おみすみまとめ白くなった指
「はぁ…どうしよう……」
夕飯の準備に取り掛かろうと顔を出したキッチン。いつもの笑顔をどこかに置いてきた代わりに、重い溜め息と似合わない表情を背負った三角がいた。
「……どうかしたか?」
俺に気づいてすぐ、うわっ! と声をあげて両手を後ろへ隠す。えっと、えっと…と言葉を探す姿は、まるで自分が責めてしまっているようで申し訳なかった。それでも、何とかしたくて。つい、お節介に似た言葉かけをしてしまう。
「何か困ったことがあるなら……聞かせてくれないか?」
昔の自分にお前こそ似合わない表情だと言われそうなほど、できるだけ優しく、笑顔で。
「おみ…」
ごめんなさいの言葉と共に出てきたのは……割れた茶碗だった。
「ごめんなさい……おみの、おちゃわん…割っちゃった……」
驚いて声が出なくて、何も反応できなかった。
それは、あまりにも、些細なことすぎて。
「……っ、ごめんなさい…」
俺が何も言わないから怒っていると勘違いした三角は、唇をぎゅっと結んで俯いていた。逆にどうしていいか分からず、焦った俺は目の前にあった頭を撫でた。溢れた滴が、反動でぽたぽたと床に落ちる。
「……怪我、しなかったか?」
予想外の質問に、濡れた瞳のまま顔をあげてキョトンとする。
「うん……しなかった!」
「なら、よかった」
破片を片づけた後、椅子に座らせて話を聞いた。
もうすぐ俺がご飯を作る頃だと思って、茶碗を洗ってくれたらしい。そしたら、手が滑って落として割ってしまったのだと言う。そういえば、買い出しの時にいつもの台所用洗剤と違うやつを買ってきたとか言ってたな…。滑りやすいやつだったのかもな……今度から俺も気をつけないと。
「おみ、今日はオレのお茶碗使って…?」
「あぁ…ありがとな」
優しい提案に思わず頬が緩む。緊張が少し解けたのか、涙を拭う右手を初めて見た。
「……手、怪我してるだろ」
「えっ? あっ……大丈夫だよ~!」
サッ、と引っ込めようとした腕を掴む。深くはないけど明らかに切れて血が出ていた。すぐに傷口を水で洗い流して、焦りながら手当てを済ませた。
「……おみ、怒ってる…?」
「そうだな」
「ごめんなさい…」
また、さっき見た三角に逆戻りさせてしまった。……でも、そうじゃない。
「茶碗が割れたのなんかどうでもいい。……何で、怪我したこと黙ってたんだ?」
「……おみの、お茶碗の方がっ…大事だから」
「そんなわけないだろ……」
三角がいつもより小さく遠く感じて、思わず抱きしめた。
みんなのことは大事にするくせに、いつもそこに自分が含まれていない。今まで、そんな姿を度々目の当たりにしてきた。今もそうだ。
「もっと、自分を大事にしてくれ……」
「おみ、ごめんね……わかったよ」
「もっと甘えて、もっとワガママ言っていいからな…?」
「……おみも、だよ~」
えへへ…と、笑う顔に思わずこっちも笑顔になる。何か言おうとしても、この笑顔に負けてしまう。本当は言いたいことがいっぱいある。いつもいつも心配でたまらない。歳もそんなに変わらないし、意外としっかりしてるのも分かってる……今、三角はちゃんと、幸せか……?
