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    しおり
    かずみすまとめ2冬の結露時計夜のピクニックフードつきパーカーの距離感寝苦しい夜かずがいない日ふたりめぐりお出かけ前の選択リップクリームシャッターずっと繋がっていたくて夏色すぷらっしゅ召しませレモンキャンディ冬の結露
    朝起きて廊下に出ると、ひんやりした空気が目覚まし代わりになる季節。肩を縮こまらせながら開けた談話室の扉は暖かい空気で歓迎してくれる。起きてくるのが遅かったのか、いつもの騒がしさが恋しくなる。寝坊組の分まできちんと残されたおみみの優しさを感じた時、窓の近くで声がした。

    「…できた~!」

    オレが来たことにも気がつかないほど集中していた目線の先には、結露した窓に描かれたさんかくクンが笑っていた。

    「おはよー、すみー!」
    「あっ! かず、おはよ~」

    振り向いたふにゃふにゃの笑顔の背景には、たくさんのサンカクが散りばめられていた。懐かしいな~…なんて思いながら隣に立って指先で窓に触れる。普段なら、手を引っ込めてしまうほどの冷たさ。けど、隣のすみーがあったかくて…指を滑らせるのが楽しくてしょうがなかった。

    「すごい、すごーい! かず、じょうず~!」
    「すみーも、サンカクいっぱいでテンアゲじゃん!」
    「うん! てんあげさんかく~!」
    「もっと描いちゃお!」
    「あっ! かず、待って~…」

    冷たくないけど引っ込めた人差し指。すみーは、パッと大きく拡げた手を窓に押しつけた。くっきりと手の形が残って、やってることは子供みたいなのに、そこだけが大人で……それが、なんだか…おかしくって。……好きだなぁって。

    「かずも、やってみて!」
    「りょ~」

    隣に押しつけられた手形は、すみーのよりも少し小さかった。

    「足あとも、つけよ~!」
    「えっ!?」
    「こうやって~…」

    ぎゅっと握った手の小指側をスタンプみたいに窓に押しつけて、その上に指先でちょんちょんって五つの点をつけた。

    「ほら~、足あとみたいでしょ~!」
    「ホントだ! すみー天才じゃん!」
    「えへへ~…でも、てんまが見たら…おばけだと思って、びっくりしちゃうかも~!」

    怖がるテンテンを想像して二人で笑い合う。オバケって足無いんじゃない? って言ったら、もっと賑やかになった。オレも同じように、すみーの隣に足跡をつくった。手形と同じでオレの足跡の方が小さかった。

    「…あーっ!」
    「どしたの?」
    「さんかくクン…泣いてる~…」

    描いてから時間が経ったサンカクくん。水滴が垂れて涙の通り道をつくっていた。服の袖を引っ張って涙を拭うと、もっと拡がってしまう。焦ったすみーの手は冷たくなっていった。

    「すみー、手…かして?」

    オレの手じゃ、大きなすみーの手を包み込めないけど…温めることはできるから。柔らかくて優しいすみーの手を擦ったり揉んだりしながら、たまに…はぁーって息をかける。しばらく沈黙が続いて、嫌だったのかなー…って不安に煽られて目線を上げる。すみーは…困ったように眉を寄せて、瞳が蕩けて目尻から流れてしまいそうだった。

    「かずは、優しいね…」

    動いた指先が手のひらを抜けて…するりと首筋をなぞる。ここは談話室で…いつ誰が帰ってくるか分からない。けど、すみーもオレも…こうやって、結露した窓を楽しそうに賑やかにしちゃうほど、心までは大人になりきれていないから…。
    大きな手のひらに頬をあずける。両手で包み込まれながら触れた唇。背はそんなに変わらないから、顔をめいっぱい近づけてできるキスが大好き。たまに、愛おしくて食べちゃいたいって思う時もある……可笑しくて、オカシイよね。

    「ふふっ…」
    「…なに~?」
    「なんでもなーい!」
    「ええ~っ! 教えてほしい~…」
    「んー、ナイショ!」
    「む~っ…でも、いいや~!」

    かずが笑ってるから。ぎゅーっと腕の中に閉じ込められて耳元を擽るのは、涙が出そうなほど優しくて、何度も何度も恋をした…愛しい人の声。オレはすみーのこと、ちゃんと心の底から笑顔にできてる…?

    「…すみー、見てて…?」

    泣いちゃってたサンカクくんに、すみーと同じように息をかける。窓ガラスは曇って、跡は残るけど……泣き止んでくれた。

    「ホラ、これで…」
    「ありがとう…かず」

    すみーの手は大きくて柔らかくて、しっかり包み込んでくれた。

    「かずの手は、すごーく…優しいね」
    「…すみーだってそうじゃん」
    「優しくて…かっこいいね…」

    画材でボロボロになった手をそっと握りながら応援してくれて、離れないようにぎゅっと繋いだ時はみんなで同じ場所を目指して、二人きりの時は夢中にさせてくれる。その手でオレを、いつまでも笑顔が続く幸せへと導いてほしい。

    「さっき、ナイショって言ったじゃん?」
    「うん! 教えてくれるの~?」
    「…うん、オレね…」

    窓に滑らせた指の先、寒い冬でも大好きな笑顔は咲き誇る。
    オレも…すみーを導くから。
    これからもずっと、一緒にいようね。

    "幸せです"
    "オレもです"

    時計
    寮に残ってる団員に、行ってきますって言ってから玄関の扉を開ける。お気に入りの靴で踏み出す一歩……隣には、カラフルなサンカク柄の靴が並ぶ。

    ……今日は、すみーと、久しぶりのデート。

    「まずは~、かずの服屋さん!」
    「付き合ってくれて、ありがとねん!」
    「んーん、さんかくの服も、あるかもしれないから~」
    「見つかるといいね!」

    お互いの行きたいところを巡って、買い物もたくさんして、さんかくが食べたい~!って言うすみーの要望どおり、思ってたより大きかったピザを二人で食べて、他のお店でクレープも食べた。オレもすみーもいつもよりテンションが高くて、お腹も心も満たされて…一日ずっと最高の時間だった。

    「今日は楽しかったねーっ!」
    「うん! すっごーく、楽しかったね~!」

    オレは服も買えたし画材もいろいろ見れたし、すみーはいろんなお店で新しいサンカクをゲットできて満足そうで本当によかった。でも、午前中に寮を出たはずなのに、公園のベンチに腰かける、すみーの瞳を照らすのは同じ色……。

    「おみみに、夕飯までには帰るって言っちゃったし…そろそろ…」

    ポケットからスマホを取り出したすみーは、画面を見つめながら困ったような顔で首をかしげながら、うーん……って唸っていた。

    「どしたん?」
    「時計がね、おかしいんだよ~」
    「あららー、壊れちゃった?」

    夕陽よりも綺麗な瞳で見つめながら、真っ直ぐに……。

    「かずといると、時計がね…早くなっちゃうんだ~…」

    あまりにも真っ直ぐすぎて、嬉しくて……思わず少し笑っちゃうと、なんで?って顔をされる。オレも、なんでか分からないんだよね。何をしてても同じ時間が過ぎているはずなのに、充実してて楽しければ楽しいほど、時間が経つのが早く感じるんだよ……なんでだろうね?

