allein zu Haus その日はなんだか朝から寒かった。レーラァがお仕事でバイエルン行くから、『修行サボるなよ』ってしゃがんで頭わしわしなでられて。いい子にしてたら帰りにブンデスのおみやげ買ってきてくれるって言ってた。
暗いうちにレーラァが出かけて、ぼくもロードワークに行こうとしてくしゃみした。何だかぶるぶるし始めたから学校に行く時はマフラーを付けていこうと思って、階段のぼろうとしてコケた。くしゃみしたせいかすごくのどが渇いたからお水もらおうとして台所に行って、何かそこからよく覚えてない。
ぴかぴかした鳥の絵とかシャンデリアでいっぱいの天井がぐるぐる回ってる。ぼくは床に寝っころがってて、起きなきゃいけないのに寝返りうつのがせいいっぱいだった。
(・・・コップ、われちゃった・・・)
どうしよう。水たっぷり入れてたから床もびしょ濡れだ。片づけなきゃ。
寒くて寒くて景色がぐらぐらして起きられない。きらきらしたガラスの破片がぼやけた。動こうとすると頭ががんがんしてダンプカーに乗っかられてるみたいだし息もしにくい。これじゃ修行もできないし昨日のうちに用意しておいたのに学校にも行けない。
(ハンスとフリッツと・・・ペーターと、サッカーの約束してたのに)
前の学校とは違うところだけど、やっと友だちもできたのに。約束やぶるのは悪い子だってレーラァも言ってた。
(レーラァ・・・・・・)
生ぬるい涙がぼろぼろ出てきた。修行もしてない、学校もサボった。おまけにコップ壊して床もぐちゃぐちゃだ。怒られるかな、帰ってきたらげんこつのアメアラレだと思う。でもこんなに寒くて独りぼっちで寂しいよりはそっちの方が良かった。いたい注射とかにがいお薬も我慢するから、雷みたいにびりびりする声で大きくって力の強い手でぐいぐい引っ張られたかった。
ずっと前、ここに来る前は雨の中歯をガチガチ言わせて朝を待ったりよその人たちに怒られて追いかけられるのが当たり前だったから屋根があればぜんぜん寒くない。レーラァのお家は大魔王のお城みたいだけどいっしょにご飯を食べられるしベッドもブランケットもふかふかだ。パンもお肉も緑色じゃないし野菜だってはしっこ以外も食べさせてもらえるなんて天国みたいだ。なのに今はすごく寒いのに暑くて石の壁も床も牢屋みたいで怖い。頭だけがんがん叩かれてるみたいだけど体は冷たくて手も動かせなくなってきた。
(たすけて・・・・・・)
ぼくがみんなを助けなきゃいけないのに。超人なのにそんなこと考えちゃってひっくひっくしゃっくりが出てよけい苦しくなった。
(レーラァ・・・ゴメンなさい)
帰ってきたらちゃんとあやまるから、いつもの百倍の修行だってガンバるから。だから今ここに帰ってきて、一緒にいてほしかった。
『ジェイド』
大きな手がおでこに乗せられた。
同時刻、首都ベルリンから南に約600km。ミュンヘンに本社を置く大企業の一角で商談中だったオーナーの佩用した徽章が音を立てて燃え上がった。
「総帥!」
唖然とする他社の経営責任者達を尻目にスタッフが駆け寄る。
「大丈夫だ、被害はない」
壮年のオーナーは落ち着き払った声で制帽を払うが表情は険しかった。元来、この徽章は一族の戦闘力を保障するもので持ち主と引き合ったり勝手に発光したりと超常現象には事欠かない。だが時流の変化には抗えず係累の多くが人間としての生き方を選んだ為徽章を通じて繋がっているのはごく僅かだ。今回ブロッケンJr.の衣服にも身体にも異状が認められないとなれば何らかの凶兆の可能性が高い。
「ご子息の身に何か」
「かもしれんな。―すまない、予定より早いがベルリンに戻りたい。早急に航空機の手配を」
「それじゃ迂遠だ。緊急事態だろう」
異を唱えたのはグループ内重鎮の一人だった。秘書に指示して素早く回線を開く。
「ベルリン市内で今動けるスタッフは?―すぐに本邸に向かわせろ」
大きな手がぼくをそっとだっこしてソファまでつれて行ってくれた。固い床で天井だけ見えてメチャクチャ寒かったのが何かかけてもらう。ひんやりした手がおでこをなでる。階段からおちた時みたいに頭ががんがん痛かったのがちょっとだけ無くなって息するのがらくになった。
(レーラァ・・・)
ぼく知ってるんだよ。レーラァってこわい顔だし大きいしよく怒鳴るけど本当はやさしい。レーラァに教わって大きな数だって数えられるようになったし時計だって読めるようになった。
抱っこされて頭をなでてもらってるとちょっとずつ寒くなくなってくる。
