君に花束を 鶴丸国永は面白いことが大好きだ。己の身に起きたことでも、仲間内で話題になったことでも審神者が巻き込まれたトラブルでも、なんにでも首を突っ込んで意気揚々と話を聞きにどこにでも手土産持参して行く。人の身を得てから、毎日が楽しくて仕方がない。痛くても苦しくても、それだけではない人の身、肉体から得られる感覚から来る感情が生まれることのほうが、なにも感じないよりよほどいい。ましてや、見目は変わらないのに、心によって生まれる感動にこそ真価がある。
刀という無機物でありながら「兄弟」「親子」のような情を表すものらが大好きだった。
そしてそれはこの本丸での付き合いが長い相手に対しても同じである。いや、むしろ今まで知らなかっただろうその感情の生まれる時に立ち会えるのだ。面白くて仕方ないとは、まさにこのことなのである。
「まあた、面白いことになってるじゃないか、光坊」
「面白いことはなんにもないと思うけど」
どちらかというと否定的な感情を表に出すことはなく、常に穏やかな質である燭台切が口元を格好悪く歪ませているのはここ最近は珍しいことではない。よくよく見るとその顔は喜ぼうとしているのを隠そうとしているようにもみえるし、怒っているのを覆い隠そうとしているようにもみえる。いや、笑いをこらえているようにも見えるだろう。
その手にはここ何ヶ月かに渡って彼の元に定期的に届けられている花束だ。
小さな物で、大きな彼の手の中ではなんと小さく可憐なことか。小さな草花たちが咲き誇る一番いいタイミングで生命力を発しているその瞬間を摘み取ったようである。くるりと周囲を柔らかい色紙で覆い、切り取られた根の代わりにアルミホイルに包まれている。その中はきっと水分をたくさん湿らせたティッシュがある。それを傷つけないようにそっとそっと、普段食材を手に取る時よりもずっとゆっくりとアルミや包装を剥がしていく燭台切の表情は鶴丸はこれまで見たことがないものだった。
この本丸で一番最初の太刀として顕現した光忠はほぼ全ての刀たちを受け入れてきた。鶴丸も例外ではなく、同じ伊達の来歴を持つ大倶利伽羅や少し遅れてやってきた太鼓鐘と再会した時には彼の表情もようやく崩れてきた。それなりに緊張してやってきていたのだろう。
それでも太刀の中で一番に練度上限を迎え、それまでもこれからもきっとほぼ趣味を実務としている厨仕事をしながら彼は穏やかに過ごしていくのだろうと思えた。もちろん本丸での関係性はいろいろあるし、騒いだり転がったり、悲しんだり、苦しんだりと色々ある。それでも、燭台切光忠という刀は常に穏やかで、皆を励まし、共に前を向き、心配したり、反省点があれば己を反省したり恥じたりしながら、すごしてきた。
それがどうしたことか。
たった一振り現れただけで彼の心は常に揺れ動く小舟のように不安定になってしまったのだ。
そのきっかけは福島光忠の顕現だった。
*
「まあた、お前、そんな重たいもん書いてんのか」
日本号がそうからかうと、すぐに「コラ」という声が入る。
「日本号。いくら旧知の中といえと、失礼な言い方を」
「え、そう? おかえり、号ちゃん」
そういって花を広げている座卓の上にペンを置いた福島が返事をする。
「おかえり〜。早かったな」
「主がうっかり出陣予定だった鯰尾を部隊に入れたままだったんだ。蜻蛉帰りだよ」
「そうだったのか。茶でも飲むか?」
「そうだな、頼む。真昼間から一杯ってのも乙なんだが、コイツがいるし」
「別に俺のことは気にせずに飲んでくれていいのに」
「福島。さすがにそこは諌めてくれてもいいのだぞ?」
少し困ったように蜻蛉切が微笑んだ。
日本号は己の槍部屋に帰ってきたのに、なぜかいる福島には驚かなかった。
最近日本号がいるからか、福島が槍部屋にも花を置いていく。当初は花があることにすら気付かなかった蜻蛉切と御手杵だが、ある日日本号と話しながら花を替えている福島を見て初めて気が付いた。
さすがに申し訳がないと落ち込んだ二人に「好きでやってるから気にしないでくれよ」と福島が言ったものの、すぐに気持ちを切り替えられる御手杵とは違い、蜻蛉切はそれなりに気にしていたようだった。
