カモミールのクッキーはいかが?「お前さ、なんでここにいるの?」
『あ~シルだー! おかえり、おかえりー』
「うん、ただいま」
駐屯地に帰ってきたらこれだ。シルヴィオは思わずため息をついた。
目の前にいるのは、肌も髪も羽も何もかもが真っ赤なオーロラの妖精だ。以前、魔女に襲われ怪我をしていたところを偶然助けたためか、なつかれたらしい。
なつかれるほどの何かをしたのはシルヴィオではない。この妖精の怪我を治したのも魔女を倒したのもシルヴィオではなく、第六騎士団長(バルゴ)のフェルナンドだ。
なぜなつかれてしまったのか、さっぱりわからない上にシルヴィオは面倒だなとしか感じていない。たまに空から降りて来てはシルヴィオにひっついて離れないし、無下に追い払ってまた襲われてはいけないし。何よりそうなった場合シルヴィオが悪いようで後味がよくない。
つまり、どうしようもなく面倒なのだ。
赤髪の男が通りかかったので呼び止めた。すると彼はとても嬉しそうに笑ってそばに駆け寄ってきた。
いや、そんなに笑顔で来るなよ鬱陶しいな。
そうは思うものの顔に出すのはやめておこう。後が面倒だ。シルヴィオはとりあえずいつものようにヘラヘラと笑ってみせる。
「なぁにぃシルヴィオ~。お前が俺を呼ぶなんて珍しいねぇ」
やたら上機嫌だな。
シルヴィオはあははそうですねなどと適当に返しておく。
赤髪の男――第五騎士団(レオ)騎士団長オリクス――はやはり嬉しそうにしている。
なにか嬉しい事でもあったのか? 普段はここまで喜ばないし。今ならなんでも買ってくれそう……いやそうじゃない。
頭を切り替え、少し引腰になりながらも、シルヴィオは本題に入る。
「あの団長、こいつはどうしてここにいるんですか?」
「ああそれ、お前の友達だろう」
「ははは……違いますけど」
「違うのぉ?」
違う。
勝手になつかれて、面倒だとすら思っている。シルヴィオは、はあっとため息をついた。
「とりあえず、こいつの面倒見るので今日はもう帰ります」
「んん? んー……分かった分かった。またねぇ、お母さん」
「冗談はやめてくださいよあははは」
本当に、笑えない。
オリクスは手をひらひらと振って去くかとおもったら、急に方向を変えてシルヴィオの方に戻ってきた。
「ねぇ、シルヴィオ。キスしていい?」
「有料です」
機嫌が悪いシルヴィオは笑顔を取り繕ってそう言った。
***
「もう、俺やダイアナさんのところに会いに来ちゃダメだ」
『ええ~なんで、なんでなの、シル』
「また悪いやつに襲われたら危ないだろう?」
というか、俺が面倒だし。せめて俺のところには来ないで欲しい。
そんなシルヴィオの気もちを汲み取れないらしい妖精は脳天気な声でシルヴィオに言葉を返す。
『でもでも、シルが追い払ってくれるでしょう?』
「あのね、いつも俺はいるわけじゃないし、俺は強くないの」
悪いが、魔女と直接闘うなんて二度とごめんだ。
シルヴィオは裏方であり、直接戦闘できるほど強くはない。魔女狩りを担当する第五騎士団に在籍しているのは、騎士団長であるオリクスに目をかけてもらっているからだ。シルヴィオ自身の戦闘能力は第七以下の騎士たちと大差ないどころか、それにも劣る。
やはり、こいつに説教をしても無駄そうだとシルヴィオは何度か目のため息をついた。
シルヴィオは王都出身ではなく、地方の出身者だ。
地方の田舎には今でもたくさんの妖精が人と共に暮らしている。
家付き妖精も倉庫に住んでいた妖精ともうまく付き合ってきた。家付き妖精は家事を手伝ってくれ、倉庫に住んでいた妖精は稲の刈り入れを手伝ってくれる働き者で人間が好きな妖精だ。姿を見たことはないけれど、コップ一杯のミルクで彼らは一生懸命働いてくれる。
妖精は身近な存在で、下手に怒りを買うよりはうまく付き合って利用した方がいい。シルヴィオはそう考えていた程度で、あまり特別な感情を持ち合わせてはいなかった。
それなのに、だ。
このオーロラの妖精はミルクをやっても飲まないし、どうやら気が済むまで――基準はよく分からないがおそらく気まぐれだ――は帰ってくれない。面倒だ。
しかたがないので、シルヴィオが適当にねこじゃらしで遊んでやった。すると妖精は帰った。
『また明日、明日来る、来るね~!』
マジか。
***
シルヴィオは妖精のことをあまり知らない。
