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    しおり
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    しおり
    天国からのてがみ。 七瀬陸が亡くなった。
     IDOLiSH7の全国ツアーの最終日を終えた直後だった。限界を超えた身体で流れ星を降らせて、会場を沸かせ、ステージ裏に下がった瞬間崩れ落ちた。胸を押さえて苦しげな顔でしかしどこか満足そうな陸の腕を、一織は掴むことができなかった。
     

     駅から徒歩五分圏内。セキュリティーが売りのマンションのエントランスはどんな遅い時間でも、あたたかみのある光で居住者の帰りを迎えてくれる。
     日付はとうに超えており、開放感のあるエントランスに一織以外の人間の気配はない。
     四桁の数字を打ち込み、ロックを解除した郵便受けを開く。見慣れない会社のダイレクトメッセージやチラシにさっと目を通し、すべてゴミ箱行きだと手荒に掴むと間から何かがするりと抜けていった。
     屈み込んで拾い上げる。
    「手紙……?」
     ファンレターなどでよく見かける可愛らしい封筒の表には、丸っこい字で和泉一織様へと書かれていた。見覚えのある字に裏面へとひっくり返すとそこには七瀬陸と、今は亡き人の名前。
    「七瀬、さん」
     指先が震える。どくんと心臓が激しく鳴った。止まっていた時計が動き始めたように、忙しく鼓動する胸を押さえながら一織は短い呼吸を吐いた。
     これが陸からの手紙と決まったわけではない。けれど、あの予想もつかないあの人ならば、天国から手紙を送ってくることもおかしくはない。
     今だって後ろからひょいと顔を出して「一織どうしたの?」と言いながら手元を覗き込み、冷やかす陸の姿を一織の頭は簡単に想像してしまう。
     彼が亡くなって数カ月が経ったが、未だに実感が湧かない。
     ぽっかりと空いた空間や隣を見遣って、そこでようやく彼がいないことを思い出す。
     陸がいなくなった寮はひとりぶんの音を失った。六人という人数が大所帯であるのは変わらない。けれども会話の端々で、陸ならばこんなふうに会話に入ってくるのだろうと考えてしまう。その度に喪失を突き付けられ、耐えられなくなった一織は予定していた退去日を早めて、このマンションに引っ越してきた。
     一織の隣の部屋には陸が入る予定だった。
     落ち着け、と自分に言い聞かせながらエレベーターへと乗り込む。ぐんと上昇する箱の中で一織は封筒を見つめた。
    「……どう見ても七瀬さんの字だな」
     女の子が書くような丸っこい字で、一織と書かれた文字に胸が締め付けられた。ラビチャなどの電子ツールを使ったやり取りは大量にあるが、自筆のものとなると意外と少ない。
     自分たちのようなアイドルのサインはグッズにも取り入れられ、市場に多く出回っているが個人宛となるとさらに希少だ。
     デビュー前、皆でサインを考えていたときに一織が書いた面白みのないサインを見た陸は「それは署名だよ」と笑った。「なら、あなたはどうなんですか」と言い返すと妙に自信に満ち溢れた表情を浮かべ、見せつけた。陸のサインは一織が思っていたもの以上にアイドルらしいサインで「まあ、いいんじゃないですか」と素直じゃない返答をしたものだ。
     その後の頬を膨らませた陸の顔を思い出して、一織は知らずのうちに口元を緩めた。
     目的の階に辿り着いたエレベーターの扉が開く。気持ち早足で歩き、鍵を回して一織は部屋に入った。
    「ただいま戻りました」
     寮にいた頃の名残で未だに挨拶をしてしまった。部屋の奥から何の返事も返ってこないことを寂しくは思わないが、またやってしまったとため息を吐く。
     荷物を床に置き、薄手のコートを脱ぐ。ハンガーのかける余裕もなく皺にならないようにソファにかけて、ぐしゃぐしゃになったチラシは乱雑にテーブルへ置き、ゆっくりと封筒を開いた。

     
    『親愛なる和泉一織 様へ
     驚いた? オレだよ、七瀬陸。一織のことだから字を見たら気が付くと思うけど、念のため名乗ったんだよ。多分今二月十七日だよね。いやそれ以降の日付かもしれないけど、まずは言わせてね。
     二十歳の誕生日おめでとう一織。お酒はもう飲んだかな? オレ的にはね、ももりんジュースの会社が出してるチューハイがおススメだよ!』
     
