ばんみすまとめサンカク探し上級者
「ばんり、一緒にさんかく探ししよ~!」
寮に帰ってくるなり腕を引っ張られ、サンカク探しとやらに連れて行かれた…が、せっかく早く帰れたのによ…って思ってんのを感じたのか…やっぱり、いいや!と掴んでいた腕を離し、くるりと背中を向けて一人で走り出した。その背中があまりにも小さく見えて…やめときゃいいのに咄嗟に声をかけてしまった。三角は遠慮してんのかしてねぇのか、わかんねーヤツだ。せっかく呼び止めて俺も行くって言ってんのに、でも…とか、だって…とか言ってはっきりしねぇ。
「…じゃあ、帰りにストリートACT付き合えよ」
「それだけでいいの…?」
「いいって言ってんだろ。それに、アンタとのストリートACTはすげぇ楽しいし勉強になる」
「ほんと~!?オレも、ばんりとお芝居するの、たのしい!」
やっといつもみたいにヘラヘラ笑ったと思ったら、じゃあ早く行かなきゃ!って 言った途端、俺を置いてアホみてぇなスピードで走り出した。一緒に行くんじゃねーのか。
「ただいまー…」
寮につく頃には日も落ちて、疲れてめちゃくちゃダルかった。なのに、三角は全く疲れてなくて、すげぇというか何というか…。
「ばんり!今日は、一緒にさんかく探ししてくれて、ありがと~!」
へいへい、っとテキトーに返事すると、はいっ! て右手に何か握らされた。手をひらくとキーホルダーのキャラクターと目が合った。たぶん、サンカクくん?とか言うやつ。
「お礼に、スーパーさんかくクンあげるよ~!」
サンキューとは言ったものの、俺に全く似合わないそいつをどうしようか考えもつかなくて、とりあえず羽織ってた上着のポケットに突っ込んだ。そのまま食事の時間になった。走り回る三角に付き合って疲れた体に、臣の飯はなかなかの回復量だった。
それから数日後の、体育がダルくて学校を抜け出した午後。天気もいいし人通りも少ない道を好んで歩いていた。緩やかに流れる浅い川を見ながら橋を渡る。狭い歩道をすれ違った瞬間、散歩中の犬が急に噛みついてきた。うおっ!と声をあげて避け、ポケットに突っ込んだ手を勢いよく出した時だった。
…ちゃぽん。
橋の上から飛び出したソレは、間抜けな音をたてて川底へ消えた。
デカい溜め息をついて三角に謝らねーと…なんて考えてたら、橋の上から黄色いモノが見えた……まだ流されてねぇみてぇだ。
「…っ、クソッ…」
らしくねぇのは自分が一番分かってる。無くしちまった。悪い。二言で済む話だ。けど…三角に悲しい顔をさせちゃいけない気がした。いつだって、アホっぽく子供みてーに、ヘラヘラ笑ってねぇと調子狂う。
「冷てー…」
早くしねーと流されちまう…って考えるのでいっぱいで、靴も脱がずに川へ入っていった。結構高かった気に入ってた靴は、ぐっしょり濡れてでオシャレさカッコよさは欠片も無かった。ここら辺に落ちたと思ったのに、上から見るのと違ってさっき黄色く見えた位置が全く分かんねぇ…。
「…ばんり?」
河川敷から聞こえた声の主は……今、一番会いたくないヤツだった。
「ばんり!どうしたの~?」
「…あー…」
「なにか、落とした~?オレも探すよ!」
「いや…」
「なに探してるの~? どんなやつ?」
「あー…っと……さんかくクン…?」
「さんかくクン…?」
「…悪い…落とした」
「ばんり…」
大きく見開かれた瞳から、俺をうつした雫が落ちる。
「…っ、な…泣くことねーだろ…」
「ばんりっ…」
「悪かったって…」
「ううん…っ、オレ、すごくうれしい…」
「…は?」
「ばんりが、優しくて…うれしい!」
いつものヘラヘラした顔で笑ってたかと思うと、靴を脱ぎ捨てて川に飛び込んできた。その衝撃でもっと流されたらどーすんだ。
「…なんで、靴はいてるの?」
「気にすんな…」
「ここらへん?」
「おー、その辺に引っ掛かってると思うけどなー…」
「ん~…どこかな~?」
そのまま二人で十分以上探してた。水が冷たいのにも臭ぇのにも、靴の中が気持ち悪いのにも慣れた。口数が少なくなる俺たちを気遣うことなく、今の心中とは真逆の穏やかな心地いい音をたてて水は流れるのを止めない…。
「ばんり…もう、いいよ?」
「あ?」
「ばんり、風邪ひいちゃうよ…」
「…ひかねーよ」
「もう…帰ろうよ…」
三角の顔から笑顔が消えて、見たくなくて目を逸らした時…
「…あっ、たぁーー!!」
「えーっ! ほんと~!?」
「…ホラよ!」
右手に光る黄色いさんかくを、何故か自慢気に見せた。
「すごい、すごーい!やっぱりばんりは、さんかく探しがじょうず!」
「よゆーよゆー」
…ぱぁーっと花が咲くみたいに、笑うんだよな…
「ばんりが歩くと、足あとがつくね~!」
「…ブッ飛んでて逆にオシャレだろ?」
「うーん…? おしゃれ、むずかしい~」
「冗談だよ…誰が見てもクソダセェだろ…」
「ううん! ばんりは、優しくて、かっこいいよ~」
「…そーかよ…」
日が暮れた頃に二人揃って寮に帰ると、ちょうど同じ時間に帰って来た至さんに、わんぱくすぎ。わろ。ってバカにされたからボコボコにしてやった。もちろんゲームで。
見つけたさんかくクンは落とさねーように部屋に飾っといた。
まぁ…よく見ると…可愛いかもな…。…んなことねーか…。
寮の前に続く足跡のかかと部分には、小さなさんかくが隠れていた。
始まりの合図
お風呂場から聞こえるシャワーの音が、こんなにも緊張感を増幅させるものだと実感するのは…今日が久しぶりのデートで、長時間二人で過ごした後の…見慣れなくて落ち着かない一室っていう状況だから…?
