夏の暑い日シリーズかずみすの場合
「ただいま~!」
茹だるような暑さとも仲良くなれそうな声が玄関に響く。ドタバタと音を立てて入ってきたのは、いっぱい汗をかいて頬を赤くしたすみーだった。
「おかえり~」
「あっ! かずだ~」
眩しい太陽みたいな笑顔のすみーは、落ち着きがない様子でコップに注いだ麦茶を勢いよく飲み干した。一杯では足りなかったらしく、二杯目もゴクゴクと音を鳴らしながらCMみたいな飲みっぷりを見せる。
「……はぁ~!」
大きく一息ついて、サッとコップを洗い終わって、ようやく落ち着いて話ができるかな~? と、心待ちにしていたオレに、すみーは予想外の言葉を放った。
「行ってきま~す!」
くるんと回って談話室を出て行こうとする背中を追いかけて、思わず手を掴んで引き留めた。
「ちょ、ちょっ……すみー、また出かけるの!?」
「うん! お外で遊ぶの楽しいよ~!」
「何か用事があるわけじゃないよね?」
「ないよ~?」
まだまだ赤い頬に汗を流したまま、ぴょんぴょん跳ねて夏を満喫したくてしょうがない大きな子供。ちょっと待つように言って、とりあえず座らせた。
「すみー、ちゃんと汗拭かなきゃ~……」
持ってきたタオルで顔を包み込むように優しく撫でる。
「……ばぁ~っ!」
タオルから顔を出す、何がそんなに楽しいのか分からないぐらいご機嫌なすみーが、可笑しくて、可愛くて、愛おしくて。
「ちょっとは落ち着いた?」
「落ち着いた~!」
「……じゃあ、オレについてきて!」
つられておかしくなるのも、悪くない気がして。
「かずもお外で遊ぶ~!?」
連れてきた中庭に立つ姿に、即興で通り雨を降らせた。
「わーっ!?」
「冷た~っ!」
さっきまで、くもぴがスニーカーを洗うのに使っていたのを知っていた。だから、ホースから噴き出す水が冷たくて気持ちいいことも。
「オレも、かずも、ぬれちゃったね~!」
「シャワー浴びるし、どうせなら遊んじゃおうよ!」
大の大人がバカみたいにびしょ濡れになって、パンツまで濡らして水遊びしてる。大学の友達相手には考えられない光景も、二人一緒なら……違和感も不自然も夏休み。
「オレさー……すみーと一緒なら、なんでもできそう」
「……オレもね、かずと一緒なら……なんでもできるよ」
絡めた指先は、どうしても熱を生み出してしまう。熱中症に気をつけないとね、二人でいる時は特にね、なんて言葉を交わしながら、もう一度だけ夏空に雨を打ち上げた。
おみすみの場合
「ただいま~!」
玄関から近づいてくる賑やかさは、洗面所を通ってすぐに談話室を巻き込む。強すぎる日の光を浴びた体はたくさん汗をかいてしまったようで、軽く水分補給をしてから着替えたらしい。
「三角は外が好きだな」
「そうだよ~! お天気もいいし、お茶もおいしくなるよ~」
カランと涼しげな音を鳴らすグラスがよく似合う。二杯目を飲み干して、今度は中庭へ迷い込んだ野良猫と遊ぶらしい。
「もう行くのか?」
「もう行きますよ~」
「デザートでも食べてからにしないか?」
「なになに~!?」
冷凍庫から取り出したのは、蜂蜜とレモンのシャーベット。たくさん作った分から食べる分だけスプーンですくうと、ほんのり爽やかな香りが広がって暑い夏でも食べやすい。
「グラスに盛り付けるから、ちょっと待ってくれ」
「はーい!」
「できたら、持って行って外で食べるか?」
「えー! おみも一緒に来てくれるの~!?」
正直に言うと、そういうつもりで言ったわけじゃなかった。早く野良猫のところへ行きたいのかと思い、皿じゃなくて持ち運べるグラスにしただけだ。
「……ああ。そうだな」
「やった~!」
はしゃぐ姿を目の前にして、本当のことは言えなかった。たまには、外に出てのおやつの時間もいいだろう。逆三角形のグラスを手に、日差しを浴びた緑の絨毯に足を踏み入れる。
