その腕を伸ばせ ソハヤノツルキが、久しぶりに近侍になった。
というのも、顕現当初は人間の生活を学び審神者との信頼を深めるため強制的に近侍に配置され、その後順番制のはずなのだが、その初回以降は実際はあまり回ってこない。基本は刀帳順のはずだが、入れ替わったり、遠征だったり、出陣だったりと厳密にちゃんと設定されているわけでもなく、審神者の側には近侍の他いつも世話係として初鍛刀の前田藤四郎と、諸事情があり現在この本丸では初めて二振目として顕現した肥前忠広(一振り目と呼び分けるために通称「忠広」と呼ばれる)がおり、前田が出陣の時には初期刀の山姥切国広(通称、切国)がいるため、近侍の役割はほぼ名前だけであり、どちらかというと審神者と接したいものが名乗り上げている、という程度のものだからだ。とは言っても近侍になれば仕事は割り当てられるので、単に審神者と話したければ普通に執務室に遊びに行けばいいだけだ。だから近侍の重みはすっかり無い。物好きの仕事である。
ソハヤノツルキもまた、別に近侍を望んだわけではなかった。ただ、何の気なしに風呂で山姥切国広と一緒になった際、別れ際に「明日から近侍を頼む」と言われて反射で「おう」と返事をして、自室に戻ってようやく「近侍?」となったのだった。
翌朝大典太と一緒に朝食を食べていると、審神者が入ってきた。今日もいつも通りパーカーにGパンというラフな出立ちで、いつも眠たげな目をしている、髪と瞳がやたらと染めたように漆黒の男だ。適当に切られた前髪はいつも瞳を隠すように長い。初期刀の山姥切国広より気持ちほんの少し上背があるヒョロリとした若者だった。そういうといつも「お前たちから見ればオレなんか赤子じゃないか」と半笑いで返ってくるのだが。
ソハヤを見つけると審神者が声をかけた。
「あ、ソハヤ聞いた? 近侍の話」
「ああ、聞いている。この後執務室でいいんだろ? 久しぶりすぎて仕事なんて微塵も覚えてないぜ?」
「いいよ、別に。まあ、今日はあんまり忙しくないからなんか本でも持ってきたら?」
「じゃあそうさせてもらう」
「うん、またあとで」
素気ない二人の会話を聞いていた大典太のほうが「あんなので大丈夫なのか?」と前田に後で聞いたくらいだ。なにを心配したのか、大典太はソハヤに隠しているが実は甘党の主のために三池部屋にあったつまみの中で唯一甘い柿の種チョコを持たせてくれた。
部屋に入ると予想通り前田と忠広がいる。忠広は大体寝ているが、時折審神者の手元の書類を確認しては赤を入れている。脇差らしく几帳面らしい。前田はスケジュール管理というかタイムキーパーというか、適度に休憩を取らせつつ、茶菓子の準備や遠征の出迎え、出陣スケジュールを知らせてくれていた。秘書か。ソハヤが顕現した当初は切国はまだ修行前だったし、前田もすぐに修行に行き出陣が多かった頃なのでこの体制になってからは初めてだと気付いた。もうずいぶん前のことのようにすら思える。
ソハヤには来月の内番表の作成業務があてられたが、余りにも複雑すぎて頭を抱えてしまった。いつからそこにいたのか、忠広がボソボソとなにかを言っている。
「グループ振り分けだけでいいんだよ」
よく聞こえなくてもう一度忠広の顔を見つめると、口元をもごもごとした後にぼそりと教えてくれた。色々あって他本丸から引き取った忠広はまだ審神者と前田以外にはそれほど心を開いていないとは聞いていたが、こちらの仕事ぶりは気にかけてくれる素振りがあるだけ根っこはいいやつらしい。
「グループ?」
しかし、その問いには答えてくれない。その先の言葉を待ってみたが、特に続きはなかったので、前田を見たら、苦笑して教えてくれた。
「こちらの全体表ですよ。ソハヤさんは大典太さんと同じ八班でしたよね?」
「ああ、班分けか」
「お二人はきちんと割り振られた通りにご対応いただくことが多いのでご存じなかったかもしれませんが、同じ班員同士なら入れ替えが可能なんです。だから全刀種刀派全班ごちゃ混ぜで設定しています。これなら刀派で出かけたいという場合でも、同じ班員の方に代わってもらうことで仕事の穴は出さずに済みますので」
「はあ〜、なるほどね。しっかし、本数が増えたぶん、めちゃくちゃ大変になったな、この当番表」
「まだまだ。これと出陣一覧、それと、本人から上がってきてる有給願いを照らし合わせるんだよ」
笑いながら審神者が口を挟んできた。どうやら忠広のチェックになって手が空いたらしい。手渡した柿ピーの小袋をもう開けていた。
「やってられるかこんなの!」
「まあまあ、これも経験と思ってよろしく頼むよ」
ははははは、と軽い笑い声に時折励まされながら、その日の近侍を終えた。
近侍は通常一週間毎に切り替わる。次の日には荷物持ちを請われ買い物に行き、別の日には畑仕事を手伝う審神者の手伝いをし、なかなか終わらなかった定時報告のために食事を一緒に執務室で取ったり、その流れで一緒に風呂に入ったりした。
これほど長い間審神者のそばにいるのは久しぶりである。放っておいても霊力じゃんじゃん出てますよ、という状態になってしまい、時折恥ずかしい目にも合った。あーだこーだ言っているが、ソハヤだって今代の主はこの男だと思ってい、呼び出された以上は資質があるのだろうこの男の元で戦うことに異論はない。そりゃあ、主の近くに、そばに置いてもらえることは物の本分として嬉しい。ありがたい。楽しい。突然の出来事すぎてすっかりこの近侍の日常がまるで元からだったような錯覚すら起きているほどには。
なにより、この審神者は兄弟分がいる刀には極力兄弟で過ごす時間を維持させていることに好感を持った。もうカンストしている三池二振りも、まあ正直暇といえば暇なのだ。同室でお互い暇とあれば当番などなければまあまあ大体連んでいることが多かった。近侍になっている以上、兄弟と過ごす時間は減る。ついでとばかりに主に呼ばれて三池兄弟揃って主と食事を取ったり散歩をしたりするのは悪くなかった。むしろ、自分よりも兄弟のほうが馴染んでいる気すらする。
「なあ、兄弟」
「なんだ」
「なんか、もしかして、兄弟、主にずいぶん慣れてないか?」
「まあ、な」
「なにその思わせぶりな言い方!!」
翌日主を問い詰めるとあっけらかんと「え? 大典太と仲が良い? そりゃそうだよ」と言われて自分だけが知らなかったのかとガックシと肩を落とした。
「だってオレたち、ネコちゃん仲間だもん」
「……初耳だが?」
猫は好きだが、猫のほうから寄ってきてもらえないので、猫の動画を観る会らしい。会員は他に骨喰と安定、秋田。本丸動物マスターである秋田がいる時は万屋街をウロウロしている猫を触れるということで秋田が参加する日は大人気とのことだった。
マジでなんも知らんかった。どうやらみんな(秋田以外)他の者たちに知られるのが恥ずかしかったとのことで特に他言無用ではないのだが広まっていなかったようだ。骨喰は単に聞かれなかったから言わないだけだろうが。
そして、なんだかんだと話題が尽きることはなく、それから一ヶ月、近侍を続けている。
*
「長くないか? 近侍の期間」
さすがに気になって思わず審神者本人に聞いてしまった。今日のおやつである栗蒸し羊羹を前にして。
この審神者はどちらかというと裏表がないほうだ。単純であり、人がいい。そしてあまり器用ではない。少なくとも、付喪神と名のつく物に対して隠し事が上手くできるような人間ではないとソハヤは踏んでいた。もちろんそれ自体は好ましいと思っているが、将としての器にするにはあまりに甘すぎる。人間らしい一面は愛すべき美点だが、その情の持ち方は危険だと、改めてこの一ヶ月感じていたところでもあった。
それなりに色々と考えて本丸運営自体はやっているようなので、己を側に置いていることにもきっと意味があるはずである。ただ、それを告げられないという少しモヤモヤしたものを抱えるのに、なんとなくバカらしさを感じたので、単刀直入に聞いたまでである。
「え、今更言う? まあ、結構持ったね」
「ああ?」
「うわ、こわ。急にヤンキーみたいな態度とるじゃん」