    「っは……あなたね、馬鹿なんですか……っ」
     
     かしこまった口調で始まったわりには陸らしい言葉が並んでいた。取り留めない内容は、まるで彼自身がそこにいて、笑顔で話しかけてくるように思えてしまう。滲む視界に目を閉じて、手紙が濡れないよう二枚の便箋を自分から遠ざける。
     続きを読みたいと思う心に反して、一織の思考は勝手に過去をさかのぼっていた。


    ***
     
    「天にぃみたいに、歌って、踊って、見てる人を笑顔にしたい……。オレの夢だったんだ……」
    「……七瀬さん」
    「このまま、夢をあきらめて、百歳まで生きるよりも百年分、歌って死にたいんだ」
     陸が自分の持病を隠していた頃、一織は陸の部屋で彼の願いを聴いた。健康的な人ならばもっと容易く叶えられるその願いは、いじらしい願いでありながらも強い熱を帯びていた。
     
     ──みんなと一緒に、死ぬまで歌っていたい。
     
     生きることよりも、自身の命がある限りステージの上に立つことを陸は望んだ。みんなを笑顔にしたい、と身体が訴える苦しさを笑顔で覆い隠して。
     ひたむきに前を見つめる赤い双眸に一織は囚われてしまった。
     きっと彼の熱に触れてしまった時点から、いやきっとその前の、陸の歌声を耳にしてしまったことで一織の願いは形となった。
     陸は一織の言葉に拗ねたり怒ったりすることはあったが、決して傷つかなかった。むしろ言い返すほど気が強く、苛立つこともあったが一織の手を弾くことはない。
    「もう一織の手は借りない」と強い口調で言い放ったわりに喧嘩をしたことを忘れ、甘えてくる末っ子気質の陸は、万人に愛される人だった。
     
     百歳まで生きるよりも百年分、歌って死にたい。
     
     それが七瀬陸の願いならば。
     この世で一番彼の歌を愛している和泉一織は、魔王の役を選んだ。
     
     
     均衡が崩れたのは、すべての生命が眠りにつく冬の季節だった。
     間近に迫るライブのリハーサルの最中に陸は倒れてしまった。
     センターで歌っていた一織と入れ替わるように、歌いながらターンをする予定だった。だが中心へと辿り着く前に陸の身体は傾き、急いで伸ばした一織の手はただただ宙をかいた。
     一織の視界では崩れ落ちる陸の身体がスローモーションで映り、なのに倒れ込んだ音はやけに大きく反響する。
     気が付けばメンバーたちは必死の形相で陸の名前を呼びつづけて、一織だけがこの光景を、現実であることを否定していた。
     焦りながらも紡は慣れたように救急車を呼ぶ。大和は打ち付けた頭をできるだけ揺らさないよう、青白い頬を叩く。
     少しずつ痩せ始めた陸に気が付いていた一織は、終わりが近づいているのだと悟った。
    「いおり」
     瞼が揺れる。すっと開いた瞳はこの中で一番怯えている一織を捉えて、笑った。
     血色のいいはずだった唇は青く、小さく動いて何かを伝えようとする。四文字なのか、それとも五文字なのか。必死で紡いだ想いを読み取れず一織は唇を噛んだ。
     
     
     
    「あー……。びっくりした~」
    「それはこちらの台詞です」
     陸が病院に運ばれ、三日後には面会が許された。一番最後、面会時間ぎりぎりにわざと一織は陸の病室を訪れた。薄情な一織に対して陸は怒るのでもなく、困ったように笑うから居た堪れない。
    「調子はどうですか」
    「元気だよ。早くライブの日来ないかな」
    「……そうですね」
     入院しているくせに。──倒れたくせに。
     喉まで出かかった言葉を飲み込む。
     陸が望むのは自分の身体を楽にしてくれるはずの病院ではなくて、眩いライトが降り注ぐステージの上だ。
     七つの色が、人々の歓声が、喜びと興奮に満ちたあのステージだけが七瀬陸を生かす。
     疲れたように、寂しげに笑っている陸に一織が歌うことを許せば、すぐさま満面の笑みに変わるだろう。しあわせそうに、いとおしげな顔を客席に向けて。
     
