セカンドピアスはおことわり 『若気の至り』。若さにまかせて無分別な行動をしてしまうこと。また、その結果。
検索結果として表示された文章を数回繰り返し目で追って、城ヶ崎昴は携帯端末を持ったまま小さくことりと首を傾げた。
「……む……?」
『無分別』。分別のないこと。よく考えないで行動すること。また、そのさま。
続けて打ち込んだ単語の意味も繰り返し読んではみたものの、先の一文は昴のなかでほどけてゆかないままだった。ソファの上で膝を抱え、喉の奥でかすかに唸りながら画面を見つめ続けていると、不意にぱんと背中をはたかれる。
「どわっ……!」
「なにひとりでケータイ見ながら百面相してやがんだお前」
「う、いや、べつになんでも……」
「どう見てもなんでもねーって顔じゃねえだろそれ。おら、ケータイ寄越せ」
「あー!」
びくりと肩を跳ねさせて背後を振り向けば、湯上がりの彼がタオルで髪を拭いながら立っていた。訝しげな表情を隠しもしない問いにたいそう素直に言葉を詰まらせた昴の隙を突いて、彼の大きな手がひょいと携帯をさらっていく。彼のうすむらさきの瞳が、開かれたままだったウェブページに並んだ文字列を辿り、合点がいったとでもいうようにすぐに端末を持ち主の手へと返した。
「気になってんなら直接聞けよ」
「……い、一応、言葉の意味を調べてからにしようと思って」
「はーん。そりゃあ珍しく殊勝な心がけだな。で、成果は」
「うぐ……」
意地の悪い顔と声で尋ねてくる彼をじとりと睨みながら呻いて返すと、呆れ混じりの短い溜息がひとつ。隣に腰を下ろした彼の手が、今度は昴の指先をさらって引き寄せる。湯上がりの手のひらの、かすかに濡れた熱さにどきりとした。
「っ、か、カイトさん?」
「んだよ」
「それはこっちの……」
セリフです、と返そうとして、続く言葉を取り落とす。熱い輪郭へ添えさせられた手のひらに気まぐれなけものの仕草で頬を寄せられた瞬間、彼のひとみから目を逸らせなくなったからだった。
「これのことだろ」
その言葉に、昴は指先をかすめる彼の耳朶の感触に気付く。普段そこを飾っている銀色は入浴のために外され、いまはやわらかな耳朶に開いたいくらかの小さな孔がリビングの明かりにさらされているばかりである。
彼に自身の胸のうちをすっかり見通されているのを理解して、思わずゆるく息を吐く。彼のうすむらさきは、昴の問いを待っていた。
「……、あの、カイトさん」
「おう」
「カイトさんの、『若気の至り』って、なんですか?」
昴の声に、彼は満足げに目を細めた。
――現在カンパニーで行われている記念企画のひとつに、ファンから寄せられた質問にメインキャスト陣が答えるというものがある。
ひょんなことからピアスについて尋ねられた彼が、「若気の至りってやつだ」と彼にしては珍しく曖昧な言を返していたのが気になって、昴はひとり辞書を引くことにしたのだった。
『若気の至り』は、『無分別な行動』だという。
いまよりもっと年若いころのことだとしても、ほかならぬ彼が、新堂カイトという男が自らの選択をそんな言葉で評するところを昴が見るのは初めてだった。
「自分の体に加工なんざいらねえ、ってのは、昔っからの持論だったんだが」
だから俺は生まれてこのかた髪も染めたことねーし、もちろんタトゥーなんざもってのほかだ。あー、いや、役は別として、だぞ。
昴の手をつかまえたまま、彼が答えを紡ぎだす。手のひらから伝わってくる声のふるえが、昴の胸裡を静かに揺らしては夜の空気に溶けていく。
「こいつは区切りっつーか、テメエに気合い入れ直すための儀式みてえなモンでな」
「…………?」
「朝日奈に。俺を拒絶したやつらに、絶対に間違いを認めさせてやる。バンドやめて、いままで積み上げてきた立ち位置全部ゼロにして、そんで今度はミュージカルの世界でてっぺん獲ってやる。そのための、……まあ、覚悟っつうのか、そーゆーことだ」
「…………、」
「自分で言うのもなんだが、たかがピアスに大袈裟だろ。……だから『若気の至り』っつったんだよ」
彼の言葉が、じわり、じわりとほどけて回路をめぐる。いまも昴の指先にふれているやわらかな耳朶、そこに開けられたほんのちいさなピアスホール越しに自分の知らない彼を見たような気がして、知らず目を細めていた。
「……でも、塞がなかったんですね」
「……悪いかよ」
「いや、よかったなって思って」
「あ?」
「だって、そこが役者としてのカイトさんのスタート地点ってことじゃないですか。だから、なんか、嬉しくて」
出会うよりも前、スタートラインから一歩踏み出すその瞬間の彼に、いまこうしてふれられることが。
彼の始まりの記憶に、ふれるのを許されていることが。
そのどちらもが昴にはひどく心地好く、ただ、嬉しかった。
「……っとに、お前なァ……」
「?どうしたんですか、って、うわっ……!」
昴の応えに彼はなぜだか困り果てたように長い息を吐いたあと、恨みがましげに視線を戻す。昴が疑問符を返すのと同時に、ぐいと腕を引かれて前のめりに引き寄せられた。
後頭部を抱え込まれて、彼の首元にぎゅうと額を押しつける姿勢がいささか息苦しい。嗅ぎ慣れたボディソープと、うすい汗のにおいが鼻先をかすめた。
「え、あの、カイトさん、なに」
「うるせえ動くなこのバカ犬」
「はあ?!」
昴の抗議など意にも介さず「うるせえ」ともう一度ひどく悔しそうな声が降ってくる。――それから、右の耳朶に熱。
「いっ」
尖ったかたちのそれが痛みであることに気付いて反射的に背を反らす。熱を持った耳朶にふれると、犬歯の先程度のちいさな痕がついていた。
それはちょうど、彼のピアスホールのような。
「いーか、お前のはずっと『それ』だからな。異論は認めねえ」
「………………へ?」
「髪乾かしてくる。先にベッド行ってろ」
「え、」
「返事は」
「いや、あの、」
「返事」
「っ……!」
ソファから立ち上がりざま、めったに見ないほどの鋭い目つきで凄まれて思わずこくこくと首肯を返す。寝間着代わりのTシャツの背中を見送って、……間。
「なん、すか、それ」
頬が熱い。額が熱い。首筋が熱い。そしてなにより、彼の青い衝動を刻みつけられた耳朶が熱い。
まだしばらく、ベッドルームには行けそうになかった。
***
20181001Mon.