生まれる前からやり直せたら「次のヒーロー、何がいいかなー」
独りごちる狗凱の手は鉛筆を持ち、広げた自由帳の上であちこち動かす。見る見るうちに線は形となることもあれば、途中で戸惑って塗り潰されることもある。新ヒーローの考案なのだから真剣だ。前回は濃緑を基調としてなびくマント、二本の角が目立つ兜を被るというものだった。一新するならば色は明るめ、装飾品を減らそう。戦闘スタイルは魔法より腕力――自由帳の一ページが下書きと覚え書きで埋まっていく。
今日は日曜日。朝食を食べ終えて早速河川敷に集合した狗凱と羊田は、今朝観たばかりの特撮番組について語り合った。必殺技や名場面の再現をしていると気付けば正午前で、ここで揃って昼食を食べるつもりだった。が、羊田は用意していたものを自宅に忘れてきてしまい、どうせならすぐに河川敷で遊ぶ為に自宅で食べ切ると言って一旦別れたのだ。残された狗凱の胃袋には三つもの焼きそばパンが収まり、それは満足した。しかし焼きそばパンが全て収まる時間をかけてもなお戻って来ないので、つまらなくて仕方がなかった。そして、その暇潰しの為に自由帳を開いたのである。
自由帳を埋めれば埋めるほど一人で過ごしている実感を得てしまうので嫌だった。ついに痺れを切らして叫んだ。
「メリー……遅い!」
ふてくされた狗凱は仰向けになり、思い切り体を大の字にするつもりだった。が、ごつんと壁に阻まれる。硬い。痛い。ついでに天井も床も硬い。分厚いコンクリート製の土管の中にいるので当たり前のことだった。
河川敷には大人達から見捨てられたガラクタが数え切れないほど散らばっている。しかし二人の子供達からすれば尽きない建築資材に溢れる宝の山に見えた。
ここは草むらの中に築かれたヒーローの街。栄えては怪獣との戦いで破壊されるのでいつも手入れが忙しい。その忙しさから一息吐く為の休憩所として利用されるのが、この一本の太い土管だった。狗凱と羊田が河川敷を基地とした頃には既に放置されていたものだが、雨風に晒された汚れは渋さが光り、欠けた部分は一つも見当たらず、強固な造りには変わらない。大の字になって寝転がるには足りない狭さでも、狗凱と羊田がお互いに位置を調整すれば並んで寝そべることが出来たし、首を下げながら座ることも出来た。
その場所で、狗凱はふてくされている。軽く痛めた片方の手首を擦って呪詛のように「早く来いよー」と天井に向かって繰り返す。羊田に急用が出来たとか、体調を崩したとか、そんなことが起こり得るなど微塵も考えていない。必ず来ると信じていた。
「あーもうメリー早く来いよなスーツのデザイン考えんの一人じゃつまんねーよ必殺技は絶対俺の方がカッコイイけどスーツは俺よりセンスあるじゃんか……」
「けーんし君、あーそびーましょー」
途端、聞き慣れた明るい声と共にしゃがみ込んだ逆さまの顔が覗き込んでくる――待ち望んだ羊田だ。足音を消して密かに近付いてきていたらしい。
しかし羊田からしてみれば悪戯のつもりでの登場も、狗凱にとっては口から心臓が飛び出してもおかしくないことだった。「うおぁっ!?」と豪快に叫び、肘をついて身を起こす。起き上がったと言っても上体だけだったので、何とか天井に頭をぶつけることはなかった。
「お、驚かすなよ! ちびるかと思った……」
「私の方がセンスあるって言ったよね? 嬉しい」
「俺のこと心配しろ」
恨めしく言うと、羊田は顔を綻ばせながら「ごめんね」と謝った。素直に返されてしまったらこれ以上責めるわけにもいかない。その代わりセンスの有無についてもう触れない。聞かれていたことが凄く恥ずかしいから。
羊田の視線がガラクタの街にちらりと向く。「街作りは?」
狗凱は土管に潜ったまま動こうとしない。「あー……」と気怠い声を長く出してからまた寝転んでしまった。
「止め止め。新ヒーロー考えようぜ」
「分かった」
午前中に決めた予定では、午後は街に怪獣が蹴り飛ばす為の高層ビルを建てようという話だった。しかし羊田も気紛れな彼に付き合うのも慣れた。土管に潜ろうと狗凱の顔が見える反対側に回る。「ほら、早く入って来い」とやけに急かされるが、二人の子供だけで満員の所に既に一人がいるのだから、そんなわけにもいかない。半ズボンによって晒されるふくらはぎを踏まないように、のろのろと這いずり込む。
肩と肩が一瞬擦れ合い、二人は隣同士になった。そこに広げられた自由帳には、見慣れた狗凱らしい絵と字に溢れている。それを見る度に羊田の胸はときめく。ヒーローの世界を教えてくれたのは彼だ。だから、いつでも創設者とやり取り出来ている気分になる。
「これ、新しいヒーロー? カッコイイね」
「だろ? メリーが来るまで考えてた。でもまだ完成してねーよ。お前もアイデア出せよな。前の奴とは全然違う感じにしようぜ」