     一織の気持ちを知っているくせに。
     
     それでも、一織の願いを知っている陸は一織の名前を呼ぶ。
    「もしも、これはもしもの話ですが」
    「うん」
    「私が貴方をステージから引き下ろしたら」
     ──貴方は私を恨みますか。
     掠れた声が出た。息の仕方を忘れ、しばらく続く沈黙が痛かった。
    「……そうだなあ。恨まないよ。というか、一織はそんなことしないから、だから恨まない」
    「……そうですか」
     残酷なひとだ。
     音もなく呟くと、陸は眉を下げて笑う。けれど自分の言葉を撤回しない。
    「一織だけはさ、オレに歌えって言ってよ」
     
     そうして、オレに呼吸をさせて、一織。
     
     なんて、残酷で甘美に満ちた言葉なのだろうか。それは一織だけに許された言葉だ。彼が敬愛する双子の兄ではなく、密約を結んだ一織に陸は自分の身体を、命すらも委ねている。
     笑みを絶やさないまま陸は一織の手を引いた。
     急所でもある首を、人に晒すべきではない場所へと指先を押し当てられる。彼の指に導かれて彼の喉仏に触れた。
    「歌わせて」
     一織。
     指先にあまい震えを感じた。遅効性の毒のようにじわりと染み込んで、全身が震えた。その正体は、歓喜だったのかもしれない。


     
     ステージの上で伸びやかに歌う陸は、幸せそうに目を細め観客席を見つめていた。空っぽなのに、彼の目には幸せな顔をしたお客さんの姿が映っているのだろう。
     陸が幸福であればあるほど、俯瞰で見ていた一織もまた幸福を感じた。けれど、迫りゆく終わりに対しての恐怖もあった。
    「一織! 今のどうだった?」
    「とても良いと思います」
    「えへへ、そうだよね!」
     無邪気に笑った陸はことあるごとに一織の腕に絡みつく。メンバーは冷やかすことなく陸を見つめていた。切ない眼差しを向ける者、あるいは苦いものを飲み込むような顔をしていた者。おそらく各々が直感的に感じていたのだと思う。
     誰も止めようとは言わなかった。止めたい、などと言えるはずがない。
    「みんな、来てくれてありがとう!」
     
     あんなにも幸せそうなのだ。幸福の権化である陸に悲しみや憐憫を向けるわけにはいかない。
    「七瀬さん」
    「なに?」
    「明日、貴方の本気を見せてください。いつものように鮮やかな魔法を見せて。ファンの方々を、スタッフを、私たちを……私を魅了させて」
    「任せて! みんなに幸せを届けるから」
     かち、と時計の針がなったような気がする。
     時間が止まったのか、それとも進み始めたのか。一織には判断できなかった。

