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    しおり
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    しおり
    恋バナしよっ♪

    『ワッハッハー! まんまとかかったな退治人! 我が名は吸血鬼』
    「ウオーッ! 暴力!」
    「ウワーッ! 巻き込んで殺すな!」
    『イヤーッ野蛮!』
     渾身の一撃をお見舞いしたのに、真っ白な壁には亀裂どころか傷ひとつついていない。退治人タックルで凹みもしないなんて、こいつなかなかやるじゃねえの。敬意を表して、今度は拳を打ち込む。確かな衝撃が自分の骨に伝わるだけだった。
    『噂には聞いていたが、新横浜の退治人って皆こんな感じなの……?』
    「概ねそうだ」
    『ええ……名乗らせもせずに暴力一択って……倫理とかどうなってんの』
    「うるせえ! 人を閉じ込めておいて何が倫理じゃ! さっさとここから出しやがれ!」
    「そうだそうだ、ジョンがお腹を空かせてヌーヌー泣いちゃったらどうする!」
    『フフフ……よくぞ軌道修正してくれたな! 我が名は吸血鬼恋バナをしないと出られない部屋!』
    「吸血鬼恋バナをしないと出られない部屋!?」
     ちくしょう、ジャケットの背中にダンゴムシを入れてきたドラ公を追い詰めた先が吸血鬼の罠の中だったなんて迂闊だった。「なんかアレックスしないと出られない部屋に似たやつがいんな」と思ったけれども、まさか全く同系統だったなんて。ちらりとドラ公を見れば「やはりな」なんてスカしてやがるが、こいつも特に何も考えず飛び込んだに違いない。証拠に耳の端がざらりと砂になっている。
    『ここから出たくば大人しく恋バナをするがいい、愚かな退治人と同胞よ…!』
    「閉じ込めて強制的に恋バナをさせるとは、また狂った性癖の吸血鬼だが……まあマイクロビキニや全裸に比べればマシじゃないかね、ロナルド君」
    「ふ……ふざけんなよ……!」
    「え?」
     ドラ公はこの状況をマシだと言うが、冗談じゃない。何せ俺はこのクソ雑魚に心底惚れてしまっている。先日くらった流れY談波で「骨格標本みてえな肋と内臓詰まってなさそうな薄い腹!」と叫び、俺の性癖が改まってしまったことが盛大にバレたのも記憶に新しい。
     こんな状態で恋バナを強制されてみろ、好きな相手の好きなところを伝えるってことになるんだぞ。そんなの出来たてのラブラブカップルがイチャつく時しかやらねえだろ! しかも万一それで俺の気持ちがドラ公にバレたら、嘲笑と共に振られる上にこの先五十年はネタにされるに違いない。えっ待って、振られるのはともかくネタにもされなかったらどうしよう。「えーつまんな」とか言われて飽・即・出とかされたら……えっ…………詰んだ。
    「……おーい、ロナルド君てば」
    「……オッ!? んだよ近え! どけ!」
    「ぐわーっ! 何だこの情緒不安定ゴリラ!」
     俺の拳の風圧で死んでからスルスルと再生したドラ公は、思いっきり顔を顰めて「いいから座りたまえ」と椅子を勧めてきた。何もなかったはずの部屋には、いつの間にかくつろぎやすいようにソファやクッション、テーブルまで出現している。
    「おい部屋、何だよこれ」
    『いやあ、そこな同胞が恋バナに美味しいお茶は必須とか、リラックスできる椅子やクッションは欠かせないとアドバイスをしてくれたので』
    「立ちっぱなしだと死んじゃうもん、私が」
     ドラ公は、俺の椅子より随分と上等なソファに体を沈め、落ち着き払って俺を見上げた。そりゃあこいつにとっては、恋の話の十や二十は大したことがないんだろう。俺と違って余裕そうな態度が気に食わない。同時に、恋バナしないと出られないってことは、こいつの過去の恋愛話を聞かなきゃいけないということになるんだろう。それを思うと胸がズキズキと痛む。
     憎たらしい笑みを浮かべたドラ公が大仰に手を広げて再び俺に椅子を勧めた。今度は俺も、渋々ながら着席する。なんでこいつだけ立派なソファなんだと思ったが、普通の椅子だとケツが死ぬんだった。厚かましくリクエストしたに違いない。
    「さ、話してみたまえ」
    「あ? お前が先に話せよ」
    「私の詩的かつロマンスに溢れた恋の話を聞いた後だと、好きな子にたんぽぽあげた五歳児の恋バナが霞んでしまうだろうが。いいからおっぱい大きくてピアノが上手な先生の話でもしてみろ」
    「誰が初恋は保育園の先生じゃ!! 俺はぞうさん組だぞ!! いいからお前のダッセエお見合いの話をしろ!」
    「ぞうさん組関係ないだろ! ちなみに私のお見合い話は恋の駆け引きどころか命がかかったスリル満点の冒険譚ですが同胞的にはどうかね!?」
    『えー、はらはらドキドキ甘酸っぱい恋の話しか聞きたくなーい』
    「ほれみろ、雑魚の指輪物語はお求めじゃないのだ」
    「死ね! はよ指輪捨ててこい! 俺は絶対、お前の恋バナを聞いてからじゃねえと喋んねえからな!」
     俺もドラ公も一歩たりとて譲らない。俺はともかく、ドラ公はなんなんだ。さっきまでの落ち着きはどこへいったのか、妙に焦ってるように見えるというか、必死そうというか……いや待て、もしかしてこいつ、最初からハッタリかましてたんじゃねえの?
