かずみすまとめしろくて、きれーで、やさしくて。
「かず…今日も、いっしょに寝てくれる…?」
すみーは時々、オレと一緒に寝たがる。べつに変なイミじゃないよー? ひとりで寝るの…不安な時があるみたい。
「かずの手…しろくて、きれー!」
「マジ?うれピコー」
「うん!あと、やさしい!」
「優しい?」
「やさしいよ~」
「そっか~」
オレの手をぎゅって握りながら、すみーはにこにこ笑ってて……でも、瞳の中がゆらゆらしてた。
「大丈夫だよ…すみー」
できるだけ優しい声で囁くと、ゆらゆらが握られた手の上に落ちてきた。消えそうな声でオレの名前を呼びながら、いつもと全然違うすみーを見せられると、なんかトクベツって感じすんだよねー…。
すみーはいつもごめんねって言うけど、謝ることなんて全然なくて。特に何もしてあげられなくても、アズーみたいに経験とか無くても、オレを選んでくれるって…けっこう嬉しい。まぁ、付き合ってるからトーゼンって言っちゃえばそうなんだろうけど…。
「かず」
「んー?」
「かずは、いなくならない…?」
「オレはここにいるよ…」
「かずぅ…」
「どしたん?今日のすみーはいつもより甘えたさん?」
「…っ」
「そんなすみーも、めちゃかわ!」
「かずっ…ぎゅってしてもいーい?」
いいよ~って言ったあとすぐにぎゅってされて、胸のあたりにおでこをくっつけられてる。……ちょーっと可愛すぎじゃない?
なんか分かんないけど悔しくて、すみーの柔らかい髪を撫でたり、キレイな形の耳を触ったりしてみた。
「んっ、かず…」
「くすぐったい?」
「うんっ…なんか、びくびくってする~」
「…そゆこと他の人に言っちゃダメだからね?」
「かずの手…きもちいー…」
「すみー、話聞いてたー?」
「きいてないかも~」
目線の高さを同じにして、すみーの手を包みこんで、ちょっとだけマジメな顔になる。
「すみーはちょっと無防備すぎ」
「むぼーび?」
「そ、知らない変なオジサンとかについていっちゃダメだよ~?」
「わかった!ついてかない!」
「サンカクあげるよって言われたら?」
「ついてく~!」
「やべー!マジ心配なんですけど」
「さんかくくれる人、いいひと!」
「もー…すみーひとりで出かけるの禁止~!」
そう言って手を離そうとしたら、また瞳がゆらゆらしてたから…今度は離れないように、お互いの指を絡めながら繋いだ。
「かずは、いちばんいいひと~」
「それホント?」
「ほんと!」
「なんでか…理由聞いてもいい?」
「かずはねー、さんかくいっぱいくれる!」
「やっぱりさんかくか~!」
「でもねー、さんかくだけじゃなくて、オレのすきなものいっぱいくれる~!!」
「オレそんなにすみーに物あげてないよー?」
「いっしょに寝てくれてー、ぎゅってしてくれてー、なでなでしてくれてー、あと…ちゅってしてくれる!!」
「すみー…」
「かずといっしょに寝るの、だいすき!」
「オレもすみーと一緒に寝るの大好きだよ」
「えへへ…」
「すみー…目、とじて?」
「とじたよ!…ちゅってする?」
「どーしよっかなー」
「まだかなー?どきどき~!」
「すみー、口とじないとできないよん」
「んーっ!」
やっと静かになったすみーの唇に触れる。触れた瞬間、びくってするのが可愛すぎて…正直、ちゅっ…どころじゃなかった。
「かずぅ…っ」
「大丈夫?」
「ちゅっ、じゃなかった…」
「あー…ゴメン、嫌だった?」
「んーん!うれしかった~!」
「よかった~…」
「ほわーってして~、すごーくあんしんした!」
とろんってした目でふわふわ笑って、ちょっとだけ赤くなった頬で、恥ずかしそうに両手で口元を隠してる。……よかった… 。
「すみー」
「なーに?」
次に名前を呼んで見つめた時には、もうゆらゆらは消えて無くなってた。
「おやすみ」
「おやすみなさーい!」
もう一度、ぎゅっと繋いだ手は、さっきよりあったかい気がした…。
カラフルな今と未来
カラフルでさんかくだらけの三角の部屋に、一つ似つかわしくない物があった。
「すみー、カレンダーあるじゃん!」
部屋に遊びに来ていた一成はすぐにそれに気づいた。賑やかで明るいこの部屋で、違和感を放つシンプルで真っ白な何も書いていないカレンダー。さみしそうに角の方にかけられており、もったいないほどキレイだ。
「すみーはうっかりさんだからー、予定ちゃんと書いといてあげる!」
「なに書くのー?」
「んー、稽古の予定とかかな?すみー前も忘れてたじゃん」
「そうだね~」
「ついでにオレの誕生日とかも書いちゃう?」
ペンケースの中の何本もあるペンの中から一色を選び、稽古がある日の日付をサンカクで囲みながら、そう問いかけると今までにこにこと笑っていた三角は俯きながら黙ってしまった。
「……すみー?」
突然のことに動揺し、何か悪いことをしてしまったのか、だとしたらそれは何だったのか、頭をフル回転させながら次の言葉を見つけられないでいる一成。そんな一成の状況を知ってか知らずか、急に静かになった部屋の中で沈黙を破ったのは三角だった。
「誕生日、書いたら……かず、その日まで……絶対、いなくならない?」
小さくて微かに震えたその声は、今までずっと見せなかった深い寂しさと不安を感じさせ、俯いたままの背中とぎゅっと握りしめた手は、どこか救いを求めているようだった。
「だいじょーぶ…オレ、ずっとすみーのそばにいるから」
包み込むような声色で囁きながら、固く握りしめた手の上に重ねられた優しい温もり。ゆっくり顔をあげると、その手よりも優しい表情をした一成がいた。
「ほんとに……?」
「もち!だからさ……これから楽しみなこと、一緒に書こう?」
「……うんっ!」
静かだった部屋にガチャガチャと音が鳴る。ペンケースもペン立てもひっくり返して、たくさんのペンを使っていろんな色で描いたさんかくと文字、一成のセンス溢れるイラストは、真っ白だったカレンダーをこの部屋にふさわしいものにした。
「ねね、みんなの誕生日も書いてもらおーよ!」
まだ残る不安に揺れた瞳をぎゅっと閉じて、いつものように元気よく返事をし、前を歩く背中に大きな期待を乗せて談話室へと向かった。
談話室にはテレビを観ている団員達が数人おり、一成がいつもの明るい調子で趣旨を説明するとみんな快く引き受けてくれた。それから数十分後、集まって騒がしくしている様子を気にかけた他の団員達も集まり、いつの間にか全員でテーブルの上のカレンダーを囲んでいた。
「こういうのって…なんかすっごく楽しいですね!」
「書いたら誕生日に大人の力が使えるカードくれる?」
「他の奴らはいいから、カントク…誕生日教えて」
「こうやって改めて書くのはちょっと恥ずかしいっすね…」
「誕生日には、我が国の民芸品をぞーていするヨ!」
「ちょっと!大きく書きすぎ!ポンコツ役者はバランスも考えらんないの?」
「オレ様の誕生日は大きく書いた方が目立っていいだろ!」
「誕生日が来たら、今よりもちょっと王子様に近づけるかな…きらきらにしておこうっと…」
「臣クン!オレっちの誕生日は…」
「あぁ、太一が食べきれないぐらいとびっきりのご馳走作るからな」
「ここに書くってことはプレゼント期待していいってことだよな?」
「…何も気にせず普通にケーキが食える日…悪くねぇ」
「この歳になって誕生日なんざ、めでたくも何とも無いがな…」
「確かに歳はとりたくないけど…祝わってくれるのに悪い気はしないんじゃない?」
「丞は…確か2月22日だったよね?」
「あぁ…紬は12月28日だろ?」
「密くん、起きたまえ。誕生日にマシュマロが貰えなくてもいいのかね?」
「だめ…マシュマロほしい…でも、ねむい……すぅ…」
真っ白だったカレンダーは、今のこの場所のように賑やかで騒がしいほどになった。次の公演や稽古の予定、みんなの誕生日、各組の結成記念日……どれも色鮮やかで個性が溢れていた。出来上がったカレンダーを嬉しそうに一枚一枚めくる三角は、これから過ごす日々をこんな風にみんなと一緒に彩ることができたら、すごく幸せだなぁ…と胸をあたたかくさせた。そんな三角の様子を一番近くで見ていた一成もまた、同じあたたかさを自然と笑みが溢れるほどに感じていた。
「みんな、書いてくれてありがと~!」
「三角さん、このハートマークとさんかくマーク…もしかして今日って、何かの記念日なんですか?」
「へへ~、ないしょ~!」
顔を赤くして何か勘違いをしている様子の椋に、三角はいたずらっ子のような笑みを見せながら出来上がったばかりのカレンダーを一成を連れて部屋に持って行った。部屋の真ん中の壁に飾ると、このさんかくだらけの賑やかな部屋の中で二番目に楽しそうに見えた。
「かず、今日はー、かずをも~っと好きになった記念日だよ!」
少しだけ照れたように笑いながら言う三角に、
「すみー、それって…毎日記念日じゃん!」
と、いつもの調子で言う一成。
この部屋で一番楽しそうに見えたのは、笑い合う二人だった。
真夜中にお茶会
「あっ、かず…」
夜中に喉が乾いて目が覚めた。まだ寝足りないだるい体を持ち上げて、キッチンの冷蔵庫を目的地に階段を下りると、誰もいないと思っていた薄暗い談話室に見慣れた人影があった。
