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    SS詰め合わせ2【いおりく】あまやかな時間をふたりで過ごす。【先生シリーズ】すべてを隠し、肌を重ねて【カバクオ オメガバ】1cmの距離追い付くことすらできない。それが嘘、であればどんなによかったか。フォーク×ケーキ無題屑の話 3.7独りよがりの恋。そうして世界は新しい色に塗りつぶされる。あまやかな時間をふたりで過ごす。【先生シリーズ】
    『もう少しで帰路につきます』
    『寝ていても大丈夫ですからね』
     絵文字無し、スタンプもない。けれども素っ気ないメッセージが逆に一織らしい。
     既読だけ付け、敢えて何も返さず陸は何度もその二行のメッセージを読み返した。
    「早く、一織……っ」
     たった三日間だ。それでも三日間一織のいないこの部屋は寂しかった。おはようも、おやすみも、すべて便利な電子機器上で交わされて、初日は楽しかったが二日目には無機質なメッセージのやり取りでは物足りなくなった。
     何よりも隣にあるはずの温度がないことが辛かった。
     関係性に恋人という名前がつき、陸は成人を迎えて。学生の頃の不安定な関係よりも強固なものになったはずなのに、どうしてかたった三日間の不在で陸の胸にはぽっかりと大きな穴が開いてしまう。好きなもの、楽しいこと、美味しいものを食べて、でも結局穴は埋まるどころか広がっていくばかりだった。
    「一織がいないとダメな身体になってる……」
     先ほどシャワーを浴び、いつも以上にしっかりと洗った身体から石鹸の清潔な香りが漂う。丁寧に洗浄し、乾きにくいジェルを奥まで塗り込んで、帰ってきた一織に抱いてもらう準備はすでに整っていた。
    「まずは一織おかえりなさい、だろ。で、えっちしたい……。なんかいきなりすぎるかな」
     脳内でシミュレーションを行う。おそらく疲れた顔で、けれどもどこか穏やかな笑みを浮かべた一織にそっと抱き着く。お疲れ様と言いながら、触れるだけのキスを陸の方からする。その気になるように誘うのだが、いい言葉が思いつかない。
    「今日ゆっくり時間かけてえっちしたい……です。なんか、これはしたないかな……? んと、これほしい、とか……?」
     うんうんと唸っていた陸は鍵が開く音に気がつかない。
    「寂しかったから、一織の……ここに埋めてぎゅってしてほしい。だめ、かな……?」
    「っ……、ただいま戻りました、陸」
    「わあああっ!?」
     後ろから抱きしめられて、一織の愛用しているフレグランスが香った。振り返ろうにも抱擁は力強く、まるで顔を見るなと言うようだ。真っ赤になった頬を撫でていた指はするりと降りて、鎖骨を、それから陸にとっては大きく緩い上衣越しに胸を撫で回す。
     途中で突起が引っ掛かり、ん、と声が鼻から抜けてしまった。吐息で笑う男の声はいやらしい。薄い一織の唇が赤くなった陸の耳朶を食む。
    「本当に疲れていたんですけど」
    「あ、……ごめんなさ、っ、あうっ」
     力強く腹部を押し込まれて、痛みとそれ以上の期待で身体が震えた。そこにはまだないはずなのに、不思議とかたくあつい一織の性器を押し込まれているような気持になり、涙が浮かぶ。
    「ここまで私のを入れて、ぎゅっとしましょうか?」
    「ああっ」
     下腹部を撫でた指が、すでに膨らんでいた股間へと滑る。手のひらで揉み込まれて、下着がじわりと濡れてしまった。
    「かわいいな……」
    「いじわるっ、しないで」
     今度は振り返ることを許される。ぎっと目を吊り上げると、レンズの奥で切れ長の瞳は一瞬開き、そしてやわらかく微笑んだ。
    「そうですね。めいいっぱい可愛がらせて」
    「オレが嫌だって、泣いてもやめないでね……?」
     やさしくなった一織の手がぴたりと止まった。
    「はあ……むしろ、それ男の欲を煽るだけですよ」
    「え? あっ! 自分で歩けるから」
     回り込んでいた一織に軽々と抱き上げられ、嬉しいのと恥ずかしいのと、大人のプライドでごちゃ混ぜになる。嘘つき、とどこまでも綺麗に笑った一織の唇に、結局文句ごとすべて吸い込まれてしまった。
    すべてを隠し、肌を重ねて【カバクオ オメガバ】リクエストより。『カバクオでオメガバ』

