眩しき人よ 段ボールを二箱重ねて抱え、両腕にも荷物をぶら下げて、蔵内は本部の廊下を歩いていた。隣には、同じく大量の荷を抱えた王子が歩いている。ふたりともトリオン体でいるから、重いものも苦にならず運ぶことができる。
それらはすべて、弓場隊の作戦室から回収した私物だ。かの隊室に置いていた自分たちのもの、その一切を持ち出して、王子と蔵内はここにいる。
ふたりは、本日をもって、弓場隊を辞めた。
隊の皆には以前から伝えてあったが、今日、正式に解任になった。ささやかながらも送別の席を設けてもらったことは、記憶に新しい。
弓場、神田、藤丸の三人ともが、王子と蔵内を快く送り出してくれた。これは何ともありがたいことだった。戦闘員が一度にふたりも辞めて、隊の不利益にならないはずがない。大きく戦力を削がれ、弓場隊は新しい隊員を迎えなくてはならないだろう。防衛任務もランク戦も、連携や作戦や、そのすべてが一からのリスタート、練り直しだ。思うところがないわけがない。それでも一切含むところのある様子を見せなかった面々の、器の大きさを思う。
「弓場さん、怒らなかったね」
かちゃ、と、王子の腕の中で、段ボールに入った荷物が音を立てた。前を向いて歩いたまま、王子一彰そのひとは言う。
「いっぺんに辞めちゃったからね。ののさんは冗談っぽく文句を言ってたけど――いや、あれはむしろ、気を遣ってくれたんだろうね」
――でも、ほんとう、それにしたって、弓場さんもカンダタも笑って見送ってくれるだなんて、ありがたいことだよ。
つらつらと、半分はひとりごとなのか、歌うように言う。その内容が思考を読まれたかのようなタイミングだったので、蔵内はすこしだけ驚いた。隣を歩く王子を振り向き、微笑む。彼は相変わらず前を向いていて、その横顔は蔵内のほうを見ない。
「ちょうど俺も同じことを考えていたよ。恵まれたな、俺たち」
「そう。ぼくらもきっと、そう思ってもらえるような部隊をつくろう」
弓場隊を離れ、王子と蔵内は、「王子隊」になる。
新しく隊を発足するために必要なオペレーターについては、すでに藤丸から紹介を貰っていた。あともうひとりくらいは隊員が欲しい、と王子が言うので、その「あとひとり」が見つかり次第、来期のランク戦に参加申請をする予定だ。
おもしろい隊にしたいね、と語った王子の笑顔が、蔵内の脳裏に焼き付いている。
「やっぱり、後進を育てるという意味合いでも、機動力のある攻撃手が欲しいけど。それから作戦立案に積極的な人。あとは、……どういう性格をした人間だったら、ぼくに遠慮なくついてきてくれるかな」
「人格面も考慮するのか?」
「必要以上に萎縮されたりすると、隊全体の動きが悪くなる。かといって衝突してしまうのもよくない。――自分で言うのもなんだけれど、ぼくは万人に好かれる性格じゃないだろう? うまくやっていける人がいいね。……それとも、ぼくがもっと気を遣うべきかな」
ぽつり、つぶやくように、声が落ちる。
「ぼくでは『良い隊長』になれない?」
めずらしく、殊勝なことを言う。
王子は自由奔放なところがあるから、もっと気ままに部隊をつくりあげるものかと、蔵内は思っていた。
――いや、王子はこんな物言いをするやつだったか?