いつもはそばにいる前田と忠広は別件で席を外していた。最近こういうことが多い。おそらくこれもまた審神者の采配だろう。あの二人がいては聞けるものも聞くことが出来ない。手のひらで踊らされているようで面白くないが、さっさと蹴りを着けたい。
「近侍、嫌だった?」
「そういうんじゃない」
「オレにそうやって直接聞いてくるあたりがいいよね、ソハヤ。
切国と仲良いし、大典太とオレがそれなりに仲が良いってわかってても直接言ってくるところ。オレはお前のそういうところが好きだな」
「ぐ……」
そうなのだ。もっと早くに聞くことだって出来た。めちゃくちゃ古参というわけではないが、本数が増えた現在では古参といっても充分な年月はここにいる。それなりに仲の良い刀たちだっているし、切国は飲み仲間かつ唯一の写し仲間として一緒にラーメンを定期的に食べに行くくらいには親しい。兄弟のことなら、なおさらだ。
だが、こうして一ヶ月過ごしてみて、審神者に直接聞かないほうが納得出来なくなっていた。
彼からの信頼を十分に感じたこともあるし、ここで逃げるように他の刀たちに聞くのは己の性格上、許せない。まあ、そんなところも踏まえての審神者の反応なのだろうが、面白くはない。憮然とした顔を向けるとさすがに「ごめんごめん」と、謝られた。その態度が謝罪には見えなくても、この男には悪意がないのがわかっている。これが二人が過ごしてきた一ヶ月の成果である。
「じゃあ、そろそろいいかな。実はソハヤに頼みがあってね」
「ふうん」
「実はオレ、近いうちに呪われるらしいんだよね。こんのすけに注意されてて」
「……は?」
待て待て待て、と静止させる。わははは、といつも通りの態度である。
「オレの霊力を覚えておいてくれ。ソハヤノツルキ。
オレに何かあったら、お前が頼りなんだ」
その言葉だけは、明らかに真実を含んでいた。そして、タイミングよく前田たちが戻ってきた。作業に戻ってしまい、その日はそれだけだった。
「犬じゃねーんだぞ、犬じゃ……」
とは呟けずにソハヤの胸の内でのみ突っ込まれたものである。
「そりゃあ俺だっていくらなんでもおかしいって気付くわけよ」
「あんたが気付かないわけがないだろう。それに気付いてくれなきゃ困る」
予想していた通り、切国は終業後に訪ねてきたソハヤの言動を当たり前に受け止めていた。中へと促されぞんざいな手つきで差し出された座布団に遠慮なく座る。ここまではいつも通りだ。
「主から、俺をそばに置いていた理由を聞いた。いや、詳細は聞けていないが」
「なんだ、もう話したのか」
「もう? やっとって感じだったが?」
「ああ、いや、最初からそういう理由で呼ばれて側仕えになったらあんたの負担になりそうだからしばらくは言わないと聞いていたんだがな」
「一ヶ月はそこそこ長いだろ⁉︎」
「違う。あんたと主の信頼関係が築けるかどうかの話だ。あんたも主も、慎重だからな」
「ぐっ…!」
それは、その通りだった。己の主なのだ。不快感もないし、不信感だってない。だが、それはそれ、これはこれだ。
切国に言われたように、ソハヤの中の主はもう少し大人しいイメージだった。こんなふうに裏で手を回すような男だったとは、見抜けていない自分の見込みの甘さが嫌になる。まあ、あまり主と積極的に関わって来なかったので、何年も前の顕現当初の頼りないイメージに縛られていたのだろうとは思うが、人間が成長することを忘れていたのは完全にソハヤの落ち度だ。
「……悪い奴ではない」
「知ってるよ」
さすがに押し黙ってしまったソハヤに気を遣ったのが、切国が取ってつけたような口添えをしたのを笑った。あの男を悪いやつだと思えるような輩はさすがにこの本丸にいるわけがないだろう、と思っていたら続きがあるらしい。
「なにより」
「うん」
「俺を初期刀に選んだんだからな」
想像していなかった言葉に思わず吹き出した。
「お前! 自信過剰が過ぎるだろ!」
「あんたが言ったんだろ。お前の物語を作れと。俺は、主と、二人で俺の物語を作ってきたまでだ。その結果がこれなだけだ。
もちろん、この本丸の全ての刀がそうだ。笑っている場合ではないぞ、ソハヤノツルキ」
だが、そう言っている本刃は笑っていた。
出会った頃の、ボロ布を纏った姿ではすっかりなくなったが、あの時からそんなに言うほど中身は変わっていないとソハヤは思っている数少ない刀だった。ソハヤが来てからなんやかんやで初期刀には世話になっているが、ソハヤもまた逆に山姥切国広のグチグチとした写しの悩みを聴き続けてきたのだ。言いたいことを言い合えるほどには。
「お前は今回選ばれたんだ。
頼むぞ。お前にしか出来ない。俺たちの主を、守るために力を貸してくれ」
そういって下げられた頭の金色がさらりと揺れた。
「何言ってんだよ。
当たり前だろ。詳細はちゃんと教えてもらうが、俺を誰だと思っている。
こちとら、主の護り刀なんでな!」
*
あれから三日後、今後の戦況について検討事項があるということでソハヤも呼び出された。
「では、これより会議を行う」
「みんなよろしく頼むよ」
会議の始まりを告げた長谷部をちらりと見て、審神者が中心に座った。事前に平野と北谷菜切が全員に鶯丸選抜の煎茶とどら焼きが配られていた。
通常の軍議では各刀種によって作られている班長が代表として参加し、班員以下に情報を下ろす。今集まっている面子を見ると、確かに少し特殊な事情らしい。
いつもの軍議には主は参加しない。刀たちが出した答えに承認を下すというフローだ。こういった場に審神者がいるということは、彼本人にも直接関わる事項であるのだろう。
集められたのは、三池兄弟、青江派、大太刀兄弟、石切丸、鬼丸、と霊力、霊刀うんぬんという刀たちが多い。そこに初期刀、初鍛刀の切国、前田、そして忠広。会議を取り仕切っているのは長谷部と山姥切長義で、そこそこ部屋は満員という様相だ。
「えーと、まずここに集められた面子の経緯と、これからの検討事項について。切国、頼む」
「ああ。まずはおおよそ半年程前の審神者会議にて通達があった連絡網を覚えているか? 各刀種への連絡掲示板に載せていたものだ」
「犯行予告のことかい?」
青江がすっと手を上げて確認をする。
「そうだ。こちらの本丸設置サーバー全体に対しての無差別攻撃の予告があった件のことだ」
「そんな昔のこと、すっかり忘れてたねえ」
「その通り。だが、実はあれは生きていたらしくてな。
先々月、実際に本丸襲撃があったとの連絡があった」
一瞬で室内がザワッとする。
「それは聞いていないと思うのだが? 連絡漏れではないのかな?」
ヒヤリとした口調の長義がじろりと切国を睨むが、「ああ、いや、違うんだ」とすぐに審神者が停止に入った。
「不確定要素があって、全体通知は控えろとのことで、その段階では切国と前田、忠広と、その時近侍だった鬼丸にしか知らせてないんだ」
「一時期、天下五剣が連続して近侍にされた頃がありましたが、その頃のことでしょうか?」
数珠丸が言った言葉にわははは、と笑う。
「一応、審神者の周辺は警戒を強化しろって通達があったから、わかりやすくね。あとは脇差の見回りも増やしてもらってる。なあ、青江」
そうだね、と青江が微笑んだ。
「そこでその後、さらに情報がきた。
どうやら、狙われているのは二世および三世の審神者らしい」
「なるほど」
鬼丸がつぶやいた。
「それで俺にお鉢が回ってきたということか」
「鬼丸はなにを頼まれたんだい?」
石切丸が問う。
「夜にこの本丸に夢を通じて襲撃するものがいないかの警戒だ」
この審神者は祖父が審神者だったため、本丸丸ごとの相続は無かったが、祖父の死去後審神者になった、ある意味三世である。すでに狙われていた、ということらしい。
「そういうことだ。襲撃があっても全体に周知出来なかった理由は実際には襲撃とはすぐにわからなかったことだ。
襲撃と判断された本丸はそれぞれ審神者自身の手によってゲートが封鎖され、火を放たれたり、刀たちは刀解された。まるで、内部の反乱のように」
「刀解? 審神者本人の意思なくては出来ないことだろう、それは。錯乱状態で審神者を操るといってもそんなことが可能なのか?」