遠くでチャイムの音がした。ずっとなでてくれてた大きな手がはなれていきそうになる。さみしい、おいていかないで。
「行っちゃやだ」
制服の裾をぎゅっとつかむとその人はこっちをむいて笑って、もう一回なでてくれた。
『少しだけ、いい子にして待っていてくれ』
自宅より桁違いにでかい門の前でオレはチャイムを連打していた。壊れてねえかコレってぐらい誰も出てこない。本家のおっさんはともかく滅茶苦茶足の速い新しい親戚のちびも、だ。
と、風もないのに重い鉄格子の門が開いた。
「・・・ドロボー入るぞ」
開いてるなら最初からそう言えって。ぶつぶつ言いながら小走りでピッチ一つ入りそうな庭園を駆け抜ける。さっきまでチームメイト達と練習中だったもんだから、クールダウンにもなりゃしないけど。
アカデミーでの大事な練習中にいきなり父ちゃんから連絡が入って本家行ってちびっこの様子見て来いって早退させられた・・・子供には子供の都合ってもんがあるんだぞ。
本家のおっさんはでかくて怖いけど小遣い沢山くれるから好きだ。最近増えた子供(最初孫かと思った)もちびだけど運動神経良いからまあ面倒は見てやる。でも超人だからウチのチーム入れないっていうのはフジョーリすぎると思う。
玄関でまたチャイムを押してもこれまた応答は無くて電話で済ませば良かったんじゃないかと気づいた辺りでカチリと音がして分厚いドアに隙間ができた。一瞬ほっとしたもののエントランスには誰もいない。
・・・ホントにドロボー入ってたりしないよな?
おそるおそる家の中に入るとホーンテッド・マンションみたいな屋敷の中は静かなもんだった。小遣い額に比例してだだっ広いスペースに彫像とドアがずらりと並んでる。
「・・・・・・ジェイドー?いるかー?」
返事はない。いつもなら元気いっぱいのちびとごつくてデカいブロッケンじいさんが出てくるのに静まりかえってるだけで幽霊譚だの宝箱だの五つや六つはありそうな雰囲気だ。
(・・・何だ、大丈夫そうじゃん)
物も壊れてない、火事とかになってる様子もない。このまま帰って父ちゃんに手間賃がてらヨーロッパ・パークの新アトラクションでもねだろう。
そう思って、回れ右しかけて―気づいた。
口うるさい親もいないのに静かにしてる?―基礎学校入り立てで、いつも遊びたくてうずうずして上級生の話なんてろくに聞いちゃいねえちっちゃい子が?
「ジェイド!!」
大声上げて一番手近なドアを開ける。―いない。
「ジェイド!どこだよ!?いたら返事しろ!!」
スポーツバッグを背負ったまま手当たり次第にドアを開けていく。オレだったら親が揃って留守なら小躍りしてゲームしたりブンデスの録画見まくる。いくら家が広いっていってもどたばたしてたり笑い声が聞こえたりするはずだ。どこにいるんだよ!?
「ジェイド!!出てきなよ、怒ったりしねえから!」
頼むから―頼むから、普通にほっぺにクーヘンのかけらでもくっつけて目を泳がせて『あ、今きたの?気づかなかった』とでも言ってくれ。今なら一発こづくぐらいで済ませてやるから。
廊下が開いたドアだらけになる。いっそ二階から潰していくかとホールの階段を睨んだとき、目の端で誘うように細い隙間から見えた部屋に気づいた。
ドアを勢いよく開けると部屋に明かりが入る。ソファの上にほこり避けの毛布が丸められて―いや違う、その下に子供がいる!
「ジェイド!!」
駆け寄って抱き起こすとジェイドはぐったりしてる。すげえ熱だ!
ちっちゃい体を膝で支えたままバッグの中を探ってスポーツドリンクをストローで飲ませるとジェイドはぼんやりと目を開いた。
「兄、ちゃん・・・ごめんね、サッカー・・・・・・」
「バカ、いいよそんなの」
ジェイドが楽なようにもたれさせてケータイから救急車を呼ぼうとするものの手が震えてうまくいかない。ああクソっ!落ち着け心臓!
深呼吸してせめて家に助けを呼ぼうとした。その時、チェンバロみたいな机の上のメモ帳が一枚剥がれ空中に浮かび上がった。風でも入っているのかと思って窓を探したオレの目の前で古風なペンまで宙に浮く。
(え・・・・・・?)
唖然としながら見ているとペンは誰かに握られているようにちょんちょんとインク壷に先端を傾けさせ紙面にさらさらと文章を綴っていく。
『アルベルトの所の息子だね?』
「!Ja, mein Herr!―賢く勇敢な当主様のおかげで僕ら一族、土に根ざして日々清らかにパンとワインを―」
反射的に背筋を伸ばして家で叩き込まれた本家用の口上を口にする。ジェイドを寄りかからせてるから気をつけはできないけどジュッターリン書体読めて良かった!ダンケ父ちゃん!
