第一章:The Kingdom of Dreams and Madness前夜祭 居酒屋の中から出て来た2つの集団が路上で喧嘩を始めてから一〇分以上が過ぎていた。
どちらの集団も十数名。男女入り交じっているが、やや男性が多く、皆、十代後半から三十代前半ぐらいの年齢だった。
だが……その格好だけは異様だった。
片方は……全員がストリート・ファッション風のジャージ。そこまでは……まだ普通だ……。
もう片方は……髪型こそ今風だが、時代劇の侍装束風の和装。
やがて……銃声が轟いた。「侍」の1人が懐から拳銃を取り出し発砲したのだ。
だが、その拳銃で狙われたストリート・ファッション風の一団の1人は、ブレイクダンスを思わせる華麗な動きで銃弾を避け、そして中指を立てた両手を見せながら、馬鹿にしたような表情で舌を出していた。
「クソ……ふざけ……」
だが……その時、拳銃を使った「侍」の体が派手に宙を舞った。
その「侍」と戦っていた女も……新たに現われた者達を「敵」と認識したようで……目の前に居る巨漢……いや……巨女の太股に廻し蹴りを叩き込んだ。
だが……蹴りを入れた女の胴体ほどの太さの太股はビクともせず、廻し蹴りを易々と弾き返した。
「侍」の中にも、刀を抜いて斬り付ける者が居たが……
法被とTシャツを切っただけで……刃は筋肉の鎧に食い込む事さえ出来なかった。
「これは……これは……『新宿』と『渋谷』の自警団……『四谷百人組』と『原宿Heads』の皆さんですか……」
「
遠くから、この
浅草まで、よくお越しで……」
「
広島からの長旅の直後とお見受けしますが、ここまで元気が有るとは……若いってのはいいもんですな」
その2人は、一卵性双生児のように良く似ていたが……片方はポニーテールの男で、もう片方は短髪の女だった。
共に一九〇㎝近い身長に……少なく見積っても体重は一三〇㎏を超えるであろう筋肉の塊。
十一月の後半……
九州とは言え北部の日本海側なので、
早ければ半月以内、
遅くとも一ヶ月以内に確実に初雪が降る時期……にも関わらず、上半身はTシャツにサテンの
法被だけしか着ていない。
法被の背中には仁王の絵が描かれ……女の方が口を開けた阿仁王、男の方が口を閉じた吽仁王だった。
「あ……あんたら……まさか……」
「この『浅草』で
他所の皆さんが『祭』をやるのも結構ですが……」
「『浅草』の『祭』は……俺達『二十八部衆』を通せやッ‼ 判ったかッ⁉」
言うまでもなく、「本当の関東」の「本当の浅草」は……十年前の富士山の噴火で事実上壊滅し……再建の目処さえ立っていない。
ここは……日本に4つ存在し、現在、5つ目と6つ目が建設中の「東京」の名を騙る人工島の1つ。「Site04」こと通称「台東区」で最大の港を有するこの
島の玄関口……通称「浅草」地区だった。
「明日だったっけな、相棒?」
「ああ……多分……『上野』と『入谷』の決闘の見物に来たんだろ」
「『渋谷・新宿区』にも『本土』のヤクザが進出しようとしてるって噂なのに……呑気なもんだな」
2人の「生身の金剛力士」は散り散りになって逃げていく2つの集団を眺めながら、そう呟いていた。
関口 陽(ひなた) (1) 時間通り、ヤツは博多港の待合室に現われた。なお、ここで云う「時間通り」ってのは「最終便には何とか間に合う」って意味だ。
「あのさぁ……連絡先ぐらい教えてくれよ……」
「無理だ。ウチは……仲間でも、チームが違えば個人情報を知るのは厳禁なんでな」
中学生男子ぐらいの身長。顔は……個人的にはそこそこだと思うけど……背丈の割に筋肉が付いてるんで、男の子と言われれば「そうかな?」と思い、柔道の軽量級の女子選手と言われれば、これまた「そうかな?」と思うような外見だ。
こいつは「本土」の「御当地ヒーロー」の自称「見習い」。こんな馬鹿強い「見習い」が居てたまるか、って気はするが。
こいつと知り合ったのは先月末に「千代田区」で、ある事件が起きた時だ。あ、「千代田区」ってのは、火山灰に埋もれた「本当の東京」の「本当の千代田区」じゃなくて、あくまで日本各地に点在する「関東難民」が暮す人工島、つまり「紛物の東京」の1つだ。
私が住んでいる同じ「紛物の東京」の1つである「台東区」は壱岐と対馬の間、「千代田区」は壱岐と唐津の間なんで、互いに「一番近い『東京』同士」だ。もっとも……かつては、「本物の千代田区」から「本物の台東区」までは電車で一〇分かそこらだったらしいが、今は「紛物の千代田区」と「紛物の台東区」はフェリーで1時間強。