    「すみー…オレの時計も、同じかも!」
    「ほんと~?」
    「うんうん!…だから、もうちょっとだけ寄り道してから帰ろっか」

    ぱあっと明るくなった顔にホッとして、公園の外に出る。今が何時か分からないし、時間が経つのが早く感じる理由も分からない。けど、それでよかった。

    すみーの瞳が輝いて見えるうちは、ずっと…夕暮れだから。

    夜のピクニック
    きれいだなって思ってた優しいオレンジに、たくさんの色と頬をたたく風がまざって、なんだか…心がざわざわする。

    「すみー」

    ……そのまま全部、夜にとけちゃった。

    おいしいごはんと一緒に飲み込んだはずの、苦手なたべもの。ひとりぼっちの時は、ちゃんと飲み込めたはずなのに…喉に引っかかって通らない。知らないうちに、しあわせをふりかけた優しいごはんに、慣れちゃってたのかなぁ…。

    「ね、ね。今日は…二人でピクニックしちゃう?」

    そんなとき、あったかい声がして。

    「まだ、ちょっと寒いねー」
    「うん…でも、星がきれいだね~」

    それは、声だけじゃなくて。

    「じゃーん! さんかくサンドイッチ~」
    「わあ~! おいしそう~!」
    「カズナリミヨシ、頑張っちゃいました!」
    「すごい、すごーい!」

    きらきら小さな星空のレジャーシートを広げて、さんかくのお月さまを瞳の中に連れてきたら、ぽたりと落ちるざわざわした苦手なもの…一緒にはさんで食べちゃおう。ちょっとだけ、しょっぱいかもしれないけど…夜食にはちょうどいいよね。

    「…おいしい?」
    「うん! すごーく、美味しいよ~!」

    お腹も心も満たされて、お月さまがかずになったら
    もう…だいじょうぶ。

    「かず、ありがとう…」

    今度は、デザートが食べたいなあ…。
    きらきら星のおさとう、たっぷりにしようね。

    フードつきパーカーの距離感
    「あっ、かずだ~!」

    画材や服を買った袋をぶら下げて歩く大学の帰り道。もう少しで寮に着く頃、見慣れた姿で迎えてくれた声の主に一言、ただいまを告げる。優しく柔らかく返される、おかえりなさい。寮に帰るとみんなからかけられる何気ない言葉も、ずっと聴いていたいような特別な響きになって、何度目か分からないほど恋をした鼓膜が小さく震える。

    「すみーも、おかえり~!」

    そう言いながら、裏返ったパーカーのフードを直す。今日も、走って跳んでさんかくを見つけて…楽しい一日だったんだろうな~…と想像するだけで、くすっと幸せが口から溢れてしまう。

    「なに~? かず、楽しいことあった~?」
    「そうそう! すみーと一緒にいるだけで、楽しいよん!」
    「…オレも、かずと一緒だと~、すごーく楽しい~!」

    すみーの首元から下りる前に掬い上げられた右手は、流れるように繋がれる。ぎゅっと握られた先で、嬉しそうにぴょんぴょん跳ねる姿は、ずっと見ていたいほど、淡く柔らかい光を背負っていた。

    「ちょっと、すみー!? また裏返っちゃってるから!」
    「えーっ? じゃあ…これ、持つね!」

    軽くなった両手は、向かい合わせになって、裏返ってしまったフードを…もう一度直した。直して顔を合わせた後、今の行動の不自然さに気づいてしまった。

    「…かず、いつも直してくれて、ありがと~!」
    「そんなの全然いいって!」

    持ってくれていた荷物を受け取ろうと手を伸ばす。…けど、すみーは袋を返してくれなかった。代わりにふにゃりと笑顔を返されて、つられたオレも同じ顔になった。

    「かず、また…直してくれる?」

    それは、そのままの意味じゃない気がしたから。

    「うん…ずっと、そばにいるよん…」
    「じゃあ、かずは…両手を、あけておいてね~」

    両手に袋を下げた嬉しそうな背中が、ほんの少し前を歩く。すみー、そうじゃないよ…。こんなに軽くなっちゃったら、ちょっと落ち着かないんだよね。

    「…すみー、嬉しいけど…やっぱり二人で持たない?」

    すみーの左手にぶら下がる袋を受け取って、自分の左手に引っかける。唇を噛みながら、なにか間違っちゃったのかな…と沸き上がる不安を必死で隠そうとして、空気を掴んだり離したりしてる左手を、落ち着かない右手で救い上げた。

    「これ、今日新しく買った服!」
    「どんな服、買ったの~?」
    「黄色いパーカーだよん!」
    「そうなんだ~! 今度、着たときに見せてね~!」

    ちょうどよくて心地よい重さを感じながら歩幅を合わせると、あっという間に寮が見えた。名残惜しそうに離れた手と手をもう一度だけ繋いで、眉を下げて困ったように笑い合う。

    「…ねぇ、すみー…オレが、この服着てさー…」
    「うん、なあに…?」

    「…フードが裏返ってたら、すみーが直してくれる?」

    扉に手をかける前、離れてしまいそうな手を小指と小指で繋ぎ止めて、いつも頑張りすぎな唇を…そっと甘やかした。

    寝苦しい夜
    真夏の夜はやけに静かで、タイマーをかけたエアコンは遅い就寝時間を迎える。つられた瞼に抵抗することもなく、さらりとした肌にタオルケットをかけて、穏やかな闇を受け入れた…。