    「……なあドラ公さんよ。お前の初恋っていつ?」
    「…………あれは私が儚く可憐な美少年であった時」
    『ブブーッダウトです! 同胞の初恋はもっと最近です』
    「ああああ貴様ァ!」
    『言い忘れていましたが、私、恋バナに関しては厳しいのでね。嘘かどうかなんて一発ですから。腹を割ってキャッキャウフフな話をしてください』
     ブザー音と共に落ちてきたタライでドラ公は死んだ。マジかよ。なんつう畏怖い能力だ。適当に嘘もつけないんなら、俄然自分の恋バナなんて出来なくなったぞ。えっちな歳上のお姉さんという概念を語った上で「それって目の前の同胞のことですよね」とか言われた日には軽く死ねる。悔しいことに、恋する俺にはクソガリ雑魚吸血鬼がえっちなお姉さんに見えているのだ。恋心を自覚した時からずっと脳みそに「正気に戻ってくれ」と頼んでいるが、今だって悔しげに歪んでいる唇を舐めてみたくて仕方がない。死にたい。よく日常生活ができているなと自分でも感心しちまうぜ。
     どうしたもんかと二人して顔を見合わせ、「お前から話せ」と視線で喧嘩をする。長い沈黙を破って、先に腹を括ったのはドラ公だった。「ジョンのためだからな」と諦めたように首を振って、自分の爪先を見ながら口を開いた。
    「あー……まず、そもそも私はそれほど恋多き吸血鬼じゃないんだ。両親がアレで、クソ師匠がアレなので」
    「ああ、まあ……なんかその辺は大変そう、ちょっとドンマイ」
    「うむ、お父様やお母様のようなロマンスをと夢見ていた可憐なドラちゃんは、クソ髭のおかげで男女の現実を見せつけられ、ぶっちゃけそこまで恋愛楽しそうとは思えなくなったのだ。というわけでスリリングなお見合い話以外に浮いた話の一つもなし、話せる恋バナがないというわけだ」
    『おっかしいな、同胞からはラブなロマンスの気配がするのに……』
    「そりゃうちに両親の残り香的なあれだろ、多分。……ほら若造! 私が恥を忍んで打ち明けたんだから、貴様もみっともない話をしてもらうぞ!」
    「な……!」
     こいつ口先だけで部屋の追求を逃れやがった。さっきみたいにタライが落ちてこないから嘘はついてないんだろうけど、にやけ面を見れば本当のことも言っていないのは明らかだ。でも俺の恋バナといえば一時間で振られた彼女のことくらいしか覚えてないし、ドラ公のことは話せないし、でも俺が話さなきゃフットサルの練習から帰ったジョンがドラ公を待ちわびてるし、俺は、俺は……!