長谷部の驚愕の声に、多くの者が同意だったらしい。多くの視線が説明の切国に集まっていた。
「俺が知るか」
ふん、と面白くなさそうに反論した。だが、すぐに、全員を見回す。
「だが、可能なんだろうな」
「と、言うわけで策を練ろうということになった」
「前置きが重過ぎるのでは?」
「太郎ってこういう時ちゃんと突っ込んでくれるから好きだな〜」
「なんだい、次郎さんだってちゃんと突っ込んであげてるじゃないのよ〜」
「次郎も楽しいけど、太郎のドライさがいいって話だよ」
「主、本題に戻るぞ」
「はい」
そして切国、前田、忠広の視線がソハヤノツルキにいったことで、全員の視線がソハヤに集中した。
「お、俺ぇ⁉︎」
「そうだ。
こちらの奥の手としてソハヤノツルキを用意することにした」
それに「ほう」とだけ感嘆の言葉を呟いたのは鬼丸だった。石切丸や青江派も納得したように頷いでいる。
「まあ、適役だろう」
「鬼丸⁈」
「推薦は大典太。まあ、ほぼ身内贔屓みたいなものだけど、この一ヶ月近侍をやってもらって、オレもソハヤも少しずつお互いに慣れてきたところかな」
「待った、待った! あんまり俺、自分の役目がわかってないんだけど⁉︎ 急になに⁈」
ソハヤの叫びに同調したのは長義と長谷部だった。
「俺も同感だね。もう少し作戦について詳しく説明してほしい。これでは打刀全体へ話は下ろせない」
「具体的な策はどうなっているのですか、主」
ここぞとばかりにソハヤも追撃する。
「霊刀たちだけで納得されてもな」
「お前こそ霊刀だろうが」
切国のツッコミに睨みを返すが当然効くわけもない。
「作戦は前田、頼む」
「承知しました」
すっと立ち上がった前田が前方に置いてあったホワイトボードをひっくり返す。補佐として忠広が赤ペンを持った。そこには本丸の配置図がすでに記載されていた。
「作戦の立案は大典太さんと僕、切国さん、そして三日月さんです」
「三日月?」
「ご本人は後は出番がないとのことで、こちらにはいらっしゃいませんが、ご助言頂きました」
「嫌な予感しかしないが」
「まあまあ。
襲撃についての政府からの情報ですが、襲撃は夜です。基本的には先ほどの切国さんのお話にあった通り、審神者本人に呪いがかけられるようです。それに気付かず寝付いてしまうと、警戒をすることも出来ずにされるがまま。そのため、まず第一に主君のお身体の確保が最重要となります。
すでに短刀たちには政府より警戒が発されているということで、夜の寝ず番を増やしています。今までは本丸全体の見回りで二振、主君の寝屋の警護に一振りとしていたところを寝室警護を三振としました。これは万が一の刀解があったとしても主君を止められるだけの人数としています。本日以降は青江さんより通達してもらい、脇差の皆さんも日中の見回りを緩くしてこちらの警護に加わっていただきます。日中は打刀の皆さんに代わってもらいますね」
「了解。まあ、脇差のみんななら問題ないと思うよ。それに、忠広くんもいるんだろ?」
「まあな」
「打刀勢も問題ないだろう。すぐに当番表は手配する。脇差と短刀のを共有してくれ」
「承知しました」
ここでソハヤはようやく理解した。忠広が日中なぜあんなに寝ていたのか。顔色が良くないのはいつものことなので、あまり気にしていなかったが、彼は短刀たちと交代での警護で付きっきりでもあったのか。なおかつ、彼には現在出陣予定はないので、ほぼ主のためにずっと気を張っていたのだろう。そう思うとホワイトボードに警護の担当者位置を書き込んでいる忠広に突然健気さを感じ始めた。
「続きまして、呪いのかけられる経緯についてです。
こちらについては決定打がないようで、警戒すべき対象についての情報はありません。
ですが、当然外部からの接触が一番高い可能性があるので、皆さんお気づきでしょうが、まず先月より演練を取りやめております。
これはそのまんまですね。知らない者と主君の接触可能性を下げるためです」
「まあ、それは仕方ないですね」
「そして、細かいことですが、現在荷物や郵便物についても全て石切丸さんと数珠丸さんの確認後に主君へとお渡しいただいております。今後は僕たち男士宛に届いたものも不審なものがないか、プライベートに配慮しつつ確認させて頂きます」
「ああ、あれもなのか。それはそうだね」
「あれくらいなあお安い御用です」
そして、コホンと呼吸を整えてソハヤを見た。
「これまでは予防的な観点からの対策でした。では、具体的に主君が呪いにかけれた場合についてです。
まず第一陣として、先ほどの話にあったように、短刀・脇差によって主君の身柄を取り押さえさせて頂きます」
「改めて言われるとめちゃくちゃこわいな」
「同意の上でしょう。主君も納得されたじゃないですか!」
「いや、オレもうそれ記憶も意識も無いんでしょ? マジこわいな。お前たちに刃物向けられるの」
「僕たちだってそんなことしたくありませんよ‼︎」
うんうん、と皆が前田の言葉に頷いた。まあ、わかってるけどさ〜、という主のぼやきを無視して先に進めることにしたらしい。
「その後、緊急訓練時と同様、本丸敷地内の警備対応を現在こちらにいる方以外に対応頂きます。
その間、石切丸さんと太郎さん、次郎さんは、本丸の結界の強化、確認。敵の侵入が認められる場合、遊軍として切国さん、僕、青江派のお二人にて対応します。長谷部さん、山姥切さんは全体の指揮指導。連絡体制を確実に維持してください。適切な情報管理が必要です」
「承知した」
「そして」
「ソハヤさん、あなたには主君の救助をお願いいたします」
「救助?」
疑問を呈したソハヤに返事を返したのは兄弟だった。
「お前の霊力で主を探し出すんだ。
肉体はあっても魂を取られてしまえば俺たちには手も足も出ない。現状の予想は夢の中の呪いということだが、夢の中にいる鬼がいるなら鬼丸が斬ることが出来る。だが、それを見つけ出すことはこいつには出来ん。
だから、ソハヤ。お前が、その霊力で主の捉えられた魂を見つけ出し目覚めさせる。鬼は主に付随しているから主の居場所が分かれば鬼丸も動ける。それが、お前の任務だ」
「おれの専売特許は鬼を斬ることだけだからな。捜索は霊力コントロールの効くお前たちのほうが適役だ」
「斬るだけなら髭切でもいいけど、今回は条件的に鬼丸の出番っぽいからね」
「だが、そんな周りくどいやり方で来られるとおれでは対処しきれるかわからん。確実でないと困る」
「いやいや、待てって。俺だってそんなのわかんねえよ。
俺の霊力はそんな万能じゃねえぞ⁉︎」
「いや、お前には出来る」
忠広がハッキリと全員に聞こえる声で言った。
「まだ気づいてないようだが、あんたは主と過ごしたこの一ヶ月でだいぶ馴染んだみてえだがな」
「その通りだ」
「兄弟?」
大典太が手元にあったペンを構えた。
「これは誰のだ」
「主のだろ?」
「え? オレのじゃないけど……」
「え?」
「先日の近侍の際に俺も一緒にいたが、その時に主が使っていたものだ。ほんの少しではあるが、霊力は移っている。これは元は切国のものだ。だが、最後に使った主の霊力だけをお前は見極めているということだ。自分たちの大元となる審神者の霊力はよりハッキリとわかったからだろう」
「うぐ……」
そうだ。直感でしかないが、明らかに誰が使ったものなのか、ハッキリと、視界に見えた。姿形まで、クッキリと。
「それに、あんたは主の思考をすでに読み取れるようになっている」
「いつ⁈」
「最初の頃は休憩のタイミングも飲み物も前田頼みだった。だが、途中からあんたが先導して用意をしている。
こいつは基本はコーヒー党だが、気分や相手によってコロコロと変える。あんた、途中から一度もこいつに聞いたことないだろう。
そして、主もまた浮かれてんだよ。自分が飲みたいもんが黙ってても出てくるから『気が合う』なんてヘラヘラしてよ」
「あれ……? 言われてみれば……? 確かに、途中から一回も聞かれてなくない?」