「お先。ゆっくりでいいから」
「うんっ! 早かったね~…」
…そうか? と、タオルで髪を拭きながらタンクトップにパンツで出てきた姿を直視できなくて…思わず目を逸らしたまま、そそくさとお風呂場へ向かった。
「…はぁ、どうしよ~…」
こういうことをするのは初めてじゃない。裸だって何度も見てる。ただ、部屋が違うだけなのに…なんで、こんなに、どきどきするんだろう…。痛いぐらいにうるさい胸に手をあてても、全然おさまってくれない。少しでも落ち着かせようと、シャワーを止めた静かな狭い空間で、さっきまでの出来事を振り返った。今日のデートは本当に久しぶりで…すごく楽しかった。さんかくがたくさん売ってるお店に行ったし、お気に入りのカフェやお洋服屋さんにも連れて行ってもらった。お揃いのさんかくも買った。何より、隣を歩いているだけで…しあわせだった。
「だいじょうぶ…」
怖いとか、嫌だとか、苦手なんじゃない。何度体を重ねても、何度気持ちを伝えても…嫌われたらどうしよう…この言葉が、頭の隅っこからずっとずっと動いてくれない。信じてないんじゃない。もっと気楽に考えればいい。分かってるけど…好きだから。大好きだから。ばんりがオレをずっと好きでいてくれるなら、不安要素は隠したいし我慢したい。それが、オレの…唯一のわがまま。
「おふろ…あがったよ~」
なんとなく、置いてあったバスローブを羽織って部屋に戻ると、ソファでテレビを見ていたばんりが隣に座るように手招きをした。それに応えるように腰を下ろすと、まだ濡れたままのオレの髪を拭き始めた。それだけのことなのに、ばんりの指は魔法みたいに気持ちよくて…。なんだか、撫でられるどうぶつさんの気持ちが分かった気がした。
「ありがと~!」
「へいへい」
軽く拭いてもらった後に二人で洗面所に向かった。ドライヤーで乾かしてもらった髪は、優しく撫でられたあと…柔らかい場所で触れられる。鏡がうつす姿を見て、落ち着かせていた鼓動が起きてしまう。そんな心配をよそに、ばんりは一人で部屋に戻ってベッドに寝転んでスマホを見ていた。
「三角」
どうしたらいいか考えていると、名前を呼ばれた。咄嗟に、はいっ! と、返事をしてしまって小さく笑われから、お布団の中に招かれて同じベッドに横になった。優しく頬を撫でられて…おでこに軽いキスをくれた。そのまま、ばんりの腕が包み込んでくれて…。でも、なんでだろう…? 寮のベッドより大きいからかな……? いつもより、ばんりが遠い気がした。
「……ばんり、もうねむい?」
腕の中で俯きながら発した声…ばんりには聞こえていたみたい。でも、ばんりの声は、オレには聞こえなかった。
「…っ、おい…」
「ちがっ…なんでも、な……ごめっ…」
布団から抜け出してお風呂場に逃げ込んだ。見慣れない狭い空間に救われた。こんなはずじゃなかったのは、きっと…ばんりも同じだと思う。跳ね返る鼻をすする音と嗚咽は自分自身を責める。どうしよう…嫌われちゃっただろうな。辛いのもさみしいのも、隠すの上手だったのに。ばんりといると、幸せすぎて……どうやってたか、忘れちゃってた…。欲張りになって、わがままになる……してほしいなんて…そんなの、言えないよ…。
「三角」
さっきと同じ名前を呼ぶ声に、返事はできなかったけど…ゆっくりと扉が開いて……。
「悪い、ちょっと……話、聞いてくんねぇ?」
見たことがないばんりの表情。どんな感情なのか知らないけど、確実に…いい方に…動き始めた気がした。
「…悪い」
「ううん、オレも…ごめんなさい」
ベッドに腰かけて話すのが、なんだか可笑しかった。だって、ここって…そういうのが無くてもいい場所で、ベッドは座るところじゃなくて一緒に入って寝るところなのに。でも、さっきより…ばんりの近くだった。
「まぁ~…アレ、だ」
「…あれ?」
「いや、なんつーか……き、緊張…してる……」
いつも、かっこいいばんりの、少しだけ、かっこわるいところ。甘くて優しくて、柔らかくてあったかい気持ちが胸の中いっぱいに満たされた。
「はぁ~…マジでカッコ悪ぃ…」
「そんなことないよ…オレも、緊張してるよ…?」
「だよな…。不安にさせて、ごめんな…」
「…んーん!…えへへ、うれしいよ~…」
おでこを合わせて二人で笑って、唇が重なる。
緊張も溶けるほど熱い…全てが満たされる始まりの合図。
「んっ…」
どちらのものか分からない吐息を連れて溢れてしまう声。耳を擽る指と心地いいリップ音。絡み合う舌はついていこうと必死だったのに、いつの間にかされるがままになっていた。唇から首筋へ見えない熱い道標を残すように下るキスは、触れられてもいない背中をぞくぞくと震わせる。
「…あ、っ…ばんり…」
バスローブをほどいて肌と布の間から滑り込ませた手に背中をあずけて、頭を受けとめてくれる腕に甘えれば、知らない天井を背負うばんりのできあがり。目を細めながらキスされた後、布がいなくなった体でぷっくりと膨れた触ってほしいところを舌と指で玩ばれる。音をたてて吸われたり、ちょっとだけ噛まれたり…擦れるばんりの髪が少しくすぐったくて。体は、全然言うことを聞いてくれない猫さんみたい。
「あっつ…」
タンクトップを脱ぎ捨てたばんりは、同じようにオレを裸にしてしまう…。隠れていた窮屈そうな下着に指をかけられた時、いつもより部屋が明るいことに気づいた。
「おへや…あかるいよ…?」
「暗くすっか?」
「…ば、んりが…いいなら、いいけど…」
「ん」
