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    if〜ダブリンの街角で〜 随分色が違いますね、と百音は小さなテーブルに並ぶ二つのピルスナーを見ている。黒い方がギネスで赤い方がキルケニーですと、菅波が指差しながら説明するのを聞いて百音は真面目に頷いた。
    「僕はギネスは東京で飲んだことあるけど、本場のものはまた味が違うかもしれないですね。キルケニーの方が飲みやすいそうです。どちらも試してみましょう」
     互いに目の前のグラスから一口飲み、ふむと頷いてグラスを交換する。そしてまた一口飲み、ふむふむとまた頷いた。
    「日本のビールと全然違う。味がしっかりしてますね」
    「どっちもおいしいな。僕は日本のビールよりこっちのビールの方が好きですね。冷えすぎてないのがいい」
    「確かに! 日本のビールってキンキンですもんね。……先生、まさかビールでも頭痛が」
    「いや、頭痛はないんですけど、たまにお腹が緩くなったり、あ、いやすいませんこんな場所で」
     こんな場所、とは二人がたまたま入ったパブである。ダブリン空港からホテルまで移動してチェックインを済ませばもう日が暮れかかっていた。最後の機内食を二人とも食べ損なっていたのでとにかくお腹が空いていて、ホテル周辺を歩いて食べ物を出してくれそうなこの店に入ってみた。注文を済ませてから菅波が店の名前を検索すると、地元客にも観光客にも人気のカジュアルなパブとのことだった。
     ピルスナーを持った互いの姿を撮ったり二人で顔を寄せて自撮りしたりしていると、笑顔の店員が出来立てのフィッシュアンドチップスを運んできた。空きっ腹に揚げ物の匂いはたまらない。ビネガーを振りかけて、二人は早速この地元の名物に取り掛かった。

    「そういえば言いそびれてたけど見たんだよ、映画。あなたが好きだと言ってた、この街が舞台の」
     あらかた胃が満足したころ、菅波が思い出したかのようにその話を始めた。え、いつですか、と百音が目を丸くする。
    「機上であなたが寝てる間に。買ってダウンロードしておいたんだ。ちょうど見終わったころに離陸が始まったからバタバタして話せなくて」
    「先生がああいう映画を見るの、イメージできないです」
    と、百音はからかい気味の笑みを見せる。
    「まあ確かにほとんど映画を見ない僕がちゃんと理解できてるかどうかはわからないけど、集中して見たよ。いい映画だったと思います」
     その映画はダブリンを舞台にした一組の男女のラブストーリーだった。訳ありの二人が音楽を通して結びついていく、たった数日間の物語。
     二人が休みを取れる時期は確定したものの旅行の行き先がなかなか決められなかった頃、百音が昨日の夜に配信で見た映画がとても良かったのだという話をした。サブスクに入っていたその映画のサントラをずっと聴いているのだと。
     ダブリン、アイルランドか、悪くない。唐突に二つの点が繋がった菅波はそう思って、旅行先はアイルランドにしようか、と提案した。そういうつもりで話したのではないと百音は困惑したが、決めあぐねていた以上こんな安直な選択でも良いのではないかと言われ、ネットでアイルランドのことを調べ始めた頃にはもうすっかり行く気になっていた。
    「……映画を見て、あなたとの関係性について悩んでた頃を思い出しました」
     え……?とまた目を丸くした百音を見て笑う。
    「随分前の話ですよ。あなたとこういう関係になるちょっと前の話。登米であなたを送り出して、しばらくして東京で再会して、それからはまた頻繁に会うようになったでしょう。そのころ、あなたは自分にとってとても特別な人だと思うようになったんです。自覚したというか」
     今さら照れるような話ではないと話し出したのにやはり少し面映いので誤魔化すように百音側にあったギネスのグラスを引き寄せて口に含む。
    「でもあの頃のあなたはよく悩んでいて、僕はその悩みを聞いて、そういう信頼関係を壊したくはなかった。あなたの気持ちもわからなかったし」
     彼女がどれほど自分にとって特別な人間か、一度気付いてしまうと失うのが怖くなった。失うくらいならただの相談相手でも良い、そう思う日もあった。だけど閉じていた自分を変えてくれた彼女を一番近くで支えられたらという願いは未練となってあの頃の自分を悩ませた。
    「映画を見終わったとき思ったんです。僕たちの間にもあのとき何も起きなくて、僕はそのまま登米に移住して二人は疎遠になって、そういうifの世界も全然あり得たんだなって今さら思って。だから改めて感謝したんです。あのとき、きっかけをくれたあなたに」
     そう言って菅波は小さなテーブルに置かれたままだった百音の手に触れる。あの日あの時、百音が菅波の手に触れたように。
     先に手を伸ばして摩ったり掴んだりするのはいつも彼女だった。こっちがなんやかんやと考え込んでいるうちに、いつも。
     百音が何か言おうとしたときだった。店の隅のスペースで演奏が始まった。あっこれ、と二人の目が合う。映画の中で彼と彼女が初めてセッションした曲だった。