「すみー、どしたん?寝れないとか?」
オレの質問には答えずに、かずはー?と聞き返される。喉乾いちゃって、という返事にもさほど興味を持っていない様子から、起きていた理由を聞かれるのが嫌なのかも…と悟る。
「すみーも飲む?」
「どうしようかなー…」
「あっ、もう汲んじゃったから飲んでー」
手渡した時のカラン、という氷とガラスがぶつかる音はなかなか気温が下がらない寝苦しい熱帯夜に涼しさを感じさせ、喉を潤す麦茶は格段に美味しくなる。そんな夏の風物詩に口もつけず、結露していくコップで手を濡らすだけの姿が、窓から入るやけに明るい月の光に照らされていた。いつも大きく動いている両手は縮こまり、さんかくー!と騒がしい口はぴったりと閉じられ、それは見慣れた人影なんかじゃなかった。
「すみー、お腹すいてない?」
んー…すいたかも?という曖昧な返事を背中で聞きながら冷蔵庫を開く。おみみが几帳面に冷凍しておいたご飯をチンして、お気に入りの具材を温かくなったご飯で包む。ここからが一番大事で、照らされた小さな背中が少しでも見慣れたものになるように、心を込めてきれいな形にする。
「じゃーん!カズナリミヨシ特製!テンサゲなすみーにスーパーさんかくクンあげちゃうおにぎり~!」
「きれーなさんかく…おいしそう!」
やっと見れた、けどいつもより固い笑顔が、悲しいような切ないような感情を生み出し、オレの笑顔もどこかぎこちなくさせる。それでも、おにぎりを手にとってくれたことにほっとしてから隣に座り、こんな時間に夜食なんて…という背徳感と一緒に頬張る。
「ん~、ごめん!ちょっと、しょっぱかったかも」
「んーん、おいしいよ…」
淡い光に照らされたすみーを見ると、口の中をご飯でいっぱいにして膨らんだ頬に雫のとおり道をたくさん作っていた。きっと、すみーが食べたおにぎりは、オレが食べたおにぎりよりも、もっとしょっぱかったと思う。
「…このおへや、広いんだね…」
夕食時の賑やかさが嘘みたいな静かな部屋で、ぽつりと呟いた一言がより一層ゆらゆらと瞳を揺らす。みんなといると、あんなに狭く感じた部屋の真夜中の姿は、一人でいるにはあまりにも静かであまりにも寂しすぎる。
「…でもでも、オレが来たから、すみーが一人でいた時よりは…狭くなったんじゃない?」
「うん、かずの…言うとおりだね」
食べ終わって空っぽになった手をそっと握っても、いつもみたいに握り返してはくれない。オレが力を抜いたら簡単に離れてしまう。こんな時になんて言葉をかけていいか全然分からなくて、秒針がカチカチ鳴る音と隣で鼻をすする音を、指を絡めながら黙って聞くことしかできなかった。
「かず」
「んー?」
「もういっこ、食べてもいーい?」
ここに来てから初めてちゃんと目が合った。溢れそうなオレンジ色の雫を揺らす瞳を見つめながら、優しく微笑みながら頷く。食べづらいだろうから離そうと思って手の力を緩めると、こんな静かな部屋でも聞こえないぐらいの小さな声で、かず…って。
もう一度、ぎゅっと繋ぎ直して、片手でおにぎりを頬張る姿は…たぶん、さっきより大丈夫になってたと思う。
「やっぱり、おにぎりがいちばん…だね」
「だねー!」
「……かず、ありがとう」
オレはやっぱり、この柔らかい笑顔が大好き。
こんな暗い部屋で、寂しそうに一人で泣かないで。
そんな夜は元気が出るように、おにぎりを作ってあげる。
不安も切なさも辛さも全部ぜんぶ、一緒に飲み込んでしまえるように。
甘さともうひとつ
「…わっ!」
「あっ、ごめん!」
「んーん…」
先月からずっとこの調子。すみーに触れたくて手を軽めに握っただけ。オレたちはちゃんとお互いに好きで、ちゃんと付き合ってる。それなのにこんなに身体を強張らせているのには、ちゃんと理由があって……。
つい、一週間ほど前のこと。いつものように、すみーの部屋で話してて…かず、だいすき!なんて言いながら、子どもみたいなキスで真っ赤になって嬉しそうにしてるすみーが可愛くて……少し、大人なキスをした。
「…っ、…やっ!」
肩を押されて突き飛ばされた。そんなに強くなかったのに脳がぐわんぐわん揺さぶられるほどの衝撃に感じた。そのあと、濡れた唇から発せられた焦ったごめんねの言葉と、今にも泣き出しそうな苦しそうな表情……今もずっと、盲目に、鼓膜に、張り付いたまま剥がせない。
「…すみー、今日もサンカク探し?」
「うんっ…」
「オレも一緒に行っていい?」
「えーっと…かず、忙しいでしょ?」
「そんなことないよん!」
「でも…」
「…オレと一緒に行きたくない?」
「かずと、いっしょに…行きたい」
なんてことない土曜日の朝。いつもなら喜んで一緒に連れてってくれるサンカク探し。あの日から、手を繋ぐことも隣を歩くこともできていない。どうにもできない焦りと寂しさと切なさに乱暴に背中を叩かれて、すみーの優しさに甘えて、ズルくて意地悪な誘い方しかできない。
こんなに欲張りになるなら付き合わなければよかった。付き合う前は自然にできてたこともできなくなって…日に日にこの距離が遠くなっていって…オレのいちばん大事なサンカクは見つけられなくなるのかな…
「見つからなかったね、サンカク」
「うん…でも、さんかくのおかし、買えたよ!」
「そだね~」
誰もいない帰り道で手も繋げないまま、気のきいた言葉も浮かばないまま…話す時にこっちを向いてくれないのが怖くて、前を向いて相槌をうつ。右手が冷たいのを、冬のせいにして。
「…かず、あげる」
そんな冷たい掌に握らされたのはさっき買ったサンカクのお菓子だった。久しぶりにすみーの方から触れられて、凍った掌も心も溶かしてくれそうなほど、あったかく感じる。
「かず、オレと、仲直りして?」
「オレの方こそごめん…」
「…て、つなごう?」
「うん…」
そのまま二人で手を繋いで帰った。きっと、お互いに言いたいことはいっぱいあったけど、何も話さずに黙ったままだった。今はただ、この手の温度を、カタチを、感じていたかった。
寮についてから、オレの部屋に来て…って言うすみーに手を引かれて、サンカクだらけの部屋の真ん中に座り込む。
「かず…ちゅーしたい?」
「えっ?」
なんの脈略もなく発せられた言葉に驚きを隠せないまま、すみーの目を見つめる…久しぶりにちゃんと見た瞳は、やっぱり甘いキャンディみたいにキレイ。
「…えっちなことも、したい…?」
「ちょ…どしたん?すみー…」
「オレ、嫌じゃないよ!かずのこと、好きだもん…」
「すみー…」
「だからっ、前みたいに…ぎゅってするのも、ちゅってするのもっ…毎日してほしい…」
ぽろぽろとキャンディの雫がこぼれおちて、サンカクのパーカーにまるい跡をつける。可愛くて、大好きで、愛おしくてたまらない。こんなこと言わせちゃった自分が情けない。
震える手で宥めるように抱きしめる…久々に体温を感じて、凍っていたものが、どんどん溶けて液体になっていくみたいに、あたたかいものが頬を何度も伝う…。
「ごめんごめん…ごめんね、すみー…」
「うぅっ…かず、くちのなかっ…なめるの、気持ちよくてっ…びっくりした」
「そっか…初めてだった?」
「うんっ、だから…なんか、変な声が出そうで…かずに、嫌われたらどうしようって…やっ!て言っちゃった…」
「変なことじゃないよ?気持ちいいと声が出ちゃうのは、フツーのこと!」
「ほ、ほんとに?だって…ちゅーしただけなのに?」
「うんうん!それに、気持ちいいって分かるとオレも嬉しいし!」
「…えへへ…オレも、うれしいー!」
鼻をすすりながら笑うすみーは、ぎこちなさとは無縁の笑顔を見せてくれた。それに応えるように笑うと、少し頬を赤くして、おでこをくっつけられる。ゆらゆら揺れる瞳を捉えたまま、オレの服をきゅっと掴む両手を優しく首に周して……。
…重なった唇はほんの少ししょっぱくて…より甘さを引き立てた。
雪の日のさんかく
「かず、みてみて~!」
雪がたくさん降った次の日。昨日と違ってよく晴れた中庭に、白くて大きなさんかくクンができていた。部屋着のまま中庭に出ると震えるぐらいの寒さ。その中で白い息を吐きながら頬と鼻を赤くして、寒さを忘れるぐらい夢中で作っていたらしい。
「真っ白スノーさんかくクンだよ~!」
「やべー!超すごいじゃん!記念にパシャっとこ~イェーイ!」
「いんすてばえ、する~?」
「するする~!早速あげちゃうね~!」
写真を撮った後、すみーは他のみんなにも完成を報告しに走って行ってしまった。呼吸も落ち着かせないまま、オレに一番に教えてくれたのが嬉しい。
しばらくすると他のみんなも中庭に出てきて、堂々と立つスノーさんかくクンと一緒にたくさんの笑顔が撮れた。おみみもカメラを持ち出して撮ってくれて、写真を見せてもらうと、やっぱりみんな笑顔で…さんかくクンと握手するサクサクとむっくんとか、独特な感性で雪だるまをらしきものを作るつむつむとタクスとか、マジの雪合戦始めちゃうセッツァーとヒョードルが写っていた。後でアルバムにしてみんなに配っちゃお!
