熱が伝わるまで 嘆きの館のヤカンはお湯が沸くとピーピー音が鳴る。これまでのヤカンはたびたびゲームやら読書に夢中になって空焚きされたので、人間界に行ったときにお土産として買ってきた。基本的には便利だけど、たまに今夜みたいに邪魔されることもある。
明日提出の課題に疲れた私はキッチンでコーヒーを淹れる準備をしていた。人間用のコーヒーを棚から取り出す。ヤカンに水を入れ、火にかける。多めに淹れるつもりで水はたっぷりと入れた。あとは待つだけだ。
待っている間ゲームでもしようかなと思ってD.D.D.を取り出そうとしたとき
「こんばんは」
と声をかけられた。
「バルバトスさん、いらしてたんですね。こんばんは」
今晩、嘆きの館で会議の続きを泊りですると聞いていたので来るのは知っていた。会えるとは思っていなかったけれど。
「お茶を淹れようと思ったのですが、お使いになっているようですね。出直します」
「あ、多めに沸かしてるんで足りると思います」
いざとなったら自分の分はまた沸かせばいい。
「では、お言葉に甘えさせて頂きます。ありがとうございます」
お茶の支度をするバルバトスさんを眺める。流れるような手つきは何度見ても心地良い。
「あとはお湯が沸くまで待つだけです」
「立ったまま待つのもあれなんでよかったら座ってください」
「ありがとうございます」
椅子を差し出すとそのまま座った。遠慮するタイプなのに珍しい、と思っていたら、こっちを見て笑顔で膝をぽんぽんと叩いている。座れってことなのかな。諦めるつもりはないようで、ずっと笑顔を向けられている。こんなことになるなら夕食後にデザート食べなければよかった。
「失礼します……」
横向きでなるべく体重をかけないようにして座る。なのに、座った途端に抱き寄せられたので結局、全体重をかける羽目になった。昨日のおやつもやめておけばよかった。
「随分と遅くまで起きていらっしゃるのですね」
「明日提出の課題があって……。でもこうやって会えたのでよかったです」
「私もお会い出来て嬉しいです。課題の進捗はいかがですか」
「あとちょっとで終わりです」
本当はあと三分の一くらいあるけど、見栄を張った。
「それはよかったです。安心しました。……いかがなさいましたか?」
「この位置から見ることないから新鮮で」
まじまじと見ていたら目が合った。そのまま目が逸らせなくてしばらく見つめあっていたら、指を絡められた。熱が伝わる。そろそろお湯が沸きそうだけど、ちょっとくらいならいいよね。
「その……いいですか?」
「どうぞ」
誰か来たらどうしよう、なんて思いつつ唇が重なろうとしたその瞬間、ピーとヤカンがけたたましく鳴ってタイムアップを知らせる。残念、もっと水入れておけばよかったな……、と思いながらしぶしぶ体を離そうとしたとき、バルバトスさんが耳元で告げた。
「あとで、お部屋にお伺いいたします。会議が終わる頃には課題も終わっていると思いますので」
部屋に戻った私はコーヒーどころではなく、全力で課題の残りと部屋を片付けることになった。ちなみに、手つかずのコーヒーに言及されたので見栄を張ったことは気付かれた模様。
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がさごそという物音にふと目を覚ますと、隣がもぬけの殻な代わりに身支度をするバルバトスさんがいた。この後バスルームに行くからか、だいぶラフな恰好をしている。上着は当然羽織っていないし、シャツも第二ボタンまで開いている。珍しい、いいもの見ちゃったな……早起きは三文のとく……などと睡魔と戦いながら眺めていたら目があった。
「申し訳ありません。起こしてしまいましたか」
「ううん、いいもの見れたし……お風呂?」
「お見苦しいところをお見せして申し訳ありません。バスルームお借りします」
「使うって聞いてるから……だいじょぶ……。こんど、いっしょにはいろ…………」
最後は睡魔に負けたので返事は聞こえなかったし、何なら自分が言った内容も曖昧だけど、嬉しそうな表情を見た気がする。
その約束が後日無事に果たされたのはまた別の話。