「おみ」
いつもの優しい声色で呼ばれて顔を合わせる。
「おみが、優しくて……嬉しかった~」
ちゃんと幸せかどうかなんて、きっとこれからも俺には分からない。ただ…嬉しいって思ってくれてるなら、もう…それで十分だ。
「おみ、ありがと~!」
感じた手の温度が、何よりも優しかった。
「……じゃあ、夕飯作るから手伝ってくれ」
「はーい!」
握られた指先には……少し不格好に巻かれた、真っ白い包帯が見えた。
今日もキッチンで
日々が流れていく中で、他の団員よりもキッチンに立つ時間が長い俺は、いつの間にか、三角の話を聞くことが楽しみになっていた。
「……それでね、今日は公園にね~…」
料理をしている時だけじゃなく準備や後片付けをしている時も、俺の姿を見つけると何か手伝おうと声をかけてくれる。それは、もちろん俺の時だけじゃない。相手が誰でも同じように声をかけ、分け隔てなく接してくれる。そんな三角が、俺とキッチンに立つ時に今日あったことを話してくれる。正直、もっとちゃんと聞きたいと思ったこともある。……けど、三角の大切な時間を俺が奪ってまでって考えると、言えなかった。きっと、こうやってお互いに手を動かしながら聞くぐらいがちょうどいいんだろうな……。
「そしたら~、ぴょーんってして、びっくりした~!」
今日は食べ終わった後の食器を洗っている時に声をかけてくれた。俺が当番の時は、他のみんながやってくれることの方が多い。けど、今日は宿題が多かったりテスト前だったり課題で忙しかったりで、みんな大変そうだった。俺がやっておくと言うと、申し訳なさそうな顔に少しの安堵が混ざった変な顔になってたな。今頃、誰かの部屋に集まって勉強会だろうな。三角との会話が途切れて、そんなことを考えながら洗い終わった食器を渡すと、嬉しそうな笑顔を向けられた。
「……ん? どうかしたか?」
「おみが、うれしそうだったから~!」
「はは、恥ずかしいところを見られたな……」
「恥ずかしくないよ~? おみが、うれしいと……オレも、嬉しい~!」
ストレートな言葉に恥ずかしさが増して、顔が赤くなる前に笑って誤魔化した。きっと、三角のことだから他のみんなにも言っていると思う。けど、広い部屋の中で、キッチンという同じスペースに二人並んだ状態で聞くそれは……俺にとって少し特別な気がした。
「……じゃあ、残りはやっておくから。ありがとな」
「どういたしまして~!」
三角は今日も手伝ってくれた。それなのに、俺は満たされない何かを感じていた。洗ったばかりの透き通ったコップは、吐き出された重い息で簡単に雲がかかる。一人で立つキッチンは広くて動きやすい。それが何故か、快適とは程遠い。
「……しょうがないか」
以前と変わらず手伝ってくれる三角。変わったことと言えば、会話が減ったことだ。三角は、今日一日あったことを話してくれなくなった。そのせいか、手際がよくなって一緒にいる時間も減った。自分で言うのも悲しい話だが、俺はリアクションが面白い方じゃない。きっと、夏組の誰かや同室の九門と話す方が楽しいんだろう。
蛇口から落ちた雫がシンクにぶつかって音を鳴らす。
……そんな些細な音、今まで聴こえなかったのになぁ…。
「…おみ、まだいる~?」
なんとなく、そんな気がしていた。ほんの僅かな期待を胸に、何度目か分からない無意味に濡らした手を拭いていると……聴きたかった声がした。
「あぁ、三角か。……どうした?」
平静を装いながらかけた声は……ほんの少しだけ裏返ってしまう。
晴れときどき柔軟剤のち
よく晴れた休日のこと。次はいつ来るのか分からないほど見事な洗濯日和。布団を干して、シーツや枕カバーを洗った。家事が捗る週末は嫌いじゃないはずなのに、今日はどうも調子がいまいちだった。
「…よし。これで終わりだな」
いつもなら、干し終えてすぐ部屋に戻って他の作業に取り掛かる。けれど、今日は頭がちゃんと働いてくれない。緩やかに揺れるシーツの裾を眺めながら、何をするでもなくぼーっと突っ立っていた。
「……あっ! おみ、みつけた~!」
誰かが近づいてきたことにも気づかず、ひょこっと顔を見せてくれたのが三角だったのにも拘わらず、大したリアクションもせずに、おかえりの一言を返しただけになってしまった。
