微睡みに揺蕩う(Web再録) 泥沼の底からようやく顔を覗かせるような目覚めだった。未だ重たい泥は身体と目蓋に纏わり付いていて、意識は浮上したが、如何せん起きることが出来やしない。惰眠を貪るような暇などないだろうが。
(やることが山積みだってのに)
そうだ、今だってラボで図面を書いている途中だったろ。意識を引きずり上げようと藻掻く。ホラ、物音が聞こえるだろう、その音に起こされろよ。何の音だ?
(……、あ)
それは、すっかり聞き馴染んだ声が微かに歌う声だった。聞いたことがある気がする、聞いたことはない気がする、まともに働いていない脳ミソでは何の歌かも判断できないくらい、ささやかなハミングだ。
(ああ……人が、居る)
途端、全身から力が抜ける。また意識が沼底へと引き寄せられる。
森の中ではない。ここは村で、繋がれた命があって、協力者たちが居て、それから、現状村内唯一の時代の同郷者は穏やかに歌を口ずさんでいる。今、この傍らで。
(……もう少し、だけ)
その声を聞いていたいと思っていたのに、沼底から伸びた手は意識をかき抱き、泥の中へずるりと再び沈めてしまった。
――意識が浮上したのは、肩を揺すられる感覚によるものだった。まだ幾分か目蓋は重いが、それでもなんとかこじ開ける。
「おっつ~、千空ちゃん。起きられそう?」
視界の中でひらひらと動く長い指。聞こえてきたのは意図的に作られた軽薄な声音。視線を動かせば、予想よりも近い距離にあさぎりゲンの顔があった。
「……近ぇ」
「あ、メンゴ。つい寄っちゃった」
俺の言葉に、彼はさっと身を引いた。片側だけ長い白髪が揺れる。何となくその動きを目で追い眺めていたら、まだ寝ぼけていると思われたのか改めて目の前で手を振られた。
「大丈夫そ? お水とか要る?」
「あ゛あ゛悪い、起きる。水はくれ」
「おっけ~♪」
上体を何とか起こして伸びをする。背中が痛え。あと腕も痺れている。クソ。
「はい、千空ちゃん。お水」
「ん」
元々起こす前から用意していたのだろう。机の端に、盆と水差しが置かれている。痺れがマシな左手で差し出されたカップを受け取ると、ゲンは僅かばかり短い眉を動かした。利き手ではないことを訝しんだらしい。
「……、ああ。なるほどね~」
が、すぐに腑に落ちた顔をすると、彼はとんとんと自身の頬を指で軽く叩いて笑う。
「千空ちゃん、跡ついてるよ」
「げ、マジかよ」
「そんだけ寝てたらそりゃあ腕も痺れるね」
察しが良くておありがてえこった。誤魔化すように水を飲む。自覚以上に喉が渇いていたらしい、あっという間に飲み干した俺に向けてゲンが手を差し出した。空になったカップを手渡せば、すぐに二杯目を注いで返される。
「寝かせておいてあげたかったけど、そろそろカセキちゃんの作業も区切りつきそうな頃合いだし。確認行くんでしょ?」
「あ゛あ゛。助かった」
「でっしょ~? あ、頼まれてたそこの整理も終わってるよん♪ 俺ってば働きもの~!」
「自分で言うか? それ」
事実ではあるが。俺の突っ込みにけたけたと笑ってから、ゲンはもうひとつ置かれていたカップに水を入れて飲み干した。
「い~じゃん、誰も言ってくれないし自分で言ったって。俺ってばがんばってる~♪ ってね」
そして空になったカップを振り上げて、空っぽの筈のその中から少し枯れて皺になった花びらを撒き散らした。
「……片付けろよ?」
「もちろん」
先程まで何も入ってなかったカップから花びらを出すマジック。手際が良い。だが掃除が面倒なマジックは外でやれ。似たことを思っているのだろう、意外と広がっちゃったな……という呟きが聞こえてきた。
ただ、こんな所でも何かしら仕込もうとする姿勢は好ましいし、こいつが手慰みのように披露するマジックを見るのは結構楽しい。言わないが。言ったら面倒くさそうなので。
「あ゛ー……カセキんとこ行ってくる」
「いってら~。俺ここのお掃除してから食事の用意お手伝いに行くんでシクヨロ」
「そこの水差しも……」
「りょ、片付けとくね」
「頼んだ」
「かしこまり~♪」
ひらひらと送り出すように手を振られる。手を振り返してからラボを出る。
歩きながら、ふと、久しぶりによく眠れたな、と。思って、しまった。
カセキと打ち合わせをし、飯を食いながらクロムの問いに答え、またラボに籠もる。日の出入りで寝起きする村人に比べれば随分と夜更かしをしていることになるが、時刻としてはまだ22時を回った程度だ。石化前なら余裕で起きていた時間である。
今日は少しとはいえ仮眠も出来た。丸一日脳ミソぶん回して身体も動かしている日よりはずっと楽。ずっと楽だということは、……疲れて寝落ちるまで時間がかかるということだ。
焦りなのか、ストレスなのか。どうにも寝付きがよくない日々が続いている。だから寝落ちするまで作業に没頭するくらいがちょうどいいんだが、今日はいつもより夜が長くなりそうだ。
「千空ちゃ~ん? まぁだやってんの~?」
溜息を吐いたところで、声がかかった。振り返ると、入り口に寄りかかってげんなりとした顔で俺を見ている男が一人。
「用事か? メンタリスト」
「少ない資源使って夜更かしをしている誰かさんの様子見~!」
「まだ22時過ぎだ」
「そんなの時計見ないと俺には分っかりませ~ん! 体感として今は深夜です、そして夜は寝る時間!」
はあ、とわざとらしくデカい溜息を吐き、けれどどことなく心配している風な目つきで、ゲンは俺を見つめてくる。
「昼間、作業中に寝落ちするくらい疲れてんでしょ? 寝ちゃった分を取り返したいのかもしれないけど、大人しく回復に努めるべきと思うよぉ? 俺は」
「それなんだが」
「ん? どれ?」
「昼間の。ひっさびさによく寝られたわ」
「おっと、これは話が変わってきたね? オッケー、詳しく聞こうか」
演技じみたナリを潜め、ゲンが傍へ寄ってきた。互いに適当に椅子を用意して、向かい合って腰掛ける。
「確認ね。さっきの言い方はつまり最近あまり眠れてない、ってこと?」
「睡眠はとれてる。くったくたに疲れりゃ、ばたんきゅうと眠れっからな」
「それ睡眠っていうより気絶じゃない?」
参ったな、と小さくゲンが呟くのが聞こえた。夜通しとまでは言わないが、俺が夜更けまで作業を続いている理由を理解したのだろう。
「……昼に寝落ちしちゃったのは、身体が限界だったから?」
「あ゛ー……いや、耐えられなかったっつーよりも……」
最初に数分うたた寝をしてしまったのは、確かに疲れからだった。ただ、意識を取り戻したというのにもう一度、しかも深く眠ってしまったのは……
「ん? なに?」
機嫌が良さそうに鼻歌を歌っていた、この男の気配に力が抜けてしまったから、ではなかっただろうか。
