午前七時のサンタクロース ぎし、とベッドが軋んで、隣で寝ていたカイトさんが寝返りをうった。ふたりぶんの体温であったまったふかふかの冬布団にほっぺたまでうずまって、カイトさんと背中合わせになったオレはもう一度眠ろうとギュッと目をつむりなおす。
交代で作ることになっている朝メシは今日はオレが当番で、でもまだオフの日のカイトさんを起こすにはちょっと早い、そんな時間だ。いつもならこのまま起きて、しばらくのあいだカイトさんの寝顔を見てからシャワーを浴びたりストレッチをしたりしに行くんだけど、今日は少し事情が違った。
……目をつむってはみたけどやっぱり二度寝なんかできるわけがなくて、結局そろりと目を開けて寝返りをうつ。カイトさんの後ろ頭を見ながら枕元に目をやって、なるべく音を立てないように起き上がった。枕元に置いてあるものを手に取って、座り込んだままじっと見る。
昴へ。
おもてにたったふたつ並んだ文字を、見間違いじゃないよなって何回も読み返してから、裏に並んでいる字も確かめる。新堂カイト。
いまオレの手のなかにあるのは手ざわりのいい厚めの紙でできたシンプルなまっしろの封筒で、なんだかかっこいいでこぼこの加工をされた金色のシールで封がされている。寝る前にはなかったから、オレが寝てからこっそり置いたんだと思う。まだクリスマスは少し先だけど、……ちょうど、ちっちゃな子が眠ってからやってくるサンタさんみたいに。
舞台や映画のなかに出てきそうなかっこいい封筒にカイトさんの字でオレの名前が書いてあるのが、ちょっと現実味がないくらいに不思議な感じがする。起きてると思ってるのはオレの勘違いで、ホントはまだ夢見てるのかな。そんな気がしてほっぺたをつねってみたけど、一応ちゃんと痛かった。
「……開けていいのかな、」
思わずぽつりとこぼれた声に、カイトさんから返ってきたのは静かな寝息だけだった。
こんなふうに置いておくってことはたぶん、読んでいいってことなんだろう。だって、その場で読まれたくなかったら帰り際にでも「家で読め」って渡せばいいんだから。でも、このあいだオレがうっかり落とした手紙をカイトさんに拾われたときは「絶対にオレがいないとこで読んでください!!」って言っちゃったから、オレがちゃんと同じようにガマンできるかどうか試してるのかもしれない。
なんとなくカイトさんならどっちもありそうで、どっちも間違いな気がする。……うう、どっちだろう。
オレが隣でこんなに悩んでるのにカイトさんはまだ全然起きそうな気配もなくて、ちょっと悔しくなってくる。読んでも読まなくてもからかわれそうな気がしてきたから(べつにいやじゃないんだけど)、もう思いきって開けてしまうことにした。
ぴり、ぴり、とゆっくりシールを剥がして、糊付けされた封筒を、どきどきしながらできるだけきれいに開けていく。
頑張って慎重に、丁寧に開けたつもりだったけど、オレが不器用なせいかやっぱりちょっとだけ端が破れてしまった。
ハサミ使えば良かった、って反省しながら上に開いた封筒のふたの裏側に、オレの好きなゲームのキャラクター(青くて足の速い、かっこいいハリネズミだ)のシールが一枚貼ってあるのを見つけて、思わずまばたきをひとつしてから声を出さないように笑う。オレがこの前ボンレスはむのシールを使ったからお返しのつもりなのか、……もしかしたら、オレがこうやって反省しながら封筒を開けるのをお見通しで、こんなことをしてくれたのかもしれない。考えすぎかな。でも、正解はどっちだっていい。カイトさんがオレの好きなキャラクターを知っていて、わざわざシールを買って、こんなふうに貼ってくれたのが嬉しい。
まだ封筒を開けただけなのに心臓のあたりがすごくぽかぽかして、ああ、幸せだなあって思う。なんとなく、噛みしめるみたいに深呼吸をしてから、封筒と同じまっしろな便箋を取り出した。
「……?」
すこし開いた途端になんだかふわっといいにおいがしたような気がして、首を傾げる。気のせいかと思ったけど、そのまま鼻先を近付けたらやっぱりやさしいにおいがした。お菓子のにおいとも、果物のにおいとも違う、すっきりした感じのやさしいにおい。知ってるにおいのような気がするんだけど、思い出せない。なんのにおいかわからないのが悔しいなって思いながら今度こそ便箋を開いて、――左の手のひらで顔を覆う。
まっしろな便箋の四隅には、封筒の口をとめていたシールと同じ加工でスズランの花が控えめに咲いていた。
……だからたぶん、これは、スズランの香水かなにかのにおいなんだ。オレが覚えてたのはきっと、いつかの撮影で抱きかかえた、でっかいスズランの花束のにおい。いまの居場所で、カンパニーで、オレが選んでもらった花のにおい。
「…………っ、もー…………!」
手紙を読む前から心臓がもたない。
だって、こんな、……ちょっと本気出しすぎじゃないすか、カイトさんのばか!