    「ふぐ……ぅうう〜!」
    「げっ泣きよったこいつ」
    『え、どうしたんですこの退治人!?』
    「う、うるせえ! どうせ俺はモテの経験がないどころか女の子とスマートな会話もできない童貞ゴリラだよ……! 甘酸っぱくて幸せな恋愛っぽい恋愛なんかしてきてねえよ!」
    『すごい、言葉に嘘がない……』
    「改めて口にすると哀れだな君」
     お茶でもどうぞ、と差し出されたティーカップからは、ハーブの良い香りがする。スンスンと鼻を啜りながら飲めば、ドラ公は本格的に頭を抱えて、部屋に向かって「恋バナって体験談じゃなくてもいい?」と交渉を始めた。
    『ううん、悲喜交々の恋愛譚を聞きたいところですが……まあいいか、好きなタイプとか、恋人とイチャイチャするならどんなことしたいとか、そういうのもありで』
    「よしよし! これなら五歳児ゴリラでもお話しできまちゅねえ、ほれおっぱいの話でもしてごらんよ、今なら笑うだけで済ませてやろう。動画は撮るけど」
    「グスッ死ね」
    「ヴァーッ!」
     速やかにドラ公を殺し、邪悪な砂山からスマホを回収する。というかそのお題ならお前でもできんだろうが。もう俺だけが恥ずかしい思いをする理由はねえ。
     むしろ俺にとってはチャンスかもしれない。ドラ公の理想とする恋人の振舞いができるようになれば、ゴリラでも野生でも五歳児でも、何か間違って意識してもらえるようになるかもしれないじゃないか。
    「てめえドラ公、お前にも答えてもらうぞ! ここ、恋人とどうやってイチャイチャしてえのか……!」
    「うわうわうわ、鼻息荒く迫るなボケ! ったく……えー、そうだな、イチャイチャ……普通に映画を観たり、抱き合って冗談を言い合ったり? あと髪や爪の手入れもしてみたいな。甘やかされるのもいいけれど、私的には気に入った相手を甘やかしたい欲もあるんだよね」
    「……」
    「……おい何か言えやロナ造、私がスベったみたいじゃないか」
    「え、いや……お前の口から……まともな恋人同士のやり取りについて聞かされると…………ショックで……」
     ショックだ。ドラ公のことだから四六時中自分を褒め称えろとか、一発芸しろとか畏怖しろとか、常に面白くあれとか、そういう無茶振りをするんじゃないかと思ってたのに。面白くないと嫌とか普段言ってるくせに……待て、ドラ公が想定する恋人って、そりゃ女の子か。そうだ、ドラ公だって男なんだから、好きになった相手を大事にして守りたいって思うんだろう。雑魚だけど。だから恋愛対象はうなじが綺麗な美女に決まってるじゃねえか。うなじがごつい成人ゴリラ男性なんか端から対象じゃない、だから恋人とのイチャイチャだってそういう……あっヤバい涙出てきた。
    「えっまた泣いた!?」
    『大丈夫ですかこの退治人』
    「うぅ……うぐぅ〜〜〜ッ!」
    「ああもう、泣き止め泣き止め、ほらチーンして」
     差し出されたハンカチで鼻をかんで、チクショウ、いつにも増してみっともねえ……! よしよしと頭を撫でられて余計に涙が出そうになる。「最早恋愛恐怖症じゃないのか君」って、そりゃ目の前で好きな相手からお前は恋愛対象外だって刺されまくったら泣きたくもなるだろ。
    「ぅ……殺したい……」
    「さすがに今殺してきたら百割君が悪いからな。ほらほら楽しい話をしよう、ねっ! 君は恋人とどんなふうに過ごしたい?」
    「恋人と……イマジナリー恋人と……駄目だ、経験値がなさすぎて妄想すらできねえ……!」
    『えっと、じゃあ初デートは? 初デートはどこ行きます?』
     初デート、イマジナリー恋人……いや、やっぱり今の俺では、いくら望み薄な現実を突きつけられても、ドラ公のことしか思い浮かべられねえ。
     ドラ公とのデートなら水辺は駄目だ。遠目から見る分には構わないが、それじゃつまらないだろう。遊園地なら、そうだな、すぐ死ぬだろうけれど、賑やかで明るい場所はあいつの好みなんじゃないだろうか。楽しんでくれるに違いない。
    「ほう遊園地、ベタだがいいじゃないか。会話にも困らないだろうし」
    『手も自然に繋げたりしてね! いいじゃないですか、その調子!』
    「え、へへ……そうかな……」
    「他には? 恋人にこんなふうに尽くしたいとか、逆に甘やかされたいとか」
    「あま……えっと、甘やかされたい……いってらっしゃいとか、おかえりなさいって言ってもらえるの、本当はすごく嬉しい」
    『あー生活感のあるシチュエーションですね。日常に溶け込むラブ、いいですよ』
    「あと、できたら初めのうちは相手からリードしてほしい……ボディタッチとか、そういうタイミングが俺には分かんねえから」
    「いいじゃないか! 君の方からは?」