その中ですみーは、誰よりもきらきらした笑顔だった。
あれからすみーは、毎日中庭に出て嬉しそうにさんかくクンを眺めている。でも、微笑ましいその光景も長くは続かなくて…。
夜中にたくさん雨が降った日のことだった。朝起きて庭を見ると、かなり小さく解けてしまったスノーさんかくクンの前で、少なくなった雪を必死でかき集めるすみーがいた。
「かず…どうしよう…スノーさんかくクン、いなくなっちゃう…!」
雨から守ろうとすみーが抱き締めた体温で、さらに解けてしまう…
「すみー…」
「オレ、もっと雪あつめてくる!」
「待って」
触れた手は氷のように冷たくて、痛々しいほどに赤くなっていた。
「すみー、さんかくクンは…春になったら解けちゃうんだよ?」
「わかってるよ~…でも、」
「…ちゃんと、バイバイしよう?」
「かず…」
下を向きながら小さく頷いた頃には、すみーの手は少しあったかくなってた。
今日も明日も一日中ずっと雨らしい。少しでも寒く冷たくないように…と、消えてしまいそうなさんかくクンに、傘をさしてあげてマフラーをしてあげた。すみーは、目も鼻も口もどこにあるか分からなくなったさんかくクンの、手があったはずの場所をそっと撫でながら、ありがとう…またね~!って。 スノーさんかくクンと出会った時みたいな笑顔で。
「あっ!」
「…どしたのー?」
「今ね~、さんかくクン、笑った気がする!またね、って…」
部屋に戻ってから、ヒーターの前に座って一緒に手を暖めた。落ち込んでいるすみーを見てると…あったかいはずなのに、全然あったかく感じなかった。窓を叩く雨音だけが乱暴に響いていた。
「かず、ありがと~」
急に呼ばれて、咄嗟に返事ができない。
「オレね…スノーさんかくクンに、ちゃんとバイバイできてよかった~!」
「うん…」
「じいちゃんには…できなかったから…」
困ったように笑うすみーが切なくて、思わずぎゅっと抱きしめた。
何も言えなかったけど…鼻をすする音をごまかすように、二人で笑い合った。
ずっと抱き締めながらすみーの背中を撫でてたら、急に重くなった。…疲れちゃったみたい。ソファに寝かせてブランケットをかけると、うとうとしながらすぐ寝てしまった。
「ゆっきー、ちょっといい?」
二日後のよく晴れた朝。中庭には雪が無くなって、意味のない傘とべたべたに濡れたマフラーが円を描いていた。やっぱり少し寂しそうな顔のすみーが、マフラーを拾い上げた時…。
「あぁーーっ!!」
重かった足取りは嘘みたいに、ドタバタと靴も揃えずに部屋の中へ入ってくる。
「かず!これ、みてー!」
あったかい手のひらに、ちょこんと乗っている白いさんかくのマスコット。
「スノーさんかくクンだ~!!」
「えっ!?なになに~?」
「スノーさんかくクンがいたところにおちてた~!!」
すごい、すごーい!!と、はしゃぐ姿にホッとして、こっちまで笑顔になる。
「かず、オレね、このスノーさんかくクン…ずっとず~っと、宝物にするね!」
……あっ…今…、笑った気がした。
おいかけっこ、かくれんぼ
「すみー…あれ?」
週末の午前中に中庭に行くと、探している姿が見当たらなかった。今日はけっこうみんな用事があって出かけてて、いつもより寮は静かで少し寂しい。でも、日差しはキラキラ暖かくて花の香りがしそうなほどふんわりとした風が吹き抜ける様子は、まったりと春を連れてくるみたいで好きだ。
「んー…」
中庭に確かにすみーがいた形跡が残ってる。猫と遊んでたのか地面には短い木の枝や草で作られたサンカクが作られてて、石畳のところにはさんかくクンの絵が描かれている。ベンチの上に置きっぱなしになっているチョークを手に取り、一人じゃ可哀想だから隣にさんかくクンを書く。あとでフルーチェさんに怒られるかも…っていう考えも一緒に塗りつぶしちゃって。
「すみー、いる?」
置きっぱなしのチョークを持って、203号室の扉をノックする。返事がないからドアを開けるとやっぱり部屋にはいなかった。ちょっと失礼しま~す、と呟いてからテーブルの上にチョークを置いた。テーブルに広げられたスケッチブックにはクレヨンでさんかくクンが大きく描かれていた。すみーは絵を描くのが好きだな~って微笑ましくなって笑みが溢れる。好きな人と好きなことが一緒なのは素直に嬉しい。やっぱり、さんかくクンは一人じゃ可哀想だから、隣にもう一人。今度は、怒られる心配もないから安心。
「…すみー…?」
談話室に行くと、つむつむがオレを見てふふって笑っていた。理由は分かんないけど何かオカシイのかなってキョトンって顔をしていると、柔らかい笑顔で教えてくれた。
「三角くんも探してたよ」
ぶわっ…と花が咲くみたいにあったかい気持ちが満たされた瞬間。
「あ~っ!かず、みつけた~!」
「うわぁっ!?」
えへへ~って背中にくっつく笑顔につられる。満たされた余韻に浸る間もなく、手を引かれて中庭へ走り出す。描いたさんかくクンを見せてくれた時、ビックリしたのはオレじゃなくてすみーの方だった。
「さんかくクンに、お友達ができてる~!」
「オレが描いたんだよん!」
「ほんと~?」
ありがと~!って咲いた笑顔。申し訳ないけど…庭の桜よりも大好き。
どういたしまして、を伝える前に、また手を引かれて連れて行かれる。思ってたとおりスケッチブックのさんかくクンを見せてくれて、さっきと同じように驚いて喜んでいた。
「さんかくクンたち、なかよしさん~!」
「オレとすみーみたいだね」
「……ちがうよ~?」
仲良しだと思ってたのはオレだけだったらしく、ショックで黙ってしまう。
「かずと、オレは…ともだち?」
「えっと…」
「……こいびと、じゃないの…?」
確かに…前に好きだって伝えて、好きだって返ってきた。でもそれ以上、確かめ合うのが怖くて…ずっと曖昧なまま過ごしてきた。まだ、すみーには分からないかな~?なんて失礼なこと決めつけて、臆病な自分を正当化する優しさで上から塗り固めた。不安気に揺れる瞳は、散ってしまった後みたい…。
最初っから…すみーはちゃんと全部分かってて、しっかり向き合ってくれてて、オレのこと、そういう意味でちゃんと好きでいてくれてたのに…。
「ちゃんと…恋人、だよ…」
繋いだ手から伝わる熱…さっき抱きつかれたよりも、熱い。
「よかった~…」
もう一度、咲いた笑顔からは朝露が零れる…。
「すみー…大好きだよ」
初めてのキスは、手を繋いだまま。
追いかけて、探して、見つけて、つかまえて。
酔った勢いで
じっとりと体にまとわりつく汗の気持ち悪さに起こされる。まだ、ぼやけている視界に入ってきたのは昨日と同じ天井。布団から引き摺り出した体は酷い頭痛と吐き気に襲われながら散らばった服を集める。視線を下ろすと嫌でも目に入るのは似合わない跡を頬に作ったいつもより幼い寝顔。
「……はぁ…」
前髪をかき上げて溜め息を添えれば……絶対になりたくなかった大人の、できあがり。
