そして「兄弟」となる
この本丸の初期刀は山姥切国広。
初鍛刀は薬研藤四郎。
この二振は、この本丸の最初期から顕現したため、本丸を切り盛りし、育て、共に成長し、現在二つの柱となっている。
そして、僕は、十振目に顕現した堀川国広。
山姥切国広の、兄弟刀である。
*
「国広?」
薬研藤四郎と名乗った僕よりも少し年嵩の低い少年姿なのに、ずいぶんと落ち着いた声色の彼が、僕の名前を繰り返した。
薬研君の隣に立っている「山姥切国広」と薬研君から紹介された青年の姿の彼はまだ一言も発しておらず、全身も白い布を被っているため容姿もハッキリと確認出来ない。ここで一番の古株であるとのことだけど、まだ役割が見えなかった。
顕現した時にいた審神者は既に自室に戻っていた。本当は山姥切さんもその後を追おうとしたところを薬研君に布を掴まれて今こうして三人で「鍛刀部屋」で突っ立っている。
「アンタと同じ名前ってことは、兄弟なんじゃねえのか? なぁ、国広」
そういう言葉で、僕も思わず山姥切さんを見た。
「そうかも、しれないな」
初めて聞いた彼の声は、薬研君に劣らず落ち着いた低い声で、ようやく彼と目線がぶつかった。
布の下からチラリと見えた髪の毛は、僕とは似ても似つかぬ黄金色で、その眼は青とも緑とも言える深い輝きが満たしていた。
「アンタも急に言われたって困るだろ……。刀派ごとに集まって兄弟のように過ごす者もここには多い。
いきなり写しの俺と兄弟なんて言われてアンタには迷惑でしかないだろうが」
「え、そ、そんな、迷惑だなんて……。
それに、僕こそ、真贋不明で……、そんなんで兄弟を名乗るなんて、君にこそ申し訳がないです……」
「でもアンタはここにいるじゃないか」
「え?」
山姥切さんは、僕を見て、キョトンとした表情を見せた。仏頂面のように見えていたけれど、案外素直な反応で、彼が言った意味がわからない僕のほうがおかしいみたいな顔をされている。
「だから、ここにいるアンタは『堀川国広』なんだろ? アンタが」
「え、う、うん。そうだけど……」
「主の声かけに応えた『堀川国広』がアンタなら、アンタは間違いなく、正真正銘の堀川国広だ」
一瞬、なんと応えればいいかわからなかった。
初対面の人に言われて、怒ればいいのか、笑えばいいのか、悲しむべきなのか、後から思えば僕は感情を理解していなかったのだろう。
でも、理解している今、それに対して正しい反応をしなくてよかったと思う。
怒りながら、笑ったかもしれないし、泣き出したかもしれない。今でも時々この時のことを思い返しても、どんな顔をすれば正解なのか、答えは出ていない。
「名は、嘘をつかない。俺の、持論で悪いがな」
じゃあ、彼はきっと山姥を切ったのだろう。
顕現したばかりで相応しい言葉も感情も持っていなかった僕は、一つ息をついて「うん」とだけ返した。
「おいおい、ずいぶん先が思いやられる兄弟の邂逅だな?
もっと気楽にやれよ、旦那たち」
あはははは! とバンバン山姥切さんの背中を叩きながら笑う薬研君に慣れているのか、彼はそんなことに文句をつけることもせず僕に対して右手を差し出してきた。
「なにはともあれ、この本丸に顕現した以上は、俺たちの仲間だ。よろしく頼む」
「はい! よろしくお願いします!」
僕よりも少しだけ大きな掌は、ひんやりとしていた。
そのあと本丸内をここの初脇差であるという青江さんに案内してもらったところで初日の記憶は途絶えている。
人の身体は不自由だ。後から主さんや薬研君に「緊張」していて「疲れ」たのだろうと言われて、そういうものかととりあえず納得させた。
打刀は山姥切さんと鳴狐君だけ。あとは青江さんと僕が脇差、それ以外はみんな短刀。
そんな小さな本丸の、小さな仲間たちとの日々はこうして始まった。
*
人数が少ないから、僕たちはいつもまとまって行動していた。
短刀たちが多いのもあったが、全体をまとめ上げるのは山姥切さん、彼の指示を細かく伝えるのは短刀たちを仕切って粟田口の兄貴分をこなしている薬研君という分担だった。
みんなで代わりばんこに出陣して、帰ったら食事の準備をして、風呂を沸かして、一人ずつ小さい子たちから寝落ちていって、最後に起きていた人が灯りを消す。それは大体青江さんだったらしい。人の身に慣れるまでは僕も食べてすぐに大体秋田君か五虎退君と一緒に寝こけてしまっていたからだ。
でもいつもその中に山姥切さんはいなかった。彼は食事の準備も食べる時も後片付けの時もいるのに、それが終わると主さんの部屋に行き「近侍」の仕事をしていた。近侍が一体なにをやっているのかは、薬研君も詳しくは知らなかったようだ。
「彼、あんまりちゃんと休んでいるところを見たことがないけど、大丈夫なの?」
「だろ? アンタからも言ってやってくれよ。人の身体である以上しっかり休むのが大事っていうのは大将も山姥切の旦那もわかっているはずなんだがな」
僕が来てからは、薬研君は山姥切さんを「国広」とは呼ばなくなっていた。
最初にここにいて最初の「国広」は彼なんだからそんなこと気にしなくていいのに、彼自身も「藤四郎」がいっぱいいるとややこしいと笑って、「自分の中でのけじめだから」と言った。まるで、自分が彼の居場所を取ってしまったようで、苦しかった。
山姥切さんの動向を伺っているうちに、薬研君が言う意味はだんだんと理解してきた。
鳴狐君は打刀ではあったけれど、あまり前に立って僕たちをまとめ上げるようなタイプではなかった。薬研君と一緒に弟たちの面倒はよく見るけれど、短刀がほとんどの現在は薬研君中心にまとめられているのが実体だ。
本丸内の細々とした仕事は山というほどあった。
僕が来るまで、畑も馬の世話もロクにされていなくて、来て一ヶ月もしないうちに、山姥切さんと薬研君、そして青江さんを呼び出していた。
あまりにも山姥切さんにばかり任せきりで、生活が成り立っていない。それは明らかな事実だ。
「堀川、一体これは何事だい? 初期刀殿まで呼んで、なにが始まるというのかな?」
「山姥切さん、薬研君、青江さん。
役割分担をしましょう」
「は?」
その時の山姥切さんの表情は、正直、今でも薬研君が語り草にするだけあってあれだけ呆けた彼の整った顔を見ることは今でもほとんどない。
鳩が豆鉄砲くらったような、突然爆弾発言をされたという、その心境を表情だけで表現できる刀だったのだとあの瞬間に実感した。
「あなたの仕事が多すぎるんです」
「お、ようやく俺っちの味方が現れたな! そうら見ろ、山姥切の旦那、俺っちも気になってたんだ。アンタ、いつ寝て、いつ起きてる?」
「そうだね、それは僕も心配していたよ。分けられる仕事があれば、分散するのも悪くないんじゃないかな」
「なっ、お、俺の仕事に不備でもあったか!? 俺が写しだから、俺の仕事では納得できないと……?」
慌てふためく近侍以外の三人で一斉にため息をついた。まあ、こうなることは予測していたけれど。
「誰もそんなこと言っていません。これからまだまだ男士たちは増えるんでしょう?
