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    一ヶ月の恋人〜霊力枯渇の談〜


    【霊力枯渇症は予防が大事】

     三つ折りの折り目が付いたA4の紙の上段部、デカデカ書かれた文言と管狐のイラスト(キュートデフォルメバージョン)、それにこんのすけが持ってきた手のひらサイズの機械を見て、私は首を傾げた。

    「何これ」
    「はい! 審神者様におかれましては日々ご健勝のことと思われますが、本丸のますますの発展と審神者様のご活躍を祈り……」
    「あ、そういうの良いから」

     書面を意気揚々と咥えて持ってきたこんのすけが誇らしげに胸を張り、朗々と演説し出したので遮る。こんのすけはちょっと拗ねたような顔をした。ごめんて。

    「【霊力枯渇症】は日頃の予防が大事なんですよぅ! 体力が落ちる暑い時期は特にです! 自分には潤沢な霊力がある、と豪語する方に限って日頃の無理が祟ったりなさるんです。日々きちんと、こちらの機械……霊力計で数値を計り、己を可視化し、自己管理に努めていただきませんと!」
    「はぁ」
    「なんですかそのやる気のない返事は! こまめに霊力を補給し、少し体調が悪いな、と思ったらむやみに仕事などはなさらず、適度に休息を取る! これが正しい審神者の霊力枯渇症回避の定石でございます! もっとも死に近づくこの時期だからこそ精力をつけて……」
    「なんか土用の丑の日みたいなこと言ってるね」
    「審神者様!!」

     小さな前脚でタシタシ畳を叩く管狐。だって、何の説明もなく、そんな熱中症の予防みたいなこと言われても。

    「審神者様は霊力枯渇症の怖さを分かっておられません! これにかかればたちまち……」
    「急激な吐き気、目眩、頭痛などに襲われ、放っておくとその内けいれんが起きて自力では政府に連絡もままならなくなり、最悪の場合は死に至るケースもある……っていうのはこのプリントにも書いてあるから、何度も言わなくて良いよ」

     プリントの文面を見せるように言うと、こんのすけはムゥと押し黙る。

    「分かっていただけているなら、よろしいのですがぁ……」
    「待て待て、全然分かってないから。いや、ぼんやり「霊力が足りないと大変なことになるんだなぁ〜」ってことは分かったけど、予防方法が全然分からんから」

     こんのすけは、はて、と首を傾げる。

    「すべてプリントに書いてございますよ。
    【日々きちんと霊力計で己の霊力数値を計って自己管理をする。】
    【体調が悪い時には適度に休憩を取り、自然回復に努める。】
    【こまめに霊力を補給して、急激な霊力消費に備えておく。】
    基本的にはこの三点を守っていただけたら完璧にカバーができるかと……」
    「はい、質問。その、【こまめに霊力を補給して、急激な霊力消費に備えておく。】っていうのが良く分かんないんだけど」

     挙手をして尋ねれば、こんのすけは「あぁ」と心得たように頷き

    「刀剣男士と接触をすればよろしいんです!」

     と、胸を張って宣言した。


       ◆


     ベチーン!!
     執務室の床に書類を叩きつけ

    「なんっなのこのアホ文書は!! 無駄に税金使いやがって! こんなペラ一作る金があったら、その分霊力補給ドリンク開発にでも突っ込んだらどうなのよ!!」

     と吠える。説明をしたこんのすけは、あんなに意気揚々としていたくせに、途中から私の眉間の皺がどんどん深くなるのに怯え始め、その頃にはすでに部屋の隅っこで尻尾を隠して震えていた。

    「あの、あの、それはまだ開発が間に合ってませんで、誰しもに副作用のない霊力補給というのは難しくて、その」
    「この際、副作用があろうがなんだって良いわ!! こんな、こんな……サクッとチューして補ってくださいなんて、こんなバカみたいな予防方法がある!?」
    「そ、それは一例でして、審神者様の霊力浸透率が高ければ、手を繋ぐだけでも十分、」
    「あぁそうですか、ならダメだった時どうすんのよ!! 手を繋いでもダメだったからチューしてもらっても良いですか、ってあんた自分の部下に言える!? こんなんセクハラお縄案件だわ!!」
    「それはぁ……」