     三か月に一度、新月の夜にはあまい匂いが部屋中に満ちる。
     離れた場所にいたとしてもアルファであるカバネはその匂いを嗅ぎ取り、発火したように全身に熱が回り呼吸は乱れる。アルファを──雄を誘うフェロモンだが強い自制心を持つクオンは耐えることができる。
     けれども、このフェロモンを出しているオメガは──クオンにはこの甘い毒のような快楽が耐えられない。
     噎せ返るような甘い匂いに、はっと熱い息を吐く。そのまま口元を押えた。無意識に溢れた唾液で濡れている。溢れかけたこれを飲ませて、全部自分という存在で染め上げたい。
     犯したい、という欲望と罪悪感。そしてあまい毒に蝕まれている片割れへの哀れみがカバネを突き動かす。
     カバネの部屋とちょうど対角側にあたる一番遠い部屋にクオンはいる。一歩進むたびに匂いは強まり、興奮と理性でぐらぐらと脳が揺れ始めた。心臓が痛いくらいに跳ねて、まるで今から命を奪い合うように、鍛え抜かれたカバネの身体は興奮で高まっている。
     ──いる。ここに、俺の────が。
     勢いよく扉を開ける。器用なコノエが廃材で作ったささやかな燭台の灯りはぼんやりと、薄い身体の輪郭を照らしていた。
     息が、荒い。身に纏っていたはずの服はあちこちに散らばって、シーツの上でオメガはもがいていた。汗と彼自身が吐き出した欲で全身は濡れている。胸をあえがせて、クオンはひとり快楽に溺れている。
    「……クオン」
     声も出せないのだろう。呼びかけに答えるのは苦しげな呼気だけだ。手足を突っぱねて、身を縮めながらクオンは自分のものを擦っていた。
    「は、んんっ……」
     まるで飢えた獣のようだった。天上にいた彼は神に一番近く、誰よりも高潔な存在だった。触れることすら、許されない。そんな彼が不死の呪いを受け、無性から最下位の種を持つ存在に成り果てた。
    「惨めなら、一緒に堕ちるか」
     手を伸ばす。縋るように握られたクオンの手は熱い。昔も、今も細くか弱いこの手に心を掴まれる。潤んだ瞳がカバネを映した。赤い双眸はこの部屋を照らす淡い火だ。ゆらゆらと迷うように揺れて、でもその奥では激しく燃え盛っている。
     手は繋いだまま、衣服を剥ぎ取るように脱いでいく。月明りがないため、引き締まったカバネの身体もまた淡い灯りに薄く照らされていた。ベッドに乗り上がると軋み音が大きく響く。
    「かばね……っあ、は……」
    「口を開けろ」
     そろりと開いた口腔へ溢れていた唾液を流し込む。それすらも刺激になるのだろう。繋いだ手は震え、重なった箇所からしとど濡れていく。しっかりと嚥下するのを見届け、顔中に労わりのキスを降らせるとようやくクオンのこわばりがとけた。
    「……カバネ、ごめん」
    「いい。謝るな」
     月のない夜は薄暗く互いの顔もよく見えない。まだ何か言いたげな口を塞ぎ、舌をゆっくりと差し込む。くちゅくちゅと水音を立てながら滑らかな舌の上を撫でて、腰を揺らした。
    「あ……っ、んああっ」
    「見えていないから、好きに乱れろ」
     こくんと頷いたクオンにカバネはふっと口元を緩めた。本当のところ、夜目がきくことをクオンは知っている。カバネもまたそれを理解して、嘘にもならない言葉を口にしている。
     普段は低い体温が発熱したように熱い。細く脆い身体を強くかき抱きながら、本来彼に抱いている罪悪感や後悔は頭の片隅に押しやってカバネは、この世でたったひとりのオメガを求めた。
    1cmの距離
    リクエストより。


     身長一センチ差は大した距離ではない。物理的には大したものではないが、精神な意味での差は大きい。
     それがひとつ年下の相手ならなおさらだ。
     かわいい年下で彼が弟気質なら陸はさほど気にしなかっただろう。けれどひとつ下のくせに一織は陸の世話を焼き、お説教をし、恋人としてもリードするのだから悔しさを抱いてしまった。
    「と、言うことで今日はオレがリードします!」
     ベッドに腰かけていた一織をえいやっと押し倒し、抵抗される前に腰へと乗り上げる。位置的にアレがお尻に当たってしまっているが、刺激しなければ問題ないだろう。
    「は……? 何ですか、唐突に」
    「いろいろ考えたんだけど一織はオレよりひとつ下だろ?」
    「まあ、そうですね。事実上では」
    「むうっ……なんか含みがある言い方」
     そんなうるさい口は塞ぎます!
     宣言すると一織の眉根が寄った。が、顔を寄せると眇めた瞳が開き、は、という音ごと口腔へと吸い込まれる。普段一織にされるように唇を啄みながら軽く鼻を擦り合わせた。鼻から洩れる息がくすぐったくもあり、唇の感触以外でキスを感じられるから好きだ。
     一織の舌が閉じた唇をこじ開けようとしているのに気が付き、わざと強く啜り上げてキスを解いた。
    「っあ……一織、だめ」
    「何故ですか」
     鋭く瞳を眇めた一織に陸はとろりと濡れた眼差しを向ける。
    「今日はオレがリードするから、んあっ……だめ……っ、だよ」
     突き上げるように腰を揺さぶられ、高ぶった箇所が擦れて声が洩れてしまった。体勢的に陸が有利のはずだが下になっているはずの一織は余裕のある顔で笑う。
    「っ……は、それで何が駄目ですか?」
    「ああっ、耳、やだあっ……」
     ぴちゃ、と奥で濡れた音が聞こえる。執拗な愛撫がこわいくらいに気持ちいい。爪先はシーツへと引っかかり、もがけばもがくほどにぐちゃぐちゃになっていく。耳朶を吸われ、はふはふと忙しなく呼吸する唇に労わるような口づけが落とされた。
    「たったこれだけで息を切らせて……リードできるんですか?」
    「でき、る……っ、だめっ、だめえ」
     服を脱がされているわけでも、性感帯を弄られているのでもない。小さな唇でただ触れている。
     火照った頬を唇でくすぐられた。くすりと笑う音にすら、感じてしまい陸の口からは弱々しい声が出るばかりだ。時折思い出させるように腰を揺すられて、擦れて、深いところでそれが欲しくなる。
    「ほら、コントロールされるんでしょ」
    「そういう意味じゃない……っ、あ」
     一センチの距離で一織は笑う。到底年下には見えない、十七歳だと思わせない男の顔に陸はぎゅっと目を瞑った。吐息がぶつかる。恥ずかしくて仕方ないのに、重なり合った熱が、熱っぽい一織の声が、心まで高ぶらせる。唇を押し付けながら手探りで一織の手を探す。爪が当たり、すべてを理解しているように指を絡め取られた。
    「かわいい人だな……」
     うわずった声にときめく。ひとつ年下の恋人はずるくて、陸がの方が年上だからこそ絶対に敵わない。
    「ん、もうっ、ずるい……ん、ふあっ……」
     一センチ差の恋人の手は陸のものよりも大きく、とてつもなく安心感を与えてくれる。
     ゼロ距離で舌を絡め合う。痛いくらいに力強く手を握られて、身を預けた陸はもうただ溺れるだけだった。
    追い付くことすらできない。ファンタジー。獣人設定。


