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    ゆるしたあとのいたむあけぼの 昔、君の手に傷をつけてしまったことがある。今でも時々思い出す、後悔と畏怖の記憶だ。
     あの頃、私は君の兄を気取っていた。
     家で読書をするのが好きな君を、私はよく連れ出した。世情の安定しない時分だったから、君の家族も本当のところは子供を連れ出されることを望まなかっただろうが。
     君も私も、自分が生まれるよりも前の物語を好んだ。生まれるより前、つまりは革命の物語を。
     勇敢で何も恐れることのない革命の戦士たち。今考えれば、私たちは同じものを見ているようで少しずつ違ったものを見ていたのだろう。
     私は戦いの血と硝煙に焦がれた。君は身を捨てて祖国の礎となる者たちに憧れたのだろう。
     私たちには未来があった。革命はいまだ終わらず、途上なのだ。きっといつか、誰もが自分以外の何者にも隷属しない、自分自身の主人になれる日が来るのだと、単純に信じていた。
     あの頃を思い出すと、視界はいつも金色に染まる。夕暮れの眩い空気、つかの間あらゆるものが黄金色に包まれる瞬間、私たちは手を繋ぎ歩いた。
     君はまだ稚くて、その手は小さくて、守るべきものの形をしているように感じた。
     君の家に近い高台の上から、あたり一面の麦畑が見えた。金色に揺れる麦、風に靡いた君の髪。君の頬はふっくらとして赤く、白い首は絹の襟に柔らかく包まれて、飢えも悲しみも知らず、地上の幸福がそのまま集められたような美しい子供だった。
     けれど高台から麦畑を見下ろす君はいつもどこか憂いを帯びて、空色の瞳が遠かったこともよく覚えている。
     鳥が死んでいくことを墜ちるという。あの頃から君は自らの運命を悟っていたのかとさえ思う。
     君の手を引きゆく帰り道、金色の里道、傍らには麦が干され、君の側には小さな崖があった。君は寸時空を渡る雲雀を仰いだ。
    「明日も晴れだ」
     時折ひどく大人びた目をする君が、迷信をそのまま口に出したのが可愛くて私は笑った。
     君は少しへそを曲げて僕を見た。
     何か言おうとしたのだろう、口を開いた瞬間に君が傾いだ。
     たたらを踏む君に私は咄嗟に両手を伸べた。しかし助けることは適わず、君を抱きしめたまま、私は林道を転がり落ちた。
     私の腕に収まる君は本当に小さくて、幼いこの弟を絶対に離すまいと私は必死だった。私が離せばきっと君は大怪我を負ってしまうから。
     随分と長い時間落ちていた気がする。やっと平坦な場所に出て、私たちの体は止まった。体中のあちこちを潅木や茂みにぶつけて痛かった。だが私は君を離さなかった。
     そっと腕を緩めると、しがみついていた君は即座に私の顔を見上げた。
    「怪我は」
     言うべきことを先に言われて、私は気が緩んだ。平気だ、と強がろうとして足首がじんじんと痛むのに気がついた。
    「大したことない」
     君は明白にほっとした顔をする。青い目が揺れる。
     抱きしめた小さな体の脈拍が大きく響く。ああ、良かった、守れた。
    「君は?」
     聞くと、君は首を振った。
    「ありがとう」
     そう言って身を起こそうと地面に付いた君の手が、赤く濡れていた。
    「アンジョルラス!」
     私は驚いてその手を握る。ぬるりとした熱い感触。
    「大した怪我じゃない」
     君は泣きもせず淡々と口にする。左手の甲の指の付け根、人差し指から小指までぱっくりと肉が割れて、どくどくと血が溢れていた。
     私はひどく動揺した。こんなにも沢山の血が出る怪我を見たのは初めてだった。
