笑顔と妖精の贈り物 人と獣人と妖精が同じように暮らす、天恵を与えられた王国がある。
その王国の宮殿の廊下で、第二騎士団(タウロス)団長ズィヴィルはそこ抜けた明るい声に呼び止められた。振り向くと声の主が駆け寄ってきた。
「……何か用ですか、コーデリア団長」
「お久しぶり、ズィヴィル!」
声の主――第十騎士団(カプリコーン)団長コーデリア――はえへん、と胸を張った。
「私の部下を貴方のところに推薦したいの」
ズィヴィルは首を傾げたがコーデリアは構わず話を続けた。
「あの子はとっても体力があるし、あの子の才能を最大限に活かせるのはタウロスだと思うの」
ズィヴィルは腕を組んで考える。
第二騎士団は王宮内を警護する、第一騎士団(アリエス)の次に王族の近くで働く騎士だ。侵入者を捕まえるための実力はもちろんだが、考えられないほど広い王宮内を一日中走り続ける強靭な体力がなければ話にならない。そしてそれほど強靭な体力を持つものは少ない。
そんな逸材を推薦してくれるのはズィヴィルにとってとてもありがたい話なのだが、本当にそんな人間が第十騎士団に――第四騎士団(キャンサー)、第五騎士団(レオ)、第六騎士団(バルゴ)ならまだしも――いるのだろうかと疑ってしまった。
けれど、コーデリアが胸を張ってそう言うのだ。本当にいるのだろう。
「その人の名前は?」
ズィヴィルが尋ねると、コーデリアが名前を教えた。
「……女?」
「そう! 女の子なの!」
驚いたズィヴィルがよほど面白かったのかコーデリアは上機嫌だった。
「もうやだああ~~!! タウロスやめたいよ~~!!」
城下町の酒場で度数の低いお酒を飲み、少女は机をバンバンと叩いて向かいの席に座る女性に愚痴をもらした。
「まあまあ、落ち着きなさいよダイアナ」
「だって、だって……ぐすん」
少女――ダイアナ――は涙を必死にこらえた後残りのつまみを口に放り込んだ。彼女の優しさがうかがえる暖かなペリドットの瞳は涙に濡れていた。
「確かに昇進扱いだから嬉しいよ、お給料も増えるし。でもねすっごく団長が怖いの!」
「えーっとタウロスは……」
「フローラ、ズィヴィル団長だよ」
フローラはそうだったわね、と頷いた。
「王宮に入ったことある? とっても広いんだよ。その王宮内で迷子になっちゃって……それで団長に怒られたの。タウロスが王宮を把握しなくてどうするって」
しょんぼり、と肩を落としてダイアナはつぶやく。
「あんなに広いのにたった一ヶ月そこらで覚えられるわけないもん。私ただでさえ方向音痴なのに」
「ありゃりゃ」
フローラが相槌を打ってくれたので、ダイアナの気分はいくぶんかましになった。
「なんだか、私が持ち場にいる時に団長が通りかかるんだけど、目がとっても怖いんだ。きっと私があんまりだめなものだから、目をつけられているんだよ」
「何か言われたの?」
「ううん、何も。だからなおさら怖くって」
ダイアナはまた泣き始めた。フローラとダイアナは同期なので、フローラはダイアナが騎士学校にいたころから泣き虫だったのをよく知っている。
「うーん、ダイアナの考え過ぎかもよ」
「そうだといいけどおおお」
ダイアナは机に顔を伏せてわんわん泣きだした。少しお酒が入っているとはいえやはり彼女は泣き虫だ、とあらためてフローラは感じた。
「ほら、落ち着いてよダイアナ。明日も仕事でしょう?」
「うん」
「明日はきっといいことがあるわ」
「……ぐすん」
ダイアナは涙をごしごし拭いて、にっこりと笑ってみせた。
「そうそう。ダイアナは笑っているのが一番かわいいよ」
「わああああああありがとうフローラアアアアアアア」
笑った顔が台無しだ、と泣き笑いするダイアナにフローラは苦笑した。
***
「今日も異常なーし!」
ダイアナはとびきりに明るい声でそう呟いた。気持ちだけでも明るくしておけばなにか良いことが起こるかもしれない。笑う門にはなんとやらと母も言っていた。
