日常の話まとめさんかくを捨てた日
『……できた~っ!』
小さい頃、お父さんにプレゼントしたくて作った、さんかくおてつだいけん。ハサミを使うのがへたくそで、きれいなさんかくの形じゃなかったけど……頑張って切って、クレヨンで丁寧に文字を書いて、三枚いっしょにプレゼントした。何回使ってもいいよ! って、笑顔で手渡した。たくさんお手伝いがしたかった。
……でも、本当は……。
『……っくしょん!』
次にその券を見たのは、鼻をかんだティッシュを捨てた時だった。
△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽
「……できた~っ!」
あれから何年も経って、お手伝いしたいって思う大切な人がたくさんできた。いらないって言われるかもしれないから、三枚だけ作った。あの頃よりハサミは上手に使えるし字だってきれいに書ける。いつもポケットに入れて、いつでも渡せるようにしてた。
だれか、受け取ってくれるかな……?
「おみ、」
いつもみんなにご飯を作ってくれる、おみ。おみのご飯は、すっご~くおいしくて、だいすき!
ポケットに手を入れようとした時。
「おっ、三角。悪いけど、手伝ってくれないか?」
「……っ! いいよ~!」
お鍋の中の美味しそうなおかずを焦がさないように混ぜる。なに? って聞いたら、カタカナのよく分からない料理名を教えてくれた。お皿を出してきれいに盛りつけて……サラダはオレが作った! 具材をさんかくに切ったら、味見してくれたおみが、さんかくだからいつもより美味しいな、ありがとうって言ってくれた。
うれしくて……渡すの、わすれてた。
「あっ、つむぎ!」
さんかくを見つけると教えてくれる、優しくてお花みたいな、つむぎ。いつか、さんかくのお花を見つけたら、オレも教えてあげたい!
「三角くん……っ、ちょっと運ぶの手伝ってくれない?」
「いいよ~!」
つむぎと一緒に、土とたくさん買った種とお花のごはんを運んだ。全部運んでからお花にお水をあげた。ごくごく飲んで、ありがとう! って言われてるみたい。終わったあと、つむぎが、ありがとうって頭を撫でてくれた。
あったかくて……渡すの、わすれてた。
「あ~! かず!」
かずは、オレと同じ夏組で、大事なともだち! さんかく描くのが、すっごくじょうず! フライヤーを作ってるかずは、すごくかっこいい~!
「すみー! ちょっと手伝ってくんない?」
「なに~?」
かずと一緒に、みんなの写真を、すくらっぷ? した。切ったり貼ったり書いたりして、さんかくぴこ~だった! さんかく描いてもいい? って聞いたら、いいよん! って、サンカクめちゃうま~! って言ってくれて、うれしかった……!
かずは、ありがとー! ってさんかくのアメをくれた。甘くて、優しくて、さんかくで……ありがとうの味がした。
楽しくて、てんあげ~! で……渡すの、わすれてた。
お部屋に戻って考えてみる。ポケットには、さんかくの券が三枚。でも……お手伝い、ちゃんとできた。ありがとう、っていっぱい言ってもらえた……!
おかしいなぁ……渡しても、できなかったことなのに。
渡さなくても、できることになってる。
おかしいなぁ……うれしいのに、どうして? なんで?
「……っ、えへへ~…」
手のひらの上に乗せた券は、涙でいっぱい濡れちゃった。これは、今のオレには……たぶん…。
「三角。ヒマなら稽古付き合ってくんね?」
「ばんり…?」
「ここのシーン、派手めのアクションなんだわ」
「……っ! はーい!」
「…っせーな、左京さんに怒られんぞ」
「ごめんなさーい!」
「全然、反省してねぇ……」
「えへへ~!」
お部屋のゴミ箱の中には、あの日みた光景がある。
……でも、同じじゃなくて。
溢れた気持ちで包まれたさんかく。
ありがとう、ばいばい。
オレは、もう、だいじょうぶだよ。
聞かせて、すみーさん。
「あっ! くもん、おかえり~」
「ただいま! すみーさん、すみーさん!」
「なに~?」
「オレ、サンカク見つけちゃった!」
「見せて見せて~!」
すみーさんは、オレと同じ部屋に住んでて同じ夏組の仲間。オレよりお兄さんで優しくて明るくて、普段は癒し系でほわほわってしてるけど、お芝居の時はいつもとガラッと変わって、表情の作り方とか派手なアクションの時の魅せ方とか体幹がしっかりしてて、とにかくすっげーかっこいい! 兄ちゃんみたいに男らしい! って感じじゃないけど、めちゃくちゃ尊敬してる。
……それと、すみーさんは、サンカクが大好き!