    「駄目……。駄目だ、アンジョルラス、じっとして」
     私は君に懇願し、座らせた。君は静かな目でそれに従った。持っていたハンカチで傷を縛る私を、君はやはり静かに見ていた。私の動揺を落ち着けるのにそれ以上のものはない、と判断していたのだろう。
    「痛まないか?」
     君は平気だという。そんなはずはなかった。だが、君は一度そう言ったら頑として変えない性格だから、私もそれ以上は聞かなかった。
     私は君をおぶって帰った。自分の足の痛みなど忘れていた。ただ、君の家族に申し訳なくて、謝らなければと思っていた。
     君の家につくと、使用人たちが私の背から君を下ろし、消毒薬と包帯が飛び交った。いつになく嬉しげな使用人たちが、君のついでのように私の世話も焼いた。私はくすぐったいような、かえって身の置き所がないような心地がした。私がきちんと君を助けられていればこんな怪我などさせなかったのに、と考えていた。
     そのときだった。屋敷の奥から君のお爺様が現れ、君に会うなり打擲した。
     私は何が起きたかわからなかった。使用人たちが静まり返った。
     片手に杖を持って尚、君のお爺様は頑健だった。君の頬に、頭に、小さな背中に、節くれだって巌のような掌が幾度も振り下ろされた。
     大きな玄関に君を撲つ音だけが響いた。醜い傷を作って、恥晒しが、と低く唸る声が聞こえた。
     破れて泥だらけのシャツの隙間から見える白い肌が、撲たれた場所から赤くなり、紫の痣になっていく。耳を塞ぎたくなるほどの罵倒と折檻。私は磔にされたように動けなかった。
     私は見ていた。
     何度打たれても、小揺るぎもしない君の背中を。胸を張り、拳の前に堂々と立つ君の横顔を。君は泣きもせず、ひとつの言い訳も口にしなかった。
     君を守るだって?
    「強情なやつだ」
     君のお爺様が吐き捨てた。
    「おまえほど強情な子供を見たことがない。末は英雄か悪党か、どちらにせよ害悪だ」
     真一文字に結んだ唇、硬い意志を瞳に燃やして、君はお爺様を見上げていた。
     君は守られなければならないほど小さくか弱い存在ではありえなかった。誰より強く、誇り高く、君は君自身の王だった。
     打擲は勢いを増し、使用人たちは身を寄せ、誰もが凍りついたように動かなかった。私は怖くなった。
     無自覚のまま、私はふらつく足で君のお爺様の前に身を投げ出した。君とお爺様との間で挟まるように膝をついた。
    「僕が、悪いんです。僕がもっとしっかりしていれば、こんなことにはならなかったのに」
     つっかえながら口にした言葉は震えていた。もうほとんど泣きそうだった。これ以上の暴力は見ていられなかった。
     君の小さな手が、後ろから私の肩に置かれるのを感じた。振り仰ぐと、青い瞳とぶつかった。いいのだと言っているように見えた。そこにあったのは決して諦めではなかった。何物によっても曲げられぬ意志があった。圧倒的な破壊と暴力を前にしても、君の瞳は撓まない。
     何もかもが恐ろしかった。理不尽な暴力も、君の強さも。
     私はあのとき、初めて君に畏怖を覚えた。その一方で非常な引力で惹きつけられた。君は、強い。だからこそ守りたかった。守らなければならないと思った。
     君は君自身の強さゆえに、いつか斃れるのではないかと──、そう不吉な予感に囚われるに充分な出来事であったから。



     火薬と硝煙、そして埃の匂いがしていた。家具や敷石を組んで作られたバリケードからは黴や生活の匂いが立ち上り、この戦いに牧歌的な陰惨さを加えていた。