白亜の宮殿は常世の闇と星の光とよく映える。外観もさることながら、王宮内から見る景色も素晴らしいことを第二騎士団に入ってから知った。それが第二騎士団に入って良かったとおもったことのひとつだ。
ダイアナが窓からふと景色を眺めている時に、それは起こった。
空からきらり、なにか光が落ちたのだ。
今の何? とダイアナが窓を開けて身を乗り出す。流星といえば近いが何かが違う。
星が落ちたのだろうか? それとも遠くで魔法の実験でもしているものがいるのだろうか? 思考を巡らせてみたが、よくわからない。
もし、星が落ちたのなら大事だ。星はこの世界で全ての創造神であり神と崇められる。流星にはたくさんの魔力が凝縮されており、使い方によっては繁栄と滅びのどちらも与えることができる。つまり、この世で最強の兵器ともなりうる。
ダイアナは懐中時計を確認した。この時間ならズィヴィルが近くにいる時間だ。
ダイアナは事の真相を確かめるため、時計を閉じてズィヴィルの元に駈け出した。
***
「団長、ズィヴィル団長! 今の見ましたか!?」
「ああ、そのことで今俺にも緊急召集がかかったところだ」
ズィヴィルが一枚の紙切れをダイアナにみせた、たしかこの陣は伝言の用途で使われている魔法を示すものだ。
「俺は今から、ルドウィグ団長のところに向かう。君もついてこい」
「え!? なんで私も?」
「できれば部下を連れて来いと」
「はあ」
つまり、部下を連れて来いと言われたので手身近に居たダイアナを連れて行くということか。
そう納得すると早足で歩いて行くズィヴィルをダイアナは走って追いかけた。
***
集合場所に第三騎士団(ジェミニ)の駐屯地が指定されたのは、一番人が集まりやすい場所だからだろう。行く途中でズィヴィルに尋ねると、第二・第三・第四・第五・第六騎士団長が招集されたらしい。
もし星が本当に落ちていたら、対応できる人間が限られてくるからだろうか。
王宮を守る最初の砦である第三騎士団は警備も固いのだが、ズィヴィルの後ろにひっついていたのでダイアナは理由を尋ねられずに済んだ。
以前、同期のセツナを訪ねてここに来たとき質問攻めにされたトラウマが押し寄せてきて、ダイアナは少し涙目になった。
会議室の扉を開けられ、中に入ると机には各騎士団長がすでに座っていた。その後ろに控えているのが各騎士団員だろう。
「遅れました。申し訳ありません」
「いいよぉ別に、俺もいま来たところだしねぇ」
ひらひらと手を振ったのは第五騎士団長のオリクスだ、女癖が悪い人だと聞く。
「全然遅くないですよ~。むしろこんなに早く集まると思っていなかったので、ちょっと驚いたよ~」
にこにこと笑った柔和な印象の男性は第四騎士団長ラグナレスだ。
「どちらにしろ早く始めないか。今午後四時だぞ。調査を開始するなら早い時間であることに越したことはない。僕は早く仕事に戻りたいんだ」
一際幼く見えるのが第六騎士団長フェルナンドだ。何かと神経質な人で扱いづらいが部下思いの上司だと同期が教えてくれたのをダイアナは思い出した。
「そうだな~さっさと始めよう」
そう言って笑ったのが、騎士学校の同期であるセツナが敬愛しているので、ダイアナもよく知っている第三騎士団長ルドウィグだ。
***
「アイリくん、君が時間を正確に覚えていたよね。教えてもらっていいかな~?」
「は、はい」
第四騎士団長ラグナレスに声をかけられたアイリという黒髪の女性は、おずおずと報告を始めた。
「時刻は午後3時42分、南西方向に流星かと思われるのが落下しました。流星かと思われるもの、というのは……具体的に説明できませんが、流星と少し違うというような違和感がありました。落下地点は城下のどこかだというだけで正確な場所はまだ分かっていません」
「ご苦労さま~」
ラグナレス促すと、アイリは壁際に下がった。
「落下地点の目星もないのか? 僕はその時間室内に居たからちっともわからないんだ」
第六騎士団長フェルナンドがそう言うと、室内は沈黙に包まれた。
「みーんな分かんないみたいだねぇ。俺もわかんないんだけどさぁ」
