土そよログ[ my simple heart ]
見上げた先の、木の葉がきらきらとかがやいているのをみて、季節のうつりかわりをかんじた。風にゆれて、すこしずつかたちをかえていく光と、きみどり色の葉の色と、遠く高くなったそらのいろが、やわらかに調和している。
秋の日のいろは、やさしい。たしかに違うもののかたちをにじませて、そっとひとつの容器のなかに、とかしていれてしまうみたい。
ながく鳴いて、とんでいく鳥―――、さむくなるにつれて、そらのいろが抜けていくのはどうしてなんだろう。
私は城の秋しかしらないけれど、この季節が、すき。夏の日のいろはつよくて、影をこく長くおとすものだから。
幼すぎてもう、恐怖しかおぼえていないような周囲の変化や、夏におもいだす記憶は生々しすぎて、残酷な、ばかりで―――思考もまとまらないうちに呑まれてしまう。
だけど秋の日は、過去にあったすべてのやさしいことを、おもいださせてくれる。兄があそんでくれた記憶や、子犬のうまれた朝や、はじめてふれた琴の音色、なにげない親切や、むかし誰かにいだいた淡い思い―――たくさんの、愛したものたちのこと。
大好きだったものをおもいだすだけで、どうしてこんなにしあわせになれるんだろう。
「…そよ様?」
ひじかたさんが、縁側ですわりこんだ私に声をかけた。そのなかにふくまれた、さりげないやさしさにも、秋は気づくことができる。
ふ、と私は振りかえると、うしろに立っていた土方さんに、わらった。
「ひじかたさん」
私が呼びかけるしぐさをすると、私の傍らにしゃがみこんだ。―――こういう、時、ああ、大切にされてるなって、おもう。
「…あのね、」
内緒話をするように、その耳元に手をそえた。なんとなくしあわせな感じがしていて、だから今、つたえたかった。
「だいすき」
[ say you love me ]
雨の音が遠くに聞こえていた。目を覚ますと、障子の向こうが雨の日特有の明るさと静けさに満ちていて、あぁ、いつのまにか寝ちまったんだな、と自覚した。腕がやけに痛いと思ったら、姫さんを抱き締めたまま寝入っていたらしい。その姫さんは、安心しきった顔をして、腕の中で眠っている。
―――今さらだが、無用心なこと、この上ねぇな…。ここはもちろん、江戸城内で、いつだれが来ても不思議じゃあない。
仕方ねぇな、と思って笑う。恋愛は衝動がすべてなのだと、そう感じた。
腕の中で姫さんが身じろぎし、おれは上になっていた右手でその頬にかかっていた髪をそっとかきあげた。無理をさせただろうか? でも、―――自分の気持ちを、何よりも信じている。
伝わってくる体温が心地よくて、あぁ、これが幸せなんだな、とか、そんなくだらないことを、本気で思う。目の前の少女がどうしようもなく愛しくて、起こさないように口をつけた。うしなっていくことを恐れない、そんな幼さが少しうらやましい。
できるだけ姫さんを揺らさないように気をつけながら、姫さんのからだの下から左腕を抜いた。―――そういや、おれ、女の前で寝たのは初めてかもしんねえな。薄い絹一枚の姫さんが寒そうで、かわいそうに思って、そのうえに着物をかけてやる。
隊服を再び着込みながら、今、何時なんだろうな、と考えた。そのとき、
「…ひじかたさん…?」
ああ、起こしちまったか、思うと、済まないような気がした。振り向くと、彼女がぼうっとこちらを見上げていた。
「…いって、しまうんですか…?」
輪郭のぼやけた、ふわふわした声で言われる。その、本当に、言葉そのものの意味しか含まれていない、単純な音の響きに、やけに心を動かされる。―――この子の、こういうところに、おれは滅法弱いらしい。この子自身は知りもしないんだろうけど。こういうことを考える辺り、我ながら終わってるよな…。
彼女のまえに膝をつき、その髪を指ですいた。姫さんは眠そうな目でおれを見ている。
「――…もう少し、ここにいることにします」
そう口にすると、姫さんはよかった、と笑い、そのまままぶたを落とした。おれは、やっぱり離れがたくて、しばらくそこで、彼女の髪をなでつづけていた。
[ jump into the fire ]
城は炎にまかれていた。
今朝のまだ薄暗い頃、江戸中に一斉に放たれた火はおりからの北風をうけてあっという間に燃え広がり、そうして始まったおそらく最後、の攘夷戦争に真選組も過たず巻き込まれた。
幸いにも上は、江戸を離れていた。しかし、上がいないがゆえに奥向きへの避難の通達が、遅れた。江戸そのものが戦場になることがないよう民衆を守るのが、おれたちの務めであろうに―――近藤さんは、おれを、送りだしてくれた。姫さんを救い出すのも任務だといって。
物の焼ける匂いがした。今も炎は空を焦がし、本丸は少しずつ崩落しつつあった。天守閣の瓦屋根が落ちてきたとき、あぁ、終わったな、と思った―――何が終わったかは知れねぇが。目がいてえ――煤でも入ったか。
姫さんは、微笑みを浮かべて首を横に振った。奇妙に落ち着いたような―――諦念とも、また違う気がした。
「…私はここを、動きません。兄の命のないかぎり」
おれは、馬鹿な、と思った。
「…情報は、錯綜しています。きっとあなたの救出令くらいは出ている」
そうかもしれませんね、と姫さんは白い顔で笑った。重い内掛けの上を、さらさらと黒い長い髪が流れた。
「それでも、確かな命でなければならないのですよ」
静かな―――まるで、諭すような口調だった。ばかな―――あんたは、無駄死にをする気か。
「…はやくお逃げになってください。この城は近く、崩れるでしょう」
淡々と放たれた言葉に、絶句した。よりにもよって、おれ、に、その言葉を、吐くのか? 気持ち、が、通じたと思っていたはずなのに?
