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    銀嶺の訪問者 ドイツの冬は早い。特にバルト海の向こうにスウェーデンを臨み、数百km西進すればデンマークとの国境も意識されるベルリンでは尚更だ。夏の終わりから気温の日較差が大きくなりクリスマス商戦も開始される。焼き栗売りの声が聞こえ子供がどっしりした伝統菓子を親にねだるようになればもう冬の気配だ。
    「ジェイド、芋と野菜の準備はできたか」
    「Ja, Lehrer!ちゃんと大きさ揃えたからチーズたっぷりつけられるよ!」
     弟子の元気な返事にブロッケンJr.はよしよしと頷いた。包丁の音が規則的に響き、コンロに置かれた鍋の中で牛乳が温まっていくのをジェイドが一生懸命見上げる。四種のチーズを刻んで手際よく鍋に流し込んだレーラァが苦笑した。
    「本当は白ワインでやった方が美味いんだよな。うちは何せ『おこちゃま』がいるから、スパイスも控えめにしておこう」
    「おこちゃまじゃないよ!もう八才、お兄ちゃんだもん!」
    「ワインとウイスキーの旨さが分からないようじゃ、まだまだお子様だな」
     小さな弟子がぶうっとむくれる。修行時間外はいたって剽軽で物分かりのいい師匠が笑い声をあげた。
     ジェイドを引き取り、時間と金には困っていないしひとまず食育とやらをやってみるかと重い腰を上げたのが数年前。実に惨憺たる有様だった。火が入りすぎて岩みたいにかっちかちになったオムレツ、これでもかと茹ですぎて色も原型も留めていない野菜の付け合わせ。
    『・・・まずかったら残していいぞ』
     流石にこれはやりすぎた。そういえば昔野外演習で炊事班に回ったときも火加減だの切り方だのでえらいことになって親父が苦笑したものだった。フォークで妖怪がのたくったような卵をつついていると向かいのジェイドが顔を上げた。
    『美味しいです~。あったかくて、ムッティが作ってくれたのとおんなじ、やさしい味です・・・』
     育ての親を亡くし一年放浪生活を余儀なくされた小さな弟子はぼろぼろ涙をこぼしながら卵と野菜の成れの果てを貪っていた。かつて殺人鬼と謗られた自分も流石に良心が咎め、出入りの業者が整備していったネット回線や生鮮食料品店のレシピと悪戦苦闘することになったのだった。
     食卓にバゲット、芋、野菜、茸、干し肉をてきぱきと並べたジェイドが漂うチーズの香りに顔を緩める。さっきまで固体だったのにとろりと牛乳ととろけて修行の疲れも吹っ飛ぶようないい匂いだ。手元を覗き込もうと足下をちょろちょろ動く弟子にブロッケンJr.は笑いかける。
     気づいたのはほぼ同時だった。ジェイドが窓の外に顔を向けすんと鼻を動かす。ブロッケンJr.は一度火を止めた。
    「ジェイド」
    「Ja, Lehrer!」