「スーツのセンスは私の方があるもんね」
「アイデア! 早く!」
聞かなかったことにして自由帳の一面を鉛筆で乱雑に叩いてみせる。羊田はくすくすと笑った後、昨日から練っていたイメージの一つ一つを紡ぎ出す。狗凱は喜んで相槌を打ちながら鉛筆を走らせ、たまには横やりも入れる。それに対して羊田は考えを改めることも、拘りだから譲れないと対抗することもある。二人はあーでもないこーでもないと言い合い、一人のヒーローを少しずつ築き上げていく。
ふと、羊田は気付いた。狗凱との距離が全く無くなっている。元から二人の子供が寝転んで何とか過ごせる土管内なので距離が近くなって当然なのだが、今は密着と呼べる状態だ。本来ならここまで引っつく必要は無い。羊田は不思議に思い、わざと少し肩を逸らしてみる。すると向こうは無意識なのか、磁石に引き寄せられているようについてくる。それが面白くてくっついてきたら逸らし、またくっついてきたら逸らす、ということを繰り返した。真剣な横顔が続いている。
そのうち喋らない羊田が気になってきた狗凱は隣を見た。がっちりと視線が交わる。しばらく観察されていたことを肌で感じ取る。
「な、何だよ」
「もしかして寒いの?」
「いや別に寒くねーし?」
本人は平然を装いたいのだろうが、唐突に視線を逸らすから明らかに見栄だ。しかも何の意味があるのか分からない見栄。よくあることだが。そしてやはり寒いと。思えば、相当の暑がりでなければ薄着を止めても良い季節に入っていた。
そっぽを向く狗凱の視界の端に羊田の手が伸びてくる。特に警戒せず、そのまま避けずにいると、ぺたりと手の平が頬に宛がわれた。とても温かく、柔らかな手。戒めなのか、何度か軽く揉まれる。確かにこうして触れられると、狗凱も自分の体温とは別物だと区別がつく。
「頬っぺた冷たい。寒いんでしょ」
「……ちょっとだけな」
「明日からは上着着なきゃ。風邪引いちゃうよ」
「馬鹿は風邪引かねーもん」
「そんなの迷信。剣獅君が体調悪くなったら悲しいし、遊べなくなるのも嫌」
薄暗い顔色で諭されるとそれ以上言い返せない。自分が羊田の立場なら同じことを言う。羊田が風邪で寝込んだら心苦しいし、その間一人で過ごすなんてつまらないに決まっている――羊田と出会う前は自分だけのヒーローごっこで完結していたというのに、それまでの日常を忘れてしまった狗凱は、自分自身の変わり様に疑問など抱かなかった。
「ちょっと待ってね」そう言って狭い空間で体を起こし、窮屈そうに正座のまま上着を脱ぐ。
羊田が着ていたものは水色のマウンテンパーカーだった。マウンテンパーカーは軽い見た目に反して防寒性がある。再び羊田も狗凱と同じようにうつ伏せになり、ふわりとお互いの背に乗せる。気休めの掛け布団だ。「これでちょっとはマシ?」
狗凱が素直に頷いたので羊田も満足した。けれど、羊田が上着を脱いだことでお互いに露出した肌の一部がくっつく。狗凱の意識はそこからぼんやりと伝わってくる体温へと向いた。
「でも、メリーとくっついてる方が温かい」
「……そうかな」小首を傾げた後、おもむろに羊田がころんと横たわった。それから狗凱の腕に額を宛がう。
「どう?」
「うん。温かい」
「剣獅君、腕も冷たいよ」
「何でメリーはおでこも温かいんだ?」
「剣獅君が冷えてるだけだと思う」
擦れた細い髪も相まって、二つの意味でくすぐったい。手を動かせば腕も揺れ、さらさらとした髪の感触をずっと味わうことになる。けれど払い除けようとは思わない。
狗凱の簡易的な湯たんぽ係を務めている為か、羊田の口数が減っていく。鉛筆が動き回るささやかな音だけが続くうち、ぽつりとこぼす。
「お母さんのお腹の中って、こんな感じなのかな」
「え?」
「温かくて、狭くて、暗くて、自分がいる場所以外に世界があるだなんて気がしない。それに、もし双子だったら、お互い離れ離れにならないように寄り添い合ってる」
「シキューだっけ」
「そう」
ニンシンとかシュッサンとか、保健の授業で習った時にそんな話が出てきたかもしれない。その習った通りのものと比べたら……ここは、全然違う。自分達が過ごすのは、大人達から見捨てられたコンクリート造りの穴の中だ。硬くて寝心地は悪いし、どこもかしこも砂埃で汚れている。おまけに変な虫が先客の場合もあるから逃がすか、あるいは殺す労力も要る。この土管は、大切なものを包み込んでおくには相応しくない。
なのに、どうしてか――守られているような心地もする。それはもしかしたら、お互いが側にいるからだろうか。
ニンシンもシュッサンも漠然としたもの。狗凱は、「あんたはお腹の中にいたんだよ」と母親からも聞かされた気がするけれど、そんな頃の記憶なんて一つも無い。忘れてしまったのだろうか。よく分からない。自分には分からないのに……羊田には分かるのだろうか?