「暑いですねぇ~」
「今日は昨日より気温も高いらしいぞ」
「でも、おみのアイス、昨日はなかったから~」
「じゃあ……昨日とおなじぐらいか?」
「そうかも~!」
口へ運んだスプーンがもたらす爽やかで冷たい甘さ。時折、頭を痛めながら二人共あっという間に食べ終わってしまった。空になったグラスを近くのテーブルに置いて、日陰で涼む野良猫と遊びながらデザートの感想をくれる三角に癒されつつも、だんだん滲んでくる汗が部屋に置いてきてしまったタオルのことをちらつかせる。
「おみ」
グラスを片付けるついでに汗を拭いてこよう。その考えは、ぎゅうっと抱きつきながらぴったりとくっついて離れなくなった三角には通用しなかった。
「そんなにくっついて……暑くないか?」
「だからだもん!」
「……ん?」
「冬は寒いからかもしれないけど~、夏にくっつくのは……ぎゅうって、くっつきたいからなんだよ~」
照れながら笑う無邪気さに、振り回されたいと思ってしまった自分に……お節介な跳ねた心臓が、季節外れの背中を思い知らせてくれた。
「はぁ~……っ、」
情けない顔を見られたくなくてしゃがみ込んだ背中にぴったりとくっついて、無意識に俺を弄ぶ熱を感じながら振り向く。
「えへへ……なんでだろ~?」
緑の絨毯は重なる影を柄にして。
「やっぱり……昨日より、あついね……」
声にならない想いを、はちみつとレモンにまぜて。
ばんみすの場合
「ただいまー!」
怠い体を引き摺って、玄関の扉を開けようとした時。外からでも聞こえるぐらいデケェ声がして、早くエアコンの効いた談話室に入りたい俺を足止めした。
「ばんりも、今帰って来たの~?」
「そーだよ……」
「お茶飲む? ジュース飲む?」
「おー……」
「……お~? 飲むの~?」
汗だくな様子から外にいたのは間違いない。なのに、なんで、こんなに元気なんだよ……。自分とのテンションの差で余計に体が重く感じる。
「んー……サンキュ」
結局、飲みやすいスポーツドリンクが注がれたコップを受け取った。まだ半分も飲んでいない俺の横で、飲み干した三角がアホみてぇに笑いながら、服の袖で汗を拭っていた。
「もう出かける用事ねぇの?」
「ないよ~。ばんりは?」
「ねぇよ」
「じゃあ、お外で一緒にあそぶ~!?」
「遊ばねぇよ……」
さっきまでの元気は何処へやら。眉も口も下げながら残念そうに、そっかぁと呟いていた。暑さでやられたテンションの低さも相俟って、何か勘違いされていそうだと予想する。
「アンタ、すげー汗かいてんじゃん」
「……汗くさい?」
近かった距離が一気に遠くなる。三角は自分のニオイを自分で嗅ぎながら、どんどん俺から離れていった。
「気にしてんの? 意外だわー」
「だって……ばんりに、嫌われたくないもん……」
まるで、磁石が反発するように。俺が近づくと距離をとる三角が面白い。背中がぶつかってから壁と俺に挟まれて逃げ場を無くしたことを知り、くるりと背を向けて左右に抜け出そうとする後ろ姿にくっついた。
「俺、シャワー浴びるけど……一緒に来るか?」
俯いた状態の首が僅かに揺れたのを確認して、そっと襟足にキスをした。跳ねた体は外どころかこんなに近くでも聞き取りにくい声で、着替え持ってくる……と、確かに呟いた。
「……脱がねぇの?」
バサバサと躊躇いなく服を脱いでいく俺とは対照的に、目を逸らしながらゆっくり一枚ずつ脱ぐ姿がもどかしい。今更、何を恥ずかしがっているのか理解できずにタンクトップを捲り上げると、ばんりのばか! って阻止しようとするから思いっきり脱がしてやった。
「もしかして……期待してんの?」
お互いにパンツのみ穿いた姿で煽ってみる。なかなか聞こえない返事に痺れを切らして指をかけた。
「……す、するでしょ~……?」
