こんな苦味も口に含めば うちの主は、甘党だった。
当番制で回っている近侍の日はいつもよりも少しだけ早く起きてしまう。
なんとなく前日からそわそわして、布団に入ってもなかなか寝付けなくてゴロゴロしていると、眠りが浅い清光に大抵「早く寝ろよ!」なんて怒られてしまうけど、僕が近侍を楽しみにしているから寝付けないのを知っているからあまり強くは言われない。時々話を聞いてもらっているうちにウトウトして翌朝「なんでお前のほうが先に寝るんだよ」なんて理不尽に怒られるけど、それでもその日は起きたら近侍だから僕の機嫌はすこぶるいい。
「ったく、安定は落ち着きがないんだよ。いっつも近侍の前はそわそわそわそわして。こっちまで気になるくらいなんだからさぁ」
「しょうがないじゃん。楽しみなんだから」
僕が起きると結局つられて清光も少しだけ早く起きて、いつもはしないけど僕の髪型も整えてくれる。
主の御前に上がるのだから、と。
言ったことはないけど、僕の髪を梳く清光の手は結構好きだ。櫛を持つ同じ手で刀を握るのに、こんなにも握るものが違うから。まるで人間のような、その違いに、今は刀ではないのだと実感できるから。
僕は五振り目に顕現した、二本目の打刀だ。
まだ誰もかれもが人間の生活にも戦いにも、主にもお互いの刀剣男士にも慣れていない時を一緒に過ごした。まだ清光も、他の新選組の刀も居なかった頃、新選組で一番最初に顕現したのは僕だった。
初めて物を食べた時は緊張したし、それがどうなっていくのか想像つかなかった。腹に入れれば入れるだけ膨らんで破裂してしまうかと思ったし、食わなければ軽くなって干からびるのかと怯えたこともある。
最初の頃はみんななにを食べても怯えるから、まず主が食べるのを見てからみんな恐る恐る同じように口に運んだ。今にして思うと不思議な光景だ。和泉守なんかは最初からなんでも口に入れるほうだったけど、清光はとてもじゃないが一振りで食事が出来なかった。誰か付きっ切りになるとなったら、初期刀の次に顕現した打刀でさらに旧知の仲ということで当然のように選ばれて二振りでいつまでも食事をしていたものだ。
みんな内番や出陣で朝食が終われば居なくなってしまうけど、主は必ず時間が許す限り側にいてくれた。後から思えばあれは主の側に居たかった清光の悪知恵だったのでないだろうか。
今思うと可愛いものだけれど、小さな喧嘩もたくさんしたし、どうでもいいことに僕たちはよく怒ったけど、今は仲間も増えて人間の身体にも慣れ、それなりに安定しているし仲もいいし、毎日が楽しい。
その楽しい毎日の中でも近侍は楽しみの上位である。主の傍にずっと控えていられるし、いろんな刀たちの見送りや報告を聞くのも嫌いじゃない。
でもそれが一番の理由ではない。なぜなら、僕は、主の秘密を握っているのだから。
*
「今日もおでかけしたいな~」
僕のあからさまな猫なで声に、がっつり嫌そうな顔を向けてきたのは僕の主だ。ただし、顔はこっちに向けたけど、手はずっとキーボードをたたいている。変なところが器用だなぁなんていつも思う。
「いつもの戸棚に煎餅入ってるよ」
「それ平安刀たちの置き土産でしょ。自分が食べないからって人に回そうとして」
そういいながら頼まれたファイルの整理をやめて戸棚から胡麻煎餅を取り出した。僕は煎餅は嫌いじゃない。主も嫌いじゃないだろうけど、彼にはそれよりも好きなものがある。
「主、今日の夕飯どちらがいい?」
「骨喰、部屋に入るときは開ける前に聞く」
「主、入っていいか」
「もう入ってるじゃん」
呆れたように骨喰に突っ込むのを諦めた主は、骨喰が持ってきた用紙に目を通す。肩口から僕も覗いてみると、夕飯のそばの出汁の種類の希望表だった。骨喰はここの三振り目なので、この三人でいると気安い雰囲気がすぐに漂ってしまう。
「こういう折衷案、相変わらずよく考えるよなぁ。給食みたい」
「給食ってなに? 美味しいの?」
「給食って、こう、学校っていって寺子屋みたいなところで出されるお昼のことだよ」
「俺は関西風にした」
「僕どっちにしようかなぁ。関東風、結構好きなんだよね」
「俺久しぶりに関東にしよう。すっごいハマってずっと関西出汁にしてたんだよな。俺もあの濃い味が久し振りに恋しいな」
用紙にホチキス留めされていたシールを二人分関東風に貼って、骨喰に手渡す。返事はなく、少しだけ頷いた骨喰の目が僕と合った。
「出かけるか?」
「うん。行こうよ。それ渡したらもういいんでしょ?」
「ああ」