     途方にくれたようなこんのすけが項垂れる。

     氏曰く……【霊力枯渇症】とは、まさしく熱中症みたいなもの、らしい。
    審神者は刀剣男士の生命維持に霊力を使っている。霊力がなければ刀剣を顕現できない……つまり、審神者の職は霊力ありきなのだ。
     ところがその霊力、体力と同じような節があり、使えば使うほどなくなっていく。体内から無尽蔵に湯水のごとく湧き出るものではなくて、使い過ぎたら休んだりして自然回復をさせなければならない。
     つまり【審神者適性がある】という条件の中には、【元々持っている霊力が多く、多少減っても自然回復で事足りる人物】ということも含まれているのだ。
     しかし時折……夏の暑い時期などは特に、人の身体にはあらゆる負荷がかかるもので。刀剣も、夏場はいつもより霊力を多めに食う。するとどうだ、いつも通りの出陣でも霊力がごっそり減り、審神者の身体は急激な霊力不足に陥ってしまう。
     では、霊力不足になるとどうなるか。
     元から身体に備わっているものが急激に消費されると、当然、身体のバランスが崩れる。バランスの崩れは熱中症に似た症状として身体に現れ、時には命までも奪う……この症状を【霊力枯渇症】という。なんとも厄介な話だ。
     そしてその急激な霊力不足を補う方法が【刀剣男士との接触】なのだ。
     端的に言うと、刀剣男士から戻してもらうのだ。霊力を。
     簡単な接触で戻る審神者もいれば、より接触面の多い接触、ないしは口から直接注ぎ込む経口摂取でなければ体調が回復しない審神者もいる。
     そして自分にどのくらいの霊力浸透率があるかは、各本丸で実験して確かめてください……と。要はそういうことらしい。

    「マジでアホ極まってない!? これが現代日本の民主主義世界で罷り通ることなわけ!?」
    「審神者適正のある人間は世の中にあまりいないんですよぅ、薬で副作用が出て最悪死に至ってしまったら、全損ですから……」
    「少ないからこそもっと大事にしよう!? 国の機関でしょ!? 福利厚生しっかりして!!」


     書類の上に思い切り手をついて、こんのすけを睨みつける。

    「今度私の前にこんなアホ文書持ってきたら、あんたのことフォックスファーにして冬に暖取ってやるからね!!」
    「ひえ」

     こんのすけは、きゅ、と己を抱いて縮こまった。その首根っこを捕まえて、問答無用で外に出す。「審神者様ぁ」と情けなく鳴く管狐を絶対零度の瞳で見下ろし、

    「この話はこれで終わりよ。二度としないで」

     と告げて襖をぴしゃりと閉めた。一人になった執務室でかぶりを振って、先の話を聞いて真っ先に浮かんだ……想い人の姿を頭から追い出す。

    「ウガーっ!! 心頭滅却煩悩退散、考えない考えないかんがえないっ!!」

     この話はこれで終わり。
     本丸にいる彼に……密かに思っていた相手に迷惑をかけることもない。刀と審神者の領分をきっと守っていける。そのはず。
     私はすぐさま書類をシュレッダーにかけ、それをさらに千切って念入りに処分し、こんのすけが残して行った霊力計の機械を押入れの奥に仕舞い込んだ。誰にも話が漏れることのないように。
     こうして私は【霊力枯渇症予防】の件を、なんなく執務室内で握り潰したのだ。



     そう。これでこの話は終わりになるはずだった。ところが。
     夏が深まるにつれて、嫌なことに気が付いた。
     体調が悪いのだ。
     最初は熱中症かと思って水分と塩分を取って、規則正しく生活をし、クーラーをきちんと付け、無理はしないで過ごした。
     しかし一向に改善されない。どころか仕事をすればするほど体調が悪化する。
     ──これは、もしや。
     脳裏に嫌な考えが明滅する。こんのすけの、ほれ見たことか、という顔が浮かぶ。その度に私は首を振って、その考えを追いやってきた。私は【霊力枯渇症】なんかじゃない。そんなバカみたいな病気にかかって、刀に望まぬ接触をしろと命じることになるなんて、そんな政府の思うツボみたいなこと!
     だがそんな誤魔化しも長くは続かず。
     無理を押して仕事をしていたら、ある日、立ったり座ったりするだけで立ち眩みがするようになってしまったのだ。少しのことでも息が切れ、頭は痛み、胃はムカムカし、常に食道まで胃液がせり上がってきてるよう。これは本格的にヤバい。
     危機感を覚え、仕事を終えた夕飯前、そっと押入れの中から件の霊力計を取り出した。必要ないと仕舞い込み、今日まで陽の目を見ることがなかったそれ。
     ──……いや、これは念のためよ。ほら、自主健康診断的な? 別に霊力数値を図るのは悪いことじゃないし。何か意図があってやることでもないし。もしかしたら本当に治りの遅い熱中症なのかもしれないし。ね。ね?
     己に言い訳をしながら、簡易血圧計に似たそれを指先にくっつけ、決死の思いで電源ボタンを押した。数値が上がったり下がったりするのを固唾を飲んで見守る。
     その時。

     ガラッ!!