    「お、俺からは、ハグとか……したい……最初のキスも……」
    『そこは勇気を出したいんですね』
    「そうだ、お互いに服を選び合うやつやりたい。ペアルックも!」
    「え、君のセンスじゃ死……いや、まあ、置いておこう」
     ドラ公となら、デートらしいデートもいいけれど、一緒に食器選ぶとか、家電見るとか、料理するとかをしてみたい。今でもチャンスがないわけじゃないが、お互いに同居人という壁があるから「自分のついで」という言い訳が必要だ。そうじゃなくて、最初から「一緒に選ぼうね」って言いながら選ぶのが大事だ。それってすごく……家族じゃねえか。ちょっと楽しくなってきたぞ。
    「あとさ、相手を迎えに行くのも嫌じゃねえんだ。ああいうの頼られてるって感じがして」
    「そういうところに頼られ甲斐を感じるんだねえ」
    『いいんじゃないですか? 何気ない日常を積み重ねていきたいタイプですね!』
    「でも、特別な日はちゃんと豪華に……あっでも何でもない日にケーキとか出てきたら嬉しい」
    『そういうお茶目なところにもときめく?』
    「う、うん……なんとなくって言いながら俺のために用意されたケーキとか、めちゃくちゃテンション上がるし好きになる……!」
    『いいですねえ! キャッキャウフフ! 大満足です!』
     その瞬間、四方の壁が音もなく霧散して、俺たちは元の道路にぽかんと投げ出された。二人して顔を見合わせていると、どこからともなく『どうもありがとう〜』というあの部屋の声が聞こえてきて、ようやく俺は吸血鬼を取り逃がしたことに気がついた。
    「あの野郎、とっ捕まえてやる……!」
    「といっても、もうここらに吸血鬼の気配はないぞ」
    「くっそ、ギルドと吸隊に連絡しておくしかねえか」
    「……ねえロナルド君、ところでさっきの話だが」
    「さっきの? ……あっ! え、ウオオォ!」
    「まだ何も言っとらんだろうが殺すな!」
    「うるせえ!!」
     まだってことは今から言うんだろうが! さっきは盛り上がって割と恥ずかしいことを言った自覚はあるし、冷静に思い返せば生活感のある恋バナを今の同居生活と結びつけることも不可能じゃない。これ以上喋らせてたまるかと、念を入れて殺す。
    「ヴァ! ま、ちょ! 待てやボケ!」
    「お前の記憶からさっきのことが消えるまですり潰してやる」
    「だっから、待て! 忘れてやるからお前も忘れろってんだ!」
    「……あ?」
     じゃりじゃりと靴底で砂をすり潰すのをやめれば、げんなりとしたドラ公の顔が足下に浮かぶ。きめえと呟いたら中指を立てられた。
    「さっきの部屋でのことは他言無用だ、お互いに」
    「お互いに? ……あ、そうか。お前も」
    「言うな!」
     勢いよく再生したドラ公が、心なしか顔を赤くして俺の口を塞ぐ。へえ、ふうん、さっき話してた恋人とのイチャイチャシチュエーション、ドラ公にとっても恥ずかしいものなのか。へえ。ちょっと良いことを聞いた。
    「なんだにやけよって……分かってんのか、君が話した内容の方が多いんだからな」
    「わ、分かってるわクソ……どうにかしろよこの空気……」
    「ふん、童貞の妄想なんか今更だろ。遅かれ早かれまたバカ共と盛り上がって、架空の彼女に贈るプレゼントを買いに行くことになるだろう」
    「行かねえよ!!」
     ドラ公は俺の足払いで死んだ。再生するのがやけに遅いので、砂状のドラ公を放置したままギルドに連絡を入れることにした。

     ドラ公の態度が明らかにおかしくなったのはそれからだ。
     まず、必ず俺の顔を見て挨拶するようになった。「おはよう、良い夜だね」とか「もう出かけるの? 気をつけていってらっしゃい」とか、それまでも繰り返されてきたはずの挨拶なのに、顔を見て目を合わせて言われるだけで、めちゃくちゃドキドキしちまう。
     ただでさえ俺はドラ公のことが好きなのに、事務所から居住スペースに繋がるドアに向かって「行ってくる」と声をかけただけでパタパタと軽やかな足音が聞こえ、ひょっこり顔を出したドラ公に「いってらっしゃい!」と言われりゃ、もう、俺はその日駄目になる。足元がふわふわして階段を降りる感触も分からなくなる。下手をすれば、再び家に帰るまでその浮ついた気持ちが続く。ドラ公は何が楽しいのか、大抵「おかえり!」と笑顔で迎えてくれるようになったから、最近はオッサンアシダチョウを抱きしめたり、武々夫としこたま喋って自分を萎えさせてから帰宅するようにしている。ジョンには威嚇されるようになったので泣きたい。
     さらに近い。元々俺たちの距離はショットにドン引きされるくらい近いらしいのだが、それ以上に近い。近すぎてこのままじゃうっかりチューしかねねえと思う。俺としてはそういうラッキーすけべ的展開は大いに歓迎だが、いや、そうなると十中八九ドラ公が死んでショックなのでなしだ。
