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    Gravitation Margin│2 男が提示した「馴染みの店」は、ブロードウェイから幾らか外れた通りに静かに佇むジャズ・バーだった。通りに面した二階のカウンター席から、手持ち無沙汰に夜景を見下ろす。
     大通りから数本奥に入った立地であるためか、傘を広げ歩道を過ぎていく通行人の姿もまばらだ。眼下の車道に行き交う車のヘッドライトとテールランプの残光や、規則的な明滅を繰り返す信号機の色彩も、窓を打つ夜の雨に滲んでどこか遠かった。
     岳の手元にある紙製のコースターの上では、先ほどわずかに口を付けただけのアメリカン・ペールエールが無言のままで座している。常温に近い温度で呈されるそれは緩慢な沈黙のなかでさほど結露することもなく、薄暗いほどのフロアに点々と灯された仄かな明かりを汲みながらただ平然とそこにあるのが少々憎らしい。
     つと視線を滑らせれば、隣の席でやはり無言のままワイングラスを傾けている男の横顔が目に入る。いま、この二階にいるのは岳と男のふたりきりだ。他の客はもちろん、ウェイターのひとりもいない。二階に繋がる階段の上がり口にはロープタイプのパーテーションが置かれており、いわゆる顔馴染みの常連専用フロアとして貸し切りになっているらしい。一階の中央部分に設けられた小さなステージで演奏されているピアノとサックスの音色が、階下からの照明とともに階段伝いに流れ上がって、足元から五感を浸す感覚は心地が好かった。
    「ここの店とは、付き合い長いのか」
    「……そうだな。こうして来るのはしばらくぶりだが、以前こちらに住んでいたときから出入りはしている。それがどうかしたか」
    「……べつに。さっき店員と話してるのを見てそう思っただけだ」
    「そうか」
    「…………、」
     曲の切れ目に、ようやく会話らしい会話がぽつりと落ちたかと思えばこの顛末である。これがこの男の生来の気質ゆえのものか、こちらが話を切り出せるよう男なりに促しているのか、それすら判然としない(否、遠回しに促すなどということはこの男に限って有り得ないだろうけれども)。話がしたい、と言ったのは確かに自分のほうだったが、今日までに頭のなかに巡らせていたはずの言葉は未だ何ひとつとして明確な形を得ないままだ。思考の間を取るために手元のグラスへ手を伸ばしかけたところで、隣の男がふいに口を開く気配があった。
    「先ほどの演奏を聴けばわかると思うが、この店のマスターは音楽的才能を見定める目がある。肩書きに囚われない視点の持ち主だ。機会があれば、君も興味深い話を聞けるだろう」
    「……まあ、おまえが言うならそうだろうな」
     立地といい雰囲気といい、どうにも自身のなかのこの男のイメージと合わない「馴染み」だと思っていたが、成程、そういう理由であるなら納得できる。相槌を返しながらグラスを取って、酒杯を満たす琥珀色を再度ひと口傾けた。微かな柑橘の香りが鼻先を掠め、酒精がじわりと喉を熱しながら体内へ染みていくのがわかる。
     劇団のメンバーとの食事の席は別として、こうしてこの男とふたりきりで酒を酌み交わすことなどないと思っていた。稽古場と舞台の上以外でこの男とふたりきりになることなどないだろうと、出会ったときから漠然と思っていた。――それは、果たして何故だったか。「なあ」
    「とりあえず、それ、やめねぇか」
    「それ、とは?」
    「……だから、その『君』ってやつだよ。俺はべつに、おまえと仕事の話をしに来たわけじゃねえ」
    「……」
     言葉の意味を咀嚼するためか、男の赤が緩慢にまばたく。薄明かりを湛えて透ける双眸の直線さに、僅かに胸裡が波立つのがわかる。レッスンルームの明白色とも、スポットライトの熱線とも違う光を含んだ瞳の色彩は、どこかあのネオンに似ていた。
    「それは、先日君が――……いや、……お前が言っていた、『正解ではない』話ということか」
    「…………、」
     問いに、小さく息を吸って、吐く。言葉の型に嵌まらぬ感情を、男の名に載せて呼んだ。黒木。
     なんだ、と、深い声が岳に応える。
    「俺は、……おまえの過去なんざどうでもいいって思ってた、はず、なんだよ」
     相槌の代わりに、互いの手から離れたグラスがかすかな音を立てる。窓を打つ雨音がまた、かすかに遠のいた。芝居以外で声を荒げることのない男の深い低音は、然しそうであるからこそ己れの五感を惹きつけて止まないのだと思い知る。