あなた一人でこのままずっとやっていたら、あなたが倒れちゃいますよ。早いうちにみんなで協力して出来るようにしないと」
「さすが新選組の刀は集団生活のイロハがわかってるんだな」
「いや、でも、別に俺はなんにも苦になどなっていない……」
「山姥切は仕事中毒なところがあるからね。君は少しゆっくりすることを覚えなよ」
「だが……」
「今アンタを失うわけにはいかないんだぞ、旦那。
アンタはここの初期刀で、誰より錬度も高い。戦闘の要でもあるんだ。近侍の仕事に構いすぎて集中力を欠くような事態は防ぎたい」
「今は打刀は少ないが、そのうち太刀や大太刀も出てくる。それに鳴狐だっているだろ」
「彼はまだ錬度は僕たちとどっこいどっこいでしょ。君がいないと次の戦場に行くのは難しいんですよ」
「君がしっかり休んで英気を養わないと、本丸全体の士気にも関わるってことだね」
「う、ぐぐぐ……。お前たちずるいぞ……。三人がかりで丸め込もうという算段だな……」
「お、分が悪いのはわかってんじゃねーか」
「と、いうわけで、生活全面の管理は、僕と青江さんで受け持つのでどうかな」
「え?」
「青江、なに自分も巻き込まれたみたいな顔突然してんだ」
「だって、僕なにも出来ないけど……」
「残念。すでに偵察済みだよ、青江さん。
この四人の中で一番部屋が綺麗なの、青江さんなんですよ」
「えー、初めて知った」
「俺もだ」
「だって、毎日出陣して寝に帰ってくるだけなんだからなんで汚くなるんだい、むしろ君たちの部屋は汚いのかい……?」
「僕が思うに、山姥切さんも薬研君も、仕事としては綺麗に整頓出来るけど、私物に対しては一切無頓着なんだよね」
「「うっ」」
一斉に僕から視線と逸らす初期刀と初鍛刀。
はあ、とため息をつきながら髪をかき上げて、青江さんは渋々だが、僕を見返した。
「まあ、山姥切に負担が行っているのは自覚もあったから、引き受けよう。堀川が一緒ならなんとかなりそうだしね」
「善処します」
「で、実際には生活面ってどこらへんのことだ?」
「一応、近侍の仕事の分配はまた人数増えたら追々考えるとして、今は山姥切さんが食事の献立や、生活備品の確認や整理なんかもやっているから、それをこっちで引き取ろうかなって。
薬研君は引き続き山姥切さんの補佐で、みんなをまとめてほしいんだけど」
「なるほど、旦那の仕事を少しずつ減らしていくって算段だな。承知した!」
「それなら、俺はここにいなくてもよかったんじゃないのか……?」
「それはそれで仲間はずれにされたって拗ねたり、突然僕たちが仕事を手伝うって言っても絶対納得しないじゃないですか」
「うう……」
「完全に読まれてるねぇ、山姥切」
ふふ、と楽しそうに笑う青江さんを、苦い視線で睨み付けて、でも僕にはそんな視線をよこさなかった。
今後は洗濯と食事の管理を僕、清掃については青江さんが管理することになった。
それぞれ内番に組み込んでちゃんと回せるようにする。得意不得意もあるから、組み合わせを考えて、それを出陣のメンバーに合わせて回す。
そんなところまで相談しあい、組み合わせを薬研君が考えてくることにして、今回はお開きとなった。
早速、夕食の準備のため厨に向かう途中、「おい」と呼び掛けられる。
「はい?」
「その、色々と、悪かった」
「え?」
「気を、使わせてしまって、すまない。こんな、写しの俺相手に……」
そういう彼の目線は、深く被り直した布で見えないが、僕の身長では、少し見上げると、薄赤く染まった頬が見えた。
「写しとか、関係ないよ」
いつも、彼には、敬語を使っていたはずなのに、この時は、自然と、そんな言葉使いではなく、口から出ていた。
「君が支えてくれているから、僕たちは、この本丸で安心して毎日を過ごして、出陣することが出来てる。
君の背中が、いつも守ってくれているおかげだから。だから、僕にも、僕たちにも、手伝わせて」
開かれていた掌がグッと握られたのがわかった。
「なにも、守れてなんかいない。俺なんて……」
恐らく、その言葉は、僕に向かって呟かれたのではなかっただろう。山姥切さんは、弱音を誰かに言うような人ではないから。
まだ錬度も全然劣っていて、短刀の子たちにも助けられている僕には、彼がなにを言っているのか、全然わからなかった。
ただ、なにも、してあげられない。その無力感だけは僕にもわかったけれど。
「ごはんの用意、しますね。たまには待っててくれてもいいんですよ」
「いや、俺もすぐに行く。先に行っていてくれ」
どんな時でも基本的に布を外さないが、厨に入る時だけは危険だと主さんに固く言いつけられているとのことで、その前には必ず布を外してから来る。
廊下を正反対に歩きながら、そっと彼の後姿を見る。
すっと伸びた背筋も美しく、布の中の本体、そして人型を模した彼の美しさを厨で見かけるのが、ささやかな僕の楽しみであることは、決して彼には言えない秘密になっていた。
*
僕の次に燭台切光忠さんが顕現した。
彼は、なんと、ありがたいことに、戦いももちろん出来るが、料理に非常に強い関心を持ってくれたのだ。
これで無事生活面は、食事当番、洗濯当番、掃除当番で分担が出来た。
本丸での日々は楽しくて、ケガをしたり、演練ではボロクソに負けて悔しい思いもたくさんしたりといいことばかりではないけれど、それでも僕は人の身体を得た意味を少しずつ理解していったように思う。
だけど、本当は、なにもわかっていなかったのだと、現実の厳しさを思い知らされた。
山姥切国広の戦い方は美しい。
あんな布を被ってよくも刀が振るえるものだと思っていたけれど、実際の戦い方を見たら予想以上だった。彼は背中に目でもついているかのように、どこの視線も受け止めるのが早くその隙間を、戦場を駆け抜けた。あの速さで動き、布は彼の動きについて行くだけ。残像のようにはためいて、彼の太刀筋を誤魔化して、彼自身は真っ当な剣を振るった。
そして、彼は、言葉少なであったものの、仲間を思う気持ちは弟たちを思う薬研君にも劣らず、言葉ではなく、行動で示した。
彼自身は、口数が少なく、表情が乏しくて、口下手であることを気にして短刀たちに嫌われているか、苦手と思われていると思い込んでいたが、実際にはそんなことは全くなく、誰一人として、彼に悪感情を抱く刀はこの本丸には存在しなかったし、彼の過保護に呆れすらして、自分たちが、彼を守れるように強くなりたいと一致団結していた。
だから、自分のふがいなさを今でも思い出す。
脇差ともあろう僕が、不意を突かれて背後からの気配に気づかず、気付いた時にはもう避けきれるなんて距離ではなかった。
場数を踏んだ今ならどうすればそれでも被害を少なく出来るかなんてことに咄嗟に頭が回るけれど、この時はパニックになっていたのだろう。
だが、もっと僕を混乱させたのは、次の瞬間に起きたことだった。
自分が痛みを受けると思った瞬間、目の前には白い布が閃いていた。
「山姥切!!」
最近では愛称の「まんば」で呼んでいた薬研君の珍しい悲鳴のような声が遠くで聞こえた気がした。
敵の一撃を受けながらも、反撃の一太刀を食わらせてトドメを指していた山姥切さんは、僕にその全体重をかけるようにして倒れ込んだ。
自分が、庇われたのだと気付いたとき、胸に浮かんだのは、怒りしかなかった。
青江さんに担がれて本丸に急遽戻り、手入れ部屋に押し込まれた彼が自室に戻ったと聞いて、居てもたってもいられなくなり、燭台切さんに「手加減してあげなよ」と言われながら、けが人でも食べられそうな夕食を持って彼の部屋に入ると、薬研君がいたのでその隣に自分にしては珍しい荒々しい座り方をして、他にも言いたいことはいっぱいあったけど、まずは落ち着いてお礼を言おうと誓っていたのに、結局口をついて出たのはこんな言葉だった。
「なんで、こんなことをしたんだ」
思った以上に、尖った言い方をした自覚もあった。
「ほら見ろ。堀川もご立腹だ。俺っちも、今回のことはなかなか簡単には許してやれねえな」
薬研君が僕のほうに味方についたのは少し驚いたけど、寝ている山姥切さんには、当たり前だけど布がなく額のおかしな位置にばんそうこうがあるくらいで、普段隠されている綺麗な顔も、表情も全部丸出しだった。みんな共通の寝間着である浴衣で寝ていて、普段は健康的な色味の肌が、今はさすがに少し血の気がない。
怒りの籠った僕の言葉を聞いても、彼は「別に」と一言いって、特に表情を変えるでもなくまた少し口ごもった。
「どうして、僕を庇ったの。自分でなんとか出来るよ。僕は、君に守られるだけの足手まとい? 君の力に、僕はなれないの?」
「堀川、落ち着け……」
「わかってる。余計なことをした、すまなかった」
それを聞いて、また自分の中の血が沸騰しそうに熱くなったのがわかった。
「わかってない。なんにもわかってない!」
「俺は」
「まんば、無理して話すな」
「俺は、写しだ。
俺がいなくなっても、この本丸は回っていく。
お前たちが、きちんとこの本丸を回してくれている。
燭台切も来て、戦力も確実に増してる」
その言葉を聞いて、今度は全身の血の気が引いていったのがわかった。
目の前の彼がなにを言っているのか、一瞬理解出来なくて、いや本当はわかっていたのだろうけど、その言葉が意味となって脳みそに届いていないような、人の身に初めて起こった現象に僕の気持ちはより一層困惑を重ねていた。
「俺は、この身全てをかけても、この本丸を守る。ここにいる奴らを守るのが、俺の初期刀としての、役割だ」
「「そんなわけないだろ!」」
おそらく同じことを怒鳴ったのだろう、薬研君と目線だけを交わした。さすがに今の発言には黙ってはいられなかったようだ。
「山姥切、君は、なにもわかってない。
そうじゃない、君の役割はそんなことじゃない!
僕がなんで怒っているのか、全然わかってない。
僕は、君が、君自身を、大切にしないことに、大切にしない君に怒ってる!!」
「だが、これは俺が勝手にやっていることだ」
それに、といって、力なさげに、腕が伸びて、僕のほうにむけられた。
「アンタは、待ってるだろう」
「え」
「カネサンが来るのを、新選組の仲間が来るのを。
なら、それまでに折れたら絶対にダメだ」
「君だって、同じじゃないか。
君にだって、兄弟が、いるんだろう?」
「きっと、アイツは、写しの俺なんて、覚えていない」
その時、僕を、一瞬見た彼の目線は、あの日、僕が顕現した時に感じたものと同じだ。
同じ「国広」という名を持つ僕たちの、もう一人の兄弟。
同じ名を持つのに、なにもかもが違う僕たちは兄弟にもなりきれず、互いを分かり合えず、ここまで来てしまったのだということに初めて気がついた。
山姥切国広が不器用な親愛表現を僕にするのを僕は止められず、僕が世話を焼いてもそれを全て受け入れるだけの余裕がなかった彼は、僕を止めることが出来なかったのだろう。
確かに、兼さんが来るまで、僕は倒れることは出来ない。
新選組の刀は他にもいると聞いているし、彼らがここに来た時に、ここを誇れる本丸にしようとみんなで奮闘しているのだ。倒れるなんて考えたこともなかった。
なのに、この初期刀はそうではなかった。
それが悔しかった。自分がいなくなることをいつも考えていたなんて知らなかった。
いつか大きくなる本丸の未来。そこに、この初期刀が、いないなんて、絶対に、認めない。
彼が、その自分がいない本丸を考えることを、僕は、許せなかった。
彼こそが、ここで一番、存在していなければならない刀なのだから。
彼だけが、主さんの、選んだ、唯一の初期刀なのだから。
「なら、僕だって、勝手にする」
二人の視線が僕に集まった。
キョトンとした表情は、なぜか二人ともとてもよく似ていて、人の身を得てからずっと一緒にいると表情まで似てくるのかと感心した覚えがある。
「僕たちは、兄弟だって、言ったよね。
なら、僕は君を守る。この本丸と君をつなぐ楔になるよ。
刀派が同じなら、僕らは兄弟なんだろ?