    「おい、夕飯だぞ」
    「キャァ!!」

     いきなり襖を開けられ、叫びとともに飛び上がった。振り返ると、そこには先ほどまで一緒に仕事をしていた本日の近侍、そして私の想い人でもある和泉守兼定の姿があった。

    「の、ノックくらいしてよ!!」
    「はぁ? 夕飯呼びに来ただけだろーが。いつもそんな細かいこと言わねぇだろ?」
    「それでも!!」

     私ががなったその瞬間、ピー、ピー、と測定が終わったことを示す電子音が鳴った。なんというタイミング!

    「なんだぁ?」

     音の出所を探してキョロキョロとしている彼をよそに、慌てて指から霊力計を外し、後ろ手に隠す。早くリセット、リセット……! 電源ボタンを指で探るが、今日初めて使ったのも仇になって、焦れば焦るほど見つからない。
     と、視界に影が落ちる。おそるおそる目を上げると、そこには和泉守が厳しい顔で仁王立ちしていた。

    「あ、の……」
    「今、何隠した」
    「いや、その、なんでも」
    「あんたが隠すなんてよっぽどだろ。いいから見せろコラ!」

     ゆるゆる首を振って誤魔化そうとするも、ぐっと身を乗り出され、避ける間も無く霊力計を奪われる。

    「か、返して!!」
    「なんだこれ」
    「なんでもないったら! ただの計測器で、」
    「計測器ぃ? 何測るってんだよ」
    「れ、霊力だけども」

     一瞬言葉に詰まったのがいけなかった。和泉守はそれを、立ち眩みにヨロヨロしながらも取り返そうとしていた私から遠ざけ、高みに持ち上げてまじまじ見つめる。そうしてきっぱり

    「あんたの霊力……低くねぇか?」

     と宣った。


       ◆


     結論から言うと、私は勝負に負けた。
     私の今現在の霊力数値は【39.4】。政府によれば【70.0】以上が日常生活に不備のない安全圏内とされている。逆に、自然回復では間に合わない、すぐにでも霊力補給が必要な値である危険指数とされる数値が【40.0】以下。それを下回っていたのだ。
     これで私も霊力枯渇症の仲間入りだ。

    「どうしよぉ、もう審神者やってけないよぉ」

     数値を確認し、がっくり項垂れる。その間も吐き気があって泣きたくなった。
     目の前に座っている和泉守は最初「そんなにまずいもんなのか?」と首を傾げていたが、私の掻い摘んだ説明を受け「それで体調悪そうだったんか」と、霊力計を手の中で弄びながら考え込むような顔を作っている。

    「どうしよっかなぁ……夏中休んでるわけにもいかないし。絶対しなきゃいけないことは分かってるんだけど、一体誰に頼んでしてもらったらいいんだか……」
    「……そんなら、オレがやってやるよ」
    「……は? わ、」

     不可解な発言に顔を上げると、不意に頬に触れられた。裸の指の熱と感触を感じ、一瞬息が止まる。

    「な、に」
    「いや……あぁ、確かに、じわじわ吸い取られてる感は……あるっちゃあるか」
    「え! やだ、ごめん!」

     慌てて頭を後ろに反らして逃げようとするが、和泉守は「待て待て」と両手で私の頬を挟み込んでしまう。

    「ちょっと、なに」
    「んー……これじゃイマイチ分かんねぇな」

     彼は一度私を解放し、身に着けていた手袋をずるりと外す。手甲によって重たい音のするそれを床に置くと、再びこちらに手を伸ばしてくる。

    「ちょちょちょ、ちょっと待って! ……何する気?」
    「何って……どんだけ吸い取られるもんか、直接触ってみにゃ分かんねぇだろ。浸透率、だったか?」
    「いやいやいや! 待って、おかしいってこんなの、急過ぎる! 一旦冷静になろう?」
    「オレはいつも冷静だ」
    「嘘だ!!」
    「失礼なやつだな、あんた」

     大声で抗議し、ジタバタするも、弱った身体でする抵抗は刀剣男士にとって羽虫の羽ばたきに等しい。すぐに大きな手に捕らえられてしまい、首から頬にかけてまでをガッチリと両手で固定される。和泉守のひんやりとした手の感触にゾワリと肌が粟立った。
     好きな人に触れられているという事実が、私の周りの空気を問答無用で桃色に染め上げていく。体調が悪いのもあって、このまま酸欠で倒れてしまいそう。
     和泉守はそんな私の気持ちを知ってか知らずか、そのまま私の顔を見つめて難しい顔をしている。