    「…かず、あつい…」

    それから二時間後、隣で寝苦しそうに唸る声がした。まだ暗い部屋の中、閉じたままの目で眉間にシワを寄せて、熱のこもった吐息を吐き出している。

    「今、つけたから。やっぱり暑かったか~…ごめんね?」
    「うん…んん~…っ、かず…」

    枕元に置いてあるタオルを取って、汗でベタベタになった肌を拭う。ようやく、うっすらと目が開いたみたい。唯でさえ、蕩けそうな目元…今夜は熱で、もっととろとろになっていた。

    「かず…んぅ~…かず~…」
    「…すみー、あっついねー…」

    オレよりも体温が高い体をくっつけられる。ベタつく肌に嫌悪感を抱かないのも、これじゃオレが寝られないのに何も言わないのも、一つになれそうなほど…ぴったりくっついていられるなら…オレにとってそれはご褒美で。

    「…暑いなら、くっつかなきゃいいのに…」

    そんな、思ったけど思ってないことは、寝息で返事をするすみーには…もう聞こえていなかった。

    「おやすみ…」

    はりつく前髪をかき上げた無防備な額。……そっと、持て余す熱をシェアして。

    かずがいない日
    「…じゃ、行ってくるねー!」
    「行ってらっしゃーい!」

    八月の中頃、大きな荷物をたくさん持ったかずが、部屋を出ていった。駅までお見送りに行くよって言ったのに、大丈夫って…聞いてくれなくて。あんまり楽しそうにきらきら笑うから、オレも嬉しくなっちゃった。…ちゃんと笑顔で送り出せてよかった。

    「うーん…」

    行ってらっしゃいって言いたくて、いつもよりも早起きしたから、今日は時間がたくさんある。いつも二人で過ごしていた空間は、ちょっとだけ広くなった気がした。天気予報のお姉さんの声も、今日はハッキリ聞こえる。じっと見つめても開かない扉から離れて、カーテンを開けて窓を覗く。お姉さんの言ったとおり、雲ひとつない青空だった。

    「よーし、がんばろ~!」

    今日は洗濯機さんにも頑張ってもらおう。それから、掃除機さんにも。いっぱいきれいにして、帰ってきたかずが…喜んでくれたらいいな~! あわあわの手で掴む朝ごはんを食べた食器は二人分。お昼からは、半分になっちゃうね。水を止めて手を拭いて、ベランダに出ると…騒がしい夏の音がした。

    「…はーい!」

    洗濯ができましたよ~、の音に返事をする。まだ、二人分の洗濯物。かず…この服、持っていかなくてよかったのかなぁ? 考えるのは、かずのことばかり。今日行って、二日泊まって帰ってくる。こんな調子で…だいじょうぶ? 心配かけたくないし、遠慮もしてほしくない。だから、笑顔で送り出したのに。

    「かず…」

    おかしいなあ…。一人ぼっちだった時、どうやって過ごしてたのか…忘れちゃった。最初は、一緒にいるだけでよかったのに。いつからかなぁ…こんなに欲張りになっちゃったのは。
    この柔軟剤の香り、新しく買ってきた時は香りがキツくて、部屋中すごかったよね。それももう…ずっと使ってるうちに鼻が慣れちゃったね。慣れちゃって、当たり前になるのって…すごく、こわいことなんだね。

    お洗濯もお掃除も終わったけど、太陽はまだまだ高いところで明るく元気にしてた。かず、お家に帰ったら家族みんなでバーベキューするって言ってたから…晴れてよかった~。

    ――♪

    テーブルの上のスマホが短い音をたてて震えた。新着のメッセージは、期待していたとおりの名前と一緒に表示される。たくさん話したいけど、今はバタバタしてて忙しいかな?とか、いろいろ考えちゃった。簡単に一言二言送って、オレは一人でも大丈夫だから、安心させようって必死だった。そしたら、家族みんなで楽しそうに笑う…かずの写真が送られてきた。きっと、かずのお父さんもお母さんも妹さんも、かずが帰ってきて嬉しいんだよ。お空も、みんなも、お天気でよかった…。

    「あっ、のりがない~…」

    いつもよりご飯が余っちゃって、明日は炊かなくていいから、残った分をおにぎりにしておこうって考えたんだけど…肝心の、海苔が無かった。近くのスーパーに買いに行こうと家を出て、またすぐに戻ってきた。鍵を閉めるのは、いつもかずだったから。戸締まりするの忘れてた~…あぶない、あぶない~!

    「ただいまー…」

    おかえりは返ってこない。電気もついてない。自分で小さくおかえりなさいを呟いた後、洗面所で手を洗って取り込んだ洗濯物をきれいに畳んだ。夕方になってもまだ外は暑くて明るくて元気だった。

    本当は、寮にいてもいいよって…心配したかずか言ってくれた。寮のみんなも、いいよって…いつでもおいでって言ってくれた。…でもね、おかえりなさいって言いたかったから。かずのただいまを…独り占めしたかったから。なのに、寂しくなっちゃって…オレって、かずのことになると…すごくわがままだね。

    ――♪ ――♪

    ごめんね、ってこぼれそうになった時。
    スマホがご機嫌な音を鳴らした。

    「…もしもし、かず~?」

    ひとつ深呼吸をして、とびっきりの笑顔で出た電話。耳元で優しく響く声は意外にも落ち着いていて…。今日あったことを早口で話しながら、心配かけないように、いつもの斑鳩三角を演じる。電話口からでも、話しているうちに…かずが少しずつ安心していくのが分かった。

    『じゃあ、明後日帰るね~!』
    「あのねっ、かず…」

    全部、うまくいっていたのに。

    『なになにー?』
    「んーん、やっぱり…なんでもないよ~」
    『…すみー? どーしたの?』

    こぼれ落ちてしまいそうな…早く帰って来て、っていう言葉。何度も何度も飲み込んで、楽しい笑い声に変えたけど…最後の最後で、できなかった。

    「えっと、あのっ…あのね、かず。セミさんがね…みんみーんって…うるさいんだぁ~…」

    いつも聞こえる大好きな声が聞こえない一日は、想像していたよりも騒がしい夏の日だった。窓から街を見下ろしても、心が置いてきぼりにされたみたいで。でも、そんな時に…かずの優しい声を聴いちゃったから。カランって音を鳴らす結露したグラスとエアコンのきいた部屋で冷えきった心をとかしてしまうには十分だった。