「テメー、ラジオも番組持ってたか?」
「番宣で出たりはあったかな~。聞いたことある? てか、どしたの? いきなり」
「ラジオ代わりにクソ興味のねえどうでもいい話を聞いてたら眠くなんねえかな、と……いや、やっぱナシだな」
「う~ん、そうだねぇ~……それだと俺、俄然やる気を出して寝させなくすると思うし」
「んなとこでまでエンタメ根性発揮すんじゃねえよ。そうじゃなくて、これじゃテメーの睡眠時間奪うだけだからこの案は却下っつー話」
寝させなくするようなトークってなんだよ、ちょっと気になるじゃねえか。……すべてが丸く収まったら、娯楽としてラジオの真似事をやらせてみるのも面白そうだ。
「実際やれって言うんならそこまで負担じゃないしやれるけど。……千空ちゃんにとっては、ここの夜が静かすぎるのかもね」
それでかえって寝付けないのもあるんじゃないか、とゲンが言う。
「俺らに馴染みがあった『静かな夜』よりも、よっぽど静かだからさ。ここ」
静かすぎる、か。確かにずっと人の気配も少なければ、物音だって少ない。少ないが……目覚めて半年間よりは、よほど賑やかではあるのだ。
「テメーにとっても、か?」
「そうだねぇ、俺はほら? 眠らない世界で働くおにーさんだったわけだし? それに比べちゃったら、ね。夜は暗いし怖いんだって、ここで目覚めて思い知ったよ」
……そういえば、コイツは最初、たったひとりで俺を追いかけてきたんだった。司のような武力も大樹のような体力もない、発展した文明の中でもなきゃ生きていけないようなヒョロガリで、おそらく俺ほどにはサバイバル知識もないのに、たったひとりで。
「よく辿り着けたよな、村まで」
「いや、ジーマーでそれよ! 野宿怖かったんだから! 人間の痕跡見つけたとき俺がどんだけ嬉しかったか! ……千空ちゃん、よく一人で耐えたねぇ大樹ちゃんが起きるまで、ってメンゴ、話が逸れてきた。夜が静かすぎて無意識に警戒してストレスフルになってるとかなぁい? て思ったのよ」
村に入り込んだこの現状で、身の安全度はかなり高くなった。それでもまだ警戒心が抜けきってない、と。分からなくはないが……どうなんだかな。
「ま、つまりよく眠れるようリラックスできれば良いってことだし~……うん。千空ちゃん、一緒に寝よっか」
「あ゛?」
何を言ってやがるんだ? コイツは。
「なぁに気色悪ィこと言ってんだ、テメー……」
「俺もクロムちゃんの倉庫に泊めて~! ってこと。人の気配が多い方が今は眠れるんでしょ? ガンガン倉庫の中身使っていってるんだから、ちょっとはスペース増えたろうし、俺ひとり増えても良いじゃん」
「狭ぇだろうが」
「えぇ~! そこを何とか! 俺としてもそっちで寝かせてもらえるんなら助かるんだよね」
曰く、今はカセキんとこに世話になっているらしい。カセキは気にしていないだろうが、ヨソ者である自分が泊まり続けるのは何となく落ち着かないのだと言う。
「千空ちゃんとこなら俺も気兼ねしなくて済むし、そっち泊めてくんない?」
「クロムの許可とってからな」
「まっかせて~、言いくるめちゃうから♪」
他に言いよう無ぇのかよ。肩をすくめる俺を、ゲンは愉快そうに眺めていた。
「よし。そうと決まれば寝るとしようか、千空ちゃん」
「クロム寝てんぞ、もう。起こす気か?」
「ちがうちがう、それは明日以降。今夜は千空ちゃん寝かしつけたらカセキちゃんとこ戻るよ」
とりあえず寝床に行こう、と手首を掴まれて立たせられる。寝かしつけるって……ガキか俺は。寝付けないと話したのは確かにそうだが、なんだこの釈然としない気持ちは。
腕を引かれるがまま、二人揃ってクロムの倉庫へとやってくる。寝ているクロムを起こさないよう暗がりの中で寝具を敷き、横たわる。その枕元にそっと、ゲンが座り込む影が見えた。
「千空ちゃん。仰向けになって」
囁くような小声で指示される。言いながら、ゲンは何やら自分の手を握ったり開いたりとストレッチをしていた。何か考えがあるらしい。ひとまず言われた通りに寝転がった。
「目ぇ閉じて」
柔く温い掌が、閉じた目蓋の上に乗る。ほどよい重みと、あたたかさ。先ほどのストレッチは、手を温めるためだったらしい。
「ゆっくり……そうだね、八秒くらいかけて息を吸って。……それからまた、八秒かけて吐いて……吸って……吐いて……」
言われるがまま、深く、深く、呼吸をする。吸って、吐いて、吸って、吐いて。アイピローのような穏やかなぬくもりの掌。俺の呼吸と合わせるように聞こえる深呼吸。身動ぎで聞こえる衣擦れ。自分の為だけに今そこに在る気配。吸って、吐いて、吸って、吐いて……――
隙間から射し込む光の眩しさで、目が覚めた。
「……、あ゛?」
起き上がる。朝である。
「やるじゃねえか、メンタリスト……」
マジで寝かしつけられた……驚きの入眠タイムだ。気絶した時並みの意識の手放しようだったぞ、あれ。恥と思わず毎晩頼むべきだろうか。
身支度をして外に出れば、早々に目的の人物と出会した。
「千空ちゃん、おっは~♪ よく眠れた?」
「おかげさんでな」
「俺もまさかあんなにすんなり寝るとは思ってなかったというか……ねえ、そんな眠れてなかったわけ? ジーマーで大丈夫?」
てっきり有用さのアピールをされるかと思っていたのに、体調の心配をされてしまった。少しバツが悪くなり、誤魔化すように髪を掻く。
「あ゛ー……問題ねえと思ってたんだが、考え改めるべきか? 上手いことクロム言いくるめとけよ」
「それはもちろん」
気遣わしげな顔つきは、目が合って瞬きひとつの間に消え去った。察しの良さと引き際の潔さ。上手いもんだ、と心の中で嘆息した。
「そんじゃ、今日も一日がんばらないとね~♪」
さも自分は数に入ってませんと言うかのような、気が抜けるほどに薄っぺらい応援の声。テメーもやること山積みだからな、と告げれば、ドイヒー! と悲鳴が返る。
(コイツひとり居るだけで賑やかだわ)
なんだか愉快になってきた。内側から込み上げるままに笑えば、俺につられてゲンも笑い出す。向こうの方から、コハクとスイカがやって来るのが見える。気付いたゲンが手を振っている。空を見上げれば雲も少ない青空である。
――ああ、今日も一日が始まった。
その後、ゲンは何をどう言ったのか知らないが、本当に上手いことクロムを言いくるめ、三人での倉庫寝泊まりが始まった。
「やっぱ狭えよなぁ、三人だと」
「まあね~。でも俺はちょっと修学旅行っぽくて楽しいかも♪」
「シュウガクリョコウ? ってなんだ?」
「俺たちの時代、学校で……メンゴ、クロムちゃん、まずは学校についての説明からよね」
