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    食べ損ねたりんご飴長野から帰って約半月が経った。長かった夏季休暇も間もなく幕を閉じる。先生に乞われるまま俺はあの土地での話を何度か話をした。それでも話せなかったことがある。話したくなかった。否、口にすることが出来なかった。先生が忘れてしまったのであれば、俺はあんな事をなかった事にしてしまいしたかった。
    一つは自分の子どもの頃の話題がでたこと。カズ兄との飲み会についてはせっかく端折って説明したのに、佐々倉さんと三人で食事をした際に結局バラされてしまった。もっと聞かせてもっと聞かせてと言う先生の圧から逃げるように、俺はお酒を口にした。

    それからもう一つ。
    どうしてもそれだけは先生に話をしたくなかった。


    借りていた本を返しに、ふらりと研究室へと立ち寄った。いつもの様にノックをすると声が返ってくる。戸を押し開けると鼻を掠めたのは、どこか懐かしい匂いだ。
    学校が所有する図書も膨大な量を誇るが、この研究室には更に物珍しい本が揃う。ただし、本の種類は限定されたものばかりだ。何処から買い求めたのかと思われるような古めかしい本も多い。和綴じの本もある。何なら本当に日本語だろうかと疑いたくなるようなミミズが張ったような文字もあってまるで読めやしない。かと思えば、眉唾物のようなカルチャー誌も揃っているのが面白い。そして部屋全体に広がるのは古本屋を訪れたようなあの感覚。
    どこかホッとするような心地よさを感じる匂いに混じるのはココアの香り。ここに来ると時間がゆっくり流れるような、肩の荷を下ろせるような気がする。椅子に掛けていた先生が笑って「いらっしゃい」と今日も出迎えてくれた。
    「お邪魔します」
    「どーぞ」
    書棚に足を進めながら先生の手元を見ると、見慣れた藍色のマグカップ。ココアは。先生はココアを飲むと安心するんだと笑っていた。大丈夫だと思える、そう教えてくれた。渉さんが教えてくれた泣き方を忘れた子どもの話を思い出す。イギリスでの数年間はあの人にとって優しい時間だったと教えてくれた。辛い過去じゃないと先生は微笑んで今もココアを口にする。ココアを飲んで、それで幸せになるのはいい。とはいえ、それは俺にしてみれば、やっぱり強がりや見栄でしかないと思う。そんなのはズルいとも思う。大人だからってそんなに我慢しなくていいのに、とも思う。
    でも、それがこの人の性分なんだろう、とも思う。先生と呼ばれる立場だからかもしれない。もしかしたら癖になった笑顔も、甘いココアも、俺にとってのイヤホンや眼鏡なのかもしれない。
    でも、だったら誰が、この人の事を守ってくれるんだろう。
    そんなことを最近よく考える。俺は守られてばかりだった。少しだけ役に立てるような気になっては、いつも失敗する。
    本来であれば、あの場に踏み込んだのは俺だけだった。俺が、先生を道連れにした。呼ばれたのは俺だけだったのに。先生は全てをかなぐり捨てて俺を守ろうとした。俺だけを、現世に返そうとした。一蓮托生だと言った口で、手放さないと約束した癖に、俺だけを助けようとした。永久の命を持つという彼女が口にした試練はこの夏の事だけなのだろうか。あの村にはもう立ち寄らない。だけど、俺はこれからも先生と怪異を追う。先生と約束もした。
    今度は先生の過去を解き明かすと。
    その時は必ず一緒に居る。先生がまた忘れさせられたとしても俺が見て、記憶して、伝えると約束した。その時、今回と同じ事が起こらないと言えるのか。そんな疑問が頭の中をぐるぐると回っていた。
    相手は怪異だ。神や物の怪の類に人間の道理は通用しない。俺はそんな答えの出ないどうしようもない問題と、胸に巣食う不安に蓋をして見ないフリをした。こんなこと誰にも言えなかった。佐々倉さんにさえ伝えていない。言えるわけがなかった。
    この人は、俺の為に簡単に命を捨てる、なんて。
    借りていた本を棚に戻しつつ、ちらり、と振り返ると先生と目が合った。
    「どうかした?」
    「————いえ、」
    喉元までせり上がってくる感情を飲み下した。吐き出してはいけない。この恐怖は俺が抱えていなきゃいけない。いつまで? と頭に浮かんだ疑問をかき消した。考えるな。
    立ち上がった先生が「珈琲飲む?」そう、微笑んだ顔に辛うじて声を震わす事なく「お願いします」とだけ答えた。狼狽えるな。動じるな。この人は俺よりずっと目敏い。
    食器棚で珈琲の支度をする先生に背を向ける形で、パイプ椅子に腰かけて、小さく吐息を吐きだした。
    「ねぇ、深町くん」
    ふと呼びかけられた。声音の色は変わらない。いつもと変わらない優しい声だ。それに混じるように、珈琲の香りがふわりと室内に広がる。
    「紗絵さんが助けてくれたんだよね」そう続けられた言葉に緊張が解けた身体がもう一度強張った。前触れのない質問に、頭の中で警報音が鳴る。
    「ええ」
    煩い。先生の声も聞こえない。心拍数が上がる。ああ、
    「永久に続く命の一部を山神様に捧げた」
    その続きを聞きたくない。
