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    恋は執着、愛は受容 おや、これは物語の中らしい。ドラルクははたと気がついた。それが食事の最中のことだったので、父ドラウスは「どうかしたかいドラルク、美味しくなかったかい? ……今日の調理担当は誰だ、いつもの者か? 責任者を呼びなさい」と過保護っぷりを発揮しようとした。
    「いえいえお父様、いつも通り美味しいですよ」
     慌てて発した自分の声が思ったよりも高く、ドラルクは内心、はて自分はこんな声だったかしらん、と訝しむが、悲しそうな顔をする父親を前に表情を取り繕った。
    「……やはり週末のパーティーは欠席しようか? 王族からの招きとはいえ、公爵家代表として私が赴けば十分だろう」
    「もう、お父様こそ何度言わせるんですか? ドレスも作らせたし、お母様だって今回は一緒に行けるんだから、私ぜひパーティーに参加したいって。婚約者探しも兼ねてるんでしょう?」
    「そんなこと言ってもぉ……パパ、やっぱりドラルクに婚約者なんか早いと思う……こんなかわいい娘、参加した男全員が夢中になっちゃう……うぅ……やはり決闘を」
    「お父様に勝ち抜いた者を婚約者として認めるとか絶対やめてくださいね」
    「エーン娘が厳しい!」
     壁際に控えていた使用人たちも、思わずといったように苦笑する。ドラウスが過剰にドラルクを可愛がるのは今に始まったことではないが、相変わらずその溺愛ぶりは常軌を逸している。
     ドラルクももう十六歳になる。高位貴族の娘として、婚約者を探すには十分な年齢であった。周りが急かすのも、嫌々ながら父が重い腰を上げるのも理解できる。なるほど自分は家督につり合った婚約者を探している最中の貴族の少女であると、ドラルクは頭のどこかで他人事のように現状を認識していた。
     食事を再開しようと持ち上げたドレスの袖にはたっぷりのフリル。肌が弱いため室内でもレースの手袋は外せない。真っ白のレース生地の隙間から覗く手指は、病的なまでに青白く細い。
     レースは嫌いではない。城で暮らしていた以前にもせっせと編み上げたものだ。パチパチと小気味良い音を立てて薪が爆ぜる暖炉の前で、ふかふかのクッションを敷き詰めたロッキングチェアに腰かけ、ドイリーのような小物からテーブルクロスになるような大作まで、この手で魔法のごとく繊細なレース細工を生み出してみせた。膝にかけたブランケットの上で丸まっている愛しい使い魔を時折撫で、窓の外に浮かぶ満月を見上げれば──
    「どうかしたのかい、ドラルク」
    「……いえ、何も」
     果たして自分は何かを忘れていやしまいか。そもそもこれが物語の中だというのなら、物語の外、現実の自分とは一体何なのだろう。私は登場人物なのだろうか、それとも物語の外で紡がれている世界の住人か? 自分はドラウスの娘だが、そういえば息子だった気もする。性の自認に違和感はないけれども、これで正解、当然という感覚もなく、いや生まれてこの方完璧なかわいさを誇る私に、不正解も何もあったものではないが。
     やはり疲れているのだろうか。軽く頭を振ったドラルクに、ドラウスは今度こそ悲鳴を上げてワイングラスを放り出した。パリンと砕け散ったグラスが蝋燭の灯りを反射して輝くのを目の端に捉え、キラキラしていて綺麗だと思った。そういえば、自分はもっと美しいものを知っていたはずだが、何だったか。もっと力強く煌いて、温かくて、暗闇でもぴかぴかと眩しいあれは、どこへいったのだろう。正気を失いかけている父親の小脇に抱えられながらドラルクは思案していたが、ベッドに押し込まれる頃には、思い出そうとしていたことすらすっかり忘れてしまった。

     ヨコハマ王国は国境の一部が海に、残りは山々に囲まれた盆地に領土を広げている王国である。建国から二〇〇年を迎えようとするこの国は、分裂と合併を繰り返し次々と国名が変わってきた周辺諸国と比べ歴史がやや長いのが特徴の、特産物もなければ目立った外交政策もない、小さな国であった。数十年に一度は隣国のカナガワ王国や強大な力を持つトーキョー帝国がヨコハマ王国への侵攻を計画するも、その度に歴史の影で眠りについたはずの「D」の存在を持ち出され、結局は侵略を諦めざるを得ない。
     「D」については様々な叙事詩、歴史書、絵画に表されるも、その存在が立証された試しはなかった。半神半人の怪物として伝えられていたり、二メートルを超える大男として描かれていたり、立派な牙と二本の角を持つ異形のものとして登場したりするが、どれも最後にはヨコハマ建国の王、アルミニウス・ヴァン・ヘルシングに国を成すほどの加護を与えて姿を消したとされている。
     ヨコハマ王国内では建国の王の友人として受け入れられている「D」の存在も、一歩王国の外へ出ればその見方は大きく異なっていた。カナガワ王国やトーキョー帝国では「生ける嵐」「不死の災い」としてその名を知られており、幼い子どもを「Dが来るぞ」と脅かせば、両親が血相を変えて飛んでくる。存在自体が半信半疑でありながらも、人々が「D」を強く意識してしまうのは、実際「D」の血を引く一族が今なおヨコハマ王国にいるということだった。
     人より尖った犬歯や二本の角のような髪型、および血の色をした虹彩は、一族の遺伝的特徴である。髪色にせよ瞳の色にせよ、ある血族が顔貌以外の身体的特徴を引き継いでいるというのは、一種の神秘であった。国によれば、王座を巡る継承争いで、先王との髪色の一致が条件となるような場合もある。
     実際「D」に連なる一族はヨコハマ王国に何人もいた。その皆が特徴的な一族の外見の一部、あるいは全てを継承していたが、ヨコハマ王国ではそれらも珍しいものではない。王国の歴史を紐解けば、過去には市井で見初めた魔女と番った貴族や、下半身に蛸の脚を持つ海の人外と番った王子もいる。異種族間の婚姻は若い貴族子女の駆け落ち騒動と同じくありきたりなことであり、生まれてくる子どもたちもまた人ならざる姿をしていることが多かった。
     ヨコハマ王国は概ね平和な国であったが、数年前には国中が大きな悲しみに包まれた。不意の事故による国王夫妻の逝去であった。事故を装った暗殺ではないのか、暗躍している勢力はなかったか、国外の刺客の線は完全に潰れたのか。宰相はじめ多くの臣下が狼狽え、その動揺は民草にまで広がり、不安に駆られた人々は連日あちらこちらで暴動を起こした。周辺の国の動きも不穏なものとなり、今なら「D」の存在も恐るるに足らず、と今にも侵略戦争が起ころうとしていた。そのような折、傾きそうだった国を支え、国民に再び安寧をもたらしたのは、前年に立太子の儀を終えたばかりの第一王子だった。
     当時の王太子、現国王であるヒヨシは、実の父母の死に傷付く暇もなく日夜奔走し、どうにか国としての体面を守ってみせた。国民を飢えさせるわけにはいかない、この事態に正しく対処すべきなのは自分しかいないという王太子としての責任が、彼の背中を絶えず押し続けた。何より、悲しみに暮れ続ける弟妹のためであった。
     この凶事に傷ついた幼い王弟妹は、兄王だけを頼りにした。親しかった乳母や教育係も父母の事故に巻き込まれて命を落としていたため、他に信じられる大人がいなかったせいでもある。兄王もまた、二人の存在を心の拠り所とした。幸いにも奸臣が跋扈するような事態は起こらず、国は数年で立て直すことができた。しかし弟妹の心の傷は深く、事故から数年が経った今も公の場に姿を現すことは稀である。
