観測者にはもうならない 煌々と燃え上がる赤を見ていた。熱風に焚き上げられた塵芥、あるいは誰かの夢だったものが煙と共に夜を舞う。風上なのを幸いに避けることもなくただ見つめる。瞼の裏には赤より強い光が未だ残像を残していた。間近に見続ければ眼球はおろか心臓まで焼かれるだろう。獣の形をした力そのものは自分には見覚えがあり過ぎる姿で、美しい軌跡を描いた。迎えに行く。たったそれだけ、事実だけを礼節とばかり言い置いて、先に飛び出していた背を追った。
その頃にはとっくに見えなくなっていた背中もまた自分達と同じ形をしていたが、纏う色は烏羽だ。夜に紛れるにはもってこいのそいつは悪態を吐き散らし誰より早く飛び出してしまった。他人のpartyをブチ壊すほど面白ェこたねぇよな。ギリギリと奥歯を鳴らし、それでも終末に口角を上げ高らかに地を蹴った。二人とも既に見えない。金糸雀も烏も、もう見えない。
煌々と燃え上がる赤、その何処かに彼らの本体がいる。
だから自分は待っている。
遠く聞こえる音は建物の倒壊を意味する。ひっそりと聳えていた施設が正確なところ何であったか知る者は少ない。音速の針鼠。世界の英雄。いなくなってもうどれだけ経ったか分からない。排除されるなら自分が先だろうという予想に反して、選ばれたのは彼だった。明確に対峙する矜持のある相手ならその足元にも至らなかったのに、悪意未満の傲慢、恐怖、渇望はひたひたと自分達の周囲を浸して遂には頭から喰らってしまったのだと、気づいた時には風も吹かなくなっていた。代わりに現れたのがあの二人だ。饒舌な彼から言葉を間引いた金糸雀と、享楽的な破滅ばかりを謳う烏。各々の理由を携え倒壊へと飛び込んで行った当人達自身がどこまで気づいていたかは分からない。彼らが何のために現れたのか。どうして彼らだけが残ったのか。
「――How have you been ?」
「…………Not that bad」
応じてやったのは最上級の親切心による。こんな場面でこんなつまらない問いをする相手には心当たりがある。クックッと喉を鳴らす音に振り向けば、予想と違わぬ煤だらけの英雄が笑っていた。
「きっとそうなるだろうって思ってたけど、やぁっぱりシャドウだったな」
「何の話をしている」
「書き置きの話さ」
お前は語り部向きだから、と通じない言葉で煙に巻く。燃えていた灯りは未だ消えないながら、その勢いは徐々に乏しくなっているようだった。肌を焼く熱は夜いっぱいを埋め尽くすまもなく煙になって消えていく。長い夢の中にいた、人々がそう思い始めるまでの合間に自分と彼は立っている。
「手紙は読んでくれる奴がいなけりゃただの紙だ」
「君は……いや、いい。それより二人はどうした」
「Two?」
「……二つと呼べば分かるのか」
とぼけた疑問符に言葉を変える。まさか会っていないはずがないだろうと、問えば彼の目がきゅうと丸くなる。それが素直に驚きを表すものだったので、眉間の皺が深くなるのを自覚した。まさか。あれだけ派手に暴れ回って、本体がこうして帰って来たのに、彼ら二人が死んでいるはずもない。
Ah――、という間延びした感嘆詞に相手を見据える。
「……お前そんなこと言う奴だっけ? まずいな、記憶障害かも」
「分かる言葉で話さないか」
いよいよ怒気を滲ませれば、彼は大袈裟に肩を竦めて手を広げる。それから、にこりと口角を上げて距離を詰めた。
「さわれば分かるぜ」
「!」
ぐ、と気づけば手首を掴まれている。熱いと咄嗟に強張った指を造作もなく掬い上げ、相手はすいと更に半歩身体を近づけた。引き寄せた掌を自らの頬に添えてみせる。新緑が間近に光っている。
「You know」
「――――」
煤を拭えば傷一つ無い美しい四肢が浮かび上がる。起きていることが分からない。迎えに行った彼らは何処にも見えず、代わりに無傷の彼が笑っている。彼一人が忽然と消えて二人が現れた、あの時と逆の現象を目にしている。彼らは何処だ。乾きそうな声音でもう一度尋ねれば心底可笑しげな声が返される。
「何言ってるんだ、シャドウ」
「……」
「あれは全部俺だろ」
だからもうここにいるじゃないかと青が言う。そのまるで繕わない姿に意味を理解し、続く言葉を失った。
だから君は。
姿を消して幾らも経つのにそんなにも君の足は綺麗なまま君の瞳は新緑のまま、以前と少しも変わらない。一人の英雄から始まった、君はきっと分かった上で囚われて、そうしてつまらなくなったら全て焼き払えるようあの二人を残した。書き置きなど冗談ではない。
綴る中身を見つけられずに言葉を詰まらせる光を、悪態を吐きながらそれでも尚誰より早く君を見つけようとした黒を、君がただの手紙だったというなら彼らが必死に駆けた意味は何処にある。
「彼らは……」
「お前は“あれ”が俺じゃないみたいに言うんだな」
首を傾げて、咎めるでもなく青が言う。その四肢は夜にも紛れない光であり、その瞳は暗闇にも閃くエメラルドだった。それらはずっと君だったかも知れない。君の欠片に過ぎなかったかも知れない。或い彼ら自身とて気づいていたかも知れない。
自分達が彼の一部であり、彼の意思一つでままなってしまう存在であることに。
自我や意思などない、ただ本体を救済するためのシステムであることに。
それでも。
「そうだ」
「……」
「あれが君だとして、君そのものではない。違うか」
「……お前も俺を認めないんだな」
彼がぽつりと呟く、それはひどく冷めた声だった。或いは諦観だったかも知れない。それでも、折れてやることはできなかった。彼を探して駆けずり回り、時に笑い、笑い損ねた顔が瞼の裏に焼き付いている。彼を探す瞳の切実さを覚えている。それら全て、最初から本人の思惑の内だったというなら、彼らはあんな寂しい顔をしなくても良かったのだ。最初から君自身だと教えてやっていたなら、あんな。
認めないのではない。
あれが君だと言うなら、君はもっと彼らに優しくするべきだった。
灯りが燃え尽きて夜が来る。
鳥はもう、見えない。