「俺とソハヤは霊力をぶつけ合うことで完全とまではいかないが、多少は意思を伝え合い、理解し合うことが出来るが、それと同じことが主に対して起きているということだ。俺たちは同派のよしみだが、主に対しては供給される霊力を通じてだ。
つまり、自分の主であれば、俺に対してと同様に霊力を辿れるということだ」
「霊力、万能すぎないか?」
「無意識に使い過ぎだろ。慣れすぎてわかっていないだけだ」
前田がおずおずと言い出す。
「ソハヤさん、ご存知無かったのですね……」
「え、なにが?」
「主の居場所も、あんたよく教えてくれたじゃないか」
呆れたように続けたのは切国だ。
「ソハヤに訊けば主の居場所のおおよそが分かると有名だったが、まさか本人が無意識とは」
「なんかここ最近やたらとみんなして俺に主のこと聞いてくんな〜って、近侍だからかと思ってたけど、そういうこと⁉︎」
それはそれで複雑な気分だ、と肩を落とすソハヤの頭を大典太が撫でつける。鶏冠を弄られるのを嫌うのですぐにその手は引っぺがされたが。
「まあ、そういうわけで、まだまだ警戒は解けないけど、みんなよろしく頼む。犯人が先に捕まってくれたら話は早いんだがな」
「そうそう上手くいくものか。あんたは警戒心が低いんだ。日頃からもうちょっと警戒しろ」
そういう忠広の小言で、本日の会議はお開きとなった。
*
あの会議の後、兄弟と審神者が話していた。用を足して執務室に戻った時だった。
「兄弟はどうだ。上手くやれているか」
自分にはそんなこと言ったこともないくせに。急にお兄ちゃんぶるな、とひっそり笑うも、主の見解は知っておいてもいいなと思って、室内に入る手前で止まった。
「そりゃあもう! 噂通りだよ。
太刀はみんな大雑把な印象だったけど、あの堀川が大包平とソハヤなら細かいこと任せてもいいって言ってた通り。何やらせてもわからないことはちゃんと聞いてくれるし、メモは取るし、質問は的確だし、ちゃんと確認は二回してるし、なんて……事務の出来る……男士……。
大典太と兄弟と思えない」
「あんたが好きにしていいといつも言ってるだろう」
「だからって仕事してる主の横で堂々と昼間から酒飲む男士いる⁉︎」
「はあ? やば?」
どうやら寝ていたらしい忠広が寝起きのような掠れた声で呟いた。
「……あー、まあ、そうだな。兄弟なら上手くやれると思っていた通りだ。俺も鼻が高い」
「まあ、ちょっと気になるところはあるけど……」
「たとえば?」
おそらく、大典太はソハヤに気づいていて主に言わせようとしている。少しだけ身構えた。だが、すぐに主のあっけらかんとした言い方が耳に飛び込んでくる。
「真面目過ぎるんだよな。
もっと大雑把でもいいくらいだ。小烏丸様のあのマイペースと足して割って丁度いいくらい。そこら辺は獅子王にでも心構えを伝授してもらったほうがいいんじゃないか?」
「ふん、そこが兄弟の美点だ」
「分かってるよ」
「けっ、身内贔屓じゃねえか」
忠広が鼻で笑った。しかし、忠広にも審神者の叱咤が飛んだ。
「あと忠広。お前もソハヤに求め過ぎるな。
出来る奴が来たから喜ぶのはわかるけど、他の奴と比べるな。比べてもなんにも良いことなんてない。
脇差はそれで仲良く役割分担出来てるからいいけど、オレは他人と比べられるのは好きじゃない。
お前も、肥前と比べる必要もないし、比べてない」
「おれは別に」
「そう見えるの。お前も、ソハヤも、そのままでいいよ。
そのままでいてくれよ。オレに合わせて変わろうとしてくれるのは嬉しいけど、別にお前たちはそのままがいいよ」
「そのままってあんた……」
呆れた声は忠広だが、兄弟の気配が少し喜んでいる。あまり己のことを話さない主だが、こうした少人数ではポロっと本音なようなものが落ちるのだろう。かつては初太刀の鶯丸にしか愚痴も本音も言わないと評判だったのだが。
「人の欲望ってのは際限ないんだよ。
よくわかんないもんは、よくわかんないもんなの。
その姿で顕現したなら、そうなんじゃないの? その姿が必要で、そうある必要があって、苦しいとか、悲しいとか、引きずって生きなくちゃいけないのは大変だろうけど、だからってそこを変えたらお前たちじゃなくなるだろ」
きっと、その時みなが思い浮かべた筆頭は主がよくよく構い倒している小夜左文字だっただろう。
苦しみすらも需要し、抱えたまま生きる。その手本としてこの本丸でも第一線で活躍している。
「オレは、ただ、お前たちは、思うように、そのままでいてほしいよ。
誰も、今のお前らの代わりなんて、いないんだから。
ソハヤも、忠広も、大典太だって、もちろん、切国や前田も、この本丸の、ここにいるオレが顕現した奴らみんなさ。
まあ、だからって近侍を甘やかすなって前田にも注意されるけどな〜〜」
わははは、と照れ臭さそうに笑った声に、少しだけ、鼻の奥が詰まった。
もう行こう、と思ったら先に兄弟が部屋から出てきた。静かに障子を締めて、こちらにずんずん歩いてくる。花びらが散っている。長い腕が伸びてきたと思ったら、ぐりぐりと頭を撫で回された。まるで、自分のことのように喜んでいるらしい兄弟の姿に、こちらまで釣られそうになる。
「やめろっ! ぐしゃぐしゃになるだろ!」
「ぐしゃぐしゃにしているんだ」
ソハヤは小さくはないのだが、兄弟はそれより更にデカい。わーわー! と押し問答をしている内にこちらまで花弁が舞っていた。
主っていうのは、あんな風に、刀を、部下を、付喪神を、想うものなのだろうか。
ありのままでいることがツライならどうしたらいいのだろうか。時々主が左文字の刀たちと散歩をしたり、簡単な料理やおやつを一緒に作ったりして交流している。小夜左文字が、ふわりと笑うのは主がいる時によく見かける。
ありのままでいてこそ、あの笑みを浮かべられるようになるのだろうか。
ソハヤにはまだわからない。けれど、この隠しきれないふわふわとした「大切に想われている」という事実に、涙が出そうになるほど、嬉しくなってしまったのだ。照れ隠しに大典太がそうやってウザ絡みをしてくるのはよくあることだが、ああ、そうか、そうやって、猫が好きで、でも動物は怖いし自分が近づくのはかわいそうという想いでいた「そのまま」を受け入れてもらった兄弟がいたのか。ほんの些細なそんなことの繰り返しで、この審神者は、ここの本丸を作り上げてきたのか。
ますます、守らなくては、という意識が強まった。
それからも、ソハヤが近侍の日々は続いた。本丸全体に政府より通達があったこと、厳戒態勢を敷くことを告げてからまた時間が経った。
特に変わり映えのない平凡な日々だ。もとよりカゴの中の鳥のような生活だ。あまり審神者の生活には変化はない。だが、少しずつ制約される苦しみを感じ始めているのは他の者たちも同じだった。演練も外出も控えて、刺激の少ない日々は短い時を生きる人間には苦痛だろう。
「毎日暇だな〜〜」
「暇ではないだろ」
「そうなんだけども〜〜」
ゴロゴロと転がる審神者は運動不足を嘆いていたのでつい先ほどまでソハヤと筋トレをしていたが、十分も持たなかった。大の字に寝転がってゼェゼェとしているのを冷めた目で見つめる。
「あんた、よくそんな体力で生きてこれたな」
「お前らが、異常なんだからな⁈」
前田は現在おやつを取りに行っている。そこに大典太も同行しており、人数がそこそこいるからと、忠広は今隣の近侍部屋で仮眠を取っていた。
今日のソハヤはなんとなく落ち着かなかった。
今朝は起きた時からずっと胸の内がザワザワとしている。兄弟とも話したが、大典太はそこまでの予感はないというが、警戒を強めておいたほうがいいだろう、と話し合っていた。そんなこともあって大典太も今日は一緒に執務室に来ていたのだが、二人きりになった室内は、どこか空虚さを感じた。久しぶりにずっと本体を手の届くところに置いているソハヤに主はなにも言わなかった。
「主、少しいいかい?」
「山姥切」
「失礼いたします」
「っと、珍しい組合わせだな、白山か」
「いいだろう、別に」
「誰もダメとは言ってないだろ」
すぐに不貞腐れた態度を取る長義がかわいいとうっかり本刃に聞かれてからは審神者はニヤニヤした顔を隠さなくなった。それを知っている長義もまた不貞腐れた顔を普通にしている。どちらも太々しいな、とソハヤは思うが、しれっとした顔で二人分の座布団を出した。二人か軽く頭を下げて座る。