     この感情は本当に、愛だろうか。それとも獣の、本能だろうか。

     
     「一織」
     美しい赤毛を持つ青年が振り返る。自分に降りかかる危険の音を察知するための長い耳が微かに揺れた。
     しかしその表情に警戒は含まれていない。口の中で溢れかえった唾液を飲み込んで、一織はかぶりを振った。
    「大丈夫です。行きましょう」
     腰に携えた魔導書を震えた指先で撫でる。滑らかな革の感触は一織の熱を奪う。そしてこれは一織にとって、自身の理性を表したものだった。
     鋭い牙や爪で戦う魔物ではなく、一介の召喚士であることを一織に知らしめる。
     大丈夫だ。間違いなど起きるはずがない。
     戦い前の静かな興奮だと言い聞かせながら、陸の後に一織は続いた。

     洞窟内は薄暗く、一織が召喚した使い魔の青い光が主な灯りとなった。陸が弦を鳴らすとたちまち速度移動の魔法がかかる。影の中から沸いた魔物たちを使い魔と自身が放つ魔法攻撃で撃退した。避けきれなかった攻撃は陸の歌唱で癒されながら、目当ての素材を集める。
     道すがら転がっている骨は明らかに人の形をしていた。落ちている古びた装備もかつて彼らが身につけていたものなのだろう。それらを見つめた陸は歩みを止めず、弦を弾き、音を奏でていく。
     澄み渡る陸の歌声は、陰気に満ちたこの場所に漂う魂を空へと送り出していた。その歌声を聴くたびに、不思議と目頭が熱くなる。悲しげに響く、それでもやさしい音は幼い頃よく聞かせて子守唄に似ていて、彼に抱いていた無邪気な想いは身体と心が成長するとともに形を変えてしまった。
     残念ながらすでに抜け落ちた魂は目に見えない。すでにこの場にいなかったのかもしれないが、それでも陰気に満ちたこの空間に清浄な気が一陣の風のように通っていた。
     ぴたりと歌が止まる。深く吐き出した呼吸の後、陸は口を開いた。
    「ありがとう、一織」
    「いえ……」
     言葉につまった一織はそれ以上の言葉が出てこなかった。初めて耳にしてから、今まで。ずっと陸の歌声に心を囚われている。恋焦がれて今もなお、やさしく響く陸の歌に一織の心ごと焦がされて、苦しくて苦しくて、仕方ない。
     陸という存在をすべて奪いたい、と考えてしまう。鋭い歯で噛みついて、頭から足先まで余すことなく食べつくしたらどれだけの幸福を味わうのだろう。
     この美しい存在を、自分の血肉にできたのなら。
     それは、どれほどの幸福だろうか。
     
     少し先を歩く陸の背中を見つめた。すらりとした背中には弓と矢がかかっている。構えた瞬間に手の中で燃えるように発光する装備は、彼が歴代の英雄であることを示していた。
     駆け出しの冒険者である自分では確実に彼を組み敷くことはできない。きっと赤子の手を捻るようにあっさりと差し押さえられ、穏やかな笑みを顔に乗せたまま一織を許すだろう。
     子どもではない。けれども、彼にとって一織はまだ、出会った頃の小さな子どもなのだろう。
     ゆらゆらと揺れる耳を齧ってしまいたい。すらりとした身体を組み敷いて、激しく腰を揺さぶってこれは自分のものだとマーキングしてしまいたい。
     獣の本能を抑えながら、一織は必死に陸の後を追った。
    それが嘘、であればどんなによかったか。リクエストより。一織の嫉妬・独占欲

     一織にとって芝居というのはただの芝居であった。陸のように役が抜けなくなることも、演じ終えることが寂しいと思うこともない。
    「好きだ────……っ」
     その言葉は友愛の意味を指しているはずだ。けれど一織の口から出た音は、なまなましい熱を孕んでいた。
     