「おみ、どうし……」
それどころか、何も言わないまま黙って覆い被さるように、三角に抱きついてしまった。自分でも、どうしてこんなことをしたのか分からない。ただ、ふわりと香る春の知らせが、心を落ち着かせてくれるのを感じた。
「あー……いきなり、ごめんな…。びっくりさせて」
三角は黙って首を横に振る。優しい三角に小さくお礼を言ってから、早く部屋に戻ろうと、干し終えて空になったカゴを手に取った。
「おみ」
そのカゴが俺の手を離れ、音を立てて地面にぶつかったのは、背伸びをした三角が……包み込むように抱き締めてくれたからだ。
「……おにぎり、おみの分も作るからね」
「ん……」
「二人で、一緒に食べよう?」
頷くことしかできず、かっこ悪くて情けない顔を……春空の下で広がるシーツが隠してくれた。
夕暮れLargo
「いっぱいお買い物したね~!」
「手伝ってもらって悪いな……。重くないか?」
夕暮れの街は、手に持った買い物袋を高く掲げる姿を優しく照らす。車を出してもらうほどでもない量の買い出しは、二人の両手を塞いでしまう。こうなることは容易に予想できたはず。それでも、他に誰も誘うことなく二人きりで出掛けることに意味があるのだ。
「……一つ、持とうか?」
つい先程まで足取りも軽く、元気そうな様子を見せていた三角。疲れてしまったのか、俯いて歩を進めるのが格段に遅くなっていた。それに気づいた臣は、三角の手から買い物袋を一つ受け取ろうと手を伸ばした。
「ううん、大丈夫~!」
「……そうか? 遠慮しなくていいぞ?」
その言葉に顔を上げた三角は、おみの袋を一つ持たせてほしいと言い出した。差し出した手が予想外に行き場を失い、理由が分からず戸惑いを隠せない臣は、微笑みながら少しだけ困った表情を見せる。
「だから、もうちょっと……ゆっくり歩こう?」
可愛らしい提案と共に触れ合った手と手。どちらも袋を離そうとせず、帰り道に伸びた影は仲良く手を繋いで見せる。
「そうだな……」
塞がった両手も、二人の距離も、変わらない。
ただ、身長に似合わない歩幅と速さで、さっきとは違う足音が響いた。
たまごやきもち
いつもよりもゆっくりと時間が流れているような日曜の朝。絵の具で塗ったみたいだと思うほど綺麗な青空の下、よく似合う笑顔を連れて近くのスーパーへ買い出しに来た。
「なに買うの~?」
店が近づくと俺より少し先に入り、流れるようにカゴとカートを用意してくれる。正直に言うと、足りない分を少し買いに来ただけで今日はカートは要らないんだが……三角は押したいらしい。まだ空のカートを両手で押しながら、楽しそうにはしゃいで横に並ぶ姿は小さい子供のようだ。
「玉子、買う~?」
「いくつ買おうか?」
「うーん……いっぱい買ったら、つむぎ…喜ぶかな~?」
「なら、たくさん料理しないとな」
すぐにサンカクのお菓子を探しに行ってもいいのに、俺に合わせて店内を歩いてくれる。三角は優しいから…きっと、誰と来てもそうなんだろう。それでも交わされる言葉は俺と三角だけのものだと、柄にもなく子供みたいな欲が出た。
「さんかくのキッシュも、作ってほしい~……」
「ん? ああ、いいぞ」
「チキンライスをね、さんかくにして、玉子で包んであげてもいいかも~!」
「わかった。今度オムライス作る時に三角の分はそうするよ」
「……うん、ありがとう」
いまいち噛み合わない会話は、店内に響く大きなBGMに消されてしまう。
「玉子、たくさん買っちゃダメ~!」
「えっ?」
「その代わりに、おにぎりの具をたくさん買います!」
隣を歩くカートはガラガラと音を立てて行ってしまう。追い付いた先で梅干しや鮭、明太子や高菜や昆布などを次々とカゴに入れていた。このままだと左京さんに怒られてしまう。今日の空に似合わなくなった表情の三角を落ち着かせる為に、お菓子売り場へ連れてきた。
「……おみ、ごめんなさい」
「べつに、悪いことはしてないだろ?」
俯いたままじゃサンカクは探せないぞ? なんて、あとで思い出した時に絶対に恥ずかしくなる言葉をかけて、目の前の棚を指差した。
「……あっ! さんかく~!」
