Life with ぬい こちらをお持ちください、と暗緑色のリボンがかかった墨色の箱がバルバトスさんから手渡された。目の前の恋人とよく似たカラーリングの箱は、ギリギリ片手に乗らない大きさの割には軽くて、振るとコトコトと音がした。
「あの、これは?」
「あなたへのお土産です。あちらに着いたらお開けください」
お菓子かな。大事に食べよう……と思いながら箱を抱えて人間界へのドアをくぐった。
おやつを巡る争いで嘆きの館の私の部屋が再び破壊されたので、修理の間ここぞとばかりに人間界へ戻って用事を済ませることにした。滞在予定は三週間。みんなと会えないのは寂しいけれど、いつかは戻らないといけなかったのでいい機会だと思うことにする。そのことをバルバトスさんに伝えたとき、ふむ……と考え込むようにしていた。その結果がこの箱なんだろう。
人間界に用意してもらったのは短期滞在用の単身向けアパートメント。コルヴォに部屋を用意すると言ってくれたけれど、たまには一人暮らしもいいかなと思ってここをお願いした。その代わり、全体宛チャットに毎日定時に連絡を入れることになっている。過保護だと思う。
部屋の設備は一般的なホテルのダブルルームとほぼ同じ。ベッド、小さなテーブル、椅子。違いはちょっと立派なキッチンと洗濯機があることくらいだろうか。
荷物を解いて一段落したところで目に付いたのはテーブルに置いておいた貰った箱。休憩にしようと勢いよく箱を開けた。
「……え?」
箱の中に入っていたのはお菓子どころか食べ物ですらなかった。
ぬいぐるみ。それも悪魔姿のバルバトスさんを模した、私の手より一回り大きいくらいのぬいぐるみ。そのままの姿ではなく二頭身にデフォルメされている。クレーンゲームの景品やレヴィの部屋で同じような物を見たことがある。それにしてもニコリともしていないあたり、バルバトスさんらしい。得意のお菓子でなくぬいぐるみなのは、そばにいられない代わりにってことだろうか。売っているわけないから手作りなんだと思うと、そこまで想ってもらえることに、つい頬が緩んでしまう。指でつついてみると綿の詰まったぬいぐるみの柔らかさが指を押し返す。もう少し強く押してみると
「ぬ」
と音がした。よくある、押すと音が出るやつかな……?
「ぬ」
今度は押していないのに音がした。おまけに立ち上がろうと動いている。幻覚? 疲れ? ひと眠りした方がいい? 混乱して固まっているうちに、ぬいぐるみは自身が入っていた箱の中をごそごそと探り、ぬ、と紙を差し出した。
一番上には「取扱説明書」と書かれている。
『このぬいぐるみは言葉に対応した動きをする魔法具です。簡単な家事も可能です。使うにつれて最適化されていくので、たくさん話しかけて育てていってください。
なお、漏れ出ている魔力を利用して動いているため、一定以上の距離が空くと動作を停止します。再度動かしたい場合は、ぬいぐるみに触れてください。
あなたの人間界での生活の一助となりますよう』
最後の一行だけ手書きで、下の方にはソロモン、レヴィ、それとバルバトスさんのサインが入っている。三人で作ってくれたらしい。それなら動きもするかと納得した。当のぬいぐるみは直立不動でじっと何か言葉がかけられるのを待っている。
「んーそうだな……踊ってみて」
と試しに言ってみると、なんだか見覚えのある動きをし始めた。……ダンスバトルのバルバトスさんだ! といってもそこは二頭身のぬいぐるみ。手足がぴょこぴょこと動く、かなりかわいらしいダンスになっている。
「今度は歌ってみてくれる?」
「ぬぬーぬ、ぬぬーぬー、ぬ……」
言葉が「ぬ」で構成されているので曲はわからないけれど、歌っていることはだけはわかる。どうやら喋るようにはなっていないらしい。
とりあえず、お礼を言おうとD.D.D.を手にしたところで、いい案が閃いた。
「えーっと……こっちに来てくれる? 一緒に写真撮ろう」