     いつでも涼しげな表情を浮かべ、賑やかなメンバーたちの一歩後ろに立っている。少し離れた距離で全体を見つめ、最高の歌唱力を持つ七瀬陸が降らせる流れ星を待つ。
     冷静でありながらも、誰よりも熱情を持ち、夢を知らなかった一織が初めて抱いた夢は壮大であり、とてつもなく高いものだった。
     けれど一織には自信があった。自分の分析力と個々の持ち合わせた才能が共鳴すれば。このメンバーでなら、どんな高い壁も超えられる。そうして幼い頃からどんなこともそつなくこなすことができた一織が、自分で見つけた夢は、持ち主である一織の感情を上手くコントロールできないものだった。
    「一織? 起きてる?」
    「……はい」
     珍しくぼんやりとしてしまった。訴求力の塊であり、陸のチャームポイントでもある大きな瞳には心配そうな感情が浮かんでいる。ぐっとくる表情に唇を噛み、一織はわざと素っ気ない顔を作った。
    「もしかして、珍しく迷ってる?」
    「そうですね……」
     ダンスも歌も、演技でさえも一織は人並みにこなすことができた。予想できなかった狼少年役も設定を読み込んで、狼の遠吠え動画を見て勉強すれば、問題なく演じられた。
     けれど最終回にあたる脚本の、たったひとつの台詞が一織を悩ませていた。
    「七瀬さん本読みに付き合ってもらえますか?」
    「いいよ。どこ?」
    「三十一ページの、最初の行です」
    「……うん。わかった」
     陸は自然に役に入り込むことができるタイプだ。すうっと息を吸う音が聞こえ「行くよ一織」と呼んだ声のトーンが変わった。一織に背を向けた陸が、間を空けてこちらを振り返る。いつものような朗らかに笑いながら。
    「どうしたの、一狼?」
    「……好きだ……っ、……」
     自分が発した声を自分の耳で聞いて、愕然とこれは違うと思った。
     一狼の台詞である「好きだ」は陸久に全信頼を寄せている、ただの友愛だ。家族であり、相棒である。
     一織が陸に抱いている「好き」とは毛色が違う。全世界の人間に陸の魅力を知ってほしい。明るく愛されるアイドルでいてほしい。
     けれどもその訴求力の瞳を、誰にも向けてほしくない。たった一人を瞳に映して、欲しい、と思わないでいてほしい。一織だけを映して、一織を必要としてほしい。
     涼しげな顔で陸の隣に立ちながら、どろっとした独占欲を腹に抱えている。濁った澱を吐き出すこともできず。ともに時間を過ごせば過ごすほど、増え続ける。
    「……っ、オレも、オレも好きだよ」
     一織が恋焦がれている「好き」を陸はあっさりと返す。嬉しそうに笑って、しかし大きい瞳は少し潤み、一織を見つめていた。首筋に何かが駆け抜けていく。それは一瞬の歓喜で、期待を覚えた自分への失望だった。
     このまま陸の訴求力に引きずられて、飲み込まれてしまえば楽だろうか。
     腹に抱えた独占欲も、激しい悋気もすべて晒して「あなたが好きだ」と言ってしまおうか。それで、つい役に飲まれてしまったのだと、一織らしかぬ言い訳をすればいい。
     陸はきっと目を丸くして、最後には珍しいこともあるのだと笑うだろう。
    「そうか」
     いろいろと考えてしまい、結局一狼の顔は泣き笑いになってしまった。一狼が絶対に浮かべるはずのない表情で、それは遠い星に恋焦がれている一織そのものだった。
    フォーク×ケーキ
    リクエストより。ケーキバース


     小さい口が大きく開いた。掴まれた指先はゆっくりと一織の口の中に入り込み、爪先から舌が這う。噛む、のではなく人間に慣れていない動物がおそるおそる舌で触れていくのに似ている。舌の動きを止めず、じっと涼しげな瞳で射抜かれて陸はこくんと頷いた。
    「……っ、ん」
     爪先の表面を舐めていた舌の動きが大胆なものへと変わる。第二関節まで飲み込んで、しゃぶられて、唾液が指に絡み、それでも一織の視線は陸から外れない。くちゅ、ぴちゃと卑猥な音は乱れる吐息よりも激しい。話し言葉も食べ方も品のある一織がいやらしい音を立てて、指を食べている。
     本当にいいのか、と問うように。
     食べられる覚悟はあるのか、と突き付けるように。
    「ふ、……もっと、食べてっ……」
     覚悟を知らしめるために、自ら一織の舌を撫でた。床についていた手は一織の左胸に置く。服越しというのに心音は厚い胸を激しく叩き、冷静な顔をしている一織の心臓がうるさくて、だからこそ安心した。
    「指震えてますよ」
    「……震えてないっ」
    「嘘ばかり」
     片目を眇めた一織に爪を噛まれた。欠けないように手加減されて、それにすらも感じてしまう自分が悔しい。フォークである一織はケーキの陸を食べることで、初めて『味わえられる』はずなのに。どうしてこうも余裕があるのだろうか。こちらがじっと見つめていればすぐに照れて目を逸らすくせに、陸から視線を逸らすことなくゆっくりと食べていく。
    「っ、ね……オレっ……もしかして美味しくなかったりする?」
    「っ……は?」
     湛えていた涙がじわっと滲んだ。自分でもわけが分からない。
    「本当はあまくない? おいしくない? ……好みの味じゃない」
     ただ、自分が一織の好みじゃなかったら、と考えてつらくなった。
     ケーキ性を持つ人間を捕食することで味覚を感じるフォークは、世間一般には予備殺人者と呼ばれている。これは三大欲求の一つ、食欲を味覚障害によって封じられることに飢えてしまい、その反動で食べられるケーキを捕食してしまうからだ。
     過去には極度の飢餓により、恋人のケーキを食べつくしてしまったという痛ましい事件も発生している。
     しかし飢餓を防ぐ薬や治療法についての研究は進み、人権問題だと声も上がったことで偏見や差別も減った。
     もしもフォークである一織が捕食することを望むのならば、ケーキの女の子たちは名乗りをあげるだろう。私を食べて、と。
     ケーキだからといってもわざわざ男である陸を選ばなくてもいい。
    「……一織がオレじゃない、女の子を食べるのが嫌だ」
    「七瀬さん」
    「食べないで。オレだけにしてよ……美味しいかはわかんないけど」
    「……はあっ」
     薄い唇に触れていた指が外された。一織の腔内で炙られ、ふやけた指は外気で冷める。
     ああ、呆れられたかな。それとも同じ味ばかりで飽きたのかな。
     言わなければ最後まで食べてもらえたのかもしれない、と涙が零れたその瞬間ぐっと綺麗な顔が近づいてきた。頬に伝う涙をすくわれ、眦に溜まっていたものすら一織の唇は拾っていく。火照った頬がさらに火照った。
    「えっ? あうっ……」
    「あなたバカなんですか?」
    「ば、バカってなに!?」
     きっと睨みつけると何故か一織は笑った。もう涙はすべて吸い取られて、飲み込むものもないのに熱っぽい頬に何度か唇を押し当てられる。饒舌なわりに素直ではない一織のように。
     だから単純な陸はその先の、もしかして、を期待してしまう。最後に手のひらで頬をくすぐられて、再び顔を見合わせる。
    「まず先に言わせてください、七瀬さんは美味しいです」
    「……うん」
    「飽きることもないと思います。これは、おそらくですが」
     涼しげな瞳の奥にぎらついた何かを見つけてしまった。手のひらからどくんと激しい鼓動を感じる。ふっと目を眇めた一織は初めて陸の腹部を見つめた。頬に触れていた手が背中に回り、するりと下っていく。やわらかくないはずの尻を掴み、他人が触れるはずのない繊細な箇所を指で押し込まれ、驚きで声が上がった。
    「ああっ!」
    「私が食べたい、と言ったらすべて頂きますよ。この場所も舌でこじ開けて……」
     ここまで、と言いながら一織の手は腹筋を撫でる。欲でぎらついた瞳を向けて、唇を舐めた。
    「嫌だと言ってもやめません。私はあなたを余すことなくすべて食べ尽くします」
     ぞくぞくと首筋に電流が走った。膨らみを目にして、一織の本気を知る。知って、少しの恐怖とそれ以上に目の前のフォークに食べられたい、と陸は思ってしまった。
    「いいよっ、食べて。一織ならいいっ……行儀が悪くてもいいよ。でも最後までしっかりオレを食べて」
    「っ……は、本当にバカな人ですね」
     罵倒ですら甘く感じるのは、陸がケーキだからだろうか。
     まずはここから、と差し出した舌は噛みつくように飲み込まれ口腔内で何度も咀嚼された。
    無題リクエストより。先生シリーズ