第五騎士団長オリクスがのんびりとした声の調子でそう言った。フェルナンドがため息をつくと第三騎士団長ルドウィグが発言した。
「だからこうやって集まったんじゃん。落下地点に目星ついてたらすぐそこに誰かを派遣してるだろ」
「そうですね」
とズィヴィルが同意する。
「どうやって落下地点を見つけるのか……そのために集まったんでしょう?」
ズィヴィルがそう続けるとラグナレスがうんうんと頷いた。
いい案がある人は挙手、とルドウィグが呼びかけているとラグナレスが手を挙げた。
「せっかくフェルナンドくん以外は部下を連れてきているんだし……その部下たちで合同調査っていうのはどうかな~?」
「悪かったな連れてきていなくて」
間髪入れずにフェルナンドが立ち上がると、オリクスが無理やり座らせた。ラグナレスはオリクスに促され話を続ける。
「今日はまだ見つからないかもしれないでしょう。本当に流星だとしたら次の日が一番見つけやすいしね~」
流星は落ちたその瞬間から魔力を発し続けるが、落ちた次の日から急激のその魔力の量が上がるので、妖精がそこに集まってくる。流星を見つけたかったら妖精を探せという言葉があるぐらいに、妖精を目印にするのだ。今日の段階で妖精が集まっているとは考えにくいとラグナレスはそう言っている。
「だから今日は十時くらいで切り上げることになるでしょうし、それならわざわざ呼び集めるよりここにいる子たちでやってもらったほうがいいと思うんだよね~」
「あ~なるほどね。時間押してるし、そのほうが早いか」
ルドウィグが賛成してくれたので、にっこりとほほ笑んでラグナレスは付け加える。
「どうしても隊が違うと溝があるし、いざというときに助けるためにも、親睦を深めるいい機会になるかなって~」
「そうだな」
冷静になったフェルナンドがそう呟いた。
「じゃあ、ラグナレスの意見でいいと思う人は挙手」
ルドウィグがそう言うと、その場の全員が手を挙げた。
***
割り振りの結果、ダイアナは第五騎士団のシルヴィオと、第三騎士団のセツナは第四騎士団のアイリとともに行動することになった。
「ねぇフェル。なんで誰も部下連れて来なかったの? 部下に嫌われたの?」
「あっそうだよ。俺言い忘れてた?」
オリクスとルドウィグが尋ねるとフェルナンドはオリクスを睨みつけた後、淡々と答えた。
「第六騎士団は全員、とある魔女の脱走犯を追っている」
「ああ、10人も殺したっていう赤髪の魔女? 顔に大きな十字傷があるっていう女の」
「そうだ」
ラグナレスが尋ねるとフェルナンドは肯定した。
「処刑執行が決まってすぐに逃げ出されたんだ。あいつは僕たちが捕まえたから、けじめは僕たちでつけようと思って」
「そりゃ逃げられたままなら大恥だしねぇ」
オリクスがそう言うとフェルナンドはあからさまに不機嫌になった。
「すまないが……そういうわけで僕も忙しいし、部下を貸すことは出来ない」
フェルナンドはそう言い終わると立ち上がり、会議はお開きとなった。
「初めまして、タウロス所属のダイアナです」
「こちらこそ初めまして、レオ所属のシルヴィオです」
シルヴィオが丁寧にあいさつをしてくれたのでダイアナはほっとした。
「良かったぁ、シルヴィオさん怖い人じゃないみたいで」
ダイアナがそう言うとシルヴィオは反応に困ったのか苦笑していた。
「とりあえず、調査に行きましょう! 今4時半だから5時間半も回れば終わりですし」
「はあ……しんどいなあ」
シルヴィオはため息をついたが、ダイアナは気にもとめずいつものように走り出した。
「えええ、ちょっと! ちょっと待ってください!」
シルヴィオに呼び止められてダイアナが立ち止まり振り返ると、シルヴィオが息を切らして追いかけてきた。
「あの……ぜぇぜぇ……待って……」
「もう。まだ100mも走っていませんよ。だらしないなあ」
「なんで走るんですか?」
「時間がもったいないからです。限られた時間で少しでも多くの目撃証言と、手がかりを見つけたいんです。だったら走るしかありません」