短い返事の後、おでこにキスをされながら、さっきよりも少し部屋が暗くなったのが分かった。自分で暗くすればよかったかなぁ…。なんか、甘える女の子みたいだった…? 女の子みたいに、可愛くないのにね……めんどくさいだけになっちゃった…。そんな、考えてしまうモヤモヤも、この暗さなら…ばんりには分からないから。だから、暗い方が安心する。
「あっ、待って…!」
「……」
「ごめんね、まだ…準備してなかった…」
「…あー…」
「ちょっと待ってて!」
こういうことをする時は、そうなったらいいな~…って、オレが事前にすぐ使えるように準備しておくんだけど、今日は緊張してて…柔らかくしておくのを忘れてた。流れとか空気とか切っちゃった…。少しでも早く済ませようとカバンを開けて気づく。いつも使うやつ…持ってきてなかった…。
「…なぁ、三角」
眉間にシワを寄せたばんりと目が合う。どんな言葉を返そうか考えているうちに、あったかい人肌に包み込まれていた。
「いっつも思ってたけど…」
「うん、ごめん…今っ、」
「……それ、俺にやらせてくんねーの?」
声にならずに口だけを開けた驚いた表情でゆっくりと優しくベッドに寝かされる。何度目か分からないキスを軽く交わして、離れたばんりに見下ろされる前に、なんとなく…ちょっとだけ軽く足を閉じた。
「痛かったら言えよ?」
「…えっ、あぁ……うん…」
まだ全然受け入れられないうちに、ばんりに触ってもらうのは…初めてのこと。どこを見ていいか分からなくて、枕元に目を向けると…見慣れた形の容器と箱があった。
「ばんり、これ…持ってきてたの?」
「まぁな。ちゃんと置いてあるか分かんねーし…いつものヤツ無くて、痛い思いすんのは三角だろ?」
「……っ」
「恋人としてトーゼン…」
「ん~~っ…ばんり~!」
「うおっ!」
今まで悩んでたり不安だったのがバカみたいで、ごめんなさいの気持ちもいっぱいで、何より…嬉しくて嬉しくて。好きで、好きで、大好きで。起き上がって抱きついた勢いで、支えられなかったばんりが後ろに倒れてしまった。ぴたりと肌と肌が重なって、小さく揺れる笑い声も重なり合う。上に乗っちゃったオレの背中から下へ向かって撫でるばんりの手の気持ちよさと期待に震えたのが、きっと…本当の始まりの合図。
あたためますか?
休みの前日は遅くまで起きているのが習慣になっていた。至さんじゃねぇけど新作のゲームに夢中で…気づいたらとっくに日付が変わっていた。夕飯の片付けが済んだ後、キッチンに立つ見慣れた背中を思い出して、冷蔵庫を開けた。
「……マジかよ」
目当てのものは皿ごと姿を消していた。今頃、たぶん…至さんの胃の中だ。自分で何か作る気にもなれず、冴えた頭と目を無理に落ち着かせて寝られる気分でもなかった。
「…ばんり、まだ…起きてるの?」
いつもよりも眠たそうな目をパチパチさせながら、喉が渇いたからとキッチンに下りてきたのは三角だった。本当は二人で遅くまで一緒に起きてる予定だったけど…今日のバイトはハードだったらしく、稽古が終わって風呂から上がった頃には、すでに瞼の重さに耐えられなくなっていた。それでも、起きていようと必死な三角を説得して先に寝かせたのは、三時間ほど前のこと。
「あー…コンビニ行こうと思って」
「そうなんだ~…今から行くの?」
「んー…どうすっかなー」
「オレ、いっぱい寝たから~、起きてて待ってるよ!」
やっぱりまだ蕩けたままの瞳を眩しそうに細めて、ふにゃふにゃの顔で笑いかけてくれる優しさに甘えたい気もするけど…それより……。
「…まだ起きてたの?」
「至さんこそ」
「俺はいつものことでしょ」
ちょうどいいタイミングで、空になった皿をキッチンに持ってきた至さんを捕まえた。鍵を開けてコンビニ行くから談話室で待っててほしいと伝えると、良い悪いより先にコーラよろ~っていう気の抜ける声が返ってきた。
「つーわけで…いいから寝てろ」
至さんに起きててもらうから鍵を開けて出られる。そうすりゃ、三角に無理に起きててもらわなくても大丈夫だ。部屋着の上からカジュアルめのアウターを羽織りながらそう伝えると、予想していなかった返事をくれた。
「……オレも、いっしょに行く~!」
まだ寝惚けてるようなだらしない顔でへらへらと笑いながら、俺の後ろをペタペタと寒そうな足でついてくる。何かほしい物があんなら買ってきてやるぞ? そう声をかけても、行くって聞かねぇ。
「だめ…?」
「…ダメじゃねぇから、そんな顔すんなよ」
俺が下げてしまった眉が上がるように手の甲でぽんぽんと頬に触れて、靴下履いてこいと言うと、時間帯を考えてなのか、いつもより控えめな子供っぽい返事をしながら急いで自分の部屋に戻って行った。さっきまでの眠気から覚めたのか、はしゃぐ背中を見つめながら自然と緩みっぱなしだった顔に気づいて、一人で意味もなく恥ずかしさを誤魔化した。
「寒っ…」
玄関の扉を開けた途端、我先にと冷たい風が押し寄せた。袖の中に手を引っ込めて震える三角の隣を歩きながら頬に触れる。さっきの体温は少しだけ風に連れ去られて冷たくなっていた。なるべく早く帰ろうと足早にコンビニへ向かう。
「ばんり、待って…!」
最短ルートで行こうと角を曲がった時。隣だった三角の声が背中から聞こえた。
「んー…? どした?」
「オレ、あっちのコンビニがいいと思う~!」
「…遠いだろ。なんか、欲しい物あんの?」
「えっとね、うーん……あっ! いたるのジュース、あっちのコンビニじゃないと、ないかも~…?」
いや、あるだろ。あんなもん、どこにでもあるだろ。たぶん、売り切れることもあんま無いだろ。浮かぶ言葉のどれも口から出せなかったのは、鼻を赤くした三角が、きゅっと口を結んで眉を下げていたから。
「…んじゃ、行くか」
「えっ? ……いいの~?」