     生家と大して変わらない緯度にあるはずなのにこの地域は寒い。捨て去った故郷では稀だった雪がいずれ異邦人である自分を追い立てるだろう。
     少年は生まれ育った壮麗な牢と似たような規模の邸宅を前に立ち尽くしていた。数十年前、欧州を震え上がらせ名誉ある血統の父祖達から唾棄されていた残虐超人の巣窟。足が向いたのはほんの気紛れだった。家を出て何年も経ち、衆に抜きんでた者であることを強いられた自分のことなど既に記録から抹消されたことだろうと呪詛を吐き大陸に渡った。父親のような行儀のいい騎士道など一顧だにしない、血に飢えた冷酷非情な一族を見てみたかった。それなのに。
    (・・・とんだ腑抜けだな)
     目の前の窓から室内の明かりと共に漏れ聞こえる光景は正しく茶番劇だった。かつて両手を血に染め耳をつんざく悲鳴に高笑いしたであろう男は厨房に立ち好々爺の笑みを浮かべ幼い息子は溺愛されて幸せに育った者特有の何の悩みもない顔をしている。
     金属の仮面とピアスから暮色の冷気が伝わってきた。唇を噛みしめ少年はコートの前を掻き合わせる。生来の恵まれた体躯は成長期を迎えより強靱な鋼の鎧となりつつあった。それなのに、こんな情景一つに容易く穿たれる。
     いつになれば苛立たずに済む。いずれ父親も見る影もなく老いる。国境まで越えたのだ、追っ手はかかるまい。膂力もつき岩のようになった両の拳ならばそう遠くない内に父とその取り巻き達が築き上げた物全てを破壊できるはずだ。その時こそ、空虚な精神が埋まる。
    (こんな物に・・・悩まされずに済むようになる)
     目に沁みる光に両眼が白熱しかけた。その時、勢いよく扉が開く音がした。
    「いらっしゃいお兄ちゃん、夕食できてるよ!」
     光が飛び込んできた。
     どこをどうやって屋敷に入り生活空間に通されたのかは覚えていない。ただ気づいたら半分ぐらいの背丈しかない子供に手を取られ、迎えに出てきた父親とぎくしゃくした足取りで対面した。
    「レーラァ!」
     何が嬉しいのか子供が歓声を上げる。古強者の一瞥にぎくりと体が強張る。父親の知己ならば出奔の噂も耳にしているだろうし自分の風体で察しがつくはずだ。仮面の下に汗が浮かんだ。
    「・・・ようこそいらした。外は寒かったろう、暖炉にあたられると良い。ジェイド、上着を預かって差し上げなさい」
     ヤー!とちびが応え反応するより先にコートを剥がれる。夕食前だったのか手際よく食卓に椅子を用意され食器を並べられる。薄切りの肉や玉葱の強めの香りが鼻孔をくすぐった。
    (・・・ドイツの夕飯は火を使わないんじゃなかったのか)
    「一般の客が来る時はカルテスエッセンもいいが発育が心配でな」
     加熱した乳製品の香りに顔を上げるとスパイスとガーリックをほんのりきかせたフォンデュを満たした鍋を持った伝説超人がいた。誰かの為に親が手ずから厨房に立って作った食事。知らず喉がごくりと鳴る。
     と、低い位置から袖が引かれた。
    「お兄ちゃん、お兄ちゃん。あのね」
     一大決心した顔でちびが見上げてくる。何だ?
    「これ、コートに入ってた」
     差し出されたのは家出してからすっかり手放せなくなったチョコレートバー。売店でいつもまとめて買ってポケットに突っ込んでいるやつだ。
     さっき二回りはでかい俺の手を恐れげもなく取っていたちびは俺の顔と安菓子とを交互に見つめている。父親の方を振り仰ぐとそっぽを向いていた。どうやらガキ同士のやり取りには口を出さない方針らしい。
    「やるよ、それ」 
     ちびの顔がぱっと明るくなった。どうせ一山いくらのスナックだ、久々に暖房の利いた場所で温かい食事を取れるなら代金としては高くない。
    「ダンケシェーン!」
     ちびが嬉しそうに笑う。ああ、ドイツ語に馴染みはないがこれは知ってる。[ありがとう]って意味だ。