     宣言通り、いやそれ以上に陸の歌唱は凄まじかった。歌い出しを耳にしたメンバーは圧倒され、しかし伸びやかな歌唱に応えるように音はあたたかみを増す。
     ライブの始まりは『DiSCOVER THE FUTURE』だった。疾走感のある快活なメロディから始まり、明るい未来を探す、希望に溢れた歌詞となっている。
     歌詞に隠された自分の名前の音を強調しながら歌い上げた。
     ミュージックビデオにも使われた衣装は薄い羽根が生えているようなデザインだ。跳ね上がるたび、ふわりと舞った。
     真上にあるライトは白く発光している。照明の光を浴びた赤茶の髪はさらに赤みを増して、煌々と燃え続ける夏の太陽だ。眩しさに一織は目を細める。
     後ろから見ても陸がどんな顔をしているのか想像がつく。観客の笑顔から、メンバーの笑顔から察せられる。
    「DISCOVER 星になって」
    「みんなの」
     陸のソロパートの後に続く括弧。懐かしい記憶が蘇る。
     あれはデビュー前だったか。初めてのライブの前に秘密の特訓をしたことがある。その中で「アイドルのライブで大事なものは?」と三月がメンバーに問いかけたとき、陸は嬉しそうに手を上げていた。
    「括弧のところ!」と元気よく答えた陸に一織は呆れたが「Jump!」と言わされて、続く「High!」の環と陸の括弧内に気分が良くなった。
     IDOLiSH7は括弧を大事にするアイドル、というのもあながち間違っていなかったのかもしれない。
     希望に溢れた曲が終わり、すぐさま一織がセンターを務めた『Perfection Gimmick』のイントロが流れ出す。中心にいた陸と入れ替わるように前に出た一織は大きく息を吸った。
    「退屈してる? トビラ Knock Knock」
     この一織が歌っているパートは本来陸のパートになるはずだった。
     陸の代わりのステージの真ん中に立ちながらも、大人びた表情で歌う彼の姿を何度も頭の中で描いた。センターを交代したことに関して後悔はしていない。必要なことであったことも理解している。
     だが、望むことくらいは許されるだろう。
     何故なら一織は、陸のボーカルが好きだから。
     陸がセンター復帰したライブでファンの子たちの前で言い切れるほど、和泉一織は七瀬陸の歌が好きだ。
    「感じて欲しい Amazing」
     安定した高音の後に続く環と壮五の歌唱はひそやかに、大和、三月、ナギは大人の色香を纏いながら、やがて七つの声で終わりへと向かった。
     割れんばかりの拍手と響き渡る歓声に息を整えながら、一織はちらりと陸の横顔を見つめた。想像通りの幸福を詰め込んだ表情に、自分の意思と反して口角が上がる。
    「こんばんは! 今日もみんなに会えてうれしい!」
     成人を過ぎたというのに陸は未だに両手を大きく振って挨拶した。七色の光はいっせいに赤色へと変化し、客席は赤で埋め尽くされる。光の波と、陸を呼ぶファンの声は遠く離れたステージまで届く。
    「あはは……! ありがとう! せーのっ……オレたち」
     ──IDOLiSH7です!
     打ち合わせになかった流れで、皆は声を揃えてグループ名を名乗り上げる。それでもずれることなくぴったり揃えてくるメンバーの一人ひとりの顔を見渡して、陸は笑顔を深めた。
    「今のね、打ち合わせしてなかったんだけど……。ちゃんと揃えててすごいよね!」
    「貴方の無茶ぶりに何百回付き合わされたと思ってるんですか」
    「……うーん、多すぎる気がするんだけど?」
    「胸に手を置いて。考えて」
    「…………、っ! すごく心臓がどきどきしてる!」
    「オレのみんなと会えてどきどきしてるぜ!」
    「ワタシもです!」
     IDOLiSH7恒例のぐだぐだMC中は常に笑い声が響く。カンペはステージへと向けられたモニターに表示されているが、各々が好きなことを話す。いつもよりもはしゃいでいるメンバーに、どうまとめるべきかと考えていれば突然何かがぶつかってきた。
    「なっ、何ですかいきなり」
    「ほら一織見て、左側……きらきらしたうちわにBangして! って書いてあるよ」
     赤い瞳が悪戯っ子のように細められる。これは一緒にやろう、ということだ。ふうっと息を吐いて、一織は指でピストルの形を作る。
    「……私を見ていてください」
     ──Bang!
     ふたつの声は揃い、しんと静まり返った会場はすぐさま歓声に包まれる。
    「恰好良いよね、一織のbang!」
    「貴方撃つの下手ですよね」
    「なんだと!」
    「おまえさんたち喧嘩するなよ」
    「そーちゃん、俺たちもやろうぜ」
    「大和さん、ナギ、オレたちもやるぞ」
     結果、次に歌う曲の紹介はしっかりと出来ず、駆け足するように始まった。
    「この曲を歌うたびに、オレはあの夜のライブを思い出します。みんなが支えてくれたこの場所で、一織が守ってくれたこの場所で、オレは歌います。────RESTART POiNTER!」

     
     
     力強い歌い出しに胸が震えた。
     
     
     ライブ中だというのに思わず振り返ってしまったあの日、一織の魂は二度震えた。
     懐かしい故郷に帰ってきたような、当たり前の日々に戻ってきたような、感覚だった。陸の歌声を耳にした一織はようやく安堵し、興奮を覚えた。
     ──最高だ。
     やがて訪れる恐怖も、不安もすべて忘れられる。気持ちをリセットさせてくれる。
     汗染みる。こめかみから顎へと伝って床を濡らす。真上から叩きつけるライトはまるで夏の日差しだ。それでいて不快にはならない。
     ステージの真ん中でのびのびと歌う陸は眩しくて、けれども目は逸らない。
     網膜に焼き付けるように、瞼を閉じてもはっきりと彼の姿を思い出せるように一織は陸を見つめた。
     