この言い方でよかったらしく、私と顔を並べてカメラの方を向いてくれた。
お礼と共に送った写真は好評で、チャットにはYES!! やWhoo! のスタンプが並んだ。
話しかける以上、呼び名がないのは不便なので「ぬい」と呼ぶことにした。あまりに汎用的すぎるけれど、本人と同じ呼び方をするのも変だし、名前を勝手に略すのも悪い気がしてこうなった。
一日目が終わってベッドに入り、テーブルに座らせていたぬいに
「おやすみ、ぬい」
と声をかけると、とてててて、とこちらに走ってきてベッドに飛び乗り、枕元に座った。
もしかしてと思い、一緒に寝る? と声をかけると布団に潜り込んできた。さすがにぬいぐるみなので目は閉じない。寝かしつけのつもりなのか、近くにあった私の手をぽふぽふと叩いている。もう少し起きているつもりだったけれど、その厚意に甘えることにして、心の中でバルバトスさんにおやすみなさいと挨拶して目を閉じた。
次の日から、ぬいをバッグに入れて外出するようになった。少し下を見ると肩から下げたトートバッグに入ったぬいが見える。ポーチと財布の間にちょこんと収まっており、声をかけるとこちらを見て小さく手を振ってくれた。
家で留守番してもらわないのは昨夜の出来事が後を引いている。
昨日、夕飯のために外出して帰宅した私が部屋のドアを開けたときに見たのは廊下で行き倒れ状態になっているぬいだった。出かけるときに玄関で小さな手を一生懸命振って見送ってくれたのに、帰ってきたらこの状態はあまりにも気分が悪い。思わず駆け寄って触れたら、ぬ、と一言発した後、何事もなかったように動き出したので安心した。距離を空ける以外に停止する方法はないようで、かといってまた行き倒れ状態も見たくないので連れて行くことにした。
折角の人間界、大抵の日は用事を早い時間に済ませてカフェや観光地を巡ることにしていた。魔界で誰かと一緒に行動する生活が長かったせいか一人での行動は少し寂しい、と思うところだったが今の私はぬいがいる。寂しくない。そう思うこともバルバトスさんは見越していたんだろうか。外なのでさすがにぬいに話しかけるわけにはいかないが、写真撮ろっと、と独り言のように言ってぬいを置くと、小声で「ぬ」と返事をし、こっそり動いてそれらしいポーズをとってくれた。写真の中のぬいは心なしか微笑んでいるような気がした。
何も用事がない日は近くの公園をぶらぶらして久しぶりの太陽を堪能した。魔界の生活に慣れたとはいえ、いざ太陽の下に出ると、明るくて暖かくて気持ち良いと思う。天気が悪いときは家で過ごした。椅子に座って何かしていると、ぬいは私の膝に乗ってきて、何か言われるまでじっと座っていた。退屈してない? と聞くと、「ぬ」と返事こそするものの残念ながらぬいは生物ではないので退屈も何もない。でも時々、物ということを忘れそうになる。このままずっと一緒に過ごしたら、いつか生物になるかもしれない。そんな神話もあった気がする。
流行りのカフェ、博物館、展望台、マーケット、公園、私の部屋。D.D.D.の写真フォルダはたちまちぬいがどこかしらに写っている写真で埋め尽くされていった。
人間界での滞在も残り数日。そろそろお土産を買わないと、と思って買い物に出かけた。
「バッグがいっぱいだからお土産の袋に入っててくれる? 狭いかもしれないけどすぐ着くから」
「ぬ」
帰り道、天気予報は夕方から雨と言っていたのに思ったよりも早く雲行きが怪しくなってきていて、近道だけれど人通りがなくて避けていたルートを使うことにした。今日までこれといったトラブルもなかったことで油断していたのかもしれない。後ろから足音が聞こえたと思ったら突き飛ばされて、その勢いで地面に倒れた。痛い。……ぬいの入った袋は? 顔を上げると袋を持って走り去ろうとする人がいた。ひったくりだ。
「待って!」