     そんな王弟妹が、来たる建国記念パーティーでついに姿を見せるという話は、瞬く間に貴族間に広まった。この機会にぜひ王族との繋がりを持っておきたい。そのために我が息子を、娘をパーティーにと息巻く貴族らからの注文で、仕立屋は今までに経験したこともないほどの繁忙期を迎えた。

     迎えた建国記念パーティー当日のことは、後に煌びやかなシャンデラの下には天使が舞い降りたと噂されるようになる。会場に姿を現したのは、国王ヒヨシと、その王弟ロナルドだった。兄王と同じ銀色の髪に澄んだ青い瞳は、王族である証でもある。体躯はまだ線が細く頼りないが、澄んだ肌の色といいくっきりとした目鼻立ちといい、その美貌は歴代の王族と比べても遜色ないほど完成されていた。
     パーティーが始まれば、ヒヨシとロナルドの元へは多くの貴族が挨拶に来た。皆もちろん国王ヒヨシだけではなくロナルドへの面通しを願った。元よりヒヨシにはこのパーティーで弟を公の場へデビューさせる目論みがあったので、断る道理もない。
     ところが、ここにヒヨシの誤算があった。すっかり人見知りを拗らせた弟は、初めて足を踏み入れたパーティー会場の広さにひるみ、知らない人間に囲まれて、表情をガチガチに固めてしまっていた。いくら機嫌を取ってもにこりともしない。
    「ロナルド様、ご機嫌麗しゅう。こちらは娘です、貴方とお会いできるのを心待ちにしておりました」
    「はい」
    「ロナルド様、うちの倅もロナルド様とお年が近いんですのよ。よろしければ今度……」
    「そうですか」
    「……」
    「……」
     懸命に取り入ろうとしていた貴族たちも、すぐにロナルドの欠点に気が付いて作り笑顔を貼り付けたまま二人の前から退去していく。ヒヨシはやっちまったと内心頭を抱えていた。最近は城に引きこもりがちの弟に友達の一人でも作らせて、また以前のように元気になってほしかっただけなのに。
     ロナルドをパーティーに参加させるというのは、ヒヨシが側近にも相談して、ヨコハマ王国一の切れ者と名高い宰相を「ご公務ならまだしも子育てについて相談されましても」と困惑させながら、どうにか捻り出した案だった。公務が忙しくて構ってやれない日が続き、日増しに無口になっていく弟は、元より口数の少なかった妹と一緒に過ごさせていると一言も発さないまま一日を終えることもあった。
     兄弟だけで過ごしているときは、「兄ちゃん見て、セミのモノマネ!!」「ちんちん!!」「兄ちゃーん遊セロヴァッフェルボァ!!」などと黙っていてほしくても賑やかだのに、どうしてこうも極端なのか。挨拶に来た美しい貴婦人を前に、ヒヨシの気持ちはあらぬ方向へと向かっていく。
     不意にロナルドが周りに見えない角度でヒヨシの袖を引いた。顔をそちらに向けて笑ってやると、ロナルドは前を見つめて固まったまま「兄ちゃん、だっこ……」と呟いた。抱っこはあかんじゃろ、という言葉を必死に飲み込んで、ヒヨシはツルミ川が氾濫した際のような、重いため息を吐き出した。

     パーティーは好きだ。煌びやかなドレスも、豪華な装飾品も、目にするだけで気持ちが昂る。扇を口元に当て、右へ左へと目を滑らせるが、あまりそうしてもいられない。公爵家の娘であるドラルクの元へはひっきりなしに客が訪れた。若き貴公子たちはドラルクの手の甲に口づけ、口々に甘い言葉をこぼしていくが、それも聞き飽きた。
    「──と申します。ドラルク嬢、よろしければ私とお話でも……」
    「失礼、私少々気分がすぐれませんの」
     一族の遺伝的に夜目が効くドラルクには、会場の明かりは少々眩しすぎた。久しぶりの外出に人酔いしたというのもある。心配からか下心からか、介助を申し出てくる男をどうにかあしらって、ドラルクはその場を離れた。お父様がいれば連れて帰ってもらえるのだが、と辺りを見回したが、ドラウスはちょうど旧友のノースディンと話し込んでいる最中だった。ドラルクはノースディンが嫌いだ。特に何かをされた覚えはないが、魂が拒絶している。見知らぬ令嬢から秋波を送られているのを目にして、ドラルクは心の中でクソヒゲヒゲすけこましドスケベ歯ブラシヒゲがよ、と毒付いて、くるりと踵を返した。
     バルコニーに出ようとしたら、すでにイチャコラ忙しいカップルに占拠されていたので、カーテンの影から甲高い声を意識して「ちょっとその女誰よ!!」と叫んだ。男の慌てふためく声、女の狼狽したような、腹を立てているような声を背中に、そっとカーテンの側を離れた。
     さて他に一人になれる場所はないかしら。ドラルクは王城に足を踏み入れるのは初めてだったが、迷いのない足取りで城の中を歩き回る。どこが誰の部屋なのか、一々扉をノックして覗いてやってもよかったが、とにかくどこかへ座りたい。その時、薔薇の匂いがふわりと漂ってきた。城の中庭に薔薇園でもあるのかもしれない、そう思ったドラルクは城の外を目指してずんずん歩いていった。
     薔薇は中庭の中心にあった。ドラルクは薔薇が好きだ。あの赤い色がいい。それに香りを嗅ぐと元気が出るような気がする。精気を吸っているとでも言おうか、なんだかお腹が満たされるような……私ったらお花の妖精だったかしら? ドラちゃんかわいいからな、さもありなん。ドラルクは自分で結論づけて、側に備え付けられていたベンチに腰掛けた。ヒールの高くない靴を選んだはずだが、重いドレスを着て歩き回っただけでどっと疲れてしまった。
     パーティー会場でほてった体に夜風が心地よい。噂の王弟殿下はあまりに多くの人に囲まれていて、その姿をちらりと見ることもできなかった。兄弟揃って美しいという噂なのに、一目でいいから見てみたかった。ドラルクは美しいものと自分が大好きだ。遠目から見た国王陛下は確かに美しく、若く見えるが威厳があった。無理をして髭なんかたくわえなくったっていい。もう少し背が高くて、もう少し手足が長くて、もう少し眉毛が長くて垂れ目気味であれば、ドラルクの好みそのものだった。
     今日のドラルクは、自分の婚約者候補を見定めるつもりで来ていた。声をかけてきた男たちも、半分以上は未婚の公爵令嬢との縁を望んでいたのだろう。残りはどう見ても軟派な遊び人であるか、父や母に連れられて無理やりといった風であった。しかし、どいつもこいつも気に食わない。つまらない男ばかりだった。
    「どうせならもっとこう、面白い男がいいな。私を退屈させないような……っと」
     がさりと生垣が揺れる音を聞いて、ドラルクは咄嗟に投げ出していた両足を綺麗に揃え直した。さすがに人に見られると外聞が悪い。しかし木の葉同士が擦れる音はなおも鳴り止まない。もしや人ではなく野生動物だろうかとドラルクが立ち上がりかけた途端、ベンチのすぐ横から白い塊が勢いよく飛び出してきた。
    「よっしゃ、ついたぜ! ……あれ、ここ庭?」
     キョロキョロと辺りを見回す子どもは、ドラルクに気づいた素振りはない。しかしドラルクの目にはその子どもの美しい銀色の髪色やサファイアブルーの澄んだ瞳がよく見えた。身なりからしても間違いない、この子どもは王弟のロナルド殿下だ。