    『…明日、朝イチで帰るから』

    予想外の言葉に声が出なかった。

    『ごめんね、じゃなくて……おかえりの準備、しといてね?』

    とけてしまった心は、ぽたぽたと雫を落とす。

    「…っ、うんっ! わっかりました~!」
    『ふふっ…よかった。おやすみ、すみー…』
    「…おやすみなさい、かず」

    電話を切った後、残っていた麦茶を全部飲み干して食器を洗った。明日は炊かなくていいって思ってたお米を昨日と同じだけ洗って、タイマーをセットすると、ほかほかあったかい幸せの予感を奏でてくれた。

    ふたりめぐり
    ぴゅうっと吹いた冷たい風は、油断した春服をぞわりと撫でる。4月になったのに…いつまでも優柔不断なお天気は、冬のおわりと春のはじまりを行ったり来たりしていた。

    「きれーだね~…」
    「お昼に見るのもいいけど…夜もええな!」
    「ええな~!」

    中庭の桜はそんな日々に振り回されず、きれいな花たちを魅せる。先週末にはみんなでお花見をした。賑やかで楽しくて…写真もたくさん撮って、ご飯も美味しくて。…お酒はちょっと控えたけど。

    「かず、さむい?」
    「ううん! すみーと一緒だし、寒くないよん!」

    今日は二人で夜のお花見。すみーが誘ってくれて、それなら夏組のみんなも…って言おうとしたんだけど、うーん…なんだろ? なんか……違う気がしたから。

    「あーっ、落ちちゃうよ~!」

    ひらひらと落ちていく花弁を、くっつけた両手のひらで受けとめる。上を向いて少し口を開けながら、あっちこっち動くすみーが可笑しくて。それは…まだ寒いはずなのに、心地よくてあったかいなんて錯覚してしまう自分も。

    「…かず、みて~!」

    じゃーん! っていう言葉と一緒にベンチに腰掛けた隣、見せてくれた手のひらの中は満開だった。その先のすみーの顔も同じで…思わず、自然と口元がほころんだ。その直後、ぴゅうっと吹いた風はやっぱり冷たくて、あたたかかった空気から目覚めさせてしまう。

    「あ~っ!」

    手のひらから吹き飛んだ花びらは最期まで美しい舞を魅せてくれた。

    「いっちゃったね~…」
    「飛んでいかないように、ちゃんとぎゅってしとかないとね~」

    そう言った途端、すみーの手からたくさんの花びらが溢れ落ちる。

    「…えっ? あれー…いいの? 桜…」

    黙って頷くすみーとあったかい両手。
    それは、錯覚なんかじゃなくて……。

    「…オレは、飛んでっちゃったりしないよん…?」
    「うん…でも~、でもね…」

    「どこへも行かないから」

    包み込むように触れる手のひらを優しく諭して、指を絡めながら…もう一度、しっかりと繋いだ。

    「…かずの手、あったかいね」
    「すみーの手が…あったかいからね~」

    ふにゃりとした顔で、えへへ…って笑う姿を見て気づく。

    「…やっぱり……だいすきだから、かなー…」

    何度目か分からない冷たい風が吹き抜ける。さっきよりも強くて大きくて、震えるほど寒いはずなのに……見つめ合って柔らかく花開くほど、あたたかだった。

    お出かけ前の選択
    朝起きてワガママな寝癖も気にせずに急いで天気を確認する。これからの夏に憧れる太陽は、窓越しでも眩しくて目が開けられないほど…。今日が素敵な一日になる予感を足取りに乗せながら洗面所へ向かうと、ふんわり柔らかいオレだけのお日様を見つけた。

    「あっ! かず、おはよ~」
    「おはよー!」

    顔を洗う時にゴムで結んで乱れてしまった前髪を直してあげると、ありがとうの言葉とふにゃっとした笑顔をくれた。今日は一日ずっと…この可愛さを独り占めできる。そう考えるだけで、じんわりと体温が上がるのが分かった。落ち着かせるために顔にパシャッと水をかけると、タオルを手渡される。顔を上げると…さっきよりも、はっきりと…キラキラしたすみーが見えた。

    「ごちそーさま!」
    「ごちそうさまでした~!」

    美味しいおみみの朝食を食べて歯を磨いた後、自分の部屋に戻る。着替えて準備して30分に部屋の前に集合! っていう約束をした。お気に入りの服をいくつか出してコーデを考える。自分の好みも取り入れつつ、すみーが好きそうな…サンカクを忘れずに。

    「…あれっ? カズくんも、おでかけ?」
    「そうなんだよね~…何着て行くか迷ってるんだけどね!」
    「ふふっ…」
    「…なになに~?」
    「さっき、九ちゃんのお部屋に行ったんだけどね…」
    「うんうん!」

    「三角さんも、カズくんと同じことしてたから…」

    すっごく仲良しだねって、まるで自分のことみたいに嬉しそうにするむっくん。笑い返すともう一度笑ってくれて、今日はすごく暑くなるみたいだから気をつけてね、いってらっしゃい! って朝食を食べに部屋を出て行った。…この前、いいなって話してたお菓子屋さんで…忘れずにお土産買って帰ろう。

    「かず、いる~?」

    むっくんが出て行ってすぐに部屋にすみーが来た。服を何着か持って来て、どれがいい~? って聞いてくる姿がすごく可愛い…。オレ好みにしちゃっていいのかな…? なんて、少しだけ鼓動が速くなるのを感じた。

    「…よしっ、すみーはこれでバッチリ!」
    「やった~、ありがと~!」
    「じゃあ、次はオレなんだけど~…コレと、コレと~…どっちがいい?」
    「う~ん…」

    右手と左手に服を持って見せる。すみーが好きな方を選んでくれればいいんだけど…どっちにもサンカクが入ってるから迷ってるみたい。

    「…あ~っ!」
    「んー? なになに~?」
    「決まりました~!」

    どっちかな~? って塞がった両手のまま待っていると…

    「…かずがいい~!」

    左右の服はどちらも選ばれず、すみーの両手は服の真ん中にいたオレの背中にぎゅっと回された。

    「オレは~、かずがいい! どんな服でも、さんかくじゃなくても…かずが、いちばん…だいすきだよ~!」

    「すみー…」

    涙が出そうなほど、可愛くて…優しくて…嬉しくて。重なった体温がじんわりとけてあったかい。オレ好みにしたいなんて、ちょっと恥ずかしかったなー…。どんなすみーも、オレの大好きなすみーなのにね。