     バリケードはそう長く持たせる必要はないのだ。呼応した市民が立ち上がれば大きな革命となる。あくまで先鋒として作られ、大きな渦を待つためだけのものだ。
     逆に攻める側からすれば、圧倒的兵力と物量で、先鋒を素早く叩くのが最も有効な作戦になる。呼応せんとする市民の気力を挫けば良いのだ。ひとたび騒擾となればもはや市民は止まらない。であればその前に、抜きん出た者を見せしめとする。
     怯えが市民を覆えば、革命の気概など雲散霧消するだろう。
     学生であれ容赦せず、死をもって報いとする。それが蜂起に当たる総指揮官の、ひいては国家の方針だった。
     市民による革命は国家を転覆しうる。現在の施政府はその歴史の上に立っている。ゆえに警察は市民の中に多くの密偵を放ち、軍は鎮圧のために多大な兵力を割いた。
     兵士たちは久しぶりの「敵がいる」戦いで浮き足立っていた。戦功に逸る兵士たちを監視するのも私の役割だ。
     装備は十分すぎるほど、部隊の奥には大砲まで用意されていた。兵士たちは数を恃んで緩みがあり、敵を侮り、不要な嗜虐趣味に興ずる者もあった。国民軍の兵士たちは生まれたときから戦士として教育されたわけではない。敵には女性の労働者もいる。規律の徹底は急務であった。
     軍規の違反者は相応の処分を受け、戦線から外れた。それで成り立つほどに兵士の数は多かった。兵が多ければ逸脱する者も多い。当然の成り行きだった。
     今朝の段階で百名近くいると思われた叛徒であったが、兵士たちの勢いに押され、今は減っているだろう。中心になるのは学生と労働者たちだ。残された彼らは数こそ少ないが、理想に燃えて士気は高く、一時はこちらも防戦に回らざるを得なかった。彼らの指揮を取るのは間違いなくアンジョルラスだった。
     最初は信じられなかった。彼がパリで法律を学んでいるのは知っていた。職業柄、よからぬ連中と交わっているらしいことは聞いていたが、きっと麻疹のようなものだと決め付けていた。体制の批判と厭世主義は若さの特権だ。いつまでも若者ではいられない。いずれ目が覚めて、家族の元に戻るだろうと楽観していた。
     まさか叛徒を組織し蜂起するとは思わなかった。あまりに無謀だ。過去の事例を見ても、バリケードは性質上、最も死者が多い。ましてや呼応する市民の意志に任されているのであれば、市民に見放されれば犬死にとなる。
     野心は私たちの世代のものではない。それが分からないような愚かな男でもないと思っていた。
     血縁を断ち切り、見も知らぬ市民などという大きなもののために奔走するアンジョルラスが理解できなかった。だが、理解できないからと言って見捨ててしまえるほど私は非情にはなれない。彼の家族から秘密裏に手紙を受け取っていた。状況を質し、彼の救済を求める嘆願の手紙だった。
     アンジョルラス。君は、家族の元に帰るべきだ。
     どれほど多くの大人たちが、理想や志を秘め、そしてその志を胸の奥深くに沈めてきただろう。成長するとはそういうことだ。理想を失う痛みはいずれ諦めに変わる。
     可能であれば、できる限り欠けることなく学生たちを投降させる。説得が不可能であればアンジョルラスだけでもバリケードから連れ出す。
     総指揮官の方針とは異なるが、投降した敵を無碍にはできまい。公平な裁判の機会は万人に開かれている。少なくとも、アンジョルラスの家族ほどの財力があれば、息子を救うことは容易なはずだ。
     私は部隊の指揮を取りながらアンジョルラスに近づく術を探した。彼は軍の先頭にある私を目にして、大して驚きもしていないように見えた。祖国のために、彼は彼自身に纏わる全てのものを──家族や幼い日の思い出も、そこに確かにあった感情も──捨てたつもりでいるのだろう。だが、生きている人間にとってそれは可能なことなのだろうか?