昨夜、酔った勢いで……大好きな人を…すみーを、傷つけた。
「あっ、一成さん! おはようございます!」
洗面所で顔を合わせたサクサク。いつもどおり眩しいぐらいの何も知らない純粋な笑顔を向けられる。今のオレには一番ダメージが大きい。平静を装って返した朝の挨拶は、一日の始まりに不穏な空気が流れるほど震えていた。体調を心配する声に、昨日ちょっと飲み過ぎちゃって…と、笑いながら付け加える。水を持ってこようとする優しさを大丈夫だと断りながら、テキトーに部屋から持ってきた着替えと共に脱衣所へ向かう。
「はぁ…」
本日二回目の溜め息はシャワーの音にかき消された。それでも自分の耳にはハッキリと聞こえていた。何秒、何分、頭に水を浴びても、流れていく水のようには昨日の過ちは流せない。同じ寮内で暮らしてたら嫌でも顔を合わせることになる。なんて……言おうかな…。酔った勢いで、若気の至りで、どれも違う。合ってるけど…違う。そんなことが言いたいんじゃない。じゃあ、ごめん…? 普通は謝るのが先だよね…。けど、謝ったら…気持ちまで嘘みたいじゃん…。
「…っ」
なんで、どうして、こんなこと…。頭の中を満たした後悔が溢れだす。オレは止め方を知らない。謝ることしかできない。謝ることしか許されていない。早く、今すぐに、この気持ちを流そう。無かったことにしよう。それで謝って酔った勢いで…若気の至りで…本当に本気でごめんって言ったらすみーは許してくれる。優しい子だから。そんな優しさを利用して…傷つけて…。
「ははっ…最低……」
渇いた嗚咽が、自業自得だと嘲笑うように……風呂場に響いた。
「おっ、おはよう」
セットもしてないパサパサの髪のまま談話室の扉を開ける。今日、帰省する予定のおみみが朝食を準備してくれていた。ヘタクソな笑顔で返したおはようは完璧に作られた朝食を羨ましがる。正直、お腹は減っていない。けど、何か、お腹に入れて誤魔化さないと溜まったモヤモヤが口から出てしまいそうで…。
食べ終わった後、作ってくれたおみみには申し訳ないほど何もかもが満たされなかった。きっと美味しいはずの料理も、味が全くしなかった。これ以上、口に突っ込んでも今の心情を再確認させられるだけ。それなら、他のみんなに食べてもらった方がいいと思って。
今日は、一日ずっと出かけるつもり。オレの部屋にはまだすみーが寝てるだろうから入れない。謝りたいけど…タイミングが分からない。まだまだ沈む様子のない元気な空を見上げて、一つため息をつく。見る景色も進む時間の早さも、すみーと一緒に歩いた時とは全然違う。それは、もう二度と味わえない感覚かもしれないけど。
「…ただいまー…」
日付が変わる前に帰って来た。そのまま、洗面所に向かった後、自室へ。202号室の扉を開けても誰もいない。むっくんが昨日から帰省しててよかった。だから…この部屋に呼んで、あんなこと…しちゃったんだけどね。何もかも自分が悪いのに、むっくんも悪いみたいな考え方をする自分に腹が立つ。ごめんね、と呟いてから机に向かった。もうすぐ今日が終わる。オレは明日から帰省することになってるから、今日を乗り越えたら…すみーは、しばらくオレの顔を見なくていい。実家に帰ったら、LIMEで謝ろう。それでいいかな…? ちゃんと顔を合わせて謝った方がいい? でも、すみー…今は、見たくないでしょ…オレの顔なんて…。
「……っ、ごめん…すみー…」
……なんで? …泣きたいのは、すみーでしょ……。
落ちる涙は染み込まず、弾いたまま机から消えてくれない。それでも、ベッドで寝て布団に染み込んで消えてしまうよりマシだった。無かったことにはしたくない。オレもすみーも、まだ、酔ったせいにして全て流して、忘れてしまえるほど……大人じゃないから。
「……かず、起きてる…?」
いつもと違う控えめなノックが部屋に響く。咄嗟に声が出なくて、返事をする前に扉を開けてしまった。少し驚いた様子のすみーは、かずに…話があります。って、震えた声で俯いていた。…オレも。そう返すのが精一杯で、二人で無言のまま、部屋の真ん中に腰を下ろした。
「かず、今日は……ずっと、おでかけ…してたね」
「買い物、してて…さ」
「そっかー…」
時計の針って、こんなに、ハッキリ聞こえてたっけ…?
「あのね、かず……き、昨日…」
「ごめん」
「えっ…?」
「昨日は、すみーに…あんなことして……本当にごめん…」
「…覚えてるの? かず、酔っぱらいだったけど…」
「うん、覚えてる……だから、えっと……」
「……すきって、言ったのも…っ、ほんと…?」
「すみー……うわっ!」
見えるのは天井を背にしたすみー。オレの頬には大粒の雨が降る。何の抵抗もできずに押し倒された。状況が飲み込めずに目をパチパチさせることしかできない。
「オレ、かずのことっ…こうやって、できるよ…」
「えっ…? あぁ……うん…?」
「前やったみたいに、ぐーって…持ち上げることも、できるよ!」
「……すみー…」
「本当に、っ……いやだったら…やだって……できるよ~…っ」
泣きじゃくる体を抱き締める。羨ましいぐらい広い背中と肩幅、逞しい腕。こんなこと分かってたはずなのに。もっと、もっと早く謝ればよかった。期待させて、あんなことしておいて…朝起きたらいないなんて…マジで最低じゃん…。
「…ん、ごめん……ごめんね、すみー…本当にっ、ごめ……」
「かずの、ばか!」
「ホントにね…」
「…今日ね…一緒に寝てくれたら、いいよ」
「うん、ちゃんと…すみーが起きても隣にいるって、約束する」
「…えっちは、だめ~!」
「わ、わかってるって! また…帰ってきたら、ね…?」
「えへへ……待ってる~!」
梯子を上った二人を待っていたのは、後片付けだった。昨日の生々しさを思い出して変な雰囲気になる前に素早く済ませ、布団にもぐり込んだ。何度も何度も名前を呼んで好きを繰り返す。お互いの声も体温も柔らかくて心地いい。重くなってきた瞼にキスをして、どちらからともなく重なる唇。
「今日のちゅうは~、昨日より、すき!」
「ふふっ、オレも」
「お酒の味、しないから~」
「あー…ごめん」
「かず、ほんとに、覚えてるの~?」
「ちゃんと覚えてるって!」
「…じーーっ…」
「えっ、じゃあ……試してみる?」
「……っ! かず、えっち~!」
「そりゃ、すみーだからね」
少し照れたすみーの笑顔を見つめながら、今度はもっともっと優しくするね、と約束をしてから眠りについた。
目覚めた時、隣にいる恋人の、寝顔の愛しさを楽しみにしながら。
悪趣味を布団で隠して
むっくんがくもぴと一緒に寝る約束をしてたみたいで、部屋に一人っていうチャンスが一緒にすみーを連れてきた。いつも寮にいる時は周りを気にしてあんまりくっつけないけど、今日は違う。久しぶりに二人きりになれて嬉しいのか、すみーはオレが部屋のどこにいてもぴったりと隣でにこにこしている。
