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    催眠術にかけられるジャベールの話 雨の降る夜だった。本当はこんなに長居をするつもりなどなかった。
     私は窓の外を眺める。ぴかりと稲光、モントルイユの町が瞬間、明るくなる。続く雷鳴。
    「さあ、皆さん、余興を始めましょう」
     女主人が高らかに宣言する。参加者の紳士らが口々に賛成する。
     街の中心部にある邸宅だった。月に一度、名士やブルジョワが集い食事会をする。
     私も幾度も声をかけられたが、断ってきた。しかし市長の身になって、とうとう断り切れなくなったのだ。
     品がよくウィットに富んだ会話、どこからか漂う馥郁たる香り、ぬめるようなシルクの衣擦れ、どれをとっても私には馴染みのないものだった。
     市長様、と呼ばれるたびに私はぎこちなく笑みを浮かべた。
     彼らはそれを知っているかのように、微笑んで静かに囁きかけるのだ。いやそれは、私の勘違いなのかもしれない。思い過ごしなのだろう。
     そうして味のしない夕餉を食べたあと、外が急に騒がしくなってきた。嵐だった。
    「嫌だわ……。すべての窓を閉じてちょうだい」
     女主人は顔を顰めて使用人に命じる。間もなく、稲妻が走るようになった。
    「これでは帰れませんな」
     街で最も成功した商人でもあるA氏が笑った。
    「どうですかな、みなさん、雨が止むまでカードゲームでもしますか」
    「いや、私は……」
     帰らせてほしい、とそう言うつもりだった。しかしそのとき、女主人が何かを思いついた顔をした。
    「それなら、ちょうど良い余興がありますわ」

     このたび雇い入れた使用人に、東洋から来た楽師がおりますの。
     その楽師が、なんでも催眠術を使えるとかなんとか……。

     すぐにその楽師が席に呼ばれた。確かに彼は異国的な顔をしている男だった。肌は浅黒く、ほのかに香辛料の匂いがした。
    「では、誰が催眠術にかけられるかですな」
    「私は男性が良いと思います。女性には隠したいこともあるでしょうから」
    「おや、まるであなたには隠し事がないかのような言葉だ」
     B氏がそう言うと笑いがさざ波のように広がった。
     私は、自分が指名されないように祈った。突然現れて工場を起こし、市長にまでなった私を彼らが必ずしも良く思っているわけではないと知っている。
    「市長様」
     女主人の涼やかな声がする。私は身を強張らせた。
    「あなたの護衛……、警察の方だったかしら。その方を呼んでくださる?」
     意外なことを言う。私は彼女をまじまじと見つめる。
     女主人は口元を扇で隠して囁いた。
    「……催眠術には異国のお香を使うのですって。ですから……、おわかりになりますね?」
     目を細め、体を寄せて小さく告げられた言葉に、私はかろうじて笑った。
     ジャベールを使おうと言うのか。
     気分が悪かった。しかしここで断れば、明日からの市政でも彼らの協力が得られなくなる可能性が高い。
     私はジャベールをこの場に呼んだ。彼がどのように扱われることになるかを、私はすでに予見していた。

     ジャベールは不思議そうに「催眠術」と繰り返した。
     自分がなぜここに呼ばれたのかわからないという顔だった。女主人は彼に簡単に説明し、椅子に座るように促す。彼がこちらを見るので、私は頷いた。
     ジャベール一人が座らされ、他の者は彼と、楽師を囲んで立っていた。
     楽師は懐から白い布を取り出す。
    「彼に目隠しを」
     そう言って私に布を渡した。私は彼の後ろに回ると、彼の目を覆って後頭部で布を結んだ。
     楽師は、ジャベールの足元に小さな陶器を置いた。青い線で繊細に模様を刻まれている。楽師は陶器の蓋をあけると、マッチを擦ってその中に近づけた。
     私は無意識に息を止めた。これが催眠術に使われる香に違いない。楽師は陶器の蓋を戻した。蓋にはいくつも穴があけられていて、そこから煙が立ち上っていた。
     目隠しをされたジャベールは何が起きているのかわからないのだろう、香を嗅いで不審そうに眉を寄せる。
     楽師は屈んで、ジャベールの耳元に何事かを囁きかけていた。我々は二人を囲んでずっとそれを眺めている。
     どれほどそのままだっただろうか、不意に、楽師は起き上がった。
    「できました。皆さん、彼に聞きたいことは?」
     楽師がどこかの訛りを含んだフランス語で問うと、人々の視線が私に集中する。
     私は小さく首を横に振った。
     ジャベールと私はモントルイユの前に、ツーロンで出会っている。もし彼の記憶が無意識にそれに気づいていたとしたら。背筋が粟立つのを感じた。
    「では、私から」
     余興らしい振る舞いを私に期待できないと見てとったのであろう、女主人が言う。
    「何を聞きます」
     楽師の言葉に、女主人は微笑んだ。
    「初めての女性経験、なんてどうかしら」
     囲んだ人々の中で笑いが起こる。
    「いやはや、なかなか凄いことを仰る」
     C氏が笑いながら言った。
    「だって、……興味があるじゃない?」
    「そりゃあ、あなたはそうかもしれないね」
    「あら」
     気分が悪い。彼の、ごくプライベートな事柄が余興のために消費されていこうとしていた。
     上流階級の人間はしばしば、自分が下だと見做す者に対してこういった悪趣味さを発揮することがある。
    「では聞きましょう」
     楽師は言うと、再びジャベールの耳元に屈んで囁いた。
     しばらく沈黙ののち、ジャベールは口を開いた。
    「……十歳のとき」
     上品な仮面の下で、下衆な笑いが広がる。
    「それはどなた?」
    「母の友人」
    「ませていたのね……」
     女主人がひとりごちる。
    「どんな女性だった?美人かい?」
     B氏が問いかける。
     沈黙。ジャベールがぽつりと言った。
    「わからない。牢獄の中で……母がいないときだった。母は占いで呼ばれていた。母が時々話す人で、占い師だった。俺は労役で疲れて寝ていて、……変な感じがした。生臭いような、変な匂いがして、目を覚ますと、彼女が俺の下半身の上にいた」
     私は息を呑んだ。
     初めての経験なんて甘いものではなかった。ジャベールのこの話は、これは。
    「それは気持ち良かったかい?」
     私は質問の主を振り返った。
     なんということを聞くのだろう。憤慨のような感情は、ジャベールの無機質な声によってかき消される。
    「わからない。女が俺の上に乗って、荒い息を吐いていて、獣のようだと思った。やがて唸るような声を上げて、女はぐったりと俺にのしかかった。あとは……覚えていない」
     ジャベールを囲む人々の間に異様な興奮状態が広がっていた。
     ねばついた笑みを浮かべ、蔑むようにジャベールを見下ろす。
     何がそんなに面白いのだろう。私は吐き気をこらえながら、次々とジャベールに浴びせかけられる質問を聞いていた。
     こんなに長居をするべきではなかった。窓ガラスに叩きつけられる雨粒を見つめる。夜はまだ長かった。
    ユバ Link Message Mute
    2019/11/27 10:34:07

    催眠術にかけられるジャベールの話

    ジャベールが催眠術にかけられ虐待を告白する話。胸糞です #レ・ミゼラブル #バルジャン #ジャベール

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