この花たちは定期的に福島が入れ替えに来る。色々な部屋に置いている花たちは置いたモノが責任を持って片付ける。逆に自分でやれば大体のことは許されるので花を生ける刀は多い。だが、大体は己の部屋や審神者の部屋、皆が通って目につきやすいところが多かった。槍部屋に置こうとしたのは福島が初めてだった。
手入れの方法を教えてくれと言った蜻蛉切に「俺がやるのに」と逆に口を少し尖らせたのは福島だが、そのおかげで花を一緒に選ぶ楽しさも、自分がいない時には託せる関係も出来、かつなんだかんだ参加はしないがその場には大体いる御手杵ともよく話すようになった。
今もまた、帰ってきた日本号が一瞬咽せるほどには室内には花が広がっていたのだった。
「ほら、茶」
「俺も〜」
「ほら、福島も」
「ありがとう」
「俺も〜」
「御手杵は少しは体を起こせ」
「へ〜い」
よっこいしょ、と体を起こした御手杵が手をついた座卓の上には花々たち。それを少しどかして、日本号と一緒に茶を啜り出す。
「これはどこに飾るやつだ?」
「俺のはここの部屋のだ。案外悪くないだろう?」
「ずいぶん自信が芽生えてきたなあ」
「俺のは応接室に置こうと思って」
「こないだも置いてなかったかぁ?」
「短刀たちのかくれんぼで倒れちゃったんだって。花は無事だったから今ドライフラワーにしているけれど、花瓶のほうが割れてしまったんだ。これは最近新しく見繕ってきたやつ」
「へえ。確かに観たことないかもな」
「嘘だよ、号ちゃん! これ、先週までここに置いてたやつだよ! ここで一番にお試ししたのに!」
「ほら、日本号も全然わかってないじゃないか!」
これみよがしに御手杵が笑った。そう言われるとさすがに分が悪くて日本号も口をへの字にしたものの言い返せない。
「福島の腕がいいのだろう。この部屋にも自然に馴染む花と瓶の組み合わせだったのだ」
「まあ、そういうことにしておくよ」
そういって、福島は日本号が戻ってきた時と同じように再び万年筆を手に取った。
「で、新作のラブレターかい?」
「ラブレターじゃないってば」
「え、違うのか? 俺もそうだとばっかり……」
「弟に贈る花束なんだから」
「だからこそ、だろう」
槍たちに微笑ましく見つめられて福島は決して小さいわけではないのだが、なんとなく身を縮こませた。
この万年筆は長船のみんなが顕現祝いにくれたものだ。使い続けてもう一年。先日たまたま小竜に貸してやったところ「万年筆は他人に貸さないもんだよ」と忠告をしてくれたが、しっかりと使って返してきた。そして使ったからこその感想を一緒にくれた。
「これ、そんなに高いものじゃないから書き味心配してたんだけど、すっごい滑らかに書けたよ。ありがとう。大切に使ってくれたんだな」と。
そりゃあ、繋がりのある仲間たちがくれたものを使わない選択肢もないし、周囲のイメージ通りにそれなりにマメなほうだったのだ。
今時分の花たちはどれがいいか、先の予定と付き合わせて気温と天気を記録し、どこになにを飾ったか、花瓶はどれで、どれほど持ったか、いつ入れ替えて水の温度はどれくらいに変えて、と日々の記録たちを記したのは全てこの万年筆だ。安物だと言っていたが、そんなことはどうでもいいのである。長船の仲間たちが己にくれたということが嬉しいのだから。その中にはもちろん、弟である燭台切光忠もいたのだし。
その万年筆を使って、今は毎週のように光忠に最近の小さな草花の束を渡しているが、そこに手紙をつけ始めたのは遠征時に見つけた野花たちを括ったものに小さなメモをつけて渡したのが始まりだった。
夕日が、とても綺麗だったよ。お前みたいに。
