アウトサイダ・ネオン 幾つの偶然が重なったところから、それを必然と定義するのだろう。
空から降ろされた濃藍の緞帳を押し返すようにネオンが煌々と灯り続ける夜更け近くのマンハッタン、ブロードウェイ。大通り沿いの雑多な喧騒がごくわずか遠退いて聞こえる細い路地を、朱道岳は男と二人、とりたてた会話もなく歩いていた。
行き交う車のヘッドライトや街灯が瞬く大通りまでは凡そ百数十メートルあまり。そこまで行き当たれば、流しのタクシーを拾うことも容易い。
岳がいましがた後にしたのは劇場の関係者通用口で、つい三十分ほど前までとある劇団の夜公演が行われていた。本来ならばオフ日の今日、一人で観劇に行くはずだった岳の隣では、同伴者の選択肢として最も可能性の低かった男がやはり岳同様に口を噤んだまま黙々と歩を進めている。
――幾つ偶然が重なれば、それは必然と定義されるのだろう。
現在の活動拠点にしているレッスンスタジオの廊下で、他劇団の公演ポスターの貼り替えに岳自身がひとり鉢合わせたこと。
貼り替えられたばかりのそれが、自身の興味を惹く内容のものだったこと。
足を止めて日程表を眺めていたところに、この男がひとり通り掛かったこと。
件の公演を行う劇団に、男が以前海外斡旋した美術スタッフが在籍していたこと。
公演期間のうち、都合のつくであろう休日が、揃って重なっていたこと。
転じた話題が降って湧いて着地するまでの数分間に、同僚の誰もが二人の傍を通り掛からなかったこと。
この男と出会ってから恐らく一度もなかった数の偶然が同時に重なったことで、岳はいまこの路地を歩いている。
喧騒で溢れる表通りへ近付いているというのに、男の靴の踵が等間隔のリズムでコンクリートを鳴らす硬質な音がいやに大きく聞こえて耳に残る。表通りから吹き込んできた夜風に男の黒髪とコートの襟が揺れて、網膜にあざやかな影を映した。極彩色のネオンが、怜悧な横顔に落ちた翳と夜色の髪に絡んで滲む。
「どうした?」
向けられた視線に気付いてか、男の双眸がこちらを射た。混じりけのない鮮烈な赤に、ブロードウェイのネオンのひかりが融けている。
「……いや、べつに」
初めてジェネシスとして揃ってこの街の明かりを見上げたときの、男の瞳の色を憶えている。静かな声が、その奥に湛えた確かな熱の感触も。忘れられるはずがない。
男の見据える未来と、確かに過ぎてゆく今と、――そして自身には触れようのない過去が融けた眸だ。脳裏に焼き付いて離れないそれはこの身のうちでいつまでも厭になるほどあざやかで、思い出すたび無性にその手を掴み取りたくなる。
「そうか」
数瞬視線を噛み合わせたあと、それだけ返して男の目が前方へと戻される。夜風に晒した指先で掴んでやれば、ネオンの瞳はこちらを向くだろうか。
詮無い思考を巡らせるうちに、極彩色に混ざりだした雑踏の光が徐々に濃くなる。反比例して小さくなった靴音が、路地の終わりを告げていた。
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20190606Thu.