知っていることといえば、妖精に対して「妖精」と呼んではいけないこと、妖精の丘(フェアリー・ヒル)や妖精の輪(フェアリー・リング)には入ってはいけないことくらいだ。ふたつとも妖精界とつながっているらしく、二度と戻って来られないかもしれないと親に真顔で説教された。
正直、シルヴィオは妖精の相手をするのが面倒で嫌だった。そこで、シルヴィオは思考を巡らす。
たしか、家付き妖精は衣服を与えると消えてしまう。同様に、オーロラの妖精にもなにか与えてしまえば、もう自分のところへは来なくなるのではないだろうか。
シルヴィオはそう考え、休日の午前中を利用して図書館へやって来た。
司書にある程度そのような本の位置を教えてもらい、それらしい本を数冊抜き取った。パラパラとページをめくっていくと、あるページで目が止まった。
"妖精はハーブ、特にカモミールを好む"
"妖精はハーブのクッキーを好む"
カモミール? カモミールといえば紅茶しか浮かばないが、妖精はみな好きなのか。
カモミールであれば、特別に高価なわけではない。シルヴィオはカモミール入りのクッキーのレシピをメモし、帰り際に植木屋でカモミールの植木鉢を買った。クッキーの材料も買ったためかなり重かったがなんとか寮まで運んだ。
さっそくシルヴィオはクッキー作りにとりかかる。あの妖精が来てしまえば、クッキー作りどころではなくなるだろうから、妖精が来てしまう前に作り終えてたい。
妖精用のクッキーはかなり多めにカモミールを入れる。ここまでたくさん入れてしまうと匂いがきつく、シルヴィオは眉間にしわを寄せた。キッチンは早くもカモミールの香りに包まれた。
***
後片付けも終わり、焼きたてのクッキーを皿に盛っていると、例の妖精がやってきた。
『シルーシルーあそんで、あそんでー』
よし来た。
「ちょっと待ってね」
そう言って、シルヴィオは妖精に部屋へ入るように促した。クッキーをテーブルの上に置き、妖精の様子を観察する。
『シルー、これいい匂い、匂いするね~』
「食べていいよ」
『本当、本当、本当に?』
うん、とシルヴィオはにっこり笑ってうなずく。
そして、帰ってくれ。
妖精はクッキーを両手で持ち上げると、口を大きく開けてかぶりついた。
あ、食べた。
今まで何をあげても食べなかった妖精がクッキーを食べる様子を、シルヴィオは不思議な気持ちで眺めた。妖精はひとくち、またひとくちかぶりつき、クッキーを一枚食べ終えてしまった。
妖精と変わらない大きさのクッキーはどこへ消えていくのか。シルヴィオは目を丸くしてそれを見つめた。
『ねぇシル、シル。これ美味しい、美味しいね』
「ん、全部食べていいよ」
そんなにカモミールが強いクッキーは、人は好まないから、あげる相手もいないし。
シルヴィオの言葉を聞いた妖精は、目をきらきらと輝かせた。大声で礼を言って、またクッキーを食べ始めた。
十分もすると、皿にたくさん盛りつけてあったクッキーは跡形もなく、作ったシルヴィオが一番驚いた。ここまで美味しそうに食べてくれたのだから、シルヴィオはなんだかとっても嬉しかった。
しかし、本題はここからだ。妖精は帰ってくれるだろうか。
『シル、シル。クッキーありがとう!』
「どういたしまして」
『おなかいっぱい、いっぱいになったの、なったからね、今日は帰るね』
よし、よし。そのままもう……
『また来るね!!』
え?
シルヴィオはあっけらかんと口を開く。
どうやら、クッキーを与えて帰らせ、二度と来ないようにするという彼の思惑は叶わなかったらしい。妖精が二度と現れないように与えたクッキーは、逆に妖精をなつかせることになったようだ。
空へと淡い光を発しながら消えていく妖精を、シルヴィオはがっくりと肩を落としながら見送った。
***
『シルシルー、だ~~い好き!』
「うん、そっか……」
『この花、いい匂い、いい匂いするねぇ』
「そうだね」
妖精はシルヴィオの部屋に飾ってあるカモミールの鉢が気に入ったらしく、近くに腰掛けていることが多い。追い出そうとした妖精は、シルヴィオの部屋にすっかりいついてしまっている。
しかし、シルヴィオは追い出すことをすっかり諦めてしまった。
相槌を適当に返しながら、たまに妖精の顔を指でつついてやると、妖精はとても喜ぶ。
「クッキーあるよ。いる?」
『いる~~!!』
小さな隣人に、彼はどうにも弱いようだ。【Fin.】