部屋もサンカクだらけでかっけーし、そんなにサンカクが大好きで大切にしてるのに、みんなにサンカクあげちゃうところが、すみーさんって感じがして、なんか……正義のヒーローみたい!
「臣さんのご飯、今日も美味しかったね!」
「うん! くもん、歯みがきした~?」
「したよ! お風呂も入っちゃった! すみーさんは?」
「オレも、ぜーんぶ、おわったよ~!」
「そっか! じゃあ……聞かせて? すみーさん」
「んーとね~、今日はね…」
すみーさんは、いつもみんなのこと見てて、たくさん話を聞いてくれて……。はしゃぎすぎて天馬さんに怒られることもあるけど周りを笑顔にしてくれる。
けど、すみーさんは……すみーさんが辛い時は、どうしてるのかなって。
隠してるとかじゃないと思うんだけど、すみーさん……自分の話、あんまりしてくれないから…。絶対、嫌だなって思うこととか、ショック受けたりとか、心が……なんていうか、こう…モヤモヤすることってあると思うんだ!
それを、すみーさんは……隠すっていうか、無意識に隠しちゃってる気がする。オレには分からないし違ってるかもしれないけど……もしかしたら、そういう気持ち、隠さなきゃいけないような辛いことが、過去にあったのかな……?
「そしたら~、猫さんがびっくりして~、こうやって…ニャーーッ! って」
「ええっ!? すみーさん、怪我しなかった?」
「ちょっとだけ、噛まれちゃった~」
「うわっ! ちょっとじゃないよ……待ってて!」
「…くもん?」
「じゃーん! この絆創膏、サンカク柄なんだ!」
「ほんとだ~! さんかく、さんかく~」
「すみーさんに貼ってあげるね」
「えぇ~!? いいよー、くもんのさんかくだよ~?」
「いいの、いいの! すみーさんだって、いっつもサンカクくれるじゃん!」
「……いいの? ありがと、くもん…」
「どういたしまして! ……それで、お昼からは?」
「お昼からはね~、帰ってきたら――」
……だから、寝る前に毎日こうやって、朝起きてから今日一日あったことを聞かせてもらっている。最初は、歳下のオレにいろいろ話すの嫌かな? って思ってたんだけど、すみーさん楽しそうに話してくれるし……最近は、ねぇねぇ! って、すみーさんの方から話してくれることもあって、すっげー嬉しい……! それに、単純にすみーさんと話すの楽しくて。オレには無い発想とか意見を聞かせてくれるし、話を聞いてくれる時も、うんうん、ってすごく優しくて。オレの方が喋りすぎちゃうぐらい。考えてみると……オレ、何もできていないのかも。
でも……きっと、ヒーローだって辛い時は、誰かに支えてもらってるんだ。
オレのやってることは、すみーさんを支えるとかそんな大きなことじゃないし、何かあった時に役に立つことも意味も無いかもしれない。けど、隣に並んでみんなで手を繋げたらいいなぁって。それで、すみーさんの手が冷たくなった時に、オレがすぐに気づいて、あっためてあげられたらいいなって、思う。
「じゃあ、電気消すね」
「うん、おやすみ~」
「おやすみなさい!」
「くもん…」
「…?」
「明日も、お話、聞いてね……?」
「……っ! うんっ!」
「えへへ…おやすみ~」
「おやすみなさいっ! へへっ…」
明日もまた、聞かせてね、すみーさん……。
三本のヘアピン
よく晴れた日の午前中、自室のドアを開けた東は照りつける強い日差しに思わず目を細めた。今日は昨日よりもっと暑くなりそうだと確信しながら部屋に戻る。再度ドアから出てきた東が手にしていたのは大きめのヘアクリップだった。
「あずま、さんかく持ってる~!」
談話室の室温と相談してから着けようと考えていたそれは、着ける前に見つかってしまった。きらきらした瞳で、いいな~いいな~と体を左右に揺らしながら見つめられると、期待に応えないわけにはいかなくて。
「三角も着けてみる?」
「でもオレ、あずまみたいに髪ないよ~」
「……じゃあ、着けてもらっちゃおうかな?」
上品な装飾が施されたクリップを手のひらに乗せて……いい? と聞けば、嬉しそうに頷きながら普段使うことのないサンカクを手に取って興味津々な様子。
「サンカクヘアメイクさん、お願いします」
「はーい! 痛かったら言ってくださーい」