    「じゃあ…コッチにしよっかなー!」
    「えーっ!? こっちがいいよ~!」
    「フツーに選ぶんじゃん!」
    「えへへ~!」

    ぎゅーっと抱き締めあった後、時計を見ると…30分はとっくに過ぎていた。

    リップクリーム
    稽古が終わった後のお風呂上がり。濡れた髪のまま部屋に行こうとするすみーをつかまえて、髪を乾かし終えたところ。お礼にありがとうのハグをしてもらった。ちょっと恥ずかしいのを笑って誤魔化しながら、オレの横を通り抜ける。ふわりと柔らかいシャンプーの香りがして幸せが鼻を擽る。余韻に浸りたくてつけたドライヤーは、何も聞こえないほどのうるさい無音に閉じ込める。目の前の鏡は、だらしなく緩んだ間抜けな顔を映し出していた。

    「かず、おわった~?」

    返事をすると、お部屋に来てほしいと手を引かれる。今日のすみーは大胆だな~と思いながら、談話室で宿題をしているくもぴ達に軽く激励の言葉をかけてから部屋に向かった。

    「そしたら~、猫さんがね~…」

    お風呂上がり、部屋に二人きり。恋人たちが願うシチュエーション。これから甘くて大人な時間の幕開けだと思ったんだけど……すみーは違ったみたいで、今日あったことを子供みたいに一生懸命お話ししてくれる。期待していた雰囲気とは違うけど、これはこれで楽しくて、何より…すみーが笑う度に、ほっこりした幸せが目に見えて嬉しかった。

    「…あれ? すみー…なんかつけてる?」
    「えっ? どこ~?」
    「ここ…」

    ちょんちょんって自分の唇に触れながら聞くと、思い出したかのようにポケットから何か取り出した。それは、サンカクの形をした変わったリップクリームで、お店で見かけて即買っちゃったらしい。

    「それでね、買ってからよく見たらね、色がつくやつだった~!」

    それを聞いてようやく何か引っかかっていた理由がわかった。ふっくらした柔らかそうな唇が、いつもと違って少し赤い。ハッキリ色がついているというよりは、内側から色付くようなじゅわっとした血色感があって…

    「…なんか、おいしそう」
    「これ? いいにおいだけど~、食べちゃだめ~!」

    「そうじゃなくて、すみーが」

    手首を掴んで引き寄せる反動で、持っていたリップクリームが床に落ちた。近づくと分かる、甘酸っぱい果実の香り…。

    「でも、すみーがリップケアしてるなんて…ちょっと意外かも」

    急に何も言わなくなった唇を、指でそっとなぞったりふにふにと柔らかさを楽しんでいると、困った顔で何か言いたそうにする。さっきの賑やかさはすっかり落ち着いてしまって、小さく開いたり閉じたりするだけになった。

    「…かずっ、」

    どうすればいいか不安になる焦らされる時間がちょっと苦手で、いつも戸惑ってしまうすみー。困らせちゃうのは分かってるけど…可愛くて。それに、こんな意地悪をしても好きでいてくれるっていう事実が、悪趣味な満足感でいっぱいにさせてくれる…。付き合う前はあんなに臆病だったのに…おかしいね。

    「ん~…ごめんごめん…」

    抱き締めてほしいけど恥ずかしがり屋な迷子の両手。救い上げるように腕を回すと、ぎゅーってくっついて安堵する息づかいが耳を熱くさせる。

    「…すみー…さっき、なんて言おうとしたの?」
    「なんでもないよ~…」
    「ホント? 今なら、ちっちゃい声でも聞こえるよん…?」

    ゆっくり背中を撫でると、口を開く甘酸っぱい音がした。

    「かずと、いつでも…ちゅう、できるように…」

    甘い甘い言葉は、酸っぱさをどこかに忘れてきたみたい。

    「…その、いつでもって…今でもいい?」

    返事を聞くよりも頷くのを待つよりも先に、熟れた果実を堪能する。舌先に触れると香りと同じような甘酸っぱい味がした。今日は五感がフル稼働。そのかわりに働かなくなってきた頭のことは気にしない。目の前のすみーを、目で、耳で、鼻で、指で、舌で、感じたい。

    「すみー、それつけるの…オレの前だけにしてね?」
    「…うん、わかった~…」
    「そしたら、言わなくても分かるから…ね?」
    「かず、ちゃんと…気づいてくれる?」
    「ん~…どうかなー?」
    「えぇ~、気づいてほしいよ~…」

    「……じゃあ、もう一回…つけてみて?」

    繋いでいた手が離れて、床に落ちたリップクリームを拾う。フタを開けて唇の上を滑らせれば…ぽわっと色っぽい唇のできあがり。もう一度、手を繋ぐとシャンプーの香りと果実の甘酸っぱい香りが混ざりあう…すみーの香りがした。

    「やっぱり、おいしそう…」
    「…食べたい?」
    「うん、ダメ…?」
    「かずなら、いいよ~!」
    「ふふっ…じゃあ、いただきまーす…」

    ……あれ? すみー…チークもつけてる…?

    シャッター
    たくさんの人で賑わう道をいつもとは違う足音にのせて歩く。ひらひらと落ち着かない裾と心。手からぶら下がる和柄の巾着には、たくさんの期待と幸せの予感をつめて。…隣には、世界でいちばん大好きな人。

    「人がいっぱいだね~!」
    「はぐれないように…手、繋ごっか!」
    「うん! つなぐ~!」

    こんなに人目がある中で、堂々と手を繋ぐなんて浮かれてるよね…オレもすみーも。

    「かず、浴衣かっこいい~!」
    「すみーもかっこいいよん!」

    いつものコーデと比べると、今日の浴衣は…よく言えばシンプル、悪く言えば地味。一緒に買いに行ったお店には、もっと派手な柄のやつとか、デニムみたいな変わった生地のものとか、たくさんあったけど…オレとすみーにはこれ以外考えられなかった。オレと色違いの浴衣を着ているすみー。色味は落ち着いてるけど…よく見ると細かいサンカク柄になってる。すれ違うだけじゃ見つけられない…二人だけのサンカク。

    「ちゃんと、さんかくになってる~?」
    「バッチリ! 着崩れちゃったら直してあげるねん!」
    「かずも、ちゃんとさんかく~!」

    後ろを向くと見えるのはサンカクの結び目。ゆっきーにしっかり着付けてもらったから多少のことでは着崩れしないと思うけど…すみーは元気いっぱいだから…どうかな~? 最初は着崩れないように甚平にしようかって話してたんだけど、やっぱり…浴衣がいいなぁ~って考えてたら、すみーも同じ気持ちだったから…浴衣を着る以外の選択肢がなくなっちゃった。