なんだか、おかしい、ような気がする。物静かそうな見た目に反して口数が多いのは、普段と変わらないが――王子は相手との関係が気安くなればなるほどぺらぺらとよく喋る――必要以上に周りを気にするような人間ではないのだ。周囲を撥ねのけていたむかしと比べればおとなしくなり、気遣いをするようになったと思われるが、それでも。最後の一言は卑屈が過ぎている。
「王子」
ぴた、と、蔵内は足をとめた。腕に下げている荷、そのなかのなにかが、こと、と音を立てる。
二、三歩先行して、それから王子は、顔をついと上向けて立ち止まった。
「なに?」
短く問いかけ、そして蔵内のほうを、振り向かなかった。
直立した背は微動だにしない。ぴんと跳ねた襟足を見ながら、蔵内はゆっくりと言葉を選ぶ。直接的なことばをえらぶのは、すこし、こわい。
「――、…………荷物、重いか? ひとつ貰おうか」
「ん、」
ぴく、と反応する。間があった。すくなくとも、それは王子にとって予想外の返しだったらしい。ふ、と俯く王子の、色素の薄い髪がゆれる。
「クラウチ」
呼び返される声は穏やかで、感情が読みとれない。
ふたたび間があって、やっと蔵内のほうを振り向いた顔は、ゆるゆると笑みを浮かべて言った。
「きみはお人よしだね。……ぼく、そんなに疲れて見えた?」
なんだか愉快そうにわらって、首をかしげる。蔵内は静かに息を吐いた。深く落ち込んでいるわけではないらしい。
すこしだけ呼吸をおいて、蔵内は思いきって尋ねることにした。
「……そうだな、不安そうに見えるよ。弓場さんや神田がいないのは、不安か?」
王子は、いや、と否定する。
「そう見える? ……新しい隊をつくることの不安は、そんなに」
ないよ、と囁いて眼を伏せる。今度は蔵内が首をかしげる番だった。
たしかに王子は着々と新部隊発足の準備を進めていて、これまでいちども自信のない様子など見せなかった。手際もよく、王子隊はきっとよいスタートを切ることができる。
だから、今日だけ、たったいまの、この王子一彰だけに、違和感がある。
「クラウチもいるし。――うん、だけど、そうだね」
ひとり合点して、王子はうんうんと頷いた。目を閉じ、はー、とひとつ息を吐いて、
「ねえクラウチ」
ぱちんと音がしそうな様子で目を開けた。
「ぼくは、弓場さんやののさんやカンダタにとって、良い隊員であれたかな」
ちゃいろのひとみがすがたをみせて――蔵内を射抜く。
「戦闘員としての実力だけじゃなく、かけがえのないメンバーであれたかな」
ああ、珍しい、と思った。
蔵内は自らと王子を気の置けない間柄であると自負していたが――それははじめて目にした彼の一面だった。こんな風に、精神的な、曖昧なことを、王子も気にすることがあるのだ。
まっすぐ向けられた瞳は、蔵内を試したり、況してや冗談を言っていたりする色ではない。
いま、このときだけ「優雅な王子様」を放棄し、こころの深いところをすこしだけ曝して、戦闘以外ではほとんど見られることのない、本気の、王子一彰そのものが、蔵内の真摯なことばを待っている。
「……。らしくないな」
「うん、らしくないね」
蔵内が冷や汗をかいても、王子は変わることなく視線を向け続けていた。
肯定にしろ、否定にしろ、蔵内がなんらかのこたえを返すまで、この張り詰めた沈黙は続くのだ。かといって、王子にとって都合の良い、当たり障りのない慰めを与えたところで、彼はそれをゆるさないだろう。
「王子、俺は」
「うん」
「……俺にはわからないさ。弓場さんやののさんや神田の心は」
そう、と、王子は消えそうな相槌を打った。でも、と蔵内は続ける。
「実際にあったこと、聞いたことの証拠は出せる」
蔵内は知っている。弓場がどれだけ王子を可愛く思っていたか。藤丸がどんなに王子を気にかけていたか。神田がどれほど王子のことを気に入っていたか。
弓場隊で見聞きしたものごとを思い返せば、いくらでも出てくるのだ――王子が愛されていた証拠、などというのは。
実際にそれらを示してみせる必要はなかった。蔵内の言いたいことを正確に読みとった王子が、噴き出すようにして笑う。
「……ずるいなあ。クラウチ、それはずるいよ」
クラウチらしいね、きっと理数系のやりかただ。そう言って王子は眉を下げ、尚も笑った。――蔵内はそれを、まぶしく思う。
儚げで、強かで。矛盾する筈のふたつの印象を見事に併せ持ったその笑顔は、目の前のこの男は、――だから、うつくしい。
そして王子は、ひとしきり息を吐いて、よし、と頷いた。
「じゃあクラウチ、これ!」
無邪気にそう言って、大量の持ち物を、蔵内の抱えているそれにどっかりと載せる。トリオン体の蔵内にとって、重さは大した問題ではない。が、ぐらりと傾いだ荷物に慌てた。なんとか平衡を取り戻し、王子に向かって不平を漏らす。
「おい待て、王子」
「あはは、……クラウチ!」
すっかり身軽になり、いつもの調子を取り戻した王子は、たたた、と廊下を駆けてゆく。
待てよ、と繰り返した蔵内を今度こそ振り返って、ぶんぶんと手を振った。口元に手をあて、大声で、
「ありがと!」
そう言ってこれ以上ないほどに嬉しそうな顔をする。
だから、蔵内は彼をゆるしてしまうのだ。