椅子に座って前を向いたまま返事をすると、ぎこちない手つきでそーっと触れる指先に小さな笑みが溢れた。
「……痛くない?」
「うん。もっと雑に扱っても大丈夫だよ」
全く触り慣れていない三角は、何度も痛くないかを確認しながら櫛を入れ、髪を纏める時にも大変そうにしていた。
「あ~っ……落ちてきちゃった~」
手入れが行き届いている髪は細く滑らかでサラサラしており、大きいクリップで留めるには扱いづらく思うようにいかない。
「できた?」
「うーん……難しい~」
「ちゃんと纏まってるね。ありがとう」
「あざみとゆきに、やってもらった方がいいと思う~」
ごめんね、と呟く三角の頭を優しく撫でてから談話室を出て行った東。戻ってきてすぐに今度は三角を椅子に座らせて、持ってきたピンを髪の分け目からサイドに流して着けてあげると、クリップを使わなくてもサンカクができた。
「わっ……さんかくだ~!」
「結構可愛くできたんじゃないかな」
シンプルな装飾が綺麗な3本のピンは、三角の短い髪にしっかりと三角形を作っていた。
「ありがとう~!」
「莇や幸にやってもらった方がいいと思うけど……ね?」
「ううん! オレ、これがいい~!」
「よかった。そのピンはあげるから好きに使ってね」
「……また、あずまがつけてくれる?」
「じゃあ、コレも三角につけてほしいな」
「いいよ~」
「ならいいよ」
柔らかく微笑んだ東にふにゃりと緩んだ笑顔を返した後、みんなに見せてくると談話室を出て行った背中を見送る。
「……アズ姉、髪落ちてきてるよ。留め直してあげよっか?」
「ありがとう。でも、大丈夫だよ……もう少し、このままで」
不安定でふわりと落ちてきてしまう毛束に擽られながら、よく似ているねと緩む口元を鏡がうつした。
さんかくミーティング
……俺は今、笑顔でサンカクポーズを向けられている。
今日は左京さんのミーティングで、談話室に全員集まって話を聞いている。つっても、いつもと同じ事を並べてるだけで水道代がうんたら電気代がかんたら。みんな話を聞く気があるかのように左京さんの周りを囲う感じで座ったけど……たぶん、ちゃんと聞いてるのは片手で数えられるほどだろ。
「……っ!」
めんどくせぇから無視してんのに、アホみてーに笑いながら、ば、ん、り、! って、口パクでアピってくっから隣の臣にやれって雑に顎で指図すると、少し視線をずらして臣の方に向けた。気づいた臣は、ガキと遊ぶ時みてーな優しい顔をしながら、小さく指でサンカクを作って返していた。
返してくれたことに喜んで声を出しそうになる三角の隣で、一成が口の前に指をあてて、シーッ……って仕草を見せると、三角は瞳を大きく開けて、はっ!としながら口を手で塞ぐ。なんか、ほんのちょっと罪悪感でモヤモヤしながら返せばよかったな…とかなんとか、らしくねぇこと思いつつ、気になって見ていた。
「サンカク~っ!」
臣の隣の太一は躊躇うことなく小声で呟きながら、臣とは違って指だけじゃなく、両手全部を使ったいつもの三角のサンカクポーズを返していた。その隣の莇は、気づいたけど何のことか分かってねぇ。伝わるように三角が指でつくったサンカクポーズに変えると、ピンときた様子の莇の顔が何故か赤くなった。太一に小声で聞いてる声に耳をすます……。
「……アレって…なんか、は…破廉恥な意味とか、ねぇよな…?」
予想外の言葉に思わず俯いて肩を震わせる。隣の臣の肩も僅かに震えていた。
一部が少し騒がしくなったのに気づいた左京さんの鋭い視線が刺さる。誤魔化して視線を合わせねぇように気をつけながら、ちゃんと聞いてますよ感を臣と一緒に出していた。暫くすると、視線の圧が無くなる。太一から違うと言われて誤解がとけても赤い顔の莇は、小さく指でサンカクポーズを返していた。
「……ん?」
その隣のアホ面は全く気づいてねぇ。繰り返されるサンカクポーズを見ながら、真顔で足りねぇ頭の中をハテナで埋め尽くすだけだ。見かねた隣に座る弟に意味を教えてもらって、兄弟で小さくサンカクポーズを返していた。
その隣の椋、幸、天馬、一成。それぞれ流れるような速さで各々サンカクを返す。
……なんだこの、夏組の一体感……。