そんな走り書きだった。ただ、思ったことを、伝えたいと思っただけだった。本当の気持ちがうまいこと伝わらないということはさすがに一年も経とうという今、福島にもわかっている。言いたいことはいっぱいあるのに、弟の前では格好つけたり、照れ臭かったり、向こうも同じように顔や話題を逸らしてしまう。いつも二人の間には不思議な距離感が鎮座している。不快ではないし他の兄弟刀たちの気の置けない関係性が羨ましいと思わないこともないが、これが自分たちの「兄弟」の在り方なのだろう、と光忠に聞いたことはないが勝手に納得していた。顕現したのが遅くここでしっかり根を張って踏ん張って生きてきた光忠にとって、兄の存在は目の上のタンコブとまではいかないが、それなりに気を張るものなのだろうと。
だから、伝えたかったのだ。
ただ、己の気持ちを。お前を愛しているのだと。口に出して言えないのなら、手紙で、文字で。読まれているかどうかもどうでも良かった。ただ言葉にすることで余白が生まれれば、いつか、お互いがまた会えなくなった後にも、こういう関係性があったかもしれない、と夢想出来る、そんな兄弟になりたいと福島は思ったのだ。
そう身勝手な気持ちで始めた一方通行だったお手紙はある日突然終わりを告げた。
なんと、光忠から返事があったのだ。
「お、いたいた! お〜い、福島!」
その幸福を運んできたのは青い鳥ならぬ、鮮やかなブルーのマントを翻らせて駆けてきた出陣直前の太鼓鐘だった。
「みっちゃんからの伝言だぜ!」
それだけ言って、受け取ろうと慌てて手をタオルで拭ったその腕に小さな紙切れを押し付けるようにしてウインク一つ残して太鼓鐘は出陣のゲートに向かっていった。
「まるで台風だね」
クスクスと笑うのは近くにいた桑名である。
その紙を開くと、先日自分が渡した手紙の返事である。返事と言ったってその紙きれはそのまま福島が渡したものそのものだ。それは福島が贈った手紙に二重線が引かれて訂正されていた。福島の字は少し癖がある。それに対して光忠はきっちりきっちり角を留め、払うところをしっかり払っているお手本のような字だ。ただ一点、バランスが悪いことを除けば。全体の文字の感覚が狭かったり、広かったり、あまり人前で文字を書くことを好まない彼もまたそのことを気にしている。それなのに返事をくれた。
それは福島が書いた一言「いつかここが終わる時に、この景色をお前に見せたい」の返事だった。しっかりとした二重線が力強い。
『そうならないように僕らがここにいるんだよ』
それからは、少しでも福島が「今」「ここではないどこか」「いつかなくなってしまう」未来に触れることは全て否定されてきた。
光忠がどんな気持ちでそんな返事を書いてくるのかはよくわからない。
別に早死にしたいわけでも、苦しんで折れたいわけでもない。ただ、元々の性なのか、小さな刀たちは守ってやりたいし、打刀たちに守られている間も、彼らと共に並び立ちたいと思う。なにか事が起これば順序が大事だ。後から来た身なので、その順序くらいは弁えているつもりだった。
光忠が大事にしているものを福島もまた大事にしたい。この本丸を彼は愛している。ならば、その最後が来たら、全身全霊をかけて守ってやりたい。それが、今の福島に出来ることだからだ。
なにがあっても俺が、お兄ちゃんが、お前を、お前の大事なものを守ってやりたい。
それだけを伝えたい。なぜならば、弟だからだ。ここにいる縁の一つであって、人の身を得なければ知らなかったこの感情。旧友との再会はもちろん嬉しく全身が震える感覚だったが、弟は違う。
頑張ったんだねえ、よく戦ってきたね。俺もその隣に立たせておくれ、お兄ちゃんだって、やる時はやるんだぜ。
けれど光忠は言う。
『あなた一人の身体じゃないんだよ。主が悲しむだろう』
『僕より自分のことを大事にして!』
『命は簡単なものじゃないよ』
『ここに折れた刀はまだいない。長船派の祖なら、わかるよね?』
これらの返事を見るたびに福島の心は泡立った。なんでかよくわからないけれど。
弟を守りたいと伝えることは罪なのだろうか。
そう悩んでいた時に槍の仲間たちは皆慈愛の瞳を向けてきた。あの御手杵すらも。
「いつか、お前にもわかる時が来るよ」
そういった日本号の吐息はいつも通り酒臭かったけれど、心からの言葉の重みを感じた。決してふざけてなんていなかったし、福島と、光忠のことを考えてくれた言葉だった。