「前に千空から聞いたことあるぜ、同じ年頃のやつ集めて色んな事教わるんだよな?」
「そうそう~♪ そこでね、……」
俺とクロム二人だけの時はクロムの科学に関する疑問へ俺が解答するような会話が多かったのだが、コイツが混じると雑談が増える。そして科学以外の、どちらかと言えば文化と呼ぶような類いの話題も上るようになる。話の引き出し方が上手いのか、途切れることなく話題は移り変わっていく。
クロムとゲンの会話に俺が混ざる、あるいは俺とゲンの会話にクロムが疑問を投げる。俺とクロムの質疑応答にゲンがリアクションや合いの手を入れる。年齢も住む世界も違うというのに、まるで同級生同士の戯れにも似た束の間のひととき。
全員が揃って就寝するわけではない。作業の都合で俺が明け方近くまで戻らないこともあれば、クロムが何か閃いて作業を始めたり材料求めて出かけていたり、ゲンもカセキに巻き込まれたり村の爺さん婆さんの面倒見に駆り出されたりだってある。ただ時折、似たような時間に寝床に居るときには昼間の延長のように騒ぐことがある、というだけだ。案外、クロムもゲンもこの時間を楽しんでいるようだ。
不思議なことに、ゲンがこちらに来てから俺の寝付きの悪さは徐々に解消された。狭い倉庫の中、ぎゅうぎゅうに寝転がって眠るだなんて余計に不眠になりそうなものだというのに、隣で丸くなって寝ている体温や寝息、身動ぎで引っ張られる毛布、そういったものは一切俺の睡眠を邪魔しなかった。むしろ好影響と言えよう。かといって、居なければ依然寝つきが悪いまま、ということもない。居ないなら居ないで寝床は広々と使えるから気楽に眠れる。
一体この気持ちの変わり様は何なのかと内心首を傾げてはいたのだが、最近ようやく自分の中で答えらしきものが見えてきた。
まず、ゲンは俺と同じ……いや、それ以上に立場が微妙なヨソ者だ。俺たちは石神村というコミュニティの中の異質同士である。そしてあの男は、司と俺を天秤にかけて俺と科学を選んだのだ。利害関係の一致で俺についているということは、メリットを示し続ければゲンは俺に対して協力を続ける。
……つまるところ俺は、コミュニティに属していないから他に寄る辺もなく、あやふやな理由ではなく利害関係という分かりやすい理由があるから現時点では裏切る事がない人物が傍に居る、ということを認識して安心してしまったのだろう。あの男は『夜が静かすぎる』と表現をしていた、言葉通りの意味も含んでいるだろうが、あれはオブラートだったのだ。中に包まれているものにはきっと『さみしい』という単語が書かれていた。
(ゲンの奴も思うんだろうか)
いや、あいつのことだ。俺と違ってそういうもんも上手いこと飼い慣らしているんだろう。
……ああ、でも。
『夜は暗いし怖いんだって、ここで目覚めて思い知ったよ』
その気持ちは、俺ならば晴らしてやれる。電球作りもカセキが手慣れてきたおかげで作成ペースが上がってきた。
「……間に合うな」
だったら電球の点灯テストは、あの日しかない。12月25日。村の奴らに、あいつに、科学の灯を渡すならばこの日が一番相応しい。リアクションのいい奴らばかりだから、今から少し楽しみだ。
運が悪いのか、むしろ良いのか。点灯テストの日、樹に電球をセッティングしている最中から雪が舞い始めた。
「ヤベー雪だ、点灯テスト中止か?」
「いや出来れば今日がいい」
強い風雪であれば別だが、この程度ならば問題はない。そのままバッテリーから電気を流す。
途端、星より明るい光が樹を彩った。夜に見る明かりは炎か月しかなかった村人たちは、驚きの悲鳴も上げず、ただ感嘆の溜め息を吐いている。
「イルミネーション……なんか一気に戻ったみたいだね~現代に」
この場で唯一、これが何か分かっている男が感想を告げた。感慨深そうに明かりの灯る樹を見つめている。
「ここまで二ヶ月。オホー、けっこうかかっちゃったの~」
「いやまあ予定通りだ」
作り上げた成果を見ながらカセキが満足そうに告げた。何もかもを一から始めたのだ、二ヶ月できちんとペース通りに進行したなら上等だ。
「あ~、もしかして今日って――」
俺とカセキの会話を聞いていたゲンが思わずといった風に声を上げる。
「クリスマスか……!」
どうやら気付いたらしい。
点灯テストをクリスマスに設定したのは自己満足みたいなもんだ。そうだとしても、意図を察せられるのは気分が良い。
「あ゛ー、そういやそうだな。偶然にもな」
「ウッソ~」
にやにやと笑いながらの俺の嘯きに、ゲンもまたにやりと笑った。
点灯テストは無事に終わり、皆で手分けをして片付けをする。村の面々は明るかったキレイだったと口々に告げながら帰って行った。
「千空ちゃん。俺らも戻ろ~」
いい加減に冷えてきた、と縮こまりながらゲンが戻ってくる。
「あら? クロムちゃんは?」
「洞窟探検用のヘッドライト拵えにラボ行った」
「う~ん、よっぽど洞窟の奥行けるのが楽しみなんだねえ」
「好きにやらしてやれ」
できることやったら倉庫に寝に戻ってくるだろうか。出入り口近くのスペースは広めに空けといてやろう。さっさと寝ちまおうぜ、と小走りに倉庫へと戻る。室内の分少しはマシかと思ったが、正直あまり変わらなかった。
「うわぁ、温かくない……もうさっさと寝ちゃお……」
げんなり、どころか悲壮感すらある声でゲンは早々に布団に包まった。俺もそれに倣ってさっさと寝る。冷えた布団もしばらくすれば少しは温もる、まさかこんなに冷え込むとはな、とウトウトしながら考えていたら
「ダメだ寒い!」
眠気を吹っ飛ばす声が隣から叫ばれた。
「うるせえ」
「だって寒い!」
だってじゃねーわ、言葉のつながりおかしいだろ、入れようとしたツッコミは
「つっめてぇ!?」
出てしまった叫び声に上書きされた。
「うるさっ」
「叫ばしたなぁテメーだろうが! 何をヒトの寝床に入り込んできてやがんだ、出てけ」
ずるりと伸ばされた行儀の悪い足がぺたりと俺の脚に触れる。何でこんなに冷たいんだよ、テメーの足。日中も俺より着込んでるし今は靴も履いてるだろうに。蹴っ飛ばしたら渋々と長い脚が引き下がる。
「じゃあ交換して、俺のお布団冷えきってて寒い……」
「はぁ? 同じ素材でほぼ同時に入ったんだから、大して変わりねえだろ」
「俺、千空ちゃんみたいに代謝良くないの~! 俺の体温じゃなかなか布団ぬくぬくにならないのよ」
いかばかりも温もりを逃してなるものかと言うように毛布に包まって横になる相手を呆れながら眺めつつ、はあとため息を吐いて手を伸ばす。
「……マジで何となくテメーの方が温かくねえな」
隙間から手を布団の中に入れたら、自己申告通りで笑ってしまう。体温の差とはいえ、こんなに差があるものか? ガキの頃から布団が寒くて眠れないなんて思ったこともなかったわ。