     社交の場で偶然出会うのとは訳が違う。しかも生垣から飛び出してきたからか、まろい頰のあちこちに小さな擦り傷を作り、お召し物だってこんなに汚れて……一緒にいるところを見られると、どんな誤解を受けたものか分からない。よしんばロナルドが上手く事情を説明できたとしても、面倒ごとになるのは目に見えていた。逃げるにしかず、とドレスの裾を持ち上げてそっと背を向けたドラルクの耳に、ぐすっと鼻を啜る音が聞こえてきた。
    「ふぇ……ここどこ……」
    「……」
    「う、う……兄ちゃん……にいちゃぁん……」
    「……〜ッ」
     普段の淑やかさを忘れて乱暴に髪をかき上げたドラルクはくるりと向き直り、わざと音を立てながら地べたに座り込んだままだったロナルドに近づいた。びくりと体を揺らした子どもを、出来るだけ高慢な視線と所作で見下ろす。やはりロナルドは泣きべそをかいていた。
    「あら、野生動物かと思えば、どこの子かしら」
    「びゃ!!」
    「ここは王城の中庭です。そこいらの子どもが遊びで入り込んでいい場所ではないのよ」
    「ぁ……ご、ごめんなさい!」
     ぴょこんと飛び上がって頭を下げたロナルドを前に、ドラルクは頭を抱えそうなるのを必死に抑える。王族が簡単に頭を下げてるんじゃないよ、という言葉が喉元まで込み上げてきたので、咄嗟に手にしていた扇で口元を隠した。
    「ふん……分かったのならよろしくてよ。さっさと親元にお帰りなさい、今宵は国王陛下も王弟殿下もお越しになっているパーティーなのですから」
    「あ……」
     ロナルドはあからさまにホッとした顔をした。自分がその王弟だとは気づかれていないことへの安堵感だろうと、表情から見てとれた。思ったことが全て顔に出ている、王族にしては素直すぎる子どもに、今度はドラルクの胃がキリキリと痛む。この無垢な瞳をした子どもが、王族に生まれついたというだけで、将来はあの狸や狐どもの中に放り込まれてしまうのだ。次に会う時には、この瞳の輝きも曇ってしまっているかもしれない。それはなんとも惜しいことだとドラルクは思った。
     もじもじと手遊びをして、なおもその場を離れようとしないロナルドを、ドラルクは再び訝しげに見下ろす。そうしてドラルクと目が合った途端、ロナルドの大きな目から再びほろりと涙がこぼれ落ちた。慌てたのはドラルクの方だ。
    「え、な、どうされのです……どうしたのかしら!?」
    「ふぇ……ふぐぅ……!」
    「あ、あ〜、ちょっと、もう……ほら泣き止んで」
     ドラルクはハンカチを取り出してその場にしゃがみ、後から後からこぼれてくるロナルドの涙をそっと拭ってやった。ひやりとした触感に一瞬ロナルドの肩が強張るも、頬を滑る優しい手つきに、次第に落ち着きが戻ってきた。
     ロナルドが改めて目の前の令嬢を見上げると、彼女は「情けないったらないわ、まったく」と言いながらも、泣き止んだロナルドを見て柔らかく微笑んだ。城で見上げるどんな大人たちとも違う、どこか兄と似ている微笑みだ。ロナルドは彼女を美しい人だと思った。
    「……落ち着いたかしら」
    「ん……ありがと……」
    「ふん、礼を言われる筋合いはなくてよ。……それで、あなたはどうしてこんなところにいたの」
    「うっ」
     ベンチに座らされたロナルドは、いよいよ観念したのか辿々しい口調で城の中庭に逃げ出してきた経緯を語った。
     自分はとある貴族の子どもで、両親が数年前にそろって他界してしまったこと。大好きな兄と妹がいること。家は現在、超優秀で格好良くて、スマートでパーフェクトで目からビームを撃てる兄が引き継ぎ、どうにかなっていること。自分も早くその兄の助けになりたいが、今日のパーティーでは誰に話しかけられても緊張してしまい、上手く話せずに兄を困らせてしまったこと。自分は兄のお荷物でしかないと大人たちが嘆いていたのを、カーテンの裏で聞いてしまったこと。それで、情けなくも会場を飛び出してきてしまったのだという。
     精一杯誤魔化しているのだろうが、話すうちに熱が入ってきたのか、終わりの頃には「ヒヨシ兄ちゃんが」「王様のお仕事」などと口走っていたせいで、何も誤魔化せていなかった。むしろドラルクは聞くべきではないあれやこれやを聞かされた気がして、元より青白い顔色はさらに血色を失っていた。
     すっかり話し終えたロナルドは、見ず知らずの人に胸の内を明かしてしまった恥ずかしさに、両手で顔を覆って顔を赤らめた。こうして誰かと落ち着いて話をするのが随分久しぶりだが、名前も知らない少女……ロナルドにはすでに立派なレディに見えていたが、彼女は落ち着いた相槌を入れるだけで最後まで聞いてくれた。父母や乳母がいなくなってから、大人全般にうっすらとした不信感を抱いていたロナルドは、初めて他人に心を許そうとしていた。
     しかし、ドラルクはパンと扇を広げて「貴族の子息が、なんと情けない」とロナルドの弱音を一蹴した。
    「そんな甘ったれた考えで、どうやって領地の民を守っていこうと? 貴い家に生まれついたならば、その責務を果たしなさい。でなければお兄様のことは放っておいて出奔でもしな」
    「……」
     それはロナルドがずっと言われてきた言葉だった。王族には王族の勤めがおありなのに、ヒヨシ殿下は立派にお勤めを果たしていらっしゃるのに、ヒヨシ殿下がロナルド様と同じくらいの歳には、それはもう立派なお振る舞いを……。
     ロナルドの目に、再びじわりと涙が滲む。やはり自分はダメなのだ、兄を助けるどころか足を引っ張ることしかできない愚弟なのだ、少女の言う通り家を出るのが、王籍を抜けるのが一番の助けなのかもしれない。脳裏に兄や妹の顔を浮かべたその時、ほっそりとした指がロナルドの眦に溜まっていた涙を優しく掬った。繊細なレース編みの手袋が色を変える。指先に促されるまま顔を上げると、厳しい言葉を放ったはずのドラルクは悲痛な顔をしていた。
    「こんな小さな子どもなのに……親を亡くした悲しみに浸る間もなく義務に追われて、大人と同じ振る舞いを求められるなんて間違ってる」
    「ぁ……」
    「ねえ、逃げたっていいんだよ。辛くてしんどいなら投げ出していい。もっと我儘に振る舞いなさいよ、子どもなんだから」
     ロナルドは呆けたように瞬きをした。逃げてもいいなんて、今まで誰にも言われたことがない。兄ですら「すまんの」と同情して守ってくれようとするだけで、王族として振る舞わなくていいとは言わなかった。
     おそらく少女の目には、ロナルドが今にも責務で潰れてしまいそうな、か弱い子どもに映ったのだろう。確かに自分は何の取り柄もない、王弟という立場も理解できていない愚か者だが、それでも周りの人々が懸命に自分を支えようとしてくれているのに、それを投げ出すのは違うと思った。
    「……あの、ありがとう」
    「? うん」
    「でも俺、大丈夫。頑張って兄ちゃんを助けられる男になるんだ」
    「……そう」
     ドラルクは少しの間、瞼を閉じて幼いロナルドのいじらしい決意を噛み締めていたが、次に目を開いた時には元の通り、愉快そうにその目元を歪めた。
    「あっそ、じゃあ頑張ってね」
    「う、うん……あの、お、お姉さんのお名前、聞いてもいい?」