しかも……こいつと知り合った時に起きた事件のせいで、「紛物の千代田区」最大の港である「銀座港」には外に漏れたら重大な国際問題になる量の放射性物質が充満したフェリーが鎮座し(ついでに、中には取り残されて苦しみながら死んでいった乗組員の死体が転がり)、警察が唯一機能していた「有楽町」地区では、地元警察と広域警察の支局の「殴り込み部隊」が全滅、残りの3つの地区の計4つの「自警団」の内3つが壊滅し、残りの1つ「英霊顕彰会」は大幅に勢力を失なった上、「自警団」から単なる「犯罪組織」へと成り下がった。
早い話が、私が住んでる「東京」に一番近い別の「東京」とは……当分の間、簡単には行き来が出来なくなった訳だ。
「ところでさ……この近くに住んでんの?」
「ノーコメント」
「でも、ここまで1〜2時間で来れるとこに居る訳だろ。何で、そんなヤツと連絡を取るのに、台湾に住んでるヤツを経由しなきゃいけないんだよ?」
こいつは連絡先どころか、本名さえ教えてくれないんで……こいつに連絡を取るのに、「千代田区」がとんでもない事になった事件の時に知り合った台湾先住民の女の子に連絡を取り、その子が、こいつの連絡先を知ってる別の女の子に連絡を取り……そして、こいつからの返信は逆ルートを辿り……「今度の連休にバイトしない?」「OK」と云うやり取りだけで1時間近くかかると云う、この御時世、最早、超常現象にしか思えない事態が発生する事になった。
「あとさ……お前の事、何で呼べばいいんだ?」
「非常識なモノじゃなけりゃ、好きに呼べ」
「あん時の『秋葉原』の女の子が言ってた『らん』ってのも……コードネームなんだろ?」
「あ……ああ、そうだ」
こいつの本名は教えてもらってないが……「ヒーロー」としての「コードネーム」は知っている。「ニルリティ」……インド神話の悪鬼族「羅刹」の別名だ。
そして……「らん」って呼び名も、一見、普通の名前に聞こえるが、おそらくは「コードネーム」にちなんだモノ……法華経に出て来る「十羅刹女」の筆頭「藍婆」の略だろう。
「じゃあ『らん』でいいな?」
「そうしてくれ。普段使ってるコードネームだから……想定外の事でも起きて動揺してしまった場合でも、自分の事だと判る」
「ところでさ……せいぜい、一泊か二泊なのに……その荷物はねぇだろ」
「らん」はデカいキャリーケース2つに、背中には更に登山用のバカデカいリュック。
「そっちこそ……」
私の荷物も同じ位の量だが……。
「いや、こっちは、昨日まで英彦山に修行に行ってたの」
「じゃあ、バイト代に含まれてる英彦山土産は……」
「先に、ウチの『島』に居る信用出来る知り合いに送ってる。渡すのはバイトが終った後だ」
「で……ドローン操作のバイトだけど……本当に『イベントの撮影』だけだよな?」
「ああ、安心しろ。そこは問題ない」
高木 瀾(らん) (1)「あん時の『秋葉原』の女の子が言ってた『らん』ってのも……コードネームなんだろ?」
日蓮宗の僧侶をやってる伯父さんから教えてもらった呼吸法「数息観」で平常心を取り戻すまで約1秒。
「あ……ああ、そうだ」
「じゃあ『らん』でいいな?」
「そうしてくれ。普段使ってるコードネームだから……想定外の事でも起きて動揺してしまった場合でも、自分の事だと判る」
助かった……関口は、私の一瞬の動揺に気付いてないようだ。
だが、しまった……。事件が解決……いや、あれを「解決」と呼ぶべきかは疑問の余地は有るが……した直後だったので、私も……私の事を本名で呼んでしまったレナも気が緩んでいたらしい。
「ところでさ……せいぜい、一泊か二泊なのに……その荷物はねぇだろ」
「そっちこそ……」
「いや、こっちは、昨日まで英彦山に修行に行ってたの」
関口は人工島「Neo Tokyo」の1つ、壱岐と対馬の間に有る「Site04」こと通称「台東区」の自警団「入谷七福神」のメンバーの1人だ。もっとも、今、着ている上着は「入谷七福神」の「制服」である「背中に宝船が描かれたスカジャン」ではない。
だが、確かに「アウトドア系のレジャーの帰り」と言われれば納得出来そうな格好だ。
私より1つか2つ上らしい……要は二〇前なのは確実……な彼女が「自警団」の、それも前線メンバーなのは、彼女がいわゆる「魔法使い」だからだ。
「魔法」の系統は修験道系。「英彦山での修行」と云うのも、「魔法」の修行なのだろう。私が生まれる十年以上前、「異能力者」の存在が明らかになる以前に、マンガやアニメの企画で「修験道系魔法少女」なんてのを提案したら……冗談だと思われるのがオチだっただろうが……事実は小説より奇なりで、私の目の前に実在している。
「じゃあ、バイト代に含まれてる英彦山土産は……」
「先に、ウチの『島』に居る信用出来る知り合いに送ってる。渡すのはバイトが終った後だ」
「で……ドローン操作のバイトだけど……本当に『イベントの撮影』だけだよな?」
「ああ、安心しろ。そこは問題ない」