    「あっ! おにぎりがあるよ~!」
    「しかも、めっちゃサンカクじゃん! 買っちゃお~!」
    「買っちゃお~!」

    「さんかくの、いちご飴もある~!」
    「じゃあ、買ってくるねん!」
    「ありがと~! オレが~、かずの分も持つね!」

    屋台を一通り見て回って、いいなーって目についたものを片っ端から買っちゃって。いっぱい買っていっぱい食べようって話をしてたから、巾着の中に入れて、サンカク柄の折りたためるトートバッグを持って来た。和柄じゃないし浴衣には合わないけど…オレとすみーには、最高に似合ってるから。

    「い~っぱい買っちゃったね~!」
    「雰囲気で何でも買っちゃうよね!」
    「かずと、一緒だからだね~…」
    「オレも…すみーと一緒だからメチャ楽しいよん!」
    「えへへ…よかったぁ~!」

    屋台の人混みを抜けて、邪魔にならない場所に移動してから、買ったものを改めて見る。さすがに…これは買いすぎかな~ってオレでも思うほどで、食べたいものから食べて、食べきれなかったら持って帰ることにした。二人でいただきますをして、まず最初に手に持ってたいちご飴をコツンと軽くぶつけて、まだまだ始まったばかりのお祭りデートに乾杯をした。

    「おいしいね~!」
    「こういうのって、いくらでも食べられちゃうよね~!」
    「ね~っ!」

    買ったものが次々とお腹の中へ消えていく。屋台の物を買って食べるより、おみみのご飯の方が美味しいと思う。…けど、今日食べた物は本当に本当に全部美味しくて…。正直、大学の友達と一緒に来た時にはそうでもなかったのに。きっと、何を食べるかじゃなくて…誰と食べるかなんだろうな…。

    「すみー、ソースついてる…」
    「んん~……ありがと~!」

    屋台で買ったのは、幸せな時間だったんだね。そんな風に考えちゃうのは…暑さで頭がやられちゃってるから? それじゃあ…かき氷でも食べちゃう?

    「かず、見て~!」
    「めっちゃ緑色になってる~…ほら!」
    「ほんとだ~! かずは?」
    「んー…どう?」
    「黄色くなってる~! ほら~!」
    「マジじゃん! やば!」
    「いんすてに、あっぷする~?」
    「う~ん…」
    「しないの~?」

    「……オレとすみーだけの、思い出にしたいから…」

    もう一度、ぎゅっと手を繋ぐ。ここへ来てすぐ手を繋いだ頃はまだ明るかったのに…少しずつ暗くなる空は、すみーの瞳の濃いオレンジが混ざるように広がった後…暗闇を連れてきた。

    「もう、真っ暗だね~…」
    「危ないから離しちゃダメだよん!」

    もうすぐ花火が上がる。来た時よりも人が増え、歩き慣れない足元は危なっかしく不安定になる。

    「うーん…ここだと花火見えないかも…」
    「…かず、ちょっと来て!」
    「えっ? すみー…?」

    人混みを掻き分けて、すみーに繋がれて出てきた場所は来る時に通った道路だった。疲れちゃって花火を見ずに帰るのかな…という考えが頭を過った時…鼻緒に擦れる指が痛んだ。

    「かず、こっちだよ~!」
    「すみー…どこ行くの~…?」

    …着いた~!っていう声に顔を上げる。生い茂る草木を抜けた先には…たくさんの猫がいた。

    「…っ、うわ…!」
    「間に合ってよかった~!」

    音に驚いて振り向くと、視界いっぱいに夜空の花が咲いた。

    「きれー…」
    「この場所、猫さんにね~、教えてもらったんだよ~」
    「そっか…ありがと、すみー…猫さんも!」

    猫たちは音に体を跳ねさせたり、興味なさそうにしている。

    「オレと、すみーだけで…楽しんじゃおっか!」
    「うん! さんかくの花火、あるかな~?」
    「あるといいね~」

    オレもすみーも夜空を彩る光に夢中だった。空を眺めたまま、手を近づけて…指先が出会うと、絡み合って一つになる。ふと、目線をすみーに向ける。口を開けて楽しそうな笑顔で目をキラキラさせていた。二人でいる時に、こんなに素敵な表情をしているっていう事実が嬉しい。心のシャッターを押して、胸の中にしまった時、見られていると気づいたすみーと視線が重なる。

    「…かず?」
    「ねぇ、すみー…もうちょっと、近づきたい…」
    「うん…いいよ…」

    光が照らす肌は、暑さで汗ばんでいて…着崩れた首元を雫が流れていく。…ごくり、と上下する喉とは対照的に涼しげな浴衣がより艶やかさを演出する…。

    「かず…浴衣、かっこいいね…」
    「…すみーも…似合ってる」
    「花火…おわっちゃうよ…?」
    「うん、でも…」

    花火より綺麗で、きらきらしてて…目が離せなくって。
    大きな音と色とりどりの鮮やかな光に隠れて…キスをした。

    「すみー…大好きだよ…」
    「オレも…かずが、だいすき~…」

    ぎゅっと想いを確かめるように抱き合うと、頭のてっぺんから足のつま先まで、幸福感が全身を満たしていくのが分かった。

    「…花火、終わっちゃったね…」
    「かずが…ちゅう、するから~」
    「え~? すみーだって、してほしそうにしてたじゃん!」
    「…じゃあ、来年も来よう? 来年は~、ちゃんと…花火見よう?」
    「来年だって、再来年だって…二人で一緒に来ようね」

    すみーの着崩れた浴衣を軽く直して、猫さんたちにバイバイをして、手を繋いで歩き出す。足の指はもう痛くない。火花は夜の暗闇にとけて…静けさに変わった。

    「すみー…悪いんだけどさー…」
    「なに~?」
    「……やっぱり、来年も…花火見れないと思うんだけど?」

    静寂に打ち上がる幸せそうな笑い声。
    二人を見下ろす東の空には、大きな三角形が輝いていた。

    ずっと繋がっていたくて
    「いってきまーす!」
    「…すみーの隣!」

    ゆっくりと扉が閉まる音を背にして寮を出る。濃いオレンジと微睡む紫が染め上げるカクテルみたいな空は、早々に酔ってしまいそうで悪戯なアペリティフ。でも、空っぽのお腹と一緒に向かうのは……オシャレなバーでもレストランでもない。

