずん歩いていたドラ公がふと立ち止まった。どうかしたのかとつられて立ち止まると、肩越しに振り返って「ああいうのは好きじゃなかったか」と言った。それがなんともいじましい仕草で、俺はまた奇声を上げて側の茂みに突っ込んでしまった。
「おいスケキヨ、置いて帰るぞ」
「だっておま……お前なに……今日めちゃくちゃかわいいじゃん、なに?」
「私はいつだってかわいいわバーカ」
ケツをつつくのはドラ公の指先だろうか。背筋を使って茂みから起き上がると、さっきまでの怒りはどこへ行ったのか、上機嫌なドラ公がスマホを片手に次の行き先を探している。
「他にも行きたいところあんのか? ゲーセン? 秋葉原?」
「ううん、公園。腹ごなしに運動でもしよ」
「運動!?」
ドラ公の口から一生聞くことはないだろうと思っていた言葉にまた犬神家になりそうになったが、ドラ公はさらに続ける。
「あと海も行こう」
「海!? 死ぬぞ!?」
「バッティングセンターも」
「風圧で死ぬぞ!?」
「あ、ショッピングモールもいいな」
「人混みに流されて死ぬぞ!?」
「うるせえ! いいから行くぞ、日が暮れる前に!」
「はあ!? 日が暮れる前にって……」
嫌に焦った様子が気になるが、ドラ公は有無を言わせぬ勢いで歩き出した。なんでそんな必死なんだ、という言葉は、結局飲み込むしかなかった。
驚いたことに、ドラ公は過密なデートスケジュールのほとんどをこなしてみせた。知らない間に俺の名義でレンタカーまで借りて(財布から免許証が抜き取られてた、びっくりした)下手をすると各所の滞在時間三十分とかだったけれども、行きたいと言ったほとんどの場所へは行った。バッティングセンターだけは混んでて入れなかったけれども、それだけだ。
「はあ、さすがに疲れて死ぬかと思ったな……しかしここまで保つとは、やはり今日の私相当畏怖じゃない? こうして海にも浸かっちゃって」
「競歩みたいなスピードでショッピングモールを歩きまわりゃ、そら疲れるだろうな……」
「ねえロナルド君、タコいないかなタコ」
「浅瀬にはいねえだろ。クラゲならいるかもしれねえけど、触るなよ」
駐車場に車を止めて浜辺へと降りてからというもの、ドラ公はキラキラ光る水面に夢中でずっと浅瀬を走り回っていた。その様子は同じく浅瀬でキャッキャとはしゃいでいる女の子たちと変わらないが、俺としては三歳児を見守る父の気持ちだ。そのうちすっ転んでびしょ濡れになるんじゃないかと気が気でない、水深三センチもあれば溺死するからな。
日が暮れかけている。太陽の三分の一ほどが隠れて、ゆるゆると空の色が変わってきた。こんな時間に新しく海へ来る客はいないから、浜辺も次第に閑散としてくる。さっきまではしゃぎ回っていたドラ公も、ふと気がついたのか、沈んでいく太陽をじっと見つめ始めた。やけに静かで何を考えてるのか分からないが、変に純粋なところがあるこいつのことだ、夕日が美しくて見惚れてるとか、そういうんだろう。けれども風も出てきたし、何より一日中歩き回ったんだ。さすがにこれ以上遊ばせておく訳にはいかない。途中でおやつも食べたし、そろそろ眠くなる時間だろう。
「ドラ公、帰るぞ」
「えー、もうちょい……」
「労ってやれよ、お前の身体じゃねえんだろ」
するとドラ公がピタリと足を止めて、俺をじっと見上げた。靴裏でじりじりと砂が削れていく感触がする。さっきまでここは波の届かない場所だったはずなのに、潮も満ちてきているんだろうか。
ドラ公はしばらく黙って俺を見つめていたが、やがてふっと表情を緩めて俯いた。
「……知ってたの?」
「知ってたっつうか、気がついたっつうか……いくら死ににくくなったって、お前に一日遊び回る体力があるわけねえだろ。誰だ? ジョン?」
「よく考えまちたねぇ五歳児、むしろ野生の勘か? この身体はお祖父様にジョンを変身させてもらったんだ。ジョンの身体なら私と感覚共有できるからね」
ドラ公は穏やかに微笑んでざばざばと海から引き上げてくる。直接足の裏に砂が当たる感触に死にそうな顔をして、全力で俺にしがみついてきた。軽い身体を持ち上げれば満足げな顔をしたので、どうやらこれが正解らしい。そのまま横抱きにしてもドラ公は暴れなかった。それどころか俺の腕の中でうとうとと微睡み始める。
「おい、ここで寝んな」
「私じゃなくてジョンが限界だよ。寝かせてあげないと」