他人にとってはともかく、私にとっては極めて魅力的な報酬に釣られて「バイト」をOKしたは良いが……私達「御当地ヒーロー」と彼女達「自警団」は「文化」が大きく違うので、一抹の不安は有る。
どちらも、「特異能力者」の存在を一般人が知る事になって以降、世界各国で起きた政府機能の破綻や治安の悪化に対応する為に生まれた「民間の治安維持組織」だが、「御当地ヒーロー」が上下関係が緩く、疎結合の複数チームが連携し、非戦闘員のメンバーの方が数が多いのに対し、「自警団」は体育会系的・ヤンキー的・ヤクザ的な「上下関係に厳しい」「例えば宴会での席次を間違えると血の雨が降る」ような「文化」で、1つの「自警団」が複数のチームから成り立っている場合は各チームの関係は密結合、金や人が豊かな所で無い限りは非戦闘員のメンバーは数も少ないし組織内では軽んじられてる……らしい。
つまり……「同じ単語を使ってるのに『御当地ヒーロー』と『自警団』では全く意味が違う」なんて事も十分考え得る。
だが……後にして思えば……ちゃんと確認しておくべきだった。「イベントの撮影でドローン操作をやるヤツが足りないんで、手伝ってくれ」って話が来た時に……どう云う「イベント」なのかを……。
関口 陽(ひなた) (2)「なぁ……お前って、その……女の子の方が好きだってホント?」
フェリーの甲板で、並んで夜の玄海灘を眺めながら……私はランにそう聞いた。
「何が言いたい?」
「ええっと……その……」
「『面白そうだから、一度、女同士のSEXを経験したい』とか言うんなら、ブチのめすぞ」
「……わかった。痛みよりも興味の方が上になる日が来たら、また相談する」
「そうか……」
「で……付き合ってる女の子とかは居るの……?」
「何で、お前に話す必要が有る?」
「……ええっと……この前、会った時、元彼女が居たとか……」
「あのさ……自分でも自覚はしてるけど……私みたいな命知らずを恋人に持ちたいか?」
「……あ……」
ランは溜息を付いた。
「そう云う理由でフられた」
「悪い事聞いちゃったな」
「今んところは……戦いの時に背中を任せ合える相手としか恋をするつもりは無い……。『御当地ヒーロー』を引退した後は話は別だけど」
「引退って……」
「病気って訳じゃないけど……どうも、私は、鍛えても背も高くならないし、筋肉も付かない体質らしい……。いつかは限界が来る。まだ、ずっと先だけど、でも、普通の人間にとっては人生これからって時期……普通の会社員だったら係長になるぐらいの齢には、引退だろうな」
「じゃあ、引退した後はどうすんの?」
「この前の事件の時に使ってた、アレの後継機を設計したい」
一瞬、何を言ってるのか判んなかったが……。
「あ……ああ、そう言えば、アレも誰かが作った訳だよな」
「でも……私達みたいな人間が要らなくなる世の中が一番いい」
「お前……結構、ロマンチストだな……」
「何の理想も正義も信じてないヤツがやったら、1年以内に確実に心が折れるぞ、こんな稼業」
「ま……たしかに……」
高木 瀾(らん) (2) 通称「台東区」最大の港「浅草港」に付いた頃には、夜の一一時を過ぎていた。
港で私達を出向かえたのは、かつて「本物の浅草」に有った「雷門」を何倍にも大きくした外見の「門」。
贋物の「雷門」の左右には……これまた本物の何倍もの大きさの仁王像。
その門の下を、自動車用は片側4車線、計8車線に、合わせたら軽自動車なら通れるほどの横幅が有る歩行者用レーン+自転車用レーンを合せ持つ巨大道路が通っていた。この島の3大幹線道路の1つ、通称「雷門通り」だ。
「とりあえず、明日のバイトは一〇時から説明と打ち合わせ。本番は昼の一時から……まぁ、撮影して欲しい『祭』は夕方までには終るだろ」
「わかった」
「雷門通り」から少し離れた繁華街を通って関口の自宅が有る「入谷」地区に向かっていると、近くの居酒屋から二十数名の一団が出て来た。
「なんだ、ありゃ?」
「他の島の『自警団』も、明日の『祭』の見物に来てる。どうやら、因縁が有る同士が居酒屋で鉢合わせしたんだろ」
「他のって……どこの?」
「広島沖」
「はぁ? いや、ちょっと待て、そんな所から、わざわざ?」
「ああ」
広島だと、Site02……通称「渋谷・新宿区」……。他の「東京」は約2㎞×2㎞の区画が4つ集まって1つの「島」になっているが、Site02のみ、それが2組。
Site02西が通称「渋谷区」、Site02東が通称「新宿区」。それぞれ、各区画は「本当の渋谷」「本当の新宿」の地名にちなんだ通称で呼ばれていた……筈だ。
「で、時代劇の侍みたいな格好してるのが『新宿』の『四谷百人組』。江戸時代に『本当の四谷』に居た……江戸幕府の将軍が、万が一、江戸から逃げのびないといけなくなった場合の護衛が役目の精鋭部隊にちなんだ名前らしい」