    「これでも微妙だな……どうだ、ちょっと体調戻ったか?」
    「え!? あ、えーっと、どうだろ、ちょっとよく分かんない」

    というか、ほっぺを親指でスリスリするのやめて欲しい。戻ったかどうかはおろか、全然ものが考えられなくなるし、和泉守的には実験の延長なんだろうけど、私の脳みそは簡単に誤解して恋心を高めて行くのでやめて欲しい。

    「あの、というかですね、和泉守さんや」
    「ん?」
    「あの、とりあえず私の話を聞いてほしいのだが、あれだよ、その」
    「話ならさっき聞いたぜ。あんたの霊力は今べらぼうに低くなってて、このままだと倒れるっつー話だろ? それ防ぐには、オレらが霊力を一旦戻さなきゃならねぇって話だ」
    「いや、それはそう、そうなんだけどさ、そうじゃなくてその……霊力を戻すには接触をしなくちゃならないわけでして」
    「だぁら今こうしてやってんだろうが」
    「あ、いや、それは本当にありがたいことなんだけど、君がさ、この役目を受け入れるとなると、その……色々弊害が」
    「なんだよ、さっきから! ごちゃごちゃ言わずにハッキリ言え!」
    「……っ最悪の場合、君は私に口吸いをしなくちゃならなくなるのだけど、そこんとこちゃんと考えてますか!?」

     ちゅ、
     目を瞑って絶叫した後、唇に何かが触れたのを感じた。思わず目を開く。暗い。何かがドアップで私の顔面に迫っている。
     和泉守の高い鼻が頬を掠め、しばらくして影がスゥと離れていく。

     ──は?

    「お。やっぱこれだとさっきより、ごそっと取られる感じすんなぁ」

     カラッと言われ、目を白黒させる。
     ──え。今何、え? 今私の口、え???

    「こりゃ確かに霊力が無い時の応急処置だの予防にも良いってのも頷けるや。どれ、もっぺん、」

     言って、もう一度唇を寄せようとしてくる。私は……
     ──ガスッ!!
     彼の高い鼻目掛けて拳を打ち込んだ。

    「人の口を実験みたいにバカスカバカスカ吸うんじゃないっ!!」

     大音声と共に立ち上がる。

    「イッテェな、何すんだ!!」
    「こっちのセリフよ、この、このっ……!!」

     鼻を押さえて喧々怒っている相手に、私の拳は怒りに震え……クッソ、好きだな! なんか、なんか怒りが霧散する! モヤモヤパーンって! 突然許可なく唇を奪われたという事実に、怒るよりも恥ずかしさが先行してくる! 腹立つ!!

    「そっちがしろっつったんだろーが!」
    「言ってない! しなきゃいけないからよく考えろ、とは言ったけど、しろとは言ってない!!」

     言い合っていると、誰かが襖を叩いた。再度飛び上がると、堀川くんの声が響いた。

    「主さん? 兼さん来てますか?」
    「あ、はい、来てる、来てます!」
    「あ、良かった。夕飯だって呼びに行ったのに、全然帰ってこないから……」
    「ごめん、ちょっと話すことあって! 先に食べててくれる?」