「呪いの掛け方について調べていたんだが」
「お、山姥切、誰か呪い殺すのか?」
「そんなわけないだろ! 自分のことなんだからもうちょっと危機感を持ってもらえないかな⁉︎」
「めちゃくちゃ怒ってくるじゃん……」
「山姥切、心拍数の上昇を確認。落ち着いてください」
「君はスマートウォッチか?!」
「今日もツッコミが冴えてるなぁ」
「あなたも手伝ってもらえないかな⁈」
最終的にソハヤまで怒られたのでどうどうと自分より一回り小さな背中を撫でてやる。白山は頸動脈を測っていた。
「白山。そんなことはしなくていいから。ほら、主に報告して」
「はい」
白山が袖から資料を取り出した。
「「そこから?」」
さすがに審神者とソハヤが同時に突っ込む。ゴホン、と長義の空咳が響いた。
「政府が公開している審神者の死亡理由の統計です。ここ十年のデータを集計いたしました」
「え、こわ」
「その内呪いによる死亡は一割ほど」
「母数は?」
「おおよそ三万です」
「結構多いな⁈ いやまあ、十年分か……」
「あまり詳細は書けないからだろうが、呪いによるものと断言されただけでも一割ということは実際には更に多い可能性もある」
「なるほとな。手法を真似る輩もいるし、いや、ああ、なにより呪いなら呪い返しによる死亡もそこに含まれるってことか?」
「呪い返しによる死亡についてはその通りだが、そちらは別途、『不審死』と表現されている」
ふうん、と白山の資料を手に取った。
老衰、自殺、病死、交通事故、戦死(本丸襲撃含む)など、様々な死因が並ぶ中ハッキリと呪いと表記されている。随分とポピュラーな手法のようだ。
「みんなそんな呪いたい奴なんているわけ⁈ 荒んでるな〜」
「あんたのその健やかさは確かに誇っていいと思うぜ」
「まあ、数少ない美点だね」
「一言多い」
ギッと長義を睨むが、長義はふん、と鼻で笑った。仲良いなぁ、なんて思いつつ資料を読み進める。
「手法の一覧はこちらです」
「おう、ありがとな」
白山の細い指が指し示した一覧表には太古の昔から連綿と続く呪いの手法が並んでいた。
「嘘だろ? まだこんなことしてる奴いんの? 平安に生きてんのか?」
「暇人がいるんだろう」
「これ、呪いをかけてくるのは人間? それとも男士?」
審神者が言った言葉にその場が固まった。
「……おおよそ半数です」
「ふうん。そりゃあ自分の男士使ってやらせる方が効率もいいし、呪い返しも効かない可能性があるし、足も付きにくいってことか」
「意外だな。君、人間の悪意にはそこそこちゃんと気がつくんだね」
「そらそうだろ。
人間なんて大体悪意の塊だよ。悪いこと考えさせたらお前たちの比じゃねえだろうさ。
いるんだよ、そういうプロが。悪としてしか生きられない人間がさ」
「そうかい」
それに答えたのは、ソハヤだけだった。
「で、この資料はそれはそれで面白いけど、これからの対策の糧にはなったのか」
「はい。現在あるじさまをお守りするための策の一つとして演練参加の見合わせと外出の禁止をしておりますが、もう一点、気をつけて頂きたいことがあります」
「いや、当たり前の話なのだが、俺も確かにと思ったことがあってね」
「ふうん。お前らでも案外知らないことなんかあるんだな」
おそらく白山が言おうとしている結論部はここか? と目処を付けたところを目線で追おうとした時、執務室の電話が鳴った。三振りの警戒が一気に高まる。主を引き留めようとソハヤが腕を伸ばしたが、するりと一足先に立ち上がった。
「主、」
「ああ、いいよいいよ。これ、政府直通のだからオレ出るから」
「いえ、そうではなく……」
同様に長義と白山が立ち上がったが、先に審神者が電話を取った。
ソハヤが受話器を引ったくろうとした時、本丸全体の気配が一瞬で暗転した。それは、つい先ほどまでのうららかな秋の過ごしやすい陽気が一気に地獄の釜へと突き落とされたよくうな衝撃だった。
その衝撃を受けた審神者はまるでスローモーションのように畳に倒れたが、ソハヤが腕を伸ばして抱き止める。その間に本丸全体への警報を長義が起動した。
『全刀剣男士に告ぐ! 主が引き込まれた!
事前の対策通りに霊刀たちは執務室に集合! それ以外の男士たちは本丸敷地内の警護に回れ!
第二波に備えろ!』
倒れた審神者の額に小さな手を当てたまま、白山がつぶやく。
「呪いをかける手段の一つ、もうお一つ警戒いただきたかったのは、『声』でした」
「……そうだろうな」
対面ならば、視線や物を介した呪いもあるが、もう一つ、簡単な手法は声を起点に発動するものだ。言霊の威力は大きい。本当に一瞬だった。主が受話器を取っておそらく一言しか聞いていないだろう。
もとより白い顔色の男だが、黒髪とのコントラストでより一層顔面蒼白になった審神者の霊力が、搾り取られているのが見えた。
本当だ。霊力が、ハッキリ見える。
目を見開いて霊力を追うソハヤの瞳を、白山がじっと見つめているとも気付かずに、散らばっていく霊力を凝視した。
*
以前集まった主要作戦部隊の男士たちが執務室に集まった。違いは審神者が伏せっていることだ。政府から注意のあった審神者の夢遊病のような症状は出ておらず、意識が急速に途絶え、呼吸だけが確認出来る。前回と変わらず長谷部が男士たちに状況確認をし、現状把握に努めようとしていた。
「現状は?」
「本丸内に異常はない。現段階では全班とも引き続き警戒に当たらせる」
「了解。石切丸、太郎、次郎。結界は?」
「こっちも変わらないよ。主は倒れたけれど、結界は主の霊力からの直接供給じゃなくて生命力ってのは本当なのかもね」
「ソハヤ。主の霊力は?」
「それが、すごい勢いで吸い取られている……?」
「なんだと?!」
「そうすると、この本丸全体の結界も危険ということか」
「主から霊力を供給されている私たちなら一両日くらいなら結界を維持出来ます」
「最悪の時は顕現している刀の数を減らすぞ」
「霊力は、どこに行っているんだ」
「消えて、いる」
それに答えたのは大典太だった。
政府への異常事態を知らせる連絡をしようとしたが、回線がなんらかの方法で断ち切られているようで、本丸は孤島へと化した。
外部への救助を求められないのなら自分たちでなんとかするしかない。もとよりそのつもりではあったが、事態の急展開に多くの男士たちは困惑を隠せなかった。
現状を確認し合っている中、三池兄弟は揃って主の霊力を追っていた。
視界に収まらないのだ。拡散していく霊力。だが、なにかがおかしい。違和感が残る。兄弟は共に全力でその霊力を追うが、逃げられる。最後まで追いきれずに消えてしまう。だから大典太が答えた「消えている」とはそのまんまなのだ。
「そんなことがあるか」
鬼丸が二人の前出た。ソハヤの頭を掴むと、「来い」と言って、思いっきり、審神者の寝ている体に押しつけられた。
——あっぶな……!? あ? ここ、どこだ?
——主の夢の中だ?
——はあ?
——気を取られているのだろう? ならば身体は眠りの状態と一緒だ。心ここに在らず、というなら同じ意味だ。
——おれに出来るのはここまでだ。さあ、ソハヤノツルキ。その自慢の霊力で主の居場所を突き止めろ。
そう言うと、鬼丸は自らを刀の姿に戻した。足元に転がり落ちる寸前にソハヤがかろうじて受け止める。
——お前なあ! ったく、天下五剣ってのはどいつもこいつも自由気儘か⁉︎
——お前の兄弟だってそうだろうが。
——そう言ってんだよ。
——言ってくれるな、兄弟。
大典太の声がこの場全体に響く。今更だが、この場所がどこなにかわからず周囲を見回すと、薄ぼんやりとした間接照明のような灯りが頭上にあるだけの広い空間だ。
——そこは主の中か。
——そうらしい。
——お前は中から主を探せ。俺は外から主の霊力を追う。なにかが変だ。主の霊力のはずだが、なにかが違う。お前の肉体は主と並べているから起きた時気を付けろよ。
——そうだな。こっちからも霊力を追う。で、それは踏むなってこと?