「おいおいおいおい、お前たち。主はお出かけするって言ってませんよ? 犬でも飼い主の意見は待ってくれるぞ? 俺の意見を聞いて、ねえ」
そんな主を僕と骨喰は無視をして煎餅を手に取った。
*
主の私室兼仕事部屋にはいつも短刀用という名目で菓子が常備してあった。僕が顕現した時からずっとだ。飴だったり、ラムネだったり、小さなものから、小分けにされたファミリーパックと書かれたものまで。畑当番の合間に、近侍の小さな頼まれごとのついでに、夕食前の小腹が鳴った時、一瞬の隙をついて刀種関係なく差し入れられるソレに僕たちは多かれ少なかれ好意的だった。
だけど、この事実に一番最初に気が付いたのはきっと僕だ。
僕たちにお菓子をくれる時、すでに主はその口の中にお菓子を含んでいるのだ。
僕たちのため、と称して主は色々なお菓子を大義名分の元買って、心の慰めにしていたということに。
単に、主の楽しみのためだった。
「主、甘党なの、どうして隠してるの?」
そう近侍の時に聞いた僕の顔を見返した主の顔は、本当に面白かった。
目が跳び出そうなくらい剥きだして、「違う」の「ちが」まで言っておきながらその声は勢いよく萎んで行き、聞こえなくなったと思ったら両手で顔面を覆ってしまった。隠れなかった形のいい耳はかわいそうなことをしたかと思うくらい真っ赤だ。色白なので、赤味が目立つ。
「え、聞いちゃいけないことだった?」
「別に……いけなくない……。いつか誰かが気付くと思ったんだけど……。まさか、切国より先に安定に言われるとはなぁ……」
「え、気付いているんじゃない? 僕は気付いたから直接聞いたけど、他の誰かに確認してないからわかんないなあ。切国と前田ならわかってるんじゃないの? ていうか、なんで、そんな、恥ずかしがらなくたっていいのに」
「いや、別にお前たちにどうこう言われるとは思ってないんだけど、いいの。色々あったの」
そういって、深く息を吸って吐いて僕の顔をまっすぐ見た主の表情は、いつもの冷静さというか、仮面をかぶったように白くて動かない顔に戻っていた。お菓子を食べる時は少し膨らむ頬が、彼が生きた人間で伸びる皮膚を持ち食べ物の嗜好があるのだということを僕たちに教えてくれているみたいで僕はとても好きだったのに。
彼がふとした時に見せる「色々あった」の部分はきっと今は話してくれない主の心の柔らかい部分の話なのだろう。彼が好んで口にする柔らかい麩菓子のような。口に入れたらすぐになくなる綿菓子のように、柔らかいものなのだろう。ただし、それはずっと小石のように口の中に残っていて、彼の口を噤ませてしまう。
「僕は気にしないよ」
「うん、お前ならそういうよね。俺、お前のそういうところが好きだよ」
「僕はお菓子を食べてる主が好きだよ」
「そう? なにがいいんだ、そんなもの」
そういって困ったようにくしゃりと笑った。
僕は、その顔が、いつも好きじゃなかった。切国と喧嘩してるとき、政府からのよくわからない手紙が来たとき、刀装の付け忘れがあったとき、誰かが重傷になったときに見せる、その強がりみたいな顔。僕は嫌いだった。
「もっと堂々と食べればいいじゃない。甘いものくらい」
「いやいや、別にそれがしたいわけじゃないからさ。仕事の間に摘まむのが癖になってるだけだよ」
「嘘つき。そんなわけないじゃん。いっつも置いてあるお菓子違うもん。新作もすぐに買ってるし」
「お前もよく知ってるな……」
「食べに行こうよ。甘味屋」
「は?」
「どうせ煮詰まってるんでしょ? 気分転換しよ」
「いやいやいや、なに言ってんの安定?」
「出かけるのか?」
「「うおっ!」」
いつの間にいたのか、骨喰が襖を開けて立っていた。主は今度は顔を赤くしている。
「骨、喰、いつから、いた……?」
「安定の、行こうよ、甘味屋、のところから」
「今じゃん。よし、骨喰も行こ」
「いいのか?」
「おい、ちが、待て」
「今日の夕飯の希望表だ。これを置いたら出かけられる」
そして、渋る主を引きずって三人で甘味屋に行ったのが、始まりだった。
その頃から、そういえば、主の意見は聞いていなかった。その日から、こうして、三人でこっそりと、定期的に甘味屋に出掛けている。主の、息抜きのために。二回目からは、抵抗されなかった。僕と骨喰が、誰にも話さないと、きっとわかったからだと思っている。
*
前田に一言声をかけて実際に出掛けてしまえば、主は素直だし、大人しいし、季節ごとのメニューは必ず制覇している。僕はいつも決まった団子だけれど、骨喰は主が食べたかった候補の一つを連帯責任のように頼む。骨喰は細い見た目に反して大食漢だし、嫌いなものもない。今度は逆に主のほうが骨喰を利用しているが、骨喰は深い理由もなく食べ物を与えられて喜んで黙々と食べているのでお互いの利害は一致しているようだった。