ねえ、兄弟。それなら僕を置いて、一人にしないでよ。これからは君のことを兄弟として、僕がお世話する」
「は? な、アンタ、なにを言って……」
「君が「やめろ」というまで続けるから!
嫌ならハッキリとそういって。ただし、正当な理由がなければ辞めないからね」
「いや、おい、薬研、なに笑っている!」
「嫌ならハッキリと言ってよね。
僕が嫌だって、キライだってちゃんと顔を、目を見て言ってよ!」
「そ、そんなことは言っていない! べ、別にそういう意味じゃ……」
「じゃ、いいよね」
後にはポカンとしている兄弟と、おなかを抱えて笑っている薬研君と、すっかり冷めてしまったおかゆが残された。
*
それからは、嫌味のように(いや実際にそのつもりだったのだが)、彼にべったり張り付いて過ごした。
本当は、ずっと言いたかったことがたくさんあった。僕のほうも自棄になっていたのもあるけど、今まで言えなかったこと、やってしまいたかったこと全部やってやろうと思った。そして彼について知らなかったことばかりで、初めて知ることばかりという事実に落ち込んだりもした。
見た目が年下の子たちに、彼はとても甘くて、なのに、口下手で嫌われてると思い込んでいるから、うまくコミュニケーションは取れなくて、そのことに毎日のように落ち込んでいることを知った。みんな君が大好きだと伝えたかった。
本当は、細い身体にどれだけ入るんだというくらい、薬研君と兄弟は大食いなのに、兄弟は人数が増えてきてからおかわりを全然しなくなっていた。食事をたくさん用意することがどれほど大変かというのを、彼はよく知っていたから、他のみんなに譲ることを覚えたのだろう。
部屋が汚いのは、夜遅くまで仕事をしているからだ。疲れて寝てしまえば、もう朝が来る。そんな中片づけの時間を取る優先度は下がっていく一方だったのだろう。
彼の部屋は近侍部屋と言って、主さんの離れの近くに一人だけ配置されていた。
元々は大広間で全員寝食を共にしていたのだけど、青江さんが来たことで、短刀だけではなくなったのと部屋が手狭になったので、部屋割りを決めたらしい。
今はまだ彼だけが近侍だが、彼の部屋には薬研くんや五虎退くんや、短刀たちは定期的に交代で泊まりに行っていて、最初の頃のルーティンが残っている。これで短刀たちから嫌われているのではないかと気にするのだから、人心掌握術に欠けすぎている。
僕も青江さんと脇差同士で部屋をもらっていたが、兄弟の部屋に押し掛けた。青江さんは「君も物好きだね」と笑って、それなら自分もまた短刀たちの部屋に行こうかなぁ、と半分くらい嘘のような本気の顔で話してくれた。
そのうち飽きると思っているのか、兄弟は元々少ない自分の荷物を全部隅っこに押しやって素直に僕を迎え入れてくれた。
実際には、青江さんにも協力してもらっていて、荷物の半分は元の部屋に置いてある。なぜなら、近侍部屋は本来は見張り番のための部屋であって、寝泊まりをする場所ではないからだ。短刀同士ならまだしも、大人と変わらない体格の二人分の布団を引くとそれだけで部屋は一杯だ。初期刀の彼がこんな狭い部屋でなくてもいいのに、と薬研君とも意見は一致していた。
彼はいつも夕食後、主さんの部屋に行き、翌日の任務や内番の相談や確認をしてから床に就く。
彼が戻ってくるまで、僕は寝ないことにした。毎回兄弟は「寝てていい」と一言必ず言ってから出ていくけれど、時には日付も変わる。
主さんも兄弟も、疲れているだろうに、僕らの命にかかわることだからと、余念がない。
だけど、僕が絶対に起きていると気付いてからは、少し戻ってくる時間が早まった。
そして、彼が出て行く前に、主さんと兄弟分の夜食を用意した。最初は突っぱねられたけど、おなかが減って寝られない姿も見たし、なにより夕食が彼には足りていないのだ。夜食を渡して空にならなかったこと一度たりともなかった。二人分を兄弟が食べているのかもしれないとすら思う。
顔はなかなか見せてくれなかったけど、いつも風呂上りに髪を乾かす気が無いようだったから、強引にドライヤーを向けたら、そのうち抵抗を断念して、頭を触らせてくれるようになった。出陣と内番が被るようなときは、僕が髪を乾かしているうちにウトウトと船を漕ぐ姿も見られた。
正直、優越感でいっぱいだった。
薬研君でも、顔は触らせてもらったことがないという。おそらく兄弟が主さん以外に一番心を開いているであろう、あの薬研君でもだ。
だが、一方で僕がどんなに「兄弟」と呼んでも、彼は僕にそう呼び返してくれたことはない。
わかっている。僕が、勝手にやっていることだから。
だけど、こんなに強く綺麗で気高い刀を、あんなふうに失うかもしれないことは、僕にとっては、絶対に許せないことだった。
そして、彼が、それに対して、全くの執着がないことも。
やっぱり、僕は、彼の、本当の兄弟ではない、から。
真贋不明の刀のお節介なんて、重荷でしかないのだろう。
*
僕が「兄弟」と呼び始め、周囲もそれに慣れてきた頃、いつも通り、朝餉の支度をしていた時だった。
燭台切さんと僕、そして当番制で回している短刀たちで準備をしているが、いつも兄弟は当番でなくても手伝うことがないか様子を必ず見にきてくれていた。
今朝は疲れていたのか、僕が起きると自然と自分で起きるのに、気付くことなくスヤスヤ寝ていたので、静かに支度をして部屋を出てきた。
「珍しいね。まんばくんがゆっくり寝てるなんて」
「いいんじゃないですか? 疲れてるんですよ。毎日毎日、僕らと違って休みなく働いて」
「もう少し人数が増えれば近侍も完全に当番制にして、彼にも完全な非番を作ってあげたいね」
「はい! まんばさんも休んでほしいです。僕ら、もっと頑張りますから」
秋田君の元気いっぱいに気遣う発言に、思わず燭台切さんと二人微笑みを交わした。
「秋田~、皿取ってくれるか?」
「はーい!」
薬研君の呼ぶ声に、秋田君がそちらに向かおうと身体を動かした瞬間、味噌汁が入っていた鍋の取っ手が、彼の腕に当たった。
火をかけていた最中のもので、男所帯十数人分の大鍋だ。秋田君が、「あ」と声を出すときには、もう身体が動いていた。
「堀川君!!」
燭台切さんの声が近くで聞こえたけれど、秋田君を押しのけて、落ちて行く鍋の中身をこぼさないようにと両手を伸ばした思惑通りに鍋を両手の平が受け止めた。
だが、あまりの熱さに、結局は、その手は鍋の中身をぶちまけてしまった。幸い誰にもかからず、床一面に味噌汁が溢れる。
「兄弟っ!!」
さっきまでここに居なかったはずの声が聞こえて顔を上げると、あっという間に両手首を掴まれて、厨だからか目の前に布を被っていない兄弟がいた。
「こ、の、馬鹿っ!!」
一瞬罵倒されたことがわからず呆けてしまった。
「秋田、ケガはないか!?」
「は、はい! 堀川さんが、助けてくださったので、僕は……」
「ならいい」
そういうと、手を一瞬柔らかい桃色の頭に載せて一撫ですると、再び僕の手首をしっかりとつかんだ。
「ごめん、味噌汁、こぼしちゃって……」
「そんなのどうでもいい! 薬研、氷の準備だ!」
「今やってる!」
「は」
「燭台切、水を出してくれ!」
「はい! こっち来て!」
「え」
そして、あっという間に流しのところに連れられて、両手を一気に水に浸された。
兄弟の両腕はまだ捲られてもいない。水でどんどん彼の両腕も濡れていく。
「兄弟、大丈夫だから……」
「まだだ。火傷は最初が肝心なんだ」
「まんば、氷嚢用意できたぞ」
「すまない。助かった」
そういうと、サッと燭台切さんが水を止めて、僕の腕をポンポンと優しくタオルで拭いていく。
その間に、薬研君から受け取った氷嚢を僕の両手にぽんと載せた。
「……ッ!」
「その痛み、忘れるなよ」
そう言う兄弟の声が響いた。
「秋田、燭台切、すまんが、ここの片づけを頼む。薬研はそのまま朝食の準備をしてくれ。今日は汁物なしで構わない」
「え、僕も片づけ……」
「アンタは主のところだ! 手入れが先だ」
「ええ、手入れ!? そんな大げさな」
「どの口がそんなことを言うつもりだ!」
そういって、廊下を引きずられた。
僕が、いつも、彼の手を引いていたのに、彼に引っ張られたのは、これが初めてだった。
主さんに診てもらったものの、これくらいなら大事にならない、とのことで、今日は非番を言い渡されただけだった。正確には、軽い罰としての手入れ不要とのことだ。少しは不便を実感しなさい、と言われどんな表情をすればいいかわからないまま、兄弟だけが不服そうな顔で自分たちの部屋に無言で連れ戻された。
「自分を大事にしろ」
「それ、君が言う?」
そういうと、さすがに目線を逸らされる。
僕の両手にグルグルと包帯を巻いている。薬研君の専売特許かと思ったが、彼も当然初期からいるわけだし、主さん直伝の応急処置を今僕に施してくれている。
食事は後で薬研君が僕らの部屋に運んでくれるという。
とても普段刀を振るっているとは思えない弱い力で、僕の両手を包んでいる。
「兄弟」
あれ? と今更、気が付く。
そういえば、彼はさっき、なんて、僕を、呼んだ? そして、今も。
「人の身体は、簡単にケガをする。
刀を握れなくなったら、本末転倒だろう?