    「……人に名を尋ねるなら、先に自分が名乗るべきではないかしら。まあ、私はあなたに興味がある訳じゃないので、これにて失礼」
    「あ! あの俺、ロナルドっていいま」
    「あー! 名乗らんでよろしい! じゃあね!」
     少女はそそくさと立ち上がって、ドレスの裾が乱れるのも構わず走り去ってしまった。ロナルドの名を聞いて焦っていたということは、もしかすると王族のことも知っていたのかもしれない。だとすれば申し訳ないことをしたな、とロナルドは思った。子どもながらに自分の厄介な立場を理解しているつもりだ。
     後に残されたのは、ロナルドの頬を拭ってくれた少女の指先の感触と、肌触りの良いハンカチのみ。ロナルドはそっとそのハンカチを鼻に押し当てて、香りを嗅いだ。落ち着く香りだ。少女らに流行りの花の香りではなく、もっと静かな木の匂いがする。
    「……ドラゴン?」
     広げたハンカチに刺繍されていた家紋を見て首を傾げる。ドラゴンなんてあまり聞いたことはないが、格好良い。きっと兄ならこれがどの家紋かすぐに教えてくれるだろう。……そこまで考えて、ロナルドは頭を振った。これはきっと自分の問題であるはずだ。兄に頼らず、自分であの少女にたどり着かなければ。それがどういう感情からくる決意なのか、幼いロナルドにはまだ分からなかった

     ドラゴンを模した家紋こそ「D」の一族のものであるとロナルドが自力で突き止めるのに、数年を要した。直系で一番ロナルドと歳が近い女性の名前がドラルクであること、成人の儀を経てドラルクンと名乗りを変えていることも知った。同時に、風の噂で、ドラルクンが歳上の伯爵と結婚し、嫁ぎ先で幸せに暮らしているという話も知った。


     瞬きの合間に時が過ぎてゆく。ドラルクは窓枠に肘をついてぼんやりと景色を眺めながら、そんなことを思った。
     結局家族の勧めで辺境伯に嫁いだのも、彼が亡くなったのも、遠い昔のことのように感じる。実際は未亡人になってからまだ十数年しか経っていない。いつしか気付いた、ここは物語の中だという認識は、時が経つにつれて薄くなってきた。
    「ヌヌヌヌンヌヌ?」
    「…ああジョン、ごめんねボーッとして。クッキー焼けたの?」
    「ヌン!」
     ドラルクは、夫を亡くした次の年に川辺で拾って看病してやったアルマジロを、実の子どものようにかわいがって育てていた。ジョンと名付けられたアルマジロは、聡明で丸く愛らしく、「ジョンさえいれば寂しくない」とはドラルクの口癖だった。
     亡き夫との間に子どもはなかった。それどころか、性的な交渉事態もなかった。ドラルクが嫁いだ時、すでに彼はかなりの高齢者だった。一族、とりわけ父は病弱な自分の身を案じていたから、嫁ぎ先で当然求められるであろう妻としての義務、妊娠出産にドラルクが耐えられないと思ったのだろう。その必要がないような相手を選んだに違いない。
     忘れもしまい初夜のこと、ガチガチに緊張してベッドの上で震えるドラルクに、夫は苦笑いをしながら「君の想像していることは出来そうにないんだよ」と言った。少なからずショックを受けたドラルクを労わるように、その夜はぴったり寄り添って二人でボードゲームに興じた。
     夫は優しかった。ボードゲームもトランプ遊びも得意だった。夫はドラルクの良き遊び相手になった。二人の間に燃えるような恋や深い愛情などは生まれなかったけれども、互いを尊重し合う絆と情があった。
     子どもは望めまい、しかし家督の相続はどうするか。任されたのは緑豊かな土地で、治安もよく穏やかではあるが、外交的にはヨコハマ王国の要地であるから、このまま夫婦二人でひっそりと暮らしていくわけにはいかない。遅かれ早かれ、養子を迎えることにはなるだろう。
    「君は良い母親になると思うよ」
    「あら、お腹を痛めたことがないから、子どもをかわいいと思えるかも分かりませんのに」
    「分かるとも、君はなんだかんだと優しい人だから」
    「んふふ、あなたも良い父親になるでしょうね」
    「お祖父様と呼ばれてしまうかもしれんが……」
    「まあ立派にじじいですもんね」
     養子を迎えるならば、伝手を探さなければならない。ドラルクの実家を頼れば間違いなかろう、いくらか知り合いがある、屋敷は広いからどの部屋を子ども部屋にしようか。机やベッドはどうしよう、せっかくだから庭も手入れして、犬や馬も飼おう。この屋敷が賑やかになる日が待ち遠しい……。二人は夜になると、ベッドの上で、睦言を交わすようにこれからの話をした。
     夫が病で倒れたのは、そんな折だった。
     領民に頼まれて、年甲斐もなく畑仕事を手伝ったのだ。雨が降り出し、すぐに屋内へ避難しようと領民が勧めたのに、気にするほどでもないと作業を中止しなかった。ほんの小一時間、雨に打たれたのが良くなかった。幼い頃から患っていたという肺が悪さをして、数日間高熱が出た。夫はそのまま帰らぬ人となった。
     屋敷の使用人も、領民も、温厚な領主を襲った突然の悲劇に涙を流した。そうして、結婚してすぐに未亡人となったドラルクを憐れんだ。
     ドラルクは公爵令嬢であったとはいえ、まだ十代の少女で、人を愛することにも失うことにも慣れていなかった。使用人に囲まれ、物言わぬ夫の棺の傍に呆然と座り込んで時間が過ぎるのを待つしかない。埋葬の間際、ついに死者の顔も見納めとなった時、ドラルクはようやく自分を取り戻した。周囲に響く啜り泣きの声にわずかに表情を歪ませたが、すぐに背筋を伸ばし、棺に蓋をしようとする人々を押し退けて夫の亡骸に近づくと、真っ白い唇に掠めるような口付けを贈った。ドラルクが彼に口付けたのはこれが二度目だった。司祭の祈りの言葉を聞き流しながら、これで家族以外に口付ける機会はもうないのだなと、ドラルクはぼんやり考えていた。
     これからずっと、悲しみに暮れて生きていくのだろうか。父や母が亡くなった時も、こんな辛気臭い気持ちにならなければいけないのだろうか。生来享楽主義のドラルクには、それは耐え難い苦痛だった。夫は愛していたが、その死を悼み続けるのが死者への弔いになるとは思わない。夫の死からあっさり立ち直ったドラルクは、辺境伯夫人として引き継いだ領地の経営に勤しんだ。数字を見て傾向を予測し、適切な予算を適切な箇所に振り分ける。時折視察と称して気ままに遊び歩くこともあった。意外にもドラルクは領地運営に向いていた。実家の公爵家で、へそくり捻出のため帳簿をいじくり回していたのが幸いしたらしい。
     大きな混乱もなかったため、王国から領地について問い合わせるような使者が来ることもなかった。そのうちアルマジロのジョンと出会い、ドラルクは今、屋敷の広さを持て余しながらも穏やかな毎日を過ごしている。
     しかし、ここ数ヶ月、ドラルクの胸は得体の知れない予感にざわついていた。夜も上手く眠ることができず、ジョンの腹へと顔を埋めて、動悸がおさまるのを待つこともあった。当然屋敷の使用人やジョンは心配して、ぜひ医者に診てもらうよう勧めたが、ドラルクは首を振るばかりだった。悪いことが起こる予感ではないと知っていたからだ。ドラルクが感じていたのはむしろ、人生がひっくり返るような、お話の中のハッピーエンドのような、欠けっぱなしだった自分の一部をようやく取り戻すことができるような──とにかく避けようのない運命が迫っているのだと予感していた。けれども、一体何がと言われても分からない。だからこんなに胸がざわつくのかしらと、ドラルクは月を見上げて独りごつ。そういう夜をいくつも過ごした。