まとまらない気持ちの中で、それでも一つの憧れだけは確かに浮かんだ。
「俺達、きょうだいだったら良かったのにな」
「うん」
「俺が兄貴でメリーは妹」
「何で? 私がお姉ちゃんだよ。剣獅君は怖がりだから私が守ってあげないと」
「えー。お前だって俺がいないと駄目じゃん」
「駄目だけど、でも、じゃあ……一緒にいられるならどっちでもいい」
簡単に折れられると張り合いが無くて物足りない反面、同じ気持ちなので狗凱も納得した。産まれた時から傍らにいる存在として想像してみる。楽しいに違いない。親に買ってもらった玩具を共有したり、あるいは取り合って喧嘩ばかりの毎日か。何よりもっと早くにヒーローごっこをして、映画を撮ろうと約束出来たはずだ。ただし、「メリー」と名付けられなくなるかもしれないという懸念はあるが。
「双子ならさ、給食当番みたいにどっちが上か下か交代制にしようぜ」
「私はそれで良いけど、本当は双子でも先に産まれた方が上の子だよ」
その言葉を聞いた途端、狗凱は目を丸くして「マジかよ!」と声を上げた。本気で知らなかったらしい。羊田は小さく笑う。時々抜けた言動をする狗凱が好きだった。
「でもね、昔は逆だったんだって。本に書いてた」
「逆? 何で?」
「えっと……露払い? 上の子の為に、下の子が先に出て、外が安全かどうか確かめるんだって。上の子を守ってあげるの」
「ふーん?」
説明されたものの、頭の中はこんがらがるだけだった。「ちゃんと意味分かった?」と確認されたが勿論分からないまま大きく頷いておく。絶対に羊田には見透かされている。なので、深く突っ込まれる前に「そうだ!」と思いついたことを語り出す。
「なあ、双子のヒーローってカッコ良くね? 何だっけ、あれだ、あ……何とかの呼吸ってやつ。そんで、特殊能力で二人のヒーローが合体して一心同体になるんだ。どうだ、カッコイイだろ」
「うん。カッコイイ」
羊田は決してイエスマンではない。同じくカッコイイと思った。そんなヒーローがいれば、そんなヒーローになれれば、きっと夢に満ち溢れている。けれど自分にはなれないと知っているから――でも、彼が口にすれば希望になるから、その言葉を祈って待つ。
「よし! 次のヒーローは一心同体の双子で決まり!」
羊田の追求から逃れるつもりが意外と良案に辿り着いた。羊田との意見も合致した。よしよしと手応えを感じて鉛筆を持つ狗凱の手に力が込められる。今まで下書きで埋めてきたページを簡単に見放し、次をめくろうとした。
が、そこで羊田のか細い声が聞こえた。
「ねえ、剣獅君」
「あぁ?」
「私、生まれ変わったら剣獅君ときょうだいになりたい」
「生まれ変わる?」
「そう。来世は同じお父さんとお母さんの子供として生まれるの。生まれるまでは同じお母さんのお腹の中で、ゆっくり眠っていたい」
突然言われ、狗凱は戸惑う。生まれ変わるとか、来世とか、よく分からない言葉だった。考えたことが無かった。今を生きているのは今の自分だ。それなのに、羊田は今ではないどこか遠い場所に思いを馳せている。手が届かないほどに価値観がすれ違うのは嫌だから、遮らずに続きを聞く。
「生まれたら、ずっと一緒にいよう。ヒーローごっこしたり、映画撮ったり。同じ家に住んで、ご飯食べて、寝て、買い物に行って、笑って、喧嘩して、仲直りして、長生きして、死ぬまで二人で。生まれ変われたら……いいな」
うっとりと目を細めながら、この上なくありふれたことを何故か夢物語のように紡ぐ。
そんな羊田が狗凱には不思議でならなかった。今だって学校の給食は二人で食べるし、一日中遊べる日なら持参してここで食べる。本来なら今日もそのつもりだったのに、出来なかったのは羊田が昼食を忘れてきたせいだ。遊び疲れて温かい日なんかは昼寝に耽る。数日前にはお互い自由帳が足りなくなって文房具を買いに行った。笑い合うなんて日常茶飯事で、ヒーローの方向性の違いでたまには言い合いもするけれど、その日のうちに意見はまとまるのだから、喧嘩したことなんて五分も経たないうちに忘れている。確かに同じ家には住んでいない。でも、それだけだ。平和で静かな世界になったら……その後は、交わした約束の通りに二人だけで二人だけの映画を撮るに決まっている。皺だらけの年寄りになり、体が動かなくなったとしても。
――なのに、どうして羊田の夢語りは切なく、生まれ変わりなどという現実味の無い言葉を使ってまで、平凡な日々を願うのだろう?