「だから、あんな格好してるのか……で、本当に百人も居るのか?」
「定員通りかは知らないけど、定員百人が4チームだ」
「えっ?」
「私も良く知らないけど、連中の名前の由来になった江戸時代の百人組ってのは4つ有ったらしい」
「じゃあ、定員通りだと、戦闘要員だけで四百人か……」
「まぁ……私達『自警団』は、お前ら『御当地ヒーロー』と違って、戦闘要員の方が圧倒的に多いけどな」
「じゃあ、後方支援チームなんかは……」
「居ても少ない」
「ところでさ……侍モドキの相手のヒップホップ系のミュージシャンみたいな格好の連中……中々、動きがいいな」
「ああ、あいつらは……『渋谷』の『原宿Heads』だ」
まるで踊るような動き……ひょっとしたら、本当にブレイクダンスでもやってるのかも知れない。
一見、フザけてるようだが……いや……本当にフザけてられるほどの力量差が有るのかも知れない。「侍」達の攻撃は、余裕綽々で躱されている。
『ダンスが巧いヤツと喧嘩になったら気を付けろ』
弟子にそう言ったのは、柔道家の木村政彦だったか、空手家の大山倍達だったか……。
本当にダンスが巧い相手と戦う事になった場合の事も考えておくべきかも知れない。
そう思った時、銃声が轟いた。
関口 陽(ひなた) (3)「おい、めったに見られない一大ショーだぞ」
私はランにそう説明した。
他所者が自分の所場で喧嘩を始めれば……当然、「自警団」が出て来る。
それが「紛物の東京」のルールだ。
「なんだ……あの2人は……?」
「ここ『浅草』の自警団『二十八部衆』の通称『仁王姉弟』だ」
性別と髪型を除いてはウリ2つの巨体。
「体格や力だけじゃないな……」
「やっぱ、わかる?」
「ああ、さっき侍モドキを投げ飛ばした時……力は必要最小限しか使ってない」
両方ともモスグリーンのTシャツにカーゴパンツ、革の編み上げ靴に、黒っぽいサテンの法被。
その法被の背中には、片方には口を開いた阿仁王が、もう片方には口を結んだ吽仁王が描かれていた。
侍モドキが日本刀モドキで斬り付けても……服は切れても、血は一滴も出ない。
Bボーイ達が、蹴りや拳を叩き込んでも……逆に、攻撃した方が跳ね飛ばされる。
「あれは……『魔法』か?」
「どうだろう? 広い意味ではそうかも知れないけど……まぁ、一般的な『魔法』とは別系統の『気』の操作方法だと思う」
「判らないのか?」
「あのな……『気』を『観る』と、ほんの少しだけど、相手の『気』にも影響を与えちゃうの。あいつらが、本当に自分の『気』を操る技術を身に付けてた場合、そこまでの事が判るレベルで、こっちがあいつらの『気』を『観』たら、多分、気付かれる。向こうから喧嘩売られた訳でも無いのに、相手の『気』を『観る』のは因縁付けてるのも同じ。同業の可能性大な上に、こっちから喧嘩売ったら確実にマズい事になるヤツに、そんな真似する『魔法使い』は居ない」
「そんなモノか……」
「そ……私らみたいなのが『気』を『観』れるようになったら、次にやる訓練は『必要ない時には気を観ないようにする』訓練。そもそも、悪霊とか魑魅魍魎なんかは……『観』えるヤツに寄って来る習性が有るんで、必要無い時には『観ない』ようにしないと、命がいくつ有っても足りなくなんの」
「なるほどな……」
「で、どうよ? お前なら、あの2人に勝てそう?」
「バカ言え……。私の師匠ならともかく……それに、私は、何かトラブっても、喧嘩無しで解決出来る方法が有るなら、迷わず、そっちを選ぶ」
「おい、今の自分の格好を見てみろ」
「え……?……あっ……」
ランは無意識の内に、体の重心を落とし、膝を曲げ、左半身を引き、右腕を相手の攻撃を捌こうとするかのように、左掌を腰の辺りで構えていた。
「あのさ……今、自分なら、あいつらとどう戦うか、とか考えてただろ?」
「判っちゃいるけど……もう、第二の本能だな……」
「ま、お前でも、あいつらに勝つのは無理だろうな」
「何なんだ……そもそも『二十八部衆』って?」
「戦闘要員の定員は、たった二八人だけ……けど……この前、あんな事になった『千代田区』の『英霊顕彰会』とは別の意味で、他の『自警団』から一目置かれてる奴らだ」
「何となく、想像は付くけど……その『一目置かれてる』理由は?」
「最大でも、たった二八人の戦闘要員が……全員、他の自警団の基準では『エース級の中のエース級』の力量だって言われてる。最盛期の『英霊顕彰会』でも、その二八人の誰かと、一対一でマトモな勝負が出来たヤツは……せいぜい十人ってとこだな」
……ランにそこまで教えた時、ランが無意識の内にとっていた「構え」について、ある事に気が付いた。
こいつ、左利きだったっけ?
