剣と牙 昼下がりのティーラウンジで橘は人を待っていた。昼食の時間帯を過ぎ、家族連れよりは年配の客が目立つ。いつもならば目上の者を待たせることはしない相手だが何せ時期が悪い。待ち合わせの時間にはまだ余裕があるし決定的な遅れでもあるようなら連絡が入るだろう。
そう思ってカップを傾けた男の感覚に響くものがあった。入り口を見やると長身のトラッドな服装の青年が入ってくるところだった。ほぼ同時に気づいたのかこちらに目をやりきびきびとした足取りでやってくる。
「よう」
「申し訳ありません、お待たせしました」
片手を挙げて挨拶すると青年は折り目正しく頭を下げる。変わらない律儀さに苦笑した。
「気にするな、遅れたわけじゃない。名護の方だって忙しいんだろ?」
「そう言って頂けると助かりますが…今日は睦月君は?」
「大学が忙しい時期だそうで、悪いが俺だけだ」
ウェイターにコーヒーを頼んだ名護の表情に気になるものを見てとり橘は問いかけた。
「少し疲れているみたいだな…噂には聞いてる。厄介な相手なのか」
青年は無言だった。名護啓介のプライドをしても即否定しきれないあたりで事の重みが分かる。
「ネオファンガイアと名乗ってはいるものの指揮系統も装備もファンガイアとは別物です…だからこうして貴方に協力を仰いでいる」
「そうだな。うちのシステムだとアンデッド以外は封印できない。青空の会ばかりに背負わせちまって悪いが、出来るだけのことはさせて貰うよ」
応えながら橘は初めて青空の会に関わった頃の事を思い返していた。
『害を為す可能性があるアンデッドが残ったのなら任務はまだ終っていないのではないでしょうか』
異種族の生態に関する臨時講師として数年前に青空の会に招かれ、戦闘経験も踏まえた講義を行った時に一人の会員が質問してきた。少年らしさを残した若者とはいえあまりに立ち入った内容に周りはざわつき支部長は苦い顔をした。橘にとっては何のことはなかった―何年も考え続けてきたことだったからだ。
『そうとも言えるな。一人が勝ち残らなかった以上、バトルファイトは終っていない。可能性だけならいつ再開されるかも分からない』
『だったら!』
『確かに当時もう俺はギャレンになれなかった。が、今なら別だ。技術も進んでベルトだって開発し直せるだろう。ただし、それ以上に』
橘は言葉を切って質問者の目を見た。戦闘職にしてはまだ初々しい眼光は一瞬たじろぐが恐れ気もなく見返してきた。その苛烈な表情に燃える正義感を見出したからこそ、そして危惧したからこそ伝わるように真摯に続けた。
『―名護君、と言ったかな。ジョーカー二人は両方とも俺の友だ。一人は俺の後輩で、一人はぶつかり合うこともあった戦友だ。今この時も人を想い動いている事も人の為に戦い続けていることも信じられる。それが一番重要なんだよ』
散会し、支部長に連れられていく時も若者はどこか不満げだった。今は意味が分からないだろうがいずれ思い返してくれればいい。名護の物言いに桐生の生き様や後輩達の表情を重ねた橘はそう願ったのだった。
「…あの時は、本当に失礼を…」
額を押さえ呻くように名護が謝罪する。これだけでファンガイアとの戦いは彼を大きく変えたのだろうと実感する。
「若いうちなんてそんなもんだろ。生意気なこと言うぐらいが丁度いいんだ」
橘は一笑に付す。上城睦月は名護と同年代だしBOARDの後輩はバディを組んだ時今の彼ぐらいの年頃だった。その負けん気やバイタリティには目くじらを立てるより懐かしく思う。
「けど成長したな。お前に気遣われるなんて思わなかった」
「…渡君も似たような悩みを抱えていたので」
短く答え名護は渡された報告資料を捲る。剣崎の事を聞き二つの種族の血を引く者として積極的に実験に協力してくれた青年の名前を耳にして橘は納得する。紅渡に関わる過程で橘や剣崎の現状を思いやったと言うのならこの変貌ぶりも頷ける。
「それで良いんだ。守るべきものの価値を知ってるやつは強いよ」
関係ないようでいて重みのある言葉だった。顔をあげた名護は知性的で穏やかな風貌に湛えられた笑みを直視する。
アンデッドとの戦いに関する報告書は青空の会でも閲覧できた。ライダーシステム開発中の事故により候補者は重傷、研究職の橘朔也が急遽戦闘要員になる。過酷な戦いはやがて心身を蝕み一時はシュルトケスナー藻すら必要とした。戦闘に巻き込まれ同期の女性が死亡、前後して上述の元適格者もアンデッドに襲撃され死亡した。
「…昨年の戦いで失明しかかりました」
「聞いてる。大変だったろう」
橘は頷く。お互い銃と肉弾戦を主にした戦い方だ、視力の低下がどれだけの危険を招くかは想像がつく。ましてや組織筆頭のライダーが負ければ敵への対抗手段はほぼ無くなってしまう。
「けど思いました…恵でなくて良かったと」
名護の手が震え、拳を形作る。一歩間違えれば自分も全てを失っていた。愛する者も戦う意義も失っても自分は戦いに復帰できただろうか?あの時庇えたとしても、次は?
失った者と守りきれた者と一口に線引きしても、思ったほど差異はない。
「誰よりも強い戦士で在ろうとし、戦えなくても同僚や後輩のサポートに真剣になる君が、俺は嫌いじゃない」
長い腕が伸びて容赦なく名護の肩を叩く。
「嬉しいんだよ。戦ってるのは俺達だけじゃないって思える。青空の会や登君達が提携してくれることで研究も進むし医療ネットワークだって拡がる…だって喜ぶ」
小さく洩らされた人名が誰のものだったかは流石に聞き取れなかった。
「では橘さん、俺は支部に戻ります」
「ああ、嶋さん達にも宜しく言っといてくれ」
「はい。次はマル・ダムールにでも」
名護を見送り受け取った資料を揃えて橘は目を瞬いた。活動予定表の中に誤字を見つけたのだ。
「なんだ…名護にしちゃ珍しいな。部外者も参加できるってことは基礎訓練の一貫か?」
丁度いい、睦月も煮詰まっている時期だろうし誘って申し込んでみよう。できれば始や栗原親子、虎太郎や栞の都合も合えば…
橘の顔には屈託のない笑みが浮かんでいた。