雨の日 その日は酷い雨だった。ただでさえ忙しいのにそんなに日に出かけたくなどはなかったが、どうやらリトルDが買い忘れをしたらしく、キッチンのどこを探しても見当たらなかったのだから仕方ない。
大ぶりの黒い傘を差し、食材の入った紙袋を抱えて帰路を急ぐ。
魔王城まであと半分ほど、というところで正面から歩いてくる人影が目に入った。
傘も差さずに俯いて雨に打たれるまま、髪も服もずぶ濡れだが何も気にしていないようだった。
何かしら事情があるのだろう、それに部外者にかまっている時間はないとバルバトスが横を通り抜けようとしたとき、相手が自分のよく知った人物であることに気付いた。
「お待ちください」
手袋が濡れるのも構わず、その人物の手首を掴んで引き留めると、相手は歩みを止めてのろのろと顔を上げ、バルバトスを見た。MCの両の目からは水がとめどなく滑り落ちていて、決して雨のせいだけではないと言っていた。
半ば無理やり魔王城に連れ帰り、客室へ連れ込む。上着を脱がせたところで丁度、リトルDに持ってくるよう言いつけたタオルとバスローブが届けられたので受け取ってMCへ差し出した。
「お使いください。バスルームはそちらです」
MCは下を向いて立ち尽くしたまま動かない。それでもバルバトスが辛抱強く待ち続けると、ようやく口を開いた。
「ねえ……私って魅力ないのかな……」
「あなたは大変魅力的ですよ」
決して慰めの言葉ではなく、普段から思っていることだけを素直に口に出した。
「人間だから……?」
「種族は関係ありません。あなた自身が、です」
どうやらこの答えだけではお気に召さなかったらしい。
「それなら……それなら言葉だけじゃなくて証明してよ! 今すぐ!」
バルバトスに縋りつくMCの体はすっかり冷え切っていた。
「仕事がありますので」
「ほら! やっぱり! 結局バルバトスだって口だけ! もうやだ……」
MCがバルバトスの胸を力なく叩く。その手を柔らかく受け止めて口を開いた。
「ですから、終わるまでお待ちいただけますか? 朝まで存分にあなたの魅力を伝えさせてください。それと、早急にシャワーを浴びて体を温めた方がよろしいかと。風邪をひいてしまいます」
まさか本気で受け取られると思わなかったのか、MCが明らかに動揺して後ずさった。
「え……あの、でも……門限とか夕飯とか……」
「後で食事を運ばせます。もし待っている間に帰りたくなったら帰宅していただいて構いません。嘆きの館には予め私から連絡しておきます」
「ちょっと、考えさせて……」
改めてタオルとバスローブを差し出すと、今度は素直に受け取った。
「もちろんです。私は仕事があるので一度失礼いたします」
目の前のことで頭の中が埋め尽くされている今の状態なら、しばらく一人にしても問題ないだろう。
「それと」
ドアに手をかけ、振り向く。
「再度このドアを開けたとき、あなたが待っていてくださるのを楽しみにしています」
朝から降り続いていた雨は昼を過ぎて強さを増したようだった。
「あれ? 傘がない……はぁ……」
校舎の入り口に設置されている傘立てに置いていた傘がない。
今日の天気で傘を差してこないことは考えられず、誰かが間違って持って行ってしまったのだろうと早々に探すのをやめたMCは小さく溜息をつくと、教室に置いてある折り畳み傘を取りに踵を返した。
教室のドアを開けたMCが見たのは椅子に座る男子生徒と、その男子生徒に跨ってキスをしている女子生徒。
「お、お邪魔しました……」
そう言いかけてドアを閉めようとしたMCは男子生徒に見覚えがあることに気付く。
見覚えどころか、前々から仲がよかったのが一か月ほど前に開催されたクラスのカラオケ大会中に盛り上がって二人で抜け出し、そのときから付き合い始めたひとだった。
「え……」
固まったところで相手もMCに気付いたらしい。気付いたはずなのにキスをやめる気配はない。それどころかMCに見せつけている。
「そ、そのひとは……?」
震える声でそれを言うのが精一杯だった。
廊下を駆け、雨の中に飛び出す。MCの頭の中で、投げつけられた言葉が何度も何度も再生された。
「はぁ? そんなわけないだろ」
「ちょっとは食わせてくれるかって思ったのに」
「とんだ期待外れ」
「それ以外? ないけど?」
雨はまだまだ止みそうにない。