関口 陽(ひなた) (4) その晩は、ランは、私の家に泊まった。
「ところで、その下着、何?」
シャワーを浴びた後のランが着ていたのは、迷彩模様のスポーツブラに、同じ柄のスパッツに見えない事もないパンツ。
下着と言いつつ、スポーツジムに居ても違和感の無い格好だ。
「何って?」
「どこで買ったの?」
「特別製」
「へっ?」
「防刃繊維で出来てる」
「おい」
「だって、この辺りに太い動脈が通ってんだぞ。ちゃんと防護しとかないと危険だろ」
そう言って、ランはスパッツ風の下着に覆われた太股の辺りを指差した。
「えっ? そうなの?」
「有名な手だぞ。昔、韓国のヤクザの抗争で、わざと相手の太股を日本の刺身包丁みたいな感じの刃物で刺すテクニックが有ったそうだ」
「どう云う事?」
「向こうの『殺人』の成立要件は、日本とほぼ同じ。逮捕された後、裁判で『わざと急所じゃない所を狙ったんですが、まさか、あんな所に太い動脈が通ってたなんて知りませんでした』って言い訳が通れば、判決は『殺人』より1ランク下の『障害致死』に格下げだ」
「……な……なるほど……」
「まぁ、どいつもこいつも、その手を使ったんで、すぐに、刺身包丁で相手の太股を刺したヤクザには殺人罪の判決が下るようになったらしいけどな」
「まさか、お前も、その手を使うの?」
「師匠の1人から習ったけど……そうそう巧く行くとは限らない」
「ここまで色気の無い女の下着の話は初めてだ……」
「話ふったの、お前だろ」
高木 瀾(らん) (3) 翌朝、朝から開いてる定食屋で朝食を食べた後に「バイト先」に行く事になった。
「なぁ……何で、納豆の薬味が白ネギなんだ?」
私が、そう聞くと、関口は一瞬、キョトンとした顔になった。
「白ネギが普通だろ」
「青ネギが普通だと思ってた」
「そうなの?」
「そう言や、親類が言ってたな……。初めて関東に行った時に、蕎麦の薬味が白ネギだったんでびっくりした、って」
「そりゃ、九州では、そうかも知れないけどさ……」
「いや、ここ、九州だろ。物理的な位置は」
「地図の上では九州でも、文化は東京だ」
「白ネギって、加熱して喰うモノだと思ってた」
「だから、ここは、地図の上では九州でも、文化は東京なの」
「あ……そう。じゃあ、この醤油のビンに何て書いてある?」
そう言って、私は、納豆にかけようとしていた醤油の小瓶を指差した。
「……特級むらさき」
「その横のメーカー名は?」
「……チョーコー」
「どこの醤油メーカーだっけ?」
「……長崎……だったっけ?」
そう言った後、関口は溜息を付いた。
「こっちの大人が懐しそうに言ってる『下仁田ネギ』って……一度も喰った事ないんだよな……」
「下仁田ってどこだっけ?」
「群馬か栃木じゃなかったかな? 富士山の噴火の時は、ギリギリ大丈夫だったらしいけど……主な出荷先だった『本物の東京』が、あんな事になったんで、生産量は年々落ちてるそうだ」
「なるほど……」
「千代田区の『九段』の高級料亭では食えたらしいけど……」
「やめろ。『九段』が壊滅した事件は、他人事じゃない。私達は、思いっ切り当事者だ」
「そうだな……」
「ところでさ、九州の大人は、関東の醤油の事を『黒い塩水』とか言ってたんだけど、そんなに酷い味だったのか?」
「九州の人間は、キッコーマンとヤマサに何か怨みでも有るのか?」
「ところで、ここ、柚子胡椒って置いてないのか?」
「何で柚子胡椒?」
「納豆に入れたりしないか?」
「入れねぇよ、普通」
関口 陽(ひなた) (5)「ここから先が『御徒町』。『上野』の自警団『寛永寺僧伽』と私達『入谷』の自警団『入谷七福神』が一月ごとに交代で管理してるこの『島』の中立地帯だ」
バスの中で私はそう説明した。
前の席に座っているランは、迷彩模様の作務衣の上に青いデニム地の上着、これまた迷彩模様のリボンでセミロングの髪を束ねている、と云う個性的な格好。言葉で説明すると変なのに、実際に見ると結構決っているので、一見、朴念仁に見えるけど、実は、お洒落のセンスが有るのかも知れない。
「『アメ横』ってのは、どこだ? この『島』最大の観光地だって聞いたけど」