返事の代わりにフッと口角を上げながら、また手の甲で頬に触れた。さっきよりも、また冷たくなっている。……けど、それでいい気がした。
「かご、持つ~!」
そんなに買うわけでもないのに、店に入った途端にカゴを手に取り、俺の側にくっついてきた。ただのコンビニ…それを忘れるほど、楽しそうにする姿を見ていると、年上なのを忘れそうになる。少し夜更かしをして、わくわくしてる子供だな…。三角は、サンカクのグミだかアメだかをいくつかカゴに入れて、満足気だった。
「ばんり~…だめだよ、オレが持つよ~…」
「へいへい」
「…うぅ~~…お金も、払いますから~…」
「ははっ…その言い方、なんかヤベェ感じすんな」
会計の前に至さんからLIMEがきて、追加でお菓子とカロリー高めの夜食を頼まれた。あの人…これでなんで太らねぇんだよ…と、疑問に思いながら三角からカゴを受け取って、この時間には危険すぎる品々をカゴに入れていった。そのままの流れでレジで会計を済ませて、入口の近くに吊られた高価なサンカクカードに夢中になっていた三角に帰るぞと声をかけると、俺の背中で情けない声を上げながら焦っていた。
「じゃあ、金は至さんから貰うわ」
「ほんと? じゃあ、いたるにお菓子の分のお金…」
「いいって。こういう時だけ年下アピって甘えとこーぜ?」
「…うーん…いいのかな~?」
「俺がそう言うから」
「でも、袋は持つよ~! オレ、年上だから!」
「まぁ…それもそうだな」
「あぴっていいよ~!」
「…じゃ、お言葉に甘えて」
袋を三角から遠い方の手に預けて、空いた方の手で下から掬い上げるように手を絡めた。
「持っててくんね?」
「…うん、持ってるね…」
繋いだ手を軽く振りながら聞くと、両手であたためようとする柔らかい手のひらに挟まれた。俺の冷えきった手じゃ悪く思うほどあったかくて優しい。
「ばんり、手…つめたいね」
「あー…悪い」
「ううん! そうじゃなくて…」
一番近くのコンビニに行けばよかったね…。隣にいても聞こえるか聞こえないかの小さくて細い声の後、俯いて黙ってしまう。
「…二人っきりになりたかったんじゃねーの?」
呟いた俺の言葉にパッと顔を上げた。
「……なんで、わかったの…?」
役者のクセに、俺の前でだけ演技が下手になる。
「バレバレだっつの…」
嬉しいような恥ずかしいような、いろんな感情が混ざった変な顔。そんな表情すら、心から愛おしいと思う。キャラじゃなさすぎて自分でも笑っちまう。それでも、三角が笑ってるならいい。
「えへへ…ばんり、すごいね!」
「まーな」
「オレのこと、なんでも…わかっちゃうの?」
「…大体はな」
「じゃあね~……っ、あ…」
……たぶん、大体は。
「…あ、おつー」
談話室では至さんがこれでもかというほど寛いでいた。買ってきたものを袋ごと渡すと、頼んでいたものだけを抜き取って袋を返された。サンカクのお菓子を三角に渡すと、赤い顔でぼーっとしたまま部屋に戻ってしまった。
「ごめん、お金渡すの忘れてた」
「いや、いいっすよ。今度メシでも奢ってくれれば」
「それは…いいっすよじゃないのでは…?」
ブツブツ何か言ってる至さんの言葉が耳に入ってこなかった。
「…そういえば、遅かったけど…どこまで行ってたの?」
一番近くのコンビニじゃなかったのかと聞かれた。
「…いや、無かったんで。あそこじゃ…」
…えっ? と、理由が分からない様子の至さんを放置して、階段を上がった。……たぶん、大体は。…いや、絶対に。
今日は、九門が部屋に来て…兵頭と一緒に寝ていたから。
控えめに叩いた扉はゆっくりと開いて、閉まる頃には触れた場所全てに熱を感じた。冷えた体は溶かされて、絡み合って混ざり合う…。
まだ、コートを羽織ったままなのも、気づかないほどに夢中で。
特別で好きな場所
いつもより、ちょっとだけオシャレになって、ちょっとだけかっこいい服を着て、もちろん…さんかくも忘れずに。もう夏だよ~って知らせてくれる、蝉の声を聞いて、じわりと吹き出した汗が流れる、よく晴れた日のこと。
「あっちーな…」
今日は、ばんりと、二人でおでかけ。
「アイス、食べに行く?」
「…食いてーの?」
「ばんりが、暑いって言うから~」
「んじゃ、どっか店入るか…」
どこに向かってるのか分からないけど、ばんりの背中を追いかける。
届きそうで全然届かない右手を見たくなくて…視線を上げると、汗をかいてもさらさらな髪の間から見える耳と、そのすぐ下で汗が伝う首筋…。また、だ。また、一人で勝手に……どきどきしてる。……また、恋、してる。
「ここ」
「…ここって、カフェ?」
「なんだよ…嫌?」
「イヤじゃないけど…」
「はっきりしろよ」
「…っ、いいの?」
「は?…じゃなきゃ来ねぇよ。…ホラ、入るぞ」
扉を開けて、カランカランって鳴るベルは、どこか涼しげで…。風が吹いたみたいに鼻を抜けるコーヒーの香りは、暑くてもやもや騒がしかった胸の中を、そっと落ち着かせてくれた。
席につくと慣れた手つきでメニューを開いて見せてくれる。アイスじゃないけど、ここのかき氷がおいしいんだって! 食べたらもっと、落ち着けるはず…。
「…調子わりーの?」
「えっ? …ううん、元気だよ~!」
「だったら、なんか言えよ…」
ふっと目線を下に落として、スマホを見下ろすばんり。店の中を見渡すと壁紙や上から吊るされたライト、カウンターに並ぶ小さなオブジェ…ぜんぶ、さんかくだった。そんなことに気づかなかったなんて、自分でもびっくり…。
「ばんり…さんかくいっぱい~!」
「おせーよ…」