*
兄の心がわからない。
人当たりよく、穏やかな気質は確かに自分と少し似ているかもしれないと思う。だからと言って、兄弟だからよく似ているね、という言葉に愛想良く頷けるわけでもない。
嫌いだなんて思ってない。ただ、わからないだけなのだ。
かつての自分を見ているようで心苦しい。
今更自分の言動を突きつけられているようで、過去の清算をさせられているようですらある。そんなつもりではなかったのだけど、結果的にはそうなのだろう。
太刀は大方、自己犠牲気味なところがある物が多い。特に本丸に顕現した刀が少ない頃に来たものはなおさらだ。燭台切は最初の太刀だった。片手で足りるくらいの本数しかいなかった時に顕現して、みんな自分より小さな物ばかり。ああ、この子たちを守らなければ、と強く思った。
身体が大きい分、動きが鈍くなる。殿を務めることが多く、一人最後までゲートの直前で戦うこともあった。皆を逃がせて初めて己が動く。それが当たり前だと思っていた。なんの不満もないし、それに満足感を覚えていた。そうして折れることに必然を見出していた。それならば、本望だと。
それが変わったのは、ある日、大倶利伽羅に怒鳴られたからだ。
「あんたのそういうところ、本当に迷惑だ」
大倶利伽羅の初出陣だった。万全の体制で出陣したはずだったが、予期せぬトラブルで部隊は追い詰められていた。そこを切り拓いたのは、ただ経験値の多い燭台切の踏ん張りだった。大倶利伽羅を庇って、ますます燭台切は傷を負っていく。なんとか帰還したものの、本丸に着いた途端に倒れ込んだ燭台切はなかなか目を覚まさなかった。まるで親猫を慕う子猫のように、大倶利伽羅はただずっと手入れ部屋の前にいた。手入れが終わった途端に、出てきた燭台切の首根っこを掴んで(ここで殴らなかったことを先に顕現していた同田貫は褒め称えた)、迷惑だと言い放ったのだ。
ただ彼を守りたいと、そのために、動いてきた燭台切にとって大倶利伽羅の言葉は大ショックだった。自分がやってきたことは間違いだったのだろうか。もしかして、ずっとみんな迷惑をしていた? 僕はずっと独りよがりだったってこと? みんなのためにと思ってやっていたけれど、そんなことはなかったってこと……?
初鍛刀であった薬研藤四郎の計らいでなんとか気持ちを持ち直したが、それから長い事燭台切の心中は穏やかにはなりきれなかった。
それから太鼓鐘がやってきた。短刀と太刀では主戦とする戦場が違う。再会は喜びあったが、共に出陣する機会はほとんどなかった。代わりに大倶利伽羅と太鼓鐘は仲良く二人一緒に出陣に組み込まれることが多かった。これは審神者の計らいだったようだ。
その時、大倶利伽羅が重傷を負って帰還した。彼はもう練度も高い。一体どうしたというのだ、という不安を胸に手入れ部屋に走った。
手入れ部屋の前で、太鼓鐘が膝を丸めていた。足音がしたので慌てて引っ込めたのだろう涙は隠してきれておらず普段の天真爛漫な姿からは想像することが出来ないほど焦燥していた。
「みっちゃん……」
「貞ちゃん……」
「俺の、俺のせいで、伽羅が……」
夜戦だからと、調子に乗って先をいった太鼓鐘の後を負ってきた大倶利伽羅が、太鼓鐘を守ろうとして怪我を負ったのだという。いつもより小さく感じる太鼓鐘の細い背中をさすりながら、今更その感情を知ったのだ。
守りたい、という思いは一方通行では相手を傷つけるだけだ。あの日大倶利伽羅が燭台切に怒鳴ったのは、彼のプライドを傷つけたからでも、練度の低さを嘆いた故の八つ当たりでもなくて、互いに背中を預けられるかもれないと感じた相手の裏切りに等しい。
守った側は気持ちがいいかもしれない。たとえ死んでしまっても、その苦しみを味わうことはないのだから。けれど、残されたほうはどうなるというのだ。その後、このいつ終わるとも知れぬ戦いの中で、罪の意識を感じ続けるかもしれない。それは、本当に、いいことなのだろうか。本当に、それは守りたかった相手を、守ったことになるのだろうか?
