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    SS詰め合わせ4【いおりく】弱肉強食の反対は? ……焼肉定食?うっかりでファーストキスを奪われて、何だかんだで最後には付き合ういおりくの話。こちら、七瀬リラクゼーションです一織にハーゲンダッツを食べさせる陸君食と性とIDOL STAR LIVE 2023の七瀬陸ラビチャネタ年下の恋人犬と飼い主【ヤクザパロ】夏の篝火夏の灯火弱肉強食の反対は? ……焼肉定食? 目が覚めると頭の上に耳が生えていた。
    「は?」
     たったこれだけの説明では何を言っているのかわからないだろう。正しく言い直すならば、顔の横にあった人間の耳が消失して、代わりに長い耳が生えた。
     おずおずと触れるとふわっとした毛ざわりが指先に当たる。
     自分の身じろぎの音すら敏感に拾い、ひくりと揺れるそれは一織の好きなうさみみフレンズのキャラクターと同じ、うさぎの耳だった。
    「どっきり……のはずはない」
     何故なら耳に触れるとくすぐったい感覚がある。しかも意識すれば左右に揺らせることができるのだ。本物のうさぎよりも自由自在に動かせて、この辺りはファンタジーぽいなと一織は思った。
     枕元に置いていたスマートフォンを手に取って、カメラモードにする。背面から正面カメラに切り替えて自分の姿を映し出すと、髪の毛と同じ色の長い耳を生やした少年は口を引き攣らせていた。
    「絵面がきつい……」
     アイドルとは思えない感想がぽろりと零れた。ここにいるのは自分だけなので許してほしい。
     例えばこれが、かわいいを代表する兄の三月や陸であれば、一織は無言でシャッターを切っただろう。連射もしていた。
     しかし自分にうさぎの耳が生えているのだから、思いきり目を背けたい気持ちになる。
     決して似合わないとかではない。似合う、似合わないで言うならば、やや似合うと思う、だ。
     一織はふわふわした小さな生き物やうさぎなどが好きだ。好きだが、好きだからと言ってうさぎになりたいのではない。
     数分前に覚醒して今日が始まったばかりだが、一織は七回目のため息をつく。けれども優秀なので、彼の頭の中にはこの姿をどのように売り出すか、という内容で思考を巡らせていた。
     するとタイミング良く隣の部屋から陸の悲鳴が聞こえてきた。聴覚に優れたうさぎの耳は慌ただしくこちらに近づいてくる足音を拾う。あと数秒も経たないうちに陸がこの部屋に入ってくるはずだろう。
    「一織!!」
    「うるさいですよ七瀬さん……ってあなた、その耳」
     勢いよく開いた扉の音に顔を顰めていたが、陸の姿を捉えた瞬間スマートフォンを陸へと向けた。勿論録画モードだ。
    「満月の夜、切り裂くように吠ーえーろ~!」
     歌いながら手を狼の爪に見立てて、ぐるんと頭を回す。ちょっと前に単独ライブで披露した、解決ミステリーの一織のパートを振り付けありで歌う陸の頭には髪色と同じ三角の耳。ふさふさの長い尻尾が左右に揺れる。陸もまた一織と同じように動物の耳を生やしていた。
    「七瀬さんは犬ですか」
    「違う、狼だよ! 一狼と同じ!」
     わおーんと下手くそな遠吠えをする陸に一織は耳を押さえた。かわいいが、一織の耳にはうるさすぎて辛い。
     いつもよりも敏捷な動きで陸は一織のいるベッドへと上がってきた。
    「普通じゃない状況に驚いたりしないんですか」
    「驚いたけど、一織も同じだからなんか安心した」
    「そうですか。七瀬さん」
    「なに?」
    「お手」
    「だから犬じゃ……あれ? わん!」
     手を出し出すと陸は反対の手を乗せてくる。「おかわり」までしっかりと出来ているので、陸はよく躾された犬であることがわかった。
     よく出来ました、と頭をわしゃわしゃ撫でると物凄い嬉しそうな顔をする。これはもう狼じゃない。ただの人懐こい犬だ。
    「かわいい人だな」
     ふさふさした長い尻尾を、はち切れんばかり左右に振っているのが、またかわいい。
     喜んでいるときは三角の耳がへたりと折れるんだなと観察兼連射していたが、突然陸は顔を真っ赤に染め上げた。
    「あ……いおりっ」
     とろりとした声で名前を呼ばれ、首筋にぞくりとしたものが走る。口を開き赤い舌を覗かせて、はあと艶めかしい吐息を洩らした陸はうっそりと囁いた。
    「いおり、美味しそう」
    「……は?」
     美味しそう、の意味がわからない。何を言っているんだこの人は、と呆れを通り越して呆然とした一織に陸は目を眇めてうっとりと微笑む。えい、と掛け声は可愛らしく、しかし力強めに陸は一織の胸を押した。ベッドへと倒れ込んだ一織の乗り上げて、ぺろりと差し出した舌で唇を舐め上げる。
     その瞬間一織の頭の中に狼は上、兎は下、などの不等号を使った公式が即座に組み立てられた。つまり現在食物連鎖上で一織は陸に負けている。どうあがいたとしても、うさぎはおおかみに敵わない。
    「ごめんね、一織。今日はオレに抱かれて……」
     美味しく食べるから。
     そこはやさしく抱くから、だと思う。ぱたぱたと長い尻尾を左右に振る陸は獲物を目にした狼……ではないだろう。
    「弱肉強食の反対は」
    「えと……焼肉定食?」
    「違います」
     四文字熟語ですらない。
     笑みを浮かべた一織は一瞬の隙を見逃さなかった。尻尾のつけ根を握り、きゃんと高く鳴いた陸の身体をひっくり返す。
     うさぎとおおかみ。食物連鎖上では負けているが、力比べと知恵で一織の方がずっと上の方にいる。
    「正解は柔能制剛(じゅうのうせいごう)です」
     私を食べようとした狼さん、覚悟してくださいね。
     何故耳が生えたとか、今後のこととか。大切なことを一度横に置いた一織はまずは自分の欲を優先することにした。
     ぱたぱたと左右に振っていた陸の尻尾は一織から与えられる愛撫によって、シーツの上で淫らに揺れることとなる。

    うっかりでファーストキスを奪われて、何だかんだで最後には付き合ういおりくの話。
     七瀬陸のうっかりは、同メンバーである和泉一織が八割方防いでいる。観察眼、分析力を用いて次の瞬間に発生するうっかりを予測、または前もって動くことで陸およびメンバーたちの生活は平穏なものとなる。
     例えば砂糖を入れようとしたら、塩を入れてしまった。これは一織が傍につき、指導することで失敗なく料理を完成することができる。それでも少しばかり表面を焦がしてしまうのは、愛嬌ということにしておこう。
     そうして七瀬陸からもたらされる数々のうっかりを防いできた一織だが、これは寝起きだったから身体が上手く反応しなかったと言い訳したい。
    「…………っ!」
    「……ん……っ、え、あ……っ、ごめん!!」
     いいからそこで謝らないでほしい。
     唇が触れ合ったまま喋られると、微弱な振動と吐息でくすぐったい。
    「ななせさん……!」
    「うひゃあっ!」
     くっついた状態でわざと名前を呼ぶと悲鳴を上がった。どれだけくすぐったいのかが伝わったことで、少し溜飲が下がった。
     陸を乗せた状態で身体を起こす。じんと痛む唇を親指でなぞるとうっすらと血がついていた。ぶつかった時に歯で切ってしまっただろう。
     それよりも陸だ。
     唇を観察しながら他に外傷はないか調べていると、ぶわっと音を立てたように目の前の顔が赤く染まった。じわっと双眸が濡れて、眉を下げた陸は両手で自分の唇を押さえる。両手で押えるところがかわいいな……と思ってしまうのは、陸の方が慌てているからに違いない。
    「七瀬さん?」
    「っ……一織、ごめん!!」
     一織の上から退いて、陸は逃げるようにその場から去って行った。
    「は……?」