アンタのこの手は、戦いだけじゃない、毎日の中で色々なことを作り、施し、癒す。
こんな余計なことで傷つくんじゃない。
アンタの本業は、斬り、そして守ることだ」
ああ、ようやく、認めてくれたのかと、思った。
僕を、刀と認めて、戦いの場で、傷つくべきだと、認めてくれたのか。
掌がジンジンして、ああ、確かに、これじゃあ刀をうまく握れないや、と思った。
今日は内番だけだから洗濯物を干したり畳んだりするくらいだけど。あ、いや、それもなくなってしまったのだったか。するべきことがないと、どうやって時間をつぶせばいいんだろうか。
僕の手の平を、兄弟がそっと包む。
「無茶は、しないでくれ」
そう呟いた声の切実さは、初めて聞くもので、ずっと、彼の孤独がなんなのか考えてきたけど、その片鱗が少しだけ見えた気がした。
「ようやく、兄弟って呼んでくれたね」
「……写しとの兄弟ごっこなんて、どうせすぐに飽きるだろうと思っていた」
ああ、そうなのか。
僕が真贋を気にしているのと同じように、彼はずっと「写し」であることを理由に僕に遠慮していたというのか。知ってたけど。でも、本当の意味でその重みをわかっていなかったのだと気付いた。
君は、君だというのに。
自分で言っているくせに。俺は、俺だって。
わかっていた。知っていた。
だけど、僕たちは、どちらもそれを相手に言う勇気を持ち合わせていなくて、こうしてうじうじとしているところは、確かに兄弟なのかもしれない。
僕らに足りないのは、明らかに言葉だった。
「ありがとう、心配してくれて。
ごめんね、心配させて」
握り返した手のひらが痛い。それに気付いた兄弟は手を離そうとしたけど、僕はより強く握りしめた。慌てた表情で僕を見てくる。
ものすごく痛い。痛みなんて、戦っている時に気にしたことなんてなかったのに。
手の平だけじゃなくて、胸が痛い。頭が痛い。目の奥が痛い。
なんとなく、山姥切国広がなんでここまで色んなものを守ろうとしてきたか、少しだけわかった気がした。
傷付く誰かを見るほうが、辛いのだ。
あの時、秋田君が熱い汁を被ってしまっていたら。戦いの中、短刀たちに腕を伸ばしてしまう時、鳴狐君や兄弟が最前線で戦うその背中を見つめる時。
今、僕の両手を見つめながら悲痛な顔をしている兄弟の表情。
助けても、手を伸ばしても、それだけで「守った」ことになんてなりはしない。
守ることの難しさの壁に、きっと兄弟は困難を抱えていたのだろう。
たった一人で。
僕らは、形や重さは違えど、全く同じことをしている。
初めて、まるで、「もしかして」僕たちが本当の兄弟なのではないか、と思えた瞬間だった。
薬研君に言わせると、まるで僕が兄弟の後を追うのはまるで親ガモと小ガモのようだったとか。
でも、彼も兄弟の無茶が減っていたことに気付いていたというから、同じ気持ちだったのだろう。
優しくするとか、守るとか、本来「斬る」道具だったはずの僕には、本当に難しい。
*
「堀川! 急いで鍛刀部屋に来てくれ!」
薬研君が大慌てで洗濯物を畳んでいた僕に声をかけに駆けてきた。愛染君がなにか察したらしく「ここはやっとくから行っていいぜ」と男らしく送り出してくれる。薬研君は僕と入れ替わりに愛染君を手伝ってくれるらしい。時折、厨から火が出たとかで呼び出されたりするけど、鍛刀部屋に呼ばれたのは初めてだった。
次第に脚が早くなって、終いには駆け出す寸前だった。
誰だ? 僕に関わりがある誰かだろうか? 兼さん? 清光君? 安定君?
期待と不安で胸が押し潰されそうな勢いのまま、バン! と扉を開くと、見慣れた白い布の奥に、兄弟よりも大きな男士の姿。
「兼さん!!」
なにも言わなくてもわかる。
長い髪に新撰組の浅葱色。赤い着物に、ブーツ姿。髪色と瞳は僕と同じで、ああ、相棒でいて、いいんだ、と胸が熱くなった。
彼と別れて何百年。
離れた時から再び逢える日が来るなんて、誰が予想しただろう。それも、人の形を伴って。
目の前が滲んできて、兼さんの顔をよく見ようと思うのに、全く焦点が合わない。
足が震えて前に進まない。
その時、背中がそっと押された。
となりに兄弟がいて、背中にあった手が今度は僕の肩を押して、もう一歩兼さんに近付いた。
「お前、国広か……?」
「うん……。うん!」
「国広ぉ!! 久しぶりだなぁ、国広!」
兼さんに抱きしめられて、僕は大声で泣いた。
ひとしきり再会の感動が落ち着いたところで、ハッとして振り向くと、兄弟が出て行こうとするところだった。
慌てて、その布を掴んで引き寄せる。
「兼さん! ねえ! 見て兼さん!」
「うおっ! な、なにを……!」
「僕の! 兄弟だよ!」
そういうと、ビクリと兄弟の身体が固くなった。
あ、失敗したと思った。
彼は、僕の兄弟ごっこに付き合ってくれていただけなのに、人に見られることを好まない彼がこんな風に掴まれて、無理矢理人前に出されて嬉しいわけがない。
思わずその手を放して、謝ろうとして、そのために、僕の目線からだけ見えるその表情を伺おうとした。
想像はしていたけれど、兼さんは、背が高くて、カッコよくて、兄弟は僕より高いけど、兼さんよりは身長が低かった。
急に引っ張られて恥ずかしそうにいつもの癖で布を深く被りなおしたその顔は、赤く染まっていた。隠しても、僕からはハッキリと見えていた。その顔は、嫌がっているものではなかった。「照れている」というのはこういう顔なのだとすぐに気付いた。
兄弟として、初めて誰かに紹介したら、こんな風に喜んでくれるのかと、胸が高鳴った。
「へえ~、アンタも『国広』なのか?」
兼さんはそんな兄弟を見てもなにも言わず、そんな風に言う。
「あ、ああ。ここの近侍をしている。まあ、よろしく頼む」
かろうじて冷静さを少し取り戻した兄弟が俯いたまま兼さんに挨拶した。
「そうか! うちの国広をよろしくな!」
「……俺も、国広だ」
そして、僕を見て、少しだけ笑った。
*
僕と山姥切は、それから、本当に、ますます兄弟のようになっていた。
兼さんに続いてすぐに清光君と安定君が顕現されて、兄弟の近侍部屋から僕は出て行った。
しかし、薬研君と僕に口酸っぱく言われて、兄弟もいよいよ近侍部屋にしていたあの部屋からは移動をすることになったので、一緒に部屋を離れることに同意したのだ。そうでなければ僕だけあの狭い部屋を出ることは絶対にしなかった。
元々、兼さんが来るまではまあ気の迷いだとしても僕を傍に置いていてくれるつもりだったらしいが、まさか新選組の刀が一気にドバドバとやってきて、いよいよ打刀が増え以前から話していた近侍の持ち回り制の会議が開かれた。やはり今回も兄弟の激しい抵抗にあったが、結局は多勢に無勢で、あっという間に言いくるめられて、不本意ということをありありと表明しながらも、渋々と承諾したのは、薬研君と僕で切々と説得し続けた結果だ。
「次の非番はいつ?」
「明後日だな」
「僕、午後からは非番なんだ。行きたいところあるから付き合ってよ」
「カネサンはいいのか?」
「新選組のみんなは出陣でいないから。それに、兼さんにばっかり構ってるわけじゃないよ。僕だって忙しいんだからね。いっぺんに三人の面倒まで見させられて」
「本望だろう?」
「そうだけど!」
他愛無い会話に付き合ってくれる。
外出だって共に出来る。
結局は主さんの部屋に一番近い場所にある彼の部屋には、短刀や脇差、最初の頃に顕現した僕らがよく泊まりに行く。
一人でいることを好んでいるのは知っているけれど、あまり一人にしておくとすぐに独りで反省会を開いて落ち込んでいるから、考えさせないようにしたりしている。
それに、本当は、実力だってあることを、みんな知っている。
ひとりでいていいことなんて、どこにもなかった。
今まで彼から近侍という仕事が奪っていた時間分、みんなで彼の時間をもらおうとした。
兼さんと新選組の仲間が全てだった僕がここに顕現したとき、僕にはなんの繋がりもない刀たちしかいなかった。
一人ぼっちのように感じたし、兼さんが来て、心から安心したのは事実だし、兼さんと再会したあの時の感情は、なんといえばいいのだろう。
もう二度と会えない人に再会した人間たちの気持ちを、刀である僕でも感じられるほどには、人の心を理解したのだと思った。
だけど、もう一つ心残りがあった。
まだ顕現していないもう一人の「国広」のことだ。
「山伏国広」が顕現するのが僕は怖かった。
どんな人だかわからないけれど、兄弟の話を聞くには自分には厳しい人のようだったし、美術品としての価値が高いという。
真贋が不明な僕が「兄弟」になれるなんて、正直とても思えなかった。
山姥切国広は、初期刀として僕と出会って、触れ合ってくれて、なんとか、「兄弟」のように過ごしてこれた。
時間が関係性を作ることだってある。兄弟と薬研君は、僕よりもよっぽど兄弟のように似ていたし、お互いを理解していた。