「あの書類、後で長谷部に直接書いてもらったほうが早くない?」
「だよなー、そうしよ……。いや、悪いかなぁと思って……」
「そんなことまで主がやってたら仕事いつまでたっても終わらないじゃん。長谷部なら喜んでやるんだからやらせとけばいいのに」
「それが良くないっつってんの。主、主で、構って構ってっていうのはいっぱいいるだろ。安定だってこうやって俺と出かけたいから近侍嬉しいくせに」
「お、結構言うようになったね、主。そうだよ。わかってるんならいいや。だからこそ、仕事ばっかりして構ってくれないのつまんないんだもん。切国にだって、任せてもいいと思うけど」
そういうと、曖昧な笑みを浮かべて、季節のパフェの頭に乗っていたクッキーを僕の口に放りこんできた。噛み砕くととても甘い。
そうやって黙らせたい時はすぐ人の口にものを入れる。でも頭はいいと思う。注意したくとも、まずは噛み砕くほうが先だからだ。
「で、安定は調子どうなの? 最近清光とは喧嘩してないじゃん」
「元からしてないよ。清光が駄々っ子なだけでしょ」
「また、そうやって言う。同じレベルで口喧嘩してるんだから一緒だろ」
「あ、そうそう。もう少しで切国が錬度上限じゃない? 打刀のみんなでなにかプレゼントでもしようかって話してるんだよね」
「え、そんな話してんの?」
ぽろりと主が落としたウエハースを、骨喰がさっと口に入れてしまった。
「そりゃあ、切国は初期刀だし、僕たちみんな大小世話になったしね。それに初めての錬度上限じゃん?」
「へ~~。そういう感じなんだなぁ」
「脇差も仲いいじゃん。骨喰も上限近いけど、なにか話出てるの?」
「兄弟が色々声をかけているみたいだ。俺には教えてくれない」
「内緒なのか」
「それはそれでつまらない」
そういう骨喰の表情は、まさに「つまらない」を体現していた。表情の差分が乏しいと思われがちな骨喰だけど、ここの骨喰はかなりハッキリと感情がわかる。切国も同じような感じで、とてもよく似ていると思う。
それは多分、この主の影響なのだろう、と一人で複雑怪奇な百面相をしながらパフェのアイスを突いている顔を見て思う。
色々と言いたいことはあるのだろうけど、抑え込んでは明確な喜怒哀楽の表情ではないけど、完全ににじみ出ているソレに、僕たちは気付かないふりをしているけれど、それは本当に正しいことなのだろうか。
こうして連れ出して話を聞いて、話をして、すこしは僕たちには言えないことを忘れるくらいの気晴らしになればと思っているけれど、そういう表情を見ると、僕もまだまだだと思う。
時々清光に言われる「安定は言葉が足りないんだ」という言葉が、刀だった時にはない心臓の位置に、ずっと居座っている。
僕だって、主を守りたい。その一心だというのに、なにが足りないのだろうか。
初期刀に主が感じているのだろう、僕にはわからない彼ら二人の関係性が正直羨ましい。
主は僕にはすぐに「好き」だと言う。僕も主に「好き」だと言う。
だけど、主は切国には「好き」だと言わない。少なくとも僕は見たことがない。僕や清光にはすぐに笑いかけて微笑んでくれるけど、切国といる時にだけ見せる苦しそうな顔がある。きっと、切国にしかわからない、主にしかわからないなにかがあるのだろう。
ただ、甘いものを食べてる間くらい、あの頃のように、穏やかに過ごしてほしい。
僕に出来るのは、そのために、つかの間こうして主を連れ出すだけだから。
「こんなの食べに出てたってバレたら、歌仙にまた怒られちゃうな。夕飯前に、食べ過ぎるなって」
「主、夕飯残さないんだから平気でしょ。それにいつも言ってるじゃん」
「んー?」
「僕のせいにしていいよ。僕が主を連れ出したんだから」
僕は毎回同じことを言う。
何度だって言う。
主が好きだから。
「ありがとな、安定」
そして僕の言葉を聞いた主の返事もいつも同じ。
「大丈夫だよ」
そして、こういう時だけ本当に素直に笑う。強がりなんかじゃない、きっと心からそう思っている顔で。
そういうところが、僕は、この主がすごく好きな理由だし、とっても嫌いだ。
でも、この顔を信じたい僕がいる。
だから結局なにも言えなくなってしまう。だから小さく頷く。主の、普段はあまり合わない視線を無理矢理にでも合わせて。
「主」
「どうした? 骨喰」
「余ってるなら食べてもいいか?」
ふはっ、と笑った主に、つられて、僕も笑った。