     
     今回のライブのセットリストには個人のソロ曲が入っている。
     広いステージの上でひとり。普段七人が立つその場所はひとりだと、想像していたよりも広く、寂しいところだった。
     しかし観客席から揺れる青色の光が、あなたが孤独ではないのだと波打つ。頑張れ、の声の代わりにトップバッターの一織を励ます。
     ゆったりとしたイントロが流れ、リズムに合わせ光の波は緩やかな虹を描いた。
    「退屈な音が鳴り響いてた」
     自分の心を映し出したかのように思えるこの曲を、大勢の前で歌うことに一織は気恥ずかしさを覚える。けれど歌詞をなぞるたび、IDOLiSH7に対する想いを知らされる。
     このグループは最高だ、と叫び出したくなるように。
    『みんなと一緒に、死ぬまで歌っていたい』
     陸の声が脳内で再生された。
     二人で過ごしているときにぽつりと零れるこの言葉には、何も他意などないのだろう。純粋に陸はそう願っていて、一織はささやかで壮大な願いを叶えるだけだ。
    (そうだ。私も死ぬまでIDOLiSH7でいたい)
     終わらせたくない。この最高の夢を見続けていたい。
     そう願うほどに、一織が追いかけたものは素晴らしい夢だ。
     幸せだ。幸せであるからこそ、苦しい。
    (夢を見せ続けてほしい。私に、七瀬さんに、この会場に来ているファンの方々に)
     神様、と呟いた音は声にならない。一度も神に祈ったことのない一織は願えない。
     胸をあえがせて、吸い込んだものはただの空気だけだった。

     
     ひとりきりの時間は長く、しかし終えてみると短いものにも思えた。ステージ裏にさがって浅く呼吸していれば、陸が近づいてくる。
    「オレ、一織の歌好きだよ」
    「なんですか、唐突に」
    「言っておきたくて」
    「……ありがとうございます」
     まるで別れの言葉ようだ。出かかった言葉を飲み込んで、一織は笑おうとした。が、上手く笑えていないのだと思った。
     ふっと口元を緩め、陸は微笑む。一織を呼ぶ声は、あまい。
    「例えばの話、恋とは歌、だったらさ、愛とは何だと思う?」
    「哲学ですか。……そうですね、恋が歌なら、愛はファンの方ですか?」
    「うーん……。近いけど、不正解」
     ならば陸にとって愛は何を指し示すのだろうか。答えを聞く前に陸は一織に背を向けてふらりと歩き出す。
    「七瀬さん」
    「もう少し考えてみてよ」
     答えはライブが終わった後に。
     振り返った陸はやはり笑っていた。
     
    「歌おうSeptet……」
     アカペラで始まった『SEPTET for...』の歌い出しで会場は赤色一色に染まる。ゆらゆらと揺れるその光は篝火のようだ。闇夜を照らして、周囲を明るくする。
     しかし六万個の赤い光よりも、ステージの中心で歌う陸の方がずっと強い光を放っている。
     のびのびと、ひたむきに前へ前へと進む歌声は共感を生む。胸を満たすこの感情は幸福だろか。
     藍色の空には星屑が降り注いでいる。とても美しい光景に人々はため息を吐きながら、ステージを見上げて、七瀬陸の姿を焼き付ける。眩しいものを見つめるように。
     だが一織は眩いものの正体を知っている。あれは死に至る星だ。
     その姿は人々に感動を与える。終わりに気が付いている一織でさえもだ。
    「僕らの為に 奏でよう」
     しんと静まり返る。陸が顔を上げた瞬間観客席から陸の名前を呼ぶ声が聞こえた。一人の声だったものが次第にいくつも増え、拍手の代わりにすべて陸の名前で埋め尽くされる。
     笑顔を浮かべた陸が「ありがとう」を口にして、そうしてようやく拍手に変わった。陸がステージから立ち去っても、鳴り止まず、次の曲のメロディが流れ始めるまで喝采は続いた。


