溺死 made in others人のイメージ
快活とか朗らかとかクール、気取りや、怠け者……
そういう言葉で表せる部分ってある程度自分の行動にともなってはいるけれど自分で作れるものではないと思う
いくら善行を積んだところで誰にも見られてなければその人に善人というレッテルが貼られることはない
それが良いことか悪いことかは今の話題とは論点に差異があるから置いておいて
何が言いたいかというとその人がどんな印象を持たれてどんなふうに扱われるか決まる要因となるものは“本人の言動を(部分的に)見た他人”の視点で決まっているということ
内側からインクがにじみ出てるのではなく外側から無数のカラーボールを投げつけられている状態であるということ
その中には本人が望まない色もあるだろう。“常識とは18歳までに身に着けたエゴのコレクション”という言葉もあるくらいだし
他人の評価が気になって努力して、結局自分が何をしたいのかわからなくなることもよくある
足元に落ちて潰れているカラーボールと鏡に写った結局何色にも慣れていない自分を見るとひどく虚しくてやるせなくなる
いっそのことカラーボールの水溜りにずぶずぶ沈んで誰の目にも届かない場所に行ってしまいたい
皆が作った私の中で本当の私は溺死して