卒業前桜が咲くにはまだ早く、春というにはまだ肌寒い。放課後の校庭には部活動をしている学生たちの姿が見える。
遠くの廊下から吹奏楽部の演奏が時折聞こえてくる。それ以外は静かなものだ。
卒業式を間近に控えたぼくら3年生は登校日以外に学校に来る必要はないのだけれども、ぼくと亜双義のふたりは学校に来ていた。
「うぅ……、なんだってわざわざこんな…」
「覚悟を決めろ、成歩堂龍一」
往生際が悪いぞ、とにぃっと亜双義が笑う。手にはピアッサー。これは、耳たぶに穴をあける道具だ。
ピアスの穴をあけるためだけにわざわざ学校に来たのだからまったくもっておかしな話だ。前々からそんなことを亜双義には言われていたけれども、学校でやる必要はないのではないのかしらん。それも、生徒会室で。
「大体、なんでわざわざこんなところで……」
「生徒会長の特権だ」
「元、だろ」
生徒会室の鍵のキーホルダーの輪っかに指を突っ込んでくるくると回すたびにちゃりちゃりと軽い金属音が鳴る。それを見ながらぼくが呆れたようにため息をつく。
「冷蔵庫があって、水も出る。まったく便利なところではないか」
この生徒会室には冷蔵庫やちょっとしたキッチンもあるし、奥には畳なんかもある。元々は用務員室か当直室だったところを生徒会室にしたようなのだ。
畳は撤去される予定だったらしいが、亜双義が生徒会長のときに尤もらしい理由をつけて残したようだ。しかしながら本人は冬にこたつを持ち込んでやろうと考えていた結果らしいのである。まったくとんでもない生徒会長殿だ。
「部外者がほいほい入ってよいものなの?」
「キサマだって元、書記様だろ?」
「まぁ、そうだけど」
ぼくも一応生徒会役員であったのだ。もっとも、華々しく演説をぶちあげて選挙を勝ち抜いて生徒会長になった亜双義とは違いぼくは対抗者もおらず信任投票であっさりと決まった役員なのだけど。亜双義に誘われ、半ば強引に出馬させられたのだがどうもあいつが裏で色々と手をまわしていたらしい。
と、いうわけで懐かしの生徒会室でぼくらふたりきりでピアスの穴をあけるために集まったのであった。
*
耳たぶに穴をあける前に耳たぶをよくよく冷やしておくのである。そうすると感覚が鈍って、痛みがましになる……らしい。
冷蔵庫の上の段の冷凍室にあるいったいいつからあるのか分からない、霜だらけの保冷剤で耳たぶを押さえながらそのときを待つ。
この保冷剤を使いたいがために冷蔵庫のある生徒会室を選んだのだろう。
もういいかと亜双義は尋ねるが、何度か耳たぶを触ってまだ感覚が残っているのでまだだと首を振る。
5度目の「もういいか?」にやっと覚悟を決めてぼくはうなずく。
「よし、」
椅子から立ち上がると亜双義はぼくに近づいてくる。手に持っているピアッサーがまるでぼくには銃のように思えた。
「ひ、ひとおもいにやってくれ」
「ちゃんと消毒してからな」
消毒液をコットンにつけて、耳たぶを消毒されていく。ひやりとした感覚がわずかに残る。
「いくぞ」
「う、うん……」
亜双義が軽めにピアッサーを握る。見ていられなくて、ぎゅと目をつぶる。あまりのぼくの怯えっぷりに亜双義が笑う気配を感じた。
笑うなよ、と言おうかと思った途端ばちん、という音と一緒に耳にぴりっとした痛みが走る。注射みたいだ。ぼくが一番嫌いな。
涙目になっているぼくにあれよあれよ、とピアスがつけられていく。鏡を見せられると左の耳にひとつ、赤い色。
「うぅ……本当にあいちまったんだな」
「さ、もう一発いくぞ」
「お前ちょっと楽しそうだな?」
「キサマも貫かれる痛みを知っておくのもいいと思うぞ」
にんまり笑って亜双義がぼくの反対の耳に手を添えた。ぼくはまた覚悟を決めて目を閉じた。
*
「さ、次はオレの番だ」
一思いにやってくれと亜双義が椅子に座る。そうなのだ。ぼくだけではなく亜双義もピアスの穴をあけたいのだというので今度はぼくが亜双義の耳に穴をあけねばなるまい。
消毒を済ませ、耳たぶに狙いを定めてピアッサーを挟む。
亜双義は目を閉じることなくぼくをじぃっと見つめている。
……そんなに見つめられると緊張するのだけれど。