     ひゅっ、と喉が鳴る。耳を澄ませてようやく聞き取れるか細い音は、一織が嫌う音でもあった。
     壁に凭れた状態で陸は身体を丸め必死に呼吸を繰り返す。顔を歪め、苦しいとは言わない。ぜえぜえと胸を喘がせて、濡れた瞳で見上げた。
     ──歌え、って言って。
     力強い眼差しで一織を射抜く。期待、ではなく、確信を持って。
    「歌ってください、七瀬さん」
    「っは、……っ、うん」
     一織の言葉は陸の命を縮めるだけだ。しかし陸は望んでいる。
     残酷な願いは一織にしか言えない。命すら委ねられたこの役割は他の誰にも譲れない。
    「……っ、オレ、最後まで歌い切るよ」
    「ええ。貴方なら絶対にやり遂げられます」
     あの日言えなかった想いをのせて。一織は口を開いた。
    「貴方の歌を聴かせたいんです。聴かせてください」
     ──流れ星降らせてくれるんでしょう。
     瞳の奥でゆらりと揺れるものを見つけた。手を取ると、想像よりも力強く握り返してくる。一織よりも一回り小さな手はここ数ヶ月で細くなってしまった。けれど体温は変わらない。少し熱いくらいの温度なのに、低い一織によく馴染む。
    「ありがとう、一織」
    「別に、礼を言われることじゃないでしょ」
    「あはは……そうかも。でもありがとう」
     立ち上がらせて、初めて陸と目線がずれていることに気が付いてしまった。本当はもっと変わってしまったものがあるのだろう。
     最後の最後に気が付いて、感傷に浸るとは陳腐な喜劇のようだと一織は小さな唇を歪めた。
    「一織もさ、笑っててよ」
    「面白いことがないのに、ひどい無茶を言う人だな」
    「カメラの前で笑ってるじゃん」
    「あれは仕事ですから」
    「何でもいいから! ちゃんと、笑って」
     にこりと笑った陸に一織は抗えない。素直に笑うのは、癪なので「仕方のない人だ」と素直じゃない、自分らしい言葉を呟いた。


     流れ星が降り注ぐ。一織の期待をはるかに超えた歌声で、会場を魅了させた。
     ──生まれた意味を声に乗せるよ。
     そっと語るような音が弾け、七つの歌声は虹を超えていく。どこまでも高く、続く夢を見せてくれる。そんな希望を与えて、IDOLiSH7は歌った。
     ああ、終わったのだと、一織は安堵しながら。僅かな寂しさを感じながら。
     最後まで歌い終えて、拍手を聞きながらステージを後にする。疲労と、それ以上に凄まじい高揚感に包まれていた。
     そして、満足そうな笑みを浮かべた陸が胸を押さえ、一番近くにいたはずの一織は気がつかなかった。
     崩れ落ちる陸の身体に触れることすら、かなわなった。


     ***

     軽く唇を噛んだ。過去を遡り、ひとつひとつの出来事を思い出した一織は、ようやく向き合うことができる。
     視界はまだ霞んでおり、袖口で乱雑に濡れた目元を拭った。
     
    『ねえ、一織。今おまえちゃんと眠れてないだろ? 心の底から笑えてないだろ?
     オレさ、一織の笑った顔が好きだったよ。嘘、今も好き。仏頂面で、無愛想なおまえが笑うとかわいくて、弟……には思えなかったけど、何でも許してやろうって気持ちになってたよ。
     今日はさ、一織がオレによく作ってくれたはちみつ入りのホットミルクを作ってよ。甘くて美味しいから。
     一織、笑ってよ。それから十七年分、おまえに手紙を書いたから、最後まで読み切って。一生懸命書いたから、十七通の手紙を受け取って、開けてね』


    「馬鹿じゃないですか……っ」
     一枚の便箋にぎっしりと詰められた文字を読み終えた一織は泣きながら笑う。陸が笑えと言ったから、抗うこともできずなく、久しぶりに浮かべた笑みがひどくぎこちないことは鏡を見なくてもわかる。
     重なっていた二枚目の便箋には何も書いておらず、まっさらだ。一枚目の手紙を一織は何度も何度も読み返す。
     気持ちが落ち着いたところで、手紙をテーブルの上に置いて一織はキッチンに向かった。
     久しぶりに作ったホットミルクは今の一織の舌には甘すぎるもので、止まったはずの涙が再び出てしまうことになった。


     二通目の手紙は、同年のクリスマスが過ぎた頃に届いた。
     前回と同じようなテンションで書かれた手紙は、やはり取り留めのない内容だった。最近やってしまったうっかりを三つほど報告され、今さらどういう顔をすればいいのかわからない。
     怒らないで聞いてね、と前置きをする陸の表情が目に浮かぶ。
    「怒っていませんよ……呆れただけです」
     呆れないで! とそこだけ力強く書いた文字を指でなぞった。
     二枚目は一通目と同じようにまっさらだった。
     