まるで、僕と兼さんのように。
山伏国広が来た時、僕たちは兄弟のままでいられるのだろうか。
僕の懸念は常にそこに向かうことになった。
ある日、いつも騒がしい沖田組の二人が出かけていて、兼さんと二人で過ごしていた。全く、いつも通りの静寂はいつも通り突然破られる。この部屋に軽やかだけど急いでいる足音がした時、ついに来たのだと思った。聞き慣れたあの足音を、僕が間違えるはずがない。
「山伏国広が来たぞ」
表情はいつも通り不愛想だが、そう声音だけは嬉しそうに僕を誘いに来た兄弟と一緒に鍛刀部屋に向かった。
心臓が耳元で鳴っているようにドキドキとしている。鋼はこんな音を立てないだろう。人の身体を得たのだということを久しぶりに痛感していた。この先起こることが、きっと僕の分岐点となる。
今思えば、この時の感情はきっと「恐怖」だった。
「兄弟」
中に入ろうと山姥切国広が、そう声をかけた。返事も待たずに扉を開ける。
僕の時は、あれほど頑なに呼ぶのを躊躇ったのに。なんて、ひどい醜い嫉妬が一瞬で浮かんでは消えた。
「久しいな、兄弟」
初めて聞く低い声。その声質は力強く穏やかで、僕たち二人のどちらとも違った。
太刀だと聞いていたので、体格は当然僕たちよりも大きいだろうと想像していたが、僕たち二人が比較的華奢と言われる体格だったのに、山伏国広は大男とでも評したほうが適格なくらいだった。山伏のような恰好だが、僕と山姥切と同じ色合いの上着を着ている。瞳も、髪の色も違うけれど、確かに感じたのは、方向性は違うけれど確かに美しく整った顔つきだ。「美術品」と山姥切が評していたので、想像していたようなものとは違ったけれど、その整った顔は、山姥切と並んでも遜色劣らないものだ。彼自身が言うように「綺麗」というのは違うが、明らかに「美しい」と評される類のものだった。ああ、本当に彼は、山姥切国広と、兄弟だ。
自分の時にはそう思わなかったのに、この二人を見ていると、すぐにそう感じさせるものがあった。
僕には、ない、明らかな絆だった。
「その後ろのほうは……」
「ああ」
僕の身体が強張った。
「兄弟。新しい兄弟の、堀川国広だ」
こんな時、どんな顔をすればいいのか、わからない。
兼さんに山姥切を紹介した時のあの表情を、きっと僕は浮かべられていないだろう。
顔の筋肉が強張って、初めて顕現した時のようだった。
「拙僧は、山伏国広。見てのとおり、山伏の姿である。
まさか、こんなところで、新しい兄弟に巡り合えるとはなぁ」
なにも言わないわけにはいかず、会釈をして「初めまして……」とだけ蚊の鳴くような声で伝える。
「うむ」と、見た目通り古めかしい言い方で僕に向かってその太い腕を伸ばした。差し出された右手を握る。
「なにぶん、現世に顕現したばかりの身。至らぬ点が多いだろうが、兄弟のよしみだ、よろしく頼む」
力強い腕に、呆気に取られていたら、山姥切が山伏の腕を引っ張り、引き離した。
「最初は力の制御がしにくい。みだりに他者に触れないほうがいい」
「なんと。そうであったか。済まなかった」
「そんな、全然、大丈夫、です」
まだ、掌が、ジンジンとしている。
なにも、聞かれなかった。
なにも、言われなかった。
そのことに不満はない。
なにも、初対面の相手にそんなことを言う必要はない。などといいながら、よく考えなくても山姥切国広とはそう思うと最悪な出会いをしていたものだ。初日から「真贋不明」だなどと口走っているというのに。
山伏国広は、とても穏やかな男で、僕を、山姥切を、素直に「兄弟」と呼び、慈しみ、愛した。
山姥切の隠れた愛情とは全く違う。隠すことのない、慈愛の籠った眼差しはくすぐったくて、嬉しくて、たまらなく、僕を窮地に追いやった。
そんな優しくされる謂れなど、僕にはないかもしれないのに。そんな資格が、僕にはないというのに。
山姥切も、山伏も、ただひたすらに美しくて、優しくて、強くて、ただただ真っ直ぐで、僕のこの醜い心根が、二人には相応しくないんじゃないか、という想いだけがすくすくと育っていった。
だけど、三人で過ごすことは多かった。
夕食の後、三人で杯を交わす時間は静かで穏やかだった。
山姥切が夜どうしても仕事をしなくてはならない時は、今でも引き続き夜食を作ったし、残されたことはなかった。
山伏の修行に時折誘われ付いていけば、知らないものを見聞きし、山への畏敬の念が自然と育っていくのがわかった。
普段日課のように洗濯の手伝いをしていれば、二人も自然と手伝ってくれていることが多かった。
初めて会うはずなのに、まるで、本当の兄弟のように過ごしているように感じた。
そう、まるで、人間の「兄弟」のようだ。
僕は、ずっと自分を彼らの「兄弟」なのかと、疑っているというのに。
それなのに、そうだというのに、三人で過ごす日々は、幸福だった。
過不足のない、穏やかさ、安定した関係。
でも、そこに「異物」が混ざっているのだとしたら?
僕は早く二人に言わなくてはいけないのだとわかっている。わかっていた。
しかし、なにを言えばいいのかわからない。大体山姥切は僕の気持ちを知っているはずだ。
山伏だって、もしかして山姥切から話は聞いているだろう。
僕はなにを言えばいいんだろうか。何を言うべきなんだろうか。
幸福を感じれば感じるほど、当たり前の日々は、次第に「当たり前」ではなくなった。
いつか裏切るのが僕ならば、早く裏切ってしまいたかった。こんな幸福が自分に与えられることが不相応だと常々思っていたし、なくなってしまうのだと思うと気が狂いそうだった。こんなにも大切なものが、今更、兼さんと新選組の仲間以外に、歳さん以外に出来るなんて、思ったこともなかったのに、自分の気持ちが、自分でとっくに整理がつかなくなって、与えられた愛情がこぼれているんだと気付いたら、なんてもったいないことをしているんだと感じた。
自分が受けた愛情を、あの二人に自分は返すことが出来ていないことが苦しみになっていた。
あの二人から離れることが、「兄弟」ではないと「思っている」と伝えることが、正解なのか、僕には判別がつかなった。
*
兼さんが、久しぶりに一緒に飲もうと、準備をしてくれた。乾き物が好きな主さんのつまみを拝借してくるから、酒が進みやすくなると以前苦言を呈したばかりだというのに、一度気に入ったらしばらく同じものばかり食べ続ける傾向のある兼さんらしいチョイスだった。
「なあ、国広」
兼さんは、言いにくいことを言おうとするとき、酒を入れないと中々伝えることが出来ない。
清光君と些細なことで喧嘩して謝ろうとしていた時、安定君の好物を見つけて買ってきたものの中々手渡せなかった時、歌仙さんと会話がなかなか噛み合わない時、そして、僕になにかを言いたい時。そういうところが、とても「人間」らしくて、僕にはすごく羨ましい。
「最近、なんかあったのか? ちょっと、こう、元気がねえっつうか、あんまり、お前らしくねえんだよな……」
そう不思議そうに問いかける兼さんの疑問は正しい。自分でも気が塞いでいるのがわかっている。
ずっと兄弟として過ごしている僕らを見ているのに、僕が兄弟であることに疑問を持っているなんて、なんて裏切りだろうと思う。
山姥切は僕に気を許してくれているのに、僕は気を許していないなんて、なんてひどい話だろうか。
山伏があんなにも丁寧に僕に相対してくれているというのに、僕は彼を微塵も理解出来ていない。
この後ろ暗さを抱えたまま、顕現したての頃のように、明るく振る舞えるほど、自分を律せていないのだ。それこそ、きっと「修行不足」なのだろう。
「ねえ、兼さん」
思っていたよりも、暗く低い声だった。
「僕らしさって、なに」
ついに言ってしまった。
***
山姥切国広は悩んでいた。
彼には悩みが尽きない。初期刀であり、この本丸内では古株ということで色々なことを決める立場となることが多く、多くの刀たちが憧れる位置にいるというのに、彼本人は取りまとめるという明らかに向いていない仕事への自分自身の力量に常に不安を抱いていたし、かといって投げ出せるほど責任感がないわけでもなく、適度に上手く息抜きするのも苦手だった。
つまり、不器用そのものだったのだ。
だが、最近の山姥切が悩んでいるのはそんなことではない。そんなもの、長く続けていれば嫌でも慣れてくることばかりだ。
本丸内の運営はそこそこ順調だし、かつては一人で行っていた近侍の仕事も、多くが当番制になり、完全な非番が自分にも回ってくるようになって久しい。悩んでいるのは自分自身のことではないから悩んでいるのだ。自分のことなら、山姥切はきちんと理解していたし、切れ味には自信がある。自分の価値を疑われれば反発するプライドも持ち合わせているし、「写し」と侮られる侮辱には決して屈しないと誓っている。
しかし、そもそも、その「価値」、その「名前」が不確実なのだとしたら? 自分はどう振る舞うのが正解なのだろうか?