     ちびの機嫌が良かったせいか夕食は滞りなく済んだ。ちびは修行の大変さについて熱弁を振るい学校の宿題に愚痴り俺の話を聞きたがる。出自を特定されないよう慎重に、近隣地域での話を当たり障り無くしてやれば知ってか知らずか父親がそれに乗り昔の留学経験や物見遊山の話を語る。
     ずっと外を流れてきて、夜が更けると同時に点っていく家々の灯に精神をかき乱されて郊外で夜を明かすという日々が続いていたせいだろう、冷えた体にミルクベースのチーズフォンデュはひどく温まった。外界の寒さから隔絶され、光の中に迎え入れられたような気がした。偽りだらけの仮初めの邂逅でも、満たされたような錯覚があった・・・だから唯の気紛れだ、伝説超人が中座した際にちびがトレーニングの悩みを打ち明けてきた時、柄にもなくアドバイスじみた答えを返してやったのは。
    「兄ちゃんすごい!」
     ちびの顔がみるみる驚きに染まり、次いで興奮した顔で俺を見上げてきた。実家では当たり前の知識だというのに、きらきらした目の輝きに正直気圧された。
    「すまんな、年の近い超人と話せる機会が中々無くてな」
     余程動揺していたのか、父親の気配を悟れなかった。銀のトレイを抱えた伝説超人は三脚のカップを下ろすー濃厚なチョコレートの香りに歓声を上げたジェイドの前に、そして俺の前にも。
    「え・・・これ、俺にも・・・?」
     見た目で分かる。実りの秋に相応しい、素朴だが甘みとコクの強いドイツ菓子そのもののようなホットチョコレートだ。嗅覚から強く惹き付けるような香りと子供だけに振る舞われそうな絞り出しクリームに判断が追いつかない。
     冬の雪山みたいな面構えの伝説超人は重々しく頷いた。
    「ああ、お前の分だ。ジェイドにチョコレートをくれただろう?良い子には御褒美があるのが当たり前だ」
    「おれ、兄ちゃんみたいなすごい正義超人になりたい!」
    「なら算数の宿題もまじめにやらんと。なあ?」
     ごく自然に発話を促される。レースめいた白いクリームとヴィクトリア朝のドレスを思わせる柔らかなブラウンの水面にすっかり目を奪われていた俺は思わぬ三連撃を強かに食らって内心焦る。
    「え、ああ。そうだぞジェイド。さっきニンジン退けようとしてただろ。好き嫌い無く沢山食べてちゃんと勉強しないと、立派な正義超人になれないぞ」
     俺が言えた義理じゃないだろう!
     ジェイドは口をひん曲げて抗議の意志を表して伝説超人ブロッケンJr.は呵々大笑している。何だか全部見透かされてる気がして、むくれた俺はカップの中身を口に含んだ。目の前の光景が滲み、冷え切った空っぽの心を温かいココアが満たしていった。
     
     冬の足音がする。ドイツの短い秋が終わり、朽ちた葉は風にさらわれ日が傾くのが早くなる。外套の準備をしたジェイドがふと窓の外に目をやる。朧気に目に浮かぶのはこの時期の夜空を思わせる紺青の仮面をつけた少年の姿。
    「レーラァ、あの時の『お兄ちゃん』って・・・」
    「猫だ」
    「え?」
    「お前の夕メシのバゲットと牛肉に誘われてふらふらついてきた、腹を空かせた黒猫さ」
     師の言葉にジェイドは黄昏からサファイアに染まりだした天頂を見上げた。瞬き始めた星はあの日見た少年の不撓に輝く眼差しを思い起こさせた。
                            *          *

    「あー、あの時期ドイツ方面にいたのか。運が良かったな、ロビンの奴ヨーロッパ全土に手配書回してたからスペイン来てたら匿いきれなかったぜ」
    「20年引きこもって世事に疎いフリをしていたのが功を奏したでござるな、ブロッケン」
    「おいおい、人聞きが悪いな。俺はブランク埋めるのとジェイドの育成に全精力つぎ込んでてほかん所のお家騒動をついうっかり失念してただけだぞ」
    「・・・というか、気づいてたなら言ってくださいよっ!『ここの人達なら誰も俺を知らない』とか悦に入ってた俺がバカみたいじゃないですかっ!!」
    (気づかない方がバカだろう・・・)
     同窓会と称して久々にドイツに集まった面々が生温い視線を若い超人に向ける。確かに寸高く堂々とした体躯に育ったものの、中身はまだまだ練れていない。
     相変わらず伝説超人には掌で転がされているような気がして彼はマスクから覗く金髪をがしがし掻いた。そんな青年に同世代の超人達から声が飛ぶ。
    「おーい、そろそろ雪中行軍出発するぞー」
    「もう皆準備できてるぞ?レーラァ、行ってきます!」
     弾むような声。ブロッケンJr.が鷹揚に頷くと青年が立ち上がった。
    「今、行く!」
     鉄仮面の若き超人は仲間に応えて駆けだした。
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    2019/05/27 21:10:42

    銀嶺の訪問者

    #小説 #キン肉マンⅡ世 #ブロッケンJr. #ジェイド
    過去作。冬のドイツ師弟団欒と海を越えてやって来た珍客の話。

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