17歳はキスができない【いおりくSS】「付き合ってからキスまでの期間は……一週間以内が多いな」
和泉一織は悩んでいた。
同メンバーでひとつ年上の七瀬陸との恋が成就して早十七日。付き合う前から「おまえら付き合ってるんだよな?」と度々他のメンバーから言われることが多く、その度に否定していた。
しかし「オレは一織のことが好きだけど!?」と突然機嫌を損ねた陸により両想いであったことが発覚。流れるようにお付き合いが始まって十七日が過ぎ、この間恋人らしいイベントを行ったのかと聞かれれば、何もない、だ。
学業にアイドル活動。多忙すぎる日々のせいで清らかなお付き合いになってしまっているが、一織も男だ。恋人同士が何をして、最終的にどこへ到達するのか知っている。同性同士の性行為の知識もある。勿論陸を抱きたい気持ちも人一番強い。
付き合う前からいわゆる彼と性行為を行う夢を見てしまい、朝目が覚めると悲惨なことになったこともあった。現在も時折そういうことは起こっている。思春期と生理現象なのだから、パーフェクト高校生の一織でさえどうしようもないことだ。などと言い聞かせた後、無心に汚れた下着の処理に勤めている。
正しく調べれば、恋愛相談から税金関係まである程度の問題が解決できる便利な端末で、付き合ってからキスまでの期間を調べたところ、一ヶ月という答えが出てきた。
「一ヶ月か……」
しかし相手は相手から与えられる好意に気が付かない陸だ。無垢で無邪気。今でさえ手を繋ぐことすらできていない。一ヶ月で待とうとすれば、おそらく次のチャンスは一年後になりそうだ。
そろそろキスをしなければ、到底前に進めないだろう。それにこのまま清らかな関係を続けてしまうと一織の朝の問題が永久に続いてしまう。
爆発寸前の思考──一織自身は理性的であると自負している──で一織はスケジュールアプリを開いた。
「明日は午後からオフで、七瀬さんも同じだな」
寮で二人きり、ゆっくりと過ごすのもいい。部屋の中なら人目がないため、べったりとできる。しかしファーストキスには適さない。もっとムードのある場所や良いのではないだろうか。
検索エンジンを開き『デート ファーストキス 場所』と打ち込む。遊園地や観覧車、夜景が綺麗な場所というワードがヒットした。
「遊園地は目立ちすぎるし、男二人で観覧車はまずい……」
上位に表示されたページを開いていく。おすすめのデートスポットの情報に辿り着き、六本木の展望台が紹介されていた。営業時間は二十二時となっている。
周辺の地図を見ていくと、どうやら近場には読書好きの陸が好きそうな本屋もあるようだ。
「初デートとしては悪くないな」
最終目的はロマンチックなファーストキスだ。
夜景を楽しそうに眺めていた陸がこちらを向いた瞬間、視線が絡み合い──やがて唇同士重なり合うはずだ。
「七瀬さん……」
脳内で頬を赤らめた陸が身を任せてくる。触れた唇が気になり「もう一度いいですか?」と顔を寄せた瞬間、ノックの音が聞こえてきた。返答する前に扉が開き、脳内でキスをしていた相手が近づいてくる。
「一織、今大丈夫?」
「七瀬さん。ノックをするのはいいですが、返事を聞いてから扉を開けてください」
見られても困らないような、明日の天気についてのページへと即座にウィンドウを切り替えた。
「もしかして、……えっちな動画とか見ようとしてた?」
「してません!!」
「明日のことで相談があるんだ……仕事終わってからのことなんだけど」
「なんでしょうか?」
緊張した面持ちの陸に一織は真剣な眼差しを向ける。もうすでに予定でも入っているのだろうか。
「あのさオレ、一織とデートしたい!」
「はい、デートしますけど」
「ええ!? 聞いてない!」
「言ってませんから」
陸も同じことを考えていたのだと知り、一織は密かに心の中でガッツポーズをした。
「言ってよ!」と頬を膨らせる陸はかわいい。反射的に緩む口元を引き締めながら、こほんと咳払いをした。
「明日撮影が終わったら、デートしますよ」
「どこに行くの?」
「六本木です」
デートだと張り切る陸はいつも以上のドジを披露し、予測できていた一織はさり気なくフォローし、時間通り無事撮影を終えた。
帽子を深く被りいつもよりも念入りに変装をしてからテレビ局を出る。
デートだからと言ってもカップルのように手を繋ぐことはできない。陸もそれは理解しているようで、隣を歩きながらまたは電車内でさりげなく指先に触れるだけだ。
「ちょっと、くすぐったいんですけど」
「そんなに? これでくすぐったいって言ってたらさ……っ」
驚いたように目を丸くし、それから何故か瞳と同じ色で頬が色づく。
「どうしたんですか?」
「な、なんでもない!」
ふいっと顔を背けられてわけがわからない。陸の横顔を見つめ、うっすらと汗がにじんでいることに気が付く。車内の暖房が効きすぎているのかもしれない。ハンカチを取り出して汗を拭うとびくりと肩が跳ね上がった。淡く色づいた頬はさらに深まる。
「っ、一織……」
「こちらを向いて」
「うん……」
睫毛がふるりと震えた。ゆっくりと瞼が下りて、赤い双眸が隠れると訴求力もまた隠れてしまうはずなのに、何故かひどく惹き付けられてしまう。ん、と突き出された唇に視線が向く。
(……まずい。うっかりでキスしそうだ)
ここが公共の場でなければ。
脳裏に浮かんだ煩悩を払拭させるため素数を数える。二桁目に突入したところで、柔肌を擦らないようハンカチを当てた。
素数を唱えながら汗を拭う一織の姿には気迫があった。触れてはいけないものに触れるような、緊張感を抱きながら真剣な表情を浮かべている。
勿論目を閉じている陸は知らない。
「もういいです」
「ん……ありがとう」
再び睫毛が揺れ、現れた虹彩の美しい瞳はかすかに濡れている。心を、心臓を掴まれる。ふ、と洩れた吐息が唇をくすぐった。
「一織……」
戸惑うように唇は開く。
初めて聞いた、掠れつつもあまさのある声に無意識に喉を鳴らして、陸の言葉を待った。
「次で降りないといけないから」
「……はい?」
「だからその……手離してほしいかも……」
「っ! そ、そうですね!? すみません」
どうやら無意識に重ねていたらしい。左手を慌てて離すと陸は恥ずかしそうに目を伏せた。耳まで赤いことに気がついてしまい、伝染したかのように一織の頬もカッと熱を帯びた。
「別に嫌じゃないよ」
「そ、そうですか……」
二人だけの世界を作り出していることを一織と陸は気づかない。代わりに彼らの周りにいる乗客は思った。
我々は何を見せられているのだろうか、と。
そこからは気を取り直して、一織が組んだスケジュール通りにデートを進めていった。
入場料のある本屋の存在を知っていたが陸は一度も入ったことはなく、数時間そこでゆっくりと過ごした。ショッピングモールをぶらついて、美術館へと足を運ぶ。
冷静に考えると現役高校生らしかぬ真面目すぎるデートと思う。
(楽しんでいるんだろうか……?)