「かず、ちゅ~っ!」
んっ、と目を閉じると触れるだけのキスをされる。さっきから、もう何度目か分からないほどに。抱きしめられることもなく、たまに目を開けたままなことに気づかれることもなく、腕に添えられたきゅっと握られた手が、たまにオレの服を掴むぐらい。そんな…子供のまま時間が止まったみたいなキスも、唇が離れた後の柔らかくてふにゃふにゃの笑顔を見たら、大人にならなくても…いいかもって。
「すみー、お布団行こっか?」
「うん! かずと、いっしょに寝る~!」
ぴょんぴょんと軽やかに梯子をのぼる姿を見上げると、急かすように何度も名前を呼ばれる。全く寝る気配が無い様子に引っ張られながら布団の中へ入ると、ぎゅっと抱きしめられる。
本当に子供みたいで可愛い。けど……オレもすみーも、もう…大人だから。
「……んっ、…か、っ…」
触れたまま離れたくなくて、両手で頬を包み込む。驚いて名前を呼ぼうと開いた唇の隙間から舌を絡ませる。突然のことにどうしていいか分からない両手は、むすんでひらいて、みぎひだり。
「…っは、ぁ…」
「大丈夫?」
黙ったまま俯いて小さく頷く。さっきまでの元気は、潤んだ瞳のオレンジと頬を染める赤に変わる。頬に触れていた手を耳へ首筋へとゆっくりなぞると、目と唇をきゅっと閉ざす。
「……すみー…?」
優しく名前を呼ぶと、眉を八の字にさせて潤んだままの瞳と目が合う。
「ごめん…嫌だった?」
黙ったまま首を横に振るだけ。
「じゃあ、もう一回…してもいい?」
今度は固まったまま動かない。
「…すみー、ごめん…もうしないから…」
優しく頬を撫でて、おやすみと微笑みながら背を向ける。
もう、いつものことだから…嫌じゃないこともしてほしいことも全部分かってる。分かってるんだけど、すみーが可愛くて…可愛すぎて…ちょっとイジワルしたくなる。
背中から、拗ねたような泣き出しそうな…言葉にならない子供みたいな声が聞こえて、行き場を見つけた両手が回り込んでくる。指を絡めながら振り返ると、恥ずかしそうに目を逸らされる。
「…なーに…? すみー、寝ないの?」
「…っき、…て…」
「んー? さっきまで普通に喋ってたじゃん」
「かぁ、っず……やだっ…」
「やっぱり嫌?」
「違っ…かず、っ…いじわる…」
恥ずかしくて泣きそうな顔がすっごく可愛くて。それでもオレのこと好きなんだって……自分でも悪趣味な確認の仕方だと思う。ごめんねって思ってる。でも……やめられない。
「すみー……なに?」
「…っ、も…っかい……してっ…」
触れ合う唇の端が、満足そうに上がるのを知ってるのはオレだけ。
雨の日のこんにちさんかく
「うわー…最悪だわ…」
「今日は買い物行きたかったのに…」
「傘持ってかなきゃダメかなー?」
「買い出しも大変だな…」
窓にぶつかる雨音で目を覚ます。談話室では外と同じく、どんよりとした空気が流れていた。せっかくの休日は、やっぱり晴れてほしい。お気に入りの服と、お気に入りの靴で、お気に入りの場所に出かけたい。残念だなー…。
「かず、さんかく探しに、行こー?」
みんなのテンションとは真逆のすみーに誘われる。晴れの日ならいいけど……っていうか、すみーはこんな雨の日でも出かける気なの?せっかく見つけても、さんかく…雨で濡れちゃうと思うけど……。
「でも、雨降ってるよ?」
「…行きたくない?」
「行きたくないわけじゃないけど…晴れた日に行った方がよくない…?」
「うーん…かず、雨の日…きらい?」
「んー…あんまり好きじゃないかな~…」
「そっかぁ…」
ちょっと落ち込ませちゃったけど、こんな日に出かけて、すみーのことだから服とか濡らしちゃって風邪ひいちゃうよりマシかなって思った。
「じゃあ、行こー!」
……え?今のは完全に行かない流れだったじゃん!…っていう心の声も虚しく、玄関の扉を開けた時の雨音に掻き消される。雨の日には似合わない明るくて眩しい笑顔でオレの手を引く。
「ちょ、ちょっと待って!」
「…やっぱり、行きたくない?」
太陽みたいな笑顔に雨雲がかかったのを、見ていたくなくて……。
「雨、すごいね~!」
気づいたら…部屋着のまま、さんかくの傘をさして外にいた。
「この傘、いいでしょ~!」
「うん! カラフルで可愛いじゃん」
「かずのはね~、ちょっとオシャレなさんかく!」
「すみー、センスあるね~」
「ほんと~? さんかくセンス~」
いつもより聞こえにくい会話。いつもより遠い距離。空いてる方の手で、手を繋ごうにも…濡れちゃうからできないし……かといって相合傘は狭いし…。
…ホントに、すみーはなんで…こんな日にオレを誘ったんだろう…?
「かず、みて!」
指差す先でカタツムリがゆっくりゆっくり動いていた。すみーは、すぐ側にしゃがんで、こんにちは! と挨拶をして楽しそうに笑っていた。
「あっ! お花、咲いてる~」
「キレイな紫陽花じゃん」
「雨いっぱいで、ごくごく美味しい~って、ありがとーって思ってるかな?」
「ははっ、思ってるかも!」
発想が子供みたいに可愛くて……なんか、楽しくなってきた…。
「雨の日はね、お空を見上げたら~、いつもさんかく!」
…視界に入る傘は、いつだって楽しませてくれる…。
「公園のさんかくの中で、雨宿りしよ~!」
…雨の日は、誰もいないから貸し切り…。
「かず…雨の日、すき…?」
「すみーのおかげで、好きになったかも」
「よかった~!」
「でも、なんで…今日にしたの?」
「…みんながね、雨の日…きらいって言うから…。雨さん、かわいそうだなぁ…って思って…」
瞼を少し伏せて笑う横顔が切なくて…思わず、手を重ね合わせた。
「だからね、雨の日は~、すっごく楽しいよ~! って、お空から見えるように、ありがとう~って…伝わるといいなぁ…」
えへへ…って笑いながら握り返された手は、心が落ち着くほどあったかい。……もしかしたら、すみーには…ひとりぼっちだった雨の日があったのかな…雨の音ってうるさく聞こえるかもしれないけど…なんか、落ち着く気がする。すみーは…嫌なこと辛いことを雨で流してもらって…救われてたのかな…。
「かず」
もう一度、雨の日が好きか聞かれ、向かい合って額を合わせながら応える。
……響く雨音は、二人だけの世界に閉じ込めてくれた……。
さんかく取り
今日はいつもより早く目が覚めた。くもんが、いつものように走りに行ったのも知ってる。帰ってきて起こしてくれようとしたのも、知ってる。でも、ずっと、寝たふりをしていた。くもん、ごめんね。今日はちょっと、甘えたくて。
「すみー、起きてー!」
……ほら、来てくれた。これを、待ってたんだ~…。
梯子をのぼって近づいてくる音に少しだけどきどきしながら、寝惚けたふりをして、んー…って鼻にかかった声を漏らすと、すみー…起きて? って優しく布団を捲られる。目を開けると、オレの大好きな顔。今日は寝癖もおともだち~!
