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    ESD研究報告 1ここにはESD(持続可能な社会のための研究)の取り組みに関することのメモ書きのようなものを残していきたいと思う。テーマは差別について。差別をなくす!とかではなく(無論それもとても大切なことだが)あくまで差別が起こる原因などについて調べることが目的である。この取組は私達が将来の自分に関することでテーマ設定をして調査研究する活動である。同じように研究している仲間が百人ほどいるがテーマは本当に千差万別である。
    さて私のテーマであるが今回は『同性愛者は何故差別されてきたのか』差別が大抵の場合良くないということは今や多少の知性があれば幼稚園児でも解ることだろう。感性は個人の自由だが発言の点では個人の自由より公共の福祉が尊重されるべきだと私は思う。気持ち悪いとか異常だと感じるのは仕方がないが実際に口に出した途端、その人間は脳と口が直結した愚劣人間という扱いをされるだろう。それはモラルとかマナーの他にその場の空気を悪くすることを嫌う大衆心理でもある。
    論点がずれてしまった。
    そもそも日本も平安〜江戸時代頃までは同性愛は珍しいことではなかった。おそらく右利きか左利きかくらいの差であったのではなかろうか(参考までに当時の左利きは全人口の6.5%ほどである。同性愛者の割合のほうが高かったかも知れない。)そもそも人気ドラマにもなった大奥(将軍の世継ぎを残すために沢山の美女を妻として匿っていたところ)は将軍家康が同性愛者であり世継ぎが残せないのではないかと懸念した家臣が作ったものである。また、かの織田信長も蘭丸という青年と恋仲だったという記録が残っている。教科書に残るような人物のこれらのエピソードは意外に思う人も多いかもしれない。さてなぜこんなにもポピュラーな文化であったにも関わらず同性愛は疎まれるようになったのだろう。それは明治頃に日本に本格的入ってきたキリスト教が関係している。キリスト教といえば博愛主義や隣人愛などのイメージが強いが当時はキリスト教では同性愛は真理に反した行為として到底許容することのできないこととして扱われていた。(いまでは同性愛者のクリスチャンもいて差別的な言動は見られないようだ)ともかく日本人にもっと確たる自由への意思があれば良かったのだが残念ながら差別の意識は日本に呪いのように深い根を下ろしてしまった。しかしなぜ21世紀になり無宗教の割合が世界的に多い現状においてもこの意識は変化しないのだろう。戦時中の「国のために敵を殺し、国のために死ね」という意識すら改善されいるのに(今は会社のために生きて死ぬ人が多いのも事実だが)なぜ。人殺しと恋愛とではレベルが違うというかも知れないがどちらも変わったならいざしらず前者だけが今も変わらず古い意識を保持信奉しているのは一体どのような理由のためなのか。先進でありながらここまで拒否反応を示しまた、頑なに同性愛を認めないのも日本くらいのものである。このあとのことは引き続き調べていきたいと思う。
    K乙(cake) Link Message Mute
    2019/04/18 23:19:08

    ESD研究報告 1

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