それは期待がなのか、そういうことをなのか。暑さでやられた頭で少し考え、どちらにしろ大した差はないことに気づき、体をつたう汗のように……かけた指を下ろした。
いたみすの場合
「ただいまー!」
談話室に飛び込んで来たのは二度目のただいま。赤く日焼けした頬で汗を流しているとは思えない、疲れを知らない笑顔を俺に向ける。
「……おかえり。つか、汗やば。シャワーして着替えてきたら?」
「でも~、さんかく探しに行こうかな~って、思ってまーす!」
……いや、ウソでしょ? こんなに暑い日に? 汗だくで帰って来たのに? また外に出かけるの? 最近はもう熱中症とかだいぶヤバいと思うけど。夏のお外は危険がいっぱいだよ? サンカクって、そんな命懸けで探さなきゃいけないものなの?
三角の考えることは、一日ずっとエアコンの効いた涼しくて快適な部屋で過ごす俺には到底理解できなかった。
「それさ、ゲームで探す……っていうのはどう?」
家で過ごす楽しさってやつを、思い知らせてやろう……!
とりあえず、俺が準備している間にシャワーを浴びて着替えた三角を部屋に迎え入れ、アイスを手渡し軽くジャブを打つ。サンカクの形をしたそれは三角の目を輝かせ、座って食べな? という俺の言葉にも素直に応じた。
「おいしかったね~!」
「……じゃあ、やりますか」
俺が用意したのは『何もないから、なんでもできる』という敵も出なければ対戦でもないゲーム。サンカクが出てくるゲームといえば、リズムゲームとかもあるけど……探すっていうのは違うかなと。
「いたる~、来たよー!」
俺の島に遊びに来た三角。着いた瞬間、地面がサンカクだと嬉しそうに走り回っていた。ゲーム内でも落ち着きがないらしく、止まることを知らない。
「あっ! さんかくコーンがあるよ~!」
島の至るところに散りばめたサンカク。三角はゲーム画面を見ながら喋るという感覚が慣れないらしく、その都度こっちを向いて顔を合わせて報告してくる。穏やかなBGMと共にゆっくり流れていく時間。お互いの好きなものを画面を通して共有できるっていうのがゲームの良さかなー、とかいう似合わない言葉は脳内に留めておいた。
「さんかく、いっぱい見つけたね~!」
「全部見つけられるとは。さすが」
「いたるは~、どのさんかくがいちばん好き~?」
べつにどれも同じなんだけど。それでも……画面から離れた目線が重なると、とあることを思いついてしまった。
「……どうしたの~? 選べない~?」
いや、無理。それは無理、無理。俺、そういうキャラじゃないし。そんなこと言える人、二次元にしかいないでしょ。いたとしても、俺は……そういうのじゃない。違うから。
「俺の、隣のサンカクかな……」
「いたるのとなり……あっ! このサンカクのおさかなさん~?」
うわー……引くほどかっこ悪い。これは友情END一直線。フラグも全部無くなった。大切な友達とか言ってふわっと何も始まらずに終わるやつ。不思議そうな顔をして覗き込む三角に、俯きながら何も返せない恥ずかしい大人。エアコンはガンガンに効いてるはずなのに、顔から火が出そうなほど熱い。
「……だから、三角ってこと……です。はい、あの……」
沈黙が怖くて喋り続けるのもダサすぎてしんどい。それなのに、三角はこんな俺でもいいんだって。かっこ悪いところも素も見せ過ぎてるのに……俺の何がそんなにいいんだろう? 顔かな? そうだろうな。顔以外考えられないもんな。
「ゲーム、やめてもいい……?」
三角の手からゲーム機を受け取って、テーブルの上に置いた。空いた両手をぎゅっと繋いで向かい合えば、俺と同じように頬を染めた三角が笑っていた。
「……ゲームじゃ、できないからね」
絡めた指を緩めて流れるように抱き締め合う。とてもじゃないけど、大人の恋人同士とは思えないやり取り。それでも、あったかい何かで満たされていくのは……部屋が涼しすぎるから?