ダイアナが自分の考えを伝えると、シルヴィオは渋々頷いた。
「わかりました。でももう少しゆっくり。早歩きぐらいにしませんか? ちょっと……げほげほ……今日、体調が悪くて」
「そうだったんですか、ごめんなさい。だったらしかたないですね」
シルヴィオは身体が弱いのかもしれない。そういう人間だと気がつけなかったのでダイアナは自分を責めた。
シルヴィオに促されて近くのカフェに入ってみる。店員――名札にはリーヘイと書いてある――が出てきたのでダイアナは用件を伝えた。
「すみません。タウロスのダイアナです。今日は調査協力をお願いしに来ました」
「えっと……何か」
「今日の午後3時42分頃、南西方向に流星かと思われる光が目撃されました。何かご存知ありませんか?」
「流星かあ、もしかしてあのきらって光ってすごい音がして落ちた?」
「そうです!」
ダイアナが目を輝かせるとリーヘイは思い出しているようだった。
「あれなら、もっと……5キロ先ぐらいに落ちたのかも」
「え? 本当ですか!?」
なぜそんなに正確な場所がわかるのだろうとダイアナが不思議そうな顔をするとリーヘイが教えてくれた。
「昔から魔力に人一倍敏感で、でもあれは……」
リーヘイは言葉を探すように宙を見たがまたダイアナの方を見て教えてくれた。
「流星じゃない気がします。もっと何か、弱いものです」
***
弱いものだから発見が難航しているのではないか、とリーヘイは付け加えて教えてくれた。
まさか一軒目で見つかるとは思っていなかった。ダイアナは昨日のフローラの言葉を思い出した。
『明日はきっといいことがあるわ』
うん、うんと頷きながらダイアナは走る速度を緩めない。笑って明るく過ごせばなにか良いことあるねと心のなかで呟く。
1キロ走ったところでダイアナは思い出した様に振り返る。
完全にシルヴィオを置いてけぼりにした。
申し訳ないなと思いつつしばらく待っていると、シルヴィオが来た。
「ごめんなさい。シルヴィオさん」
「いいえ、こちらこそ」
***
シルヴィオが関心したようにダイアナに声をかけた。
「さっきから思っていたんですけど、すごい体力ですね。さすがはタウロスだ」
「え? そうですか?」
「はい。タウロスの中にいるから普段は気が付かないのかもしれないですが、ダイアナさんは人一倍体力がありますよ」
羨ましい、とシルヴィオが呟いた。
そろそろ、リーヘイに教えてもらった場所だ。
近づいている途中で、シルヴィオが指をさした。
「あれ、あれですかね?」
「え?」
「ほら、あの小さいの」
小さいの、そう言われてもダイアナは目視できない。走って近づこうとしたらシルヴィオに危険だからと止められた。
ゆっくり、ゆっくり近づいていき、それがなんなのか二人は見つけて驚いた。
妖精だ。
***
『ふわあああえええええん。えええええん。痛い、痛いよおおお』
ダイアナの手のひらほどの小さな妖精はずっと泣いている。神話やおとぎ話の中でしか妖精を知らなかったダイアナはとても驚いた。シルヴィオと目配せをしながら徐々に近づいていく。
「どうしたの?」
妖精に声をかけると、妖精は少し泣き止んで、ダイアナを見据えた。
真っ赤な髪に同じ色の瞳、肌の色まで赤く、背中の羽もその色だ。
『怪我をしたの、怪我をしたのよ。だからもう空に、空に帰れないの。飛べない、飛べないのよ』
あまり文章になっていないが、よく見ると羽がかけていた。羽を怪我したから空から落ちて、飛べなくなってしまったのだろう。
「大丈夫よ。羽の怪我は治るわ。きっとお空に帰ることができるよ」
ダイアナは自分の幼なかった弟たちををあやしたように、優しく語りかけた。
「これ、なんて報告すれば……そもそも妖精の怪我って治るんですか?」
「どうなんでしょう」
ダイアナがううんと首を傾げる。
「どうしよう、この子を王宮に連れて行くわけにも行かないし……」
ぞぞぞっと背筋に悪寒が走った。