「もう少し、こっち寄せろ」
「うん?」
「布団。遠い」
「……はい?」
「重ねりゃ少しはマシだろ」
いや、コイツ動かすより自分で動いた方が早いか。起き上がって、ぴったりと布団を寄せて、また布団に潜り込む。呆然と見返してくる瞳を、鼻で笑い飛ばした。
「寒ぃんだろ?」
「……うん」
「そのまんまだとなかなか寝付けねーんだろ?」
「うん」
「寝不足で元からたいして無い体力落とされるよかマシだわ」
眠れなかった俺はテメーに寝かしつけられたのだ、今度は俺が寝かしつけてやる番だ。眠れるようになってからよく分かる、睡眠不足はよろしくない。上掛けを半分以上相手の方へ乗せ、さっきやられたのと同じように今度はこちらから脚を伸ばして絡め取る。服の上からでも脚が冷えているのがわかった。
「……あったけぇ~」
強張りから解かれたような囁き声が耳に届いた。ぺたりと両足で冷えた足の指先を挟む。ほうと息を吐く音がする。俺の足は逆に寒さにすくんだが、徐々に分け合ったぬくもりは再び熱を持ちだした。
「もっと」
「へえへえ」
「あー……助かる……」
脚を絡ませ、ぎりぎりまで身を寄せて、頭まで布団に潜り込ませ、額を鎖骨にすり寄せる。ここまでするなら、もういっそ俺を湯たんぽ代わりに抱きついて寝たら良いだろうに、最後の線引きのつもりなんだろうか。
(ここまでするなら今更だろうに)
あまりにくっつかれ腕の置きどころに困ったから、乗っけるように相手の背中へ回す。ぴくりと跳ねた身体を宥めるように、とんとんと叩いた。
「寝られそうか?」
「……うん」
「そうか」
とん、とん、とん、と。本当に幼い頃にだけされたような仕草を思い出しながら背中を叩く。
「バイヤー……あやされている……」
「いーから寝ろ」
「んふふ、そーね、うん……よく眠れそうだよ」
くふくふ笑うささやかな振動と、鎖骨に触れる吐息、さらりとした髪が少しくすぐったい。おやすみ、と囁きが聞こえる。おやすみと返して目を閉じる。あたたかい。人のぬくもりとはこんなにも。
そっと吐き出した息は、我知らず安堵にまみれた音をしていた。
朝。起きたときにはゲンはもう腕の中に居なかった。野郎にくっつかれるのなんざ御免だが、何もない場合はそれが暖を取れる一番の手段である。正直、おかげで昨晩の寒さの中でも凍えずに眠れたとも思う。ゲンが暑苦しく汗臭い筋肉男じゃなくてよかった、くっつかれても忌避感が薄かったのは俺と似たようなヒョロガリだったからだろうか。あとマジックの仕込みに花を使っているからか、ちょっと良い香りがした。そういう所も忌避感が薄かった要因かもしれない。
(本当にそれだけなのか?)
一瞬そんな問いが頭を過るが、今はそんなどうでもいいことを考えている余裕はない。さっさと疑問を追いやって、倉庫から外へと出る。今日は何をするのか、とちらほら人が集まり出す中に、探索準備を万端にしたクロムがやってきた。
「おぅ千空! 科学じゃまだまだ勝てねえがな! 探索なら何百億枚も上手だぜ!」
「だろうな、年季が違う」
現状必須な鉱石は無いが、今後の鬼レベル工作を見越せば銅は欲しい。それ以外でも、クロムの勘であれこれと採取してもらおう。何せコイツは歯車を見た閃きで水車を作っちまうような男だ。自由にさせるのが一番良い。俺自身もガキの頃はそうさせてもらった。
「んで鬼レベル工作って何?」
クロムを見送ったあと、カセキがやる気に満ちた声で問いかけてくる。
「電球のレベルアップ版だな」
次に作るのはコンピューターの卵、電子のギア……真空管だ。作成の工程自体は電球とそう大きくは変わらない。だが名前の通りに真空、空気を完璧になくさなければならないのだ。ここでアクシデントが起きる。真空管の中、フィラメントに乗せたリンの燃焼による熱が配線を膨張させ、ガラスが割れた。僅か数ミクロンの膨張だが、それでもガラスにはデカいダメージだった。
……仕方がない。パーツから作り直しだ。
「相変わらずワシら一発じゃ上手くいかんの~……」
上手くいかなくても、それは『こうすると失敗する』という経験値を得たということ。それで良い。何事もトライアンドエラーで進めば良いのだ。
配線が外側に膨張してガラスを割るなら、膨張の余地を作ればいい。チューブ状にすれば、膨張しても中が膨らむだけで済む。ならばまずはチューブを作るための道具の準備がいる。
方針をカセキに伝え、手順や用意できる素材を考え、真空管の設計にも手を加えた。
「ククッ。クロムを探索に行かしといて正解だったな」
「あ~、必要なものが出てきた感じ?」
「あ゛あ゛。銅が要る」
「ちょうどあるなら欲しいって話してたやつね~。クロムちゃんったらファインプレーじゃん」
「戻るまでに完成させて驚かせてやりたかったんだがのぉ」
「そういうこともあるって~カセキちゃん♪」
クロム待ちの部分もあるが、進めておける作業は他にいくらでもある。カセキの意見を聞きながら、時折休憩も取らせられつつ作業を熟すうちに、予想よりも早くクロムが探索から帰ってきた。
「どうだ! 銅だ!! ……いやダジャレじゃねえぞ」
この村、ダジャレって概念あんのかよ。何を残してんだ、あの親父は。……まあ、それはどうでもいい。ちょうどいいとこに来た銅を使い、早速チューブを作る。今度こそ電球は割れなかった。
よし、これで……――と、いう期待は小さな異音によって打ち砕かれる。
「ヤベー、竹の熱線がソッコーで燃え尽きた……」
その後、何度となく試したが、何度試しても竹の熱線は一瞬にして燃え尽きた。竹の熱線じゃ真空管には根本的にもたねえんだ。
「竹でダメならもっと強い材料がいるのだな?」
「何がいる!? 採ってくんぜ探検隊長が……」
コハクとクロムが言う。きっと何か代替となるものがあるんだろうと希望と期待を込めた声で。
「いや」
無えんだよ。この時代じゃ、そんなもんは。
誰もが沈痛の面持ちで立ちすくむ。きっと俺も似たもんだろう。残った奴らがクロムの採ってきた中に何かあるんじゃないかとアレコレ手にして見ているが、そんな簡単に見つかる訳がない。集まっていた村人たちは解散させ、残された真空管の残骸を眺める。
――詰みか。ここまで来て。
だがケータイが詰みなら詰みで、凹んでいられるほどの暇はない。何か別の手立てを考えなければ。
「大丈夫か? 千空」
考え込んでいる間に、すっかり辺りは暗くなっていた。……疲れた脳みそ必死にぶん回したところで、大した案が浮かぶわきゃねえか。
「あ゛~……大丈夫じゃねえが、とりあえず寝るわ」
「おぅ、それがいいって! 寝て起きたら何か閃くかもしんねえしな!」
