【時計の話】――終わらない物語を。共に、紡ごう。
「まあまあ……時計がいっぱいね」
「それはまあ、時計屋ですからねえ」
秋の足音が聞こえ始める、神無月の終わり頃。
黒地に桜模様の着物ドレスを身に纏う白狐の獣人族の少女と、
その従者たる青猫の妖しの女性が、城下のとある時計屋さんの前で足を止めた。
新種の腕時計に懐中時計、果ては鳩時計まで。様々な時計が同じ時刻を指し示し、また一秒と、時を刻んでいく。
無機質に、規則的に。この世界の時を刻む針の音が、硝子越しに響く。
「……わざわざ足を止める程に、珍しいものですかねえ。
あなたの故郷では、時計はあまり見かけませんでしたか?」
「ええ、日時計と水時計くらいしかなかったかしら。
だから、腕時計とか鳩時計とか、はじめて見た時は驚いたわね」
楽しげに笑う少女とは対照的に、隣の青猫は小さな溜息をひとつ吐いて、時計から視線を逸らす。
そんな珍しい青猫の様子に――いつも穏やかな彼女の、アンニュイな姿は珍しいのだ――、
狐の少女は視線を青猫へと向けて、小首を傾げた。
ふわり。少女が両手で抱える紙袋から、たい焼きの香ばしい薫りが漂う。
「便利、ですかねえ? 時計など、邪魔なだけではありませんか。
常に過ぎ行く時間に縛られ、一分一秒を意識させられ。
自由に動くこともままならなくなり、後悔ばかりが増えていく。
そうして、――花の美しささえも、いつしか忘れてしまうこともある。
枷でしかないのですよ、時計なんて、ね」
「私は嫌いですよ、時計なんて」
言葉を告げた青猫は、眉根を寄せて、再び大きな溜息を一つ。
トン、トトン。視線を逸らしたままの彼女の尻尾が、ディスプレイの硝子を叩き、時計の音を乱す。
――時の流れを知るからこそ、人は自由に動けなくなり、後悔ばかりが増えていく。
それはまるで、"彼女"が経験したかのようで。彼女の珍しい、……本当の言葉で、あるようで。
狐の少女は「そう」、と。ただ小さく、笑ってみせる。
けれど、それでも。同じ国に住まう"家族"の淋しさは、自分も分かち合いたいと思ったから。
「私は、時計って好きよ?」
「自由なあなたに、このような無粋なものは似合いませんよ」
「でも、ただ流れるだけの時間って……振り返ったとき、やっぱり、淋しいものだし」
「自由に動けたって、後悔ばかりが、どうしたって増えるものじゃないの?」
微笑みに緩んだ紫青の瞳は在りし日の長すぎる過去を見つめるのか。
そんな風に言って笑った少女を、じいと、青猫の蒼の双眸が、見返す。
――自由であるからこそ、増える後悔もある。増えた後悔がある。
それはきっと、"少女"が経験した、本当の言葉であるものだから。
青猫の女性は、「そうですか」と。ただ小さく、苦笑してみせた。
いつも笑ってばかりのこの狐の少女は、気の遠くなるほどに、長く生きているらしい。
普段の言動からは感じさせない少女の昔話を、青猫もまた、思い出して。
それはきっと、……自分と同じ淋しさに似ているのだろうと。
彼女も思うからこそ、否定は出来ずに、静かに言葉を待つ。
「きっとね、時間はどうしたって流れるのよ。朝が来て、夜が来て、どうしたって、また朝が来る。
淋しくても楽しくても、哀しくても辛くても、自分勝手に未来は、現在にやってくるのよ。
それなら私は――ただ無闇に過ごしたくはないわ。心に刻んで、過ぎた出来事を、全て抱きしめていたい。
確かに時には拘束性がある。けれど、心は、自由でしょう?」
残酷なまでに流れてしまうからこそに、その時の儚さを知り、心に刻んでいく。
それはきっと、振り返ったときに、思い出せるように。
思い出をできるだけ長く忘れないように、……全てがまるで、何も無かったことに、ならぬように。
カチ、カチ、カチリ。また一つ、正確なまでに時を刻んだ時計たちが、無機質な音を鳴らして、針を進める。
それはまるで。二人が此処にいる時間を数えるかのように、刻み行くかのように。
「時間を意識せずに、気付いたら一日が終わってるなんて、随分と淋しい話だわ。
それなら私は、一日が終わっていくことを、この国の皆と感じたい。みんなと、歩きたい。
花の綺麗さ、空の青さ、勝ち戦の嬉しさだけでなく、負け戦の悔しさだって、全て。
私は忘れないで刻んで行きたい。後悔や失敗も、……淋しい別れさえも抱えて、生きていきたいのよ」
――あなたは、違うのかしら?
にっこりと。そういって笑う少女があまりにも、楽しそうに、笑うものだから。
「無鉄砲で目の離せない君主殿の一歩後ろを歩く。その至福の日々を刻んでくれるのならば、まあ。
時計も案外悪くはないのかもしれません」
本日三度目の――苦笑交じりの青猫の溜息は、ひゅるりと吹いた秋風に、淡く溶けた。
行き交う雑踏。賑やかなお喋り。花の美しさ。……こうして言葉を交わす、その瞬間。
その全てがただ、流れ行くものだとするのならば。ただ、忘れるばかりの過去になってしまうのならば。
ねえ、それではあまりにも哀しいから、淋しいから――終わらない物語を、共に紡いで生きましょう。
カチ、カチ、カチ。――そうして、どうしたって未来は、やってくるのだから。
「きっとね。人が生きていくのに必要なのは。美味しいご飯と、それを一緒に食べる誰かと。
――刻み積もった思い出達なんじゃないかなって、私は思うのよ」