     追い返すように言えば怪訝ながらも「分かりました」と堀川くんは立ち去って行く。襖に耳を当て、遠ざかる足音にホッと一息。と、和泉守が言った。

    「けど、あんた実際どうすんだよ」
    「何が」
    「もうすでに体調悪くなってんだろ?」

     う。

    「数値測って、計算して、自然回復に任せてたんじゃ、この夏乗り切れねぇって分かったんだろ?」

     うぅ。

    「それなら誰かに戻してもらわにゃ、やってけねぇじゃねぇか。倒れちまってからじゃ遅ぇんだぞ?」

     うぅぅ!
     正論で滅多打ちにされ、のろのろ振り返る。和泉守は腰に手を当てて仁王立ちして、私の前に立ち塞がってくる。

    「それに、そうやって人の鼻殴れるくらいには回復したんだろ、今ので」
    「え? ……あ、本当だ」

     突然のことに気が動転して気付かなかったけど、確かにさっきまでの重怠さは見事に消えている。スムーズに立って、激昂し、人を殴れるまでに回復したのだ。

    「す、すご……回復力やば……」

     手をグーパーして感嘆する。和泉守は

    「で、どうだ。他の不調は治ってんのか」
    「うーん、まぁ、大体……」
    「嘘つくんじゃねぇぞ」

     チラリと彼が視線を向けた先には霊力計が転がっている。あれでいつでも計測できるのだぞ、という脅しをひしひしと感じる。

    「……ちょっと、ほんのちょびっとだけ、まだ少し……頭が痛いです」
    「んなこったろうと思ったぜ。ほれ、こっち来い」
    「え、え?」

     正直に申告すると腕を引かれ、霊力計を再び指に嵌められる。そうして胡座をかいて座った和泉守の膝の上に、強制的に腰を下ろされた。彼の胸を背中にして、まるで人間座椅子の如く。
     あまりの接触の多さに、頭がパニックを起こす。なんだこれ。なんだこれ!!

    「あの、あの、」
    「良いからじっとしてろ」

     和泉守は私の手を取って指先の霊力計のボタンをいくつかいじると、そのまま私の両手をホールドした。すると霊力計の画面が、パ、と【45.2】という数値を表示する。危険指数は脱しているが、まだまだ油断できない感じだ。それを彼に倣って見ていると、不意にコンマ以下が1、上昇した。

    「あ、上がった」
    「ふぅん、こんだけかけてこれか……。どうもあんたの浸透率はだいぶ低いみてぇだな。触ってるだけじゃ効率悪い。具合は?」
    「う、うーん……特に変わらず……?」
    「ちょっと試すぞ。今度は暴れんなよ」
    「え」

     試すって何を。
     聞く暇はなかった。和泉守が私のこめかみに頬をくっ付けるまでは、本当に一瞬だったから。

    「……っ!!」
    「こら、動くなって」
    「そ、そこで喋らないで!!」

     耳元で和泉守の喉が動くのを感じ、つい叫んでしまった。両手はいまだに握られたまま、私は体を固くして、和泉守のされるがまま。身じろぎも許さない彼の視線は、ずっと私の指先の霊力計に注がれている。
     これ、これいつまで続くの!? 硬直して待っていると、数値がじわじわ上がっていくのが見えた。

    「あ、ほら、和泉守、上がった! 0.5上がったよ、上がったから離してぇ!!」
    「んだよ、三十秒でこれっぽっちかぁ? やっぱこんぐらいじゃ埒があかねぇな」

     言うが早いか、今度は片手で私の顎をゆるく掴み、ぐっと上向かせた。和泉守の花のかんばせがドドンと目の前に現れ、知らず足の先が丸まった。

    「な、にするの」
    「……ちんたらやってたら、飯食いっぱぐれるぜ」
    「だからって……!」

     またキスするつもりだ、と気付いて、腕から抜け出そうと暴れる。しかし私の腹にはいつの間にか太ましい腕が回っていて、どんなに藻搔いても疲れるばっかり。こんなところでまで短気発揮しなくて良いのに!!

    「だぁ、こら、暴れんな!」
    「だって、二度も、」
    「オレだって我慢してんだから、あんたもちったぁ譲れって!!」

     ──その叫びに、思考が止まった。
     ついでに体も。ううん、体のほうが先だったかも。
     まぁそんなことはどうでも良くて、でも、とにかく全部止まった。
     「我慢」って言った。
     そうだ。私は和泉守兼定に我慢を強いている。あまりにあっさりキスされたから、その考えが頭から抜け落ちていた。
     和泉守はなにも、望んで私にキスをしてるんじゃない。
     このまま私を放置したら、仕事に支障が出る。だから、彼は私に口を寄せるのだ。いろいろなことを我慢して、飲み込んで、その末に、これが一番良い方法だと、そう判断して。
     急に大人しくなった私の顔を、和泉守はおそるおそるといった感じで覗き込もうとする。でも後ろからだから、髪に隠れて見えないだろう。……私の心底傷ついた顔を、彼に見せるわけにはいかない。傷つけたことに傷つくような、そういう刀なのは知ってる。そういうところが好きだから。
     ぎゅぅと頬の内側を噛んで、気を逸らす。
     この痛みは体の痛み。心の痛みなんかじゃ決してない。
     そういうことにしておかなくちゃ。

    「……分かった」

     出した声は、辛うじて震えていなかった。視界も滲んでない。鼻の頭は少し赤いかもしれない。けど、和泉守が私の顔なんてじっくり見るわけもない。
     私は緩んだ腕から抜け出して、彼のほうに向き直る。トルマリンの瞳が私をひたと捉え、ゆっくりと瞬く。誠実そうな眉がすこぅし歪んだ。

    「……泣くほど嫌かよ」
    「そうじゃないよ。ただ、……あなたをこういう、バカみたいなことに付き合わせるのが、情けないだけ。でも、……ごめんね、やるしかないよね」