声をかけてきたクロムも今日はもう休むらしい。ごそごそと寝床の用意を始めている。
「……そういや、ゲンはどうした?」
そういえば先程から姿を見ていない気がする。あいつ何処ほっつき歩いてんだ。
「ゲンならルリに用があるってんで村の方に行ったぜ」
「ほぉ~ん……」
いつの間にか、しれっと村に馴染んでやがんな。そう気軽に用があるって声かけに行って良い相手じゃねえだろ、村の最重要人物だぞ巫女。真空管作りが一旦ストップするから、その分の人員についてでも確認しに行ったのだろうか? まぁいい。気にはなるが確認は朝で。
(……ああ、クソ)
毛布に包まり、丸くなる。背中が妙に寒かった。
「千空ちゃ~ん。起きよっか」
夜明け前。そんな言葉と明かりでゲンに起こされた。新年の初日の出を村の皆と拝みに行くのだという。なるほど、どうやら昨日のルリへの用事というのはこの件だったらしい。
百物語の中にも初日の出に関する話が残っていたならば人を集めるのも楽だろうが、そういうのがなければ適当に話を盛って人を集めなければならない。その辺の調整もかねて、ルリに話を通しにいったのだろう。ご苦労なことだ。
「気分一新、切替大事。そういうの俺の仕事でしょ」
「……めんどくせえな、メンタリストは」
そう言いつつも、眠いから行かないと断らなかったのは、俺もまた何か新しい刺激を求めていたからに相違ない。欠伸を噛み殺しながら他の面々とも連れ立って山を登る。
――結果的には、その判断が現状を打破する一手を見つけた。
「朝日が昇るぞ!」
コクヨウが声を上げ、地平の彼方へ指をさす。太陽が昇る。俺らを、それから、スイカが握りしめていた、その石を。
太陽光……いや、紫外線を受け、その石は蒼く光り輝いた。
「初めて見たぜ、こんなもん……」
驚きで声を震わせながら、クロムが石に手を伸ばす。俺もまた、その蒼い輝きから目が離せなかった。まさかこんなウルトラレア鉱石が見つかるだと?
灰重石。原子番号74、タングステン。現代のフィラメントにも使われる、熱に負けない全宇宙最強の金属だ……!
「っしゃあ! スゲーなスイカ! 大手柄だぜ!」
「スイカ、お役に立ったんだよ!」
「なあ千空、こいつがあれば真空管は……」
「あ゛あ゛、作れる」
「なら早速戻って作業しようぜ!」
「いや。流石にこの欠片だけじゃタングステンが足りねえ」
「おぅ、ってことはだ。今度こそ探検隊長のこの俺の出番ってわけだな?」
「ククク、そう言うこった。案内は任せたぜ、隊長」
そうと決まれば一足先に戻って準備を始めるから、とクロムは走って村へと戻っていった。俺も気持ちは逸るが、同じく走って帰ったらこのミジンコ体力では探索に向かう前に潰れてしまうので大人しく歩いている。
「いや~なんとかなりそうで良かったよ~」
ひょい、と俺を覗き込むようにゲンが声をかけてきた。先程までコハクたちとスイカを讃えていたようだが、今度はこっちのフォローに来たらしい。
「偶然とはいえクロムちゃんが色々採ってきてくれてて、スイカちゃんがその石を握ったままでいてくれたから見つかったと思うと感慨深いよね~……これ絶対、二人の日頃の行いのおかげだよ」
「かもな。確かに今回のMVPは間違いなくクロム&スイカだが」
「ん?」
「テメーもだぞ。功労者は」
コイツが皆で初日の出を見に行こうと企画をしなければ、スイカの持っている石が灰重石だと気づくことはなかったかもしれないのだ。ブラックライト自体は簡単に作れるが、少なくとも俺は『ブラックライトの光を拾ってきた石に当てる』というアイディアを持っていなかった。そして自然の中で紫外線だけの光が当たる瞬間は、この日の出の直前だけだ。
「いや~、どうかな……俺はただ初日の出を見て清々しい気分でまた頑張ってこ~! ていうモチベアップさせたかっただけだしねぇ」
何でそこで否定しやがるんだ、テメー。
「気分一新、切替大事。メンタリストとしてそう思ったテメーがテメーの仕事きっちりこなしたから事態が好転するキッカケになったんだろ。それは立派な功績だろうが」
褒めてんだから、まともに受け取れ。
「あ~……そうね。うん、そういうことなら。どういたしまして♪」
やっと褒め言葉を受け取ったメンタリストが笑う。その顔は、自負を持つ仕事人の顔だった。
(――良いな、コイツ)
仕事に対してプライド持ってるとことか。やるべきことをやるとことか。そういうところは好ましい。
「……うん? どうかした? まだ何かあった?」
「いや。何もねえよ」
テメーが味方で良かったと思ってただけだ。絶対ェ言わねえけど。
クロム、マグマと連れ立ってのタングステンを求めた発掘は、アクシデントは起こったが大成功と言って良いだろう。なんといってもこのスカルン鉱床! 唆る鉱石がアホほど採れる自然様が作った宝石箱だ。どデカいこの鉱床を見つけられたのだ、雲母の蟻地獄に落ちたことも、そこからの脱出で水に浸かり低体温症一歩手前までいったことなんか些細なことだ。……マグマと抱き合って体温キープなんて最悪なことにならなくて良かった、マジで。
石神村No.1パワーのおありがてえお力によって、硬い岩壁も砕く事ができた。あとはもう採り放題だ。
「ヤベー!! お宝ザクザクすぎんだろ!」
クロムと二人、大騒ぎをしながら鉱石を拾い集める。流石の鉱床だ、どんどん出てくる。マンガン、黄銅鉱に、閃亜鉛鉱……! 宝の山だな、こりゃ。マンガン電池を作る材料も揃っちまった。
「とっとと帰んぞ! ヒョロガリがそんな持ちきれるわけねえだろうが!」
目の色を変えて採取していた俺たちだったが、突如マグマに帰還を急かされる。実際、この言い分は正しい。採取慣れしているクロムと違い、ヒョロガリミジンコの俺ではどうせ大して持ちきれやしないのだから。
「早くしろ!!」
「なんでそんないきなし急いでんだよ?」
一体何だというのか。よくわからないまま、マグマに追い立てられるかのように石神村へと足を急がせる。ぜえぜえ言いながらも、ようやく村の傍までたどり着き、そして。
「!?」
おもむろに後ろから目隠しをされて拉致られた。
「テメー、マグマ! なんだいきなり!」
小脇に抱えられて歩き出される。振動。雪を踏む音。走っているわけではないようだ。
「クッソ、どこに千空連れてくんだよオイ……!!」
声と足音。クロムは後ろから着いてきているらしい。目隠しをされた地点、速度、マグマの歩幅。それらを考えると、どうやら村の中ではあるらしい。抵抗したところで勝ち目はないので、今は大人しく運ばれる。抱えられたまま、何か梯子のようなものを上がっているようだが……村にそんな場所、クロムの倉庫くらいしかなくねえか?