    「昔のおまえになにがあろうが、いまここにいるおまえが全部の結果だ。目の前にいるおまえと正面きって戦い続けて、……それでいつかおまえを越える。ちょっと前まで、俺のなかにあるおまえへの感情なんざそれだけだった」
     仕事に無関係であるから自身が言い淀んでいるのだと、あの日この男はそう言った。確かにそれは或る一側面から見れば正しい見解で、けれども別の側面から捉えるのなら誤りでしかなかった。
     何故なら役者でなければ、舞台がなければ自分たちは出会わなかった。道が交錯することも、執着することもなく、そしてこの男の背を追うこともまた、なかった。
     持ち得た才能だけではない。その声も、足音も、所作のひとつひとつまでもが舞台に捧げられていると感じることのできる男だからこそ、朱道岳にとって黒木崚介はがむしゃらに追い求めるだけの意味と価値がある存在だった。身のうちにあるこの男への情動は、その身のすべてを舞台へ捧げて生きる男に対する執着から始まっている。
    「なのに、なんでだと思う」
     ふとしたときにこの男の赤が自身の知らぬ光を帯びて静かに熱く揺らめくのが気に入らない。そこにいるはずの男の瞳に自身が映らぬ一瞬が、どうしようもなくもどかしかった。
    「『ジェネシスの黒木』になる前の、どうでもいいと思ってたはずのおまえの過去を、欲しがってる自分がいる」
     初めてブロードウェイの舞台に立ったあの日、ステージに溢れる強い光のなかで一瞬交錯した赤が脳裏をよぎる。――あの赤に、焦がれていた。
     夜の明かりのなかで男はまっすぐに岳を見ている。二、三、目瞬くことを繰り返して、形の良い唇が薄く開いた。
    「朱道」
    「……なんだ」
    「お前は覚えているか。旗揚げ公演の日のことを。あの日ロミオという男が舞台の上の世界で何を得て、何を失い、そしてどう生きたかを」
    「――……、」
     この男が何を言わんとしているのか、まだ岳には分からなかった。それでもただ、視線で肯定を返す。
     忘れられるはずがない。あの男が生きた軌跡に舞台の上でジュリオとして対峙した自身が、その姿を憶えていないはずがないことだけは確かだった。
    「一夜限り、一度だけのあの公演でその姿を刻み付けられなければ、ロミオという男はそこで死ぬ」
     ぞくり、と、背すじが震えるのがわかる。嗚呼、そうだ、この価値観こそがこの男だ。
    「……俺にも、忘れられない舞台がある。思い出せばいまでも感情を強く揺さぶられる記憶がある。俺が役者になったのは、自分でもそんな舞台を作りたかったからだ」
     ――だから今、俺はここにいる。
     螺旋階段。紙吹雪。スポットライトの熱線。客席からの高揚の波涛。舞台の上で重ねた、五人分のアイデンティティの唱和がフラッシュバックする。
     知らずのうちに、男の手首を掴んでいた。握り締めた素肌が熱い。
    「俺にとって、過去は未来だ」
     掴み取られた手を払うこともせず、男の赤が、お前なら分かるだろうと、刃物のような信頼を向けている。
     そのとき一度きり、人生でたった一度の瞬間。それを観客の記憶に刻むために舞台に立つ。岳もまた、男と同じ類いの人間にほかならない。
     だからこそ、理解してしまった。理解するしかなかった。この男がいま自身へ与えたそれは紛うことなき共鳴であり――同時に、ひとつの隔絶でもあった。
     衝動のまま、男の手を引く。吐息の重なる距離で、男の双眸が岳を見ていた。
     ネオンの光は、この男の目には映っていない。ここにあるのは、あの日焦がれた赤だけだ。その事実がひどくくるおしく、そしてもどかしい。
    「朱道?」
     夜に似た男の声が、そのままの近さで岳の名を呼ぶ。その唇に歯を立ててやりたいと確かに感じた自身に気が付いて、眩暈がした。



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    20190818Sun.
    なっぱ(ふたば)▪️通販BOOTH Link Message Mute
    2019/08/18 1:17:31

    Gravitation Margin│2

    #BLキャスト #岳崚

    岳崚つづき。
    言い訳もといあとがきのようなものは続きの続きを書ききってから。

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    ##腐向け ##二次創作 ##Gaku*Ryosuke

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