     頬に触れる。陶磁器のように滑らかで、なのに柔らかくて仄かに暖かい。唇を寄せて、触れる直前、挑むような瞳で見られて、少し躊躇った。ら、逆に距離を詰められ、後頭部を掴まれて、二度目のキスをされた。
     押し付けられた唇に、求められている錯覚。
     泣きそうになった。
     襲い来る陶酔に必死に目を見開いて抗い、指先にくっ付いている霊力計の数値を追う。勘違いしないように、細心の注意を払って、これは仕事の一環だと視覚で頭に理解させる。
     先ほどとは比べようもないほどガンガン上がって行く数値。その数値が上がれば上がるほど、自己嫌悪が募った。
     私は和泉守兼定から、私の好きな人から、奪うしか能のない女なのだ。霊力だけでなく、彼の優しさや誠実さ、ありとあらゆる美しいもの全て毟り取って、消費するしかない。
     そういう風にできている。
     数値はどんどん上がっていく。やがて安全圏内の【70.0】を超えた。私は和泉守の肩を叩く。もう良いよ、もうやらなくて良いよ、と、そういう意味を込めて。
     しかし彼はなにを勘違いしたのか、さらに深く口付けてくるではないか。ぎょっとして、混乱して、彼の背中を力任せにバシバシ叩く。しかし一向に唇が離される気配はなく、それどころか分厚い舌がこちらの唇を抉じ開けてきた。

    「ん〜〜〜っ!!!」

     擦れ合う皮膚の内側、意志を持った肉に蹂躙される。ジタバタしても、叩いても、彼は離れない。髪を引っ張ってやろうかとも一瞬考えたが、あの綺麗な髪を掴むのは抵抗があった。そしてそのわずかな迷いが故に、私は彼を止める機会を完全に失った。
     指先から電子音が鳴る。息が上がって、意識が朦朧として、いよいよ訳が分からなくなっている私にはなんの音かも確かめられない。とうとう力が抜けてきて、彼の腕の中でくったりとして、されるがままになった。しばらくして、ようやく彼が唇を離す。
     コトン、音を立てて畳に墜落したのは、指先から外れた霊力計。ふと目をやれば、数値は【100】を示していた。先ほどの電子音はこれ以上計測できないことを知らせる警告音だったのだと気付く。

    「これなら、一瞬だったな」

     ぼやけた意識の中で見た彼は、舌なめずりをしてそう言った。
     まるで巨大な獣のように。


       ◆


    「審神者に向いてないのかもしれない」

     その翌日、私の呼び出しを受けて執務室に飛んできたこんのすけは、昨夜の経緯報告後の悪態を聞いて「そんなことおっしゃらずに……」と宥めてきた。

    「だってそもそも浸透率がバカ低いんだもん。これじゃ審神者適性がないのも同然じゃん。なんだ、死ぬのか?」
    「死にはしませんよぅ、和泉守兼定が供給を続ける限り……」
    「うぉぉぉん!!」

     絶叫と共に机に突っ伏す。こんのすけは私の一挙一動に終始ビクついている。フォックスファーがよほど堪えたらしい。

    「これ、しなきゃいけないんだよね……絶対……」
    「命の危機ですからね。仕事をお休みすることも可能ではありますが……その分、他の期間で戦績を出さなくてはなりません。今の本丸の戦績では到底クリアできない課題を課せられますので、おそらく申請自体が却下されるでしょう」
    「そうだよね……うっ、審神者辞めたい。これまでになく辞めたい」
    「そ、そんなに……? あの、和泉守兼定がお嫌でしたら、別の刀剣男士に頼むことも可能ですよ。別に固定の刀剣男士に頼まなくてはならないという決まりはありませんし」

     机に頬をくっ付け、心配そうな顔で見上げてくるこんのすけを見る。……他の男士、かぁ。

    「……でも、こんなバカみたいなことの被害者をさらに出すわけにいかないよ」

     静かに言う。

    「それに和泉守を固定近侍に指名する触れは、もう蜂須賀を通して出しちゃったし」
    「左様で」
    「うん。これから一ヶ月の期間限定だけどね。ずっと一緒に行動してもらったほうが、霊力の減少も少しは抑えられるかなって。症状の詳細も蜂須賀には話した。すごいビックリしてたけど、きっと蜂須賀が良いようにみんなに説明してくれるはず」
    「頼れる初期刀でございますからね」
    「ん。……一ヶ月もあれば、暑さもちょっとは収まるよね」