「かず、おはよー…」
あったかくて、ふわふわで、とろんってした…抜け出したくない時間。まだ、寝ていたくて…何度だって起こしに来てほしい。名前を呼ばれて、体を揺すられて、頬に触れられる。心地よくて、もう一度…寝てしまいそうになる。
「んー…なんか、オレも眠くなってきた~…」
「さんかく取りが、さんかくになっちゃったね~!」
「それ、ちょっと違うかも!」
二人で笑い合いながら、布団の中にもぐり込んだ。同じぐらいの体温なのに、布団の中はすごくあったかい。肌が触れたところから、じんわり熱が広がって混ざり合って一つになる。こうなったら、もう……抜け出せなくて。
「すみー…」
頭の上までかけられた布団は、大好きなかずを暗闇に隠してしまう。
……そのかわり、唇に一番ほしかった熱をくれた。
跳ねた体を落ち着かせるように握られた手は、流れるように指を絡ませる。小さく漏れるお互いの声と、体温よりも熱い吐息。苦しくなって吸った空気は、全部、かずのにおいがした。
「……っ、はぁっ…」
「…はあっ…はーっ…」
布団から顔を出して呼吸を整える。離れたくないのはお互いに同じで、くすくすって笑い声を耳に溢しながら、抱きしめ合った。まだ、朝ごはんも食べてないのに、胸がいっぱいで溢れそう…。幸せな二人だけの朝の時間。
「…そろそろ、起きよっか?」
「うん! 起こしてくれて、ありがとう~!」
もう一度だけ、キスをする。これは、ちゃんとした、おはようのキス。
「かず、おはよう…」
「おはよう、すみー…」
梯子をおりる二人分の音が続く。繋いでいた手は名残惜しく離れて、ドアノブに掛けられる。掛けられた手が動けなかったのは、オレの大好きな声で、名前を呼ばれたから。
「なにー?」
「…さんかく取りは、本当は……さんかくになりたかったのかもね~」
ピロートーク
浅く速かった呼吸が落ち着きを取り戻す頃、ケンカと仲直りを繰り返していた瞼は、もうすぐ…ちゃんと仲直りできそう…。布団と体をキレイにしてから、布団をかけて手を繋ぐ。
「…かずっ、」
いつもの身軽さとは程遠い体を連れて、胸元にぴたりとおでこをくっつけてくる。そのまま、すりすりと頬ずりをして満足そうな笑顔を見せてくれる。髪を撫でると、目と眉が遠くなって完全に目を閉じてしまう。
「かず…、おはなし……する…」
「…んー…すみー、もう眠いでしょ?」
「ねむ…っ、ねむくないよ~…」
全然説得力のない顔を向けながら、必死で目を開けようとする。べつに、すぐ寝ちゃうことを悪く思ったりしないし、怒ったりもしない。そんなにすぐ寝ちゃうほど…気持ちよくさせてあげられたのかなー? って……嬉しいよ…。満たされた、ほわんとした顔を見て、オレも…満たされてる。
「かず…、どくん…どくん……してる…」
「さっきまで、もっとドキドキしてたよん」
「オレ…いまも、してるよ……かずは、してない…?」
零れ落ちてしまいそうなほど、とろんとした目を見つめて…柔らかく笑う。
「……してるよん…」
愛おしさが溢れて、髪を撫でながら額にキスをする…。
「…おやすみ」
「あっ、まだ……かず、…んぅ~……」
ずっと半開きのままの唇に、親指でふにふにと触れる。眠くてぐずる子供みたいな声を上げて、ちゅっちゅ……って、何度も吸い付いて可愛い音をたてる。おしゃぶりじゃないんだけどなー…。
「んっ…ぅ、かず…っ」
ジャマな親指は抜いて耳に触れる。びくって小さく跳ねた振動が重ねた唇から伝わってくる。眠いのに、もう限界なのに、ごめんね…。でも、そんな可愛いことされて、キスしないわけないでしょ。まだ、そこまで大人になれてない。
「はぁ…、かず……だいすきぃ…」
ふにゃりと笑ったかと思えば、言葉を返す間もなく夢の中…。
「おやすみ、すみー…」
…オレも、大好き。もう、聞こえてないだろうけど。
けど、オレには…口を開けた無防備な寝顔が…少し笑った気がした。
あつくて、あったかい
寮の中が少しずつバタバタと騒がしくなるのを感じて目を覚ます。元気よく起き上がる寝癖と一緒に洗面所へ向かい、まだ少し寝ぼけた顔と対面する。
「すみー…おはよー」
「かず…おはよー…」
顔を洗ってもまだ瞼が重い眠そうなぽわんとした顔で、洗面所を出ていこうとしたすみーは、同じタイミングで入ってきたくもぴにぶつかった。
「わっ…」
裏返った大声をあげて焦るくもぴとは対照的に、すみーは小さく声をあげながら子供みたいに尻もちをついて倒れてしまった。何度も謝るくもぴを間延びした声で大丈夫と落ち着かせて立ち上がろうとする。その姿があまりにも不安定で危なっかしくて、咄嗟に体を支えるように抱きしめる…思ったとおり熱い。
「…すみー、熱あるでしょ?」
「んー…わかんない…」
洗面台に体重をかけさせて、前髪で隠れたおでこにスッと手を滑らせる。んー…と、鼻にかかった声で唸ってから、かず…おてて、つめたーい…なんて呑気なことを言いながらふにゃりと笑う。
「今日は…おとなしく寝てよっか…」
「でも~、うーん…」
「すみー…お願いだから、無理しないで寝てて?」
「んー…わかった~」
ふらふらした足取りで部屋に戻ろうとするのを、後ろから見守りながら一緒に部屋に向かう。この状態で梯子をのぼらせるのは危険だと判断して、床に布団を敷いてそこに寝るように促した。
「かず、ありがと~」
「それはいいけど…なんで言わなかったの…?」
「…わかんなかった…」
本当に分からなくて気づかなかったらしく、眉と潤んだ瞳を困らせる。…今まで、こういう時はどうしてたんだろう…。ひとりぼっちで、気づかないフリをしてて…そのうち本当に分からなくなったのかな…。誰にも言う必要が無いから、自分で気づく必要もなかったのかな…。
「かず…うつるから、もうお部屋…出てってもいいよ」
すみーは…もう、ひとりぼっちじゃないじゃん。こういう時は正直に辛いって子供みたいに甘えていいってこと。元気な時はそうでもないお粥がすごく美味しく感じたり、喉が痛い時のプリンが優しくて甘くて特別だったりすること。そっと握ってくれる手が、頬に添えられる手が、冷たくてあったかいこと…。今からでも遅くないから、すみーに知ってほしい。
「カズさん! 言われたもの…持って…きました…」
勢いよく入ってきたくもぴが、寝てるすみーを見てハッとしながらフェードアウトするように声を抑える。お礼を言ってから薬や体温計を受け取って、もうすぐテストらしいから、しばらくオレとむっくんの部屋で過ごすよう伝えて出ていってもらった。
「…かずは?」
「んー?」
「かずも、うつっちゃうよ~…」
「あっ、鳴った? 何度?」
「…さん、はち、なな」
「薬飲もっか…何か食べれそうなものある?」
布団をぐっと口元にあてて、心配そうな目で見つめるだけで何も言わない。いつも辛いときに、自分のことより誰かのことばかり考えてる。それが、優しいすみーのいいところだけど……今は、そういうの忘れてほしい。
「すみーは…オレが同じように熱だして寝込んでたらどう?」
「えっ? うーん…だいじょうぶかなーって、すごく心配だよ~…」
「じゃあ、そんな時にいっぱい甘えられたら?」
「頼りにされてるのかな~って、すごくうれしい~!」
「でしょ? オレも同じ。だからさ…」
…いっぱい甘えてワガママになってさ、こんな時ぐらい頼ってよ。
そっと髪を撫でる手をいつもより熱い手で握られる。そのまま、頬へ導かれて両手でぎゅっと掴まれた。柔らかくて熱い肌の熱が伝わって混ざり合う…。
「…かず、…つらいよぉ…」
泣き出しそうな熱がこもる震えた声に、安堵と嬉しさ、心配と同情、込み上げた複雑な思いに胸をぎゅっと締めつけられながら、額にキスを降らせた。
「おでこ、ちょっと冷たいよ~」
「…んん~~っ…」
「ごめんごめん、冷たくて気持ちよくない?」
「…きもちい…」
「そっか、よかった…何か食べれる?」
「さんかく、おにぎり…」
「ん、じゃあ作ってくるから待って…」
「…かず、は…ここにいて…」
浅い呼吸を繰り返しながら、自然に流れる涙でぐずぐずになった顔。指先で涙を拭うと小さく、うぅ~…と唸りながら握った手を離してくれない。
「うん…」
「おでっ、おでこに…」
「んー…?」
「さんかくクンっ、描いてっ…」
思わず吹き出してしまう。あまりにも可愛いお願いすぎて。
「いいよん!」
「やった~…」
額に貼られたばかりの冷却シートの上にペンを走らせる。貼る前に言ってくれればよかったのに。顔に落書きしてるみたいでちょっと申し訳ない気持ちになる。時々、とろんとした顔のすみーと目があって、軽く微笑むと目で笑い返してくる。