     共有スペースに行く前に洗面所へと立ち寄り、自分の外傷を確かめる。軽く切ったかくらいで、撮影にも響かない程度の傷にホッとしながら扉を開けると目の前に陸がいた。
     驚きの声を上げたタイミングで陸の口は開き、大きな声で謝罪される。声が被ったせいではっきりと聞こえなかったが、先ほどのことを謝っているようだった。
     気にしていません、と言うよりも先に陸の口が開いた。
    「一織の唇奪って、ごめん!」
    「七瀬さん!!」
     人が水に流そうとしているのに、何故具体的に言うのか。
     これは後でお説教しなくては。頭の中でスケジュールを調節している間にも、にやにやと笑みを浮かべた大和が近づいてくる。面白いものを見つけた、と言わんばかりの大和を一織は無言で睨みつけた。
    「リク~、イチの唇奪っちゃったのか。大胆だな」
    「大和さんっ……オレさっき廊下で躓いちゃって、それでうっかり一織とキスしちゃったんです」
    「ああー……いつものか」
     からかうつもりだったのだろうが泣き出す寸前の陸にこの男は弱い。彼の頭に手を乗せて「大丈夫だぞイチは怒ってないからな」と撫でながら一織の言葉を代弁する大和にイラっとした。
    「でもっ、でも……。付き合っていないのに」
    「こういうのは、演技のキスシーンと同じようなものだからな」
    「でも演技じゃないから……オレはどうやって責任取ったらいいですか?」
     何故本人に訊かないのか。
     ますます一織の苛立ちは溜まっていく。
     大和は大和で「責任取らなくていいと思うぞ」と勝手なことを言っている。
    「大和さん、当事者の一織を放って話進めるなよ」
    「兄さん……」
    「み、三月ぃ」
     呆れた顔の三月が間に入った瞬間赤い双眸からぽろっと涙が溢れた。決壊したように勢いよく零れていく涙に当事者の一人でもある一織は慌てる。
    「七瀬さん!?」
    「リク!?」
     外出先ではないためハンカチは持ち歩いていない。服の袖を伸ばして、ううっと嗚咽を洩らしながら泣いている陸の顔を拭いながら一織はできるだけやさしい声を出した。
    「泣かないで。大丈夫ですから落ち着いて」
    「ほら、一織も大丈夫だって言ってるからな」
    「うっ……でもっ」
    「ほら、ゆっくり呼吸しろ」
    「だって、いおりのっ、いおりの……」
    「私の、何ですか?」
     背を撫でながらあやすと、たどたどしい口調ではあるが陸は口にする。告げられる内容が爆弾発言であることに、一織は気が付いていなかった。
    「いおり、っ、さっきのが、ファーストキスだった、んだろ?」
    「……は?」
    「ああー、なるほどな……」
    「確かにそれは……奪った側は気に病むよな」
    「ちょっと! いきなりしんみりにならないでください!!」
     茶化されるのも嫌だが、真面目に取られるのも複雑だ。というか、何だこの茶番は。ため息をどうにか呑み込む。
     そもそも一織のファーストキスを奪ったというのなら、奪った側の陸もファーストキスになるのではないか。
    「七瀬さんも先ほどのがファーストキスになるので、ある意味痛み分けですよね」
    「え? さっきのはセカンドだよ」
     小首を傾げた陸はかわいかったが、出てきたセカンドという言葉に一織は目を剥いた。
    「はあ!?」
    「だって……オレの初めては三月だし」
    「兄さんが七瀬さんのファーストキスの相手……」
     本当なのかと三月に視線を向けようとしたが、二人ともすでにこの場から立ち去っていた。おそらくややこしくなる前に逃げたのだろう。
    「お仕事の企画で、オレ救出される役で三月に人工呼吸してもらったから」
    「人工呼吸はキスじゃありませんけど」
     救急隊員は常にキスをしていることになってしまうだろう。できるだけやさしい口調で諭せば、陸は目を瞠った。
    「……っ、あ! そっかあ」
    「そっかあじゃないですよ、まったく……」
     一織のファーストキスを奪ったと気に病んでいた相手は、いつの間にかにこにこと笑っている。かわいいが、朝から陸のうっかりに振り回された一織は少し疲れてしまっていた。
    「あとね、一織。全然痛み分けじゃないよ」
    「どういう意味ですか?」
    「事故だけど一織とキスしたの嫌じゃなかったし、むしろ一織で良かったなあって」
     一織は嫌だったかもしれないけど、好きな人と初めてのキスができて嬉しい。
     そう言って、幸せそうに笑う陸の姿に一瞬で心を鷲掴みにされてしまったのだと思う。陸の手を握って、逃げられないようにした。
     目を閉じて顔を近づけて、唇を重ねる。数秒合わせ、感触を知った後離して、またくっつけて。キスしやすい身長さがありがたい。
     お遊びのようなキスを数回繰り返して、下唇を吸ってからほどいた。
    「ええと……今のも事故?」
    「事故じゃないです。したいと思ったからしただけです」
     湿った唇は再び一織を誘うように開く。覗いた舌が戸惑うように揺れて、恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに自分の名前を呼ぶ唇を今度は先ほどよりも長く塞いだ。
    こちら、七瀬リラクゼーションです 

    「一織、仏頂面が張り付いてるけど大丈夫?」
    「失礼すぎませんか?」
     帰宅後、即顔を見合わせた瞬間失礼な発言を投げつけられた。わかりやすく例えるのならば、信号は赤なのにもうスピードで突っ込んできた黒塗りの車だ。
    「そんなあなたに朗報です! 疲れたあなたを癒す、七瀬リラクゼーションが本日オープンいたしました。オープンセールといたしまして今なら超特価で、最高の癒しを受けることができます!」
    「お金取るんですか!?」
     ちなみにいくらなのかと聞いたら、ワンコインと返された。つまり五百円。
     安すぎやしないだろうか。
    「あっ、違うよ。百円だから」
    「缶ジュースですら買えませんけど」
     IDOLiSH7のセンターは経営の才能が皆無であることが証明されてしまった。
     やはり七瀬さんには自分がついていなければいけないのだと、一織は安心した。
     ポケットからスマートフォンを取り出す。
    「ちなみにラビペイは対応してますか?」
    「現金のみだよ」
    「キャッシュレスの時代に対応できていないんですか」
    「今日オープンしたばかりなので?」
     物凄く疲れているせいか、一織の突っ込みは少々可笑しい方向へと向いている。陸は基本ボケ担当であり、また天然無垢な性格であるため、一織の言動に突っ込むことなく会話を脱線させていた。
    「でも今だけ無料で癒します!」
    「数週間も経たないうちに潰れそうですね」
     七瀬リラクゼーション閉店。一織の頭の中では涙を堪えながら「何がダメだったのかな」とぼやく陸の姿が浮かんでいた。超特価の百円であることと、無料で提供するところだと思う。
    「何で、にやけてるの?」
    「べ、別ににやけてませんけど!」
     
     
     陸に手を引かれながら自室へと案内される。
    「ここがリラクゼーションルームです」
    「私の部屋なんですが」
    「細かいこと言わないで!」
    「設定が雑すぎなんですよ」
     朝出た時と何も変わりない。それでも確かに一織の気を抜くには一番適している場所でもあった。
     座って、と言われるがままラグの上に座る。長いクッションを取り出して陸は一織の隣に座り、予告もせず抱き着いてきた。
    「うわっ!? 七瀬さん!」
    「ハグされるとストレス解消されるんだって」
     ハグハグ、ぎゅっぎゅっ、と言いながら痛くない程度の力加減に抱き着いてくる陸はかわいい。肩口に押し付けた額をぐりぐりと押し付けて、ふっと顔が上がったかと思えば頬に口づけされた。
    「……今のもリラクゼーションなんですか」
    「今のは、オレが一織にちゅーしたかっただけ。えへへ、公私混同でした」
    「かわいいひとだな……」
     頬にキスは許さないが、ハグだけなら五万円つけてもいいだろう。なんせ彼は人気アイドルグループのセンターだ。
     いや、だめだ。ハグは不可だ。それは恋人の特権ではないだろうか。
     経営者の一織と恋人の一織は脳内で言い争う。高速で行われる脳内会議が止まったのは、唐突に陸が一織を押し倒してきたからだ。
    「は?」
     さすがにこれはアウト。
     二人の一織は同時に口にした。
    「これは、つまり……そういうお店なんですか」
    「そういう? どういうこと?」
     一織の上に乗り上げている陸は無邪気な顔で小首を傾げている。性的なものを一切感じさせない陸の様子から、七瀬リラクゼーションがいかがわしいものではないことを察した。
    「勢いつけすぎて押し倒しちゃっただけだよ」
    「本当に勢い強すぎましたね」
    「本当はこうしたかったんだよ」
     一織の上から退いた陸は正座をする。頭に手を差し込まれ、ふわっと持ち上げられたかと思いきや頭の下に硬いものが当たった。膝の高さ分、陸の顔の距離が近づく。
    「膝枕?」
    「これだけじゃないよ」
     一織の髪を撫でながら、目を閉じた陸は大きく息を吸った。聞き覚えのあるメロディが上から降りながら、ステージで歌うものとは違う。陸の声はやわらかくひそやかに音を紡いでいく。
     重たかった瞼を下ろし、静かに聞き入る。
    『RESTART POiNTER』IDOLiSH7の再スタートを切り、一織に帰ってきたと思わせた陸の歌声は、あの日のライブから変わっていない。思いれのある曲を陸はどこまでも真っ直ぐに、伸びやかに歌う。
     確かにこれは最高のリラクゼーションだと一織は思った。

