【すきすき、だいすき】
「ありがとう! だいすき!」
――彼女の言う“だいすき”は、少々安っぽい気がする。
ぎゅうっと腰のあたりに抱き付いてくる少女を見下ろしながら、
青猫の女性が小さく息をついた。
季節は冬。ちらほらと降る雪が、城下の街並みを、吐いた息を、白く染め上げる頃合い。
「三時のおやつに食べたいものがあるの」と白狐の少女に手を引かれて街へ連れ出された青猫は、
手に持っていた紙袋を差し出しながら、もう片方の手で少女を自分から引きはがした。
ぱちりと瞳を瞬かせた少女を、眉をひそめた青猫が見返す。
「……大袈裟な。城下の者に顔の割れている姫様の代わりに、おやつを買ってきただけでしょう。
礼を言われるようなことではありませんよ」
「十分『言われるようなこと』なのだけれど……。まあいいわ。お部屋に帰りましょ?」
ご機嫌な様子で紙袋――彼女の好物である、たい焼きの詰まったものだ――を受け取った少女は、
青猫の女の手を引いて、再び歩き出す。
互いの指先から伝わる温度は、冬の気温も相まってか温かく、……本当に困ったものだと青猫は思った。
(……というか、何故、こんなにも彼女に懐かれているのだろうか)
少女に手を引かれるままに歩を進めながら、青猫はしばし自分の記憶を遡る。
彼女との出会いは少し前。自由気ままな一人旅をしていて、なんとなくこの国に流れ着いた折のこと。
『もしよかったら、遊びにいらっしゃらない?』と無邪気な手紙と一緒に支度金を送られた上に、
誘いを否定する理由は特に見つからなかった……、とまあ、そんな深い意味のない出会いだ。
(それがまさか、この国を治める君主殿のお誘いとは……)
「ねえ、また難しい考え事をしているの?」
青猫の考え事を遮ったのは、少女の楽しげな声。
繋いでいた手を放すようにしながら振り返った少女は、
好奇心を潜めた紫青の瞳を細めて、薄い唇に弧を描く。
結わずに後ろへと流された白雪色の長い髪は、煌めく絹にも、降り落つ雪にも似た色をしていて。
頭上にピンと立っている同色の狐耳や、お尻のあたりでゆらり、ゆるりと揺れている尻尾が、
彼女が狐の獣人族であることを示している。
(だから、私を見ても驚かなかったのかもしれない)
髪色と同じ夜色をした猫耳を冷気に震わせ、舞い遊ぶ白雪を二本の尻尾で受け止めながら、
青猫の女は緩やかに首を振る。
「他愛のないことです。それよりも、姫様はもう少し言葉に気を付けたほうが宜しいのでは?」
「言葉? ……私の言葉遣い、おかしい?」
「おかしくはありませんが、……ええと、そうですね……」
不思議そうに首をかしげる少女を見ながら、どう説明したものかと青猫は思う。
彼女の言葉遣いはおかしいどころか、とても綺麗なものだ。子供とは思えない落ち着きだって孕んでいる。
……けしておかしいわけじゃない。ただ、自分が言いたいのは……、
「他者に対して“大好き”などと、あまり言わないほうが良いのではと思いまして」
「? それは、どうして?」
「どうしてって……そういった言葉は、大切な人に向けて使うものであって。
あまり安易に使うと、相手に誤解を与えかねませんし……」
「あら、心外ね。遺憾の意を表明します! ……私だって、ちゃんと言う相手は選んでるのよ。
兄様もだけど、あなたのことだって大切なんだから」
小さく頬を膨らませて抗議をしてくる少女に、青猫は一度大きく瞳を瞬かせて、少女から視線をそらす。
ほんのりと目元を赤らめて、片方の猫耳を僅かに下へ傾けているのは、言われ慣れてはいないからだろうか。
そんな彼女を見上げていた白狐の少女は、満足そうに笑みを深めてから、再び青猫の手を引いて歩き出した。
「私、あなたに出会えてとっても嬉しいわ。でも同じくらいに、寂しいの」
「……何故です? 私に落ち度があるのなら、すぐに直しますが」
「落ち度なんかないわ。あなたはとっても優秀な人。
でもね。出会えたということは、別れまでのカウントダウンが始まったことでもある気がするから」
告げながら。随分と悲観的で、後ろ向きなことを言っていると、少女は思う。
けれども、後ろを歩いている彼女が否定をしないのは、未来なんて誰にもわからないからだろう。
だから少女は、言葉を続けた。
「……だからね。いつ、どんな形になってもいいように、私は告げるようにしているの。
一人で振り返った時、伝えたくても言えなかった思いがないように。
ありがとうも、大好きだって……ちょっと恥ずかしくても、後悔するよりは何倍もいいわ」
「理屈はわかりましたが。それって、ただの好意の押し付けじゃありませんかね」
「知ってる。だから、あなたが嫌ならもう言わないわ。……嫌かしら?」
深い息を吐き出しながら、後ろは振り向かずに、少女がたずねる。
風に揺れる白雪色の髪が、雲間から零れる日の光をきらりと反射するのを
眩しそうに見つめながら、後ろを歩く青猫が口を開き――……。
「お好きにどうぞ。……私はきっと、あなたのようにはなれませんがね」
【すきすき、だいすき】
「……やったあ! だいすき!」
「……っ!? 言うのは構いませんけれど、往来で抱き付くのは止めて頂けませんかね」
「? どうして? これもおかしい?」
「おかしいというか、はず……、ああ、もういいです。もう好きにしてください」