冬はつとめて朱。紅。緋色。
真っ白な一面の雪の中にぽつりぽつぽつと真っ赤な色が点々と落ちていく。じくじくと痛みだした足元を見れば、爪先は真っ赤に染まっていた。
ぽとり。
落ちたのは椿の花だった。あぁ、ここは一体どこなのだろう。
*
昨夜遅くから降り積もった雪は街を一面覆いつくしていた。空はどんよりとした重苦しい灰色をしており、そこからちらちらと雪が降っていた。
土手の木の下。一面の真っ白な雪の上でまるで亜双義は眠っているかのように見えた。
「亜双義」
実際は目を閉じて寝っ転がっていただけみたいだったけど。ぼくが声をかけると亜双義がすぐにぱちりと目を開けて、寝転がったまま視線だけをこちらに寄越した。
「成歩堂」
こんなところでなにをしているんだと、男は言った。
「……それはこっちの台詞だよ」
真冬の早朝。通りを歩いているものはほとんどいなかった。雪もちらつく中で着物一枚きりの薄着。髪も服も体も雪塗れの亜双義に手を伸ばす。握った腕はひどく冷たかった。
「……わっ!」
腕をひいてやろうとすれば、いきなりぐいと亜双義にこちらの腕を引っ張られた。
驚いたぼくはそのまま頭から雪に飛び込んだ。慌てて体を起こせば亜双義がこちらを見てけらけらと愉快そうに笑っていた。
「なにするんだよ」
「いたずらだ」
ぼくは大きなため息をついて立ち上がる。亜双義はまだ無邪気に笑っていた。
「雪、ついてる」
「お前もだよ」
今度こそ腕をひいてきちんと亜双義を立ち上がらせる。子どもみたいにくすくす笑う亜双義に呆れながらも頭や体についている雪をはらってやる。
「風邪ひくよ」
ぼくと違って亜双義についていた雪はほとんど溶けて水になってしまっていた。髪も服もしっとりと濡れている。これでは体が冷えるだろう。ふと地面に目をやれば亜双義が裸足なことに気が付く。
亜双義の足先は酷い色をしていた。履物を探したがどうやら脱げたわけではなく、裸足でここまで来たようだ。
ぼくは自分の外套を亜双義にかけてやった。さっきこけたときに少し濡れたがないよりはましであろう。
「誰も来ないと思っていたんだ」
ぎゅ、と外套の合わせ目を握りしめて亜双義が言う。指先も白くて、すっかり冷たいや。ぼくはゆっくり指を撫でてやって、包んでやる。そこに息を吹きかけてやった。吐き出された息は外気で冷やされて、白く濁る。
「でも、誰か来るならキサマだろうと思っていた」
「そっか」
帰ろう、とぼくは背中を丸めて差し出した。亜双義は最初遠慮していたが裸足の男をこんな雪の中で歩かせられないと強く言えば観念したのか大人しくその背におさまってくれた。
「よいしょっと」
亜双義を背負って、まだ誰の足跡もついていない雪の道を踏みしめて歩き出す。二人分の体重が足跡となって残っていく。
吹く風はぴりぴりと肌を刺す。歩を進めるたびに吐き出された息が白くふわりと空へととけた。
いつの間にか、雪はやんでいた。
部屋についたぼくはまず風呂を準備することにした。風呂が準備できるまでに、お湯をたらいに入れて部屋まで持っていく。
亜双義のすっかり濡れていた着物は脱がせてぼくの着物と半纏を羽織らせる。火鉢も傍に置いておいた。
手拭いをたくさん準備して、風呂が沸くまでの間に亜双義の体をすっかり拭いてやった。髪をわしゃわしゃと乱雑に拭いてもされるがままの彼はまるでなにか猫とか犬みたいな動物のように思えた。
「凍傷になってなきゃいいけど」
たらいにはったお湯にぽちゃんと足をつけてやる。
「あぁ、気持ちがいいな」
目を細めてうっそりと亜双義がつぶやく。ぼくは彼の足をさすってやる。
「痛くないか?」
「ちょっとぴりぴりするが大丈夫だ」
よかった、そう言おうとしたらくしゅん、と亜双義ではなくぼくがしゃみをした。
ぽかんとしばらく目をまん丸くしてから口を開けた亜双義が「キサマも着替えた方がいいだろう」とぼくの頬をつるりと撫でた。
「うん、そうさせてもらうよ」
しばらくして風呂の準備ができたので亜双義は風呂にいった。ぼくも着替えることにした。さっきぼくに触れてくれた亜双義の手はまだ幾分か冷たいものだった。
風呂からあがった亜双義は、白かった顔色も元に戻っていた。頬は赤く色づきちゃんと温まってきたのがよく分かった。
「ちゃんと髪拭きなよ」
また乱雑に頭を拭いてやると「これではいつもと逆だな」と亜双義が言った。確かに普段はぼくに亜双義が世話を焼いていることが多いからなんだか新鮮な気持ちだ。
「薬、塗るから足出して」
「いい」
「だーめ」
座らせて、足先にたっぷりと薬を塗りこめていく。さっきに比べて触れた肌も随分と温まっていた。
「夢を見るんだ」
「夢?」
ぽつぽつと亜双義が語りだす。
「真っ白な世界で白装束を纏って。どこかも分からない道を行く。足先の感覚は冷たさから痛みへと変わってじきになにも感じなくなる。赤い点々を辿っていけばそれは椿の花なんだ」
ぼとりと落ちた赤い椿を辿って、白い道をただただ歩いていくという。
「夢……なんだよね?」
ぼくが尋ねると亜双義はあぁ、と。
「夢だ」
「そう。じゃあ次にそういう夢を見たらぼくも一緒に行くよ」
「夢なのにか?」
「うん、夢だけど」
「分かった」
ぼくのおかしな申し出に亜双義は笑うことなく真剣に、力強くうなずいた。
「なにがあってもオレはキサマを連れていく」
「ぼくもなにがあっても、お前についていくよ」
まっすぐに亜双義の目を見つめて、ぼくはそう告げた。
おしまい