    先生に話をしたのはほんの一部だった。黄泉平坂の坂を這いあがった先で俺たちは死者に取り囲まれた。其処に紗絵さんが居て助けてくれた。
    何も、間違ったことを言ってはいない。ただ、一部だけ話を取り除いた。
    「……そうです」
    思わず、生唾を飲み込んだ。
    嫌だな。聞きたくないのに、身体がまるで動かない。
    「————なら、その前に彼等は僕たちに何を要求したのかな。僕らの肩代わりを彼女はしてくれたんでしょう?」
    コトン、と目の前に置かれたのは愛用のマグカップ。立ちのぼった湯気が空気に溶けた。
    「それは、」
    詰まった言葉尻を拾われて「それは?」と同じ言葉を重ねられた。その間にパイプ椅子をずらす音がして、先生が隣に腰を下ろしてしまった。逃げ場がない。見つめる視線が刺さって痛い。ゆらゆらと揺れる珈琲の水面を見つめて絞り出せた言葉は一言だけだった。
    「…………言いたくありません」
    「どうして」
    「どうしてもです」
    「君は僕に見たもの全てを教えると約束してくれたのに?」
    「その約束はこれからの事であってそれ以前には適用されません」
    「屁理屈だねぇ」
    言い返しているうちに自然と視線が相手に向いてしまった。楽しそうにくすくすと笑っていた声が、そっかぁ、と残念そうな声に変わる。
    「…………僕はまた君の事を怒らせちゃったんだね」
    目を細めて笑った顔に心臓が張り裂けそうだった。そんな顔をさせたかったわけじゃない。意図的に抜き取られた記憶。不安。恐怖。いくら話して聞かせたところで、それは戻らない。そして先生が思い出せなくても、起こった事はなかった事にはならない。
    「ごめ」
    「謝らないでください!」
    反射的に声を荒げた。その言葉を最後まで言わせたくなかった。
    「謝ってほしくないです」
    その言葉は口にしてほしくなかった。
    「俺は許してないんです」
    謝られたら、俺は許さなきゃいけなくなる。だってこの人はあの夜を経験していない。自分を犠牲にして俺を助けてはいない。でも、それを当然だと思っている。なら俺はもう謝ればいいと思っているんでしょう、なんていつもの様にお小言で叱って片付けることはできなかった。もうこの笑顔に笑って誤魔化されることはできない。
    「深町くん」
    そう、労わるような声に、何かがブッツと切れた。
    「大体あんたいっっつも自分勝手なんですよ! 調子のいい時だけ大人ぶるのズルいんですよ!」
    「だって、」
    「だってじゃないです」
     振り上げた手の平がテーブルを叩いて乾いた音が響く。
    「でも」
    「でも?」キッと見上げた。身長差からどう足掻いても見上げる形になるのが口惜しい。うっ、と声を詰まらせた先生の声にイラついた。「でも、なんだって言うんですか? 何度言っても大丈夫じゃないのに大丈夫なフリするし、俺に言ったらバレるからって今度は黙秘権使うし、自分は蔑ろにして、他人の事ばっかり優先して……! 先生だからって、そんなのが理由になるわけないんですよ」
    そうだ。先生の言い分なんて俺には関係ない。虚勢も見栄も責任も俺の知ったことではない。もうそんなのはどうでもいい。
    「大体が先生だからってなんだって言うんですか! そんなに偉いんですか? 俺の気持ちまで無視しないでください」
    十年やそこら先に生まれたぐらいで何だって言うんだ。
    頭に血が上って、思考が回っていない。考えるより前に口から堰を切ったように言葉が溢れていた。自然と息が上がって肩が上下する。一気に吐き出したからか、濁流のような感情が波の様に引いていく。正直何を言ったのか自分でもよく覚えていない。
    でも、もう今更だ。
    「——手を放さないって、最初に言ったの先生なんですよ」
    ぽつり、とこぼれた言葉は消え入りそうなほどに弱い声だった。
    「俺、もうあんなのごめんですからね」
    目頭が熱くなる。子どもみたいに泣きたいわけじゃないのに。堪えるように下唇を噛み締めた。そんな吐き捨てるような言葉に重なったのは、先生のこらえきれずに漏れたような笑い声だった。
    「って、何笑ってるんですか!」
    「いや、うん、猫みたいだなぁって」
    「はぁ⁉ あんた、人の話聞いてました?」
    誰が猫だ。どうしてそんな話に今なったのか理解できない。というか、何でそんな肩を震わして笑っているんだ、この人は。なんなら目尻に涙まで浮かんでいる。
    「ごめんね」
    「———————っ!だから」
    「うん。だから、僕の事を君にあげるよ」
    言い返す前に、そのまま重ねられた言葉。微笑んで告げられた言葉の意味を、直ぐに理解できなかった。




    Xyuzu_kinox Link Message Mute
    2022/07/16 9:21:05

    食べ損ねたりんご飴

    #高深 #彰尚

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