分かりやすく下がってた口角が片方だけ上がったあと、ばんりは満足そうに柔らかく笑った。それでも、落ち着けるはずの漂う香りは、心をざわざわと大きく揺らすだけだった。ばんりが、さんかく見せてくれて、嬉しいはずなのに…
「ん~! おいしいね~!」
「だろ?」
あまくてふわふわの氷は口に入れた途端、すーっと溶けていなくなった。かき氷もコーヒーもおいしくて、お店の中はさんかくがいっぱいで、ばんりといっしょ。すごく幸せなはずなのに、食べれば食べるほど…心が冷たくなっていく
「…なんか、元気ねぇな…?」
「そんなことないよ~! げんき!げんき!」
「なんか、あんなら…ちゃんと言えよ……ついてる」
口の端についたクリームを指でとってもらった。
「…ばんり、こういうの……つむぎにもしてる…?」
は? っていう声といっしょに、ばんりの目が大きくなった。
「するわけねーだろ。つーか、紬さん年上だし…」
「そっかぁ…」
「…妬いてんの?」
「うーん……そうかも~」
だって…ばんりとつむぎは、友達でも普通の劇団仲間でもなくて、カフェが好きっていう……特別な、関係だと思ったから。ヤキモチかもしれないけど、そうじゃなくて、二人の特別な場所……オレが、行ってもいいのかなって…。
「…紬さんにも頼んで探してもらった」
「このお店?」
「まぁ…先に紬さんと下見に来たのは、悪かった…」
……ちがうよ、つむぎと行っていいんだよ…。
「…喜ぶかと思って…」
「えっ…?」
「あー、くそっ…カッコ悪い…」
ばんりは、目を逸らして髪をかきあげて、冷めてしまったコーヒーを飲んだ。
もう一度、店内を見渡す。やっぱり壁紙はさんかく柄で…吊るされたライトもカウンターのオブジェも、みんな…さんかくだった。
ここは、オレとばんりの、好きなものがたくさんつまった空間。
「ありがとう……ばんり」
「あー…もういいって」
「また…いっしょに、来ようね…?」
ん、ってだけ返したばんりは、やっぱり、少し嬉しそうで満足そうだった。オレは、カフェのことは分からない。コーヒーの味も、カップのブランドも、お店のレイアウトも、何も…分からない。けど、すごく特別で…素敵な場所だってことは、わかる。
オレが大好きなさんかくを探すのと同じように、ばんりも大好きなカフェを探している。その、好きの向こう側には、きっと…お互いが見えている。
「ばんり、ありがとう!」
「わかったから…」
「えへへ……だいすき…!」
「…っ、俺も」
「知ってまーす!」
「そーかよ…」
…もし、さんかくのコーヒー豆を見つけたら……ばんりに、あげるね。
ばんりとはんぶんこ
店を出ると、既に日が暮れる頃だった。臣に買い出しを頼まれて、荷物持ちに連れてきた三角は、隣で買い物袋を両手に持ってきょろきょろと辺りを見ながら歩いている。またサンカクでも探してんだろうと、特に気にせずに時々かけられる言葉にテキトーに相槌をうって歩を進める。
「あー! ばんり、こっちの道から、帰ってもいい~?」
「あ? いいけど……遠回りじゃ…」
「やった~! ありがとー!」
こういうのも、もう慣れた。三角が嬉しそうならそれでいい…なんて、自分でも浮かれすぎてて気持ち悪い。けど、悲しい顔させるより何倍もいい。振り回されんのは嫌いだし腹立つ。なのに、許せちまうほど…好きなんだろーな。そんな恥ずかしいことを考えながら、だいたい予想がつく、この道を選んだ理由を考えていた。
「さんかくコロッケあるよ~!」
「じゃー…前やったみてーに…半分にすっか?」
「うん! ひみつー!」
「んじゃ、待ってっから…買ってこいよ」
買い物袋を受け取って買いに行かせる。この時間帯ってこともあって小さい店からは短い列が出来ていた。そこに並んで振り向きながら、サンカクポーズを送られる。……両手塞がってっから返せねーって。
「…ばんり、さんかく、返してくれなかった~…」
「両手塞がってんだろ」
「そっか~! 持っててくれて、ありがとう~」
「帰るぞ」
「オレも、持つよ~」
「お前はそれ持ってろよ」
「コロッケ持ってても、持てるよー!」
「いいって」
車で来たんじゃねーし、臣もそれを分かってて二人で軽く持てる量しか頼まれなかった。だから、一人で袋四つ持つぐらいマジで楽勝なんだけどな……コロッケ買ったからとか、変なとこ気にすっから…一つだけ持たせてやった。
「じゃあ、オレがばんりに、食べさせてあげる~!」
「はぁ? ……まぁ、しゃーねーな…」
夕陽が勝手に頬を染める。そんなんじゃねーから。
「はい、どうぞ!」
三角に差し出された半分にされたコロッケは、歩きながらってことと、三角が嬉しそうに若干揺れてることもあって、かなり食べにくい。
「お前…じっとしてらんねーのかよ」
「えっ、ばん…り……っ」
「持ってろ」
一つだけ持ってた方の袋を腕にかけて、空いた手で三角の手首を掴んで引き寄せた。そのまま、噛ったコロッケは夕飯前の空腹には最高だった。
「…どした?」
「びっくりした~…手、食べられちゃうかと思った~…」
「わりぃ、わりぃ」
「……どきどき、した…」
三角の頬を染めるのは夕陽じゃない。
もう一度、手首を掴んで残った分を全部食べる。ついでに、噛まない程度に唇で親指に触れると、びくっと体を跳ねさせた。恥ずかしかったのか、照れ隠しで笑いながら、うさぎさんのエサやりみたいだと言った。
「自分の分、食うの忘れてるだろ…」
「あっ! もう、着いちゃうよ~…」
少し歩くペースを遅くする。食べ終わった三角は、おいしかったね~!と、嬉しそうに笑う。……やっぱ、嬉しそうならそれでいい。
「ばんり、また…いっしょに、食べようね!」
口の端についた証拠を落として、寮の扉を開けた。
熱が冷める前に
