あなたにこの花を
半月前には年に一度降ろうか降るまいかというほど珍しい雪が降った。吐く息は白いが、春が近づいてきているように感じる。寒くて起きるのもけだるい朝から、少しずつ春の暖かいまどろむような朝へと変わってきた。
そんなある日、第二騎士団(タウロス)騎士団長ズィヴィルは王宮の廊下で明るい声に呼び止められた。立ち止まったズィヴィルにぴょんぴょんと飛ぶように走りながら、両サイドに結い上げた金髪を揺らして駆け寄ってくる。ズィヴィルの部下であるダイアナだった。
「じゃーん! 見てください、これ!」
ダイアナがズィヴィルに見せたのは赤いチューリップだ。
「今日、王宮の庭園の隅で見つけたんです! 可愛いかったので、庭師さんに許可を頂いて譲ってもらったんです!」
チューリップが咲いていたということは、ズィヴィルが思っていた以上に春になっていたらしい。まあよくも庭園の隅の花を見つけたものだと感心した。ダイアナは花を愛でる趣味でもあるのだろうか。それとも女性はそういうものなのか。どちらが答えなのか、どちらともが答えなのか、それはズィヴィルには分からなかった。
それにしても、赤いチューリップを抱くダイアナはよく似合っている。彼女の元気の良さに、春の花がよく映える。
「たくさんもらったので、団長おすそ分けです! どうぞ」
ダイアナに手渡されて、赤いチューリップを一本受け取る。ズィヴィルが短い礼を言うと、ダイアナはいえいえと短く答えてまたどこかに駆けて行った。
ズィヴィルが手元の花をもてあそぶようにくるくると回しながら歩いていると、廊下の向こう側から笑いをこらえているらしい声が聞こえてきた。
近づいていくと赤髪の男――第五騎士団(レオ)騎士団長オリクスであることがわかる。オリクスはしょっちゅう王宮に上がり、ルイーザ姫の相手を務めているらしい。その帰りだろう、普段はふわふわとそのままにしている赤髪を綺麗に固めている。
「ズィヴィル……お前、その花どうしたのぉ?」
「部下に貰いました」
そこで笑いをこらえていた――おそらくズィヴィルに花が似合わないとでも考えていたのだろう――オリクスは目を見開く。
「誰……? 男と女どっち?」
「……貴方には関係ないでしょう」
そう答えてすれ違おうとすると、オリクスに引き止められる。
「男だったら、その花をすぐに返してきた方がいい」
真顔で言われて、ズィヴィルは驚かされた。オリクスの目が真剣なのだが、どういうことだろうかと逡巡する。しかし分からなかった。
「安心して下さい。女性だから」
「な~んだ……っておい。マジか。ズィヴィル、なんて答えたのぉ?」
「何を」
「その花の、お礼」
ズィヴィルが簡単に礼を言ったことを伝えると、何だつまらないの、とオリクスは興が冷めた様子だった。ますます彼の様子がズィヴィルには不可解であった。
どういう意味だろうか。いや、意味などなく、からかわれただけなのだろうか。
相手が相手なのでズィヴィルは考えることをやめた。
***
オリクスは笑いがこらえきれず、どうしようと困っていた。ジェミニの検問を通るときにルドウィグが今にも噴き出しそうなオリクスの顔を不思議そうに眺めていた。しかしよくあることだと割りきったのか、ため息をついて出て行っていいぞと言ってくれた。
「ズィヴィルは赤いチューリップの花言葉、知らないのかぁ……!」
オリクスはくすくすと笑う。
オリクスはいつものように軽い足取りで目当ての花屋に向かう。店の前まで来ると、奥から目当ての女性が顔を出す。
「いらっしゃいませ~! 今日は何をお買い求めですか?」
「あ、チューリップ出てるね。赤いチューリップを一本くださいな。いつもみたいに」
オリクスの声にはい、と元気よく返事をして花屋の女性――トレスティアはそう言われただけで手早くいつものように――ひとつの花を花束に――仕立てあげていく。
「はい、どうぞ!」
「ありがとう」
オリクスは花を受け取り、代金をトレスティアに渡した。そしてそのままはい、と赤いチューリップをトレスティアに渡す。
オリクスのこの様子――いつも花を買い求めてはトレスティアにプレゼントする光景――には慣れているらしく、ありがとうございますと言って受け取る。
直後、トレスティアが顔を赤らめたのをオリクスは見逃さなかった。にやりと口元を歪める。
「あ、あの……オリクスさんは、花言葉をご存知で?」
「その花の? 知らないや」
「そ、そうですか……」
トレスティアがそこまで言い終わるのを待たず、オリクスは背を向けてすたすたと歩き出す。またね、と笑顔で手を降って第五騎士団の駐屯地へと帰っていった。
赤いチューリップの花言葉は愛の告白。
それをオリクスが知らないはずはなかった。