     三通目、四通目、五通目。
     最初の手紙で宣言された通り、毎年一通ごと天国にいる陸から手紙が届く。桜が散る頃に届くこともあれば、夏が始まる前に届く年もあった。

     
     七通目の手紙には、何も書いていない便箋の答えが書かれていた。
    『オレも一織から手紙が欲しい。今すぐ届けなくていいから、オレに返事書いてよ。おじいちゃんになってから虹の向こうを超えて、その十七通の手紙を届けにきて』
    「返事書いてます。貴方の考えなんてお見通しなんですよ」
    『もう、一織は滅多に泣かないんだろうな』
    「……泣くこともありますよ」
    『オレはね、実は今ちょっと泣きそうだ。でも泣いたら苦しくなるし、手紙書けなくなるから泣かない。それに一織が笑顔でいられるように、オレは笑っていたいんだ』
    「ライブ中もずっと笑っていたのは、私のためだったんですね。まあ、自惚れかもしれませんが」
    『今日は何を食べた? 一織は人一倍健康管理にうるさかったから、大丈夫だと思うけど。それじゃあ、明日も一織が笑っていますように』
    「うるさいって……。貴方たちが雑だっただけでしょう」
     綺麗な文字で言い合う。手紙を読んだ陸は目を吊り上げた後に頬を膨らませて、最後には笑いながら「手紙じゃなくて直接言え」と言うのだろう。
     ふっと吐き出した吐息に微かな笑みが含まれており、静かな部屋にとける。「やっぱり一織は笑うとかわいい」と微笑んだ陸の姿が鮮やかに浮かび上がった。

     手紙は一通も途切れることなく、一織の手元に届けられる。
     IDOLiSH7は活動を続け、センターであった七瀬陸の名前は世間から消えない。
     人間は二度死ぬ、と何かの記事で見たことがある。
     一度目は肉体が滅んだとき、生命を終えることを指す。
     二度目は忘れられたとき。人々の記憶から存在が消えてしまったときだ。
     陸が亡くなった後、IDOLiSH7をどうするべきか時間をかけて話し合った。喪失感に押しつぶされそうになりながらも苦しいから終えたい、という声は誰の口からも出ず、IDOLiSH7という名前を変えることなく活動を続けた。
     メンバーの誰もが七瀬陸の二度目の死を望まなかった。
     喪失は悲しく、苦しかった。けれども誰もが陸を忘れたくなかった。忘れさせたくなかった。
     七瀬陸が生きた証を、投げ捨てる選択肢は存在していなかった。

     IDOLiSH7のセンターは、今も変わらず七瀬陸だ。

     ステージには一人分のスペースが必ず設けられている。
     七瀬陸のための場所が、今もなお存在しているのだ。

     
     十七通目の手紙が届いたその日、今まで使われていた便箋とは違っていたことに驚いた。
     さらに厚みが違っていた。手紙以外に何か入っているのか慎重な手つきで封を開ける。
     中身を取り出して、封筒をさかさまにしてみるも紙以外のものは見当たらない。
    「これは熱烈だな……」
     最後だからだろうか。全部で十枚の便箋が封筒の中にみっちりと詰まっていたことに一織は苦笑してしまった。
     一人掛けのソファに腰をかけて、一番上から読み始めた。


    『親愛なる和泉一織 様へ
     
     十七年かけた手紙も今日が最後です。ちゃんと読んでくれたのかは、会えばわかることだから敢えてここでは聞かない。
     最後だから、どうしてオレが手紙を書くことを決めたのか教えようと思う。
     実はリハーサル中に倒れた後、しばらく眠っている時にオレは未来の夢を見たんだ。
     オレは一織の部屋にあるろっぷちゃんになっていて、やつれたおまえをずっと見ていた。泣くことも、笑うこともしない一織は、張りつめた糸みたいで、ぷつんといつか切れてしまいそうだった。
     無表情なのに一織は後悔した子どもみたいな顔をしてて、ああ、オレは一織にひどいことをしてしまったんだと気がついた。
     多分オレが一織に我が儘言ったんだろうな、って思った。一織だけはオレに歌え、って言ってオレが死んじゃったかもしれないし、オレはベッドの上で後悔しながら、死んでいったのかもしれないな、とか。
     真相はわからない。でも多分オレはこの世にいなくて、一織は後悔しつづけて、悲劇のような未来だった。