「これ、なかなか売ってなくて探してるって言ってなかったか?」
「言ってたけど、よく覚えてたね~」
「三角のことだからな」
あとで思い出した時のことも考えられないほど自然と口から出た言葉。手にした袋を全種類カゴに入れて、買う予定だった食材と少しの玉子とおにぎりの具を乗せてレジへ向かった。
「おみ、今日のお買い物はオレが払うよ~……じゃないと、さきょーに怒られちゃうよ?」
「いや、左京さんに貰った食費からは出してないから大丈夫だぞ」
「ええ~!? じゃあ、なおさら三角に払わせてください!」
「お金はいいから、一つ教えてくれないか?」
「なーに?」
「……なんで、玉子買わなかったんだ?」
持つと言って聞かなかった両手に下げた袋は、どんどん赤くなっていく顔を隠さずに見せてくれた。
「だって……いっぱい買ったら、つむぎの為にたくさんお料理するかもって、思ったらね……なんか、やだ~って……思っちゃった」
今までの三角の行動を思い出す。可愛くて可愛くて、苦しいほど愛おしくてしょうがない。買った具材で三角の為だけにおにぎりを作ることを約束する中、堪えきれずに吹き出した俺に見せてくれた少し膨れた表情。欲が出るのも納得するほど可愛い素直さにまた恋をしながら、二人して子供になるのも悪くないと……よく似合う空の下で思いっきり抱き締めた。
かくしあじつけあわせ
「ただいまー!」
扉が開くと同時に聞こえた声は、少しだけ疲れた顔を連れて入ってきた。迎えられたいくつものおかえり。一人ずつきちんと返事をしながら、今日あったことを話している。
シンクにぶつかった水が流れる音、まな板の上で刻む食材とリズム、沸かせた鍋の中で踊る野菜たち、下から煽られたフライパンで跳ねる油。
そんな日常の中に紛れて聞こえる声が……。
「おみ、ただいま〜!」
「……おかえり」
「お手伝いするよー」
「いや、もうすぐできるから大丈夫だ」
「そう〜? じゃあ、楽しみにしてるね!」
お腹すいた〜! と、勢いよくソファを沈ませる。その姿は、やっぱり少し疲れを背負っているように見えた。隣にいた天馬に寄りかかって、重いと文句を言われながら、同じく反対側に座っていた椋の方へ押し付けられている。微笑ましさと僅かな心配を抱きながら盛り付けた皿……早く食べてほしくてしょうがない小さなトマトが転がり落ちた。
「できたぞー」
俺の声に反応した団員たちが集まってくる。賑やかさに拍車がかかり、食卓に鮮やかな彩りを加える。……その中に、三角はいなかった。
「……椋、どうした?」
いつもなら真っ先に料理を並べて手伝ってくれる椋が座ったままなことが気になって覗き込んだソファ。どうすればいいのか分からなくて戸惑った膝の上で、気持ちよさそうに寝息を立てている三角がいた。
「三角さん、バイト先の人が急に辞めちゃって……最近はすごく忙しそうにしてるって、九ちゃんが」
「……なるほどな」
「でもっ、起こした方がいいですよね……?」
「うーん……気持ちよさそうに寝てるしなぁ」
困ったような笑顔を合わせた二人が名前を呼んだぐらいでは全く起きそうにない。とりあえず、動けなくなっている椋をそっと解放してから、それでも起きない三角の分は皿に取って残しておくことにした。
「静かだと……なんか、調子くるう」
「せっかく珍しくテンテンがいるのにね〜」
「ったく……タイミングの悪いヤツだな」
「でもさー、すっげー気持ちよさそうに寝てるから起こせないよ〜……サンカクの夢見てるのかな?」
「ふふっ、そうだといいね!」
食事を終えた団員達は、まだ起きる気配のない三角を覗き込みながら物珍しそうにしていた。ブランケットをかけたり、ぬいぐるみを置いたり、各々が温もりを添える。一人、また一人、談話室から人が減っていく。落ち着いた賑やかさが夜を思い出す。
「三角、オレより寝てる……」
「それはないだろ」
「……疲れてる?」
「そうみたいだね」
体調を心配した東さんの右手が無防備な額に触れる。小さく声をかけながらそっと頭を撫でる密さん。部屋まで運ぼうかと提案してくれた丞さん。この時はまだ……それぞれの優しさを受け入れて、もっと大きく形を変えて温めてから伝えられると自惚れていた。