     言い聞かせるような問いかけを零し、彼の頭を撫でれば、大人しくされるがままにされている。

    「今日から連隊戦がございますから、出陣量も多くご不便かと思います。ですが、どうぞあまりお気に病まれませんよう。任務遂行のためです」
    「うん……分かってる」
    「あ、いっそのこと祝言を挙げるのもよろしいかと思いますよ!!」

     ゴン!!
     肘を机にぶつけて大きな音が出た。患部を抑えて悶絶している横をもふもふの尻尾がぴょんぴょこ飛び回る。

    「さ、審神者様ぁ! 大丈夫ですかぁ!!」
    「だ、いじょうぶ、それより今、なんかとんでもないことを言われた気がするんだけど」
    「祝言ですか?」

     聞き間違いじゃなかった。

    「そ、その祝言ってのは一体……」
    「? 祝言は祝言です。誰か信用できる一振りを選んで……例えば蜂須賀虎徹ですとかとご結婚なされたら、晴れて【霊力枯渇症】とは生涯無縁の神の眷属、このような面倒なことは一切なしに……」
    「お黙り、狐鍋の素」
    「もと!?」

     ヒュン、と即座に尻尾を股の間に仕舞うこんのすけ。この乙女心の分からん管狐め。

    「とにかく、やるから。予防。言いたいことはそれだけだから。よろしく」
    「はぁ……では、ご結婚はしない方向ということで」
    「次その話題を出したら狐鍋にして食う」
    「ひえ」

     こんのすけはガタガタ震えて、部屋から遁走した。
     結婚なんかしない。……これ以上、私の不具合に刀剣を巻き込んでたまるもんか。
     考えるとジワリと涙が滲んできて、袴の袖で目元をゴシゴシ擦る。
     ──昨夜、霊力補給にあたり、和泉守とはいくつか取り決めをした。中でも大きなものは二つ。
     まず、霊力の測定は毎夜必ず、和泉守の見ている前でやること。
     そして霊力数値が50を切るまでは、キスはしないこと。
     最初のは和泉守が決めて、次のは私が決めた。
     毎夜監視されることになるのは居心地悪いけど、多分和泉守は、だんだん頼むのが忍びなくなって体調不良を隠すだろう私の性格を見透かして、そう決めたのだと思う。私のことを良く分かっているなぁ、と我が刀剣ながら感心する。
     私が決めたのは、彼の霊力を奪い過ぎないための配慮の向きが強い。刀剣が霊力を渡すということは、その分己の生命維持機能が落ちるということだ。彼は気にするほどの量ではないと言うけれど、私はどうしても嫌だったから条件を飲み込んでもらった。いくら私が元気でも、和泉守が元気じゃなくなったら意味がない。キスは最終手段であるべきだし、これ以上の献身も犠牲も御免だった。
     それに……これ以上して、さらに彼を好きになっちゃっても困る。ただでさえ張り裂けそうな心を誤魔化すのに必死なのに。
     ふと、昨夜の和泉守を思い出す。一仕事を終え、取り決めを決めて、退出しようとした後ろ姿。それを思わず、謝ろうと呼び止めた。しかし振り向いた彼の顔に嫌悪は見当たらなかった。
     ──彼はこれを、仕事として完璧に割り切ったのだ。そう思った。
     だから結局、何も言わずに見送った。
     私が謝ったら、彼にさらにいらぬものを背負わせてしまうだろうと思って。
     ──目を瞑る。これは仕事。

    「これは仕事よ……」

     心と口で同時に唱えた。
     これから始まる連隊戦が、どれほど霊力を圧迫するのかは分からない。けど、なんにせよ、これは仕事だ。
     彼がそう思っている限り、私もそう思わなくては。そうでなければ、彼の忠義とフェアじゃない。
     キスくらい、好きな男としたい。それが絶対、叶わない恋であろうと。むしろ、叶わない恋だからこそ、少しでも。そう思う心は、上手に押し隠して。そうやって騙し騙し、やっていくしかなかった。
     こうして私と和泉守との、最低最悪の一ヶ月が幕を開けた。