     
    「……ふう……。ね、七瀬リラクゼーションどうでした? ……一織?」
     耳を澄ませてようやく寝息が聞こえるかどうかで。どことなく嬉しそうな一織の寝顔に陸も表情を緩めて、そっと屈みこんだ。ほんの少しだけ触れ合わせて、長い睫毛は震えない。どうやら王子様はお姫様のキスでは目覚めないようだ。
    「おやすみ、一織」
     せっかくだから、もう一曲だけ。
     一織のためだけの子守唄は静かに紡がれ、夢の中では眩い流れ星がいくつも降り注いでいた。
    一織にハーゲンダッツを食べさせる陸君
    「あーん……んんっ~美味しいっ!!」
    「美味しいのはわかりました。ですが、どうして私の部屋で食べるんですか!」
     風呂を上がったばかりなのだろう。肌はうっすらと赤く色づき、一定方向に跳ねている髪は真っ直ぐ垂れ下がっている。中途半端に乾かしていることを首筋に張り付いた髪の毛が示しており、一織が小言を言う前に陸はアイスを食べ始めた。
     突然お邪魔しますと部屋に入り、隣に腰を下ろした陸がアイスの蓋を開けたことで一織の小言はツッコミへと変化した。勿論濡れた髪のことも言いたいが、それよりも行動が理解不能で一織は優秀な頭で考える。
     カフェオレ味で有名な、真ん中を引っ張ることで二つに分け合うことができるアイスならまだわかる。半分あげる、と陸に差し出されたら一織はいらないです、とは言わないだろう。
     けれども陸が食べているのはハーゲンダッツだった。カップアイスだ。しかもストロベリー味。妙にあざとく感じてしまうのは、気のせいだろうか。
     高級なアイスであり、ちょっとしたギフトに、または自分のご褒美に、のイメージで売られているアイスを陸が現在進行形で食べている。サイズもそう大きいものではないので、一織としても夕食後に食べるな感触禁止を口にするつもりはない。
     人の部屋で、しかも見せびらかすように食べるのはどうかと思う。
    「自分の部屋で食べてください」
    「やだ」
    「拒否する意味がわからないのですが」
    「嫌なものは嫌だ」
     駄々っ子か。口にするのは簡単だが、それで陸は拗ねてしまうと、物凄く面倒になることを一織はよく理解していた。専用のスプーンでちまちまと口に運んでは、にこにこと笑っている姿はとてもかわいい。
    「なんで食べているのか、聞かないの」
    「興味がないので」
    「なんでハーゲンダッツを食べているのか、聞かないの?」
     ゲームのNPCか。ほんの少し台詞が増えているのが小賢しい。同じことを言い続けて、一生話が進まない展開だと気が付いた一織はため息をついた。
    「何故、ここで、ハーゲンダッツを食べているんですか」
    「ギフト券貰ったんだ。今日一緒に出演した俳優の男の人に」
    「は?」
     ここで食べている理由を陸は答えなかった。いや、それよりも気になる単語が出たことで、一織は顔を顰める。
    「餌付けされたんですか」
    「一織、オレ犬じゃないんだけど」
    「ほぼ犬みたいなものでしょ!」
    「いや、人間なんだけど……」
    「犬種はハピヨンです」
    「人間だからね!!」
     陸は知らないだろうが、陸にギフト券を与えた俳優は犬好きだ。一か月前ほど前に一織も彼と共演したが、七瀬陸がハピヨンに見えることがあると言っていたので、一応「うちのセンターはヒト科ヒト属です」と強めに言った。
     だが首を傾げていたので、おそらく上手く伝わらなかったのだろう。陸に犬用のおやつ(さつまいもスティック)を渡さなかっただけマシと言うべきか。
     しかしそれでも、あちこち愛想を振り向いて餌付けされる陸は面白くない。
     思わず自分の物を分け与えたくなるような、贈りたくなるような、魅力的な人であることは一織自身知っている。どんな人にも愛されるセンターであることは、メンバーとして誇らしい。
     けれど恋人としては面白くないわけで。
    「もしかして、妬いた?」
    「現在進行で妬いてますが」
    「……そっか、えへへ」
     上気した頬がさらに色づくのも憎たらしい。嬉しそうに笑うのも同じくらい憎たらしく、けれども可愛いとも思う。
     そして何故陸がここでハーゲンダッツを食べたのか、答えに辿り着いた一織は大きなため息をついた。
    「七瀬さん」
    「なあに?」
     スプーンを持った手を掴み、食べるために開いた口へ唇を重ねる。ひんやりとした冷たさと舌先に触れた甘いイチゴアイスの味を堪能しつつ軽く舌を吸うと、溶けかけたアイスがべとりと手の甲に落ちた。
    「え、もう……不意打ちすぎ」
    「私を妬かせようとした罪は重いですよ」
    「まだ、何かあるの……」
     美味しいハーゲンダッツに罪はない。「食べ終わった後に実行します」と宣言し、手の甲に付着したアイスを舐め取る。
     顔中、全身を真っ赤にした陸は小さく唸った後、液体になってしまったハーゲンダッツを急いでかき込んだ。
    食と性と食と性シリーズ。


     トレーの上にはSサイズのバニラシェイク、厚めのフライドポテト、そしてメインであるずっしりと重量のあるハンバーガー。メニューに載ってある料理の写真には「これはイメージです。実際の商品とは違います」などと記載があったが、確かに実際のものとは違う。間に挟まっている肉ははみ出すぎて、今にもずるりと滑り落ちるようにも思える。
     想像していたものよりもボリュームのあるハンバーガーは圧倒的な存在感を示している。向かい側に座っている陸へ何度か視線を行き来させ、一織は口を開いた。
    「本当に食べられるんですか」
    「大丈夫だと思うけど……。でも無理だったら一織お願い!」
    「最初から他力本願じゃないですか」
    「他人任せじゃないよ。一織だもん」
    「屁理屈をこねない!」
     国産の食材が売りのハンバーガーショップは平日の昼間でもそこそこ混雑している。海外発祥の某ハンバーガーと違い客層は大学生から大人のためか店内は落ち着きのあるBGMが流れ、耳を澄ませば聞き取れない声量で会話しているものが大半だ。
     バレて騒ぎになれば店にも迷惑をかけてしまう。こそこそと言い合い、最終的に頬を膨らませた陸を一織は視線だけで黙らせる。
    「無理そうだったら、手伝います」
    「さすが一織!」
     静かな声で「いただきます」と呟き、まずは包み紙を手に取った。かさり、くしゃりとやわらかく紙が擦れ、独特な音は不思議と食欲をそそる。食べるところだけ剥いて片手で持つ。
     かぶりつく前に不慣れな陸を見遣ると、案の定包み紙を殆ど外していた。厚めにカットされたトマトが滑り落ちそうだ。チーズは溶け出して、つうっと黄色の糸を引く。
    「火傷に気を付けてください」
    「言われなくても……ん……っ、んんん!?」
     大きく口を開きかぶりついた衝撃で、どろりと自家製ソースが陸の指に垂れた。それよりも、自分が思っていたよりも熱かったのだろう。目をぎゅっと瞑り呻く陸に一織は食べるつもりだったハンバーガーをトレーに戻す。ナプキンを手に取り、身を乗り出した。
    「数秒でオチを取っていくなんて、さすが七瀬さんですね」
    「~ううっ、それ褒めてないだろ!」
     ハンバーガーを遠ざけて、口まわりについたソースを拭ってやる。べえっと舌を出し、ちろっと唇を舐めた陸に一織は固まった。ぱちっと開いた赤い双眸はわずかに潤んでいる。
    「なに?」
    「……いえ」
     優秀な一織の脳内はつい昨日行ったばかりの情事の光景を思い浮かべる。
     触れ合うことすら久しぶりだったせいかついがっついてしまい、最初から長いキスをしてしまった。最終的に酸素不足なり涙目の陸は胸をあえがせて、互いの唾液でべとべとに濡れた唇を舐めたのだ。
     ぺろぺろと自分の口を舐めている陸の姿をパピヨン変換する。
    (パピヨンが鼻を舐めている、つまり口舐めだと思えば)
     犬。ふわふわした大きな耳、ぶんぶんと尻尾を振った子犬。
     まったく卑猥ではない。むしろ微笑ましいものだ。
    「一織、顔変だよ?」
    「んぐっ!? ……仮にもアイドルに向かって言っていい言葉じゃありませんよ!」
     手に力が入ったせいでレタスが滑り、包み紙へと落ちた。やわらかいパンズはちょっとやそっとのことでは形が変わらない。さっさと食べようとかぶりつく。味が濃くないので、食べやすい。が、ボリュームが多すぎて口に入れるのが一苦労だ。
     揚げたてのポテトを齧り陸は指についた塩を舐め取った。てらてらと艶やかな唇から差し出された舌を見て一織は眉根を寄せる。
    「七瀬さん、指を舐めないでください」
    「なんで」
    「行儀が悪いからです」
    「でも周りの人も結構やってるよ?」
    「よそはよそ。うちはうち」
    「すごい雑……」
     最後の一口を放り込んだ陸は咀嚼しながらポテトを摘まんだ。ハムスターのように頬袋にでも貯めるつもりか、と思いきやそれは一織の口へと向けられる。唇に押し当てて、なぞるようにこじ開けてくる。
    「っ、!」
    「口開けてよ、一織」
     目を細め陸は笑う。靴を脱ぎ、足先で一織の踝を擦り上げては、絡めて、まるで情事を彷彿させるようなうっとりとした表情で一織を見上げた。じり、と首筋に熱い痛みが走る。
    「は、なんて顔してるんですか……」
    「食べたいって顔、かな」
     ソースで汚れた唇を親指で拭う。しかし拭いきれず薄く残ったそれは、乾きる前に擦れてしまった口紅のようだ。
    「今日はふたりきりだから、いっぱいできるね」
     赤らめた頬を緩めて、子どものように笑った陸はゆっくりと意図的に一織の足先を撫でた。