     体温の低い一織にとって陸は湯たんぽのようなものだ。冷めにくくて、あたたかい。そして押し付けてくるような熱ではなく、どこか控えめでこちらが手を手放さない限りそばにいてくれる。とてもやさしい熱だ。
     心地よさに浸りながらもどこか罪悪感を抱き、一度だけ、彼を手放そうとしたことがある。間違いと知りながら、教師という立場を活用してまだ恋も知らぬ純粋な子どもを縛り付けて、恋愛ごっこを続けさせるのが辛くなってしまった。大人になり広い世界を知った陸が、自分の手を離すのが嫌だったというべきか。
     嫉妬で身を焦がすだけではなく、その炎で陸自身も焼いてしまうのならば手放すべきなのだと思った。間違えてしまったが、それが正しい道なのだと自分に言い聞かせて。
     
     
    (夢か……)
     目覚めは最悪だった。じとりと汗ばんだ身体を不愉快に思いながら一織は目頭を押さえた。ちらりと隣を見るとすうすうと寝息を立てて眠る恋人の姿。時折口をもにゃもにゃと動かしてにへらと笑い、その顔を見つめていた一織も少しずつ落ち着いてくる。指で頬を突く。目覚めることはないが、んんっと唸る陸に口元を緩めた。
     小さな子どもだった陸がそのまま一織の隣で大人になっていく夢だった。一織、一織と人の後ろをついてきて、危なっかしい子どもの手を繋いでいたはずなのに、好奇心旺盛な陸の手は外れていた。
     好きな子が出来たと恥ずかしそうに報告されて、一織のおかげで付き合えたよ、と笑う陸の姿が微笑ましくて憎たらしかった。あれだけ一織の後ろをついて歩き隣を歩いていたくせに、選んだのが別の、全くかかわりのない人間であることも、横からちゃっかりと出てきた人間に奪われるのも腹立たしかった。
     目が覚めて、あれらがすべて夢であることに安堵した。そして自分が過去に陸を突き離そうとしたことの重さを身をもって知った。
    「……陸」
     自分が勝手に抱いた不安に眠っている陸を付き合わせるわけにはいかない。そっと身体を寄せると、陸はごろんと寝返りを打った。
    「陸?」
    「んん……」
     聞こえているのか、いないのか。呼びかけにふにゃりと頬を緩めて、胸に顔を摺り寄せてくる恋人は冷え切った一織の心をゆっくりと溶かしていく。あつすぎない、湯冷ましのような温度だ。
     一房長い髪を唇にかかり、一織はそっと指で梳き耳にかける。
    「本当に成人しているとは思えない」
     それほどに一織の恋人は無邪気だ。触れた肌は指に吸い付くほどしっとりとしている。街をともに歩けば未だ高校生と間違えられるくらいだ。今は閉じている瞳も一度開けばくるくると表情を変え、最後には必ず一織を映す。それがどれほど一織にとって嬉しいことのか、陸は知らないだろう。
    「……もう陸無しでは生きられないな」
     思わず口に出してしまった言葉はひどく重いものだ。けれどそれは事実であり、一織の本音だった。
     幼い頃からもう一度陸に会うためだけに教師という道を選んだ。一本だけ垂らされた蜘蛛の糸に縋るようなものだったが、糸を一織はしっかりと掴み取ったのだ。
     しかし夢見た再会はあっけないもので、クラスメイトたちと歩く陸は一織に気が付かず、ただすれ違っただけだった。呆然とした後に、すぐさま沸き上がったのは強い怒りで。どうやって捕まえようかと考え、一織は実行した。
     もしもあのとき陸が一織を見つけてしまったら、道を間違えることはなかっただろう。間違わないまま、互いに別の人を選んでいたのだろう。そうして一織はお綺麗な恋愛をしていたはずだ。
     冷静に考えれば陸は悪い大人に捕まったものだと思う。和泉一織という男は執念深く、ただただ重い。置いていくことも、置いていかれることも許さない。死が訪れるまで、掴んだ手を離すこともできない。
     まだ細い背中をぐっと抱き込む。力強い抱擁を嫌がるわけでもなく、頬を緩めて擦りつけるだけだった。
    屑の話 3.7どちらも屑であり、身体だけの関係のパロの番外編