     パブからホテルまでの道をことさらゆっくりと歩いた。日が落ちてすっかり暗くなっても人通りは多く、ギターを抱えたストリートミュージシャンがのびのびと歌い、あちらこちらのパブから生演奏が漏れ聞こえる。蝋燭の小さな炎のような色の街灯に照らされた異国の夜道には情緒があった。先生、と百音が話の続きを始めた。
    「私もあの映画を見たあと、さっき先生が言ってた、ifの世界?みたいなことを考えたんです。映画の最後の方で、彼女がピアノを弾いて、窓の外をずっと見ていたでしょう。そのとき、あぁ、彼女の心には彼が棲みついたんだなって思ったんです。これから先、彼女がどんな人生を歩んでも、ピアノを弾く時はきっと彼のことを思い出して幸せな気持ちになるんだって」
     日本では見られない闇と光のバランスの中にいる彼女を留めておきたくて、繋いでない方の手でスマートフォンを探した。写真撮ってもいい?と聞くと、私の話聞いてませんねと不機嫌に返されたので、ちゃんと聞いてますと反論して撮影はいったん諦めた。
    「……多分同じだなって思ったんです、私も。もし先生と、ifの世界?でそういう関係にならなかったとしても、私の心には先生が棲みついて、雨が降ったり、風が吹いたりした時なんかに、やっぱり先生のことを思い出して幸せな気持ちになるんじゃないかって」
     そう言って笑む百音を見て、釈然としなかった菅波は親指で顎を擦った。こちらはifの世界に慄いたのに、彼女はifの話をして満足気だ。
    「あの、念のため聞きたいんですけど、あなたはifの世界じゃなくてよかったと、思ってますよね?」
     百音は菅波の顔を見上げてそこに一抹の不安があるのを認め、はあーと大袈裟なため息を吐く。
    「先生、全然わかってない。そういう関係にならなかったとしてもお互いが特別な存在であり続けるって、ロマンチックだなって思ったのに」
    「ロマンチックであるか否かより、あなたが他の人と人生を共にしていたかもしれないと思うと不愉快です」
    「ifの世界ですよ?」
    「ifの世界でも」
     困った顔で吹き出した百音はしばらく菅波の憮然とした顔を見ていたが、ふと思いついたようにあたりを見渡した。今は閉まっている店舗に駆け寄り、その入り口にある段差に飛び乗った。
    「酔ってるんですか。危ないよ」
     慌てて側に寄って支えようとする菅波との顔の高さがちょうど良いことを確認した百音は、菅波の両頬を包んでキスをした。
    「酔ってないです。私の方からキスしたかっただけ。先生が可愛いなと思って」
     最後の言葉に納得できなかったのか少し眉を寄せた菅波に百音は笑って、もう一度キスをする。そしてそのまま抱きついた。
    「先生、ifの世界は存在しません。私と先生が一緒にいるこの世界だけ」
    「……映画の世界に来たみたいだからかな。現実感が乏しい」
    「大丈夫、私がいますよ」
     そう言って頭をポンポンとされるのに、子供扱いしないでくださいと憮然と体を離すとまだ百音はニコニコと笑っている。
     また手を繋いで歩き出した。
     少し歩けばまた違う歌声が聞こえてくる。そちらを少し羨ましそうに見た百音が、私もサックス持ってくればよかったなと呟くので、じゃあ僕は隣でカスタネットでも叩きますと言うと、それを想像したらしい百音が声をあげて笑った。
     ホテルまであと少し。
     二人の旅はまだ始まったばかりだった。
    ヒナタ Link Message Mute
    2022/09/05 14:59:43

    if〜ダブリンの街角で〜

    #sgmn #すがもね
    アイルランドを旅するsgmnの話です。「ONCE ダブリンの街角で」という映画の内容に少し触れています。イベントの時に出したお話で加筆なしです。

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