    IDOL STAR LIVE 2023の七瀬陸ラビチャネタ
    七瀬陸【IDOL STAR LIVE 2023】ラビチャネタバレあり。


    『一織って、王子様に憧れてたことある?』
     そんなメッセージから始まったラビチャに一織は思わず顔を顰めた。
    『言いません』
     すぐさまケチと返ってくる。使ってくる絵文字すら陸が浮かべるであろう表情で、しかめっ面から思わず頬を緩めてしまった。
    「明日の準備をして早く寝なさい」と返信するのは簡単だ。だが明日の陸の表情が曇っていけないと、心の中で言い訳をした一織は会話に乗った。
    『ケチではありません。そういう七瀬さんはどうなんですか?』
    『うーん、小さい頃は憧れていたかな』
     やはり。予想通りの答えにひとり頷く。
     いろんなメディア媒体やインタビューにも陸が読書家であることはよく書かれている。ベッドの住人だった幼い陸にとって、おとぎ話や童話は親しいものだったのだろう。お話をせがむ陸に彼の兄である九条天が読み聞かせている姿も簡単に想像できてしまった。
    『その王子様を、天にぃみたいだなって、思ってたんじゃないですか』
     エクスクラメーションマークをふたつ浮かべたモフモフした壮五、モンそう──実際アイナナパレードという名前だが、ファンが使っている呼称で呼ぶ──のスタンプが飛んできた。
    『なんでわかったの』
    『あなたの考えることくらいわかりますよ』
     反対に陸は何故わからないと思うのか。
     彼の双子の兄である九条天と比べれば、付き合いは短い。共に過ごした年月も、密度もおそらく一織よりもずっと多いだろう。
     けれども一織は分析が得意だ。陸をよく見て、話をして、そうすれば自ずと理解していく。それだけではなくて、陸が非常にわかりやすい人という理由もあるが。
     少し、いやかなり恥ずかしいことを言ってしまっただろうか。
     やりとりが途絶えた。既読後、陸は即座にレスポンスを飛ばしてくる。一織は嫌な予感を感じた。
     引きはしないだろうが、喜々とした表情で茶化そうとしているのではないか。
    『とか言って、一織も三月のこと王子様みたいって憧れてたんじゃないの?』
    「はあ!?」
     思わず声が出てしまった。
    『なんで知ってるんですか……!?』
    『え、うそ! 当たった!?』
    「は?」
     嵌められた。が、陸はそういうつもりで訊いたわけではないのもわかる。ふっと息を吐く。
    『当てずっぽうだったですね(怒)』
    『まあまあ! オレも話したんだし、一織も憧れてた話聞かせてよ』
     こういう話の引き出し方は上手いなと思いながら、一織は返信した。
    『昔、兄さんが学芸会で王子様役をやっていたことがあって、その姿に憧れてたんです』
    『堂々としていて、頼りになる姿がかっこよくて、本当の王子様のようでした』
     かわいいけれど誰よりも恰好良い兄は一織の憧れだった。不思議と兄のような王子様になりたい、とは思わなかったのはひとえに三月の王子様姿が目に焼き付いていたからだ、と今なら思う。
    『小さい頃から、一織は三月大好きだったもんな!』
     続いてモフみつのスタンプが送られてきて、一織は誰もいないのに咳払いをしてしまった。
    『それを言うならあなたもでしょう!』
    『私は七瀬さんほどブラコンじゃありません』
     ブラコンというのは七瀬陸のためにある言葉だろう。
     離れて暮らしている反動はあるとはいえ、相手はライバルグループのセンターであり、見つけた瞬間幸せを煮詰めた顔をして駆け寄るのはどうかと思う。
     天にぃ天にぃ、と全力で甘える子犬のように尻尾をぶんぶん横に振っては嬉しそうにキャンと吠える。
     叱られるとすぐに耳を折りたたみ、けれどもくぅんと鳴いてみせて、ごめんなさいをする。
     その素直さの二割、いや半分でもいいからこちらにもわけてほしいと思うのは一織が陸のお説教係だからだ。それ以上の意図はない。
    『一織も負けてないだろ!』
    『この間だって、三月に褒められてほわほわ顔だったじゃん?』
     ほわほわってなんだ。ほわほわって。
     確かに兄に褒められると表情筋が緩まるのは自覚している。だが仮に陸の言うような、ほわほわにはなっていないはずだ。
    『力が抜けて緩んだ顔……?』
     陸こそほわほわどころか、力が抜けてふにゃふにゃの顔だ。訴求力も相まって、つられそうになるため一織は直視しないようにしている。
    『七瀬さんこそ、いい加減九条さんに電話するときかわいこぶるの止めたらどうですか?』
    『別にかわいこぶってないけど!?』
     天にぃ、と呼ぶときに必ずハートマークがついているのだ。語尾にもハート。好き好きオーラが出ていて、奪い取りたくなるからいけない。奪い取ることはないが、時々用事を作り電話を終わらせていることを一織は自覚していなかった。
     喧嘩にならない程度でじゃれ合いの応酬を続ける。話があちこちと脱線しすぎる傾向があるが、陸との会話は意外と面白い。
    『話戻すけど、オレ、一織もかっこいいと思う!』
    『は?』
    『一体どこに戻ったんですか?』
     陸としては戻ったつもりなのだろうが、脱線事故に付き合った一織はどこに戻っているのかわからない。唐突の不意打ちに口元を覆いながら、一織はぽんぽん飛んでくるメッセージを読んだ。
    『普段はかわいいところの方が多いけど、いつも堂々としてるし、頼りになるから』
    『現場でもてきぱき状況把握して動いてるしさ。そういうとこ、かっこいいと思う!』
     続いて送られてきたのはモフいおのスタンプ。嘘偽りない褒め言葉に、さすがの一織も照れてしまった。かわいい、の単語は余計であったが。
    『一言多いですが、どうも』
    『それで?』
    『はい?』
    『オレは? 一織から見てどう?』
     これが聞きたかったのだろう。わくわく、といったような効果音が聞こえてくるような気がする。
    『かっこいい?』
     ひょっこりと顔を出すモンりくのスタンプ。もうそういうところがかわいいのでは? と思ってしまっても一織は悪くないだろう。
     沈黙するきなこのスタンプをとりあえず送った。そしてその間に考える。
     一織から見て陸は格好良いよりも、かわいい。勿論恰好良いと思うこともある。けれどそれはステージ上で歌う陸の姿で、普段の陸はやはり一織にとって「かわいい人」だ。
     かわいい人で、いつまで経っても一織の心を掴んで離さない。魅力的で、愛らしい。だからこそかわいい人だ。
    『まあ、ステージ上で歌うあなたはかっこいいんじゃないですか』
     それこそ童話に出てくる王子様のように。
     嬉しそうなモンりくのスタンプに一織はふっと頬を緩めた。
    『かっこいい七瀬さんなら、明日の準備もばっちりですよね』
    『こ、この後やろうと思ってたとこ……!』
    『頼みますよ』
     あと数分もしないうちに、自室の扉は開くだろう。一織の「かわいい人」の手によって。
     アプリを閉じると案の定、扉の外から甘えるような声が聞こえてきた。立ち上がった一織は扉を開けた。
     
