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    私の夢 さんさんと日が降り注ぐ午前。窓で四角く切り取られた海辺の町の朝の活気は静まり、今は穏やかに凪いでいる。がちゃり。簡素な、しかし質の良い扉を開け応接間から出てきた女に気が付いた人間の男は、筆を止め驚いたように話し掛ける。
    「あれ、会長。もうあの魔術研究家との話し合いは終わったんですか?あんなに捕まえるの苦労したのに」
    「はい。彼の『相談料』の支払い手続きをお願いしますね」
     そう言いながら、会長――イル・ゲシュプはてきぱきと机上の書類を片付け、一枚だけ残っていた書類にサインした。
     ここは天下のイルナ商会が会長室。そして今日は――会長が引退する日になった。会長は予め纏めていた荷物を手に、一枚の書類を男に渡す。男はペンを置き、両手で書類を受け取った。
    「もう私が処理しなければらならない案件はありませんね?」
    「……はい」
    「では、新会長の欄にサインを。重要な判などはそこの金庫に入れてあります。番号は先日、共に変更しましたね?鍵はこれです」
     男は緊張した面持ちで、会長のサインの下に自分の名前を記入する。筆を置いた男は、安堵したように息を吐いた。
    「あー、これで俺もついに会長!これからはちょっとくらいミスしても周囲がフォローしてくれるから気楽だなー」
     男はそう言って、二人分のサインが記入された書類を手にスキップして会長席に座った。前会長は凛冽とした目で男を見る。
    「お前に後任を任せたのは失策だったようですね。今からテオが後継になるよう役員を招集します」
    「またまた!会長はそう言う割に、何だかんだ俺のことを信用して任せてくれたって分かってるんですよ。他にも沢山優秀な奴は居るのに、人間の俺に、大切な商会を任せてくれる位には」
     男は会長の机に肘をつき、手を組んで笑う。二人は静かに視線を交わした。窓の外をカモメが飛び立つと、前会長はため息を吐いた。
    「一瞬本気で後悔したのは事実ですよ。……これまでと同じように世界中を旅して、各地で生きる人が創造した素晴らしいものをこの世で一番必要としている人々に届けてください」
    「当商会の社訓ですね。『幸いを標に旅をせよ』。各地を旅する中で、その土地の人々の幸福を知り、各地の人々の見る世界をこの目に宿す。そうすることで、物を見たとき、その土地の人々には何でもない物でも別の土地の人々には光り輝いて見える物が分かる。この世界は、無力な者が自由に旅をするには少しばかり厳しいですから」
    「元は、そんな商売っ気を感じる意味ではありませんでした。
     これは私の夢だったのです。兄さんと一緒に、様々な土地を旅したかった。まだ知らない素晴らしいものを見つけて、二人だけの秘密にしたり、必要としている人々に売って、幸福を分け与えることが。誰にも負けない兄さんと世渡りの上手い私なら、どこまでも行ける。私は兄さんと旅をすることこそが、旅の道標であり、幸福なのです。……真実の幸福を手に入れるために、ずっと旅をしてきた」
     窓の外を見つめる前会長の横顔を目に焼き付けるように、男は見つめる。手を組み替えると、どこか落ち着かない気持ち悪さを感じた。
    「本当は、会長を引き留めるべきなんでしょうね。実の父親を殺すために此処を去ることを知っているのですから。命と引き換えにしても成し遂げる覚悟なのでしょう?」
    「それでも、お前は止めないでしょう」
    「そりゃあ……会長の『お兄さん』に命を救われてからずっと一緒に旅をしてきましたから。会長の旅には最初から目的があったことくらい、分かります。堅い表情で遠くを見つめる会長の横顔に掛ける言葉は結局見つかりませんでしたが……会長にとって、『お兄さん』の居ないこの商会は資金稼ぎや情報収集の手段に過ぎなかったことも分かっています。でも、会長はこの商会を決してぞんざいに扱わなかった。他に行く当てのない、俺の大切な場所を守ってくださった。俺の力量を色眼鏡無く見て、役立てる場所に導いてくれた。だから会長の願いを尊重したいのです。たとえそれが会長の旅の終着地点でも、そこから会長の新しい旅が始まると信じているから」
    「そうですか」
     前会長は感傷に浸っている自分に気が付いたのか、顔から表情を消して男に向き直る。
    「では、そろそろ失礼します。例の件、よろしくお願いしますね」
    「一部地域への特定商品流通の停止ですね。承知しました。他でもない会長の最後の指示ですからね。上手いこと裏から、最善を尽くしますよ」
    「感謝します」
     たおやかに甘い色の髪を靡かせ、前会長は迷いのない足取りで扉ヘ向かう。男は楽しかった思い出が遠くへ消えてしまう気がして、声を掛けずにはいられなかった。
    「会長」
     会長室の扉に手を掛けた手を止め、前会長は目線だけを男に向けた。長い睫毛の下から覗く、芯のある菫の瞳。特徴的な深い緑色のコートに、最近身に着け始めた剣の鞘が鈍く光る。特注した無骨なブーツは先週購入したばかりのはずだが、既に少し薄汚れている。「お兄さん」から戴いた品の、自慢の黒いリボンは前会長の豊かな髪をそっと引き立てる。男は前会長の瞳に映る自身を見つめ、わずかに腕の位置を修正した。
    「俺たちとの旅は楽しかったですか」
    「ええ。……兄さんに、貴方たちを紹介できなかったことが心残りです」
    「紹介してくださいよ。全てが終わって生き残れたなら、俺を頼ってください。身を隠す住まいも生活に必要な金も用意します。もちろん、俺個人の資産で」
    「有難い申し出ですが、貴方は会長としての職務に集中しなさい。私が生き残ることはないのですから」
     言葉に詰まる男など意に介さず、もうこの場に用事は無いと言うかのように前会長は会長室を退出する。
    「ああ、それと」
     会長はお前ですよ、とイルは言葉を残し、男の手を遮るように、終わりを告げる扉の音が重く響いた。
    碧_/湯のお花 Link Message Mute
    2020/05/10 22:56:17

    私の夢

    ある商会の会長の夢
    ##吸血鬼ものがたり ##ルナイル編
    話リスト(http://galleria.emotionflow.com/20316/537486.html

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