     ある日、ドラルクが目覚めると、屋敷の中は蜂の巣を突いたような大騒ぎだった。寝室にまで叫び声が聞こえてくるのだからよっぽどのことだろうと、ドラルクは急いで身支度を整えようと人を呼んだ。
    「一体何が起こっているんだい」
    「それが奥様、申し訳ございません、私も詳しくは分からなくて……ただ、屋敷の外に誰かが来ているようです」
    「ふうん? もしかしたらお祖父様? やりそうだなあの人、ヘロー百年ぶりっつって……」
    「ともかくお急ぎくださいませ、奥様をお待ちのようです」
     括れるというより抉れている腰にコルセットを巻かれながら、ドラルクはため息をついた。ジョンは昨日から泊まりがけで友人の家に遊びに行っている。面倒そうなことに巻き込まずに済んだのが幸いか、それとも頼れる騎士がいなくて心細く思うべきか。どちらにせよ、ドラルクが出なければ騒ぎが収まらないのであれば、自分が行くしかない。普段以上にしっかり化粧をするよう指示すると、メイドは顔を引きつらせた。
    「奥様、差し出がましいようですが、あんまり化粧をすると老けて見えますよ」
    「本当に差し出口ねあんた! いいんだよ威嚇しに行くんだから!」
    「威嚇ならいつものお顔で十分迫力があります」
    「オーッ仮にも伯爵夫人に向かってこの言い方! ……ふむ、度胸あるな、嫌いじゃない」
    「ありがとうございます。いざとなったら私が奥様の代わりにお相手をぶち転がして差し上げますから、行きましょう」
     なぜか武装した使用人たちに守られるようにして、ドラルクは玄関へと向かった。門扉に立っているのは、王室の腕章をつけた騎士たちだった。それを認めた途端に色めきだつ使用人たちをどうにか抑えて、ドラルクは屋敷の主人として彼らに向き合った。
    「騎士団の皆様におかれましては、ご機嫌麗しゅう。首都からこのような辺鄙な土地へ、どのようなご用向でしょうか」
    「……あなたがドラルクン夫人とお見受けいたしますが」
    「ええいかにも、私が現在この地を預かっております、ドラルクンでございます。税の報告書に不備でも? それともうちのジョンにまたお見合い話? あの子にはまだそういうの早いと思うんですのよ」
    「いいえ、夫人。あなたにお願いがあって参った次第です」
    「……あら」
     ドラルクはぱちりと瞬きをした。背後で銘々に獲物を構え始めた使用人を宥めつつ、いやなんだその武器どこに隠してたんだという心の声を封印しつつ、あらためて訪問者に向き直った。
    「このような年増に何のご用でしょう。とんと心当たりが……」
    「王弟ロナルド様が、ドラルクン夫人を召集なさいました」
    「……は?」
    「こちらの馬車でお連れするよう仰せ使っております」
    「は? 嫌だが」
    「ちなみに正式な王弟命令でございます、こちらに命令書が」
    「なんで!?」
    「さあ、我々もそこまでは……」
    「というかなぜ駆り出されたのか我々が知りたいっていうか……」
    「わやわやのまま来てるんじゃないよ!」
     他所行きの言葉遣いがどんどん剥がれていくドラルクに釣られるようにして、騎士たちの口調も崩れていく。嫌です、お願いします、無理じゃ、そこをなんとか、先触れぐらい出しとかんかい、それはそう、などのやり取りの末、気が付けばドラルクは問答無用で馬車に押し込められていた。しかも不思議なことに、あれほど色めきだっていた使用人たちが笑顔でドラルクを見送る体制をとっている。
    「なんでじゃ!」
    「私はかねがね、奥様にはもっと幸せになっていただきたいと思っていたんですよ」
    「辺境とはいえ、首都での噂程度ならここでも聞きかじる機会があるんですよね」
    「ジョン様のことはお任せください! ええ! まるっとお任せくださいな!」
    「ちょっとやめろジョンに好き勝手おやつあげる気だな!? 栄養とか運動とか考えてる私の食事を無視して! ジョンが丸まれなくなったらどうする! おい!」
     ドラルクの叫びも虚しく、馬車はゆっくりと速度を上げていく。なおも後方へ向かってギャンギャン吠えるドラルクに気を遣ったのか、御者が「奥様、気晴らしに歌いましょうか」と手綱を操りながら哀愁漂うメロディーを口ずさみ始める。御者がドナドナ歌うのを聴かされていたドラルクは、苦虫を噛み潰したような顔でため息を吐いた。

     王城までは早馬でも丸一日はかかる。騎士団一行は着替えや化粧道具すら持たせる暇をくれなかったため、どれほどの強行日程なのかとドラルクは覚悟していたが、道中できちんと宿を取り、王城が見えてきたのは屋敷から連れ出されて七日目のことであった。ドラルクの世話は途中で合流した女性騎士が引き受け、着替えを始めとした必需品の類は全てあらかじめ用意されていた。ドレスのサイズはもちろん、食事に関してもほとんどドラルクの好みが反映されていた。何を考えたらこれだけ計画的にこの年増を攫おうと思えるのかね、とドラルクは頭を抱えた。
     ドラルクは、王弟ロナルドとはほとんど接点がない。ロナルドの本格的な社交デビュー前に結婚して引っ越した上に、社交に関してドラルクは熱心な方ではなかった。世の貴婦人たちも、首都を遥か離れた辺境伯夫人とわざわざ交流するほどの旨味は感じないのか、茶会の誘いの手紙もそれほど多くなかった。ドラルク自身は人と話すのが嫌いではなかったが、それも時折間違えて国境を越えて来てしまった隣国の平民に茶を出してもてなすので十分だった。
     それが今更になって、なぜだろう。ドラルクは馬車に揺られながらずっとそれを考えていた。ロナルドに招集される心当たりなど、とんとない。しかし、まあ、強いてあげるならば──ドラルクは静かに瞼を閉じて、二十年近く前の記憶を引っ張り出した。豪奢なパーティー会場の灯りが漏れる王城、その中庭での、一夜限りの交流。幼さを残したロナルドのまろい頬をつたう涙の煌めき、健気な決意の表情、ふにゃふにゃとしたはにかみ笑い。
     あの夜のロナルドは美しかった。その瞳の輝きも、憐れんでしまいそうになる覚悟も、兄妹を愛する心も、全てが美しかった。後にも先にも、あれほどのものを目にすることはそうあるまいと思ったが、間違いなかった。あの時であった少年との思い出は、今もドラルクの胸の内でかけがえのない輝きとなっている。ひょっとすると、ロナルドはあの夜のことを覚えているのだろうか。そう仮定してみても、それが今回の召集につながるのかと考えると、首を捻ってしまう。
    「ドラルクン夫人、ご気分がお悪いのですか?」
    「ああ、いえ、少し考え事を」
     ひょいと窓から内を除いてきた騎士によって、ドラルクの思考は一旦中止された。道はすでに舗装された道路へと変わり、建物もちらほらと見えてきた。城まではあと一時間というところかしら、とドラルクは呟いた。
    「そのことですが夫人、今からお連れするのは王城ではなく、ロナルド様の私邸の方になります」
    「……まるっきりのプライベートということ?」
    「はあ、まあ」