    「……ちょっと、助けてもらってもいいですか」
    「仕方ないですね」
    年下の恋人
    「……あ」
     毛足の長いラグについた手に上から骨ばった大きな手を重ねられて、思わず声が出た。ついさっきまで、色めいた雰囲気は二人の間に存在してなどいなかったのに、突然スイッチが切り替わってしまったかのように艶やかなものへと変化する。
    「七瀬さん」
     静かだがはっきりと聞こえる一織の声が今はひどく熱っぽい。けれど、陸だけが知っている低い音はどこまでもひそやかだった。
    「いお……っ、ん」
     声が途切れる。近づいてくる男の瞳は、真上にある照明の光を吸い込んだためか薄灰色だった。暗いところでは限りなく黒に近い瞳が、明るい場所では変化するのか。それともこれが一織の本来の色なのか。至近距離で顔を見合わせることで、初めて陸は知ってしまった。
     しかしひとつ知った事柄に感動する暇もなく、小さな唇が降ってきた。言葉通り雪や雨が空から、または高いところからそっと落ちてくるように。それはまるで自然の摂理と言うようで、やさしい接触を防ぐすべは陸にない。
     一織はやわらかな感触を押し付けては合わせる。ぴったりとくっついているせいで、相手の唇の動きがはっきりと伝わった。震えて、やがて開き、視覚で知覚できない分、感触と熱っぽい吐息が陸に一織との口づけを教えてくれる。
     唇をかたく結んだせいで、鼻から息が洩れた。それに対してなのか、一織は微かに笑いをのせて、しかし音ではなく振動として陸の元へと届く。
     途端に余裕のある一織と、余裕のない自分の差を感じて恥ずかしくなった。かっと顔全体が発熱したように、熱く、やがて額からじわじわと汗ばんできた。ラグの長い毛がじっとりとした手のひらに張り付く。安物ではない質感に不快感は感じない。
     陸は恥ずかしいだけだった。
     相手は年下でこちらは年上。おそらくどちらも互いに初めての恋人で、それなのに一織の方がずっと慣れているようで悔しい。
     顔を引いて、口づけをとく。無意識に止めていた呼吸を吐き出すため薄く唇を開くと、その隙を狙ったように一織の舌が入り込んできた。
     再び息が止まった。呼吸が再開するまでに、ぬるりとした艶かしい感触が舌先へと伝う。他人の口内の柔らかさも舌の温度も陸がまったく知らないもので、思考が追いつかない。
    (こんな、えっちなんだ)
     思い浮かんだのはそんな言葉だけ。何よりもストイックで理性的な年下の恋人が、自分に興奮しているのが意外だった。
     ぬるぬると舌同士を合わせ、それ自体がまるで意思のある生き物だ。必死に息をしようと鼻先から漏れる自分の音がいやらしく聞こえた。一織にはしたないと思われたらどうしようと、やめられないキスに心の方が後じさりする。
     そんな陸に気がついたのか、宥めるようにこわばった手の甲を撫でられる。ただただやさしい手つきなのに、じわじわと炙られている。全身で犯されているようにも思った。
    「っは……」
     小さな唇から洩れる吐息は男らしい。一織も喘ぐのだと知り安心したが、脚の間に熱を持ったそれを手のひらで確かめるように触れられると、うわずった声が自分の喉から飛び出た。
    「ああ、っ」
    「すごいですね」
     キスだけでこうなってしまったことを意地悪な声で揶揄され、顔から火が出るかと思った。
     誰のせいだ、と言うことも彼の名前を紡ぐことすらできず、器用に膨らみを撫でるその手に再びあえがされる。まだ着ているものは何ひとつ剥ぎ取られていないのに、直に触られてしまえばどうなってしまうのか。
    「……っ、あ……」
     すらりとした長い指が絡みつく場面を想像しただけで身体が勝手に震えた。首筋に微弱な電流が走り、力が入らない。はあ、と自分の口から洩れた呼気は荒い。気がつけば、目に映る景色が一織の部屋の天井のみになっていた。
     ぎゅっと瞼を閉じる。熱い雫は眦から零れた。
    「七瀬さん?」
     訝しげに名前を呼ぶ一織に陸はかぶりを振る。怖いですか、と問う一織の声に乱れた呼吸を繰り返しているため、まだ返答ができない。
     しかし撫でていた手を自ら掴まえて、指を絡めた。
    「いおり……っ」
    「…………」
     不安な声が出た。一織も陸の変化に気が付いたのだろう。脚の間に触れていた手が背中へと回り込み、抱きしめられる。身体が深く密着することで、初めて一織の心音の激しさを知った。強く抱き合うことで脚の間でかたく張り詰めたものにも気が付く。押しつぶさないように抱擁する力強さと、時折唇をくすぐる吐息に、促されるようにそっと口を開いた。
    「どうしよう、一織……」
    「何がですか」
     瞼を開くとすぐそこに一織の顔がある。先ほどまで浮かべていた余裕な顔ではなく、必死に何かを堪えているように見える。眉根が真ん中に寄っていて、表面上はただの仏頂面だが、陸は一織を知っている。
     眩しいライトが降り注ぐステージ上で斜め後ろから感じる視線と、同じ熱量のものを真正面で受け止めながら、陸は必死に言葉を紡いだ。
    「なんか、へんになりそう」
    「変、ですか?」
    「うん……。一織が好きで、大好きで、ここはもういっぱいいっぱいで……でももっと触ってほしくて仕様がなくて……おかしくなりそう」
    「っ!」
     自分でもよくわからない感情を声に出すと、すぐさま一織の頬は淡く色づいた。視線を逸らされて、その瞬間自分がとても可笑しなことを言ったのだと思った。じわりと涙が目の奥から溢れそうになり、慌てて鼻を啜る。一織に呆れられることが、怖い。突然放り出されたら、きっと息をすることすらできなくなってしまう。
     多分もう、陸にとって一織は無くてならないものだから。
    「いおり……っ」
    「……違います。待って、見ないでください。そんな捨てられた子犬のような声を出さないで」
     ため息のようなつぶやきに、小首を傾げる。どういう意味なんだろうと思っていれば、一織はまだ赤みが残った顔を陸へと向けた。
    「……かわいい人だなと思っただけです」
    「うん?」
    「……それから、無自覚も度を過ぎればタチが悪いものだと」
    「どういうこと……ん、ん、んんっ!」
     予告なしに吸い上げるようなキスで、陸の疑問はすべて口腔内へと吸い込まれた。一織の舌が表面のつるりとした箇所を擦り上げる。何度か舌の上に唾液を落とされ、塗り付けられるような動きはもはやマーキングでもある。
     ねばついて、ぬるぬると滑った。
    「んんあっ……ぷあっ、いき、できなっ、ふあっ……」
    「鼻でしてください」
     キスは今日が初めて、若葉マークをつけた初心者になんて無茶を言うんだと思った。けれど一織の声はいつも以上に興奮していて、怯えかけた陸にわからせるように腰を押しつけて、揺さぶるから何も言い返せない。
     混ぜ合わさったものが、口の端からほんの少しだけ垂れる。残り全て一織の舌が喉へと押し込み、数回に分けてゆっくりと嚥下した。口腔内に唾液が無くなったら、しゃぶられて、啜られて、また飲まされる。何度かそれを繰り返したせいで陸の唇は腫れぼったく、口腔内は潤った。
     理性的な一織の瞳は瞳孔が開き、ぎらぎら光っている。もう止められないことは、同じ男である陸も気づいていた。
    「……するの」
    「します」
     選択権すら与えられない。あまつさえ、触ってほしいと言いましたよね? と少し前の発言を引っ張り出してくる。
    「できるだけやさしくするように努力します」
    「なんかずるい」
    「でも嫌いじゃないでしょ」
    「うん」
     激しかった心音は少しだけ落ち着いている。
     だけどまた再び激しくなるのだろうと思う。再び距離を縮めてきた一織に合わせて、陸はそっと目を閉じた。
    犬と飼い主【ヤクザパロ】
    ヤクザパロ