狗凱は、それだけではつまらないと思った。今とは違う、もっとはちゃめちゃな世界が良いと思った。今は今の世界で一緒にいて、次は別の世界で一緒にいたいと思った。
「そんなのよりさぁ、ヒーローと悪の軍団が毎日戦ってる方が面白そうじゃね? 生まれ変わるならそういうのにしようぜ。俺とメリーはスーパーパワー持ってる二人組のヒーロー。例えば、んーと、メリーはテレキネシス使えるとかさ。俺は……何がいいかなぁ」
――良かった。祈りは届いた。
狗凱の中で夢語りが暴走し始めた時、隣の気配が緩み切っていることに気付いた。ふあ、と羊田は小さな口から欠伸を漏らす。その姿に親戚の家で二、三回だけ間近で見た赤ん坊を重ねた狗凱は、試しに人差し指を向けてみる。少し伸びた爪が即座に食い込んで痛いくらいに握り締められた。その強い力とは裏腹に、微睡みに落ちようとする雰囲気は柔らかい。
「おい、寝んのかよ」
「眠い……」
「飯食ってすぐ寝たら牛になっちまうんだぞ。お前、ひつじのメリーさんだろ。牛になんのか」
ふふ、と口元を緩ませながらも瞼は下りていく。いつ訂正してあげれば良いのだろう、「ひつじのメリーさん」ではなく「メリーさんのひつじ」だと。
うとうとする羊田を見ていると狗凱からも欠伸が出た。昨日だってたっぷり寝たはずなのに、不思議と眠気がやって来る。欠伸は移るとか何とか聞くけれど、羊田と出会うまではこんなにも誰かの欠伸が移ったことは無かった。
睡眠欲に抗えそうにない。ふう、と狗凱は溜め息を吐いて鉛筆を離し、羊田と向かい合って横たわることにした。しっかりとくっつき合い、お互いの体にマウンテンパーカーを被せ、手をこじ開けて全ての指を差し込む。
「しょーがねーな。ちょっと昼寝タイムだな」
最後の意識か、その返事としてこくりとだけ頷く。安らかな寝顔。穏やかな呼気。自分の側で見せてくれる、羊田の眠りが好きだった。眺めていると落ち着く。けれど、そのままにしておくと、その意識が帰って来ない気がする。そして、羊田は……何の夢も見ていない気がする。そのちらつく不安を掻き消す為に、いつも狗凱は早く目を覚まし、眠ったままの片割れを揺り起こす。そうして二人がいる現実へと取り戻すのだ。
――そう言えば、さっき羊田は言っていた。
(やっぱ双子でも俺が兄貴じゃん。俺って頼りになるよな。先に起きるんだし。……あれ? どっちだっけ。メリーが姉ちゃん? メリーが妹で、俺のこと守ってくれるのか? 俺が弟なら……えっと……守るのは……)
まあいっか、と深く考えるのは止めにした。蕩けた頭脳は回転しない。どちらも同じということにしよう。とにかく彼女の為に一番に産まれ、母胎の外へと導いてやらなければ。
きゅっと繋がり合う手に力が込められる。自分の体を巡る体温がどちらのものか分からなくなってきた。混ざり合う錯覚を覚えながら、狗凱も重い瞼を閉じる。
土管の外では変わらず世界がある。
草むらが風に吹かれて擦れ合う音も、川面から水鳥が飛び立つ音も、通行人を交わす為に鳴らされた自転車のベルの音も、今の二人にはまだ聞こえない。お互いの脈動だけが全てだった。
生まれ変わる――生まれる前からやり直せる可能性があったなら、どんなに幸せなことだろう。
完