椋と一成は笑顔だったけど、幸と天馬に至っては真顔でスッと返して終わり。まるで、返さねぇとずっとアピってくんのを知ってるみてぇに。もしかして、夏組のミーティングでは、いつもこんなことやってんのか? ……ったく、ガキかよ。
秒で過ぎ去った夏組エリアの後は、東さんだった。隣で柔らかく微笑みながら、三角が両手でつくったサンカクをゆっくりと指でなぞる。くすぐったさで首をすくめて、手をぎゅっと握る姿を艶かしい瞳で見つめている……気がする。
……莇、ハレンチだったわ。
その隣の密さんは寝てた。気づいた誉さんが密さんの手を勝手に動かしてサンカクを作っていた。自分も同じようにサンカクポーズをとった時。ハッ! っと何か閃いた顔をして立ち上がろうとしたところを、丞さんが力で捩じ伏せた。
「……っ!」
た、す、く! と口を動かしながら腕をぐっと曲げて力こぶを見せるポーズをする。丞さんは既に指でサンカクポーズをして返したのに、紬さんにまわらない。諦めた様子の丞さんは軽く腕を曲げて見せていた。喜ぶ三角と、丞さんの隣であまり音を立てずに、くすくすと笑う紬さん。不満そうな丞さんを置いて二人でサンカクポーズをしながら、暫くにこにこしていた。
その後、よく分かってないガイさんと楽しそうなシトロンが、近づいて小声でやり取りしながら二人でサンカクをつくって見せていた。咲也は左京さんと三角の間で目線を行ったり来たりして、気づかれないように素早くポーズをとって、誤魔化すのが下手すぎて逆に怪しいぐらい左京さんの話に頷いていた。
「……うざ」
目をきらきらさせながらサンカクポーズをつくる三角に、真澄はボソッと呟いた。その気持ちはすげぇ分かる。でも、やらねぇと自分が悪者になったような気がするんだよなぁ……。視線を合わせないように床を見つめながら、時々チラッと三角の方を見る。健気にサンカクを見せながら口を動かす姿に耐えられなかったのか、目線が合わないようにそっぽを向いてしまった。
「…っ!」
その反応を見て、何故か柔らかく笑う三角。横を向いたから分かる。真澄の首から下げたヘッドフォンにサンカクのマークがついていた。
その隣の綴さんになった途端、笑顔がなくなって真顔になった。真顔のままサンカクのポーズを強要している。隣の一成が必死で笑いを堪えている。サンカク笑顔、品切れらしい。不憫すぎんだろ。流石だわ。
「……はぁ…」
小さくため息をついて、やれやれオーラを出したサンカクを返す綴さん。……が、それじゃ不満らしく、真顔で強要しまくっている。もう一度、眉間にシワを寄せながら返したサンカクも受け取ってもらえてねぇ。二度目のため息をついて、ちょっと引きつった笑顔で返したサンカクポーズ。
「んん゛っ……くっ、ふふっ…」
いきなり向けられた綴さんの満面の笑みを見て、三角の隣の一成が耐えられずに吹き出した。左京さんに睨まれてたけど、咳をして強引に切り抜けた。ハードモードすぎて、今度は綴さんが真顔だった。
「……?」
綴さんの隣は千景さん。この人の場合、気づいてるのに気づかねぇフリをしている。気づいてねぇと思っている三角は体を少し揺らしながら、なんとか気づいてもらおうといろんなサンカクポーズをする。全く気にとめない様子に、この謎の遊びが始まってから初めて三角が落ち込んだような悲しい顔をした。うわ、この人マジで性格悪ぃなー…と思いながら……ふと、紬さんの方を見る。……笑っているけど笑っていない目で、千景さんをガン見していた。
「こっわ…」
隣で一部始終を見ていた至さんが呟いた。紬さん、ちょっとそういうとこあるよな……。二人とも一切目を離さず、無言で目が笑ってない笑顔を崩さない。三角はそれに気づいてないらしく、さっきより控えめに指で小さくサンカクをつくって見せる。その間、紬さんはまばたきもしなくなった。
「面倒だな……」
根負けした千景さんが目を逸らす。落ち込む三角を一瞬だけ目に入れて、膝を立てて座り直した。隣の一成に耳打ちされて、笑顔に戻る。……たぶん、アレだろ。立てた膝がサンカクとか、そんなんだろ。わりと何でもいいんだよな。
その隣の至さんは、待ってましたと言わんばかりに中二全開のサンカクポーズをキメてたけど……正直、クソダサかった。相変わらず、恥ずかしい大人だな。