    「オレのパンツがない」
    「下着はひとりでに消えるものではないですし、どこか別の場所に入っているのでは?」
    「オレもそう思って探したんだけどなかったんだ……一体どこ行ったんだろう、お気に入りのろっぷちゃんのパンツ」
     今日はろっぷちゃんの気分だったのに。
     まるで五歳児のようなことを言い出したのは、和泉一織の上司でもある七瀬陸だった。憂いを帯びた表情は和装を着こなしているためか、かなり様になっている。しかし口を開けばまるっきり幼子で、話を聞いている一織はため息を吐いた。
    「私も後で探しますので、あまり連呼しないでください」
    「さすが一織! ちゃんと見つけたらお駄賃あげるね」
    「子どもじゃないんですけど」
    「まだ子どもだろ」
     陸はにこっと笑いながら仏頂面の一織の頭を撫でた。素直に喜べないのは、撫でられて喜ぶ歳ではないからだ。
     陸の言う通り一織はまだ成人していない。来年で二十歳になり、ようやく大人の仲間入りを果たす。
     しかし一織は子ども扱いされるほど幼くはない。
     二十六歳の陸よりもずっと大人びており、身内ですら成人済みだと勘違いするし、酒を勧められることも多い。軽装ならまだしも、スーツを着ていれば大人にしか見えない。
     端正な顔立ちはよくよく見ればまだ幼く感じるという程度で、皆一織のことは成人扱いしている。
     そんな一織を子ども扱いするのはただ一人だけ。一織の上司でもある陸は二人きりの場であれば、こうして一織を子ども扱いしては構って、構われている側の一織に窘められていた。
    「最近さ、変な視線を感じるんだけど一織はない?」
    「……ないですね」
    「夏だから、そういう時期かなと思ってたんだけどなんかこう、ちょっと粘ついているというかさ」
    「気持ち悪いな」
     粘ついたという単語に一織は眉根を寄せる。どちらかと言えば神経質なので、陸が具体的に説明する視線を想像して鳥肌が立った。
    「だからか、あんまり眠れなくて……一織が作るホットミルク飲みたいなって思った」
    「作れってことですよね。蜂蜜入りですか」
    「ううん、そっちじゃなくておじいちゃんのブランデーをこっそり入れた方で」
    「……バレたら一緒に叱られてくださいね」
    「大丈夫。あのひと、オレにも一織にも甘いから」
     七瀬組は関東最大の指定暴力団だ。裏社会でも名を口にするな、と言われるくらい力を持っている。そのトップである六代目組長をおじいちゃんと呼ぶ陸は怖いもの知らずだと思う。
     可愛がられている自覚はあるが、一織は組長をおじいちゃんと気安く呼ぶことはできない。
    「わかりました。ここに持ってきたらいいですか」
    「ううん、一織の部屋で飲む」
    「……七瀬様」
     低い声で名前を呼んだ一織は陸の腕を掴んだ。上質な反物で作られた着物越しですら彼の腕は細い。このまま力を入れれば骨を折ることも容易いのでは思ってしまう。
     そのまま押し倒す。張り替えしたばかりの畳からい草のにおいが強く香った。陸が暴れるよりも先に急所へと膝を入れ、抵抗できないように乗り上げて、裾から指を差し込んだ。
     滑らかな脚をゆっくりと撫で回す。際どい箇所に痛ましい火傷の痕があることを一織は知っていた。
    「男の部屋に自ら入る意味がわかっていますか」
    「オレも男だよ」
    「そんなこと知っています。そうではなくて」
    「一織、待て」
     その言葉を口にした途端一織は動きを止めた。押し倒され状況としては不利なはずの陸はうっそりと笑顔を浮かべる。
    「きちんと待てができたら、ご褒美をあげる」
     するりと一織の首に嵌っている赤色のチョーカーをひと撫でし、耳元へと顔を近づけた。一織にしか聞こえない声色で囁く。
    「……無断でヤクを売っている人がいる。一織は探し出して」
    「あなたが直接手を下す必要はないでしょう」
    「オレの責任だよ」
     ひそめた声から色めいた声へと変えて陸は白い首筋に唇を押し当てる。吸って、薄くついた痕をうっそりとした表情で撫でた。
    「いい子。じゃあ、今日のところは一緒にホットミルク飲んで寝ような」
    「子ども扱いしないでください。……はあ、わかりました」
     即座に陸の上から退く。乱れた裾を手早く直して陸を起こした後、部屋から出た。
     一つはブランデー入りのホットミルクを作ること。そして陸からのお願いを叶えるため、スマートフォンを取り出しある人物に電話をかけた。
    『もしもし。一織です。少し調べて欲しいことが──』
     

     ある程度の情報を得た一織が次に行ったことは、七瀬組の組員すべてを洗い出す作業だった。
     幹部から末端までのリストを作り、交友関係と就いている仕事、性格までもを調べてまとめる。今回の件とは無関係な問題までも浮かび上がってしまったが、一旦それは放置して、ここ数ヶ月間サボっている組員を探し当てた。
     自ら該当の組員の素行を周りから聞き出し、若頭である陸に陶酔していたことが判明した。
    「問題はヤクをどこから調達しているかだが」
     七瀬組は麻薬の売買を禁止している。違反していた場合、破門だけでは済まない。組の秩序を乱し、評判を落としたツケを払わなければならない。
     七瀬組は他の暴力団と比べてかなり人情深い組だが、麻薬の使用、それ以上に売買については他の組と比べて厳しい。
     一織としては疑わしきは罰せよ、といきたいところだが陸がそれを許さないだろう。
    「はあ……あの人は甘すぎる」
     眼鏡を外し、目頭を揉む。ディスプレイから放たれる眩い光が疲労を滲ませた一織の顔を照らした。それでも冷ややかな相貌を崩すことはない。
     首筋に指を這わせた。二日前につけられた痕を撫でてチョーカーに触れる。彼から与えられた所有印が、与えられた首輪が、一織を奮い立たせる。
     あの甘い性格は命取りになるだろう。だが、一織が陸の傍にいる以上それはあり得ない。
     一織の命は陸のものだ。爪の先から頭まですべて陸のもので、彼が一織の死を望むのなら、喜んで差し出していいとも思っている。
     ひとりぼっちになった一織に陸が手を差し伸べたあの日からずっと。
     
    『オレと一緒にくる?』
     辺り一面火の海だった。悲鳴よりも罵声や銃声が響き、物言わぬ死体となった家族に一織は寄り添っていた。そんな一織の前に現れたのは轟々と燃え盛る炎よりも、一織の膝から流れている血よりもずっと鮮やかな赤を持つ人。
     ヤクザの抗争に巻き込まれて家族を喪った一織を救ったのは、皮肉にも家族を殺したヤクザと同類の陸だった。
     