本末転倒で可笑しな仕込みすら手持ち無沙汰になってきた深夜。ようやく、待ち望んでいた声を上げて……ソファが動き出した。
「……んー、あれー?」
「おっ、起きたか? おはよう」
俺しかいない静かすぎる談話室。ぱっちりと開いた瞳がうつす時計は、もう戻らない時間を指していた。
「えっ……ごはん、は?」
「三角の分は残しておいたぞ」
「みんなは……?」
「さすがに、もう寝たんじゃないか?」
柔らかい俺の口調と噛み合わない会話。近づいて見えた表情は、嫌というほど事実を突きつけてくる。
「みんなで……ごはん、食べたかった……っ、」
疲れ果てた体が求めていたのは、みんなで囲む賑やかで楽しい食卓。独りよがりで自分勝手な勘違い男との時間なんかじゃない。
「ごめんな。起こせばよかったな……?」
「せっかく……っ、てんまもいたのにっ、」
「……ごめん」
触れようとした手は意味もなく触っていた水のせいで冷たくて。触れる前に引っ込めてしまった。
「ううん……ごめんね? おみのせいじゃないのに」
「いや、みんな起こそうとしたのを俺が、」
「起きるまで待っててくれて、ありがとう」
袖で拭った後に向けられた真っ直ぐな笑顔を見ることができない。タイミングよく鳴った腹の音を合図に、遅すぎる夕飯の準備に取り掛かった。広過ぎるダイニングテーブルは、一方的に意識した距離のように、一人分の皿の数では埋めることができない。
「おなかすいた〜」
「ご飯はおにぎりにしておいたから、残してもいいぞ」
「……全部、食べてもいい?」
「ははっ、もちろん。食べられるだけどうぞ」
「おみは〜?」
「俺はもう食べたからなぁ」
「おなか空いてない〜? 一緒に食べよう?」
差し出されたおにぎりが違うものに感じた。自分で握ったものなのに。そんな分かりきった理由にすら、今は気づきたくなかった。握った時に込めた思いとは違う思いに変わって返ってきた三角形。多めに入れたはずの塩分は消えて薄くなっていた。
「ごちそうさまでした〜!」
美味しかったという感想に頬を緩ませる余裕もなく、運ばれた空っぽの食器たち。ここにいる理由を全て平らげた三角が、水を出そうと伸ばす手を阻止して、俺がやっておくと風呂場へ送り出した。
「……なに〜?」
部屋を出る背中を見送る前に、水を流しながら小さく呟いた名前。体格に似合わない女々しさを含んだ、賭けに近い呼び止める声。
「あー……デザートあるけど、明日にするか?」
「んーとねー、お風呂あがったら食べる!」
「……じゃあ」
「でも、おみは先に寝てていいよ? 待っててくれて、ありがと〜!」
切ない優しさとおやすみなさいを加えて、仕上げに扉の閉まる音を鳴らせば、余り物で作ったつまらない男の出来上がり。
シンクにぶつかった水では流すことができず、まな板の上で刻んでも刻んでも無くなることはない。鍋の中で勝手に沸いてしまう気持ちに必死で蓋をして、勝手に煽られたと勘違いした心がフライパンで跳ねる。……火も、ついていないのに。
「はぁ……」
ため息混じりに締めた元栓は、驚くほど軽く回った。
「ん〜……すみーさん?」
「くもん、起こしてごめん〜! 着替え取りに来ただけだから、寝てて〜?」
「ううん ……明日は、お休み?」
「うん! だからね、お風呂あがったら、デザート食べるんだよ〜」
「えっ!? デザートあるんだ! いいな〜!」
「……みんな、なかったの?」
「うん。今日は時間がなくて作れなかったーって、臣さんが」
「そうなんだ〜……」
「えへへ、すみーさんだけ特別だね!」
後片付けを終えて冷蔵庫を開くと、迎えてくれたのは逆三角形のかたちをした二つのグラス。我ながら綺麗に盛り付けられたトライフル。そのうちの一つを手に取ってテーブルに座れば、その名のとおり俺を含めて完成する。
「甘いな……」
誰もいない部屋に響いた言葉は、ほろ苦さを纏って反射する。
「……おみ、まだいる?」
それでも、それでも……開く扉の音と一番聞きたい声を耳にすると、情けないほど単純に心が弾み、甘く特別なものに変わってしまう。
「一緒に、食べながら……お話しよう?」
……まだ、火もついていないのに。