堀川国広。
自分と、山伏国広を打った刀工の名、そのものの名を持つ脇差。
自分の、兄弟。
大切な、かけがえのない刀の一人。
しかし、本当にそうだろうか。
そう思っているのは、自分だけなのではないか。
そう最近は感じることが多い。
新選組刀が一気にやってきてから、それまで一時的に同室で過ごしていたためほとんど同じ生活をしていたのに、分かれた途端、会う頻度は極端に少なくなった。それを補うかのうように、山伏が顕現してからは三人で過ごす時間を意識的に取っていたのだが、最近の堀川の様子がおかしいのだ。
最初の頃、「兄弟」という呼び名にひどく不安定な反応を示した。
しかし、「兄弟」と呼び始めたのは堀川が先だったし、自分のほうが「兄弟」と呼ぶことに抵抗があったくらいだ。彼が最初の一歩を踏み出してくれなければ、現在のような関係には確実に至っていない。
なのに、最近は、今更のように「兄弟」と呼び掛ける毎に後ろ暗そうな表情を隠しきれていない。彼は表情を作るのは得意なはずなのに。
一体、なにが原因なのか。堀川と過ごすことが多いカネサンにそれとなく問うてみても、カネサンも不審に思っている、ということがわかっただけでなんの情報も得られなかった。山伏もまた思い当たる節がないという。
三人で顔を突き合わせても、無駄な時間にしかならなかった。
思いついたのは、堀川が自分を「兄弟」と呼んだことを、後悔しているのではないか、ということだった。
美術品として美しさと価値を持つ山伏ならともかく、写しとして名を知られている自分と同等に並べられて「兄弟」と呼ばれ呼ぶことに、彼は疑問を抱いたのではないか。そんな思いが、頭から離れなくなった。実力はあるつもりだ。確かに皆に苦労をかけたとは思うが、折れる者もなくここまで進軍出来ていることと、安定した運営が出来ているのは審神者の広い心と、刀剣男士たちの協力あってこそだ。一番最初に来た刀だ、と胸を張るだけでなにもしなかったわけではない。錬度は最高となり、今は新鋭の者たちの育成に努めている。
だが、刀は、人間たちの賛美を必要とする。物語が付随しなければ、こうして「付喪神」となることも出来ない。
「写し」の持つ物語とはなにか。
しょせん、「写し」でしかない。本歌が持つ「山姥を切った」という物語は俺のものではない。わかっている。そんなこと、自分自身が一番よくわかっている。俺は、山姥を、斬っていない。
切らないものの名を持つ俺を、彼は他の多くの刀たちと出会ったことで、俺の存在意義に、俺のその名に、不快感を抱いたのだろうか。
そんな刀と、兄弟なんて、もう、名乗りたくはないのだろうか。
堀川が、山姥切を見て、目を逸らす。
その行為の意味を考えては、山姥切もまた、深い迷路に落ちていっている気分だった。
***
山伏国広は悩んでいた。
悩んでいる者に、どう接すればいいのか、ということを。
山姥切はここで出会うよりも先に知っていた。昔から悩みやすい性質であるが、その理由を述べられず解することが難しい。最近も自分を見て深い溜息などつかれてしまう有様だ。気を許されてるのだろうが、口数が少なく表現も拙いのでずいぶん甘えられているな、と思う反面もどかしい。しかし、正直、放っておいても大体は自己完結するので放置することが多い。なんだかんだで根は太い。心配はそこまでしていない。
一方で、今気に掛けるべきは、堀川国広だった。
こうして人の身を得て初めて出会った「兄弟」。
あの他者との関係性を気付くのが得意ではない山姥切が当たり前のように、しかし早く自分に出会わせたかった、と頬を紅潮させて紹介したのが堀川国広だった。
よくよく見れば、同じような羽織をしている。これは、後程本丸内を案内してもらっている最中にやたらと出会った「粟田口」の皆が同じような服装をしているのに気付いたとき、自分たちもまた、そういう「兄弟」なのだとストンと胃の腑に落ちた。彼もまた、戸惑いを隠さない表情で自分を見つめ返していたし、じっくりと観察されているのがわかった。
健気なものだと思う。自分は、素直に受け止めた。
同じ衣類の種類に、同じ名を持つ。見た目はそれほど似ていないかもしれないが、それぞれが様々な「青」を身体に仕込まれているところなどは一致している。ならば、きっと「兄弟」なのだろう、と。
しかし、そんな自分の考えが甘かった、と痛感した。
山姥切は、最近の余所余所しい態度の堀川に悲しみを覚え、動揺している。
堀川は、明らかに三人でいる時に居心地がいいと感じてくれていたと思うのだが、その関係を良しとは出来なかったようで、最近は兄弟三人で過ごす時間は減っている。なにがいけなかったのであろうか。
堀川が自分たちを見る時のつらそうな目線は、自分や山姥切を妬み、僻み、憎しみ、怒っているのでもない。どことなく感じ取れるのは、やはり、彼だけにしかわからない感情を、彼自身がひとりで処理しきれていない苦しみなのだろうということだ。
頼ってほしいと思った。
兄弟として出会って、たとえ兄弟でなかったとしても、この本丸の中で、同じ審神者から生を、肉体を受けた身同士、助け合いながら生き抜くのがこの世の理と思っていたのだ。なんの力にもなれない無力さは、山伏の感情も揺さぶった。せめて、山姥切のように、八つ当たりでいいから、利用してほしかった。好き好んで近しい者の苦しむ姿を見る性癖は山伏にはない。健全な善意で、兄弟として、彼の悩みの手助けをしたかった。
「相談に乗ってほしいのだが」
ならば、と山伏は思い立つ。そして、行動に移した。
「え、僕? 僕でいいなら、どうぞ……」
案の定、洗濯ものをたたむのを、ほとんど趣味としている堀川に話しかけるなら、そのタイミングだった。
一緒にシーツをたたみながら、そう話を持ち掛けた。
かつては掛け声をかけないと折り合わせる位置がズレたりしたものだが、今では雑談をしていても綺麗に折りたためる。両脇をそれぞれ持って、パタン・パタンと紙を折るように折り目正しく小さく、小さくなっていく姿は、意外と気持ちがいいものだ。
「自分にとって大切な者がひとりで悩みを抱え込んでいるとしたら、お主ならどうする?」
このタイミングのいいところは、作業中だということだ。
堀川は、器用でなんでも同時に出来るが、そうすると実は対話のほうにはなかなか意識が向いていない。後から「この時に話しただろう」と伝えても、あまり覚えてなかった、と答えるくらいだ。だから、ちょうどいいと思ったのだ。
「聞いても教えてくれないの?」
「うむ、かなりの頑固なものでな。自分のことは、いつも話してはくれないのだ」
「そっか。それは困ったね」
畳み終わったものをまた積み重ねて、次のシーツをばさりと広げた。また反対側を山伏が掴んで、パン! と小気味いい音を立てて船の帆のように部屋いっぱいに広がった。
「おぬしなら、どうする? 兄弟」
「僕なら、そうだなぁ」
「そっとしておくかな」
そして、最近では見慣れてしまった、困ったような、微笑みを浮かべた。
「それは、黙っている、ということか?」
「ううん、そういう意味じゃないんだけど。僕なら、そうしてほしいかなぁ。
でも、同時に、突っぱねて放っておいてるんじゃないんだよってことも伝えたいから、傍にいるよ」
「傍に」
「伝わるかどうかわからないけれど、でも離れているよりかは、せっかく自分の意志で動かせる手足があるんだもの。近くにいて、見守っているよっていうのを言葉じゃなくて、態度で示すのはいいんじゃないかなぁ」
「そうか。ならば、拙僧も見習おうとしよう」
そういって笑った顔は、少しにやけてしまったかもしれない。いい話を聞いたものだ。
*
「僕らしさ」を問われた兼さんはキョトンとしていた。
そりゃ、そうだ。僕だってわからないのだから。ごめんね、兼さん。こんな僕でごめんね。
「お前らしい、かぁ? んなこと、急に言われたってよぉ」
「うん」
「お前は、お前だろ?」
「うん」
そう。そうだ。
そうだけど、違うんだ。違うんだよ、兼さん。
兼さんや、新選組のみんなとは明らかに兄弟たちは違う。
兼さんや清光くんたちには、正体不明の「安心感」がある。
絶対に、僕を嫌わない。嫌うとか、好きとかじゃない、同じものを見て、同じ苦しみを感じてきた一種の共通の布石が僕らの中には確実に存在している。好みも趣味嗜好も明らかに違うけれど、僕らの目線はいつも同じだった。
その最後以外は。
でも、その逆もまたしかり。
兄弟たちといる時だけに感じる居心地の良さが確実に存在していた。
その「居心地」の良さに名前を付けられないまま、僕はずっと迷っている。
「なんつーか、俺とか清光といる時みたいに、もっと素直にしてりゃいいと思うけどな、俺は」
「え?」
「お前、人との距離感ありすぎだろ。兄弟たちとも、なんか一線引いてるみたいだし」
「兼さんだって、歌仙さんとの距離感、いっつも図ってばっかりじゃないか」
「之定は、まあ、その、色々小うるさいだろ。俺にも色々あんだよ。っていうか、俺の話じゃねえっての」
自分に振られて慌てふためく姿に思わずふふっと笑いが漏れた。
正直、兼さんと歌仙さんの仲は悪くない。お小言は確かに多いけれど、素直が売りの兼さんは誰にでも愛されるだろう。
全ての者から愛されることを当たり前としている。僕にはそんなこと出来ない。
兼さんのそういうところが、僕は好きだった。
愛される価値を求めてしまう。
自分の根本とはなんなのかを探してしまう。
自分は、一体、なんなのかを、知りたくないけど、知らなくてはならないのではないか、という強迫観念にも似た恐怖が今や常に背中に、真後ろに、首筋に刃を向けられているようだった。
怖い。
怖くて仕方なかった。
真贋もわからない、出自もハッキリしないような僕を、本当に兄弟と呼べるものなのか?
僕から勝手に兄弟と呼び始めて、彼らだって、普通の振りをしているだけで、ただ流されてくれているだけだとしたら?