     どろりとした濃厚な時間を過ごした後に必ずといっていいほど訪れる静寂を一織は好んでいた。泣きはらした顔で寝息を立てた男の顔をひとつずつ、確かめるように指先で触れる。二十代後半にしては陸の肌は綺麗で、吸い付く感触を心地よく思いながら一織はそっと息を吐いた。
    「本当に予想がつかない人だな」
     部屋に招き入れて──厳密に言えば強引に引っ張り上げたとも言えるが──靴を脱がす暇も与えず、下肢だけ剥ぎ取り突き入れた。持ち歩きできる袋状のローションを使い最低限ほぐしただけだったが、陸の中は一織を覚えているようで簡単に受け入れ、三回目となるセックスは前回のものよりももっと濃厚さを増した。
     玄関で一回。足腰立たない陸をベッドまで連れて行ってそこで入れたまま四回続け様に抱いた。ウィッグは二回目で外され、薄く塗っていたリップも何度目かわからない口づけで取れてしまった。
     精力剤と強めのアルコールを摂取していたため、常にイキっぱなしの状態になった陸は淫らな声を上げながらベッドの上をもがく。その姿に煽られた一織の精もなかなか尽きず、ただでさえ少なかった避妊具は空になった。
     明日には買わなければ。生々しい精の残骸ととともにゴミ箱に投げ入れたのが数十分前の話。濡れタオルで陸の身体を軽く清め、寝顔を眺めていればポケットに入れていたスマートフォンが震えた。
     和泉三月、と表示された名前に一度深く息を吐き、応答をタップする。
    「もしもし。一織です」
    『あ、ごめん一織。眠ってたか』
    「いえ、まだです」
     いつもよりも声をワントーン落として、会話を続ける。小声で話さなくともこのままベッドから離れればいいのだが、あどけない寝顔を見ていたかった。
    『あのさ、陸のことなんだけど』
    「騒いで、すみませんでした」
    『いや、それはいいよ。オレも思いきり怒っちゃってごめんな』
    「いえ怒られて当然です」
     上質な酒と料理、そして心地よい音楽で盛り上がり見知らぬ者同士のキスくらいはよくある光景だが、ベッドの中で行うようなキスは普通しない。陸から香った女のものの香水に苛立ってしまい先に煽ったが、一織が予想もしなかった方向で返され、怒りが膨れ上がった。
    『あいつのこと本気か?』
    「……わかりません」
    『好きか嫌いかで言うなら』
    「嫌いではない、かと」
     嫌いであれば、おそらく一織は今もハメ撮りのデータを保管していないだろう。しっかりと鍵をかけたフォルダにはあられもない陸の姿とあどけない寝顔の画像、一度見せてもらった身分証明書に記載された住所や生年月日まで保管している。
     初めて会った日に個人情報を明かされたときは「馬鹿な男」だと思ったが、陸なりの誠実さなのだろうと今はそう思える。下半身はひどくだらしないが、性格はまっすぐで意固地なところも多く最終的に素直さを見せる。
     話しながら触れていたせいか一織の指は陸の唇に触れていた。開き、ぱくりと咥えた陸は目を瞑ったままふにゃりと表情をほころばせる。
    「かわいいひとだな……」
    『あー……。おまえのその歪んだ愛情表現、いつか人生で大失敗を招くような気がしてきた』
     ぽつりと零したひとりごとはしっかりと兄の耳に届いていたようで、苦笑とともに釘を刺された。
    『まあいいや。最後に一つだけこれだけは言わせてくれ。遊びならまだいい。でも、もしおまえが本気で陸のことが好きになったら』
     ──陸のことを裏切らないでほしい。
    「裏切る、とは」
    『……オレの口からはそれ以上は教えられない。知りたいなら陸に聞いてくれ。じゃあな一織』
     忠告めいた言葉を最後に通話が終わった。一織の遊びを咎めることはないだろうと踏んではいたが、裏切りという重々しい単語に一織は形のいい眉を寄せる。
    「わからないな」
     名前のない関係の方が悩まなくて楽だ。今さら陸との関係に名前などつけられるはずがない。
    「だって、七瀬さん。追いかけたら逃げて、あっという間に私の前からいなくなりますよね」
     恋、というもう綺麗な名前はつけられない。愛でもない。
     深く思い込んで、忘れられないことを執着と言う。ならばこの感情は、執着なのだろう。
     咥えられていた指は口から吐き出され、そこにあったことを示すように唾液で濡れている。だがそれも時間が経てば乾き、咥えたことすらなかったことになるのだ。
     濡れた指で唇をなぞる。何度形をなぞっても、もうそこが開くことはなかった。
    独りよがりの恋。
    絞殺表現あり。一織←←←陸で苦しい片想いの話。


     どこかで一織はオレ以外の人を選ぶことはないと思っていた。
     それは絶対的自身だった。
     それは驕りだった。
     一織から甘い言葉を与えられていたわけじゃない。だけど誰でも簡単に口にできる甘い言葉よりも、厳しい言葉の方がずっと嬉しかったし、確かに深い情が籠っていた。
     TRIGGERが失脚した年のFriends Dayでオレたちは約束をした。オレをコントロールする権利を渡す代わり、一織に要求したのは「オレを置いていかないで」だ。
    「オレも置いていかないから」は続けて、この日から七瀬陸が死ぬまでずっと一織はオレの傍にいるだと思っていた。
     