——判断は任せる。
そう言って兄弟の気配も離れていった。
仕方なしに状況を確認しながらこの広間を出て行く。左手に鬼丸を持ったまま。
広間になんとなく見覚えがある気がしたのだが、そこがどこかわからなまま。
少し気持ち早歩きで道でもないなんにもないところを歩いている。どこなのだろうか。主の気配は濃厚にあるのに、姿も声も聞こえない。己の中にある主の霊力がだんだんと薄らぼんやりとしてきた。彼は無事なのだろうか。なにかあってからでは困ってしまう。こんな唐突な別れは望んでいない。こんなことではないのだ。道が次第に草地に変わっていた。ふくらはぎに草が当たる。時々ピッと切れたような感触がある。血が出ているかもしれない。それならそれでちょうどいい。血は霊力が最も強く溜まっているところだ。この血があれば、自分の歩いてきた道はきっと辿って戻ることが出来る。少なくとも兄弟のところには。そこに、主はいないけれど。
主。どこにいるんだ。
気配がある。あの、大人しくて、時々図々しくて、気弱なのに、ヘラヘラとした顔をしている、か弱い人間。
かつての主のような大成するような男ならと思った。実際には平凡な、ただ霊力が通常の人間よりもあるという、血によって生き方を変えられてしまった不幸な男でしかないと思った。
歩いていくうちに気がつく。気付けばしっかりと鬼丸を握り、小走りになって、大きく足を踏み出していた。地面は硬いコンクリートになり、畳になり、水田だったりして、走りにくさだけが増していく。それでも、全力で走っていた。
主の霊力が濃厚だと思ったのは、小さな点のようなものが周囲に散らばっているから。外から見てもすぐに霧散していたのは、これはあくまでもダミーでしかないからだろう。そこにいる、という主の気配は大きい。本丸にいると、それが当たり前すぎて失うことなどまともに想像したことがなかったのだと気づいた。本人の霊力が拡散しているように見せかけて本当の居場所を隠しているのだ。
この一ヶ月、主とした約束が色々ある。春になったら今度は一緒に花見をしよう。あんまりロクに見せていなかった軽装を見せろと言われた。兄弟と一緒ならいいと返事をした。
夏になったら花火。小さな花火はゲリラのようにいろんなところでやってるから気にしたことがなかったが、自分たちから進んでやりたいとは言ったことがなかった。兄弟が前田家の短刀たちのために色々と買い貯めているのを知っているのだろう。主にわけてやるのはやぶさかではない。包丁や後藤も呼んで楽しくやろう。
秋になったら紅葉。気付けばいつも終わっている。銀杏掃除に駆り出されると秋だと感じる。童顔のくせに主は銀杏の種の中身が好きだという。知らなかった。俺も嫌いじゃない。変なところが似てしまったと感じた。梅干しの種だって時々開けて食べている。兄弟は飲兵衛のくせにそれほどでもないらしい。
冬になったら雪合戦。雪で遊ぶのは嫌いじゃない主はいつも雪合戦では脇差たちのチームに入れてもらう。そんな勝てるわけがないだろう。でも太刀だけのチームでは力加減が下手で人間には危険なのだそうだ。そうまでもしても遊びたいか、と訊けば「遊びたい」と答えた。
「オレ、同年代の友人いなかったから、みんなと遊ぶの、楽しいよ」
どれもささやかな願いだ。叶えてやりたい。そんな小さな願いくらい。
きっと、そのどれもが主が本当に心底思っているような願いではないだろう。当たり前だ。いつだって出来る。そんなどうでもいいこと。
でも、きっと、全て、審神者の本心だったのだ。
こうして、突然奪われる未来があることを、彼は知っていたのだろうか。
刀たちのほうが、毎日出陣して、毎日戦って、死と隣り合わせのように思っていたのに、所詮俺たちは物なのかもしれない。命の儚さの本当のところを、もしかして誰一振りとして理解していなかったのだろうか。
『ソハヤ』
『信じてるよ』
『約束、指切りげんまん』
『嘘ついたら針千本』
『な〜んて、冗談だよ』
『オレは、オレの刀を信じてるからさ』
『そのままでいいよ』
『誰かと比べる必要なんてない』
『誰も、今のお前らの代わりなんて、いないんだから』
『オレになにかあったら、お前たちがオレを助けてくれるんだろ?』
ああ、そうだ。俺たちが、助けてやる。
『オレの刀だろ?』
ああ、あんたの、刀だ。今は。
『オレの霊力を覚えておいてくれ。ソハヤノツルキ。
オレに何かあったら、お前が頼りなんだ』
ああ、そうか。そういうことか。
あんたの霊力はこんな薄っぺらくない。こんなダミーのオブラートみたいにペッタリとした味なんかしない。
あんたの霊力は、柔らかくて、フワッとしていて、兄弟の襲いかかってくるような大きいものではないけれど、気付けば周囲を包んでいるような、明るい雪の日の晴れた光みたいなものだった。
探してやる。突き止めてやる。俺が、あんたを、必ず助けてやる。
そのためにすべきことはなにか。こうすればいいのか、とようやく気づく。慌てふためいてパニクっていたのだとわかった。
ようやく、己の腰元の刀に手をかけた。
草地から土まみれのぬかるんだ大地に変わった地面に突き立てる。
——我が鋒よ、己が主の場所を示せ!
ソハヤの声が朗々と響くと、天井を覆っていた光が割れた。
天井を突き破るような大きな霊力の塊がソハヤを中心に伸びて広がる。グングンと伸びた霊力の塊が主の体を突き出して本丸全体にまで広がっていく。
戻ってこれなくなってしまった主の魂を引き寄せようとする、彼の呼び起こした刀たちの願いの塊が追いかける。ソハヤだけの思いではないのだ。全ての、この本丸の刀たちの願いと祈りそのものだ!
探せ。我が主の魂を!
視界が広がった霊力通じてこの亜空間の中を駆け巡った。全体を見渡せて初めて気付く。そうか。ここは、本丸の中だったのか。主の心の中を占めているのは、もう彼が生きていた本来の時代でも過去でもなくて、この滅びたような地面をしているのは架空の本丸の跡地なのだ。あの最初の広間の広さは近年増築した小ホール。途中走ってきた水田も、朽ちた道路も、みんな本丸の中だ。この本丸がこんなに傷つくのがつらいのか。
拡散された主に似せた霊力たちが、ソハヤの霊力によって駆逐された。押し寄せて、掻き集めて、潰して、粉々にした。足元に落ちては割れて黒い煙となって流れていく。それもまたソハヤの霊力で浄化する。この人間の体内に、そんな穢れたものを残していくな。呪いなど、そんな汚らしいものを、この男に寄せ付けるな。
今の、俺の、主の代わりなんていない。
主が散々、山姥切国広やソハヤノツルキに伝えてくれていたのは、今目の前にいる「お前」でなくてはならないんだ、ということだった。
しょっちゅう言われた。「ソハヤで良かった〜〜」という言葉に、そりゃどうも、と塩対応をしていた。切国や忠広も慣れたように対応していた。
それでも審神者は言うのをやめなかった。だんだん降り積もった言葉が、今こうして自分の中で生き残っている。毎日の、一か月の、日々のたわいもない言葉たち。
「ありがとな、ソハヤ」
「ソハヤがいいな、明日ついてきてよ」
「じゃあ、行こう、ソハヤ」
「ソハヤ。あはは、呼んだだけ」
出会った頃より年齢を重ねて、目元に皺が出来た。
童顔はあまり変わらないが、少し草臥れた印象だった。でも笑うと、あの深淵のような空洞の瞳が半円になって、こちらを見つめる顔は、確かに無邪気だったのだ。きっと本心で笑ってくれていたのだ。そう思えた。
今改めてその言葉を噛み締める。その言葉でひっそりと、何度も、胸を撫で下ろした。良かったと思った。今のままでいいと、それだけが全てないけど、もっと求められるのではない、ここで出来ることをやれ、と言われたこと。オレだってオレにしか出来ないことだけやってるよ、と事務もシフト表の作成も、本当は戦だって下手くそであろう審神者が言っていた。そうだな、今できることをやろう。そうやって、一緒にやってきた、やっていこう。これからも。まだ、仕えさせてくれ。あんたがあの狸ジジイくらいの年齢になるくらいさ。あんたには偉くなってもらわないとな。俺の、主なんだから。
どこだ、主。どこにいるんだ。俺にだって、出来ると証明させてくれないか。今度こそ、上手くやってみせる。
あの漆黒の瞳は、なかなか目が合わない。
彼はいつも、見返すと己が映るから嫌いだと言っていた黒い瞳を疎んじたが、ソハヤからすればその純黒は美しいという他なかった。
深い深い、かつて自分たち刀たちがいたところのようだった。探さねば、あの瞳を。あの髪を。
まだ足りないというのか。霊力をさらに尖らせる。もっと、全身で、感じられるように肌の神経は血ではなく霊力を流す。呼吸が止まる。瞳がより深く開いていく。見えないものが見えていく。まだ見えない。瞳の膜も、霊力に張り替えていく。自分で自分を作り替えて、主の霊力を貪欲に求めていく。
起きたらきっと、真っ先に手入れ部屋だろう。兄弟に怒られるな、と思ったが、止めようとは思わなかった。兄弟にはこんな霊力コントロールは出来ない。いや、しないのだが、俺はしてしまうし、出来てしまう。それが、俺と兄弟の違い。いいじゃないか、やったって。たまにはさ。
命と引き換えに、霊力は使える。
あと少しで、近くにいるのに、あと一歩、なにかが足りない。
——どこだっ⁉︎ どこにいるんだ……?
——ソハヤ。
——兄弟!
——時間がない。お前、なにかしただろう。近くにいた主の霊力が全て完全に消え去った。あれはレプリカだったのか?
——あれは主の霊力じゃないから全部消した。あと少しで見えそうで見ないんだ。やはり……写しの俺では無理だってのかよ……!
——焦るな。お前なら出来る。主も、そう言っていただろう。
そして、ソハヤの霊力が広がったこの場に上から押しつぶすように、大典太の霊力が流れ込んできた。ソハヤには心地いい、強くて、優しい、滝のように流れ落ちてくる霊力だった。
——今の俺に手伝えるのはこれくらいだ。あとは、お前の霊力でちゃんとコントロールしろ。自分の霊力ならば、見分けられるだろ? 折れるなよ。
——……! ああ! バッチリだぜ!