――――ふざけんな。
おれは、あんたを、助けにきたんだよ、と。
「…おれは、あんたを…っ」
あんたを、攫いにきたんだ。
口にして、その意味の重さにようやく気づいた。今まで続けてきた関係の、終着はきっと、それでしかない―――この子に、判断を迫ることでしかない。
聞きたくない、と思った自分にぎょっとした。そうだ、おれは、今までずっと、このことから逃げ続けていたんだ。
姫さんは、その大きな目を丸くしていた。わけもなく、済まない、と思った。
[ 夢見 月に何想ふ ]
なんでこの子だったんだか、と考える日がある。答えがでるわけはねえって分かっているんだが。何となく―――ふとした拍子に、思うんだよな。たとえば彼女がおれを見上げた瞬間とか、ふわりと香がただよった時とか。
彼女を見ていると、もう自分がとっくにうしなっちまったもんを思い出す。だけど、それが決して嫌なのじゃなく、この子の過ごしてきた時間とか、この子がきっとこれから見るであろうものとか、そういうものも含めて、何だか、無性に大切にしたくなる。なんなんだろうな、これは―――愛しいってことなのかもしれねえし、それをとっくに越えてる気さえ、する。
おれは基本的に過去のことを悔やんだりだとかは、しない。あの女が死んだときだって、そうだった。
なんとも思わなかった、って、わけじゃないが。―――悔やむとか、もし一緒の道を歩んでいたら、だとかは考えなかった。そうしてたぶん、無理をして一緒にいても、聡いあの女はそれを拒んだろうな、と思う。
だけど、総悟がおれを責めた時、おれはなぜか、いいな、と思った。うらやましいとか、そんな意味じゃなく、自分が傷つくと分かっていてそこに足を踏み入れることは、もうおれにはできないことだからなんだろう。そういう痛みも悲しみも苦しみも、そういう"今"がつづいて、その全てがこれからのあいつを作っていくんだろうな。
―――年をとった、ってことか。おれは思い、少しだけ笑う。振り返ればあの女に対する感情は、今、だけだったような気がした。刹那とはまた違うんだが、その中に、"今"のあの女を作ってきた時の連鎖とか、そういうもんは含まれてなかった。
今、この子にとっての忘れたい過去や思い出せない過去も、たぶん、おれは知っていて、そういう時の連なりも、大切にしたくなる。本当に―――こういう感情を、なんて言ったらいいんだか、分からねえな。
ひじかたさん? そう言っておれをのぞきこんだ、彼女の髪をなで、人差し指の背で、頬に触れた。彼女はきょとんとした顔をしている。
「…あなたを見ていると、思い出すな」
彼女は首を傾げて、なにを、と聞いた。なんとなく、口に出すのも照れくさくて、昔のことを、と言うだけにした。
[ The winged messenger ]
土方さん、そう軽く背後から声がした瞬間、おれはとっさに書類を持った手のまま身をかわした。とたんに轟音が耳元をかすめ、チッ、という舌打ちが聞こえた。
…総悟…てめえ…。
振り返り、無駄だと分かりきって言ってやる。
「テメー危ないだろうが!」
「すいやせんついうっかり」
バズーカを背負ったS星の王子は、なんでもないような、しれっとした顔で言ってのけた。―――どのへんがうっかりなんだよ。
「攻撃目標もなんもねえだろ。何がうっかり…」
「うっかり外しちまいました」
は、と思わず聞き返してしまったとき、がちゃ、という音が鼻先につきつけられた。総悟はさわやかな(いや禍々しいが)笑顔をうかべ、死ね、と吐きやがった。
「ふざけんなテメー誰が死ぬか」
「あんたに決まってまさあバカマヨラ」
「ああ?」
いーかげんにしろ、この…。
「で、冥土の土産は何がいいですかい」
「は?」
なんだオイ珍しい…じゃねえよ冥土逝きを肯定すんな、俺。
総悟はそのままつまらなそうな顔で言った。
「姫さんから伝言でさあ。…聞きたいですかい?」
……なんか、嫌な予感がするんだが。
「…何だよ」
「聞きたいですかい?」
―――…聞きたいも何も、おれへの伝言じゃねえのか。そうおれが思ったのをはかったみてえに、総悟はにやり、としか形容のしようがない表情をした。
「聞きたいなら、三回まわってわん、って言ってくだせえ」
「できるかァァア!」