     
    「……見つけた」
     麻薬の売買を行った組員のSNSアカウントと、掲示板に彼が書き込んだ内容に辿り着いた一織は小さな唇を歪めた。



     禁じられている麻薬の売買を行った組員は相当頭の悪い男だった。
     掲示板とSNSを利用し、声をかけ最初は手の出しやすい金額で販売する。相手が依存したところで十倍以上の値段で吹っ掛けて、無理矢理搾取していた。
     依存性を利用するのはいいが、買えないぎりぎりの値段まで吹っ掛けるのは愚か者がすることだ。
     自分なら値段は徐々に吊り上げていく。相手の生活ができる範囲で買わせて、ゆるやかに長い期間薬で漬けて、手ごろな価額でやり取りをしながら顧客を増やす。
     そもそも七瀬組では麻薬の売買が禁止されているため、効率のいい金策だとしても一織は手を出さない。
    「そもそも馬鹿がすることですね」
     大柄な成人男性が軽々入る木箱の中に男はいた。猿轡と手首をきつく縛られ、仰向けの状態で一織を睨んでいる。だが男の身体は大きく震えていた。
    「あなたが勝手なことをしたせいで、私の飼い主は眠れなくなったんです」
     スイッチを入れる。木箱の傍に置いてあったコンクリートミキサー車が動き出した。くるくるとタンクが回り、木箱の中にコンクリートが流し込まれる。
     足先から徐々に埋め尽くされて、男の顔は恐怖で強張った。
    「ああ、何か言いたげな顔ですね。すみません、何せ近所迷惑になりますので」
     一織は艶やかに笑う。近所迷惑と言ったが周りは倉庫ばかりだ。すぐ近くにあるものといえば、泳ぐには不向きな海で、少々うるさい音を立てても誰も気づかないだろう。
    「本当は探してほしい、と言われたのですが……あなたは私の手で始末しようと思いました」
     陸に陶酔していた男は、あろうことか陸の下着を拝借していた。それだけではない。
     男の精で汚し、彼の部屋の壁は隠し撮りであろう陸の写真が壁一面に貼られて、おぞましい痕跡で汚れていた。あの部屋に足を踏み入れた一織は不愉快以上の感情を抱いた。
     殺意だ。明確な殺意は形となり、一織の手で実行されている。
    「酌量の余地はありませんよ。あなたはあの人を汚したのだから」
     綺麗で無垢な陸を裏切るだけでなく、実体ではないとは言え陸自身を汚した。
     一織の敬愛する主を。一織が心酔しているたったひとつの神様に触れて汚した。
     死をもって償うしかない。
    「あの人があれを知らないだけ救いだな」
     男の猿轡をナイフで切り落とす。がちがちと歯の震える音がうるさい。
     冷ややかな眼差しを男に向けた。恐怖で目は開き、男はゆっくりとコンクリートに飲み込まれていく。もう、あと数十分もすれば木箱の中はコンクリートで満たされるだろう。
    「犬野郎が」
     吐き捨てるように呟いた男の言葉に一織は艶然と笑う。
    「あの人だけの犬ですから」
     狂っている、と言いかけた男の顔はもう見えなくなっていった。


     後始末をした次の日、ちょうど頼んでいた荷物が一織の元に届いた。そのまま渡すか、それともラッピングをするか。悩んだ末にうさみみフレンズのショッピングバッグに入れて、陸に手渡す。
    「……これどうぞ」
    「わあっ、開けていい?」
    「私に拒否権はないのでしょう」
     一般人による麻薬の売買は売人の遺書とともに終わりを告げた。男が使っていたSNSのアカウントから七瀬組の組員ではないという情報を流し、陸に気づかれる前に男の部屋は言葉通り処分した。
    「あ! 無くしたろっぷちゃんのパンツに似てる!!」
    「頑張って探したのですが見つからなかったので。代替品ですみませんが」
    「すごく嬉しい。ありがとう一織!」
     新品の下着を嬉しそうに抱きしめながら陸はにこにこと笑う。本当に自分の七つ上なのだろうかと疑ってしまうこともあるが、一織は陸をよく知っていた。
    「一織、おいで」
     下着を置いた陸に腕を掴まれて思いきり引っ張られる。抵抗することは容易いが、陸が望む通り一織は彼の膝に頭を乗せた。
    「やっぱり一織はいい子だね」
    「優秀なあなたの犬なので」
    「オレは犬扱いしてないんだけど……まあ、いいか。一織はオレが望んだことすべて叶えてくれる。いい子にはご褒美を上げないとね」
     歌うような口調で一織の髪を撫でるこの男は、最初から一織に殺させるつもりだった。すべて知っていて、そのうえで陸は一織を動かした。
     自分の部屋に監視カメラや盗聴器が仕掛けられていることを知りながら、悟られないように相手を煽り、結果炙り出した。
    (食えない人だな……)
     一織は陸の願いを叶えた。彼が望む以上の結果で。
     額に柔らかなものを押し当てられる。見る者すべてを魅了する瞳は一織だけを映し、艶やかに笑った。

    夏の篝火
     コンビニの入口からでも目に入る直近のエンド売場には、夏の娯楽である手持ち花火が置いてある。夏休みも終わりに近づくと商品の数や種類は減少するらしく、置いてある状態になっていた。
     大人数用のたっぷり遊べるタイプと、二人くらいで遊べるささやかなサイズの花火。その中で一種類だけ線香花火だけの商品が置いてあった。しかもありがたいことに煙が少ない線香花火と書いてある。
     手に取り、そっとレジで会計中の一織の後ろに回り込んだ。まだ登録を終えていないため、テーブルへと滑らせる。
    「すみません、これも一緒にお願いします」
    「っ……一緒で」
     財布から百円玉数枚取り出し、一織の手の中に押し付ける。もの言いたげな視線に笑顔で返し、店員からビニール袋を受け取った。
     間延びした「ありがとうございましたー」を聞きながら店内を出た瞬間、突き刺すような視線を向けられた。店内から洩れている照明の光が端整な顔立ちを照らし、仏頂面の一織と反対に陸は笑顔を崩さない。
    「どうするんですか」
    「どうするって、するために買ったんだよ」
    「煙はあなたの身体に悪いでしょう」
    「ふふん、よく見てよ!」
     ビニール袋から取り出し、一織の目の前に突き出す。「煙が少ない」という文字を灰色の瞳は追いかけて、眉根を寄せたまま大きなため息をついた。
     反対することはないだろう。ただ渋々という表情は崩さないはずだ。
    「わかりました」
    「やった! 寮に帰ったら早速やろう」
    「マスクはつけてくださいね」
    「はあい」
     

     頼まれたものを三月に渡した後、物置へと向かった。以前酔った拍子に大和が購入したバーベキューセットを仕舞っている棚からチャッカマンを探す。几帳面なメンバーが多いおかげで、目的のものはすぐに見つかった。さすがにロウソクは置いてないため、直接火を花火につけるしかない。
     水を張ったバケツを一織が持ち、三階から屋上へと出た。
     半分の月は分厚い雲によって隠されてしまい、手元が見えない明るさだ。
     手に持っていたバケツを置いたのだろうか。地面と底面がぶつかり合う音とぽちゃんと水面の跳ねる音が聞こえた。
     スマートフォンのライトで照らされて、ようやく手元と一織の顔が見えた。
    「七瀬さん」
     名前を呼ばれて、光源となる端末を渡された。代わりに陸が持っていた花火とチャッカマンは一織へと渡り、手早く花火を開封していく。ごみを捨てるためのビニールまで用意されており、至れり尽くせりだ。
    「はい、どうぞ」
     線香花火を握らされた。いつもよりも甘やかされているような気がする。
    「なんか、王様になってる気持ちなんだけど」
    「何言っているんですか。あなたはいつも王様でしょう」
    「そうかなあ?」
    「無茶ぶり大魔神」
    「それはなんか違う」
     言い合いながらスマートフォンのライトを消した。
     つけますよ、と一織が灯した橙色の炎が先端に近づき、移った小さな火はゆっくり上へ昇っていく。勢いのある炎を揺らしなら、ぽってりと丸びを帯びた先端から枝分かれした光が弾けた。
     パチパチと爆ぜる音とともに闇夜の中で橙の花は力強く咲く。あちこちに咲き乱れて、勢いを失った火花は宙で線を引いた。
     やがて、終わりを告げるように中心の赤い玉が萎んで、ぽとりと地面に落ちてしまった。
    「ああ、終わっちゃった」
    「まだあるでしょう」
    「それはそうなんだけど、やっぱり儚いんだなあって」
     役目を終えた線香花火を水を張ったバケツに差し込む。小さくて軽いそれは音を立てず、沈黙を続けたまま水の中へと沈みゆく。どことなく寂しい終わりだと苦笑しながら見つめていると、一織から新しい線香花火を渡された。
    「一織もやろうよ」
    「あまり好きじゃないんですけど」
     と言いながら、線香花火を持つ。いつもよりも甘いと思ったが、どうやら気のせいではなかったらしい。
     先に陸の花火に火をつけた後、自分の花火に火をつける。時間差で弾ける二つの火花を見つめながら、陸はぽつりと呟いた。
    「ねえ、勝負しようよ」
    「線香花火で何を競うんですか」
     先に火をつけた陸の花火はゆるやかに朽ちていく。切ない橙色の線を引いて、消えてを繰り返す。
    「先に落ちた方が負け」
    「勝負にならないでしょ」
     一織の花火はまだ鮮やかな枝葉を広げている。どう見ても陸が持つ花火は先に終わってしまうのだ。
    「線香花火は勝負するものだ、って聞いたもん」
    「誰からです?」
    「……誰だったかな」
     忘れちゃった、と笑いかけた瞬間すっと落ちて行った。一織の花火もまた線を描いて、後を追うように火の玉は落下する。暗闇に包まれ終わった花火をバケツに入れようと身体を傾けたと同時に、一織が動く気配を感じた。
    「勝者は何を得るんですか?」
     しっとりと、どこか艶やかな音がすぐ近くで聞こえる。風は吹いていなかったのに、湿った空気に唇を撫でられて肩を竦めると、手を掴まれた。
    「ええと……何も考えてなかった」
    「わかりました」
     静かな声がまた近づいた。暗闇の中、すっすらと見えたのは強い光を湛えた聡明な双眸。
     驚いた拍子に漏れた吐息がぶつかり合う。一織、と呼ぶつもりだった音は柔らかな感触に飲み込まれた。その代わり、鼻にかかったあまえたな声が洩れる。
     角度を変えては口づけられて、下唇を啄まれてようやくキスをされていることに気が付いた。
    「っ……は、いおり?」
    「七瀬さん、私のことが好きなんですよね」
     疑問ではない。確信めいた言葉に陸は息を呑んだ。
     一織の前であからさまな態度は示していないはずなのに。
     どうして、と疑問ばかりが浮かんでは、問いかける言葉は小さな唇に吸い込まれていく。
    「私の気持ちを知らないくせに、最初から諦めないでください」
    「だって……んんっ」
     陸が答えようとするとまたもや塞がれる。そうではないでしょう、というようにやさしく噛みつかれ、びっくりするような声が出た。掴まれた手は力強く握られ、陸の言葉を待っているようだ。
    「勝者の私に何か言うことは?」
    「ええとっ……優勝おめでと、んーっ!!」
     今度はぬるりと舌が入ってきた。感触に、温度に、擦られる気持ちよさに痺れてしまう。そうして一織とキスをすることが嫌ではないことを知らされた。息が続かなくなる前に唇が離れて行く。何もかも見透かされているのがただただ悔しい。
     溢れた唾液が口の端へと零れてしまう。一織の指に拭われながら、舌足らずな口調で呟く。
    「いおりが、好き?」
    「疑問符を外してください」
    「……一織が好き」
     よく出来ました、というような口づけを与えられる。口の中が痺れてつらいのに、濃厚な口づけを止めることができない。自らも舌を絡めながら、脳裏にパチパチと音を立てながら火花を爆ぜさせる二つの線香花火が映る。
     その二つは決して朽ちることなく、暗闇の中で青と赤の美しい枝葉を浮き上がらせていた。