「ハイ、できたよん!」
「…見えない…」
「ちょっと待ってね~…こんな感じ!」
スマホで撮影したものをすみーに見せると、ありがと~…って言いながら満足そうにしていた。その後ちょうど、おみみが頼んでたおにぎりを持って部屋に来てくれた。お礼を言ってすぐ額のさんかくクンを自慢する様子に笑みを溢していた。もうしばらくすると、さんかくのゼリーが出来るから好きな時に食べていいと言われ、辛くて苦しいはずの空間は、笑顔で満たされた。
「かず…いっぱい、看病してくれて…ありがとう…」
「オレがしたくてしたことだから、すみーは気にしなくていいよん!」
「…かずは、やさしいね…」
「すみーだから、かな」
もう一度、髪を撫でると、額のさんかくクンとすみーにじっと見つめられる。
「あのね…かず」
「なにー?」
「かず、今日は…ずっと、ここにいてくれる…?」
「うん…いるよ」
「じゃあ…ずっと、熱でてたら…いいなぁ…」
えへへ…と、ふにゃふにゃした顔で笑いながら瞳の奥が濡れていく…。つられて目頭が熱くなる。いつもいつも、もちろん元気な時も、甘えてくれたら何度でも受けとめるのに…何も言わずに平気な顔してるのは、すみーじゃん…。
「…かずっ、どーしたの? な、泣かないで…っ」
自分で、自分が情けない。こんな時にしか甘えさせてあげられないなんて。
「ごめんね…すみー」
「…なんで?」
「ううん、ダイジョーブ! なんでもないよん!」
心配と不安を押し退けるようにさんかくクン達を布団の周りに並べる。今日は何も考えずにゆっくり休んでほしい。オレが看病したの…間違いだったかな。
「おやすみ…今日はゆっくり寝てて」
「かず…変なこと言って、ごめんね…」
「ううん…オレの方こそ…いつも頼りなくてごめんね…」
「…そんなこと、思ったことないよぉ…」
堰を切ったように流れる涙。今日は泣かせてばっかりだ…。
「かず、っ…ひとりじめ、したいって…」
「…えっ」
「おともっ、だち…いっぱ…っるから…っ、いつも、よていっ…」
「すみー…」
「…だっ、から…いちにち、ずっと…っ、うれしっ…うぅ~…」
泣きじゃくるすみーの隣に寝転んで、抱き締めながら背中をさする。ああ、もう…本当に情けない。勝手に深く考えて自己嫌悪になって、守りたい大切な人泣かせてるんじゃ全然意味ない。こんなに辛い時に辛い思いさせて……。
「ごめん…すみー…でも、言ってくれて…ありがとね」
「んっ…かず、っすき…」
「オレも、すみーのこと大好き…だから、お願いがあるんだけど…」
「なっ、なにぃ…?」
「予定がある時でも、一番優先したいのは…いつだってすみーだから…」
「かずっ…」
「だから、すみーがもう少し一緒にいたいって思ってる時は、オレも同じ気持ちだし……もっと、長い時間…一日中ずっと一緒にいたいって思ってる時も、オレもそう思ってるから…」
「んっ…かず、」
「どうしても無理な時は、ちゃんと言えるから……だから、ちゃんと…すみーの素直な気持ち、聞かせて…?」
少しでも落ち着けるように、腕の中で嗚咽を漏らす背中を撫でる。ゆっくり本来のペースを取り戻しつつある呼吸に合わせて、右手で背中にトン、トン、と優しく触れる。熱のせいもあって頭がぼーっとしてるみたいで、このまま寝てもいいように布団をちゃんとかけてあげた。
「かず…飲み会ばっかり……やだ…」
「えっ? あー…そっか…じゃあ、行かないようにするね」
「えっ……でも、行かないと…つきあい悪い~って…」
「んー、べつにそう思われてもいいし」
「だめだよ~…」
「ふふっ…すみー…どうしたいの?」
「あんまり、行かないでってこと…」
「うん…そうする。他には?」
「かず、お友達と旅行するから…」
「しないでほしい?」
「んーん、オレともしてほしい…」
「そっか…じゃあ、さんかくいっぱい見つけちゃお!」
「うん…! あと、さっきの飲み会も、オレとしてほしい」
「いいね~!」
「オレ、飲んで飲んで~って、できるよ! あずまに、教えてもらった」
「あんま飲ませないでね~」
それとね、そえと…って舌足らずになってきたのを合図に、もう一度そっと抱きしめる。薬が効いて少し体温が下がったらしい。泣き腫らした目を閉じて、まだ睫毛が乾かないうちに寝息が聞こえてきた。
これからも、こんな風にお互いに、不器用ながらにさらけ出して、思ってることを言ったり聞いたりできたらいいな…。
「おやすみ…」
瞼にキスを落とすのを、額のさんかくクンだけが見ていた。
おふとんどろぼー
いつの間にか過ぎ去った夏は思い出に浸る間もなく、ある日突然、一日の始めと終わりに涼しい空気を送り込んでくる。きちんと布団をきていても部屋着が夏の装いのままじゃ寒いとさえ感じる。
キラキラ眩しい夏まみれだった街も、急に落ち着いたカラーで大人になる。少しさみしい気もするけど、季節のイベントごとに、まるで違う部屋みたいに色を変えていく談話室。それをみんなで見るのが、すごく好きだったりする。
「かず、おはよう」
洗面所で出会ったすみーに、朝のあいさつを返す。まだ少しだけ眠そうで、いつもよりもとろんとした目が子供みたいで可愛い。顔を洗って蕩けそうな目を瞑りながら、ふわふわと動かすハロウィンが待ちきれないみたいな両手に、タオルを渡してあげる。
「ありがとー!」
「タオル用意してから洗った方がいいよん! 前も言ったじゃ~ん!」
「んー……いつも、忘れちゃう~」
「夏はいいけど、もう秋だからね~…服、濡れちゃって寒いよ?」
「……かず、寒いの?」
「日中はそんなことないけど、最近は夜とか寒いね~って、むっくんと話してるよん!」
「そうなんだぁ~」
まだ、今年の秋を知らない様子のすみー。もともと体温が高いし毎日走り回ってるし、汗かいて帰ってくることもあるもんね。さっきよりも目が覚めた顔だけど、ピンとこないのか手を止めたまま瞳をぱちぱちさせている。タオルを受け取って、拭き取れてない水滴にぽんぽんってすると、いつものように、えへへ~って笑いながら、ありがとうをくれた。
そんな朝の温もりを忘れてしまうほど、今日は肌寒かった。大学でも寮でも、寒いって言葉が飛び交っていた。天気予報のお姉さんも昨日より厚着で、季節の流れを感じる。でも、悪いことばかりじゃなくて。できたてのおみみのご飯があったかくて、より美味しかった。いつも美味しいんだけどね。
「……えっ?」
湯冷めしないうちにもぐり込もうとした布団が、部屋に無かった。敷き布団だけが寂しそうに敷かれている。ワケが分からず困惑しているオレを見たむっくんが言った。お布団なら、さっき三角さんが持っていきましたよ? って。
「すみー!」
「あっ! かず、きた~!」
203号室の扉をノックしてから開けると、オレが来るのを待っていたかのような嬉しそうな声で迎えられる。くもぴと顔を合わせながら何やら楽しそう。話が終わったかと思うと、くもぴはお布団を持って部屋を飛び出した。状況を飲み込めなくて立ったままでいると、ベッドからぴょんって下りてきたすみーに手を引かれる。
「かず、一緒に寝よう?」
「えっ? あー…だから、オレの布団…持ってきちゃったの?」
「そうだよ~」
「くもぴは?」
「くもんは、むくのところに行ったよ!」
まだハロウィンは先なのに。イタズラとも呼べないような優しいイタズラに、思わずクスッと笑ってしまう。むしろ、お菓子をあげてもしてほしいぐらい。
「一緒に寝たかったなら、フツーに言えばよかったのに」
「かずが、寒いって…言ってたからだよ~」
「そっか…ありがとねん!」
自分の布団を捲るすみーの手を、今度はオレが引っ張る。わっ、と上げた声も一枚の布団にまとめて包み込むと、胸元におでこを押しつけながら控えめに回される腕の重みが愛おしい。
「…やだって、言われたら……どうしようって思ったから…」
ぽつりと、聞き逃してしまいそうなほど小さな声がした。そんなこと思ったこともない。けど、オレの何かが、すみーの心に不安の種を蒔いて育ててしまった。最近、課題で少し忙しくしてたからかも。理由は何であれ、なんて情けないんだろう。一つ大きく呼吸をして名前を呼ぶ。
「すみー…寒くない?」
「……うん、ごめんね…」
「こういう時は、謝るより嬉しい言葉があるんだよん」
「うーん……なーに?」
「すみーも、よく言うよね~」
「……かず、だいすき…?」