ダイアナは振り向きざまにその場から跳び退き、シルヴィオは妖精を抱えて後ずさった。
「貴方は誰?」
ダイアナが物陰から睨みつけてそう言うと、小さく不気味な声で詠唱が聞こえてきた。ダイアナはシルヴィオのもとに駆け寄り光属性の詠唱を早口で唱えた。
ダイアナが光属性の結界を張り終えると同時に結界の外を濁流が襲った。
「惜しい」
低く恐ろしい声が聞こえた。シルヴィオはもう詠唱――たしか水属性の――を始めている。
ダイアナは息を呑む。第十騎士団から第二騎士団に入った彼女はこれが初めての魔法を使うことができる人間――魔女――との実戦になる。
赤黒い血のようなべっとりとした髪から覗く黒い瞳はひどく不気味だ。そして顔には大きな十字傷があった。
魔女は低い声で詠唱を唱えた。再度濁流が襲ってきたがシルヴィオの結界で守られた。
「どうして襲ってきたの」
ダイアナが銃を構えて尋ねた。
「もしかして、この子を怪我させたの、アンタですか」
シルヴィオが吐き捨てるようにそう言うと、魔女がにいっと笑った。
ダイアナはシルヴィオに遅れて気がつく。
古い迷信のひとつに妖精の羽は万物の薬となり、長寿になるというものがある。それは何の根拠もない迷信で、長い間人と妖精の間に溝を作った原因のひとつでもある。
そんな迷信を信じて、この妖精に怪我をさせたのかとダイアナは怒りで拳を握りしめた。
その様子を見かねてシルヴィオがダイアナの肩を叩いた。
「逃げましょう、冷静になってください。僕たちではあいつに敵いません」
「でも!」
「よく考えてください。僕も君も星武器を持っていなければ、魔女との戦闘にも慣れていない。……このままでは無駄死にです」
そこまで言われてダイアナは落ち着いた。魔女退治を専門とする第四騎士団のフローラに聞いたことがある。魔女退治は星武器所有者を含めた5人組でひとりの魔女を倒すと。
しかし今ここにはダイアナとシルヴィオしかいない。魔女から逃げ出すことすら難しいかもしれない。
ダイアナより第五騎士団であるシルヴィオのほうがずっと冷静だ。
「でも、どうすれば」
ダイアナはあまり頭が回る方ではないから、考えるより言葉に出してしまう。問われたシルヴィオは考えながらも口早に詠唱を始めた。
ダイアナは両手に双銃を構えて撃ったが、魔法で弾かれてしまった。魔女は先程の濁流を呼ぶ詠唱を呟き、シルヴィオが結界で防いだ。
これでは埒が明かない。
ダイアナが唇を噛んだとき空中を黒い閃光が走り、魔女が後ろへ大きく弾き飛ばされた。
「ほ~らフェル! 俺の勘大当たりじゃん!」
その声と同時に魔女は氷漬けにされる。
「ああ助かった。大丈夫かお前たち!」
第三騎士団長ルドウィグと第六騎士団長のフェルナンドだ。
フェルナンドは駆け寄ってきて、シルヴィオが抱えていた妖精を見て全てを察したらしい。フェルナンドが左手を横に突き出すと、周囲に三重の結界を張った。詠唱破棄でこれほど強力な結界を張ることが出来る人間をダイアナはあまり知らない。
「フェル、こいつはお前が倒したいんだろう?」
ルドウィグがそう言うと、フェルナンドが結界から出て行きにやりと笑ったように見えた。
「当然だ」
フェルナンドは氷の解呪に成功した魔女を勢いよく斬りつけた。魔女はばたりとその場に倒れた。フェルナンドは魔法で魔法を封じる特別製の縄を召喚したあと、魔女の手足をきっちりと縛った。
「僕たちが遅れたせいで、君たちには怖い思いをさせたな。すまない」
「あの……どうしてここが分かったんですか?」
ダイアナがおずおずと尋ねるとルドウィグがひょっこり顔を覗かせた。
「俺がフェルを連れてきたんだよ。……もしかしたら、フェルが追ってた魔女が弱ってんじゃねーかと思ってな」
あまりにも魔女を発見できないから身を潜めているのだろうが、もしかしたら弱っていて逃走のために体力をためているのではないかと考えたという。
「流星っぽいけど違うって聞いたときにピーンと来てさ。もしかしたら、魔法で妖精が撃ち落とされたんじゃないかと思ったんだ」