「……ば、ん、りっ!」
二回目の俺の番。しかたねぇなと思いつつも、ほんの少し楽しみで待ってた自分を見られたくなくて下を向いた。向けられる笑顔を見ずに、指でつくったキレイなサンカクを、至さんと違ってビシッとキメて見せつけた。
「……摂津! 聞いてんのか!」
咄嗟に顔を上げて見えたものは……笑顔の三角じゃない。
キレた左京さんだった。
俺はもう、二度としねぇから。この、ワケわかんねー遊び。
とりあえず、茅ヶ崎至が全部悪い。
『夜食作りました。テーブルの上に置いてあるんで、よかったら好きな時に食べてください』
土曜の夜、至のスマホに秋組の優しいお母さんからLIMEが届く。感謝の気持ちを簡単な一言にして返した後、流れるようにスマホをコントローラーに持ちかえた。
「はぁ……ちょっと休憩…」
LIMEが届いてから数時間後、ずっと同じ姿勢で固まった体を少し伸ばしてから立ち上がり、ボサボサの髪にヨレヨレの部屋着と一緒に部屋を出て談話室へと向かった。
「……えっ…」
おいしい夜食に期待しながら見下ろしたテーブルの上の皿には……。
△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△
「…よし」
キッチンに立つ臣は、皿の上の夜食にラップをかけてメモを添えた。夕食ほど大したものじゃないし、食べている時の表情も感想も分からない。夜食は少しだけ寂しいなぁと思いながらも、真っ白になったお皿とまた作ってほしいと頼まれた時の気持ちを想像すると、小さな幸せが溢れてしまうのだった…。
「臣クン! は、はっ、早くー!」
部屋に虫が出たと騒ぐ太一に呼ばれた臣は、ちょうど夜食作りも片付けも終わっていたので、急いで談話室を出て行く。扉を抜ける横顔は、この場所でいろんな人に頼られることの嬉しさを隠せていなかった。
「さーんかーく!」
臣が出て行って暫く経った頃。しゅっ、しゅ、という効果音を口にしながら談話室を走り回る三角。テーブルの横を走り抜けた時、巻き上げた風でひらひらと何かが落ちたことにも気づかないほどの速さで駆け抜ける。
「あっ! むく、何してるの~?」
キッチンには、ふわふわのピンク髪を揺らす椋が珍しく一人で立っていた。
「クッキーを焼いてるんですよ!」
「さんかく、ある~?」
「うーん…漫画に出てくるクッキーを再現したかったので…」
「…しょぼーん……」
「ご、ごめんなさい! でも、ボクみたいな固くてカスカスで真っ黒に焦げた誰にも食べられないクッキーみたいなヤツが作るので、三角さんに食べてもらえるほど、上手くできるかどうか……」
「だいじょうぶだよ~、がんばれー!」
「はいっ! 何度も作って練習して、上手にできるようになったら、さんかくのクッキーも作りますね!」
「楽しみ~!」
上手くできたら一晩おいて、明日の朝にはいつも作ってくれている臣さんにもお裾分けできたら……という椋のあったかい気持ちが、甘くて美味しそうな香りとなって広い部屋に優しくほのかに漂い始めた。
「あーっ! おにぎりだ~!」
椋との会話が終わった後、ジャマしないように談話室を出ていこうと、ふとテーブルの上を見ると、さんかくおにぎりが並んでいた。すごく美味しそうに連なるおにぎり山脈。三角には、食べて~! という都合のいい声が聞こえた気がした。
とはいえ、誰かの為に用意されたものなら食べちゃいけない。たとえ、さんかくが絡んでいようとも、三角はきちんと我慢ができる子なのだ。……メモがあれば。
「いっただきまーす!」
走り回ってお腹が空いていたこと、このおにぎりの作り手は優しい臣だと予想されること、きれいなさんかくだったこと。たくさんかくの要因が重なり、メモが無ければ食べていいぞと言われたことを思い出し、一人分よりも少し多めに作った夜食をペロリと平らげてしまった。
「ごちそうさまでした~」
キッチンを見ると、あとは上手く焼けるのを待つだけの椋がいた。邪魔にならないことを確認して、食べ終わったお皿を丁寧に洗い終える。……もしかしたら、勝手に食べたことを叱られるかもしれない。けど、その、誰かに叱られることさえも、三角にとってはちょっぴり嬉しいことなのだ。