余韻も火照りも抜けず、まだ赤く染まったままの頬を撫でる…その顔を隠すように額を胸元に押しつけられる。頭を抱え込むように抱き締めると背中に腕が回された。いつもとは違う…黙って何も言わねぇ姿を見て、不安じゃねぇって言ったら嘘になる。
「…寒かったら言えよ?」
返事は聞こえない。押しつけられた額の圧が少し強くなるのを感じて頷いたのだと分かる。背中の方までちゃんと布団をかけてやると、少しずつスリスリと身を捩りながら俺と同じ高さまで上がってきた。それでも、目は合わさず下を向いている。
「三角…」
名前を呼んでも返事はない。その代わり、回された腕にぎゅっと力が入るのが分かった。応えるように抱き締めながら、右手で髪をかきあげるように撫でる。隠れていた顔がよく見えるようになったら、やっと目を合わせてくれた。
「…大丈夫かよ…?」
小さく頷くだけで喋らねぇ。…また、目を伏せてしまう。どうしていいか分からず、俺も黙ることしかできなかった。べつに、初めてじゃねぇし…いつもならもっと…元気なんだけどな……なんか、調子狂うわ…。三角が嫌がるようなことしたっけ…?
「ば…っ、ばんり…っ」
「…んー…?」
やっと開いたと思った唇は開閉を繰り返す。何か言おうとしてんのは分かる。けど、言えねぇらしい。涙をためた傷ついたような顔を見たくなくて…言えねぇなら、理由をつくればいいと思った。
「んっ…ぅ…」
重なる唇もさっきとは違い、軽い音をたてて触れるだけのものだった。それでも、話せない理由にはなるだろ。徐々に緩くなる口元と控えめに溢れる声、俯いていた顔も求めるように上を向いてきた。……嫌われては、ねぇみてーだな…。
離れて重ねて…また離れる…それを繰り返すうちに重なってんのか離れてんのか分からない距離になる。あんまり三角の方から来ることはない。それを分かってて、わざと…触れるか触れないかの距離で止まった。こっちに目を合わせたかと思うとすぐに逸らす。それを何度も繰り返して目線も唇も迷子になる。俺だって本当は今すぐ触れたい…けど、ここは我慢だろ。
「うぅ~…、ん~…ばんり~…」
「…んじゃ、こっち向けよ…」
めそめそと子供が泣き出す前みてぇなぐずり方するから…こっちが悪い気がして…。何度目か分からないほど重ねた唇は、すでに赤い舌を見せていた。ゆっくりと絡み合う唾液…溶けて同じになる温度…たまに舌を掠める尖った歯もいい刺激になる。
「…はぁっ、つーか…キゲン、直ったんかよ……ん?」
「っ、はぁ…オレ、怒ってないよ…?」
「…なら、どうしたんだよ?」
「なんかね…わかんないけど、怖かったから…」
「…は?」
「…ばんりのこと、好きで…大好きで……こわかった…」
腕の中でしゃくりあげるのを…黙って抱き締めることしかできなかった。俺にはまだ分かんねぇけど…三角は、大切で大好きな人…喪う怖さを知ってるからな…。こんな関係だと尚更、不安になることもあるだろ…でも、簡単に絶対いなくならねぇとも言えなかった…。また、無言に戻っちまったけど…三角の口から話が聞けてよかったと思う。
「ごめんね…」
「いいから。今みてぇに…なんかあったら言えよ…?」
「うん…」
「まぁ…何もできねぇけどな」
「そんなことないよ…」
「けど、わりぃ…正直、ちょっと嬉しかったわ…」
無防備な額に軽くキスをして、おやすみと呟いた。
目を閉じて数秒、返ってきたおやすみの後…唇に柔らかい感触がした。
クリスマス前のサプライズ
『ーーでは、街の人に聞いてみましょう!』
だいぶ寒くなってきたこの頃、朝の情報番組でクリスマスをどう過ごすかとかいう特集が放送されていた。恋人と遊園地に行くとか、友達とパーティーするとか…知らねえヤツがどう過ごそうが興味ねぇわ…。箸を止めて羨ましがったり憧れたりする太一や椋を尻目に、臣が作ってくれた朝飯を口にしながら、外の空気と同じような態度をとる。……ん? そういえば、俺も…。
「…あーっ! あれ、万チャンじゃないッスか!?」
数日前、服屋に寄った帰りにインタビューされたことを思いだした。
『22、23は公演があるんで…』
『…24日は?』
『あぁー…ちょっと、サプライズにしたいんで…』
『恋人とのクリスマスを過ごすんですか…?』
『そうっすね』
ほんの短い放送だった。大したこと言ってもねぇのに寮内は軽い騒ぎになっていた。…寝坊すりゃよかったな…。彼女はどんな子か、どこで知り合ったのか、年はいくつか、質問に質問を重ねられる。
「いいから黙って飯食えよ…」
俺の言葉を無視して興奮気味のガキ達は話を続ける。そのどれにも答えずにテキトーに流しながら、一番気になるヤツの反応をチラッと見た。
「……?」
予約とるような場所じゃねぇし、近々になってからでもいいか…なんて考えてたから、まだ誘ってなかった。……けど、これから誘うのを躊躇うほど、落ち込んで傷ついた顔をしていた。
「…ごちそうさまでした~!」
しばらく様子を見ようにも、早々に食事を済ませて部屋を出て行ってしまった。クリスマスは二人でデートとかしたくねぇタイプか? 寮でみんなとパーティー派か? テーマパークのバイトか? 思いつく可能性を引き出しても、しっくりくる理由はイマイチ見つからなかった。
「三角…、ここにいたんかよ…」
「あれー? ばんり、どうしたの?」
中庭のベンチで膝を抱える寂しい背中に、持ってきたブランケットをかける。どうした?はコッチの台詞だ。付き合ってまだ数ヶ月、もちろん…初めてのクリスマスだ。どう過ごそうか…俺なりに、最近はずっと考えてた。柄にもなく結構、ガキみてぇに楽しみにしてた。……お前は、違うのかよ…?