古い迷信を信じている奴が本当に居るとはねえ、とルドウィグは呆れた様子でそう言った。
「お前、怪我してんの?」
『そう怪我、怪我してる、怪我』
ルドウィグが尋ねると、シルヴィオに抱かれた妖精がそう答えた。
「ねぇフェル、お前って妖精の怪我も治せたっけ?」
「ああ、少し難しいが出来るぞ」
フェルナンドがそう言うと、双剣を鞘から抜いた。
妖精はそれを見ると青くなって怯えたので、ダイアナは妖精の頭をぽんぽんと叩いてあやした。
「そこに、そいつを置いてくれ」
フェルナンドの指示通りに地面に置くと、フェルナンドが剣を交差し、切っ先を妖精の羽に当て呪文を呟く。
「フェルナンド団長は……何を? どうして剣を?」
ダイアナの質問にはルドウィグが答えてくれた。
「フェルの星武器は剣として強いだけじゃなく、攻撃・回復魔法を増長させることが出来るんだ」
「うわあ、完璧ですね」
ダイアナが呟いたところで回復が一段落したらしいフェルが息をついた。
「完璧? 冗談はやめてくれ。僕は体術がからっきし出来ないし、体力も筋力もないから持久戦は非常に弱い。魔法が巧みに使えても、身体がついてこないのなら意味はない」
妖精がふわりと舞い上がった。
『ねえ見て、見て、見てよ! 羽が、羽が治った、治ったのよ! 空に、空に帰れる!』
「もう落ちてくるんじゃないぞ、僕だって妖精を治すのは大変なんだ」
後から聞いたのだが、妖精の傷を治せる人間はほんのひと握りで、妖精を治すには特別な治癒魔法を知っている必要があるらしい。
『ありがとう、ありがとう! ありがとう!』
妖精はふわりと舞い上がって上昇していく。遠く小豆のような大きさになったところで妖精の声が聞こえた。
『ありがとう、ありがとうありがとう! これは、これはねお礼なの!』
妖精が空中を円を描いて舞い上がっていく。
すると、空に虹によく似た光のカーテンが広がった。
「これは……? とっても綺麗! とっても……きれい……ぐすん、ぐすん」
「だいぶ涙もろいですね」
シルヴィオが苦笑した。
「なんだこれ」
フェルナンドがそう呟くと、ルドウィグの顔がみるみる笑顔に変わっていく。
「オーロラ……久しぶりに見た」
「これ、この光のカーテンみたいなの、オーロラっていうんですか?」
「そう、オーロラだよ」
フェルナンドはひとしきり驚いて見上げた後、魔女を担ぎあげて第六騎士団の駐屯地へ帰っていった。
「お~~い! ねえシルヴィオ!」
遠くから声が聞こえたと思ったら、第五騎士団長オリクスと
「ダイアナ! そこにいるのか!」
「ズィヴィル団長!!」
第二騎士団長ズィヴィルだ。
「団長……どうしてここに来たんですか?」
「シルヴィオ大丈夫?」
「はあ」
オリクスは何が言いたいのだろうかとシルヴィオは考えているようだ。
「解決したみたいだけど、いい経験になった? 心配になって見に来たよぉ」
「ええ……いい経験になりました」
「少しは訓練にまじめに参加する気になった?」
シルヴィオがさっと青ざめた。
「え、あはは……何の話です?」
「とぼけたって無駄だよ? 俺にバレていないと思ったの? ……俺も部下の髪を丸刈りにするのは嫌だからさぁ、ねえ?」
「は、ははは」
次は髪を丸刈りにしてやるぞ、オリクスは暗にそう言ってシルヴィオを牽制した。シルヴィオはオリクスに引っ張られて帰っていった。
「おい!」
「は、はい!」
ズィヴィルに声をかけられてダイアナは恐怖で飛び上がった。
「お前は自分の実力を分かっていないのか? まだ入ったばかりだからわからないのかもしれないし、今日は調査だけだからと思って行かせたが、危険なことに首を突っ込む必要はなかった。来る途中ですれ違ったフェルナンドに事情を聞いた……どうして妖精を助ける前に、発見した時に報告しなかったんだ」
「えっと」
報告しようと思ったときには襲われたんです、とダイアナは答えることが出来なかった。
「もう少し遠くから様子をうかがうとか、場所を特定できたなら人を呼んでから向かうとか……方法は他にもあったはずだ」