    「本当になんで私が呼ばれたのか……いや本当に、何? 何か知りません?」
    「噂話などでお聞きおよびではないのですか?」
    「半年前の出来事が最新ニュースとして伝わる程度に辺鄙な場所でしてよ、あそこは。探ろうというつもりがなければ、何の情報も入ってきませんの。砂糖と小麦の値段くらいは気にしてましたがね」
    「ああ……であれば、やはり直接王弟殿下に伺った方がよろしいかと」
     騎士はやや気まずげに目を逸らし、隊列に戻っていった。そういえば屋敷を離れる前に、使用人の誰かもそのようなことを言っていたかもしれない。首都でどんな噂が流れていたのか、今となってはそれを知ろうとしなかったのが大きな痛手のように思える。
     しかし、どれもこれも過ぎたことである。今やドラルクにはロナルドと会う以外の選択肢はないのだし、断るような理由も見つからない。それならば楽しいことを考えようじゃないか、とドラルクは品の良い藤色のドレスを撫でた。ここまでに着てきたドレスは全てロナルドからドラルクへと下賜されるという。中々気前の良い話ではないか。それに、あの愛らしい少年がどれほど美しい男に育ったのかも気になる。さぞかしハンサムになったことだろう、ともすれば兄王と並び立つか、それ以上の美丈夫に違いない。美しいものは好きだ。そう思えば、今から待ち受けているのは大変愉快な出来事ではないか。
     不意に、覚えのあるざわつきがドラルクの胸に去来した。しかしそれはいつものような確信めいたものではない。胸の中心を優しく握りしめられているような、甘さと切なさを孕んだものだった。ドラルクは両手でそっと胸を押さえた。夫がまだ生きていた頃、時たま覚えていた、あの胸の痛みに似ていると思った。

     馬車は大きな邸宅の玄関扉前で止まった。騎士のエスコートを受けて扉をくぐると、その後を屋敷の使用人が引き継ぐ。ドラルクは案内されるまま広い廊下を歩んだ。屋敷の中は手入れが行き届いていて、調度品の趣味も悪くない。私邸とはいえ使用人の気配りも申し分ない。さすがは腐っても王弟だと、ドラルクは内心下を巻いた。
    「こちらでお待ちください」
    「……湯をいただけるとありがたいのだけれど。長旅で少々埃っぽくなってしまって」
    「必要であれば、そちらもお持ちいたしましょう」
     その言い方に少し引っかかるところはあったが、扉を開いて中へ促されれば仕方がない。柔らかいソファに座れることがせめてもの救いだ。そんなことを思っていたドラルクは、室内に一歩足を踏み入れて愕然とした。柔らかそうなソファはある。ティーテーブルもある。ただし、部屋の最奥、衝立の向こうにでかでかと鎮座しているのは寝台だ。窓際には大きめの執務机もある。ここは客間などではない、どう見ても寝室ではないか。それも、恐らくこの邸宅の主人の。
    「めんどくさ……!」
     舌打ちしそうになるのを懸命に堪えて、ドラルクは慌てて踵を返したが、伸ばした手がドアノブに触れる前に大きな扉が開いた。扉を開いた張本人、すなわち王弟ロナルドは、ドラルクを一瞥すると微かに頷いた。
    「ご苦労だった。お前たちは下がっていていい」
    「……!」
     完璧な笑みで人払いを済ませたロナルドは、おもむろにドラルクに向き合った。中庭で出会った頃の面影はどこへやら、すっかり精悍な身体と顔つきになっている。そういえば、王室騎士団長を務めているのであったか。それも血筋ではなく、剣の実力を認められてという話であったが。ドラルクは距離を取ろうとじりじりと後退るが、ロナルドはそれを意に介した風もなく、あっという間に距離を詰めてきた。そうして、身構えるドラルクの目の前で片膝をついた。騎士とはいえ、まさか王弟が膝をつくなど。咄嗟のことに声も出ないドラルクに向かって、ロナルドは蕩けるような美しい笑みを浮かべた。
    「初めまして、ドラルクン夫人──いいえ、お久しぶりですと言わせていただけるでしょうか、ドラルク嬢」
     ロナルドが懐から何かを取り出す。「D」の家紋の刺繍が入ったハンカチだった。見覚えのあるそれにドラルクは息を呑んだが、どうにか動揺を押し殺して背筋を伸ばす。ロナルドの表情や寝室に招かれた意味を履き違えられるほど、ドラルクは無知にはなれない。下手を打てば不敬罪で咎めを受ける可能性もある中、この場を何事もないままやり過ごして領地へ帰らなければ。
    「……王弟殿下にご挨拶申し上げます。思い違いかもしれませんが、私と殿下はこれが初対面ではございませんか? それと、ドラルク嬢はおやめください。ご覧の通り、とうに成年している年増でございますゆえ」
     不敬にならない程度に傲慢な態度をとるドラルクに、ロナルドは困ったように眉尻を下げたが、気分を害した様子も見せずにドラルクの手を取って口付ける。見上げてくるサファイアブルーの瞳の奥に、得体の知れない感情がぐつぐつと煮えたぎっている。マジかよ、とドラルクは顔を顰めた。今まで異性からほとんど向けられたことのなかった情念が、今やまっすぐドラルクを貫いている。
    「レディのお名前をいただくこともせず別れるなど、物事を知らぬ子どもの過ちとはいえ、大変失礼なことをしました。今日はまずそのことを謝ろうと思っていたのですよ」
    「さようでございますか、では謝罪をお受けいたします。要件は済みましたね? 帰らせていただいても?」
    「……あなたから見て、今でも私は泣き虫の子どもですか? ここまでのことをしておいて、そのままあなたを家に帰すような」
     ロナルドはドラルクを見上げたまま、掬い上げた薄い手のひらに自分の頬をすり寄せる。手袋越しにも分かる熱い体温に釣られるようにして、ドラルクの胸もカッと熱くなった。反射的に引きそうになった手を握られて身動きが取れなくなる。それにしても絶世の美貌だ。ドラルクは頭がくらくらしてきた。戯言に付き合っている暇はないのに、と胸の内で歯噛みするも、ロナルドの一挙一動から目が離せない。
    「あの夜からずっと、あなたのことだけを思って生きてきました。やや強引でしたが、こうして再びお目にかかれたのが何より嬉しい」
    「……確かに人を使うのが随分とお上手になったようで。さすがは王弟殿下でございます。王族としてのご自覚も立派でいらして、この国の民としてこの上ない喜びですわ」
    「ええ、おかげさまで」
     ロナルドはにっこり笑うと立ち上がり、当然のようにドラルクの腰を抱き寄せた。ドラルクは女にしては背の高い方であったが、ロナルドの背丈はそれをすっぽりと覆うほど高い。身を離すため咄嗟にロナルドの胸についた手は、服の下の鍛え上げられた肉の触感を伝えてくる。これはまずい、非常にまずい。ドラルクは忙しなく室内に目を走らせるが、この窮地を切り抜けられそうなものは生憎見当たらない。最悪ロナルドを殴ってでも脱出しようと考えていたが、壁に掛けられた剣や斧も、椅子やティーテーブルも、ずっしりと質量があるように見える。非力なドラルクでは持ち上げることすら叶わないだろう。
    「あなたを私の私邸に招いたこと、そしてこの部屋へお通しした意味、ご結婚もされていたあなたならお分かりかと思いますが」
    「ええい、随分と品のない! 悪意のある言い方ですね!」