    「リュックサック~!」
    「くもぴ~!」
    「ぴかぴかのさんかく!」

    …それ、ちょっとずるくない? なんて言葉は、文字どおり輝く瞳を向けられれば、くすくすと小さな笑い声になって溢れてしまった。

    「クレヨンの落書き」
    「……キッシュ~!」
    「ゆ? ゆっき~!」
    「近所の猫さ…あっ、…ねこ!」

    少し考えてから、おみみが言ってた夕飯のメニューを思い出したみたい。寮を出る前に、サンカクに切ってくれる約束をしていた様子が浮かぶ。そのあと、子供みたいに言い直した姿に嬉しくなった。……一人で瞳を揺らすぐらいなら、何でも言ってくれればいいのに…。だって、ほら…晴れてる方が綺麗だから。

    「ころころ変わる表情」
    「うれしそうな顔~」
    「…オレだけに見せる顔」

    少しだけ驚いた空と同じような瞳の色を向けられる。すぐに逸らされて影をつくる睫毛の下には、夕陽とは違う色が誤魔化せずにほんのり広がった…。

    「お空のさんかく…!」
    「クリスマス」
    「…すりすり~っ!」

    まだサンカクは見えない夜になる前の空を仰ぐ。何もかも上手く誤魔化せてないことに気づいたのか、自分からくっついてオレの背中に頬擦りをする。それも照れ隠しなんだろうけど…隠さなくていいのに。えへへ~…って笑いながら、オレの言葉を待っている。

    「リップクリーム」
    「むく~!」
    「クレープ」
    「…プラネタリウム~」
    「紫とオレンジの空」
    「ラムネのしゅわしゅわ~」
    「…わがまま言ってくれる時の顔」

    今日の夕方、みんなで夕飯の準備を始める前。少しだけ、ほんのちょっとだけ…二人でお散歩に行きたい。…そう言って、控えめに服の裾を掴んだ手を引いて寮を出た。その手で頬を撫でると、瞳の中で揺らめく小さな空を…オレだけに見せてくれた。

    「…おにぎり~!」
    「りんご飴」
    「めだか~」
    「カフェラテ」
    「てんま~!」
    「真夏のギラギラ太陽!」
    「海のにおい~…」

    近所を行く宛もなく、ゆっくりと二人で歩いているだけ。もう、夕陽は見えなくなって…急に暗くなり始める。公園にいる子供たちも、バイバイとまたねの声と共に帰っていく。真っ直ぐ進んでいた歩をとめて、来た道を戻ることにした。……まだ、帰りたくないけど。

    「…いつまでも、ずっと一緒にいたい」
    「言われなくても、そのつもり~」
    「理由なんてないけど…?」
    「どきどきして…近づきたい」

    …もうちょっとだけ。夕飯の後片付けは任せて。

    「…いかるがみすみ」
    「耳元で言わないで~…」
    「できれば帰りたくないなー…」
    「…なんて、言ったの?」
    「の~んびりした、ひととき」

    寮を出た時とは比べ物にならないほど、狭く小さくなっていく歩幅…。後ろを歩いていた子供たちに抜かれてしまうぐらいスピードも遅い。はっきり見えていた睫毛の影は……見失ってしまった。

    「…きす」
    「すき」
    「きす…」

    …そのかわり、手探りで繋がった……言葉たち。

    「…すみーが大好き」
    「きっと、オレの方が…かず、だいすき…」

    指を絡めて、もっと近づいて、暗くても見えるように。見えなくても感じられるように。触れ合った体温で……夏に溶けて混ざりあってしまえるように。

    「…キスしてもいい?」
    「いいよ…」

    夜が濃く深くなってしまう前の、未熟な余韻を感じながら。

    夏色すぷらっしゅ
    強い日差しが照りつける午後。冷房のきいた涼しい談話室にいた一成は、大きく響く聞き慣れた声が耳に届くのと同時に、勝手に緩んでしまう口元を読んでいた雑誌で隠した。

    「はぁ~…涼しい~…」

    洗面所で手を洗う音が聞こえた後、姿が見えたのは…拭う意味も無くなるほど汗だくな三角。エアコンの風が部屋全体に行き渡るようにつけていた首を振る扇風機を追いかけて、気持ち良さそうに目を細めている。そんな、子供みたいな様子に、くすっと吹き出した一成は、改めておかえりと一緒に柔らかいタオルを渡した。

    「ありがと~!」
    「ちゃんと水分とった?」
    「とってない~…」
    「じゃあ、ちょっと待ってて!」

    顔の半分を受け取ったタオルで覆いながら、目だけで一成を追う。薄くて涼しげなグラスに氷をたくさん入れて麦茶を注ぐと、カランカランと心地よい音を鳴らしながら、先取りしすぎな夏を手渡される。

    「おにぎりもあるよん!……食べる?」
    「ほんとー!? 食べる~!」

    ハイハーイ、と軽く返事をしてキッチンへ向かう姿を、三角はどうしても目で追ってしまう…あんなに追いかけていた扇風機よりも。渡されたお皿には二つのおにぎりが乗っていた。もちろん、形はさんかくだ。ありがとうのお礼を告げた後、行儀よくいただきますをして頬張った。

    「おいし~い! かずも、食べよう?」
    「オレは、さっきお昼食べたとこだからダイジョーブ!」
    「じゃあ…あとで、一緒におやつ食べよう?」
    「うん!」

    お昼のニュースは、今日の最高気温を何度も教えてくれる。それほど、最近は季節外れなほど暑い日が続いている。例年よりも早く、急に始まった夏に翻弄されながら過ごす日々は、より体力を消耗するらしく、午後からはもう何もしたくないほどの怠さが重くのし掛かる。

    「お庭に、猫さんがいたから~、見てくる!」

    そんな怠さも追い付かないほど元気な三角は、ごちそうさまの後に食べ終わった皿を洗って、タオルを首にかけたまま中庭へと駆け出して行った。一気に静かになった談話室。残された一成は、猫に負けちゃったか~…と、小さく溢しながら、空いたグラスに注いだ麦茶を一気に飲み干した。

    「すみー!」

    一時間経っても戻ってこない三角が気になって、冷蔵庫で冷やしておいたペットボトルを一本持ちながら中庭へ出てきた一成。声に反応して顔を上げた三角は、何やら猫と話して手を振ってから駆け寄ってきた。