自分がしでかした罪を、今更ながらに、知ったのだ。
「それで一生懸命、兄貴を説得しようとして、上手くいっているのかい?」
「うるさいよ、鶴さん」
顕現何周年というよくわからない記念日に、長船派のみんながくれた万年筆で、兄への返事を認め始めてもうどれくらい経つだろうか。顕現して一年なので、きっとそれくらいだろう。お互いによくもまあ、こまめにそんなことを続けているものだ、と思うが、ある意味気が長くて辛抱強いところも似ているのだろう。
最初は他愛もない手紙だった。
どこどこでもう季節の花が咲いていたよ、とか、こないだ明石国行が日向ぼっこに絶好の場所を教えてくれたから日当たりが必要な鉢たちの居場所ができたとか、そんな他愛もない日常。言葉にするまでもないことを文字に起こして誰に言うでもないようなことを伝えるわけでもなく書いているのだと思った。
それが、ある時、ふいにポロリと意識外から突然本心が溢れたような言葉があった。
いつかここが終わる時に、この景色をお前に見せたい
その言葉にきっと深い意味なんてなかっただろう。
けれど、光忠は気付いたのだ。彼は己をあまり高評価していない。それは単に遅れてやってきただけではない諸々から来ているだろう。その内の一端を己の呼び方に求めるのだってきっと間違ってはいないだろう。
それでも「いつか」の「最後」を知るには彼はまだ顕現してなおまだ早すぎる。どうしてそんなことを考えてしまうんだ。そうして言ってしまうんだ。なんだかんだと面倒見のいい日本号などはこれを見てもきっと流してしまうだろう。槍たちは案外そういうところはかつての意識のままである。それはそれで正しい感性であるとも言える。武器のままならば。彼らは彼らの流儀や礼儀があって、物として朽ちる前に戦いの果てに折れることをやはり欲することは正しい欲求である。
変わってしまったのは自分のほうなのだ。人の身を得て、知って、苦しんで、喜び、未来に思いを馳せる。
終わる時より、いつかの未来を夢見てほしい。それは福島だけでなく、これまで自分の後に顕現してきた全ての刀たちに向けて燭台切が感じていることだ。かつて、主がそういって自分の大したことがないといって拒んだ治療を自らの手でおこなったときに言われたことだ。審神者の意思はハッキリと、特に最初の頃に顕現した刀たちには強く伝わっている。
弟でも兄でもなんでもいい。ただ、あなたがここに顕現した意味を、ただ戦うためだけでなく喜びのために向けてはくれないか。
あなたが僕を守ろうとしてくれることに感謝はある。くすぐったさもある。けれど、素直になれないほどの恥ずかしさや戸惑いもまた本当のことなのだ。
だから手紙でまた返そうと燭台切は思う。あなたがいつかわかるまで。
あなたの顕現が喜びであり、戸惑いであり、祝福であることを。そこに嘆き悲しむことがあるとするなら、あなたがいつか知る本当の孤独や未来の離別の時を考えただけで胸が張り裂けそうなほどのこの本丸に対する執着を知った時だ。伝えていくよ。僕の言葉で。あなたが無理や無茶を押し通そうとするなら、こっちだって、負けやしないさ。
「暇してるんなら、ちょっとは返事の文面でも考えてみない?」
「それはお前の言葉でなくちゃあいつには伝わらないと思うぜ」
そうして、燭台切にまで慈愛の眼差しを向けるこの刀もまた、かつて大倶利伽羅の怒りを突き抜いた張本人である。
*
それは穏やかな遠征だった。
戦がないと分かった途端に不機嫌になるものもいれば、その逆にホッとしたような微笑みを浮かべるものもいる。特に変わらず淡々とこなすものもいて、それぞれの在り方が反映されているのか個体差なのか。
「戦じゃないからガッカリするかと思っていたよ」
「戦は好きだが、ガッカリまではシない。此の方が静かに外の世界を眺められるダロウ」