至福のおにぎりタイムを済ませた三角は、さっきよりも高く跳びながら自室へと走った。
「……椋、できたか?」
なかなか良い報告が来ないことを心配した十座が、優しく声をかけながらキッチンを覗く。
「じゅ…十ちゃん…どうしよう…」
「…ん?」
「クッキー…すっごく焦げちゃった…」
オーブンから取り出されたクッキーは、見事に真っ黒く焦げてしまっていた。
「……そうか…」
「ごめんね……楽しみにしてくれてたのに…」
何も言わないまま、天板の上のクッキーを用意してあった皿に移す。そのままの流れで、そっと一つ口の中へ。
「十ちゃん! ダメだよ! 無理しないで!」
「せっかく、椋が作ったんだ……もったいねぇ」
「ダメだよ…! ボク、今からお菓子買ってくるから…」
「……どうしたの?」
「何かあった?」
話しながら談話室に入ってきたのは紬と東。泣き出しそうな椋と眉間にシワを寄せる十座に、騒がしさの理由を聞く。
「あのっ、実は……」
お皿の上のクッキーを見せながら状況を説明する。昨日、読んだマンガに出てきたクッキーのレシピ。恋の味がするという表現がすごく気になって、十座に相談してみると、作ってみたらどうだと背中を押してくれたので、臣がキッチンを使い終わってから作り始めたらしい。途中までは上手くできていたが、オーブンから少し目を離したら焦げてしまったのだと言う。
「そうだったんだ……」
「はい……。だから、せめて、せっかく待っててくれた十ちゃんに、コンビニだけど、お菓子買ってこようかなって思ったんです…」
「俺はべつに……」
「ちょうど、コンビニに行こうと思ってたから…一緒に行こうか?」
「……っ! いいんですか?」
「うん。十座くんも行く?」
「…っす」
「じゃあ、ボクはおつかいを頼んでもいいかな?」
「もちろんです!」
買ってきてほしいものをLIMEで送ってもらい、三人は素早く出かける準備をする。
「じゃあ、行ってきます」
「っす」
「行ってきます!」
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
寮を出た数分後、可愛らしい音を鳴らしながらLIMEが届く。
『これはこれで、恋の味じゃないかな?』
夜道には星空よりもきらきらした瞳が輝いていた。
「……帰ってくるまでに、お風呂入っておこうかな」
「あっ……東がいる…」
「あれ? 部屋で寝てるのかと思ってたけど…」
「アリスがうるさいから、避難してきた」
「…ふふっ、密も大変だね」
枕を持った不機嫌な密を早く寝かせてあげようと、東はおやすみを告げて早々に談話室を出た。
「……メモ? 何か、落ちて……」
「密くん! 探したのだよ!」
静かな談話室に響く、この時間帯に相応しくない声の大きさに、さっきより不機嫌になった密は、落ちていたメモを咄嗟にテーブルに置いて逃げる。
「待ちたまえ! 密くん!」
「うるさい……」
密がぐっすり眠れるのは、もう少し先になりそうだった。
△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△
誰もいなくなった談話室に入ってきたのは、ボサボサの髪にヨレヨレの部屋着の男。
「……えっ…」
おいしい夜食に期待しながら見下ろしたテーブルの上には……『至さんへ、大したものじゃないですけど、よかったら』というメモと共に、真っ黒な謎の物体が皿の上に転がっていた。
「…えっ、何これ…」
どう見ても夜食という感じではなく、明らかに焦げている見た目と、メモを書いた人と作り手が一致しないような不自然さに困惑する。それでも、至さんへの文字が食べなかった時の罪悪感を煽る。これほどまでに攻略が見たいと思ったことはない。
「……苦い…」
控えめに言って食えないこともないが美味しくない真っ黒の物体を口にしながら、誰も何も教えてくれない談話室で一人静かに考えを巡らせる。
臣なら大したものじゃなくてもコレじゃないはず。そもそも、主食的な何かを想像していたのに。……いや、もしかして自分が知らないだけで最近流行っている健康的な何かかもしれない。顔にステ全振りで健康は捨てている自分に対しての臣なりの優しい気遣いではないか……?