状況を推測している間に、どさりと降ろされる。雪ではない。木の床がある。室内だ。
「やあ千空ちゃん。お帰~」
目隠しの前で声がした。聞こえた声に体温が急激に下がる。
「あ゛ー? なんだこりゃ……」
「ハ! 助けを求めても無駄だぞ千空。村の皆も全員ゲンとグルだからな!!」
コハクの言葉に、洞窟でクロムの語った懸念がフラッシュバックする。俺の首と科学さえ司に差し出しゃあ村は安泰。クロムが言うくらいだ、誰だって思いつくことだろう。ゲンだって俺の首と村の協力を手土産に戻れば立場は保証される。そういうことなのか?
(司より俺を選んだんじゃなかったのかよ)
いや、違う。元よりコイツはコウモリを自称する二重スパイだったろうが。
「……何言っちゃってんのか分かんないけど――」
それなのに、聞こえてきた声は俺を茶化すこともしない柔らかな響きをしていて。
「オホー! 1月4日、イシの日!」
「今日が誕生日と聞いたぞ! 千空の」
「みんなからの誕生日プレゼントなんだよ……!!」
目隠しが外される。思いも寄らない言葉。思いも寄らない光景。目の前にあったのは――
「天体望遠鏡……? いや、天文台――」
発案がゲン、作成は村総出。マグマが急いでいたのは、連れてこいと言われていたからか。曖昧な知識で、よくここまで作成できたものだ。これなら星を見るだけでなく物見櫓としてだって使える、実に実用的だ。
……今日が誕生日だ、なんつーことは頭から抜けていた。そこに重要性など見出していなかった。そもそも何で俺の誕生日を知っていたのか。いちいちそんなことを話題にだすわけねえし、言った記憶などない。
俺の問いかけに、ゲンはあっさりとネタばらしをする。先日の初日の出の時に雑談の中で告げた『生きてきた日数』、そこから計算で割り出したのだと。ああ、あれが誘導尋問か。だがそれだけでは足りない。俺の石化期間を知らなきゃ逆算は出来ないのだから。
「覚えてない? ――書いてたじゃない。石化が解けた日付なら」
ゲンが言う。俺が目覚め、日付を彫ったあの樹を見たのだと。名を、姿を知る前から、俺という存在を知っていたのだと。
「思えば俺は最初から、会う前からわりと好きだったのよ。千空ちゃんが。――損得はおいといてさ。そういうことでしょ、村の皆も」
協力しているのは利害のためでも、巻き込まれたからでもなく。もっとシンプルな理由なのだ、と。奴は言う。
「千空ちゃんは気持ち悪いとか言うだろうけどね~」
「あ゛あ゛。気持ち悪ぃ」
「でっしょ~?」
俺に言葉の逃げ場を残した仕事人は、へらへらと薄っぺらに笑っていた。
「は~い! お誕生日のサプライズプレゼントは大成功~!! やったね~皆!」
パチパチと手を叩き、ゲンが周囲の注目を集める。ぐるりと皆を見渡せば、全員がどことなく満足げな顔をしていた。
「マグマちゃんも連れて帰ってきてくれてありがとうね~♪ さっすが村のパワーNo.1は仕事もデキる男! 皆もマグマちゃんのこと益々頼っちゃうかもね~」
どうやらマグマが俺たちを急かしたのは、これを知っていたかららしい。いや、もしかすると何をするのかまでは詳しく聞かされていなかったかもしれない。でなきゃ俺らを殺してやろうと思ってた、とは言わないだろう。心変わりをしたから約束通りに連れ帰ることにした、ってとこか。ゲンにぺらぺらと煽てられ、鬱陶しそうではあるが満更でもないらしい。そのうちに、上機嫌で天文台から立ち去った。
他の奴らにも声をかけ、何となく『今日はもう解散』の空気を作りだす。各々で喋りながら退散し、天文台にはクロムとゲンだけが残っていた。
「ったく。ヒトの倉庫、勝手にこんな改造しやがってよぉ~……」
「メンゴ、メンゴ! でもここが一番うってつけだったのよ~! 許して?」
「いいけどよ、別に。千空! おめでとさん、今度俺にもそれ見せてくれよな」
「今でもいいぞ」
「いや、今度でいい。あ~、つっかれた~……なあ、明日は早速採ってきたタングステンの加工か?」
「そうなるな」
「くぅ~! ワクワクするな! じゃ、俺は先に寝っからよ。お前らも早く休めよ!」
「は~い。おやすみ、クロムちゃん♪」
クロムも立ち去り、二人きり。ちらと見やれば、ゲンもこちらを見返して肩を竦めた。
「いい感じに皆を解散させよ~って思ってたら、俺が帰りそびれちゃった」
「何だ、そりゃ」
用事があって他の奴ら帰そうとしてたんじゃなかったのかよ。呆れた顔をする俺に、メンゴ、とゲンは軽く笑う。
「採掘、いい感じだったみたいね」
「ありゃ宝の山だな」
「へえ、いいねぇ」
どうでもいい会話の応酬。その軽さが心地良い。
「俺もう下に行って寝るけど、千空ちゃんはもう少し此処に居る?」
「……あ゛あ゛」
「そう。ここ寒いから、あんまり長居しないようにね~」
言いおいて出入り口に向かう、その背中に呼びかける。
「なあ、メンタリスト」
「なぁに?」
振り返る。まっすぐに俺を見て、穏やかに笑う。ああ、コイツ、俺が何か言いたいんだろうと知っていたから待ってやがったな。
「テメーは、ここの夜が静かすぎるんじゃねえかって言ってたよな」
「言ったね」
「多分、合ってた」
それが疎外感や孤独の隠喩であったなら、きっとテメーの見立て通りだ。
「今は、ここの夜も悪かねえと思ってる」
俺はもう、この村で過ごす夜を『静かすぎる』などと思わない。どこぞのメンタリストが力技でわからせやがったからな。
「そっか」
回りくどい俺の言葉を聞いて、ゲンの笑みが深くなる。作り上げたヘラヘラとした笑みではない、やけに優しい人間の顔。
「それは何よりだよ。千空ちゃん」
おやすみ、と軽く手を振って、ゲンは階下へ降りていった。誰も居なくなった場所を改めて見回す。ここは俺の為に作られた場所。
「……あ゛~」
座り、そのまま寝転がる。大の字になって、屋根の隙間の夜空を見上げる。
利害が一致してるから。村を発展させる技術を持っているから。俺にメリットを見出した奴らが協力してくれている関係。……そう思うことにしていたってのに。
(最初からわりと好きだった、か)
なあ。いいか。それなら。