主には、倒れた瞬間、ソハヤの霊力を与えていた。
それを追えれば居場所がわかると思っていたのに見えなかったことで焦り、不安が募っていた。
しかし、今大典太の霊力に満たされた状態の中、か細く、途切れそうなソハヤの霊力の糸が見えた。
あれだ。
全ての力を霊力として解放しているため、腕で身体を引きずって主のところまで移動する。細い細い糸のような霊力を引っ張りあげようとしても引き上げられない。仕方なしに指先で少しずつ地面を掘り下げる。爪が欠けても、肘まで泥まみれになっても出来ることはこれしかない。出来ることをやるだけ。そうだ。今刀を振るうよりもやらなくてはならないことがある。どんなにみっともなくたって構わない。這いずって、汚れて、指が使い物にならなくなったって、取り戻したいものがある。
夢の中で、地面の中に埋められてしまった主。己の深く深くに。
きっと、彼は気づいていた。最後にソハヤが触れた意味を。
その触れた箇所から出ている糸を、大事そうに握り占めて、暗い地面の下に冷たい姿で埋まっていた。
——主!
目を覚ませ。
あんたの代わりなんて、この本丸にはいない。必要もない。
だって、あんたがいるのだから。あんたが言ったんだ。俺に、俺たちに帰ってこい、と。いつでも、ずっと、必ず、待っている、と。
いつも、戦に出向く俺たちに、言っていたじゃないか!
——戻って、来いっ! あんたを、見つけたんだ! 本当に、あんたを!
小さな子どものような姿で、胎児のようにくるまって、たくさんの刀たちを抱えていた。大事そうに、守るようにして。
その肩に腕を伸ばす。主の身体も土に汚れていく。
額と額を合わせた。目覚めの霊力を流し込もう。少しずつ、ゆっくり、やわらかな、甘いところを。
そして、鬼丸を主の小さくなった手のひらに握らせた。
——さあ、出番だぜ。鬼丸。
——ああ。よくやった、ソハヤ。あとは、任せろ。
主の瞳が開いて、目が合った。
鬼丸がその姿を現す。流し込まれたソハヤの霊力と入れ替えに主の口や鼻から耳、目と、穴という孔全てから噴出してきた煙が慌てて姿を成そうとするのを手掴みにして捕まえて鬼丸が笑った。我が主への醜い攻撃。決して、許すまじ、と。
そして、世界が崩壊した。
*
主の目が覚めてからが、大変だった。本丸内に時間遡行軍が侵入する寸前だったそうだ。
目が覚めたことで霊力が正常に戻ると、遮断されていた外部への通報が可能になり、本丸への強制干渉が、今度は強制的に断たれた。
ふいに起き上がった主が起き抜けに言った。焦点の合わない瞳で、しかし、ハッキリと意思を持った声で。
「裏鬼門の、封印が解ける! 太郎、次郎! 再度封印を!
鬼門は上空に開かれた! 脇差、短刀で遠戦で対応後、地上で一掃!」
その声は、枯れ果てて老人のようだった。
ほんの数刻のはずだが、一瞬で霊力を奪われたらしい審神者は急速に衰えていたが、指示は的確で、意識は別のところで見えていたらしい。言われた通りに、太郎と次郎が馬を全力で本丸の南西の端まで走らせ小さな祠の中を見ると封印として置かれていたはずの鏡は割れ、御神酒は全て無くなっていた。
前田を筆頭に本丸母家の屋根に立った脇差と短刀の混合部隊は静かな怒りを持ちながら弓と銃を構えた。地上では、初期刀の山姥切国広が同様に鉢巻を靡かせ、先陣を切る用意が整った。
「上空、敵方陣、展開! 来ます!
総員、構え! 発射!」
殲滅までにかかったのは一刻もかからなかった、そうだ。
最後の記憶が曖昧なのも記憶にないのも当然で、決着がついていく間、目覚めなかったソハヤは肉体の維持のため大典太の霊力を借りていた。意識はなかった。
鬼丸は主の目覚めに合わせてこちらに戻りすぐにソハヤを揺り起こそうとしたが、異変に気付いた大典太が霊力を今度はソハヤに送り続けて、二日後、ようやくソハヤの『中身』は通常通りに肉体と精神を取り戻したのだった。包丁にめちゃくちゃ泣きつかれたのは気分良かったが、お仕置きなのか仕返しなのか、審神者は審神者で事情聴取と検査入院で本丸を留守にしている間、ソハヤはずっと昼ドラ観賞に付き合わされた。
審神者への言霊による呪いかけと、それをきっかけに本丸本体へのシャットダウン、審神者の霊力を介して敷地内の鬼門を開き、封印解除による本丸内部への時間遡行軍の召喚をより行いやすくする、という一連の流れは、同時多発的に複数の本丸で見られた。
起動は言霊で、移行はプログラム化された政府の内部データが原因だと判明した。プログラムを組んだのは人間で政府職員だが、その呼び出し先に時間遡行軍がいたことで事態は大きく拡大していく。
同時多発的に行われたそれはテロとして認識。政府の情報管理チームの担当職員の一人が摘発されたが、いつのまにか雲隠れしたらしい。
正確には、三日と経たず政府建物からの身投げによる死亡が確認され、迷宮入りとなったとも聞く。当然他殺の疑いが強かったが、どう見ても、自殺以外の要素がなかったという。
刀剣男士や時間遡行軍なら、そんなことも可能かもしれないと思いつつ、人間には不可能という一点で、処理はスムーズに終わった。
「噂によると、その人も審神者の家系だったとか」
「それが、こんな政府の下働きでイライラしたってこと?」
「さあな。死人に、口はないから。真実なんて、案外人の世には存在しないのさ」
審神者だった祖父が死に、突然こちらに来ることになったこの主とは逆で、審神者になりたかった輩もいたらしい。なれなかったのは、本人の素質によるものか、政府の判断か、男士たちとの相性が悪かったのかはわからないが。本丸という閉鎖空間での拘束された暮らしが合う、合わないと、人によって違うだろうに。まあ、ここの審神者は案外性に合っていたといつも言うので結果的には良かったとのことだが。
こうして個人への怨みでもなく、本人のせいではないところで命すらも狙われる生き方に憧れることなんてあるんだなぁ、と審神者は他人事みたいに呆れている。
襲撃に遭った審神者たちは検査を余儀なくされ、病院に付き添っていた大和守は、帰宅中買ってもらったピザまんを頬張りながらどうでも良さそうに答えた。最初に審神者のアンまんも半分もらった上で。
「ふうん。そんな人間、ちゃんと歴史守ってくれるのかな。ま、僕を愛してくれるならいいけどね」
「お前、そんな安い男でもないだろ」
「まあね」
あははは、と笑う審神者もようやく車椅子生活が終わり、一人でえっちらおっちら歩いている。時折、大和守が手を貸して、ゆっくりと歩いていく。
主がちゃんと主なら、なにをしても守っていくんだけど。今回みたいに。
いまだザワザワとして一部施設への立ち入りと封鎖が行われている政府施設をチラリと見たものの、また興味ないというように審神者の歩行に合わせて歩き出した。
自分たちの本丸へと、帰るために。
*
全てが終わって、主の通院生活も終わり、ソハヤノツルキの検査も完全に終了し、久しぶりに顔をあわせた。主がソハヤを心配して時間を取ってくれたのだ。
久しぶりの二人きりで、なんとなく室内では気が詰まるような気がして、中庭に出た。外は綺麗に晴れた秋晴れであった。仕事ももう通常通りの分量である。近侍はジャンケンで勝利をもぎ取った巴形だった。
「よう、元気かい」
「やあ、そちらこそ」
あはははは、と空笑いをお互いにする。
そして、再び顔を見合わせて、今度は自然と、クスクスと、笑い声が共に重なり、次第に声は大きくなって、揃った声で今度こそハッキリと大きな声でゲラゲラと笑った。
「おまえ、なに、その元気かって……あは、あははは、話下手なおっさんか?」
「主こそ、あんた、めちゃくちゃ他人行儀な、なんだよ、そちらって……どこだよ!?」
あはははは、とひとしきり笑って、双方お腹を自分で抑えて、流れでそうな涙を抑えてようやくお互いをちゃんと見た。すとんと、審神者が、ソハヤと数センチしか違わない額を己の刀の人の身に預けた。突然の人体の重みに、ソハヤの口が閉じられる。
「お前が、無事で、良かった」
小さな、声だった。
そんな声これまで聞いたことがない。付き合いは広く浅かった二人が急速に距離を縮めた。それはこの戦いに備えるためだったけれど、彼はすべての刀を統べる審神者である。他にも気にかかることもあっただろう。ソハヤ一人に構っているわけにはいかない。それもわかっている。
けれど、気のいい、裏表のない、優しいこの人の子は、ソハヤの身を本当に、心より案じてくれたのだということが、じっくりとその押し付けられた額から伝わる霊力で思い知らされた。
「全部終わってみんなの無事確認してたら、お前だけ目を覚まさないっていうから、本当に後悔した。