     この間だって、ジョンの新しい靴下を編むのにどの色がいいかと聞かれた俺がヌマゾンで毛糸を物色し、「これなんかかわいいんじゃねえの」とドラ公に画面を見せようとしたのを、あの馬鹿野郎「どれどれ」とか言いながら俺の肩に手をかけて小さな画面を覗き込んで来やがった。俺の視界にはドラ公の近すぎる横顔と尖った耳の裏ばかりが飛び込んできて、ヌマゾンの商品説明なんかは最早意識の片隅にもなかった。ドラ公の肌は本当にきめ細かかったし、耳の先にうっすら透けた血管を見てしまったし、いい匂いがしたし、しかもそれが首筋から香ってくるからうっかり下半身が反応しかけちまった。
     その他にも、洗面所や台所、ドアの近くといった微妙に狭い場所ですれ違う時、「ちょっと失礼」と言いながら俺の体に触れてくるようになった。ドラ公の薄っぺらな体では一人分のスペースも取らないからすれ違うのは余裕だったのに、今まで以上の距離の近さが原因なのか、そうやって軽く押し退けられないと通れなくなってしまったらしい。俺が分厚くなりすぎた可能性もちょっとはある。
     しかし、だからといってわざわざ触れてこなくてもいいんじゃないかと思う。こちとら本当に、絶賛片想い中の二十代青年(童貞)なわけだから、好きな人とのちょっとした触れ合いがあられもない妄想に繋がる可能性だってあるんだ。具体的には手袋越しではなく素手で触れられた時がヤバい。「生手!!」と叫んで壁に張り付く事案が既に数回は発生している。生手ってなんなんだ? 生乳みたいなもんかも、つまりものすごくえっちということだ。夜にその感触を思い出して眠れなくなったことすらあるほどだ。
     ドラ公の猛攻は家の内外、タイミングを選ばない。この間ウキウキと帰ってきたあいつに手渡された包みを開くと、黒地にマジロの刺繍がされた靴下をプレゼントされた。てっきりクソの類だと身構えていたのに、ドラ公は得意げな顔をして「いいだろう、五歳児にもピッタリだと思って買ってきたんだ。我々ともお揃いだ」と言った。言いながら捲り上げられたトラウザーズの裾からは、俺が手にしていた靴下と同じ刺繍が覗いて、靴下ってお前、衣類に執着する吸血鬼のくせにそんなものを俺とお揃いだなんて、本当に俺をどうしたいんだ? 混乱してちょっと泣いてしまった。泣いてる俺を慰めたジョンの取り計らいで、今度は俺も一緒に靴下を見に行くことになった。
     ちょっと豪華なおやつが用意されることが多くなった。「迎えに来て」と電話されることが多くなった。仕方ねえな、という体で渋面をさげて現れた俺に、ドラ公は「お迎えご苦労!」と笑いかけた。こんな毎日はいけない、何がいけないって俺が死ぬ。人間、ときめいて死ぬことも本当にあるかもしれねえ。俺がときめき死体の第一号だぜ。

    「……というわけだ、助けてくれショット」
    「シンプルに嫌」
    「えーん見捨てないで! 俺はもうどうしていいか分かんねえんだ!」
    「うるせえ! わざわざ呼び出して用事がそれかよ! さっさと告白して玉砕して俺の仲間に戻れ」
    「玉砕覚悟は嫌だ〜〜〜!」
     メロンソーダどころかグラタンもハンバーグも奢ってドラ公の菓子折り付きで頼んでいるのに、ショットは連れない。告白して玉砕できればどんなに楽かと思うが、あいつらがいなくなった後の部屋で生きていける気がしないから玉砕はどうにか避けたいところだ。
    「助けてくれって、俺に何か言えることがあるわけねえだろ」
    「そっか……ごめんショット……」
    「素直に謝られてもムカつくな、もう喋んなロナルド」
    「うぅ……」
    「……というか、話を聞く限りじゃドラルクの方にもちょっとは気があるんじゃねえの? 両想い……を断言できるほど俺の経験値も高いわけじゃねえけど」
    「いいや! あれは俺をからかって遊んでるだけだ……恋バナしないと出られない部屋で喋ったことをそのまんまやってるだけだ……!」
    「あー、なんかそんなポンチが出たらしいな。逆にお前の好みに合わせようっていう健気なアピールってことかもだぜ、ポジティブに考えろよ」
    「そんっな訳がねえ……相手はドラ公だ……」
    「まあ、うん……」
     俺たちの脳裏には今、ドラ公の所業の数々が浮かんでいる。皮が上手く膨らんだからぜひ一番に食べてほしいと喜ばせてからセロリクリーム入りのシュークリームを食わせるドラ公。おでんの匂いに鼻をひくつかせたのに目ざとく気付いて「今日はうちもおでんだよ」と期待させてから弱いカレーを食わせるドラ公。締切がヤバいことに気付いて「今何日だ!?」と聞いたら一週間くらい日にちをずらして伝えてから「あっ違ったやっぱり締切は三日後だった」とにやけ面で俺を見下ろしてくるドラ公。くっ……あいつ……!
