愛す可し ぽかぽかとしてそろそろ暖かくなってきた昼下がり。縁側で座っているぼくの元へと亜双義がひょっこりと現れた。久しぶりだな、と挨拶を交わした彼はぼくの隣へ腰かけるとそら、と手土産だとみかんを置いた。
「庭にいるからこちらから入るといいと言われたのだ」
「あぁ」
ぼくの奥さんはちょうど買い物に出たところだったので、亜双義はぼくの居場所を教えてもらって裏から入ってきたようだ。
「ちょっと待っててくれ」
座布団を取ってくるよ、とぼくは抱いている赤子を亜双義に渡す。亜双義は赤子を抱えて、立ち上がるとゆらゆらと揺れる。
「もう何か月だ?」
「やっと6か月だよ」
そうか、と頷いて子どもを上下に揺らして亜双義は赤子をあやす。ついこの前まではまだ首もすわっていない子を抱くのに怖がって、ひどくたどたどしい動きだったのにもうすっかり慣れたものだ。時折、こうして亜双義はぼくの家へ訪れる。仕事が忙しくないときに限るのだが。
部屋の奥から座布団を持ってきたが、赤子は座ろうとするたびに泣こうとするものだから亜双義はいつまで経っても立ったままだった。代ろうかと尋ねたが大丈夫だと彼は首を振る。
「この前見た時より髪が伸びていないか?」
「伸びたよ。そうそう、歯ももうすぐ生えてきそうなんだ」
「子どもの成長というものは早いな。前に抱いた時より重くなっているし……」
赤子のふわふわとした毛を撫でつける。あーあー、という子の意味の成さない言葉に亜双義は律儀に答える。あい、はい、あいと返事のような応酬を繰り返し、ぼくの娘はけたけたと笑う。
「おしゃべりしてもらってよかったな」
「ふふふ」
愛らしいな、と目を細めて亜双義が赤ん坊に頬を寄せる。小さな手が亜双義の黒い髪をつかむ。
「キサマの匂いがするな」
「どんな匂いだよ」
「そうだな。あまくてやさしい、そんな匂いだ」
本当に可愛いと、小さな鼻を指でちょこんと触れる。
「道行く人もこの子を見て可愛い可愛いっていうんだ。この子はどうやら可愛いみたいだ」
「親ばか、と言いたいところだが確かに可愛いな」
亜双義は大きなどんぐり眼な目と、鼻はぼくにそっくりだといった。ぼくみたいに目だけでおしゃべりするようになったらどうしようか。
「キサマは目だけで喋っているわけではないから大丈夫だ。勝手に口から言葉が出ているだけだからな」
ふたり、目を見合わせてけらけらと笑う。目元に刻まれた皺は幾分かふたりが年を取ったことを示していたがその笑い声は学生であったこととなんら変わらなかった。
「可愛いというのは愛す可し、と書くらしい」
「へぇ」
「キサマの子だ。愛すべき存在なのは当然だろう」
ふくふくとした指先を懸命に伸ばして掴んだ玩具を赤子はすかさず口の中に入れる。やわやわと食むがどんどんとそれは口から外れていき、仕舞にぽとりと赤子の手から落ちた。もう一度掴ませてみるがうまくはいかず、あーあーと小さな声をあげて、いやいやとばかりに首を振って父親の肩口に顔を押し付ける。
「歯が生えてきそうだからかむずむずするみたいなんだ」
最近、色んなものを噛もうとして困っちゃうよ、とぼくが笑う。
亜双義は落ちた玩具を拾い上げて、ぼくらの様子を眺めていた。やさしい表情だった。人差し指をゆっくりと赤子に伸ばす。赤子は亜双義の指をつかむとぎゅっと、そのまま自分の口元へと引き寄せる。
「だめ」
少し唇が動いてぱっと赤子は手を離す。今度は自身の指を口元へと持っていく。
「眠くなってきたみたいだ」
この子は眠くなると指を吸うのだと亜双義に教えてあげる。吸う指はなぜだか左は気に入らなくて、右手がよいらしい。
「右手を吸い出すと眠る合図なんだ」
そう話しているといつの間にか目を閉じてすやすやと眠りについていた。床に寝かせてやるとすぐ起きてしまうので抱いたまま、ゆっくり腰を落とす。
「みかん食べるか?」
「うん」
手を離せないだろうから、と亜双義は持ってきてくれたみかんの皮を剥いてくれた。そら、と言ってぼくの口元にみかんをひとつ持ってくる。亜双義の指先からみかんをひとつ、食む。もぐもぐと咀嚼し終わるともうひとつ亜双義が食べさせてくれる。
「うまいか?」
「うん」
残ったみかんを口に放り込んで亜双義ももぐもぐと食べる。甘いな、と亜双義もつぶやく。
「もうすぐ、ご飯も食べるようになるのか?」
「あぁ。うん。まだお乳だけど。そろそろかな」
「そうなるとまた大変だな」
「そうだね」
そんな会話をぽつぽつ繰り返す。目を細めて遠くを見つめる亜双義の横顔は昔とちっとも変わらない。思わず、手を伸ばす。
「?どうした」
なんとなく、触れたくなったけど触れられなかった。起きてぐずりだした赤子に元気だなぁと亜双義は頭を撫でて微笑んだ。
その優しい表情にぼくはどうしてだか、なんだか泣き出したくなった。