最近来たばかりの槍、人間無骨とゆっくり部隊の殿を務める。この本丸では全部隊のうち一隊は必ず修行が解禁されていない特の刀たちだけで構成されている。練度上限後でも希望があれば部隊には定期的に組み込んでもらえるし、他の極部隊であっても各部隊一振りは特刀も取り込めるよう調整がされる。
福島は後少しで練度上限となる。最近は遠征が中心で最後になったら再び戦闘に出されると聞いていた。今回の隊員は日向と太閤、泛塵と松井江である。日向はこの遠征の後、修行に行くことになっていた。泛塵と松井はなかなか謎な組み合わせだが、血液の付いた血の落とし方という話題で本日ずっと話していて、実はそれなりに常識刃である太閤左文字が一番ドン引いている。まあ、洗濯の話題になると洗濯番長として洗濯当番の名誉会長を務める堀川国広が一番詳しいらしいが。泛塵は清掃の術を青江から直伝され、堀川から見込みがあると洗濯方法についてもレクチャーを受けており来年にはクリーニング師免許を受けに行くらしい。脇差たちが本丸内の清掃や洗濯を取り仕切っているので、こういった苦労を知るとますます頭が上がらない。泛塵は熱心に聞いているところが大分面白いが、松井もまた熱量が同じくらい熱心で太閤のドン引きもわからないでもない。福島自体はこういった全く関連性がない主の気まぐれで作られた部隊で知ることの出来る仲間の新しい一面を知るのはとても楽しいので、嫌いではなかった。
「お前は、花に詳しいと聞いた。アレは此方の世界にもある花カ?」
「花に詳しいのなら歌仙くんや古今伝授の太刀とかじゃないかなぁ。俺はどちらかというと、飾るほうが好きなんだけど。
で、あれは本丸のある時代にもあるよ。山桜だと思うけど、あ、野生種全体を指すほうね。ヤマザクラだとまた違う種を指すんだって。本丸に咲いているソメイヨシノ以外の野生の桜がいっぱいあるんだよ。咲く時期も秋口から咲くのや二度咲くのがあるらしいよ。いやあ、美しいね」
「いやいや、充分詳しいでしょ、その解説」
呆れたように口を出したのは太閤。
「じゃあこれは本丸の桜とは違う種類だけど桜ってことなんだ?」
無骨と並んで桜を見上げたのは日向。
「そういうこと。山のほうだと梅のほうがあるかと思ったけど」
「もう梅は散ってるんじゃないの?」
「桜よりは長持ちするだろう」
「それこそ太閤は桜が好きじゃないの?」
「うっ、そりゃあ、桜には思い入れがないことはないけど」
「どういうコトだ?」
「彼の元主は桜を大量に運ばせて花見の席を作ったんだ。現代でも醍醐の桜といえば有名だよ」
「ホホウ」
「もうっ! 素直に感心しなくていいよっ! 儂がなんかしたわけじゃないんだから!」
「ははは。それもそうか」
わらわらと桜の下で見上げながら少しだけ立ち止まった。足元は不安定な土の地面で、少しだけ雨を吸っていてふんわりとしている。最近はあまり人が通った痕跡がないようだ。この山を突っ切って進んだ村で情報を収集して明朝本丸に戻る予定だった。
山の色々な草木花を見ていると、なんとも心が躍ってくる。花を飾るのは好きだが、結局自然よりも美しくなんてなったことがない。いや、それはまだまだ己の腕が未熟だということなのだろうか。
「みんなっ! 伏せろっ!」
松井の声が切り裂くように届いて、全員一斉に身体を伏せた。その間、先ほどまで立っていたところに矢が突き刺さる。太閤と日向に覆い被さるようにしたが、一瞬で二人は福島の腕から飛び出して銃兵を起動させている。隊長は、松井だった。すぐに指示が飛んでくる。
「左右に展開する。福島は無骨の支援を頼む。ここは山の中だ。動きやすい短刀と脇差を中心に討伐する。先頭は日向。続けて泛塵。太閤は僕と一緒に反対側へ」
「了解。上手くやろう!」
「敵を掃討すればいいのだろう。了解した」
「オッケー!」
「流血の時間だ。行くぞ!」
そういって短刀たちが瞬く間に見えなくなる。無骨は槍を構え、その背中を守るように立ち福島も刀を抜いた。