「『島』の4つの地区を繋いでる環状の高架道路の下あたりだけど……祭の場所は『アメ横』と『島』の中心部の間あたりの通称『パンダ慰霊広場』だ」
「何で、パンダ? あと『慰霊』って何だ?」
「ああ、『本当の上野』にあった動物園にパンダが居たらしいんでな」
「じゃ、そのパンダって、まさか、富士山の噴火の時に……」
「そう……可哀そうな事にな……」
「……ちょっと待て、『アメ横』と『浅草』の名物は『パンダ焼』って聞いたけど……」
「それがどうした?」
「肝心のパンダが死んだんなら、不謹慎な名物だろ、それ」
「そうかな? いや、でも、富士山の噴火より前から売られてたらしいんで」
「何か、イマイチ、納得がいかん。噴火で死んだのに『焼』は無いだろ」
「あと、この『御徒町』地区の海側には、この『島』の3つの『自警団』が共同出資してる民間刑務所が有る……。あ、留置所とかも兼ねてるけどさ」
「はぁ?」
「いや、こっちにも、警察や検察は一応有るけど、もし連続殺人犯なんかが出た場合は、捕まえても、機能してない警察に引き渡すなんて無謀な真似は、やる訳にはいかない。確実に逃げ出して、しかも、その時に無能だけど罪の無い警官が何人か殺される」
「裁判はどうしてるんだ?」
「『自警団』の顧問弁護士が検事役……で、裁判所の警備は『自警団』の仕事。裁判官は、旧政府が崩壊して以降の『本土』と同じく『島』内の法曹資格持ちの誰かが立候補して、その中から選挙で選んでる」
「なるほど……」
「どうした?」
「いや、この間『千代田区』で会った、あのイケスカないヤツが言ってた通りかも知れないな……なんて思ってな」
「えっ?」
「……人間には『秩序無き所に秩序を築き上げる』本能が有る……か……。案外、そうかも知れないな……ん?」
「……あれ? どうした? 何か気になる事でも有るのか?」
「いや、ちょっと待て……何か変だぞ」
「何がだ?」
「精神操作系の『魔法』を使えるヤツがゾロゾロ居る組織が犯罪者の取調べをやってる訳か? 自白調書とか、どこまで信用出来るんだ?」
「あのな、私らは前世紀の警察じゃないんだ。そんな真似する訳ないだろ」
『間も無く「パンダ慰霊広場前」です』
バスの車内放送が、そう告げていた。
「実はさ……『アメ横』や『浅草』で売ってる伝統工芸品は……さっき話した民間刑務所で作ってるんだ」
「その点は『本土』も似たようなモノらしい。福岡・佐賀・長崎の伝統工芸品のいくつかの技術伝承の最後の砦は……長崎刑務所と福岡刑務所だそうだ」
「お前に渡す予定の『報酬』も、どっかの刑務所で作られたモノだったりしてな」
高木 瀾(らん) (4) 祭の会場になるらしい「パンダ慰霊広場」では、露店や祭の運営のものらしいテントの準備が行なわれていた。
「あ、どうも、関口さん、その人がバイトの子?」
そう声をかけてきたのは、眼鏡をかけて、髪をバンダナで覆った、背は高い方だが細身の三十過ぎの男性。
「いや、呼び捨てでいいっすよ。こいつが……」
関口は「しまった」と云う顔になった。
どうやら、私を紹介しようとしたらしいが……私の名字は知らないし、名前は知ってるが……「御当地ヒーロー」としてのコードネームだと思い込んでいる。
「眞木です。眞木瀾」
とっさに妹の治水の名字(なお、子供の頃に両親が離婚したんで、父親に育てられた私と、母親に育てられた双子の妹の治水では名字が違う)と、本当の名前を組合せた偽名をデッチ上げた。
「高校生?」
「ええ」
「学校は?」
「福岡の久留米のS女学院ですが……」
「ええ? お嬢様学校だよね? 芸能人にも、結構、そこの出身の人が多かったりするような……」
「は……はい……」
実は同じ市内だけど結構離れてる進学校の理系コースなんだけど……まぁ、妹と中学の頃の同級生が行ってる学校なので、全く知らない訳じゃないからボロは出ないだろう。
「えっと……で、この人は?」
「撮影チームの統括の久留間さんだ」
「よろしく。じゃあ、これ付けてて」
そう行って渡されたのは「報道」の2文字の間に○に帆船の絵が描かれたマークの腕章。なお、帆船の帆には漢数字の旧字体の「七」が書かれてるので、多分、「入谷七福神」のマークなのだろう。