愛しさが込み上げて堪らなくて、思わず唇に触れた。名残惜しそうに離れた後、見つけたのは秋色に染まった街並みに溶け込んで、見失ってしまいそうな揺らめく瞳。こうやって、オレがちゃんと探して見つけて、つかまえておかなきゃいけないのに。
全然、子供なんかじゃない。オレ達はちゃんと大人で……だから、同じような色がいくつも重なってできてるみたいに複雑で難しい。失敗しないで描くのも、誤魔化して色を重ねすぎるのも、よくあること。消せない黒いモヤモヤができてしまった時は、どんどん広がってしまう前に、話を聞いて抱きしめて、涙で一緒に薄められたらいいな。
「……すみー、大正解~!」
「よかった~! どきどきした~!」
ふにゃりと優しく笑った顔は、肌寒さなんて忘れるほど、あったかい。
布越しでも体温が分かるほど密着して抱きしめ合う。黙ったままお互いの鼓動と呼吸を感じて目を閉じると、不思議なほど安心する。
重くなっていく瞼に抵抗せず、されるがままに眠りにつこうとした時、ふわりとした意識の中で思い出す。
朝晩は特に冷え込むでしょう。
天気予報は、あたらなかった。
かずとはんぶんこ
週末の夕暮れ時、きらきら眩しい笑顔を隣に連れて、賑やかな街を歩く。平日よりも人が多くて歩きにくいけど、声が聞こえるように距離を縮められる。ざわざわといくつもの音が重なってても、大好きな声は…はっきり聞こえる。
「かず、みて~! おにぎり屋さん!」
スッと伸びた人差し指の先には、小さなお店で小さなサンカクを売る店員さんが見えた。ぱあって嬉しそうに笑う、すみーの口元にはもっと小さなサンカクが見える。けど、すぐに隠れちゃって……。
「でも、ご飯…食べられなくなっちゃうかも~…」
「あー…ご飯食べるって言っちゃったもんね~」
「食べられなかったら、つづる、すねちゃうかも~…」
拗ねませんよ! ガキじゃあるまいし… って、反論する顔を想像しながら、すみーの優しさを向けられたことに、ほんの少しだけ嫉妬する。嫉妬っていうか…なんか、欲張りになっちゃうんだよね…。
「じゃあ、一個だけ買って、はんぶんこしよっか?」
「うん! そうする~!」
かず、ありがと~!って柔らかい笑顔を向けながら買いに行く姿に、危ないから前みて!ってジェスチャーを送ると、並んでいる人にぶつかりそうになって謝ってる姿に変わった。本当に、いろんな意味で目が離せない。
「買ってきたよ~!…んー……うまく、半分にできるかな~…?」
「じゃあ、オレが分けるよん!」
「おねがいしまーす!」
おにぎりを渡して両手が空いたすみーは、手を動かして揺れながらワクワクしてて、失礼かもしれないけど…ちょっと犬みたいだった。
「はい、こっちがすみーのね」
「ありがとう~!」
「ちょっと、サンカクじゃなくなっちゃったけどね~…」
半分にしたおにぎりは、半分とは言えないぐらい差があった。もちろん、オレだってお腹空いてるし食べたくなかったわけじゃない。それでも、オレの中では、大きい方をすみーにあげることは最初から決まってたこと。これは、優しさとかじゃなくて…なんだろう?…きっと、好きだから。好きだから…自然にそうなっちゃうんだと思う。
「……かず、持ってて!」
半分にしたおにぎりを返されて、すみーはもう一度おにぎりを買いに行った。……うーん、サンカクじゃなくなっちゃったの…そんなに嫌だったんだ…。ゴメンねの気持ちでいっぱいになる。貰われなかった不格好なサンカクを見て、鼻の奥がツンとする。中身はそんな辛いやつじゃないのに。
「おまたせ~!」
はい!って…元気よく渡されたのは、半分にされた不格好なサンカクおにぎりだった。
「こっちが、かずのだよ~!」
「えっ? うん…ありがと」
「オレにも……優しい気持ち、お返しさせて…?」
かずは、いつも、オレにくれるから~! そう言いながら、お互いのおにぎりを半分ずつ交換する。右手には少し小さいサンカクおにぎり。左手には優しさがくっついて不格好になっちゃったサンカクおにぎり。目の前には、大好きな笑顔と小さな小さなサンカク。
「…あはっ、すみー…一人一個になったら意味ないじゃ~ん!」
「はっ! ホントだ~…しょぼーん……」
「でも、マジでめちゃ嬉しい!」
「本当に~? てんあげ~?」
「うんうん! マジもう、テンアゲサンカク~!」
「やったぁ~!」
さっきの嫉妬が恥ずかしいぐらい、真っ直ぐにお互いだけに向けられた優しさを頬張る。ゆらゆらと揺れる秋の夕暮れと、季節外れのあたたかさを感じて。
夜の街へ
「…すみー、ちょっと出かけない?」
今からー? って、少し驚いた顔と目が合う。もう、ご飯も食べてお風呂も入って…いつ寝てもいいっていう時間。どこへ行くのかも聞かずに、部屋着の上に薄手のコートを羽織って靴を履く準備をしている。オレより先に玄関の段差を下りて、低くなった頭を優しく撫でる。……髪はちゃんと乾いてる。けど、風邪引かないように気をつけなきゃ…。
「……かず、どこ行くの…?」
「んー? ちょっとね~…」
コンビニに行くのかと思ってたのか、お菓子を買おうと嬉しそうな笑顔が少しずつ消えていく。電車と一緒に揺れる瞳は、不安をうつす。何も言わないオレを気遣ってか、車内ではずっと俯いたまま黙っていた。
「ここで降りよ」
「えっ、うん…」
知らない街の、知らない駅。人もほとんどいなくて、すごく静かだった。駅を出て五分ほど歩くと小さな公園が見えた。灯りも暗くて、誰もいなかった。砂を挽く、オレ達の足音しか聞こえなくて……ベンチに座ると、それすらも無くなった。
「かず…?」
「んー?」
「…かず、怒ってるの…?」
「えっ? あー…ごめん。怒ってるみたいだよねー…」
……何をやってるんだろう。こんなに不安にさせて。恐がらせて。
「だいじょうぶ…?」
「うん…ごめんね。勝手に連れ回して…」
「ううん、いいよ…」
強張った顔が少し解れて、絡める指が固く結ばれる。その上から、温めるようにもう片方の手で包み込む。すみーも同じようにしてくれて…じんわりと伝わる熱が混ざり合う。
「お星様、きれーだね~!」
「ホントだー、めっちゃキレーに見える!」
見上げた空は、明日の晴れを約束してくれる。
「…すみー、ごめんね…」
「んーん……かずと、二人だけで…嬉しいよ~…」
思わず、無防備な頬にキスをした。
星空じゃなくて、こっちを向いてほしくて。
「かず…」
手を繋いだまま、唇を重ねる。人気が無いとはいえ、ここは外なのに。外でこんなこと…しちゃダメなのに。吐く息の熱が伝わるほど…何度も、何度も…。まるで、ここには…オレとすみーの二人しかいないみたいだった。寮で部屋に二人きりでいるよりも、そう…強く感じた。
「っ、はぁ……かず、ここ…お外だよ…?」
「ん…ごめん…ごめんね…」
冷たく吹く風が、頭を冷やせと耳を掠める。
「…でも、いいよ~…!」
奪われた体温を取り戻すかのように、回された腕は体をぴたりと密着させてくれた。聞かせたくないのに、耳元で漏れてしまう浅く短い呼吸、勝手に震えてしまう体。お互いに鼻を啜るのは、寒いからなのか、それとも……。
「……帰ろっか…」
帰りの電車は、最後の電車だった。唇を離して、体を離して、絡めた指も離れ離れ。俯いたままなのは、行きと一緒だった。
二人ぼっちになりたかった。寮で暮らしてると、どうしても…周りが気になって。部屋に二人しかいなくても、二人きりじゃなかった。二人だけで旅行をしたり、もう大人なんだからホテルにだって行けばいい。そんなことは、分かってる。キスだって、それ以上だって…何度もしたことがある。けど、今日は…ちょっと……何も、考えられなくて…。
「かず、ちょっと来て~!」
電車を降りると見慣れた街だった。数分もすれば寮に着く。今日のことを、なんて説明しようか考えが纏まらないうちに、冷たくなってしまった右手を引っ張られた。
「とうちゃく~!」
草木をかき分けて出てきた場所は、さんかく探しの途中で見つけた、猫たちの溜まり場だった。
「…猫ちゃんたちと遊ぶ?」
「ううん、違うよ~」
「じゃあ…」
「かずと、もうちょっと…二人でいたかっただけ~」
月明かりに照らされた柔らかく微笑む姿は…あまりにも綺麗で……。
「……っ、」
繋ぎ止めて、自分だけのものにしたかった。
それは、きっと、オレだけじゃなくて……。
「……ただいま~…」
おかえりが帰ってきたのは予想外で、起きていたアズーにどこへ行っていたのか聞かれた。ちょっとコンビニに行ってただけだと誤魔化すと、随分…大変なところにあるんだね。と、笑顔で返された。
洗面所の鏡にうつったオレとすみーの服は、木の葉まみれだった。