     全てを断ち切り、過去へと置いてきたつもりでも、それらは必ず自分の後ろを附いてくる。影のようなものだ。普段は意識されないが、不意に視線を落とすと確かに足元にある。影を断ち切ることができるのはもはや人ならざるもの、神の範疇にある者だけだ。
     アンジョルラス。君は人間だ。だから早くそこから降りておいで。


     夜が更けた。サン・ドニ通りからずっと、バリケードを囲うように哨戒の兵を出した。家々の路地を伝いバリケードの内部の情報を探る。
     月の夜だった。あたりに住む人々はバリケードに加わったのか、あるいは戦いを避けて逃げたかのどちらかで、街は閑散としていた。
     本来であればこういった哨戒に尉官が出ることはあまりないのだが、今回は路地が細かく多岐に渡っていることから私が出ても不自然ではなかった。連絡用の兵を残し、哨戒の兵士たちと共にサン・ドニ通りから左右に分かれた。やがて彼らとも路地の半ばで別れる。
     まずはアンジョルラスに会って話をすることだ。バリケードの内部に侵入しても良い。危険ではあったが、万が一ほかの叛徒に見つかっても説得はできるだろう。出会い頭の攻撃であれば訓練を受けている私に利がある。
     家々の煉瓦が月明かりを受けて濡れていた。片手に拳銃を持ち、靴音に警戒しながら歩く。路地は暗く湿っていて、六月だというに、煉瓦に塗りこめられた冷気が昇ってくる。据えた臭いがする。
     どこももぬけの殻だった。普段であれば蟻のようにみっしりと人の詰った街だった。最低限の物を持ち出して逃げていく市民の姿が見えるようだった。革命の刃に酔うのも市民であれば、流血に臆病なのもまた市民なのだった。
     住人のいない家に踏み込むのは気が引けたが、どうせ大したものはないだろう。ついでに戦に乗じて一儲けを企む悪党の類を捕まえることもできるかもしれない。
     月光に反射するのは割られたガラスだ。打ち壊されて解体された家具たちは、今は窓の外でバリケードになっている。
     静かな夜だった。一度目の攻撃に失敗したあと、動くなという命令がきた。夜明けと共に一斉に砲撃する。市民が起き出してからのほうがより見せしめとしての舞台効果が高い。一瞬でバリケードは崩れるだろう。そして今後しばらくは革命を起こそうなどという輩が出るまい。
     残酷な作戦だ。それでも治安維持のために必要なことだ。
     彼らの理想を間違っているとは思わない。そんなことは誰にも言えない。共和政治を机上の空論だとする者もいる。私はそうは思わない。
     革命はいまだ途上だ。何百年もかけて構築された仕組みが、たった数十年で変わるものか。彼らは信じるべきだったのだ。この国には善きものへの復元力が備わっているのだから。
     私もまた、祖国を愛しているし、信じている。あと数年、十年か、その程度だ。いつか必ず革命の理想が果たされる日が来る。それを彼らは待つことができなかったのだ。
     アンジョルラス。君にならきっと分かるだろう。君は聡明だ。
     ある家の内部に入り、階段を横目にして一つ目の部屋に行こうとしたときだった。微かな物音がした。咄嗟に柱の影に隠れる。靴底で小さな破片を踏みしめる音。舌打ちをしたい気分だった。
     考え事に気をとられて、接近するまで人の気配に気づかないとは。
     何者か、もこちらに感づいて息を潜めていた。おそらく柱の向こうに寄り添うように立っている。
     月が窓から差している。窓に向かう形になるぶん、私が不利だ。先手を取られると非常にまずい。悟られないように撃鉄を起こす。
     向こうは躊躇っていた。私が誰なのか、敵なのか味方なのか判別がつかないのだろう。
     私も同様だ。この区画は私が哨戒することになっているから、兵士ではあり得ない。問題なのは、アンジョルラスかそうでないかだ。
     息を殺し、呼吸を整える。私のほうから出て行くことはできない。どうにかして彼が誰であるかを知らなければならない。
     直接訊くか? 答えは否だ。声を出せば隙が生まれる。この距離だ、先に攻撃されれば防御は難しい。
     私は途方に暮れた。迷う間に相手に攻撃の猶予を与えていることになるのだ。一体どうする?