「じゃあ、ちょっと、私は制服に着替えてから、また来るよ」
「判った」
その時、久留間さんが「あ〜」と云う顔になった。
「えっと……ウチ……ガチで体育会系気質って云うかヤンキー気質なんで……そのさ……『正社員』に聞かれてる所で、『正社員』のそれも前線要員の人にタメ口きいたら怒られるよ」
「へっ? ええっと……あぁ、なるべく気を付けます」
だが、どうやら、私は、一瞬「何言ってんだ?」と云う表情になったらしい。
「最近の『本土』の子って、そんな感じなの?」
「えっと……私は……親が年上の相手にも平気でタメ口をきくような人間だったので……」
「なるほどね……。とりあえず、バイトは『正社員』に敬語、『正社員』の中でも非戦闘員は前線に出る人に敬語、同じ立場だと年下は年上に敬語なんで、気を付けてね」
「は……はい……」
「じゃあ、あれの設置って手伝ってもらう事って出来る?」
「あ……ま……まぁ……オンラインゲームなんかが趣味なんで、多少は……」
これも嘘で、オンラインゲームが趣味なのは妹の治水だ。私が自宅が使ってるのは……性能はゲーム専用PC並だけど、あくまでCAD用のPCだ。
テント内に設置されようとしてるのは……タワー型のPC。しかも、CPU・グラフィックボードともに業務用・高速計算用のモノらしい。
「あの……設置するのはいいんですが、何で、こんな所に、こんな凄そうなPCを?」
「ああ、ここって、対馬のすぐ近くだよね。で、対馬に来た韓国からの観光客が、こっちにも寄る事が有ってさ」
「はぁ……」
「その中に、ここの『祭』を見に来た韓国の映画関係者が居て……で、韓国の映画では、撮影現場にPC持ち込んで、現場で撮影終ったそばから仮編集をやるって話を聞いたんで……で、こっちは、撮影終ったそばから、本編集までやって、そのまま『祭』の様子を動画サイトにUPする事にしたんだ」
「へえ……」
「もちろん、生配信も同時にやるけどね」
そして、十台弱のPCの設置をやり、起動確認まで終った所で関口が戻って来た。
「おお、やってるな……」
だが……。
「あの……制服着てるのは判るけどさ……」
関口の今の格好は、「自警団」の「制服」であるスカジャンに、厚手のカーゴパンツ、そしてウォーキングブーツ。
だが、両手で抱えてるのは……。
「あ……ごめん……流石にこんなモノ持って来たら気付くよな……」
関口が手に持っているのは「魔法」の「焦点具」を兼ねている両手持ちの大型ハンマー。
人の頭を思いっ切り殴れば、相手は死ぬサイズのヤツだった。
「急な『祭』だったんで、人手が足りないのに、お前しか当てがなかったんだけど、お前、こう云うの嫌いそうだったし……この『祭』、外国では有名だけど『本土』では知られてないみたいだから……わざと詳しい説明を省い……うわっ⁉」
「あ……ま……眞木さん……落ち着いて……」
背後からは久留間さんの声。
「もっと早く気付くべきだった……。おい……この『祭』って、そもそも、どう云う『祭』だ?」
私は関口のスカジャンの襟元を両手で掴んで、そう言った。
「決闘だ」
「はぁ?」
「あ〜、『上野』の『寛永寺僧伽』とウチの『自警団』の間でトラブルが有ってな……で、双方から代表を出して、決闘で決着を付ける事になって……ついでに、動画の撮影と生配信をやって『自警団』の宣伝に……」
関口 陽(ひなた) (6)「ふざけるな……。帰る」
ランは不機嫌そうにそう言った。
「……久留間さん、預けてたアレ出して」
「これですか?」
「おい、ラン、これ要らないのか?」
久留間さんが手にしてるのは……修行に行ってた英彦山のお土産「英彦山がらがら」の特別限定版。
十年ぐらい前の子供向けのアニメに出て来た恐竜達の顔になってる陶器製の鈴だ。
「要らん。自分で英彦山まで買いに行く」
そう行って、ランは、私達に背を向けた。
「あ、そう……ガジくんにスーちゃんにタル坊だっけ……あのお姉ちゃんは、君達の事、要らないんだって」
「うるさい」
「じゃあ、一思いに……」
その時、振り向いたランの顔には、何かに感付いたような表情が浮かんでいた。
「おい……まさか、その子達を殺す気か?」