今日この日までここで過ごしたことで僕を形作った「兄弟」という関係性が、本心を晒してしまうことで途切れてしまうかもしれない。
そうなったほうが、彼らのためだと思っているのに、僕は、あの二人を諦めきれない。
苦しい。
一緒にいたい。でも、僕は「兄弟」じゃないかもしれない。罪悪感を抱えたまま生き続けることが辛い。
「僕みたいな奴が、彼らの兄弟を名乗ってもいいのかな」
小さい声だったが、二人っきりで狭い部屋で飲んでいるためハッキリと聞こえたらしい。
ついさっきまでのんべんだらりと飲んでいた兼さんは、急激に表情を強めた。
「国広? 今なんつった?」
酒の力は恐ろしい。そこまで飲んでるわけではないけど、それでも口が滑る。
いや、滑らせている。兼さんがいつも酒を使って言いたいことを言うように。
誰にも言えなかったこの想いを断罪してほしかった。ここで、断ち切ってほしかった。
そんな風に甘えられるのは、兼さんしか僕にはいない。
親しくなればなるほど自分がいかに浅はかなのかを思い知る。本当に「兄弟」と呼ばれていいものか。気が付けばふとそばにいて、助けてくれる。こちらが気負う間もなく、自然と、ただ自分が「兄弟」である、というだけで。自分と同じ空気感を纏っているからか、不快になんてなることもなく。
本当は兄弟かどうかなんてわからないのに。
まるでだましているような気分だった。純粋な彼らを。
しかし、居心地がいいのは事実で、わざわざもう一度そんなことを言い出して二人が離れてしまうことを恐れた。
兼さんにそんなこと思わないのに。
兼さんと、新選組の仲間たちと「兄弟」は一体なにが違うというのだろう。
「いつ、アイツらがそんな風にお前のことを邪険にした?」
兼さんは僕の肩を掴んで、目をまっすぐに見つめた。酒のせいか、少しだけ水分が多い瞳は、僕と同じ色をしている。けれど、僕なんかより、よっぽど真っ直ぐに、前を見つめる瞳だった。思わず目を逸らそうとした。
「そんな、邪険になんて」
「ああ、そうだろうよ。まんばは、お前のことを、ちゃんと兄弟だって、わかっている。
お前が、それを考え、言い始めたんだろ?
アイツらを貶めるのは、お前自身だ。
まんばはお前のことを褒めてた。兄弟として自分を支えてくれるのを嬉しかったって言ってるのを俺はアイツから聞いた。あいつを「兄弟」だと初めて会った時に喜び勇んで俺に教えてくれたのはお前じゃねえか?
山伏がお前を支えようと、お前の傍に見守ってることなんてお前だってわかっているはずだ! 違うか、国広」
「でも!」
強い力で掴まれている肩が痛い。
けれど、それと同じくらい、兼さんの表情も痛そうだった。そして僕の胸も苦しい。なにかと比べることが出来ないくらい。
僕は山姥切が、山伏が、兄弟が、好きだと思う。とても好ましい。
兼さんより先に顕現していたのに、兼さんのほうがよっぽど、僕なんかより人のような、温かい心がある。僕の気持ちにも、山姥切国広の心にも、寄り添おうとしてくれている。僕なんかより、よっぽど。僕は自分のことばかりなのに、兼さんは他人の気持ちを推し量って誰が悪いのか判別して、怒ることすらできる。
僕は自分の気持ちをわかっていない。感情を理解出来なくて、同じように相手の気持ちを慮れない。わからないから。
どこまでが作り物の、実在しているかどうかもあやふやな自分の出自を信じることが出来ないでいる、顕現したときと変わらない想いのままだ。
変わらないことだけが、僕の全てな気すらしている。
「でも、僕は、自分が、誰なのか、いまだに、わからないんだ……」
「お前は、堀川国広だ。
それ以外のなんだって、言うんだ。それ以外の名が欲しいのか? 土方歳三の脇差で、和泉守兼定の相棒じゃ、満足できねえのか?」
「不満なんてない。そこに不満なんて、どこにもないよ!
だけど、兼さんがいなかったら、じゃあ、僕は、どこにもいなくなってしまう……。そんな揺らいでばかりいる僕は、彼らと一緒になんて並びたてない……。山伏の兄弟だって、名刀で、美術価値が高くて、どうして、どこに普通の顔して並べるというの……?」
「国広」
「そんなの、嘘っぱちだ」
「兼さん」
「お前は嘘ばっかついてる。そりゃあ、そんなんじゃ、アイツらと一緒に胸を張って立てるわけがねえ」
「どういう……」
「本当に、思っていることだけを、兄弟に話せ。そんな上っ面な話じゃねえ。
そりゃあ俺たち新選組の仲間たちが来るまでに、お前が感じたことはわからねえ。お前が今話してくれるまで、俺は気付きもしなかった。口に、言葉にしなきゃ、伝わらねえよ、国広よぉ。
ぐちゃぐちゃいっつも考えてばかりで、ダンマリ決め込んでるんじゃねえ。腹だけ決めて、思ったことそのまま言えばいいんだ。
お前が誰だろうが、なんだろうが、俺は、そのままのお前をいつだって「国広」だと思ってる。
バカみてーに悩んでるお前も、なにも考えずにボケっとしてようと、戦いに出ればお前は俺の相棒だ。そこに嘘なんて感じたことは一度だってねえ。お前の記憶が曖昧で、出自がなんだろうが、知ったことか。
俺はお前が「堀川国広」だと知っている。
だけど、今のお前は気にいらねえ。
言葉遊びばかりして、本音も言わずに、逃げようとしているところは気に食わん。
なにより、兄弟としてずっとお前を受け入れてきたまんばが、山伏が、お前をそんな風に思ってるなんてことは絶対にない。アイツを信じないお前が悪い!
アイツを信じきれない理由はなんだ。それを示せ!
言葉より、行動だろ!」
嘘なんて、ついていない。
だけど、兼さんの言うように本音でもないのだろう。自分では、わかっていなかったけれど。
ずっと、気にしていた。自分は誰なのか、ということを。
山姥切国広は、「名」が正しいと言った。
だけど、ずっと不思議だったことがある。彼はいつも「山姥を切ってない」と常々言っていたからだ。
だからここの本丸の中では「まんば」という愛称が優勢だし、なにより僕が来るまでは「国広」と呼ばれていた。
名前だけが僕の全てだ。
名前だけで、彼らと兄弟になろうとしている。そんなに図々しいものであっていいのだろうか。
僕には、それだけの価値があるのだろうか。
わからない。自分の価値が、僕には、わからない。
「国広。そんなに重荷だってんなら、さっさとそのまんま思ってることを全部言っちまえばいいんだよ。
いちいちその考えてる時間がもったいねえだろ」
「そうやって、結局は他人事みたいに……」
「俺の話じゃ、ねえからな。あの二人が、お前が今更どうこう言ったところで態度を変えるとは思えない。
アレはアレで、頑固で国広とそっくりだからな。
兄弟ってのも、頷けるぜ」
「どこが」
ニヤリと笑った兼さんはいつも通りだ。強くて、カッコいい、僕の相棒。
僕になにかあれば一目散に僕のために駆け出して、その身を投げ打ってでも動いてくれるだろう。
なぜなら、僕もそうするから。
いつか見た、山姥切は、僕のためにその身を一度投げ出した。
僕は、それを許さなかった。
その違いは、なんだったのか。
僕が、身を投げ出したら、彼は、彼らは、あの綺麗な瞳を曇らせ、髪を振り乱して、落ち着いた声を張り上げてくれるだろうか。
布なんて気にせず、僕にそのむき出しの腕を伸ばしてくれるだろうか。
*
ある日、兄弟二人と薬研君が井戸端会議をしているのを見かけた。
本当に、井戸の傍で話している。笑いの沸点が低い青江さんが見たらきっとクスクス笑いが止まらないだろう、なんて考えた。
三人はまるで兄弟みたいだった。
薬研君は当然藤四郎兄弟の一人だから兄弟だらけだ。それぞれ似ているところも、似ていないところもたくさんあるけれど、その服装以外にも似通ったところがたくさんある。
だが、いつも目を見張るのは、山姥切との関係だ。
顕現初日からずっと一緒にいる二人。
その仕草も、笑い方も、ふとした表情も、よく似ている。
嫉妬で心が焼け焦げそうなほどに。僕といるより、ずっと自然で、穏やかで。
僕といる時は、なんだかどこか顔色を窺っている。そんな気配がもうだいぶ強くなってしまった。
全部自業自得だけれど。
自分のせいだ。僕のせいなんだ。だけど、この生ぬるい関係を崩したくない。なんてワガママなんだろう。いつからこんな自分勝手な感情に支配されるようになってしまったというのだろうか。
人の身とは、どうしてこれほど、ままならない。
苦しくて仕方がない。
つらい。悲しい。解放されたい。
なにから? どこから?
僕は、どうなりたいというのだろうか。
三人の笑顔が眩しくて、僕は目線を逸らした。
*
主さんにお願いした。
しばらく刀に戻してほしい、と。
刀解までいかなくても、この気持ちに整理がつくまでは、と。
でも許されなかった。
「どうして」というすこしの憤りと、「やっぱり」というホッとした気持ちが入り混じって、やっぱり僕は落ち着かない。
人間はすごい。
こんな気持ちを抱えて、どうやって暮らしているのか。
主さんには、全てを話せなかったけれど、兄弟たちからも相談を受けていたようだった。
ただ「よく、話し合いなさい」と言われ、自室謹慎となった。内番も、出陣も、体調が優れないということで免除された。
こんなの、人数が増えている現在、集団生活を営む上でやっぱり御法度だと思う。
消え去りたいと、強く願った。
案の定、僕の刀解申し出を聞いた兄弟たちが、夜僕の謹慎にあてがわれた部屋にやってきた。
そこは、懐かしい、山姥切と二人で過ごした、最初の近侍部屋だった。
「兄弟、少し、いいだろうか」
緊張を隠せない山姥切の声を、久しぶりに聞いた気がした。続けて「失礼する」という山伏の声も。二人とも、僕の返事なんて待っていたこともないくせに。その手には、小さな猪口が三つと徳利が二つ。三人で好んで食べた枝豆が簡易のつまみとして盆に載せられていた。
口火を切ったのは、山伏だ。
「単刀直入に言おう。
何を悩んでいる。拙僧らに、出来ることはないだろうか」
一口ずつ、杯を交わした。異国の地の物語では、同じ杯を交わすと兄弟と言うらしい。そんなことをボンヤリと思い出した。
「俺は、俺たちは、アンタを兄弟だと思っている。
苦しみがあるのなら、分かち合いたい」
二人の真っ直ぐな視線を受けきれなかった。
本当は嬉しくてたまらない。二人が僕のために、きっと示し合わせて来てくれたこと。二人が時間を割いてくれていること。心から、僕に心配の念を寄せてくれていること。そのすべてが、僕にだけに向けられていることが、無上の喜びだと実感した。
「僕が、もしも、堀川国広でなくても?」
二人の視線が戸惑いを見せた。
自分の声が、低く、暗く、希望を感じさせないものだと、ようやく気付いた。
「二人に良くされて、僕は嬉しい。すごく幸せだ。
でも、僕は、真贋不明なんだよ。もしも、違ったら、どうするの?