「…いや、もしかして…」
そこまで深読みしたところで気づいてしまった。もしかして……自分は嫌われているのではないか? という可能性に。あの優しい臣が、そんなはずはない。落ち着かせようと思い当たる節や知らず知らずのうちに臣のストレスを溜めていた原因が無いか頭をフル回転させる。
「……思いあたる節がありすぎる…」
いつも夜食を作らせているくせに文句一つ言わないから、ただ口で感謝するだけで特に大した感想も言わずに甘えまくって、それに加えて自分は何もしてあげていない……。現状を振り返ると、酷すぎて自分でも引くレベルだということに気づき、心の底から反省した……。
「……ご、ごちそうさまでした…」
とりあえず、真っ黒い謎の物体を完食し、部屋に戻ることにした至。
「……はぁ…」
コントローラーを握りしめ、口の中に残る苦味を感じながら、もう少しちゃんとした大人になろうと思うのだった。
次の日、たくさんのごめんなさいと遭遇するも、爽やかな優しい笑顔で接する姿は逆に恐怖を植えつけ、椋を涙目にさせた。
いただきまーす!
「……出かけるのか?」
ゆるっとした部屋着からおでかけさんかく服に着替えてきた姿を見て、声をかけたのは臣だった。そうだよー! と、応える声に、開いていた冷蔵庫の扉を閉じて歩み寄る。
「どこへ行くんだ?」
「さんかくのお菓子が新発売だよ〜って、かずが教えてくれたから、スーパーに買いに行くところ〜!」
「じゃあ、ついでに玉子と牛乳も買ってきてくれないか?」
「いいよ〜!」
気持ちのいい返事が聞けて安堵する臣。おつかいのお礼に、今日の夕飯は三角のリクエストに応えてくれるらしい。出かける準備をしながら、あれやこれやと候補を出していけば、二人して自然と頬が緩んでしまう。
「じゃあ、頼んだぞ」
玄関の扉を開ける前、お見送りしてくれた臣にかけた言葉。
「……いただきまーす!」
ん? という間抜けな顔と、あれ? という不思議そうな顔。
「ちょっとまだ、夕飯には早くないか……?」
ほんの少しの間をあけて、気づいた臣が笑いながら返す。ちょっとだけ頬を赤くしながら、恥ずかしそうに笑ってごまかす三角。
「えへへ……ご飯のお話してたから〜、間違えちゃった〜!」
聞こえる笑い声は心地よくてあったかい。
「じゃあ、改めて……行ってらっしゃい」
「行ってきまーす!」
「気をつけてな」
「はーい!」
今日もまた、寮のどこかで。
作業用しあわせ
談話室に人が集まるとソファが空いていないことがある。そんな時は、ソファのうしろに腰を下ろして、いつもと違う楽しみ方があることを三角は知っている。
「あ、ひそかだ〜」
「……ソファ空いてない」
「かわりましょうか?」
背中で聞いていた臣が振り向き、優しく微笑みながら声をかけた。先程までずっとキッチンで立ちっぱなしだった臣。それをちゃんと理解している三角の『大丈夫だよ〜、おみは座っててね〜!』という言葉に密も頷く。
「おみもね、おはなし聞いててもいいよ〜」
「いいよ……」
「一緒におはなししてもいいよ〜!」
「うん……」
可愛い提案に思わず頬が緩んでしまう臣だったが、数分前に子犬のような目をした至から『臣、どうしよう……ボタンが……ボタンが……』と、ワイシャツのボタン付けを頼まれていたので、早めに済ませてしまおうと思い、笑顔で頷くだけにしてゆっくりと背中を向けた。
「ひそか、今日はなにしたの〜?」
「……寝た」
「なに食べたの〜?」
「マシュマロ……食べた」
「いい一日ですねぇ〜」
「うん」
背中で繰り広げられる穏やかな会話に、時たま体を震わせながら針と糸を通していると、臣の隣に座って、分からないところを教えてもらいながら真剣に課題をしていた九門と紬がダイニングテーブルの方へ移動しようと立ち上がった。
「これは? ……にゃ、にゃう〜……にゃあ〜……」
「いつも隣の家の塀で寝てる、黒い猫」
「せいかーい!」
ソファが空いたと声をかけようにも、かけられないほど話が盛り上がっていたから。たくさんのほっこりを感じているうちに、席が埋まってしまった。
「臣……かわいい顔して、どうしたの?」
にっこりと笑う東が臣の隣に腰掛ける。俺じゃなくて……と、目線を向けた先の二人は、近所の猫のモノマネをして遊んでいた。
「じゃあ、これ……」
「あ! 中庭に遊びに来る、白い猫さんだ〜!」
「あたり」
「その猫さんねぇ〜、寝てるひそかの上で、寝るのがすき〜って言ってたよ〜」
「オレも。あったかいから好き」