     そのときだった。屋外で一つ高く銃声が響いた。私は驚き、瞬間、窓を見る。柱の向こうの何者か、の身体も震えた。
     彼の左手が月光の元に晒される。人差し指から小指までを横切る、手の甲の深い傷痕。
     思わず彼のその手を取った。これほど大きく、特徴的な傷を持つ人間がバリケードの中に複数いるとは考えにくい。
     アンジョルラス。
     彼は凍りついたように動かなかった。この挙動で、彼にも私が誰であるか分かったろう。何のためにこんなことをしたのかも理解するはずだ。
     あれほど会うことを望んでいたのに、いざ彼を前にすると言葉が出てこなかった。そもそも説得する言葉を持ち合わせていなかったことに気がついた。
     バリケードを境に私と対峙した彼はあまりに平然としていた。せめて感情が揺れていたなら、いくらも声のかけようがあったろうに。
     私は深呼吸する。窓の外の銃声は──、あれは、軍で用いている銃の音ではなかった。続けての攻撃もなかった。哨戒に出ている兵の誰かが見つかって、威嚇射撃をされたのだろう。間抜けなやつだ。
     私はようやく口を開いた。
    「アンジョルラス……」
     小さく呼んだ。彼は返事をしなかった。微動だにせず、私に手を捉まれるに任せていた。
     月光に照らされた手には醜い傷痕の他に、新たに出来たらしい細かい傷が散見された。爪の間は黒く埋まって、点々と赤いものが混ざる。ああ、人殺しの手だ。
     暗い帳が視界を覆っていくのを感じた。白く小さかった手は、ごつごつした大きな男の手になって、今は武器を握り、人を殺す。
     こんな風になってほしいわけではなかった。君の未来は明るく、大きく拓けていたはずなのに。
     彼の手を力の限り握り締めていた。彼はもう踏み込んだのだ。彼の名は叛徒として祖国の歴史に残る。大義なき戦いは殺人だ。紛うかたなき祖国への反乱者として、ただの殺人者として、彼の名は記される。
     どうしてたった数年を待てなかった。どうして祖国を信じきることができなかった。無意味な問いが頭の中を駆け巡り、過ぎ去っていく。
     一瞬で煮えた血が、ゆっくりと体内に戻り始めた。胸が痛い。悲しいのか、苦しいのか、憤っているのか。分からなかった。
     私は君を救いたかった。君の親に頼まれたからじゃない、私自身の意志として、君を助けたかったんだ。
     感情が嵐のように去来する。私は息を吐いた。呼気が熱い。月明かりの中の彼の手を見つめる。私がつけた、大きく醜い傷痕。
     彼の手を握る力を緩める。彼の手を下から掬うように取って、持ち上げる。
     私の手は震えていた。彼の手の甲、露わになった傷痕を優しく親指の腹で撫でる。
     私は顔を伏せ、その傷痕にキスをした。唇を離し、小さく囁く。
    「……逃げてくれ……」
     輪郭のぼやけた声は、月光に溶けて消えた。
     彼は何も言わなかった。私はゆっくりと頭をあげる。彼の表情は逆光で分からない。
     不意に、彼の手が動いた。私の手を握り返す。
    「……息災に」
     すばやく口にされた言葉を咀嚼する間もなかった。
     彼はさっと自分の手を抜き取り、身を翻した。窓に飛びつき、ひらりと身を躍らせる。そのまま地面に着地し、バリケードの奥へと走り去った。一顧だにしなかった。
     光の粒子が彼のなびく金髪を覆っているように見えた。赤い上着の背中は伸びて鮮やかに、恐れるものなど何もないかのようだった。強大な力を向こうに回して、小揺るぎもしない彼の背中。
     私はその場に縛り付けられたようだった。
    ──そう、何者も君の意志を撓めることは不可能だ。君は誰より、君自身の王なのだから。
     君は本当は、何も変わっていないのだろうか。
     君の目が悲しみに暮れることがあるのだろうか。背を丸めて泣くことがあるのだろうか。すべての願いが失われ、瞳が絶望に曇ることなどあるのだろうか。
     もしもあるのなら、そのとき私に何ができる?
     そう考えて、我ながら自嘲せざるを得なかった。私はまだ君を救いたいと思っているのだ。
     月が西に傾き始めていた。あと数時間後には夜明けと共に総攻撃が始まるはずだ。
     私は彼のようにはなれない。幼い日の思い出を捨てることが、私にはできない。私は地を這い、影を持つ人間なのだ。
     アンジョルラス。もう少しでいいから、私に足掻かせてくれないか。君を救うことができるのだと、夢を見させてくれないか。

     どうか今度こそ、私に君を守らせてくれ。
    ユバ Link Message Mute
    2019/11/27 10:30:01

    ゆるしたあとのいたむあけぼの

    映画レミゼより。オフィサーハードリーから見たアーロンアンジョの話。
    この2人はかなり近しい関係という設定とのことなので書いたもの。

    別れぎは連隊旗手にくちづけをゆるしたあとのいたむあけぼの / 塚本邦雄

    #レ・ミゼラブル #アンジョルラス

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