海神と恋人 42※※ご注意※※
・世界観捏造しまくり
それでも大丈夫という方は、次ページへどうぞ
中央区の塔に着くと電車は停まり、ドアが両側に開く。現れた清潔だが、どこかよそよそしく冷たい印象を受ける通路が千栄理を出迎えた。開いたドアの前で降りていいものかと迷っていると、突き当たりの引き分けドアが開いて、何やら厳しそうな印象の女性が出てきた。着ているグレーのスーツには皺一つ無く、きびきびとした歩き方、一つ一つの所作、表情に至るまで一見して『偉い人』だと分かった千栄理は、本能的に緊張して背筋が伸びる。女性は千栄理のすぐ目の前まで来ると、「失礼ですが、貴方が女神様ですか?」と声を掛けてきた。それに半ば反射的に「は、はいっ……」と返事をしてしまう千栄理。彼女の返答を聞くと、女性はその場で綺麗な深々としたお辞儀をする。千栄理もつられて頭を下げ、再び目が合うと「こちらへどうぞ」とやはりにこりともしない女性は奥へ進むよう促した。
一体、自分に何の用があるのか。やっぱり、以前訪れた際の被害についてなのか。電車を降りてからずっと黙ったままの女性の背中を見つめながら、千栄理は頭の中で延々と考える。とうとう黙っているのに耐え兼ねて、彼女が口を開こうとすると、途端に女性は立ち止まった。危うくぶつかりそうになったが、咄嗟に足に力を込めたお陰か、ぶつかることは無かった。
「こちらです」
女性は少し横へ移動し、千栄理に中へ入るように促す。目の前には千栄理一人では開けられそうにない、大きな扉があった。最早、聳えていると言っても過言ではない。
「あの……この中は?」
一瞬、女性は言うか言うまいか逡巡したようだが、少しだけ悲しげな表情で告げる。
「……此度の『災害』を受けて、我が国は深刻なダメージこそ免れましたが……。今後、貴方様の処遇をどうするかということになり、その前に一度、貴方様にお会いしたいと各地区領主がお待ちしております」
「……………………へ?」
女性の言ったことを自分なりに分かりやすく、噛み砕いて理解した千栄理は、間の抜けた声を発して固まった。事前に何も聞いていないのだから、当たり前の反応だった。女性が悲しげな顔をしたのは、恐らくいきなり呼びつけた詫びの気持ちからなのだろう。
「わたくしは貴方様を迎えにと言い付けられました。領主に代わり、お詫び申し上げます。申し訳ありませんでした」
「あっ、いえ、そんな――謝らないでください! 私の方こそ、いきなり来て……ご、迷惑……を…………」
『迷惑』という単語から災害直後の光景を想起させられた千栄理の目にじわり、と涙が浮かぶ。あの時のヘルメスの言葉も同時に思い出されて、後から後から涙が溢れてくる。いきなり泣き出した千栄理と彼女を守ろうと、バッグから飛び出して来たグレムリン達を前に女性は少々驚いたようで、スーツの内ポケットからハンカチを取り出して、妖精達を刺激しないように気を付けながら彼女へ差し出した。
「これを」
「あ……ず、みまぜん……」
素直にハンカチを受け取った千栄理は、なるべく涙以外で汚さないように気を付けて拭う。粗方拭うと、「洗って返します」と言ったが、女性に大丈夫だと言われ、またその言葉に従って少し濡れたハンカチを返した。
一先ず、グレムリン達には大丈夫だと言ってバッグの中に戻ってもらう。まだ少し頬に涙の跡はあるが、整える物を何も持って来てないので、仕方なく千栄理はせめて見苦しくないように身だしなみを整える。それが終わると中に入ろうと手を伸ばし、ノックした。「どうぞ」の声を聞いてから、千栄理は「失礼します」と断って中に入った。
中に入ると、中心を囲むようにドーナツ型に設置されたテーブルに千栄理よりずっと年上の男女達が就いて、彼女が入室すると皆注目する。その中に見知った顔を見つけた千栄理は思わず、「あ……」と零してほっと安堵した。