震えないように、失敗しないように息を整える。鳶色の眼に不安そうなぼくが映る。
「どうした、成歩堂」
やってくれ、と亜双義が言う。
おそろいのピアスがつけたいのだと彼が言ったのだった。あれは、秋も終わって冬が間近に迫った頃だったか。そんなことを言い出すなんて不思議だったのだけれども。彼が望むのなら別にいいかとぼくは了承した。痛いのは嫌だったけれども。
「うん」
ぎゅ、と手に力を籠める。
ばちん、という音と一緒に「…っ」と亜双義の唇から小さな声が漏れる。
すぐに用意していたピアスをつけてやって、もうひとつの耳にも穴をあける。
鏡を見て、嬉しそうに亜双義が笑う。耳に光る小さな青を大事に。大事な、もののように何度も何度も眺めていた。
「なぁ」
聞いてもいいだろうか。お前はどうして学校を選んだのか。こんな場所でわざわざ、ピアスをあけるだなんて。
「今しかできないことをしたかっただけだ」
学生の特権だろう。場所は学校ならどこでもよかったが、ここが一番便利だったからだ。
「もうひとつ、学生の夢でもかなえてみるか?」
「えっ?」
そっ、と耳元でささやかれる。
「学校でヤるんだ」
「は?」
「成歩堂、オレを抱け」
放課後の教室、これほどそそるシチュエーションはないだろう?なんて、ネクタイを緩めながら亜双義がぼくに圧し掛かる。
「いや、そりゃあの、夢というかなんというか。そそる、ものはあるのだけれども……。い、いや! 誰か来たらどうするんだよ!」
「安心しろ。中からは鍵もかけれるし、生徒会室の鍵はオレが持つこの一本だけだ」
ちなみに、もう鍵はかけてあると亜双義。
「ネクタイで縛るか?」
「そ、そんなマニアックなのは遠慮しておきます」
「なんだ、つまらん」
ブレザーのボタンは外され、シャツのボタンも外されていく。(なんでぼくが亜双義に脱がされているのだろうか)
外気に晒された肌をつーと亜双義が指でなぞる。
ぼくばかり脱がされているのも癪なので、ぼくも亜双義のボタンを外していく。
その間に亜双義といえばぼくのベルトを抜き去りズボンをずらしていった。
「え、いや、待って。ちょっと!」
「なんだ」
待て、という割には…と亜双義がうっそうと笑う。ぼくの元気になり始めたそれを下着から解放すると手で暫く弄んだあと、躊躇いもなくぱくりとそこを口に入れた。
「!!!????」
こんなこと初めてである。一体、どうしたっていうのだ。
「亜双義!」
ぼくが彼の髪をつかんで押しとどめると不満をありありと滲ませながら顔をあげる。唾液なのかぼくから出たものなのか。なんらかのねばついた液体が彼の唇の端から零れ、それを亜双義は自分の指で拭う。
「なんでそんなに……」
焦っているのだろう。ピアスにしたって、今日の突然の行動にしたっておかしい。
ぼくはもう一度亜双義を見つめる。自信満々でいつもまっすぐぼくを見据える彼の瞳が揺れてそらされる。どうしてそんなに迷子みたいな目をしているんだ。
「亜双義。大丈夫だよ。ぼくら、離れても大丈夫だろう?」
「……っ」
頬を撫で、語り掛ける。卒業するとぼくらは別々の大学へ進学するのだ。
「お前って、意外と寂しがりやなんだな」
「うるさい」
小さな小さな声で彼が言う。かわいい。不謹慎ながらそう思った。
そりゃあ、ぼくだって寂しい。亜双義はどこへ行ったって魅力的な人間だ。彼のことを好きになる人間はたくさんいるだろう。
でも、お前と離れても大丈夫だって思えているのはお前のおかげなんだよ。
「亜双義」
ね、キスしよう? ぼくが言えばさっきお前のものを口にしたのにいいのかと問われる。そう言われるとアレだけど。ぼくは今すぐ亜双義とキスをしたいのだ。
言葉にしても伝わらないこの気持ちを唇にのせて全身全霊で伝えたい。
「ぼくはお前が好きだよ」
これからも、離れても、ずっと。
「……そういう心配はしてない」
「うん、知ってる」
唇に思いを込める。
やっぱり寂しいのだろう。柔らかなキスをしたあと、学生最後の夢のシチュエーションを叶えようとするか。
やっぱり放課後の学校でやるというのはなかなか魅力的なものなのだ。