    「あの性悪、一回上げて落とすの大好きだもん!」
    「ああ、まあ……お前は素直だしな……」
    「ほらぁ、絶対あいつ俺にモーションかけて反応楽しんでるだけだぜ! ここで俺が間違えて告白しようもんなら録画されて方々へRINEで回される!」
    「さすがにそこまで……するかな、するかも」
     結局その日はショットも「ロナルドで遊んでるだけにも見えねえんだけどなあ……」と首を捻るばかりで、俺たちは大きな収穫もなく解散してしまった。帰ったらそろそろ次の短編に取りかからなきゃいけねえ、ドラ公に夜食を用意してもらって……おっと、帰る前にジョンを迎えに行ってくれって言われてたんだった。フットサルの練習ついでにお使いに行ってくれてるんだとか。えらいなあジョン、さすがだなあ。
    「……お、いたいた、ジョ〜ン! お使い終わった?」
    「ヌヌヌヌヌ〜ン!」
     ああ、スーパーの入口で手を振るジョンの愛らしさ、ジョンかわ、ジョン愛、さっきまでのささくれた心がたちまち癒されていくぜ。
    「あ、みりんも買ったの? 重いから俺が持つぜ……こっちのおやつはドラ公には内緒な?」
    「ヌシシ」
     ちゃっかりスナック菓子もエコバックに放り込んでいた賢いマジロは、俺の上着の前を開けてせっせと菓子類を詰め替えた。ジョンが持って帰れば即座に没収されるが、俺が買った体であれば「ブタルド」と白い目を向けられる程度で終わる。もちろん、これらのお菓子はドラ公が寝ている昼間に俺たちでいただく。ジョンはちゃんと分けてくれるもんね、俺たち仲良しだもんね。
     事務所へと続く階段を登りながら、俺はふと考えた。ジョンの目には今のドラ公や俺がどう映っているんだろう。主人思いのジョンだから、多分ドラ公のやることを悪くは言わないだろうけれど、俺が滑稽かどうかくらいは教えてくれるかもしれない。
    「なあ……ジョン、最近のドラ公、どう思う?」
    「ヌウッヌ、ヌヌヌ?」
    「ええと、なんかあいつ最近やたら機嫌いいじゃん。毎回いってらっしゃいって言ってくれるようになったし、飯のリクエストも通る確率上がったし、あとなんか……ち、近くね? 気のせい?」
    「ヌー……」
     ジョンは「そのことヌ」と納得したように頷くと、ちょっと考えてから俺の耳に小さな口を寄せてきた。柔らかい腹毛が耳郭をくすぐって笑いそうになる。
    「ヌヌヌヌヌン……」
    「んっ……え、もうすぐネタバレ? なんの」
    「ヌヒッ」
     どうやらドラ公の企みはジョンも知っているところのものらしい。もうすぐネタバラシをしてくると思うヌ、と楽しそうに笑うジョンからは悪意も感じられないから、めちゃくちゃ悪いことが起きるってわけじゃなさそうだ。でもなあジョン、俺はあの性悪雑魚ボケ吸血鬼に恋しちゃってる系退治人なんだよ。「大丈夫?」の言葉の後に「おっぱい揉む?」を期待してしまう程度の駄目な童貞なんだ。ドラ公が楽しそうなのは分かったから、できればちょっと手加減するよう伝えてほしいな。無理かな、嫌かー、そっかー。
    「ヌンヌイ」
    「ドンマイて……ジョンさぁん、このままじゃ俺がもたねえよ……はあ、ただいまー」
    「ヌヌイヌー」
     事務所のドアを開けて居住スペースに向かって声をかければ、ややあってから扉が開く。ドラ公は俺と腕の中にいるジョンを認めると、「おかえり!」と心底嬉しそうに笑った。いかん、好きだ。これ以上ドラ公を浴びるとファミレスでの会議も忘れて浮き足立ってしまいそうになる。
     俺は努めて平静を意識し、ジョンとジョンが買ってきた品物の入ったエコバックをドラ公に手渡した。その際、あいつの細い指がするりと俺の手の甲を滑ったが、ぐっと腰を落として飛び上がるのを耐えた。今回は予測できていたから耐えられた。でも次にされると分かんないからやめてほしい。