「……お前、今どこ」
「ん、家。棺桶の中。ていうか私もめちゃくちゃ眠い。晩ご飯外で食べてきてね」
「ざけんなお前の飯を食わせろ」
「わがまま言うな! こっちは徹昼してるんだぞ!」
「朝っぱらから起き通しで、お前何がしたかったの」
途端にドラ公が押し黙る。目と口を閉じて静かにしていると本当に人形のようだ。今は女の子だから余計にそう思うけれども、おっさんの姿であっても、ふとした瞬間にぞっとするほど作り物めいた静かな表情をしていることがある。そういう時はたまらず殺してしまう。だから今も、反射的に腕の中の身体をぎゅっと抱きしめた。みるみる眉間にしわが寄るのに安心する。
「なあ、おい」
「……」
「ちゅーしていい?」
「……私の身体じゃないって分かってやるなら浮気にカウントする」
「でもジョンじゃん」
「ジョンでも駄目」
「なんなのお前、マジでかわいいな」
車の後部座席のドアを開けて、ドラ公を抱えたまま腰掛ける。駐車場からは夕日がよく見えた。「眩しい」と文句を言う唇をつねると、ぎゃっと叫んで目を開けた。
「何すんだボケ!」
「なあ、何がしたかったんだよ」
「……ロナルド君、今日どうだった?」
「あ? どうって」
「普通にカフェでご飯食べて、明るいショッピングモールで買い物して、公園で写真撮って、楽しかった?」
「……楽しかった。お前と飯食うのも、クレープ食ってるお前見るのも、一緒に写真撮るのも楽しかった。楽しかったけど、あんまりじゃね? 俺、お前とデートって言われて本当に浮かれてたのに」
「私とデートだっただろが。……いや厳密に言うとどうなるんだろ」
ドラ公は何かを考えるように再び目をつむる。そうは問屋が卸さねえとばかりにふにふにの唇を再びつねると、今度はさすがにキレられた。俺を置いて寝ようとするお前が悪い。
「なあってば」
「なぜなに期か横暴クソゴリラ、言わぬが花って言葉があんだろ」
「いいのかそんなこと言って。言わねえと俺は一人で最悪の想像をしたあげく勝手にお前に振られるもんだと思い込んで、寝てる間にお前を殺して瓶に詰めたのを片時も手放さなくなるぞ」
「すごいスピードで病んでるんじゃねえ! まったく……」
どっこいせと言いながら身体を起こしたドラ公は、俺を背もたれにして座り直してからも、しばらく手すさびをして黙っていた。女の子のドラ公は、指先が白くて細くて、爪も小さくてかわいい。今日は何度もこの手に触れられた。でも、いつもの骨張った優しい指先の方がもっと好き。俺とそれほど大きさは変わらないのに、厚みとか指の長さが全然違うドラ公の手が好きだ。
「……言っとくけど、別れないからな」
「え、う、うん」
「間違った、嬉しそうな顔をするなロナ公」
「へへっ俺も好きだぜ、ドラ公」
「今その流れじゃ……ああ、その流れの方がいいか」
一つ息を吐いて、目線は水平線に向けたままだ。青白い頬が真っ赤な夕日に照らされている。この滑らかな陰影が、下手をすればもう二度と見られないのだと思うと、なんだか勿体ない。
「…………君が好きだよ、ロナルド君」
「へ、あっあっ」
「茶化したり照れたりちんちん固くしたりしたら二度と話さんからそのつもりで」
「……」
「息はしろ、息は……思うに、私ってばとびきりの甘やかし上手じゃない。ジョンしかり君しかり、ロナルド君にいたっては本当に健康で綺麗なゴリラに育て上げたもんだと自負してるんだよね」
「帰ったら殺すウホ」
「次に殺害予告しても二度と話さないからな。で、まあなんだ……ジョンにはとっくに私の全てを捧げたつもりだが、ロナルド君にもできるだけ与えてやりたいなと思って」
ドラ公の耳が、痙攣するように小さく上下する。何かを言いあぐねているときの癖だ。俺は段々小さくなっていくドラ公の声を聞き漏らさないよう、ゆっくりと上半身を折り曲げてドラ公の顔に耳を寄せた。ドラ公はそっと後頭部をすり寄せてくる。
「うん……君には何というか、幸せの全部をあげたいんだ。食事や愛情だけじゃなくて、温かい家庭や、血を分けた子どもや、柔らかい抱擁も……事務所の机に放り出してあった雑誌を読んだよ。かわいい彼女と、ああいうお洒落なカフェに行けたら素敵だろう? 君も夢見てたんじゃないか」
「そ……うかもしれねえけど、お前を好きになるまでの話だろ、それは。今はお前がいるし、ドラ公もまあ、うん、かわいいところある……いや普通にかわいいし……それで十分っていうか……」