    「悪意だなんてとんでもない、あるのはあなたへの真心だけです。ドラルクン……夫人。あなたのおかげで、私は兄王や周りの者の手を煩わせる子どもからの脱却が叶いました。私という人間を見てくれる者、その立場に擦り寄る者、様々な出会いがありました」
    「はあ……」
    「好意も悪意もありました。私は……いつでも不安でした。自分に自信がなかった。それでも、務めを投げ出そうとは思いませんでした。兄王のため、妹のため、そして何より、あなたにそう誓ったのですから」
    「勝手に誓われても困りますわ、ね!?」
     ロナルドは軽々とドラルクを抱え上げると、そのまま寝台まで歩みを進めようとする。あまりの狼藉に、ドラルクが相手も忘れて全力で暴れるも、びくともしない。力の差は歴然としていたが、犬猫のように軽くあしらわれると腹も立つ。まったくこの男はいつもそうだった、一人と一匹を軽々と片手で抱えて、流水でもヘドロでもひょいと飛び越え……いや何だそれは。
     突如脳裏をよぎった光景に気を取られているほんの一瞬の間に、ロナルドはドラルクを横抱きにしたまま寝台の縁に腰かけた。我に返ったドラルクが慌てて立ちあがろうとするのを、ロナルドは片手で易々と抑え込む。
    「このハンカチを、いつも肌身離さず持ち歩いていました。不安な時は、こうして取り出して、あの夜に想いを馳せたものです……あなたを身近に感じられるようで、不思議と勇気が湧いてきました」
    「いや、ちょ、離せ……離してくださいってば」
    「不甲斐ない私ですが、今まで縁談も多くあったのです。正直私には勿体のない話まで……けれども私は、そのどれにも頷かずに今日まできました。ドラルクン夫人、理由をご存知で?」
    「知りませんねッ、もしかして不能、なんじゃないですかッ……かった! どんだけ鍛えたらこんなゴリラみたいな腕になるんだ!?」
    「ふふ……それを今から確かめていただいても良いのですが、私は幼少のみぎりに城の中庭で運命と出会って以来、その方だけを生涯の伴侶にと決めていましたので」
    「……っ!」
     ロナルドが力強くドラルクを抱き寄せる。最早この腕の中から逃げ出すことはできそうになかった。一分の隙もないほど密着したまま、ロナルドはドラルクの耳たぶを、耳飾りごと柔らかく食んだ。直截な刺激に思わずドラルクの身体が固まる。ロナルドはそのまま長い耳の輪郭を唇でなぞり、吐息をこぼしながら囁いた。
    「夫人……いえ、ドラルクンさん。どうか私のものになっていただけませんか……?」
     ロナルドの手のひらがドラルクの震えを伝えてくる。ここまですれば、あとはドラルクの返事を待つのみだ。ああ、ようやくこの日が、とロナルドが瞼を閉じた瞬間、バチンと鋭い音が室内に鳴り響いた。少し遅れて、ロナルドの頬が熱を持ったように痛む。鬼のような形相で立ち上がったドラルクを見て、ようやく頬を張られたのだと理解した。
     ドラルクは呆然とするロナルドに向かって指を突きつけると、怒りのまま叫んだ。
    「な〜にが『私のもの』だこのスカタン!! 私は生まれてから死ぬまで私自身のものに決まってるだろうが! おまけに権力で想い人を自分のものにしようだなんて、人としても一人の男としてもやる事が最低だね!」
    「ド、ドラ……」
    「フン、それになんだいその顔、その表情は! 私は外交官か? あんたの腹を探って落ち度を探す政敵か? 色仕掛けをしてきたどこぞの大臣の娘か? 二十年も引きずるような運命とやらにまでその作り物の嘘くさい笑い方しかできないんなら、潔く諦めて死にな!」
     ドラルクは吐き捨てるように言って、素早く踵を返した。爵位の剥奪や領地の没収は逃れられないだろうが、ロナルドにほんの少しでも情があるならばドラルクの首一つで済むかもしれない。ともかく急いでこの窮地を知らせなければ。ジョンや領民の安全の確保、家族との絶縁、すぐに動き出せば間に合うかもしれない。ドラルクはかつかつと靴を鳴らして扉まで走ったが、あと一歩というところで腰にたくましい腕が回ってきた。誰のものなのかなど確認するまでもない。
    「アーッ離しな! 殴ってごめんなさいねでも殿下がやらかしたこととどっこいじゃないですかね!? 私はこんな所では死ねないというか、領地に残してきた愛の丸が私の帰りを待って」
    「……ど、どうしてそんなこと言うんだよぉ……」
    「……は?」
     思わずドラルクが振り返ると、そこには美しい顔からあらゆる液体を垂れ流したままにしているロナルドがいた。ズッと鼻をすすって、再びドラルクを抱きしめる腕に力をこめる。
    「え、な、何……」
    「エーーーーンやだやだ行かないでドラルクン! 俺めちゃくちゃ頑張ったのに! 縁談とか大臣からのプレッシャーとかご令嬢たちからの圧とかヤバかったの、全部我慢したのに!!」
    「はあ?」
    「おっ俺、あんたが結婚したって聞いて、半年ぐらい再起不能になったけど、頑張って立ち直ったのに! あんたの旦那さんが亡くなったって聞いて、不謹慎だけど喜んじゃって、それでまた剣も握れねえくらい落ち込んだけど、そっからも必死で立ち直ったのに! 未亡人にアプローチするとか倫理的にどうなん? とか言われて五年くらい迷って、このままじゃいつまで経ってもヒマリが結婚できねえって言うから決死の覚悟であんたをここへ呼んだのに!」
    「いや知らないよ」
    「ブエーーーーーッひどい!! …………でも好きぃ……」
     自分にしがみついたままえぐえぐと情けない泣き顔を晒すロナルドに、中庭で迷子になって泣きじゃくっていた少年の面影が重なる。図体ばかりが大きくなって、嫌なことも怖いことも上手く受け流せないのは変わっていなかったらしい。きっとここまで成長する間にも、繊細な心を痛める出来事がいくつもあったのだろう。ドラルクがその全てに律儀に傷ついてきたであろうことを想像するのは容易であった。自分が夫の死を悼んだ期間より、ロナルドが消沈していた時間の方が長いのではないか。
     どうやらロナルドは、戯れではなく本気でドラルクを求めていたらしい。そう思えば、全くスマートでないやり口がなんだか面白く感じられてきた。同時に、現国王の弟という立場でありながら、自分のような痩せぎすの寡婦に本気になって、せっかくの美しい顔をべしょべしょにしながらすがってくるロナルドが、たまらなく愛おしく思えてきた。
     ドラルクは腰に回ったロナルドの手を軽く叩いて力を緩めさせると、改めてロナルドに向き直った。ロナルドが握ったままだったハンカチを取り、後から後から溢れてくる涙を拭ってやる。
    「……ロナルド殿下、私一度は結婚した身ですのよ」
    「……知ってる」
    「そんな女をお側に置くことがどんな事態を招くことになるか、お分かりで?」
    「……周りを黙らせる覚悟も、段取りも、あなたを守り抜く力もあります。臣籍に降る準備もできています」
    「アラ」
     どうやら全くの向こう見ずというわけでもないらしい。鼻水を垂らしていても憎らしいほどに整った容貌を眺めて、ドラルクはため息を吐いた。途端にぎくりと身体を強ばらせるロナルドがおかしくて、ふふ、と笑みが漏れる。
    「ド、ドラルクン夫人……」
    「……はい」
    「俺のこと……き、嫌いにならないで……」
    「んっふ!」