    夏の灯火
     抱き合った身体は汗と火薬のにおいがした。湿った髪にも染みついて、顔を寄せ合うたび、つんとしたにおいを敏感に拾ってしまう。
    「っ……ふ……んん」
     屋上でしかけられたものよりもずっと性急で荒々しい口づけ。想いなど叶うはずもないと思っていただけに、まるでそれは一織の心のようにも思えた。
     酸欠不足一歩手前でほどかれて、必死に呼吸を繰り返している間に口の端に溢れた唾液を小さな唇が拭う。
    「っ、ずるい」
     思わず零れた不満が言葉になった。
     泣きを含んだ声に気配がぴたりと止まる。
    「どこがずるいんですか」
    「……ぜんぶ」
     余裕があるところ。キスが上手なところ。すこし強引なところ。それから、オレの知らない一織がいっぱいいるところ。
     悔しさをにじませた舌足らずな声でも一織は最後まで聞き、ふっと息を吐いた。笑いなのか、呆れなのか。それですら、濡れて過敏になった唇を撫でていくから堪らない。今だって心臓が胸を突き破ってしまうのではないかと恐怖している。
     どきどきと鼓動が早くて息苦しい。だけど喉は苦しくない。
    「余裕なんてないです。キスは……あなたが初めてだからわかりません。少々強引ではないと、勝手にいなくなってしまうくせに」
     知らないのなら、知って。
     心臓が高鳴る。距離がまた縮まって、再び重なった唇は震えていた。
     ステージの上の、少し高く上がったやわらかな声色とは違う。低く、どことなく獰猛で、余裕のない男の声。少し怖くて、だけど傲慢な言葉に不思議と陸は安堵してしまった。
    「……はっ」
    「あっ……んあっ」
     差し出された舌を宙で絡め合う。不安定でいつ落ちてしまうかわからないのに、怖いのに、気持ちいい。舌の温度と感触をぬるぬると擦りつけて呼気が表面を撫でた。陸の背を抱く力が強まって、重なった胸からようやく一織の鼓動の速さを知る。
    「っは、わかりましたか?」
    「わかった、わかったから……んっ」
     また塞がれて、夢中になっている間にベッドへと押し倒されていた。
     背を抱いていた手が裾を捲って、皮膚の上を指が滑る。くすぐったいと言わせてもらえず、鼻から漏れるのはいやらしい音ばかり。いっぱいいっぱいなのに一織はひとつも手加減してくれない。
     指で先を挟まれ、そこからくんっと摘まみ上げられてじんと痺れた。器用な指でぐにぐにと動かされて、勝手に息が上がる。苦しくなる手前でキスはほどけて、まるで心拍数も呼吸もぜんぶ、一織にコントロールされているみたいだ。
    「っはあ、オレも一織に触りたいっ」
    「だめです」
    「なんで」
     霞んだ視界の中、どこか余裕のない顔をした一織が陸を睨む。
    「長い時間をかけて、やっと手に入れたんです」
    「なに、んんんっ!!」
     なにそれ、と言葉は続かなかった。余裕のない一織にまた飲み込まれて、口の中の動きと指の動きが早くなる。一気に性感を引き上げるような性急な触れ方に、心臓が早鐘を打った。
    「あっ、ああっ」
    「すみません、やさしくできません」
     きっぱりと告げるから怒ることもできやしない。一織の中に『しない』という選択肢は存在してないようで、逃げる陸の身体を拘束する。
     腰を押し付けられて、ぶつかった硬い感触に息が乱れた。
     一織の本気を知らされた。陸の本音も一織はきっと感づいている。
    「……そこの引き出し」
     ベッドランプの棚を指した。察しがいい一織は身を乗り上げて引き出しを開く。
     ああ、見られてしまう。
     来るはずのない、いつかのために用意したものがそこには仕舞われている。
     あさましいオレを知って、その上で求めてほしい。
    「これは……」
    「そういう意味でずっと一織が好きだった」
     一織の言葉に被せた。はらはらと涙が零れる。熱を持った眼球から溢れて、決壊してしまう。隠していた想いがすべて一織の前に晒される。
    「本当に一織はオレを抱けるの」
    「……まだわからないんですか」
     何かを堪えるような唸った音と一緒に濡れた箇所へ唇が這う。あやすようなやさしいキスが降ってくる。
     重ねたところが熱い。
     心臓がどくどくと脈打ち、緊張と興奮を伝えてくる。
     だけど、言葉が欲しい。貪欲で、怖いから、ちゃんとした言葉で教えてほしい。
    「七瀬さんが好きです。七瀬さんのすべてを私にください」
    「っ、やっと言ったあ……一織のばかあっ」
    「馬鹿はあなたですよ。あんな顔で、私も見ていたくせに」
    「鏡なんてないからわかるわけないだろ!」
     仕方がない。悩んで、苦しんで、眠れなくなる日が続くくらい一織を好きになってしまったのだから。
     男同士で、恋愛がタブー視されるアイドルで、例え付き合っていなくても一織は陸を置いていかないと約束してくれた。
    「だって、もう好きを我慢できなくなったんだから」
     生命に満ち溢れた真夏の中で、儚く朽ちていくものを見た。
     七日間の命で必死に生きて、最後には熱されたアスファルトで命を終わらせた蝉の姿。
     夜空に咲き乱れて、静かに消えていく大輪の花火。
     生前は誰かだった魂たち。
    「終わらせようと思ったんだ」
    「だから勝手に終わらせないで」
     どんなものにも終わりはある。陸自身の命がそうだ。
     一織への好きもそう。この恋も、名前がついたふたりの関係にも、必ず終わりがやってくる。
    「終わらせるときは、一緒に終わらせます」
     なのに、一織は最後まで付き合うと言う。真っ直ぐで熱烈でただただ重い。だけどその重さが心地よいと思う自分も大概だ。
    「……一織、重いね」
    「人のこと言えるんですか」
     私に抱かれたくて、こんなものまで用意して。
     音もなく動いた唇はそんなことを呟いていた。
     視線が絡み合う。瞳の奥には欲とどこか切ない、苦しい色があった。
     泣きたくなるような衝動が胸から迫り上がる。悲しみではない。だけど歓喜とも違う。それは目の前の相手を強く望む感情だった。
     瞼を閉じて、どちらともなく顔を寄せ合って再びキスをした。まだ残っている花火のにおいが鼻先をくすぐっていった。
    水無月ましろ(13月1話更新) Link Message Mute
    2023/10/03 23:19:38

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