オレのせいで、オレの刀が、いなくなったらって思ったらめちゃくちゃ怖かった。大典太にだってツライ想いをさせる。よく懐いてる物吉や包丁だって悲しむ。お前の居場所はお前だけのものだ。代わりなんていないんだ。
いつかは誰かが折れるかもしれないけど、それは戦場だって思うじゃん。なにも、審神者護るためにこんな大事になるなんて……」
審神者の手がグッと固く握られたのが見えた。
「だから、目を覚まして、元通りのお前になってくれて、本当に、良かった……」
なによりも、己こそが危険に晒されたというのに、この男は、己の刀の無事を、祈り、案じていた。
その事実に、ソハヤの目頭の奥が少しばかり、痛くなった。それだけでは、あったけれど。
ソハヤより数センチ小さな審神者の頭を両手でぐしゃぐしゃと撫でる。この手つきは兄弟と似ていると時々己でも思う撫で方だった。そして、左手で、その頭を肩に押し付ける。もう二度としないという約束は出来ない。審神者もそれを求めないだろう。
なぜなら、きっとまた起こり得るから。審神者は狙われるし、刀剣男士は戦いに行く。いつどちらが命散らすともわからない生き方だから。
「……無事に、戻った」
「ったりめーだ」
「しっかし、よくもまあ写しの霊力に賭けようと思ったよな」
そしてまた、口から出てくるのは、そんな可愛げのない言葉ばかり。だが、顔を上げた審神者もまた、もうなんでもなかったように、いつも通りの眠たげな漆黒の瞳を黄金色の権化のような刀に向けた。
「賭けるよ。当たり前だろ。それに、わかるよ」
「?」
「オレだって、誰かの写しみたいな存在だったから、だからわかるんだよ」
写しのような生き方。
コピーとなり、誰かの代わりになったり、似ていることを求められたり、違う人のように振る舞うことだろうか。
ああ、人間同士でも、そんなこと、あるんだなぁ、なんて、初めて知った。
あの時思い知った、自分の今の主はこの目の前の一見頼りなさげな青年しかいないというのに。
こいつの代わりは、他に存在しないと。コピーでもレプリカでもない、一人の人間である、と。
「……なにが、わかるんだよ」
怒ったような口調だが、なんにも怒っていないのが滲み出ているソハヤの顔に、わははは、と少しだけ審神者が笑った。いつものだが、少しだけ弱い笑い方だった。
「お前の苦しみも悲しみも苦労もなんにもわかんないけど、わかるよ」
じんわりと伝わる霊力は穏やかなまま、男の真意が嘘ではないことを知らせている。
「誰も、なにかの代わりにはなり得ないってこと。
ソハヤも、切国も、だからこそ、大丈夫だ。
お前になら、お前たちになら、オレの命だって託せる。
なんたって、オレの、刀なんだからさ!」
写しがどうした。名前がなんだ。
口ではそんなこと言っているが、誰だって、心の奥底では、それなりに気にかけていることだってあるだろう。
ソハヤの態度はそりゃあわかりやすいだろう。だが、誰も、兄弟だって、気軽には立ち入れない領域なのだ。
なのに、こうも軽々と、追い越されるものだろうか。
なんにも知らないからこそ、言われてもなお、受け止めることが出来る言葉もある。
人の子とは、かくも、愛おしい。
愛されることで、物は強くなれる。
愛を知ってしまえば、もう後戻りは出来ない。
かつての主に愛されてここにいる。これからも、愛されていると、信じることが出来る。
今代においても、きっと、最後まで。
「ったく、敵わねえな……」
主の過去になにがあったかなど知らないし、きっと教えてなどはくれないだろう。
変なところで慎重な男である。それはつまり臆病ということだ。それでいい。人間はもっと慎重に生きたほうがいい。
どうせすぐに死んでしまうのだから。
「あんたの代わりは、どこにもいないからな。
俺の代わりもないんなら、これからも大事にしてくれよな、主サマ!」
「ったく、そんなこと、言ったこともないくせに!」
飛び出しそうな心の臓は、きっと、今までの苦しみが、喜びに打ち震えているから。
主に、代わりはないと、言われることは、これほどまでの歓喜を呼ぶ。これからも、きっと、この喜びを胸に、生きていける。今生最後の時には、きっとこの今代の主の顔を思い出すだろう。
漆黒の瞳が、ソハヤを見て、同様に喜びに震えたこの時を。
*
あれからソハヤは近侍を降りてまた自由気ままなカンスト引退生活に戻った。
ただ、時々、主の部屋へと顔を出すようになった。時には兄弟も一緒に。時々、主の好きそうな菓子を持って。喜ばれたり、手伝わされたり、追い出されたり、歓迎されたり、いろいろだ。
ある日、もう事件からだいぶ経つが、審神者が席を外した時に、前田が忠広になにかを促していた。
「ほら、今がチャンスですよ」
「ちっ!」
そんな様子を目の端に捉えながら、あの久しぶりの近侍の時のように、シフト表を確認していた。今回は作成ではなく、前日の近侍であった明石国行の作ったものだ。明石は時折来派のちびっ子たちに時折お仕置きとして近侍の順番に早回しされてくる。それなりにやることは最低限やるのと審神者との相性はいいので別に問題ないはずだが、シフト表は相性問題などもあるので、三振り程度の確認を持って受理されるのだ。
「おい」
「ん? あ、用あるの、俺にか?」
前田がニコニコと微笑みながら見守っている。忠広は、ソハヤに向かって右手を突き出していた。
「ん」
「ん?」
ぐっと握った握り拳だ。後ろの前田をそっと見ると、手のひらを出せ、とのことだったので、その握り拳の下に己の手をそっと出した。
ぽとん、と飴玉が落ちてきた。
「んん?」
「やる」
「あ、ああ。ありがとう……?」
「ほら、忠広さん。理由を言わねば伝わりませんよ」
むすっとした顔のまま、忠広がボソボソとなにかを言おうとしている。
「あんた」
「お、おう」
「あんたが、近侍やってくれて、その、よかったな、っていう、礼だ」
バチン、と目が覚める想いだった。
あの日、目が覚めてから、色々な刀から感謝の言葉をもらった。そしてたくさんの刀たちからお怒りの言葉も。包丁のお菓子と人妻といち兄が絡まないギャン泣きは本丸初だった。そのどれもの中に、そういえば、この忠広はいなかった。
「遅くなって申し訳ありませんでした。お礼をきちんと言いたいとずっと忠広さんも思っていたのですが、どうにもタイミングが上手く合わず」
「他のやつらに散々言われてんだろうから、おれなんかのなんか嬉しくもねーだろ」
「忠広さん。そういうのは無粋ですよ。それを決めるのはソハヤさんご自身です」
そう諫められて、ふんっと、顔を逸らした。
忠広は、ずっと、審神者のそばを離れなかったから。
通院などは他の現世に慣れた男士たちが同行したが、本丸にいる間、忠広は寝ていないことがあからさまにわかるほどで、時折、元々ここにいた土佐組三振りが順繰りに寝落ちたところを拾っていた。しかし目が覚めたら審神者のそばにずっとついていた。
ようやくなのだ。忠広が、ちゃんと、ここの規則通りに、自分の布団で、睡眠を再び取れるようになったのは。
この飴は見覚えがある。忠広が持っているものは誰かに貰ったものしかないはずだ。審神者はなにかあると近侍たちに小さなお菓子を与えるのを生き甲斐にしている。ずっとそばに居る忠広なんてますますそうだろう。
これはソハヤももらった記憶のある飴だった。コイツは、ずっと警戒していたソハヤに、審神者から貰った飴をくれたのか。
胸のうちが熱くなる。つっけんどんで、そっけなくて、でも審神者や前田のことは信頼している本丸の仲間の一人。こうも信頼を預けられるとあまりにもくすぐったくて、恥ずかしくって、とっても嬉しい。
うわーー! と叫び出したい気持ちを隠せずに、忠広を肩に担ぎ上げた。
「ソハヤさん⁉︎」
「陸奥守ーーーー!」
「おう、なんじゃ?」
さっきちょうど中庭にいたのを覚えていたので、ガラリと障子を開けて陸奥守のところまで忠広を担いでいく。前田が笑いながら慌てて追いかけてくる。忠広がバタバタと暴れて抜け出そうとするが、カンスト太刀の力からは逃れられない。
「忠広がかわいいーーーーーーー!」
「おんしゃあ、今更なに言いゆうんじゃあ。
かわいいがは、当たり前やろうが!」
ゲラゲラと笑って陸奥守が言うが、即座に隣の肥前に足元を蹴られていた。
「おいおい、楽しそうじゃん。ちょっと人が席外している間にさあ。主も仲間に入れてよ」
「いや、忠広が、めちゃくちゃかわいいことするから」
「は? なにそれ、知らん。オレにはデレてくれないけど?」
「うるせー! いいから下ろせ!」
なんだ、なんだ、と段々人が集まり始めた。
ああ、いい本丸だな、と思う。この主あっての、この本丸だ。
まだまだ続く、本丸の日々も、きっと楽しく過ごせるだろう。
<終わり>