こういうとき追うのは危険だと知っているけれどそれどころではない。
「返して!」
全然追いつける気配がない。
「誰か助けて!」
そう叫んだ途端、袋が爆発した。
「…………は?」
驚いている場合じゃない。そのままの勢いで犯人が投げ出していった袋の残骸に駆け寄り、ぬいを確認する。全体的に煤けているものの、どこかが千切れたり焼けたりしてはいない。さすが魔界製。が、安心したのもつかの間、どんなに触れてもぬいが返事をすることも動くこともなかった。
テーブルの上にぬいを寝かせ、暗い部屋でずっと椅子に座っていた。いつの間にか降り出していた雨の音だけが聞こえていた。D.D.D.の画面が光って何かを通知していたけれど、見る気にはなれなかった。何度かD.D.D.が部屋を照らし、何分か何時間かが過ぎた後、ドアがノックされた。誰も来る予定はないし、出なくていいや……。と放置していたら不意に、カチャ、とドアの開く音がして部屋の電気が点いた。鍵はかけていたはず……。顔を向けると部屋のドアは開いていなかった。その代わり魔界へのドアが開いていて、バルバトスさんが立っていた。思わず立ち上がった私を見て、彼はなぜか僅かに表情を険しくした。
「あれ……なんでここに……?」
「本日分の連絡がなく、電話にも出ないので何かあったのかもしれない、と皆様が」
「あ……ごめんなさい……」
「その怪我と服、何があったのか教えていただけますか」
言われてようやく気付いた。地面に倒れたときについたであろう擦り傷。服も汚れている。
「――それで、この子が動かなくなって……」
傷の手当てをしてもらいながら今日あったことのあらましを伝えると
「この程度で済んで何よりです」
いつも通りの落ち着いた口調とは裏腹に、明らかにほっとしているのが伝わってくる。
「では、私は一旦報告のため魔界に戻ります。ぬいぐるみについては心当たりがあるので、こちらも魔界へ持ち帰ります。お渡ししたときの箱はございますか?」
箱を手渡すとバルバトスさんはぬいを丁寧にしまい込んだ。箱の色のせいか葬送を彷彿とさせて、なんだか二度と戻ってこないような気がした。そんな気持ちを察したのか、私の頭をそっと撫でると箱を抱えて魔界へ戻っていった。
一人だけの部屋に雨の音だけが響く。これが本来私が過ごすはずだった部屋。冷たい静かな水底のようだと思った。
小一時間ほどでバルバトスさんは戻ってきた。
「ソロモンに修理を依頼しました。一晩あれば直るそうです」
「動かなくなって、困ってなかったですか……?」
「想定通りらしく、むしろ喜んでいました」
「よかった……ありがとうございます」
「お礼はソロモンに」
安心した途端に部屋に響き渡る、空腹を訴えるお腹の音。
「その、これは……」
「何かお作りしましょうか。キッチンお借りします」
温かいリゾットを食べながら、ぬいについて教えてもらった。
提案とぬいぐるみ自体は予想通りバルバトスさん、内部の魔法具はソロモンが作成。動作はレヴィがメインで設定したらしい。道理でマスコット的なキャラのような動きが多いと思った。それ以外の基本的な動作はバルバトスさんの性格をベースにしているようで、だから会えないことにあまり寂しさを感じないで済んだのかもしれない。今更ながら感謝しかない。ちなみに爆発したのは防犯機能としてソロモンがこっそり仕込んでいたものらしい。なんてものを入れるのかあの魔術師は。
「それにしても、あの二人引き受けてくれたんですね。特にレヴィはゲームするからそんな時間ないって言いそうなのに」
「ソロモンは趣味も兼ねてでしょうね。レヴィアタンは親友のためならと仰っていました。あとは、これが成功したら同じ魔法具をお手持ちの花ルリ様のぬいぐるみにも入れてほしいので協力する、と」
嘆きの館を闊歩する花ルリちゃん……。かわいいけれど、ルシファーの眉間に皺が寄りそうな気がしなくもない。