この山の中、槍や太刀は分が悪い。しかし、一体なにが襲ってきたというのだろうか。遠征中は基本的には戦闘はない。おそらく先を歩いていた泛塵が敵に気付き、それに勘付いた時間遡行軍が奥のこちらを狙ってきたのだろう。特に動きが遅い槍や太刀を。飛んでくる矢や投石を叩き落とす。無骨が上空に向けて槍を差し向けると、敵が動いた。木から渡ろうというところを福島が斬りつける。
「……美しい桜が、台無しだな」
「仕方なかロウ。戦だ」
周囲を短刀たちの銃が飛び交う。そして、刃が乱れている。少なくとも、夜戦でなくて良かった、と思った時、大きな刃が上から落ちてきた。
「うおっと!」
「槍だトっ!?」
一斉に飛び退いて、二人の距離が離れる。あ、と思った時には無骨に向かって、刃が突き刺さろうとしていた時だった。
「っさせ、るっかあっ!!」
槍の身体に刃をこちらも突き刺して、その図体の向きを無理やりこちらに向けさせようとした。無骨がその回転に合わせて自分に向けられた切先を己の切先で方向転換させる。そして、その身体が敵槍から一歩退いた瞬間、槍の鋒が今度は狙いを即刻変えて福島の腹を突き抜けた。掴んでいた己の刃を力ずくで横に斬りつける。今度は突き刺さった槍が抜けないようにしっかと掴んだ。敵は槍を抜こうとガタガタと動いている。
「さあて、我慢比べをしようか」
口元から溢れ出るものがある。腹に穴が空いたって、しょせんは仮初の身体。いくらでも元に戻ると知っている。穴から槍が抜ければ出血する。そのほうが動きが鈍る。そう判断した。
「福島っ!」
こちらに気付いた松井が「行けっ!」と誰かにフォローを指示していた。練度がこの中で一番低い無骨の刃があと少しで致命傷にならない中、ふわりと桃色の羽が散った。
「たまゆらの彼方に散れっ!」
脳天を突く脇差の一撃で、敵槍が倒れ、そして、続けて福島も倒れこもうとした。ただし、槍の柄が地面に突っかかって、倒れきれなかったが。
*
「まだ眠らないの?」
そう声をかけてきたのは不動行光だった。
修行に行って久しく、この本丸の中でも中堅に当たる彼はすでに酒など抜けているが、寒さに震えているからか鼻先も頬も子どもらしく赤く染まっている。
「まあ、ちょっとね」
「ならいいもの作ってあげるよ。ついでだけど」
そういって彼は「はいはい」と燭台切を椅子に座らせ、自分は慣れた仕草で冷蔵庫を開けて適当なマグカップを三つ取り出した。冷たい牛乳をそれぞれのカップに入れて、それから行平鍋に移し替えて火をつける。
「えらいね。電子レンジじゃないんだ」
「燭台切が作る時は電子レンジなんて使ったことないだろ」
そう言って少しむくれる様子が可愛らしい。ここで諦めて燭台切は頬杖をついて彼を見守ることにした。
クツクツと煮立つまでの間、じっとしていた不動が話し出した。
「無骨が気にしてたよ。福島の怪我」
「ああ、悪いね。あの人の、まあ、太刀全般の癖みたいなものだから……あまり気に病まないように伝えてあげてほしいな」
「うん。良くあることだって言っておいた」
さすがにそれには苦笑いだ。
「まあ、いいんだけど。遠征なのに大怪我してるから何事かと思ったよ。無骨は軽い怪我だけで済んだけど、福島が支援してくれたって聞いたから。こちらこそ御礼を言わせてほしいな。本人にも直接言ったけど」
「いや、うん、僕に言う必要はないよ。あの人が好きにやってることだから」
「いやあ、そうでもないみたいだよ」
そういって、ニコリと笑う。最近良く見る邪気の無い笑顔。これが、少しだけあの槍と似ていると気付いて、一体自分たちはどこから逸話を拾って、なにから得た経験でもって顕現するのだろうと思いを馳せた。
「福島、ずーっと、言ってたって」
「何を」
「弟が悲しむから、こんなところで落ち落ち死んでなんてたまるかって」
一瞬言われた意味がわからなくてキョトンとしてしまった。理解がワンテンポ遅れる。
は? あの未来の先より、今の輝きを求めるような男が? そんなことを? 本当に?