「でもさあ、この先君が恋人との思い出を人と語らうとしてさ、君の恋人っていくらかわいくても吸血鬼でおっさんだぞ? 他の人にはかわいい彼女との思い出があるのに、君にはないなんて……勿体無いだろう。君は特別だけれども、特殊になってほしいわけじゃないし」
「いや、それでもよ」
「……そう思ったら、君にも彼女がいてしかるべきでは、と思っちゃったんだよ。私は完璧な存在だけど、ロナルド君はそうじゃないだろう。人間は感情の生き物だから、万が一の時が来るかもしれない」
「おい、お前」
「でもその時、私は君を手放してやれない。悪いけど無理だ、今更その辺の小娘なんかにくれてやるもんか。……だから、女の子じゃないといけない理由なんか、潰しておかないと」
「……」
「あー……面倒くさいなもう……」
どうやら悪い方向に考えが捻れた訳ではないらしいことが分かって、俺は心底安堵した。むしろドラ公も俺のこと大好きじゃねえか。
俺から告白して、お付き合いまでこぎ着けるのにさえ半年もかかったんだから、ドラ公はドラ公なりにいろいろ考えてしまうのかもしれない。短命種の俺はいつだってどっかに行ってしまいそうな吸血鬼を繋ぎ止めておくのに必死だから、将来の事なんてまだ考えられもしねえけど、ドラ公はそうじゃないんだろう。それはジョンからもあらかじめ聞き及んでいた。
いい加減死にたいなと嘯くドラ公は、俺のことを考えているようで全然分かっていない。愛するのも愛されるのも上手いくせに、愛し合うのは下手くそだな。
「楽しかったんだろ、昼間のデート。明るくて眩しくて、夜にも劣らずにぎやかでびっくりしたけど。……私では一生あげられないと思ってたから、よかったよ」
「俺は全然よくねえ」
びくりとドラ公の肩が震える。風が冷たくなってきたのかと思ってドアを閉めようとしたら、さえぎるように細い腕がのびてきた。
「何が駄目だった? 他に行きたいところあった? 一応調べたらデートの定番だっていうから……君の意見を聞かなかったのはよくなかった。そうだ、もしかしてホテル行きたかった? いいよ私、全然いい。女の子のままで、夜まで時間あるから、なんなら今からでも」
「ドラルク」
「っあ……ごめん」
抱いた背中が一回り小さくなる。怒ってるわけじゃないと伝えたくて、抱きしめる力を強めた。俺は正直、ドラ公にそんなことを思わせたのが情けなくて仕方ない。今がどれほど幸せなのか、伝え切れていないのが悔しかった。結局俺の「好き」はドラ公に届ききっていなかったらしい。
そりゃあ仕方のないことだ。俺たちは一つじゃなくてそれぞれの生き物で、百年を一緒に過ごしてきたわけじゃないんだから。けれども悲観や諦めは必要ない。ドラ公はどう思ってんのか知らねえが、俺たちは始まったばかりなんだ。
「……しかしアホだなお前は」
「あ? 死ぬぞ?」
「自分の命を人質にすんなや。お前、俺のことおちょくるのが大好きなくせに、俺がどんだけお前との恋に浮かれてるのか、なんで知らねえんだ」
「……付き合いたては誰だって地に足つかないと言うじゃないか」
「おう、めちゃくちゃ浮いとるわ。でも見とけよ、きっと何度お前とデートしたって、ずーっと浮かれっぱなしだ。多分この先、三十年は浮かれっぱなしだからな。俺みたいな男と付き合うって、そういうことだぜ」
「…………三十年はアホ過ぎるだろ。落ち着いてくれなきゃ困るわ五歳児め、いつになったら育児から解放されるんだ私は」
ドラ公はようやく少し笑った。ほっとして、お前はそれでいいんだよと言ったら、こちらへ向き直ったドラ公に思いっきり抱きしめらた。
「ロナルド君、早く帰ろう! 今日はオムライスもからあげもハンバーグも全部作ってやる、バナナフリッターも自家製アイスもつけてあげる」
「オ、オウ、オギャ……」
「ん? どうした? バブったか?」
「ぉ、あ…………お、おっぱい……」
「……んっふふふ!」
なんてことするんだこの悪魔、人でなし! せっかくここまで格好つけたのに最後の最後に思考が全部おっぱいに持ってかれた! 唐突すぎるおっぱいに泣き出した俺を見て腹から楽しそうに笑ってるんだから、ドラ公はやはりどうしようもないクソ野郎に違いない。でもそんなクソ野郎にすっかり骨抜きになってるんだから、恋というやつは恐ろしい。