「たまには部屋で過ごすのもいいでしょ?」
「うん……教えてくれて、ありがと~!」
「どういたしまして」
エアコンの音が、さっきよりも大きく聞こえる。
「これからも、いろんなこと……おしえてね?」
ふわふわと微笑む三角が放った一言。深読みした脳内は騒がしく落ち着きを知らない。顔に出さないよう必死で耐えていた俺の目の前で三角は、いたる……へんなかお~、という言葉を投げつけてきた。
……顔じゃないみたいです。はい。
ちかみすの場合
「ただいまー……」
玄関から何か声が聞こえた気がした。チャイムが鳴らなかったことを考えると、誰かが帰って来たのだろう。そう思いつつも、宅配便か何かかもしれないという考えも捨てきれず、持っていたマグカップをテーブルに置いて談話室を出た。
「あっ、ちかげ~……」
「三角か。おかえり」
手を洗って洗面所から出てきた三角は、赤い顔をしていつも以上にふわふわしていた。さっきまで外に出ていたにしては汗をあまりかいておらず、足取りも覚束ない気がする。
「……体調悪くない?」
「うーん……なんか、もやもやする~」
支えるように寄り添いながら、エアコンの効いた談話室に連れてきた。ゆっくりとソファに寝かせて、自分で飲めるかどうかを確認した後、水分補給をさせた。その間に、いくつか氷嚢をつくって首や腋の下などにあてて冷やすことに。
「つめたくて、きもちいい~……」
「随分、呑気だな」
三角の状態を見るに軽い熱中症だろう。帰って来た直後と比べると少しは落ち着いたようだ。
「寒くない?」
「うん、大丈夫~」
「……もっと気をつけないと。この後、また外に出てたら本気で危なかったってこと、ちゃんと理解してる?」
「ごめんなさい」
落ち込む三角の頭をそっと撫でる。そのまま、ぎゅっと握られた手が熱い。
「……ちかげ、迷惑かけてごめんなさい」
「こんな暑い日に、どこ行ってたんだ?」
「公園で~、猫さんたちと暑いねって話してて~……」
「それだけ?」
「ううん。ちかげが連れてってくれた、カレー屋さんに行ったよ~……ちかげとおんなじの食べられるように、練習してたんだよ~」
もう、そんな無理はしなくていいのに。改めて不器用だと思いつつ、顔も心も緩みそうになるのを我慢し、涼しい顔で話を続けた。
「誘ってくれればよかったのに」
「……来てくれるの?」
「都合がよければ、いくらでも」
珍しく弱っている三角の姿を見たからなのか、俺には似合わない甘さが出てしまう。優しく撫でた頬はさっきよりも熱が引いて、いつもの三角に近づいていくのを感じる。
「ちかげ、ありがとう」
「もう大丈夫みたいだね」
平穏をもたらした後で引こうとした手は、頬に触れたまま離れない。
「……ま、まだ大丈夫じゃないと思う~!」
放っておけないのか、放っておかないのか。いつの間にか離れられなくなった心に寄り添う。太陽のようでもあり花のようでもある存在がいつも側にいる日々。
……今は、その暑さでとけた脳の甘ったるい香りに酔いしれているのかもしれない。