    「……そうだロナルド君、ちょっと付き合いたまえよ」
    「付き合う? クソゲーか?」
    「違う違う、ちょっとしたお遊びさ。上手いこと当てたらデザートのワッフルにチョコレートソースをかけてあげよう」
    「おま、それは普通にかけろよ! 仕方ねえから付き合ってやるぜ」
     ただでさえドラ公の作るワッフルはカリカリのもちもちでめちゃくちゃ美味いのに、甘さ控えめの生クリームにチョコレートソースを合わせるなんて最早暴力でしかない。さすがは吸血鬼、恐ろしい発想をしやがる。俺のお株を奪いやがってと心の中で毒突きながらも、体は正直なのかそわそわと落ち着かない。
    「……さて、これを見ろルド君」
    「ん? 封筒?」
    「そう! 何の変哲もない事務用の茶封筒さ。……実は私、畏怖い能力に目覚めてねえ。未来視ができるようになったんだよ!」
    「ダウト」
    「ンギーッ! お遊びっつったろうが! ……まあいい、この封筒の中にはそれぞれ別のちょっとえっちなブロマイドが入っている。君がどちらを選ぶか、私の能力で当ててやろうというわけさ!」
    「はあ? お前は中身知ってんだろ、そんなのイカサマし放題じゃねえか」
    「いいからいいから。私が見事君の選ぶ方を当てたら私の勝ち、私が外したら君の勝ち。ほら、向こうを向いている間に中を改めてくれたまえ」
     そう言うとドラ公はくるりと俺に背を向けた。テーブルにあるのは「ロナルド吸血鬼退治事務所」の名前が入った二枚の封筒。こいつまた事務所の備品勝手に使いやがったな。自分も備品のくせに……いや今更備品とは思ってねえけど、いつ改めるかタイミングを掴み損ねてるだけだけど! 自分が先送りにしている問題をまた一つ目の前に突きつけられた気がして、俺はこっそり舌打ちをする。それもこれもこいつの態度が素直じゃねえから、いや半分……三割くらいは俺の意気地のなさだが、ああクソ、今はそんなことどうでもいい。
     無意味な苛立ちを振り払って、俺はテーブルの上の封筒に手を伸ばした。右手にあった封筒の中を覗き込むと、確かに写真が一枚。谷間を強調してウィンクするグラビアアイドルの写真だ。どこでこんなの手に入れたんだか、どうせへんなとか武々夫とかその辺だろ。以前の俺の好みドンピシャなあたり、ドラ公は俺がこっちを選ぶと予想してるらしい。つまり俺はもう一枚の封筒の方を選べばチョコレートソースにありつけるわけだ。この勝負いただいたぜ!
     さてもう一枚には何を入れたんだか、鮭の産卵シーンとか入ってたら殺そうと考えつつ、左手にあった封筒の中身を取り出した。
    「パウッ」
    「んふ、波紋?」
    「ド……ま……てめ…………殺したい……」
    「さすがに今殺したらワッフルごとお預けだっていうのは分かってるんだなぁロナルド君! 早く選びたまえ!」
    「ぐうううぅぅ」
     壁を向いたままのドラ公の肩が細かく震える。笑ってやがるなこいつ、俺が何の写真見て奇声を上げたと思ってんだ?
     迂闊に触れるのも躊躇われる一枚は、なんとドラ公の写真だった。しかし普段のきっちりかっちりした格好じゃなくて、首のひらひらは解け、シャツのボタンはいくつか外されている。ゆったりと脚を組んで、アンニュイと言ったらいいのか、いつもの騒がしい表情は抑えられて、彫り深い西洋の顔立ちが際立っている。チクショウ悩ましげに寄せられた眉根がたまんねえ、じゃない、何してんだこいつ!? 気怠げに肘をついているのはうちの事務机だ。つまり俺の机じゃねえか、それがまたグッとくる……ああ違う、いつ撮ったんだ誰に撮ってもらったんだ、こんな、こんなえっちな写真……! 