顔を覗き込まなくとも、一織の視界に入った陸の双眸はきらきらと輝いていた。常に笑みを浮かべ、見るものに合わせてくるくると表情が変わっている。大きな瞳がきょろきょろと動き、ふらふらした足取りが危なっかしい。
腕を掴むと、ようやく陸はこちらを向いた。ふにゃりと頬を綻ばせた甘えた表情に一織の心臓が跳ね上がる。
「なあに?」
「……かわいい人だな」
「ん? 何か言った?」
「いえ。七瀬さんこちらですよ」
平日の夜ということもあり、人通りは少ない。先導する態で腕を掴んでいた手を滑らせて、こっそり小指同士で繋いだ。
「……っ、一織!」
繋いでいない方の指を唇へと当てる。静かに、とポーズで示すと陸は困ったように眉を下げて、その後悪戯っぽく口元に笑みを浮かべた。「耳貸して」と囁かれ、言われた通り傾ける。
「デートみたいだね」
「デートなんですよ」
囁き声に低く返すと、陸は声を上げて笑う。無邪気な愛らしさにまた胸が高鳴り、どくんどくんと早鐘を打つ心臓に一織は深いため息をついた。
(キスしたい)
欲望に直結するのもいかがなものかと思うが、この国宝級の可愛さに勝てる者がいるだろうか。応えるように繋いだ小指をきゅっと深め、視線が絡み合った瞬間にこりと笑うから一織は敗北するしかない。
エレベーターへと乗り込んだ。二人きりとはいかず、しかし他の人がいるおかげで一織の理性が働いたのでよしとする。もしも陸と二人きりであれば、ムードもロマンもなく、感情をセーブできずここでキスをしていたかもしれない。
エレベーターは到着を知らせる。開いた途端一織たちも揃って降りた。少し先、遠目からでもはっきりと見える煌びやかな光に誘われる。同時に淡い藍色へと浮び上がった色鮮やかな光に既視感を覚えた。
「わあっ……すごい、綺麗」
前へ前へと進む陸を追いかける。一番近く、夜景を目の前にした陸はぽつりと零した。
「……ステージの上みたい」
その言葉に何故既視感を抱いたのか、答えを知った。
七色の光。揺れるサイリウム。暗闇に浮かび上がる、ひとりひとりが照らす光によく似ていた。
「またみんなの前でライブがしたいな……」
「そうですね」
一織もまた陸と同じ気持ちだった。ステージにいるアイドルを応援する光を浴びながら、歌い踊る心地よさを知っている。その中心で流れ星を降らせる至高の存在を愛おしく思う。いつだって彼の歌声が、一織の世界をカラフルへと変えていく。
静かに夜景を眺めている陸の横顔を見つめていると、視線に気が付いたのかこちらを向いた。鮮やかな瞳が光を吸い込んだかのように煌めいて、一織の双眸を捉える。
「一織……」
「七瀬さん」
あ、と洩れた声が続くことはない。距離を縮めると合わせたように瞼を下ろし、吐息が乾いた唇を撫でた。触れるか触れないか。あと少しだけ。唇の表面が合わさろうとする寸前、二つの電子音が響いた。
「っ、!」
「わっ!?」
驚いて目を開けると、陸も大きな目をさらに丸くしていた。キスの直前の距離感にお互い頬を赤らめて、気を取り直してもう一度瞼を下ろす。
しかし立て続けに電子音が連発し、しかもそれぞれの端末から響き渡るせいで、もはや二重奏だ。ピコン、と普段は可愛らしく思う音が憎たらしい音に聞こえる。
「っ、一体誰からですか!」
「環が買ったばかりのスタンプ連発してるみたい……ええと、『新作の王様プリンのスタンプ買った。どう?』だって」
「どうでもいいです!」
環によるスタンプ連射により、他のメンバーもまた応戦する。
美しい夜景の前で二つの電子音は揃って鳴り響き、念入りに計画した初デートによる思い出に残るファーストキス計画は失敗で終わるのであった。