     思わず吹き出したドラルクに何を思ったのか、ロナルドの両眼にまたうるうると涙の膜が張る。
    「あーあー、泣くんじゃないよ。せっかくの良い男が台無し……にならないから腹立つな」
    「エーンごめんなさい!」
    「もう怒ってないってば、まったく。……あー、殿下、りんごはお好きですか?」
    「りんご?」
    「我が領地では毎年良いりんごが収穫できましてね。この時期になるとちょっとしたお祭りをやるんですよ、街の中だけですが。うちのジョンが大好きなアップルパイもたくさん焼いて」
    「アップルパイ……」
    「……お茶会やパーティーのような、きちんとしたものじゃありませんよ。一々客も招いていないし。それでも良ければ、殿下も……私の友人として、参加されますか」
    「……!!」
     ロナルドはぶんぶんと勢いよく首を振った。あまりに勢いがあったものだから、そのまま首がもげてしまうのではないかとドラルクは内心ヒヤヒヤしていた。
    「では来月の準備もありますから、私は帰らないと。よろしいですね?」
    「う…………はい……」
    「申し訳ございませんが、帰りの馬車と宿の手配をお願いしても?」
    「……はい」
    「…………殿下」
    「……はい」
    「いい加減私の腰を抱くのはおやめなさい」
    「うう……はい」
     返事をしたものの、ロナルドは口をもごもごとさせるばかりで、一向にドラルクを解放しようとしない。もう一発殴ってやろうかななどとドラルクが考え始めた時、ようやくロナルドが言葉を発した。
    「あ、あの、ドラルクン夫人……」
    「なんですか」
    「俺……俺、あなたのことが好きです。俺を友人と言ってくれるのも嬉しいけど……ど、どうか俺を、あなたの特別にしてください……!」
    「……特別、ねえ」
     ドラルクは顎に手をやってしばらく考えていたが、いいことを思いついたとばかりに手を打った。
    「では、私のことをドラルクとお呼びください」
    「え? でも、もう成人して名乗りも変えたのでは……」
    「おっしゃる通りです。ですから、ドラルクは……私の幼名は、それこそ家族以外もう呼びませんわね」
    「か、家族……!」
     ロナルドの顔がぱっと明るくなる。やにわにドラルクを抱え上げると、ドラルクの悲鳴も無視してその場でぐるぐると回転し始めた。
    「なに!? 人をおもちゃみたいに振り回してるんじゃないよ!!」
    「だって家族って! もうそんなん結婚じゃん!!」
    「違うわ馬鹿!!」
     感動のあまり有頂天になっているのか、ロナルドはドラルクの静止を聞こうとしない。騎士団長を務める大柄の男にぶんぶんと振り回されて、ドラルクは段々と気が遠くなってきた。そういえば馬車から降りてろくに休んでいない。貧弱なドラルクの体力は限界を迎えようとしていた。
    「……あれ、ドラルク? えっ気絶してる? 嘘!? ウワワワ誰か! 誰か医者を! うわーんドラルク死なないで!!」
     さすがに死なんわ、でも死にそうなのは死にそう。さっきからゴリラの全力でぶん回されて気持ち悪いし、腰めちゃくちゃ掴んでくるからそこでぽっきり折れそう、いや折れてもすぐに再生するけど……再生? いやいや死ぬだろ普通、でも私は、あれっ私は──


    「ただいま!!」
    「うわっ」
     帰宅した旨を伝えるロナルド大声で目覚めると同時に、驚いてドラルクは死んだ。ナススと再生すると、編みかけだったドイリーからすぽんと編み針が抜けてしまっている。やり直しのショックで再び死んだ。
    「ただいまージョン……って何死んでんだクソ砂」
    「貴様のクソデカ声で死んだんじゃ! あー……なんか夢見が悪かったような、良かったような……?」
    「なに、吸血鬼も夢とか見んの」
    「見るんじゃない、多分」
    「ふーん、なんでもいいけど今日の飯何?」
    「もっと私に興味と畏怖を抱かんかロナ造、今日はジョンのリクエストで肉巻きおにぎりと野菜炒めだよ」
    「肉巻き!」
     ロナルドはスキップしそうな勢いで洗面所へ駆け込んでいった。帰宅即手洗いうがい、ドラルクの教育の賜物だ。ドラちゃんってばゴリラの飼育が上手すぎる、このままマウンテンゴリラに進化する日も近いんじゃないかしら。完全に野生に返ったら実家に帰ったろ。
     それにしても変な夢を見ていた気がする、とドラルクはテーブルに散らばったレース糸や編み針を片づけ始めた。もう間もなく、フットサルクラブへ出かけていたジョンも帰ってくることだろう。いつの間に寝てしまったのか、うたた寝だなんて自分らしくもない。肩のあたりが強張っている気がする、後でロナルド君に殺してもらって……
    「……おや?」
     テーブルの上に、週刊バンパイアハンターが置きっぱなしにしてあった。ロナルドが何やら面白い格好をして巻頭グラビアを飾ったと亀谷に聞いたドラルクが、こっそり購入していたものだ。ロナルドに見つかったら真っ赤な顔で没収されるに違いない。そそくさと棺桶に仕舞おうとしたが、手が滑って雑誌が床にばさりと落ちた。
    「おっと危ない、ページに折り目が……うん?」
     カラーページにでかでかと写っているのは確かにロナルドだ。しかしトレードマークの真っ赤な退治人衣装ではなく、青と白を基調としたスーツだ。頭に小さな王冠まで乗せて、はにかむようにオレンジ色の薔薇を差し出している。
    「……ははあ、王子様ねえ」
     これはまた、面白いコンセプトを思いついたものだ。ドラルクは感心したように頷いた。いつものロナルド様路線も良いが、こんな格好をしたロナルド君に目線を向けられては、ページを開いた読者もお姫様の気持ちになってしまうだろう。これはまたロナルド君のリアコが増えるぞと笑うドラルクも、なんだかそのページから目が離せない。
    「うーん…………腹立たしいほど顔が良い」
    「誰のだよ」
    「ウオーッ!?」
    「……あっ!! これ、この号……てめえこんなん買ってんじゃねえぞ! 捨てろ!」
    「勝手に人のもん捨てようとすな! 珍しく私が自分のお金で買ったんだからな!」
    「エッアッ自分で? ……お、お前自分で買ったの……俺の、コスプレグラビア特集の週バン……」
    「あ? 悪いか? ……あ!?」
    「何死んでんだドラ公! ちょっとあの、感想とか聞かせろやオイ!」
    「う、うるさいうるさい! 飯の準備するからあっち行ってろ!」
    「なあ、なんかお前顔色違くない? 何それ? どういう感情?」
    「ああ〜なぜなに期に突入してんじゃないよ五歳児が!」
     ドラルクは砂になったまま逃走を図るが、ロナルドがそれを許さない。ぎゃんぎゃんといつも通りやかましい二人に、キンデメは一つ泡を吐いて「ぐぶ……見てられん……」と心底呆れたように呟いた。
    うめみや Link Message Mute
    Aug 15, 2022 1:12:07 AM

    恋は執着、愛は受容

    #ロナドラ
    王婦(夫)ロナドラ

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