百夜は居ない。大樹も離れた、杠も。――それでも。
「ひとりじゃねえ……」
そう思っても、良いだろうか。
何処かで肯定するかのように、犬の遠吠えが聞こえた。
フィラメント問題で足止めを食った分、出来る作業は巻きで進める方がいい。翌日からの作業は分業にすることにした。タングステン自体の加工は俺が、加工したあとのタングステンを加熱するための装置はクロムに任せる。アイツならば出来る、何もかもに俺が手を出して『他の奴らに手伝わせる』なんて手順を踏む必要はもういらない。
実際、クロムはやり遂げた。教えたもん全部ブチ込めっつったら本当に全部をブチ込んだよくばり全部セットを作り上げていたが、限られた手段で目的を達成するんなら何気に一番いいのだろうよ。
材料は揃った。心臓部である真空管。骨格となるプラスチック。繋ぐ血管としての金の電線。これらを組み合わせれば、携帯電話本体の完成だ。
「んじゃまずは順番に、さっそく真空管から仕上げちゃおうかの!」
意欲満々でカセキが言う。そうだな。そうなるよな。
「――その真空管作りの仕上げに、ちーとややこしいガラス細工があんだ。……カセキのジジィでも作れっかどうか」
真空管の中でリンを燃やし酸素を減らす。水銀の空気を巻き込む性質を利用して、電球同様に中を真空にする。……これで済むなら、それで良かった。簡単なもんで十分なら、そっちの手段を取るのが合理的だ。だが試作品はそれで良かったが、実用するならばそれじゃやはり足りない。
必要なのは、ヒックマンポンプ。言ってしまえば、吸引力がケタ違いの吸い出しポンプだ。電球用がレベル1なら、こっちはレベル100億ってくれえに違う。金属加工がいる道具ではない、ガラスだけで作れるから素材だけならこの時代でも用意可能な代物。……そこだけ見ればな。どんなにカセキが凄腕だろうと、ガラスを扱い始めて間もない人間に頼むには鬼難易度すぎる無茶振りだ。形の複雑さが今まで作ってきたもんの比じゃねえ。
……最初から頭にはあった。ヒックマンポンプが欲しい。だが、そんなもんを作れと言っていいのか。無くて間に合うならば、わざわざ作らせることはない。そうも思っていた。あの夜までは。
俺の書いた設計図を見て、カセキが目ン玉をひん剥いて驚く。どこから手をつけるのか、と唸ったが、それでもカセキは請け負った。
「真空管はカセキ、テメーに任せる……!!」
「オホー、了解!!」
たとえどんな無茶を言おうとも、この答えが必ず返ると俺はもう知っている。
「せ……千空! スイカたち子供チームにも……」
「あ゛ー、電線はスイカ。テメーらに任せる!!」
頼んで、背負わせて、それを心強く引き受ける奴らが居ると、俺はもう知っているのだ。
ある夜、作業を終わらせた俺たちは天文台で休んでいた。カセキの作業を手伝いつつマンガン電池を作っているゲンは、指が疲れたとぼやきつつ寝転んでいる。
「俺のお手々はこういう為のもんじゃないんですけどね~」
「へえへえ、マジシャン様の器用さに助けられております~」
「言い方~……あ、そうだ千空ちゃん。マンガンちゃん足りなくなってきた」
「マンガンにまでちゃん付けする必要あんのか? わかった、クロムに言っとく」
「クロムちゃんはクロムちゃんで作業あるでしょ? 行ける?」
「言やあ自分で行きたがるだろ、アイツは」
「それもそうね。もしかしたらまた灰重石みたいにレア物見つけてくれるかもしんないしね~♪」
どうでもいい会話を時折ぽつぽつと交わしながらお互い思い思いに過ごしていると、いつの間にやら同室内から聞こえてくる音が呼気から寝息へと変わっていた。
音の出所たるメンタリストを見やれば、さっきまで読んでいた俺の手書きの指示書は手からこぼれ落ち、五分二十八秒前に相槌を打って視線を向けた時と同じ姿で寝落ちていた。そりゃ、こんな夜更けに寝転がりながら読んでたら寝落ちもするわな。
このまま転がしておいても構わないが、下手に放置して風邪をひいたり喉を痛める事があっても困るだろう。石化前のように医者へかかって簡単に薬を受け取れる物ではないのだから。
せめて何か上に掛けてやろうと置いてあったコイツの上着を掴んだが、何やら重みでずっしりとしている。上着の内側を見たら、あちこちにポケットやら紐やら仕込みのための仕掛けがあった。
(……似たようなヒョロガリの癖に)
よくもまぁこんな疲れそうな上着を毎日羽織っているもんだ。ひっそりと笑いながら、その上着は畳んで戻し、代わりに自分の上着に手を伸ばす。本当は今のうちに中を見てやりたいところだが、流石にそれはマナー違反というものだろう。職分に踏み込んで容易く許すほどこの男の矜恃は低くない。
丸まった身体に被せてやると、やはり寒かったのか、上着の下で見えない筈なのに弛緩するのが見て取れた。心なしか顔つきまで緩んだような気すらする。
(……、寝てんなぁ)
起きる姿は見たことがある。起こされる姿が開いた視界に飛び込んでくることもある。こうしてすっかりと寝ている姿は、死にかけたあの時以外では、あんまり、無い。こんなにも身体から力を抜き、間抜けな面を晒して、静かな寝息を立てる姿など。
(よく、寝てる)
座ったまま、ちょっとだけ傍ににじり寄る。首の下から手を差しこんで頭を持ち上げ、枕代わりに胡坐で座る自分の太腿へ下ろす。コイツ、後ろ頭すげー丸いな。
呼吸、目蓋の動き、太腿に乗る荷重。どれもがこの男がすっかりと寝入っていることを伝えてくる。穏やかに、静かに、傍らで眠りに沈んでいる。
(例えば、)
この男がスイカや村の子どもに膝を貸してやっている時に思うことだとか、ずっと昔の幼い日に百夜の膝を借りた時に俺が思ったことだとか。違う人間である以上、感じ取るものが同一であるだなんて俺も思っちゃいない、が。
それでも、自然とこの髪を手で梳いてやりたくなるあたたかな衝動や、夜に揺蕩う穏やかさに似た好意が、共通の物であればいいと、思ってしまった。
「千空、ゲン、まだ起きてんのか?」
ごと、と入り口が開く音と共にクロムがひょいと顔を覗かせた。ハッとして無意識に触り続けていた髪から手を上げる。