     助けを求めるようにジョンを見ると、なんとも言えない表情で微笑まれた。なんですかジョンさん、そのぬるい微笑みは? 俺とドラ公どっちに向けたものですか? 写真を示して、どうにかしてくれ、と口パクで伝えたら、徐に自分の(ドラ公のだけど)スマホを操作して撮影時のオフショットらしき写真の数々を見せてくれた。そうじゃない。どれも見応えがあるけれども今じゃない。
     なんなんだ、ドラ公のやつどういうつもりでこの写真を用意した? 「ちょっとえっちなブロマイド」でなぜこれを出す? ちょっとどころじゃねえぞふざけんなよ。
    「……ロナルド君まだ? もういい?」
    「うお、あ、待てや!」
     あぶねえ、正直このドラ公の写真はいくら見ても足りねえくらいだが、あんまり時間をかけて不振がられちゃよくない。俺はそっと写真を封筒に戻し、テーブルの上に並べた。右にはグラビアアイドルの、左にはドラ公の写真が入った二枚の封筒。どちらかを選べという。
     ここで間違っちゃいけないのが、これがいつものドラ公の戯れだってことだ。ここ最近、ドラ公のマイブームは俺に恋人のように接してその反応を楽しむことだ。あれはもう分かってやってるに違いない、どうせ「若造チョロ〜私でこんなときめいてやんの童貞おもろ〜」とかそういうつもりなんだろう。おもちゃにされるのは今更過ぎて、殺したってどうしようもない。だからこれも、その延長に過ぎない。期待をするだけ無駄だって分かってるんだ、分かってるけど期待しちまう、好きなんだから仕方ねえだろ。……お遊びだって分かってんのに泣けてきた。かくなる上はチョコレートソースにバナナも付けさせなきゃやってらんねえ。
     さて、写真のチョイスから、どう考えてもドラ公は俺がおっぱいの大きいグラビアアイドルの写真を選ぶと予測している。つまり俺はドラ公の写真を選ばねばならんということだが、これを選んだとして「えっ、ロナルド君もしかして私のこと……」とはならない。そうは絶対ならねえ。どうせあいつのことだから、「ヒョホ〜若造ってばこのドラちゃんをそんな目で見てるの? 嫌だわケダモノ、実家に帰ります」とか言いかねない。あっ、想像だけでクソむかつくな。しかしグラビアアイドルを選んだところで「やーいおっぱい大好き星人新横の正直性癖マン、分かりやすすぎて一周回ってつまらん」とか言うだろう。おまけに俺はバナナチョコレートワッフルを食い逃す。……どっちもどっちじゃねえか!
    「なあ、もういいだろう? 長考も気持ち悪いぞ」
    「うるせえ、これはお前との頭脳戦と見た」
    「……別に、素直に選んだらいいだけだと思うんだけど」
     ほーん、ふーん、なるほど。そういうことなら腹は決まった。俺が素直に選ぶと思ってんなら選んでやるぜ、性癖に素直になあ!
    「……っしゃ、勝負だぜドラ公!」
    「ふん、待たせておって。さて、私の華麗な能力を見せてやろう! せーので指さすんだぞ、動体視力で勝負するなよ」
    「分かってるわ、お前こそイカサマすんなよ」
     合図はジョンが買って出てくれた。ジョンは机の上に乗り、俺たちを交互に見比べて「イイヌ?」と首を傾げる。よっしゃどっからでもかかってこいや、俺はもうバナナチョコレートワッフルの口だ。
    「ヌヌ……ヌーヌ!」
    「ほい!」
    「オラ!」
     俺とドラ公が同時に一つの封筒を指す。しどけないドラ公の写真が入った左側の封筒を。……えっ、なんで。
    「……ククク、ンフ、ンハハハ!」
    「えっ……え、な……えっ、なに」
    「ウフ……ふふ、どうやらその気になったかね、シチュエーションに弱々童貞め」
     ドラ公の手がそのまま茶封筒の上をつーっと滑り、俺の指先にちょんと触れた。それだけで俺の体は燃え上がったように熱くなる。やめろぶっ殺すぞ、とドラ公の顔を見上げて、俺は再び「えっ」と困惑してしまった。ドラ公はいつものにやけ顔じゃなくて、眉尻をへにゃりと下げてはにかみ、頬もうっすら赤く染まって、見たこともないようなかわいい顔をしていた。
    「………………な、なんで?」
    「さ、勝負は私の勝ち。ワッフルは生クリームのみ。ジョンにはイチゴとバナナとチョコレートソースのトッピング」
    「ヌッヌー!」
    「おま、今の、どういう」
    「敗者は黙りたまえ。さっさと手を洗ってくるんだな」
    「いやドラ公、その気って、どの気のこと言ってんの、おい」
    「気になる木だよ」
     くるりとこちらに背を向けたドラ公の、うなじまでが真っ赤になっている。いいのかお前、そんな、舐めんなよ童貞を、間違えちゃうぞ。いいのか。
    「…………ド」
    「大丈夫か、君」
    「え……」
    「……バラの花束とか、一張羅のクソださジャケットとか、用意しなくていいのかって聞いてるんだ」
    「……!! あ、お、俺ちょっと買い物行ってくる……!」
    「ふふ、いってらっしゃい。……待ってるよ」
     馬鹿野郎! と言いながら俺は部屋を飛び出した。あんな顔で待ってるよって言われて、マジで待たせる奴がいるなら見てみたい。俺はもう一秒も待たせたくねえ。
     階段を駆け降りながらショットに電話をする。お前の言う通りだ、すげえ童貞だぜショットさんは。全力で走って音声もろくに聞き取れないのに、電話口の「おめでとう一発殴らせろ」という言葉だけはやけにはっきり聞こえた。
     
    うめみや Link Message Mute
    2022/11/25 11:31:13

    恋バナしよっ♪

    #ロナドラ

    「ロナルド君の好きな人って誰ー?」「お前お前お前お前お前ー!」というのをやりたかった話

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