「じゃあ今度、オレがひそかにくっついて寝てあげる!」
「……三角、寝相悪いからいい」
「えぇ〜」
ゆったりと落ち着いた会話のリズムで広がる、穏やかでほんわかした二人の世界。東も臣も、背中に広がるあったかい空気を心地よいと感じなから、ふっと溢れてしまうような笑い声を咲かせていた。
ボタン付けは、まだまだ時間が、かかりそうです。
あったかそうな人とつめたそうな人
「……さむ〜っ!」
ただいまと一緒に帰ってきた、寒いという言葉。談話室には、あったかいという言葉を連れてくる。誰かが帰ってくる度に見られる同じような反応。ほっこりする光景に微笑んだ臣は、手元の鈎針に目線を戻した。
「おみ、できた〜?」
「うーん……もう少しかかるな」
お手洗いから戻ってきた三角。臣の隣に腰を下ろして、慣れた手つきで生み出される綺麗な編み目を見つめている。静かで穏やかな日常の中、また寒いという言葉と共に玄関の扉が開く音がした。
「はぁ〜……談話室あったかいッス〜!」
「たいち、おかえり〜」
「おかえり。作っておいたスープがあるけど……飲むか?」
「飲む飲む!」
「のむのむ〜!」
スープを温めようと手を止めて立ち上がった臣を座らせ、キッチンへ向かう二人。少しだけ寂しくなったソファを独り占めする臣。ふわふわといいにおいが部屋を包んだ頃、また扉が開く音がした。
「わぁ……あったかい」
三人のおかえりに迎えられて、ただいまを返す椋。いいにおいの正体をスープだと教えてもらい、用意した3つのスープカップが4つに増えた。
「むく、座っていいよ〜」
「三角さんが座ってください!」
「じゃあ、むくはオレの膝の上〜!」
「わっ……!」
ぎゅっと回された腕に逆らうことも必要もなく、流れるように三角の膝の上にちょこんと座ることになった椋。少し照れながらも、人数分行き渡ったスープを口にして、ありがとうとおいしいねとあったかいねを混ぜながら楽しむのだった。
「……狭くないか?」
反対側のソファに誰も座っていないことが気になっていた臣。気を使わせているなら申し訳ないなと声に出した疑問は、スープと共に飲干されてしまった。
「おみは狭い〜?」
「俺は大丈夫だが……」
「なら、俺っち臣クンにくっついていたいな!」
「オレもー!」
「ぼ、ボクも!」
わざと臣にもたれかかるようにくっつく三角と太一。どうしようか戸惑う椋を三角がもう一度ぎゅっと抱きしめた時、談話室の扉が開く音がした。
「ただいま」
おかえりなさいで迎えたのは、反対側のソファを見て不思議そうに腰掛けた丞だった。少し体を動かしていたらしく、暑いぐらいなのでスープは夕食の時でいいと太一の声掛けを断った。
「……丞、人気ないね」
その後すぐに談話室に入ってきた紬。二つのソファを見比べて、本人がこれまでも聞いたことがなく今後もまた聞くことの無いであろう言葉を投げつけた。
「うるさい」
「でも、分かるなあ。臣くんって、あったかそうだよね」
「寒いなら体を動かせばいいだろ」
「丞は言うことがあったかくないよね」
「……お前もな」
丞の方へ行った方がいいのか、そうすると臣に対して失礼じゃないか、考え過ぎな椋の思考は『たすくとつむぎは、仲良しだね〜』という三角の言葉で止まってしまった。
「同じぐらいガタイはいいけど……なんか、丞サンより臣クンの方があったかいイメージがあるッス!」
「きっと、臣さんはあったかいご飯のイメージがあるからだと思います……!」
「それはそうかもな」
「ほんとは丞って体温が高いから…意外とあったかいんだけどね」
「意外とは余計だ」
まったりとした会話を繰り広げながら過ごす時間。次に扉を開けたのは、お腹の音を鳴らしながらやってきた至だった。
「……え、派閥?」
至がソファを見て憐れみの視線をぶつけると、呆れた顔の丞が溜息をついた。三角が温めてくれたスープを受け取って丞の隣に腰を下ろす。ホッと一息つきながら小さな幸せを感じつつ、慰めるように丞の肩をポンポンと優しく叩いた。
「やめろ」
「ごめんごめん……コレね?」
椋のように膝の上に乗ってあげようと向けた背中を押し返されてしまった至。『やっぱり丞は冷たいね』と、笑いながらからかう紬はいたずら好きな子供のような幼さを纏っていた。
「……今日も、あったかいですねぇ〜」
ポツリと呟いた言葉は、下がり続ける気温と肌を掠める冷たい風には似合わないかもしれないけれど……この場所にいると、妙に納得のいく言葉だった。