そう言われればそうだ。
ダイアナはしゅんと沈んで小さくなった。さきほどからごめんなさい、と小さく呟くことしか出来ない自分も情けない。
「とにかく、もう少し自分の実力を知って、危険なことは避けるように」
「はい、ごめんなさい」
ひと通り言い終えたのか、ズィヴィルは仕事が残っていると言って王宮へ帰ってしまった。
***
「あああ……やっぱりズィヴィル団長怖い、すごく怒ってた……」
「ええ、そう? ズィヴィルはたしかに怒ってたけど、怖い?」
ダイアナのつぶやきをルドウィグが聞き漏らさなかった。
「ズィヴィル、良い奴じゃん」
「へ?」
ダイアナが首を傾げると、ルドウィグが笑いながら話す。
「だってそうだろ、オーロラを見て、あいつすぐに駆けつけてくれたんだよ」
「え、どうして?」
「お前のことが心配だったからだろ」
ルドウィグがそう断言する。
「部下が危ない目に合っているんじゃないかって、俺なら考えるしあいつもそうだろう。だからすぐに駆けつけて危ないことをするなって怒ったんだろうさ」
でも、とダイアナは口ごもる。
「私、絶対ズィヴィル団長に嫌われています」
「なんで? なんかあったの?」
ダイアナはもごもごと話し始める。
「前にお昼ごはんを作りすぎたから、タウロスのみんなにおすそ分けしたんです。みんなが美味しいって言ってくれてとっても嬉しかったんですけど」
ダイアナはがっくりと肩を落とす。
「ズィヴィル団長はひとくち食べて、そっぽを向いて、私の頭をぽんぽん叩いてどっか行っちゃって」
「はあ」
「きっと美味しくなかったか、私からもらったものだから嫌だったんじゃないのかなって。すごく迷惑なことをしたんじゃないかって、すごく自分を責めたんです」
そこまでダイアナが言い終わると、ルドウィグが噴き出した。
「本気で言ってる? 違うだろ、ダイアナの考え過ぎだって!! はっはっは」
「えええ、そうですか? 嫌だったんじゃないんでしょうか」
「違う違う、照れただけだって!! 俺はあいつが騎士学校に通っていた頃、教官として出張授業に行ったことあってさ」
そのときにとびきり成績が良かったのでズィヴィルを面と向かって褒めると、彼はそっぽを向いてどこかに行ってしまったという。
「それで、担任の教官に尋ねたら、それはあいつなりの照れ隠しだって言われてな」
「そう、なんですか」
ダイアナの心が少し軽くなったような気がした。以前からズィヴィルに話しかけてもそっぽを向かれることが多くて、ダイアナのことなんて目に入れたくないのだろうと勝手に解釈していた。
もしかしたら、他にもダイアナが勘違いしているだけで、ルドウィグの言うようにズィヴィルは厳しい人ではなく、部下思いの素晴らしい上司ではないかと思い始めた。
「ダイアナ……って呼んでもいい? 俺のこともルディって呼んでいいし。えっと、ズィヴィルはいいやつだからさ、誤解しないでやって。顔が怖いだけだって」
確かに、そうかもしれない。
同期に顔が怖いからという理由で損している人間が居たことをダイアナは思い出した。
昨晩、フローラに愚痴を言ったことをダイアナは後悔した。
フローラに訂正しなくてはいけない。
第二騎士団長ズィヴィルは素晴らしい団長だと。
***
「ズィヴィル団長!」
ダイアナはズィヴィルを王宮の廊下で呼び止めた。
「何だ」
「ごめんなさい!」
ダイアナにいきなり謝られたのでズィヴィルは不思議そうな顔をした。
「どうし」
「私ずっと、団長のことを怖い人だって誤解していたんです」
ダイアナは顔を上げてにっこりと笑う。
「でも、ルディ団長に『ズィヴィル団長は顔が怖いだけですごくいい人だ』って教えてもらったんです!」
***
「おい」
ズィヴィルが声をかけると同時に、ルドウィグの背中をばしっと叩いた。
「な! 何するんだよってズィヴィルか。俺なんかした?」
ズィヴィルが何も言わず立ち去っていったので、ルドウィグは首を傾げた。【Fin.】