熱いほっぺたをあおぎながらカイトさんを見てみたけれど、相変わらずカイトさんは起きそうにない。このまま読んじゃったらもしかしてオレ幸せと照れで死ぬんじゃないかって不安さえ感じはじめながら、それでもなんとか決心して、手紙を読むことにした。
――昴へ。
新堂カイト様だ。
このあいだ受け取った手紙だが、お前が「絶対ひとりで読め」って言ってきかねえから、お前が家に帰ったあと、音楽作業部屋で読んだ。今も音楽作業部屋でこれを書いてるわけだが、ここが一番落ち着くっつーか、集中できるからな。
何を書くかとか、多少は考えてたはずなんだが、いざ机に向かったら忘れちまった。曲ならいつも書いてるが、こんな手紙は書いたことがねえから勝手がわからねえ。
とはいえ長々書くのも性に合わねえし、ひとつだけ打ち明け話をして、お前に渡すことにする。
お前はどう思ってるか知らねえが、俺がこんなふうに他人を好きになるのは初めてだ。噛みついてでもこっちを向かせたいと思ったのも、手紙ひとつでさんざん頭を悩ませるのも、それが面白いのもお前が初めてだし、お前が最後でいいと思ってる。
お前は、俺の、最初で最後だ。
いいか、城ヶ崎昴、お前だぞ。返事は直接聞いてやるから、こいつを読み終わったら俺のところに来るように。
某月某日、午前一時十五分、新堂カイト。
追伸。そういやお前な、あんな手紙を俺に渡さずにいるつもりだったとか、ふざけんじゃねーぞ。これからも覚悟しとけよ。わかったな。
たった一枚だけの便箋に書かれた言葉を、時間をかけて最後まで読んで、それからもう一回読もうとしたけど、もう駄目だった。
ふるえそうになる息を手のひらで押さえる。ぼろぼろこぼれている涙も無理矢理一緒に押し込めようとした手は、濡れて冷たくなるばっかりだ。
「――だから、お前、なんでそこでそーなるんだよこのバカ」
喉に変な力入ってんじゃねーか。
急に聞こえた声にびっくりするのと同時に、大きな手に手首を掴まれる。知らないうちに仰向けになってこっちを見ていたカイトさんと目があって、そのままカイトさんが起き上がる代わりに口元を押さえていた手を引き剥がされた。
「……っ、なんで、起きてるんですか、」
「あ?プレゼントがちゃんと届いたか確かめるとこまでがサンタの仕事だろうが」
「まだクリスマスじゃないです……!寝たフリとかずるい……!」
「うっせ」
混乱している頭でどうにかそうやって文句を言っても、カイトさんは得意そうに口元だけで笑ってみせるだけだった。なんでこのひとはこんなに寝たフリが上手いんだ、いやオレが騙されやすいだけなのかもしれないけど、きっとこれからも何回でも引っかかってしまうんだろう。オレがこのひとのそういう、楽しそうな顔を見るのが好きな限りは。
「最後まで読んだか」
「……はい、」
「なんで泣いてんだ」
「…………びっくり、したから」
オレの手をギュッと掴んだままの大きな手と、まっすぐこっちを見ているうすむらさきの両目に黙って先を促されて、またじわりと視界が滲む。
「だって、オレ、そんなの、聞いてないっ……!」
このひとの「最初」はオレの知らないおんなのこのもので、だからオレは、このひとの「最後」になれたらそれでいいって思ってた。……思ってたのに。
欲張らないように、考えないようにしてきた気持ちが、全部ほどけて涙になってぼろぼろこぼれ落ちていく。
「だから打ち明け話だっつってんだろ」
男がそう簡単に泣くんじゃねーよ、って呆れたみたいに言いながらオレの髪をぐしゃぐしゃにする手のひらと声はやさしくてあたたかい。膝の上にのせたままだった手紙を横に置いて、こらえきれずにカイトさんの体を引き寄せた。
「……かいとさん」
「おう」
「カイトさん、」
返ってくる声が好きで何回もカイトさんを呼ぶ。泣いているせいでぐずぐずになってしまった自分の声がすこし恥ずかしい。ちいさい子がするみたいに肩におでこをうずめてぎゅうと力を強くすると、同じだけの力で抱きしめ返された。
かわいくてやわらかいおんなのこにはきっとしたことないくらいのつよさのカイトさんの腕が、熱くてくるしくて気持ちいい。こうやって思いっきり抱きしめあうことは、なんだかすこし、つながることと似ている。
「昴」
「はい」
「お前は、」
オレにしかきこえない声でカイトさんが言う。返事をしろ、俺もお前も同じだろって、カイトさんがオレを呼ぶ。はい、とこたえて、もうひとつ腕を強くした。
***
20171224Sun.