「…ばんり、彼女いたんだね…」
気づかなくてごめんね…? そう言いながら、やっと重なった視線は…不安定に揺れ動いていた。一瞬、意味がわからなかった。けど、すぐ理解して…そんなこと思わせてる自分に腹が立ったし、息が詰まるみてぇに胸が苦しくなった。情けなくて死ぬほどダセェ。
「いねぇよ…」
「でも、さっき…テレビで…」
「……彼女なんて、いつ言ったよ…?」
揺れていた瞳が大きくなりキョトンとした顔を向けられる。しばらくの沈黙の後、ハッと何かに気づいた表情をしたと思ったら、みるみる頬が赤くなっていくのが分かった。それが…寒さのせいじゃねえってのも。
「えっと……ごめんね、ばんり…」
「マジ、焦ったしショックだったわー…」
「ごめん…ごめんね、うーんと…えっとね…」
あたふたする姿が可愛くてブランケットの中に閉じ込めた。うわっ…! っていう声を飲み込ませると、下唇を噛んでさらに頬を染め上げる。噛むのをやめるように言って指で優しくなぞると、ぱくっと食べられた。…あぁ、もう……堪らなくなって、もう一度…反撃に食べられそうなほど深いキスをした。
「……んで? 24日、空いてんの?」
「…あいてます……えへへ…」
冬空は冷たい手のひらを返したかのように、眩しくて暖かだった。
ほろよい夢ごこち
「あーっ! ばんり、いた~!」
廊下の騒がしさが気になって、ドアノブに手をかける前に扉が開いた。部屋の前に立っていたのは、先程まで談話室でわいわいと賑やかにお酒を楽しんでいた三角だった。この時間帯に相応しくない声量に少し驚きながら、静かにしろ…と一言だけ呟く。
「はーい! ごめんなさーい!」
「だから、静かにしろって…」
「はぁーい!」
部屋に入るなり繰り返される意味のないやり取りに小さく溜め息を吐いた万里は、諦めにしては甘く柔らかい惚れた弱みのようなものを感じながら、目の前で子供みたいにぴょんぴょん跳ねる嬉しそうな表情につられて口元が緩むのが分かった。
「酔っ払ってんの?」
「ううん! 酔っぱらってない~」
「いや…酔ってんだろ」
「ん~っ? 酔ってないよ~」
「そーかよ…」
頭も呂律も回らない酔っ払いと話す内容なんか無意味だと感じ、雑に話を合わせて会話を終了させてから寝かせようと考えた。……が、全く上手くいかず、さっきまで笑顔だった三角はぐずりだした。
「うぅ~っ…ばんり、優しくない~!」
「…はぁ? もう分かったから寝ろって」
「やだぁ~…ばんりっ、ばんり~っ…」
いつの間にか繋いだ両手を揺らしながら、蕩けそうな目元で万里を見つめながら、やだやだと駄々をこねる三角。何度目か分からない溜め息を吐きながら、寝かせることを諦めた万里は、落ち着かせようと部屋の真ん中で一緒に腰を下ろした。
「んぅ~…ばんり、だっこ~…」
座るや否や万里の膝の上に向い合わせで跨がる三角。阻止する間も必要もなく、ぎゅっと伝わる体温に応えるように抱き締め返す万里の表情は、同じように甘く蕩けてしまいそうだった。
「…ちゅう、は~?」
「ん、」
「おでこじゃない~…」
「んじゃ、どこ?」
「おくちがいいよ~」
「んー…」
言われたとおりに額と唇に触れるだけの軽いキスを落とす。それでも三角は満足せず、物足りなさそうにむーっとした顔で催促する。
「もっと…いつもみたいに、してほしい…」
「いつもみたいって、どうすんだよ?」
「とろとろ~って、だいすき~って…なるやつ!」
「それ、やってみ…?」
こつん、と額を合わせて柔らかい唇が降ってくる。触れながらあむあむと唇で唇を挟みながら、万里が口を開けてくれるのを待っている。……が、一向に開かない気配に眉を下げて困りながら、今度は唇をぺろぺろと舌で舐め始めた。
「…あけて~…おくち…」
「ふっ…ははっ! あぁ~…もう無理だわ…」
「…なにが~? …うわぁっ!」
膝の上に跨がっていた三角が床に頭を打たないよう気をつけながら押し倒す。無抵抗で床にごろんと仰向けになった姿は本当に子供みたいで、熱を帯びた瞳を対照的に際立たせる。天井を背景にして降ってくるキスは、先程のごっこ遊びのような拙いものとはまるで違う。息をするタイミングも掴めず、されるがまま…甘く酔いが回るように頭がぼーっとする…。かけた髪が耳から落ちて三角の首筋を擽り、びくんっ…と、体が跳ねたところで体が離れ、ようやく呼吸ができるようになった。
「っ…はあっ、はぁ~…」
「酔っ払い」
「…~っ、ばんり…ばんりぃ~…」
「あーもう…めんどくせぇわ~…」
そう言いつつも、手を伸ばす三角を抱き上げて、再度膝の上に乗せる。ぎゅっと抱きつかれ…すき…すきっ、と耳元で何度も呟いていたかと思うと、急に静かになり重くなるのを感じ…ずっしりと嫌な予感がのしかかる。