俺と目が合ったクロムはきょとんとした顔で視線を下ろし、それからもう一度俺を見た。苦笑しながら肯き、口元へ立てた人差し指を当てて見せれば、彼もまたへっと笑って肯いた。
「寝ちまったのか、ゲン」
「あ゛あ゛」
「まぁ、カセキのジイさんに千空にってあちこち振り回されてっからな~」
仲いいよなあ、お前もカセキも。笑って言われたクロムの言葉に、どう答えたものかと口ごもる。少し前なら当たり前に、何言ってやがんだ、と返しただろうに。
俺の答えを期待したわけではないのだろう、何も言わない俺を気にすることもなく、クロムは寝ているゲンを眺めていた。
「なあ。ゲンって変わったよな」
「あ゛? 胡散臭えまま、特に変わりもねえだろ」
「いや、中身とかそういうんじゃなくってよぉ、なんつーか……顔?」
「人相とか顔つきってことか?」
「おぅ、それだ! ニンソウってのは分かんねーけど、顔つきは分かる、それだ!」
「……ま、そりゃそうだろうな」
サバイバルの知識も何も無いやつが、着の身着のまま大自然に放り出されて、しかもその理由が『自分が殺したヤツが死んでるか確認してこい』と来たもんだ。オマケにそれを言ったのは絶対ぇ勝てない霊長類最強なんて呼ばれている格闘家。相当なストレスだ、顔もヤバくなるわ。そんな状況で村にやってきて、あの交渉をしたコイツ、やっぱ相当肝が座ってやがるな。
「で? それがどうした」
「いや? 今のが良い顔してっし、良かったよなって思っただけで意味はねえよ」
「なんだそりゃ」
どうやらコイツの寝顔を見て思ったことを言っただけのようだ。意味ねえのかよ。
「まだ居るならそれじゃ寒いだろ? 毛布持ってきてやるよ」
「いや、いい。少ししたらコイツ起こして降りるわ」
「そうか? んじゃ、お前らの分も布団用意しといてやるよ」
「おありがてえ」
小声でそう告げると、クロムは梯子を下りていった。真下から響く物音を聞きながら、中途半端に浮いていた手を再び膝の上の頭に戻す。乱れ、頬にかかっていた長い白髪避けてやり、覆い隠すように目元へ掌を乗せ、呟く。
「今更だからそのまま寝とけ」
掌に触れる眼球が動いた感触が何だか妙にこそばゆく、俺は思わず笑ってしまった。
「なあ、ゲン」
俺が眠れていないと告げた時、テメーは同意するように『夜は暗くて怖い』と言った。ここでならばそう思わずに、眠れていると思っていいか?
「俺も。テメーが心安らかに眠れるなら良いと思う。テメーが俺に思うように」
そうして出来るのならばその理由に、俺の存在があればいい。
隠すようにして置いていた掌をそっと退ける。掌の下にあった瞳は、やわらかな色で俺を見上げていた。
「それは……うれしいことだねぇ。千空ちゃん」
「うれしいのか」
「うん」
「そうか」
「そうだよ」
起き上がる。膝が軽くなる。楽になったというのに、どこか惜しむ気持ちになる。
「クロムちゃんが用意し終わったくらいで降りようか。ありがとね、千空ちゃん。上着」
「テメーの上着どうなってんだよ、クソ重かったぞ」
「えっ、中漁った!?」
「したらテメー怒んだろ、してねーよ」
上着を受け取り、羽織る。どことなく温かい。階下に降りれば、クロムはもう横になっていた。いつもと同じく狭い倉庫に三人、ぎゅうぎゅうの寝床だ。
「おやすみ、千空ちゃん。良い夢を」
「あ゛あ゛。テメーもな」
囁くような声を交わして目を閉じる。背中に触れるぬくもりがある。
ケータイの部品はまだ完成していないし、完成したとしてもまだ司たちとどう戦うのかの方針だって立っていない。目の前のことを片付けたところで問題は山積みだ。
それでもこうして安らかに眠る場所があるのなら、どんなミッションにだって挑んでいける。
「おやすみ」
告げた祈りに返るのは、小さな寝息だけだった。
*****
あれ?静かだなぁ、そういえば。作業中、少し集中力が切れたところで状況に気が付いた。話しかけるのは大体俺の方からだから、俺が話さなければ静かな空間ではあるんだけれども、と傍らへ振り返る。
「……あらら」
図面の修正をしていた筈の千空ちゃんが、頬杖をついて静かに眠っていた。
(このまま石化したら、一級品の芸術作品になりそう)
微動だにせず目を閉じ、呼吸を確認したくなるほど、ただ静かに眠りの水底へ沈んでいる。人間の在り様だけでなく居眠りする姿まで美しいとは、まったく恐れ入っちゃうね。
(……わりと無防備な子だよなぁ、千空ちゃんてば)
害なすつもりは欠片もないけど、敵陣から寝返った俺の傍でよく居眠り出来るよねぇ、ジーマーで。気を張りすぎて眠れないよりはずっと良いけれどさ。俺もこの村に来て随分と眠れるようになったし。
……ああ、そっか。そうだよな。千空ちゃん、一番最初に一人で起きたんだもんな。思いついて、腑に落ちた。独りで半年生き延びたんだ、人の気配はさぞ落ち着くことだろう。
独り起きて、待ち続けた一人が起きて、起こした男は友と呼ぶ前に敵となり、昔馴染みたちと別れ、そしてようやく仲間を得て。
ラボの外は音でいっぱいだ。風や揺れる木々の葉擦れや鳥の鳴き声、そんな自然の音だけでなく、カセキちゃんやクロムちゃんが進める工作の音、コハクちゃんたちが訓練をする気合いの声とぶつかり合う物音、時々銀狼ちゃんの泣き言と金狼ちゃんの叱る声、たまに子供たちが高らかに笑う声も聞こえてくる。
人が生きる声を子守歌に落ちる微睡みは、どれほど心地良いことだろう。
「フフフフフ~ン♪……」
何だっけな、歌詞。すべては覚えてないけど、貴方についていく、何処へ行こうと貴方の傍に、そんな感じの英語の歌。好きだったな、あの古い映画。歌手が修道院に匿われてゴスペル歌うやつ。
(皆、君についていくよ。千空ちゃん)
歌詞は分からないからハミングで誤魔化して、俺は作業を再開する。そう長い仮眠ではないだろうから、このまま居よう。起こさないよう何処かへ行くのではなく、僅かな物音と大して上手くない鼻唄と共に、眠る君の傍らに。
そうして君が目覚めたら、おはようと声をかける人間のひとりでありたい。
「~♪……」
いつの間にやら頬杖が崩れて机に突っ伏し、すっかりと寝入った様子を横目に見やりながら、俺は小声で歌い続けていた。