『そう畏まらなくていい。―その通信機で、君の父親にコンタクトを取って欲しいんだ。―緊急事態、超人男児高熱。発熱から8時間経過。フンボルト大学超人附属病院の特別室を手配されたし。救急外来にアウグストと超人医局部長を待機させよ。―髑髏の誓約の名の下に、と』
その後すぐに救急車が来て手早くジェイドをパッキングして連れて行った。タンカに固定されたジェイドが弱々しく『ダンケシェーン・・・』と笑うもんで正直泣きそうになった。すっ飛んできて一部始終手配してくれた父ちゃんが『ご苦労さん』と頭を撫でてくれてやっと足ががくがく震えてたことに気づいた。
その夜だ。父ちゃん達が頑張ったご褒美ってレストラン連れてってくれたけどジェイドの容態が落ち着いたって連絡入るまで正直カツレツもクネーデルも喉を通らなかった。やっと緊張が解けたところで思い出した。
―アルベルトってのはじいちゃんの名前だ。
「じいちゃん、本家の人達と仲良かったの?」
「何じゃ藪から棒に。お前の親父の世代まではあそこが一族の修行場所だったぞ」
じいちゃんは嬉しそうに葉巻をカットする。さっき届いたヤツ、いい匂いだから多分いいヤツだ。
「アウグストって親戚のお医者さんだよな。すっげぇエラいおじさん」
「ふむ、確かもう大学教授じゃな。儂や先代の頃には医学部目指す若造だったのが・・・時が経つのは早いもんだ」
話してる間にちょっとずつ葉巻が燃えていく。しわしわの鷹みたいな顔したじいちゃんや本家のおっさんもオレ達みたいに練習とか合宿してた時代があったなんてちょっと不思議な気分になる。
「あの、さ。じいちゃんとかアウグストおじさんって本家に知り合いいたりする?」
しかも、人間でも超人でもない何かの。
あの後ペンとメモ書きがどうなったかは見てない。けど、駆けつけた父ちゃんも救急車の人達も特に驚いてた覚えはないんだ。
「本家に・・・?同世代ならそりゃよくつるんだし下の世代ならいつまで経っても小僧みたいなもんじゃが・・・どうした?」
「あのね、あのね!」
樫の木をくり抜いて作った家みたいな優しい声に促されてオレは今日の出来事を詳しく話した。時間が経つとすげー冒険したって気がするんだ。庭は噴水まであって家の中は迷路、おまけにじいちゃんやアウグストおじさんまで呼び捨てにする謎のご主人様まで不思議なことでいっぱいだ!
「・・・で、父ちゃんに連絡してくれって言われたから必死で文写したんだ。確かこのケータイに・・・アレ?」
ジェスチャー付きで大興奮しながら話して、じいちゃんに証拠の文面を見せようとケータイを取り出して気づいた。
アルファベートが全部文字化けしてる。
慌てて他のメールを見るとそっちは全部無事だった。今文章打ち込むのにも問題はない。送信時間からして本家から送ったのはこれのはずだ。
「そんな・・・父ちゃんはちゃんと分かったのに」
すぐにジェイドが入院できて数時間で回復したんだから父ちゃんには指示がちゃんと伝わったはずだ。でもこんな暗号文じゃMI6だって解読できっこない!
「ウソじゃないよ!じいちゃん、オレ本当にちゃんと送ったんだよ!?ドクロのセイヤクって!」
「うむ」
じいちゃんは葉巻の紫煙をゆっくりくゆらせた。
「誰も疑っとらん。お前は立派なことをしたんじゃ―世の中には、不思議なこともあるってことだ」
休みには遊園地に行こう、ようお休み。とぽんぽん肩を叩かれたもののオレの目はケータイのディスプレイに吸い付いて離れなかった。
週末に珍しく父ちゃん達が連れてってくれたテーマパークで絶叫マシンがんがん乗り回して本家の恐怖体験をすっかり忘れ去った頃、帰宅した父ちゃんが『お前にだ』と封筒をくれた。成績表じゃあるまいし、首を捻りながら開封したオレはそのまま飛び上がった。ブンデスリーガの優待パスだ!
ジェイドが退院したら一緒に観戦することが条件と言われたが願ったり叶ったりだ!友達とちびっ子達ごと連れてってやる、早く良くなれよジェイド!
更に数日後、ジェイドがぶっ倒れる前にブロッケンじいさんがこの真冬にバルト海を寒中水泳で一周させてたことが発覚して親戚達に大目玉を食らってた。何考えてんだよ!?この季節、北欧寄りのエリア凍結しててバイキングだってロシア人だって渡れねーんだぞ!しかも父ちゃんによると、今まではギムナジウム中学年辺りでやってた特訓らしい・・・小遣いとか優待パスとか色々くれるいいおっさんだけどオレも今回だけは味方する気になれなかった。
「・・・超人も大変だな」
ようやく大部屋に移れたジェイドの見舞いで髪をそっと撫でてやるとちびっ子はちょっと疲れた、子供らしからぬ顔で笑った。