「寝たんかよ…」
愛の言葉から寝息に変わる幸せを全身で受けとめて、その重さに表情が緩んでしまうほど、万里も三角に酔ってしまっているのだ。
朝のお散歩
「…かく、さん…あっ! ばんり、おでかけ~?」
サンカクの歌を口ずさみ、廊下を滑りながら移動していた三角に声をかけられた。相変わらず、朝から元気で機嫌いいな…。おう、と短く返事をすると何処に行くのか聞いてきた。本当は近くのコンビニにでも行こうかと思ってたけど…。
「あっ、わかった~! 朝のおさんぽ、でしょ~?」
三角の出した答えが全然わかってなかったことに笑えてきて、なんつーか…それでもいいような気がした。
「…んじゃ、一緒に来るか?」
いいから聞いてんのに、こういう時の三角は決まって…いいの?って少し遠慮がちに聞き返す。本当は最初から一緒に行きたかったんだろ。なのに、オレも一緒に行きたい、の一言が喉に引っ掛かって…そのまま、飲み込んじまう。それは、今の関係に変わっても変わらなかった。
「いいから、行くぞ」
「…うん! ちょっと、待っててね~…」
……だったら…俺がその都度、聞けばいいだけだろ。
ドタバタと音をたてながら自分の部屋から持ってきたのは、まだ汚れていない新しい靴だった。
「これね~…じゃーん! さんかく柄~!」
「へぇ~、なかなかいいデザインじゃね?」
「そうでしょ~! とくべつな時に、履こうって思ってたんだ~!」
へらへらと笑いながら嬉しそうにスニーカーを履く姿に、やっぱりガキみてぇだなと…つられて笑う。
「つーか、特別じゃなくね?」
「…そんなことないよ?…オレは、そう思ってるよ~…」
えへへ、と笑った顔は…さっきと違って、ほんの少しの切なさが含まれていた。俺は俺で、一緒に散歩行くぐらいのことを特別だなんて思わせちまうほど…何もできてねぇし、何も与えられてねぇのかー…なんて思ったりして…。そういう意味じゃねぇことは分かってる。けど、分かってても…変わらないことが変わらないままなのも…やっぱり、俺のせいなんだろうなと感じた。
「いいお天気だね~!」
「んー…人少ねぇし、気持ちいいわー…」
日中よりも涼しい空気を纏って朝日を浴びる。今の俺には眩しすぎて、照らされた何かが透けて…三角に見えちまったら…と、不安が影を色濃くする。
「ばんり、一緒におさんぽしてくれて…ありがとう」
「三角は…どっか、行きたいとこねぇの?」
そう聞きながら、そっと…手を繋いだ。
「あのね…公園、行きたい…猫さんがいる公園…」
「っし、行くか…!」
「…うんっ! 一緒に行こう~!」
……新しい靴を濡らさないように。傘が差せただろうか。
公園に着くと、手を繋いだまま遊具の後ろにある茂みの中へ連れて来られた。抜けた先には、三角の言うとおり猫がたくさん集まっていた。猫語らしき言葉で挨拶を済ませると、寄ってきた猫たちを優しく撫で始めた。
「にゃ~、にゃう…かわいいね~! ばんりも、なでなでしよ~?」
返事の代わりに笑顔を返す。俺は、三角の頭を撫でた。
「え~?…オレは、猫さんじゃないよ~…?」
「嫌じゃねぇだろ?」
「…ばんりにされて、嫌なことなんて…ないよ?」
柔らかくて優しい声が鼓膜を震わせる。猫よりも誰よりも…可愛くて好きだ。頭を撫でていた手を滑らせるように下ろし、耳を経由して擽った後、そっと…頬に触れた。
「っ、ばん…」
ゆっくり近づく俺から目を逸らして、新しい靴のサンカクや猫を見ようと下を向く顔を、顎に添えた指で少しだけ上げてから…掬い上げるようにキスをした。
「…もう、ここ…来れねぇかもな」
「えっ…なんでー?」
「めちゃくちゃ見られてっけど…?」
俺が指を差した先で、猫たちが鳴き出す。恥ずかしさで思わず立ち上がった三角は、俺の手を引いて公園を出てしまった。
「…ばんりが、ばんりが~…っ!」
「悪い、悪いー」
「猫さん…いっぱい、いたのに…」
「いいんじゃねぇの?」
「…いいけど~…」
「いいんかよ」
今頃になって、手を繋いだままだったことに気づく。
「…やっぱり、とくべつな日になったね!」
「まぁな」
「この、さんかくスニーカーを履いて~…ばんりと手を繋いだら~、とくべつな日に、連れていってくれる気がしたんだよ~!」
朝日より眩しい笑顔で、この空気より澄んだ心で。
「じゃあ…毎日、履けよ。そしたら…」
「そしたら…?」
「あー…いや、なんでもねぇ…」
「なになに~!? 気になるよ~」
教えて教えてとうるさい三角を黙らせたくて、もう一度キスをした。黙って立ち止まった三角の手をとって、そっと指を絡ませる。
…二人で一緒に、もっと特別な日へ歩き出した。