「壊す」じゃなくて「殺す」か。聞いてた通り、こいつ、この恐竜のグッズに関しては言動がおかしくなるみたいだ。
「どうする? 可愛い恐竜さん達が死んじゃうよ」
「わかった……。それを含めたバイト代分の事はやる……。けど……」
「けど……何だ?」
「最初に会った時に、私に再戦を申し込んでたよな? いつやる?」
あっ……。
「いつでもいいが、その時は……全力でやらせてもらうぞ」
あははは……。
「わ……わかった。こっちの都合が良くなったら……日時と場所を連絡する」
「あ……あのさ……関口さん……この子……一体……?」
「ば……私の知り合いのバイトの子です。それ以外は、見ざる言わざる聞かざるでお願いします。あははは……」
高木 瀾(らん) (5)「ドローンの操作画面の右下隅に識別番号が表示されてます。指示は、その識別番号で行ないます」
撮影用のドローン操作スタッフの打ち合わせは始まっていた。
「各ドローンには衝突防止のセンサが積んで有って、他のドローンと近付き過ぎると警告が出ますが、余程、緊急の場合を除いては、ボクに指示を仰いで下さい」
説明をやってるのは、さっき関口に紹介してもらった久留間さんだ。
「あと『正社員』の人の御機嫌が悪くなるんで、『寛永寺僧伽』や『二十八部衆』のスタッフとは、仲良くもしすぎず、喧嘩もせずでお願いします」
学校でも体育会系の部活やサークルに入った事は無いし、私が属してる「御当地ヒーロー」の「組織」は、「組織」と云うより上下関係が緩い「ネットワーク」なので、よく知らないのだが……上下関係に厳しい組織ってのは、こう云う風通しが悪い事になるんだろうか?
「何か質問は?」
「あの、ドローンの移動とか向きの変更とかの指示方法は?」
「えっ?」
「だから、何時の方向とか、そう云う感じですか?」
「あ……たしかに、そっちが合理的だけど……みんな慣れてないんで、右とか左とか前とか後で……」
こっちの自警団ってのは……かなりマズい組織かも知れない……。
「島」の中だけが活動範囲で、「外敵」は海を渡ってやって来るしか無い……だから、何とか無事で済んでるんだろうけど……。
……でも、どうやら、戦闘要員と非戦闘員の連携は巧く取れてないようだ。
もちろん、この時、私は、その日の内に、あんなとんでもない事態が起きるなんて予想が付く筈もなく……。
だから……「駄目だ、こりゃ」と内心で思いつつも……「嫌な予感」までは思い浮かべさえしなかった。
関口 陽(ひなた) (7)「な……なぁ……機嫌直してもらえた?」
「だから、バイト代分の仕事はしますよ、『正社員』様」
駄目だ、まだ怒ってる。
「最初から正直に言ってくれれば、私は断わったけど……他の誰かを紹介したんですけどね……」
「えっ? そうなの?」
「私の妹もドローン操作は一応出来て、私と違って、こう云う『祭』が大好きなんで」
「……ああ、そう……。で、昼食は中々だろ。スタッフ用の飯は、冷えた弁当じゃなくて、ちゃんとケータリングを呼んで温かいのを出すのが、ウチの方針なんで」
「でも……そのバカデカいステーキは『正社員』様だけですよね?」
「イチイチ、敬語使うな。何の嫌がらせだ?」
「いや、だって、『正社員』様には敬語を使えと言われておりますので」
「だから、何だ、その棒読み口調の敬語は?」
「何だ? と言われましても……敬語です」
「お前、人からかってる時は、大真面目な顔と口調になる癖が有るだろ」
「何の事でしょうか、『正社員』様?」
「ひょっとして、このステーキ欲しいの?」
「いや、私は牛肉は霜降りより赤身の方が好きなんで」
「え〜、もったいないなぁ……伊万里牛の最上級だぞ。日本一を何度も取った農家が育てた」
「それを……その量……」
「うん、七五〇g」
そして……十分ほど経過……。
「あ……あの……本当に要らない?」
「だから、私は牛肉は赤身の方が好きなの。冗談でも嫌味でもなくて、本当に」
「いや……でもさ……」
「大体、一口か二口で満足しちゃうほどの味の肉を、それだけ食えると思ったのか?」
「あの……じゃあ、撮影スタッフ呼んできて……」
「あんたは、喫茶店で隣の席の女の子に食べ残しのケーキ押し付けようとするキモいヒヒ爺ィか?」