「千栄理! よく来てくれたな。さあ、朕の隣に座るといい」
「え? あ、じゃあ……」
「始皇帝殿、戯れはその辺にして頂きたい。今は地区会議の最中です。もっと真面目な対応をお願いしますよ」
どこの地区かは千栄理からは見えないので分からないが、ずっと後ろの方から中年女性が始皇帝に苦言を呈す。しかし、彼はその声にいつものように「不好」とだけ言って席を立ち、そちらへ振り返る。
「このような真面目な席だからこそ、慣れていない千栄理は不安に思っていることだろうと思ってな。顔を知っている者同士、近くにいた方が安心できるだろう?」
始皇帝の優しさとも取れる言葉に千栄理は確かに安心できると納得したが、この場にいる他の人間達は良く思わなかったらしく、彼に聞こえないようにひそひそと話す声が何となく聞こえてきた。
「あの女神と知り合いだと? この会議の前に接触があったということか?」
「尤もらしい理由を付けて女神と更に親密になっておこうという魂胆か」
「抜け駆けとは、中国の皇帝も隅に置けないものだな」
「どうせ、あの若さと顔で堕としたんだろうよ」
会議室を漂う不穏な空気に、千栄理は以前、始皇帝から聞いたことを思い出し、心配になって彼の様子をちら、と見た。彼は共感覚の持ち主で、周囲の人間の感情が時として体を蝕む傷となって彼を傷付ける。こちらに来いと手招きをしている今の始皇帝には特別苦しそうだったり、痛がったりしている様子は無い。彼の言う通り、知り合いが彼しかいない千栄理はずっと不安だったが、始皇帝の柔らかな態度や堂々とした振る舞いに救われた心地がしていた。しかし、周囲の人々に不穏なものを感じている彼女は素直に始皇帝の傍へ行っていいものか悩み、その場に立ちすくんでしまう。その間にも始皇帝と千栄理という治癒の女神について、好き勝手な疑惑という名の野暮で不躾な感情がぶつかってくる。
ざわざわと人の声が飛び交う会議室。その中で一際大声が発されたと思うと、皆一様に静まった。
「ああ……ったく。うるせえなあ、どいつもこいつも。ただでさえ、出たくもねぇ面倒臭ぇ会議に出てやってんだ。やんならさっさと始めろ。俺様を待たすな」
粗野そのものという低い男の声に、周りの代表達は些か迷惑そうな顔をしながらも、彼と目を合わせないようにしている。千栄理がその声の方を向くと、そこには如何にも屈強な手練れの軍人という出で立ちの老翁がいた。老いたといっても、顔の印象や髪の色だけで引き締まった体は並の若者より頑強そうだ。その鋭い目に射貫かれて千栄理は恐怖に一歩後ずさってしまう。
「今日はその『自分はギリシャの女神』だって主張してるお嬢ちゃんの処遇についてが議題だろうが。無駄なお喋りする暇あんなら、帰るぞ」
皆その男に敬意を表しているからか、それとも単純に恐ろしいからなのか。静まり返った会議室に今日の議長らしい初老の男が口を開く。
「まぁまぁ、レオニダス王。落ち着いて下さい。会議はすぐに始めますから。ああ、そうそう。女神様はこちらの席にどうぞ」
柔和な笑顔だが、有無を言わせないものを議長から感じた千栄理は、些か緊張しながらも促された席に就く。そこは丁度円状に配置されているテーブルの中心だった。まるで裁判場のような雰囲気を感じ取ると、更に不安と緊張が増す思いだった。四方八方から痛い程の視線を感じて、皆が自分に注目していると千栄理は嫌でも実感させられる。
これから何が始まるのか、不安で堪らない彼女は何とか落ち着こうと始皇帝の方へ目を向ける。彼は千栄理と目が合うと、花が咲いたような笑顔を向けて手を振ってくれる。それを見ると、やはり少しだけ安心感を得られた千栄理だった。