     
     一織の部屋からあまくやさしい声が聞こえた瞬間、呼吸が止まった。それがドラマや映画の脚本であったのなら、止まったのは呼吸ではなくて心臓で、すぐに鼓動は動き始めたのだろう。ときめきながら、オレの顔は緩みながら。
     一織の声は架空の人物名ではなく、実在する女性の名前を呼び、その子はオレもよく知っている女性だった。
     テレビの前や演技でしか聞くことのできない、少しうわずった高い音。けれどもあまやかな声はオレではない他の子の名前と「好き」という滅多に聞くことのない単語を紡いだ。
     お盆を持つ手が震え、のせていた二つのマグカップからミルクたっぷりのカフェオレが零れる。びしゃっと跳ねて、それが手の甲にかかってもぬるい温度では火傷にもならない。冷えた心をあたためることもなく、一織に気づかれないようにその場を立ち去った。
     零れたカフェオレシンクに流し、お盆とマグカップをカップを洗う。ぽたぽたと手の甲が濡れ、蛇口から流れる水の音よりも一度も聞いたことがなかった一織のあまやかな声の方が耳の中でこだましていた。
    「……っ、ふ……う」
     多分これが失恋なのだろう。口の端に入り込んだしょっぱい味がいつもよりも辛く感じて、さらに涙が零れた。嗚咽を必死にかみ殺した。必死に息を吸いながら、苦しさに顔が歪む。
     
     だって、みっともないから。

     オレは一織に愛されているのだと思っていた。恋人、という関係になれるとは思っていなかったけど、オレたちはアイドルで、決まった相手を作ることはせず、死ぬまでIDOLiSH7で、今世を終えるのだと思っていた。
     
     とっくにマグカップやお盆は洗い終えていたが、蛇口は閉めなかった。水出しっぱなしにしない、と怒る一織はここにいない。心の中で謝りながら、オレは声を殺しながら泣いた。

     恋は歌なんてものじゃなかった。ただただ長い地獄だった。
     オレの様子が可笑しい、という言葉は聞こえて来ない。一番近くにいたはずの一織はオレに気がつかない。
     いっそ褪めてしまえば楽なのに、一度一織に植えつけられたこの感情は色褪せることなく、大きく育っていく。時折一織から与えられる何気ないやさしさは、残酷なほど傷ついた心に染み渡る。
     憎くくて愛おしくて、ぐちゃぐちゃに混ざり合ったオレの心が導き出したのは、死なば諸共だった。
     もう二度と大好きな人に置いていかれたくない、置いていきたくもない。
     
     そんな感情で日々を過ごしていたオレにあるチャンスがやってきた。
     地方ロケでオレは一織と同室になった。撮影時は常に身体を動かして、さすがに疲れ果てたのだろう。一織は先に眠ってしまった。
    「一織……?」
     呼びかけても返答はない。シーツから出てできるだけ音を立てないように隣のベッドに乗り上げた。ぎしっと鳴ったスプリングにこんなときなのにどきどきと心臓が高鳴る。
     仰向けで眠る一織の身体に跨り、頬に触れた。するりと撫でて、何か既視感を覚えた。
     昔好きだった絵本の場面、王子様に手をかける人魚姫の挿絵が脳裏に浮かんだ。
    「愛おしい王子様……どうして私ではなかったのですか?」
     ね、どうして、オレじゃなかったの。
    「一織が悪いんだよ。オレの歌が一番好きだって言ったり、オレを褒めて叱咤して」
     一織の好きにさせて。オレの恋心はコントロールしないくせに。
    「……オレだって、本当はこんな事したくなかったのに」
     首にそっと手をかけた。当たり前だけど一織の首は太くて、しっかりとしていた。
     指先に力を入れようとした瞬間、小さな唇が開く。そして微かな声で、この距離で届く声で、オレの名前を呼んだ。
    「……ななせさん」
    「っ、う……あ……なんで」
     あまやかではない。けれどステージの上で眩しそうに目を細めて、やさしく呼ぶ音によく似ていた。
     ──どうして。
     あえいだ声は言葉にならない。溢れた想いは口にできない。もう指先に力は入らず、小刻みに震えた。
     どんな時でも最後にはオレの手を引くのは一織だ。汚れて堕ちた恋の引導を渡すのも一織。
    「っ、かってに、す、すきになって、ごめん」
     ずっと言えなかった言葉がするりと出た。そうして、もう、二度と口にできない想いをのせる。
    「すき、すきっ、いおりのことがすきで、すきでしかたなくて、っ、だいすきで……ひ、くっ」
     巻き付いていた指をほどき、しがみついた。どうか起きないでと願いながら、失恋して初めてオレは声を上げて泣いた。
     そっと抱き寄せられた大きな手に気が付いていない振りをしながら。一生分の涙は穏やかな一織の顔を濡らして、ようやく独りよがりの恋を終えた。
    そうして世界は新しい色に塗りつぶされる。
    歳の差パロ。お隣さん。