     目が覚めたときに、思ったんだ。オレの命は一織に預けておきたいと。
     一織ならきっと、どんなに苦しくてもオレに歌え、って言ってくれるはずだから。

     オレはね、幸せだったよ。
     初めて一番好きなことで人に期待されて、こんな弱いオレでも誰かを幸せにできることを知って。諦めていた夢を一織が叶えてくれた。

     死ぬまで歌っていたい、という願いごと、ぜんぶまとめて一織は叶えてくれたんだ。

     一織、覚えてる? 昔TRIGGERのお祝いに行ったらレストランに閉じ込められたよね。
     あのときオレたちを閉じ込めたファントムって奴が、恋とは何か? と聴いてきたよね。
     オレにとって、恋は歌だった。一緒に歌ったり、うまく歌えたら、嬉しくて、笑いあって、幸せになる感じのもので、今もその考えは変わっていない。
     恋じゃなくて、愛とは何か? ってもし今訊かれたら、オレは一織、って答えるよ。

     
     オレにとって、愛は一織だ。

     
     オレをIDOLiSH7の七瀬陸でいさせてくれた人。オレの歌をこの世の誰よりも愛してくれた人。一番近くで支えてくれて、ときには叱って、でも絶対にオレを見捨てなかった。
     優しい言葉で、だめだよ、無理しなくていいよ、と言わない、厳しい言葉で叱咤してくれる一織はオレにとって愛だった。
     
     オレにとって、歌は焦がれるものだった。
     オレにとって、一織はそこにあると安心できる強い信頼だった。
     
     ありがとう、一織。一織がいてくれたから、オレは最後まで歌い切れた。
     幸せで、ずっと胸があたたかいんだ。これ以上の幸福はあるんだろうかって思うくらい、今、オレは幸せを感じてる。

     オレがいない世界で一織はきっと笑えないだろう。ぷつりと糸が切れるように、いつか、壊れてしまうのが嫌だったからオレは十七年分の手紙を書くことにした。
     一織がオレに手紙の返事を書けるように、何も書いていない便箋を同封して。
     きっと一織は綺麗な字で真面目に返事を書いてくれるんだろうな、ってわくわくしながらオレは手紙を書いたんだ。
     だからさ、返事はオレの手紙と一緒にまとめて、いつか届けてよ。
     虹を超えたその先にオレはいるから。
     隣で歩きながら「今読むんですか!?」って恥ずかしがる一織の前で手紙を開けて、怒られようと思う。
     怒られても、読むのはやめないから。だって一織から手紙貰うの初めてだし。ラビチャはたくさんしたけど、手紙って何気に初めてで楽しみにしてるんだ。
     
     本当はまだ書きたいこといっぱいあったけど、もう終わりだ。少しさみしいかな。
     じゃあ、一織。最後に、一織にとって愛とは何?
     恋が春のうさぎだったからいまいち想像できなくて、ずっと気になってた。
     会ったときにちゃんと教えてね。一織からの返事、楽しみにしてるから。

     七瀬陸』
     
    「……っ、最後の最後まであの人は……」
     分析に優れた一織でさえも、予測のつかない人だった。
     泣けなくなった一織を再び泣かせる天才でもあった。
     
     今すぐに返事は書けない。視界は掠れ、インクも滲んでしまうから。
     もう少しだけ泣いて、落ち着いたらペンを握ろうと思う。

     
     
     
     虹を超えた先に、彼はいた。
     大きな目を丸くした後笑顔を浮かべ、勢いよく飛びついてきた。
     行動を予測できていた一織はしっかりと受け止めて、再会を喜ぶ陸にそっと耳打ちをする。
    「私にとって、愛は」
     ──無茶ぶり大魔神で、あまったれで、ブラコンで、だけどいつだって期待を裏切らない。
     ステージの上で最高のパフォーマンスを披露してくれる、鮮やかな魔法を見せてくれる人。
     
     和泉一織にとって愛とは、IDOLiSH7のセンター、七瀬陸であった。
    水無月ましろ(13月1話更新) Link Message Mute
    2023/09/30 10:13:42

    天国からのてがみ。

    亡くなった七瀬陸から手紙を受け取った和泉一織の話。


    フラウェ/死ネタ
    公開日 2023/4/17

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