「ただ、魔法具を入れるのにぬいぐるみの縫製を解く必要があるとお聞きになってからは、だいぶお悩みでした」
「ふふ、レヴィらしい」
そんな話をしながら久しぶりのバルバトスさんの手料理をゆっくり味わった。
「あの……やっぱりそろそろお帰りですよね……?」
「そうですね」
夕食後、ベッドに並んで座ってお喋りし、夜もだいぶ更けてきた頃に恐る恐る聞いた質問の答えはやっぱり予想した通りだった。チャットでやりとりしていても、顔を合わせると話したいことは尽きない。普段の忙しさを考えるとこれでもかなり残ってくれた方だと思う。
「そろそろお暇しようかと」
と言って立ちあがったバルバトスさんの服の裾を思わず掴んでしまう。
「どうかなさいましたか?」
きっと私の言いたいことは察しているのに、こういうときは決して甘やかしてくれない。
「まだ、もう少し」
裾を握る手に力が入る。
「一緒に、いてください」
必死の思いで言葉を絞り出し、上を向いて目をあわせる。
その目には意外さも迷いもなくて、予めどうするか決めていたようだった。
「明け方まででよろしければ」
「ありがとうございます……!」
「起きた時に私はいませんが、それでもよろしいですか」
「それでも構いません」
「それと、明け方までずっと起きているのもいけません。明日に差し障ります」
「うっ……はい……」
寝支度を調え、久しぶりの腕枕をされながらベッドに二人で横になっている。なぜか布団の上からゆっくりぽふぽふと叩かれる私の腕。
「あの、これは……」
「おや、寝かしつけは不要ですか? それとも」
私を抱き寄せると耳朶を甘噛みし、そのまま耳元で
「こちらの方がよろしいですか?」
と囁いた。ずるい。楽しげに私の顔を覗き込んでくるバルバトスさんに、そんなの答えは決まっているとばかりに口づけた。肌に触れる指を、手を、唇を感じながら、夜明けを連れてくる太陽をこの時ばかりは恨めしく思った。
翌朝起きた時には宣言通りバルバトスさんはもういなくて、最初から一人で寝ていたかのようにベッドと服は整えられていた。昨夜の出来事は夢かと錯覚しそうになるけれど、胸元にいくつも咲く赤い跡が現実だと主張している。
テーブルの上には一人分の朝食と墨色の箱。恐る恐る箱を開けると、入っていたのは当然お菓子ではなく、ぬい。そっと触れると、よく寝たとでもいうように起き上がって伸びをする。
「おはよう、ぬい。今日はどこ行こうか」
「ぬ」
ぬいはいつも通りの返事をすると、恭しく私の手を両手で持ち上げ、「どこまでもお供します」と言わんばかりに手の甲にキスをした。
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魔界に帰る日の朝。テレビからは朝のニュースが流れている。これもしばらく見納め。目の前のテーブルには少し早めに迎えに来たバルバトスさんが焼いてくれたパンケーキ。右にはバルバトスさん。左にはぬい。左右から差し出されるフォーク。刺さっているパンケーキを口に入れると間髪入れず、再度フォークが両側から差し出される。
「どうぞ」
「ぬ」
食べさせてくれるのは嬉しいけれど、本人同士で張り合わないでほしい。
困惑しているとニュースがペット特集を始めた。映し出されたのは犬猫に続いてハムスター。それを見いたぬいはフォークを置くと私に駆け寄ってしがみついた。ぷるぷる震えている。おまけに
「ぬ……ぬ……」
と小さな声が聞こえてくる。
「……泣いてるの? 怖いのかな。テレビ消すね」
「私はこの程度で泣いたりしません。食べ辛いですよ。離れなさい」
それを聞いたぬいはしぶしぶといったように私から離れた。当たり前だが涙は出ていない。涙は出ていないが、「チッ」と舌打ちが聞こえた気はした。
「全く、油断も隙も無い。誰に似たのでしょうか」
バルバトスさんじゃないですかね、の言葉は右から差し出されたパンケーキと共に飲み込んだ。