     六歳にして神童と謳われた和泉一織という少年の話をしようと思う。
     父親譲りのさらりとした黒髪、おっとりとした母親によく似た大きな黒目。声は高く澄んでおり舌足らずに兄を呼ぶ声はそこいる人々を笑顔にさせる。
     両親から誕生日プレゼントに贈られた、小さな身体では抱えるのも大変なくまのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた一織は敬愛する兄の三月の言葉を繰り返した。
    「ごあいさつ?」
     引っ越しの荷解きはまだ完全に終わっていない。段ボールに囲まれつつも、新しい部屋のにおいに慣れない一織はぬいぐるみの頭に顔を埋めている。くまの頭はむにっと潰れてしまい、つぶらな黒い瞳が三月を恨めしそうに見ていた。
    「引っ越してきたし、隣のお家に挨拶しないとな。一織できるか?」
    「うん!」
     可愛くありながらも、冷静な視点で物事を捉えられることができる幼き子どもはこくりと頷いた。顔を上げ、兄に向き合った一織は小さな口を開く。
    「はじめまして。いずみいおり、六さいです」
     少したどたどしい口調ではあるが、聞き取れる範囲の挨拶に三月はにかっと笑った。一織の頭に手をのせて、よしよしと撫でる。
    「しっかり言えたな! えらいえらい」
    「えへへ、いおりももう年長さんなのです」
     心なしか抱きしめているくまのぬいぐるみも笑っている気がする。ふと、一織はあることに気が付いて高い位置にある三月を見上げた。
    「ねえお兄ちゃん、引っ越しおそばはどうするの?」
    「お、おそば?」
    「ごあいさつするときに、もっていくって本で読んだよ」
    「一織は物知りだな。今はお蕎麦というよりも洗剤とか物が多いけどな」
    「お父さんが作るケーキはだめ?」
     一織は父親の作るケーキが世界一であると信じて疑わない。純真な目を輝かせると三月の視線は宙へと向いた。
    「そうだな……。お隣さんにもオレくらいの子どもがいるみたいだしな」
    「お父さんのケーキは世界一だから、きっと喜んでもらえるね!」
    「お店にも来てもらえるかもしれないしな。今から聞いてくるけど……」
    「いおり、いい子にできるから待ってる」
    「そっか」
     もう一度えらいなと言うように撫でた後まるい頭から手を離し、三月は部屋を出て行った。
     兄が去った部屋は一気に静かなものとなる。再び真新しい匂いを感じ始めた一織は窓へと近づく。
    「ちょっと高い……」
     引き返し、一織でも運ぶことができるサイズの椅子を持ち上げる。よいしょっ、と覚束ない足取りで椅子を運び、窓際の壁にぴったりと寄せた。
    「っ、届いた!」
     登り、まだ足りない分はつま先立ちで補い、鍵に触れた。下ろして、窓を開ける。すかさず冷たい夜風がやわらかな一織の頬を撫でていった。部屋へと吹き込んだ風は昼間の温度を忘れたいるかのようで、小さな一織の身体はぶるりと震える。
    「さむい……っ」
     冷たいが、堪えられないほどではない。一度椅子から降り、お気に入りのくまのぬいぐるみを連れて来ようと考えた瞬間、冷気以外のものを風が運んできた。
    「これは歌……?」
     口ずさんでいたささやな音が次第に大きくなり、歌詞が聞き取れるほどになる。聞こえてくるメロディは一織の知らない歌なのに、ひどく心がざわついて再び身体が震える。寒さは忘れて、食い入るように外から聞こえる音に耳を向け、一織は目を閉じた。
     目を開くと、とくに何も変わっていなかった。だが色が、一織の目に映る色が鮮やかなものになっている。薄い色彩がくっきりとした色彩に変わり、今まで見てきた世界の定義をひっくり返した。
    「すき……っ、だいすき」
     好きの感情が溢れる。溢れ、零れ落ちても歌を聴くたびに、また新しく生まれる。高く澄んだ声は一織の声よりも低く、長い音はまっすぐこちらに向かってくる。心臓を鷲掴まれたことを、まだ幼い一織は理解できない。ただただ愛らしい顔立ちは喜びの感情に溢れている。
     歌が止むまで一織は窓の外に耳を向けて、戻ってきた兄に叱られるまでずっと椅子の上に立ちつづけていた。

     
     目が覚めた後も一織の視界に映る色彩は明るさを増していた。昨夜の感動を忘れられず、しかしまだ気持ちを上手く表現する方法を知らない一織はそわそわと落ち着きがないように身体を揺らす。両親や兄はそれを緊張からだと思い、そんな彼に敢えて小さな箱を持たせた。
     そこには定番のイチゴのショートケーキが入っている。
     落とさないように気をつけながら、隣の家の敷地に足を踏み入れた。洋風の可愛らしい外装に目を奪われながら、一織は小柄な兄の後ろに隠れる。父親がインターホンを鳴らし「はあい」と澄んだ子どもの声をモニター越しに聞いた瞬間首筋にちりっとした何かが駆け抜けた。
     自ら前に出て、扉が開くのを待つ。
     燃えるような赤髪と同じ色をした大きな瞳。人好きするような笑顔を浮かべた子どもはこんにちは、と挨拶をする。
     まるで夏の太陽だ。目を奪われた一織は白い頬を赤く染めた。
    「えと、どちら様ですか?」
    「こんにちは、初めまして。昨日隣に越してきた和泉と言います。ご挨拶に伺いました。お家の方はいらっしゃいますか?」
    「あ、はい。ちょっと待ってくださいね」
     ああ、行ってしまう。
     心の中で何度も繰り返した言葉は頭からすぽんと抜け落ちて、代わりに小さな口から飛び出したのは熱烈な愛の告白よりもさらに上を行く──プロポーズだった。
    「わ、わたしと結婚してくださいっ!」
    「えっ……? ええええっ!?」



    ***
     
     
    「初めてのプロポーズで渡されたのイチゴのショートケーキだったよな。あの時の一織かわいかったなあ」
    「うるさいですよ、はい、どうぞ」
    「あーん……っ、ん」
     ご挨拶に用意した品は指輪の代わりに早変わりしてしまった。指輪はもうすでに互いの薬指におさまっている。
     十七回のプロポーズでようやく頷いた伴侶の口に一織はお手製イチゴのショートケーキを押し込んだ。


    水無月ましろ(13月1話更新) Link Message Mute
    2023/10/03 23:17:45

    SS詰め合わせ2【いおりく】

    いおりく/SS

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