「弟」のために? 己の身に何かがあれば、誰かが傷つき、悲しむということを、いつ、知ったというのだろうか。
「まあ、大した怪我じゃないのは確かだけど、出血が多ければ死んでしまうことはある。身体がそんなでもなくても刃が折れれば肉体は崩れる。脳をやられてもダメ。でも、あの人、だからこそ槍引っ掴んで抜けないようにして出血抑えたんだって。どっかの誰かさんたちとやること一緒だね」
「そこまで血の気の多い人だったかなぁ!?」
どっかの誰かさんの走りといえばこの本丸では同田貫だ。首を斬られようが、腹に槍が刺さろうが、片足利き腕が取れようが、絶対に帰る、という意思だけで生還してくる。不死身かよ、なんて揶揄されるが、昔重傷になって帰って短刀やら審神者やらにぎゃんぎゃん泣かれたのを己の恥として戒めている男士は多くその筆頭だ。
「うわ言みたいに、桜の花が咲いている。光忠とまだ見てないってボヤいてたってさ」
「嘘」
「こんな綺麗なものを号ちゃんとも、弟とも見ずに、分かち合えずに死ねるかって踏ん張って歩いてたらしいよ。今日の隊員たちの中で一番大きかったから担いで帰って来れなかったんだよね。それはかわいそう」
「身に覚えがある……」
「ほら、やっぱりよく似ているよ。兄弟っぽいね」
また、綺麗な笑み。歯を見せて笑うことが少なかった不動が、最近は歯を見せて笑う。
彼らは兄弟ではないが、持ち主が兄弟だった。それでも、彼らは少しずつ似ている。別に彼ら自体が刀工を同一とする兄弟ではないのに。ようやく、同じ主の元に居た仲間だけでない近しい者が現れて不動もつい最近まで困惑していた様子だった。だが、人間無骨と一緒に出陣してからは、なにか吹っ切れたように彼の世話を焼いている。それなりに楽しそうで、嬉しそうで、時々、苦しそうな顔をすることもある。それは修行に行った不動でもまだなお、消化しきれない以前の主たちへの想いにきっと繋がっているのだろう。
だからこそ、「兄」と呼ばない燭台切を気にかけてくれていたのだろう。優しい子だと、改めて思う。
「あ、沸く沸く!」
バタバタと、慌てて火を消して、マグカップに白い湯気を立てた牛乳を注いでいく。すぐに鍋は洗われて布巾の上で干された。
コトンと一つが燭台切の前に置かれた。残りの二つは同じく彼の前に置かれたが、続きがあった。はちみつを垂らして、匙でグルグルと混ぜる。
「無骨くんもはちみつ入りなの?」
「疲れてる時には甘いものだろ」
キョトンとなにを聞いているんだ、と言わんばかりの不動の態度に虚をつかれた。
そう言って彼に甘い牛乳を与えていたのは燭台切自身だったから。それでも、燭台切の前に置いたものにははちみつを入れなかったのが、彼らしい。
「ねえ会ってきなよ。福島に」
「え」
「それを飲んだら。夜食でも持って。きっと喜ぶよ」
「あ、いや、僕は」
「たまには手紙じゃなくて、声にしてあげてよ。いつどうなるか、俺たちは誰もわからないんだから」
「う、それは、そう……」
じゃあ、俺はこれで、とさっさと出ていってしまった。あれで今度は無骨を慰めてやるのだろう。
誰もが、通る道なのだと。そして、自身もまたそうなっていくのだと。そうならないように、腕を磨けと、きっと発破をかけるのだ。
不動からの言葉で、重くなっていた心が少しだけ軽くなった。
夜食、なにがいいかな、なんて、少しだけ浮ついた心に切り替わって。