    「飲む? 炭酸だけど」
    「やった~! 飲むー!」

    ハイ、と手渡されたペットボトルのフタを何の疑いもなく開ける。

    「…わあっ! えぇっ~? ……かず~っ!?」

    フタを吹き飛ばすほどの勢いで吹き出す炭酸飲料。甘くはじける液体は半分以上無くなってしまい、ほとんどが三角にかかっていた。その様子を隣で見ていた一成も堪えきれずに吹き出して、ひっかかった~! と楽しそうにお腹を抱えて笑っている。

    「も~っ! かず、いたずらしちゃ、ダメ~!」
    「ごめんごめん! もうしないから!」
    「びっくりした~…」
    「だってさー…すみーが、オレのことほっといて、猫さんに夢中だから…ちょっと、ヤキモチ? やいちゃった…ごめんね?」

    中庭のベンチに並んで腰掛けながら話す二人のすぐ近くで、パチパチしゅわしゅわと小さな泡が騒がしい。

    「かず」

    少しやり過ぎたかな…と、反省気味の眉をそえて顔を上げた一成。見上げた先には、ペットボトルに口をつけて残った炭酸飲料を飲む三角が、強い日差しに照らされていた。髪から滴り落ちる雫がキラキラと輝き、その美しさに揺れる心を不謹慎だと押さえつけようとする。けど、その行為は無駄だった。

    「…っん」

    三角の口の中へ注がれた筈の液体は、お互いの唇が触れ合ったまま、一成の口内へと流れていく。まだ少しの冷たさを残して、パチパチとほんの僅かな刺激を与えて喉へと下りていった。ごくり…と、喉を鳴らしながら口の端から溢れた爽やかさを拭おうとする手を掴まれ、代わりに三角の唇が優しく触れる…。

    「かずがね、いたずらしたから…オレも、しちゃった…」
    「ちょっと…刺激強すぎじゃない?」
    「いや、だった…?」
    「…ううん、オレ…またイタズラしちゃうかも~…?」
    「えへへ…かず、かわいいね…」

    真夏のようにじわじわと眩しい光は、肌が触れあっているのかいないのか分からないほど気温を上昇させる。初夏でこんなに暑いのなら、本格的に夏になったら、オレ達はどうなってしまうのだろう…。そんな不安も全部、とけて混ざりあって一つになってしまえばいいのに。視線が重なり夏が楽しみだと微笑み合った二人は、もう既に…熱に浮かされて、手遅れだった。

    召しませレモンキャンディ
    誰よりも隣を歩いているはずなのに、歩いても歩いても近づけなくて。そうこうしているうちに、寮に着いてしまう。毎回いつも同じことを繰り返している。それでも、歩けなくなって追いかけることも出来なくなることを恐れた足は、進む勇気も自信も全くない。

    「かず、明日のおでかけ楽しみだね~!」
    「ね~! すみーの行きたいとことか、チェックしといてねん!」

    ……今は、まだ…隣を歩くだけでいいから、歩かせてほしい。

    「準備できたよ~!」
    「じゃ、行こっか!」

    行ってきますの声を重ねて、重ねられない手には…バッグとスマホの理由を持たせた。事前にチェックしておいた行きたい場所を目指して、いつもと同じように隣を歩く。スマホ越しに見える柄も形もサイズも違う靴。歩幅が揃うことのないバラバラに出される足は、同じはずなのに違う道を歩いているみたい…。

    「…かず?」

    一日を一緒に過ごせる大切な日。…なのに、どうにもならないことで考え込んじゃって上の空。慌てて返事をしても、もう遅かった。不安そうな顔を隠した笑顔を向けられて、今日は早めに帰ろっか…? なんて、言われて…。払拭しようと情けなさを自業自得で包んで投げると、勢いよく跳ね返って心を抉る。

    「大丈夫だよん! すみーの行きたいとこ…」
    「…ごめんね、かず。オレ…ほんとは、嘘ついてた」
    「えっ…?」
    「行きたいところ、なかった…」
    「あー…そっか、ごめ…」

    「…かずと一緒なら、どこでもよかったから」

    ほんの一瞬だけ、泣きそうな顔をして……それから、すぐに柔らかく笑った。トイレ行ってくる~! っていう言葉と共に置き去りにされたオレは、まだ明るい時間の強い日差しを浴びて、都合のいい考えをいくつも生みながら頬が緩んでいくのが分かった。それは、さながら光合成のように。下を向いた視線が上がった先に……オレだけの太陽を見つけた。

    「すみー…」
    「なに~?」
    「まだ、一緒にいたいんだけど…いい?」
    「いいよ~、どこ行くー?」

    「…すみーと一緒なら、どこでもいいよ」

    肩にかけたバッグ、ポケットにしまったスマホ。空いている両手で掬い上げるように繋いだ震える指先。ふわりと笑ってみせると、瞳の中の夕空は雨模様。額から伝わる熱を触れられた肩に感じて、そのあとの晴れが約束される。

    「こっち、おいで…?」

    軽く頭を撫でてから手を引いて路地裏を巡る。迷路のように人気の少ない場所を探して辿り着いた先、心を落ち着かせてから…聞いてみた。ずっと気になってたこと。

    「すみー…なんか、香水つけてる…?」
    「えっ? うーん…ちょっとだけ…」
    「珍しくない? しかも、かなり甘め」
    「…なんのにおい~?」
    「んー…お菓子っぽい!…レモンのキャンディとか?」
    「えーっ!? かず、すごーい!」

    俯いていた顔を上げて、目を真ん丸にして、ぱあっと驚いたように笑った。

    「…ってことは、もしかして…食べてほしいってこと~?」

    冗談で言ってみた言葉は、何も言わずにまた俯いてしまったすみーのおかげで一気に信憑性が増した。

    「すみー、顔上げてよ…?」

    向かい合ってゆっくり手を握ったら、ちょっとだけ覗き込む。ちらりと目線だけを上げたすみーと視線が重なった。

    「…大好きだよ、すみー」

    ほどいた指を流れるようにそっと背中へ…。ふんわりと鼻をくすぐる爽やかな香り。秘められた甘ったるさを隠しきれずに、耳元で小さく溶け出した…。

    「オレも…かずのこと、だいすき…」

    顔を上げて見つめ合う。溶け出した熱よりも、もっと熱くて甘い雰囲気を纏って……誰もいない路地裏で、一つだけ。

    「いただきます…」
    「…めっ、召し上がれ~…?」

    予報通りの晴れが、この先もずっと続きますように。

    はさと Link Message Mute
    2022/10/02 7:17:43

    かずみすまとめ2

    #かずみす

    過去に書いたものなので今の公式設定と違うところが多々あります。

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