僕に、そんなに優しくされる価値なんてないんだ。
素性もわからない刀に、ずっとずっと、そんなことを考えて戦うことも出来なくなってしまったこんな僕に、君たち兄弟からそう呼ばれる資格なんて、欠片もない。僕は、ずっと、自分の素性を疑っているのに。どうして、君たちは、僕を兄弟と疑うことなく呼ぶことが出来るの?」
「資格なんて、必要なのか?」
山姥切の声は、穏やかだった。
「拙僧らの価値なぁ。いやいや、難しいことを考える。
見た目か? 名声か? 逸話か?」
山伏の声は朗らかだった。楽し気でさえあった。
向かい合っていた二人が、近づいた気配がした。右手を山伏が、左手を山姥切が握ったのだと思った。
僕の目は、もうなにも映せなかった。一口飲んだ酒が、とめどなく瞳からこぼれるように、滲んだ視界では、なんの判別もつかなかった。まるで、自分の名前も、根拠も、由来もわからない自分のように。
「ここで必要なのは、そんなものじゃない。そうだ、違うだろう、兄弟?
俺たちの価値を、実力を決めるのは、切れ味だ」
すっと、山姥切の手が離れたと思ったら、違和感を感じた。
ようよう、戻ってきた彼の手には、「僕」の本体が握られていた。ゆっくりと引き抜かれるそれを止めようとした。
やめてくれ。まさか。
「必要なのは、斬れるかどうか。主のために、この本丸のために、その身を使いこなせるか。それだけで、十分だ」
山姥切が、躊躇うことなく、その左手の親指を僕に滑らせた。
甘美なほどの震えが全身に走った。
本当に一滴だけの血が刀身に触れただけでわかる、飢え。
物足りない。それだけでは足りないのだ。
「右に同じく。同感であるな」
山伏の指先も、切っ先へと沈む。
おかしな声が出そうになって、この身を抱え込んだ。
酒のせいではなく、身体が熱い。戦いの時の高揚感が、一瞬で蘇った。
三人で出陣したのはそれほど多くない。山伏が顕現した時、僕と山姥切はすでに錬度がかなり上だったからだ。
たまに、主さんのご厚意で三人一緒に遠征やら特別任務やらに参加したくらいだ。
だけど、二人は知っている。
確かに知っているだろう。
堀川国広の、斬れ味を。
二人の血を、この身に受けて、陶酔したような心地は、心臓に悪い。
「やめて、やめてよ、二人とも……」
「この血をかけて、誓おう。お主の切れ味こそ、世が求めた『堀川国広』であろう」
「アンタは忘れてしまったかもしれないが、俺にも持論がある。
『名は、嘘をつかない』。
堀川国広。その名を、誇りにしてくれ。この切っ先の痛み、俺たちはこの身が朽ちるまで忘れない。
アンタの斬れ味は、俺たちが証明する」
「どうか、兄弟と呼ぶことを許してほしい」
「縁あって同じ場所にて巡り逢えたのだ。
この縁を、守らせてほしいのだ」
「僕は、でも……僕は……」
「お主らは似ているなぁ。コレが兄弟以外のなんだというのだ」
「「は?」」
「見目は違えど、魂はそれこそ写しのようだ」
「写しだけに?」
「俺は写しだが、堀川は写しじゃないぞ」
「そうではない。その思い悩む姿が、生き写しというのだ。
ここ最近のお主たちの焦燥っぷり、カネサン殿とヒヤヒヤしたものよ。薬研殿も、ずいぶん心配されていた」
「ごめん……」
「俺たちを似ているというのなら、アンタはどうなんだ」
「兄弟、なのでしょう?」
そう見つめる僕たちの瞳を受け流して、山伏は小さく笑った。
「拙僧もまた同じ。ぜひに兄弟と呼んでほしい。
修行が足りぬは拙僧もまた同じく。
お主たちの迷いを断ち切らせる説法も出来ぬ。拙僧もまた、常に迷いの中、我らはやはり似た者同士なのだろう。互いが、互いに近すぎると、分かりにくいのだろうなぁ」
「アンタが悩んでいることはわかっていた。
俺と、写しである俺と兄弟であることが、きっと、嫌なのだろうと思っていたんだが……」
「は、そ、そんなこと……思うわけが……」
「拙僧も、お主に話を聞いてみては、傍に控えていたりしたのだが、次第に距離を取られ……。態度で示すというのは、大変に難しいということを学ばせてもらった!」
「やめて! 全然気付いてなかった!! 傍にいてくれてるとは思ってたけど!」
「名は、誇りだものなぁ。拙僧らを繋ぐこの名が同じであるならば、拙僧もまた『兄弟』と呼んでもいいものだろうか?」
そういって差し出された腕は大きく、炎の影が刻まれていた。
この手を、もう一度取ったら、本当に兄弟になれるのだろうか。
こんな僕でも。山姥切の手も差し出される。二人の血は、もう止まっていた。
「僕、は、」
僕は、さみしかったのだろうか。
兼さんだけは、絶対に僕の味方なんだと、産まれる前から知っている真理のようなものだけを知っていて、なのに、兼さんがいないところに生まれ出てしまった僕は、「ひとり」ぼっちだと思った。
新選組の仲間だって同じだ。僕の仲間で、僕を知ってる。僕が真贋不明でも、どっちでも、「新選組」という括りの中で過ごした時間がある。
だけど、兄弟たちは?
山姥切は違った。
ただ同じ「国広」である、というだけで彼は僕を近づけてくれた。
ただその名を持つだけで。
僕になにかあったとしたら、彼はあの綺麗な髪を振り乱して、瞳を大きく開いて、いつも落ち着いている声を張り上げて、その身を隠す布を気にせずに、僕にその腕を伸ばしてくれるのだろうか。
この山伏も、また同じ。
僕は、彼らの血肉になれるのだろうか。僕と兼さんみたいに。
「堀川」
いつの間にか、流れていた涙は止まらずに、両方の目からまさに溢れだすようにこぼれていく。
「僕、こんな、僕でいいの? 兄弟なんて、呼んでもらって、本当に」
「なにがいけないんだ」
本当にキョトンとした声で山姥切が問う。
僕が君に抱くこの感情は邪なものだとしても、君は僕を認めてくれるのだろうか。
「みな、人型を取ってまだ日が浅いのだろう?
これもまた、修行であろう。兄弟同士、共に強くなろうではないか」
そういって山伏が僕と山姥切ごと抱きしめてきた。
「く、苦しい……」
「兄弟」
僕の少し震えて上擦った甲高い声が、初めて呼ぶ時みたいな、心細さで。
「ああ」
「なんだ」
応えてくれたことが嬉しくて、また「兄弟」と呼ぶ。
今度は、もう少しハッキリと。
「ああ、ここにいる」
「お主が自分がわからぬというのなら、拙僧らがここにいよう」
ああ、そういうことか。
「ここに、帰ってきても、いいの?」
「もちろんだ」
「同じ名を持つ者同士、共に修行に励もうではないか。どこにでも行くとよい」
「おい、どこかに行くなら俺を通してからにしろ。勝手にいなくなったら部隊が組めないだろ」
「待ってて、くれるの?」
二人して、僕を見つめた。
そして、破顔する。
「いつでも」
「これから、また強くなっていけばよいのだ。互いに色々と迷惑をかけよう。改めて、よろしく頼む」
兼さんのような相棒でもなく、新選組の仲間でもなく。
ようやく少しだけわかった気がする。
「家族」「兄弟」という名の居場所の意味が。
価値とか、そういうのではなく、ただ、居てもいいということのありがたさが。
誰からどう思われるとかではなく、僕たちがただ「そうだ」と信じあっているだけでよかったのだということが。
たった一つの、居場所が欲しかった。
兼さんが来る前の僕に、居場所がなかったから。
兼さんがいなくなったら、消えてしまう僕の、その前後の居場所。
だけど、今はどっちも必要だ。
同じ「国広」の名は、僕の重荷だと思っていたけれど、こうして今度は「幸福」の形になった。
*
それから色々なところに三人で行った。
時々は兼さんや新選組のみんなも一緒に。
花見をして、万事屋に行って、鍛錬に出て、戦に出て、助け合って、料理をして、洗濯をして、毎日を過ごす。
いつもは新選組で固められた部屋だけど、月に一、二回は三人で山姥切の部屋で過ごす。
夢のようだった。
僕に、兄弟がいることが。そう、信じ切れるということが。
生まれてきてよかったと、人のような喜びを感じた。
「ねえ、兄弟。前から気になってたことがあるんだけどさ」
「なんだ」
「前に『名は、嘘をつかない』って言ったでしょ? なのに、君は山姥を切ってないっていう。名前は嘘じゃないんでしょ? どっちが正しいの?」
布団を敷いていた山姥切が僕を見た。何を今更、というのを堂々と見せつけてくる表情だ。最近こういう不躾な顔をするようになった。だが、それも僕ら兄弟にだけなので、気分がいい。大概僕も兄弟バカみたいだ。
「嘘ではない。兄弟が勘違いしているだけだ」
「え、勘違い?」
山伏のほうがさっとそう答えた。山姥切はこれもまた最近よく見かけるようになった薬研君言うところの「ドヤ顔」をする。
「俺は、堀川国広の第一の傑作だからな」
おそらく、最初からわかっていたのだろう山伏の肩が震えていたことに、少しだけ怒りを込めて。
「ほんっと、兄弟バカなんだから!!」