       ◆


    「ちょ、ちょっと待って、まだ50、」
    「待たねぇ」

     夜、がぶり、音が鳴るような口付けを受けて、肩が震える。
     彼に三度目の口付けをされたのは、連隊戦が始まって三日目のこと。
     今夏の連隊戦の水砲兵を使った戦闘は一段と霊力を食う。それが戦が始まってすぐに発覚し、以降、私の霊力は三日にいっぺん補給しなくてはならないペースで減少し続けていた。刀装破壊や手入れが無い分、そんなに迷惑をかけなくて済むかも、なんていうのは綿菓子よりも甘い考えだった。
     だけど、今日の数値はまだ50を切ったばかり。これくらいなら明晩の補給でもギリギリ平気だ。しかしこのセリフは問答無用で重なってきた彼の唇に飲み込まざるを得なくなってしまった。
     仕方なく口付けを受ける。ふにふにと食まれるような動きの後、唇同士を擦り合わせるようなものに変わる。
     和泉守のキスは、念入りで、ねちこくて、あんまり好きじゃない。いや、恋人同士なら良いんだけど。……勘違いしそうになるから、好きじゃない。

    「んっ……」

     分かってるのに甘い声が漏れて、本当に恥ずかしくなってくる。もうやだ!
     これは仕事! 仕事仕事仕事!
     薄目を開けて上がっていく霊力計の数値を確認していると、不意に手が取られた。ぐいと抑えられ、視界から霊力計が消える。

    「ん、んん!」

     抗議の声は無視され、重ねられた手の熱さに気が散った。その隙にまた舌が潜り込んでくる。うわ、と心の中の冷静な部分が叫びを上げ、だけどどうすることもできない。
     彼が念入りなのは本丸のことを思うが故だ、これは彼の忠義心からのものだ、と思えば、舌を噛むのもおかしいし、というか、あまり気が回らなくなってきた。
     ただただ気持ちがいい。鼻から抜ける甘えたような声が止まらない。
     上顎を舐る濡れた肉が、自分のものではないだけで、どうしてこうも苦しくて甘いのか。必死に口を開けているだけで応えることなんて全然できないけど。というか、応えたら引かれるかもしれない、と思ってされるがままになっている。あっちは仕事のつもりなのに、こっちが恋心を持ち出したら、ダメだ。
     ふと、回らない頭で、それにしたって長いな、と思い至る。
     ここまでやったら一瞬で数値はカンストするんじゃなかったか。だけど霊力計は鳴らない。指から外れたのか、と指を動かしてみたけど、和泉守の手の下で動くのが分かるから、ちゃんとくっ付いてる。なんで?

    「い、ずみ」
    「んん?」
    「ちょ、ま、ふ……待ってってば!」

     頭を振って唇から逃れ、霊力計のついた指を彼の手の下から引き抜く。見れば数値が消えていた。

    「あれ? 消えてる……」
    「んだよ」

     後ろから、まるで恋人のような気安さでのしかかってくる和泉守に霊力計を見せる。

    「ほら、計れてない。だから鳴らなかったんだよ」
    「あー……」
    「壊れちゃったのかな……あれ、でも映るな、ちゃんと」

     電源ボタンを押せば霊力計は正常に動いた。指先に付けると、ピーピーと飾り気のない電子音が鳴る。数値は100。
     首を傾げていると、ぐてりと肩に頭を乗せられる。重い。けど、愛しい重み。
     って、いかん、そうじゃなくて。これは仕事なのだってば。

    「和泉守、もう良いよ。ほら、数値もちゃんと100だし、もう平気だ」
    「んん」

     額を一度、むずがるように肩に擦り付け、彼はノロノロ起き上がって部屋を出て行った。霊力を渡した直後は刀剣も少し怠いのかもしれない。気を付けなくては。しかし……なんで消えちゃったんだろう?
     まさか、和泉守が切ったのか? 考えて、首を振る。理由が無い。私とキスがしたいわけじゃあるまいし、彼だって早く終わらせたいはず。
     霊力計を灯りにかざし、矯めつ眇めつ。何度かいじったけど、特に異常も見られない。
     結局解明できずに飽きてしまって、そのまま寝た。霊力枯渇症による頭痛がしないおかげで、その日はよく眠れた。



     連隊戦開始から十九日目。

    「おい、この書類、なんか変じゃねぇか?」
    「ん〜? あ、本当だ。政府側で仕様変更でもあったかな」

     頭上からの指摘に、確かに、と頷く。変更があったらこっちにも連絡して欲しいんだよなぁ、と思いつつ、書き直しのために間違えたものを横にやる。と、和泉守がそれを取ってシュレッダーにかけてくれた。うーん、なんとも痒い所に手が届く人間座椅子である。
     誓って言うが、私が和泉守を椅子みたいに使っているのに邪な気持ちは一切ない。霊力維持のためにはなるべく触れておいたほうが良いけど、書類仕事をするのに手をずっと握っていてもらうのは効率が悪いし、色々な体勢を試した上で、これが一番良いと二人で話してこの形に落ち着いたのだ。
     最初はドキドキしていた座椅子生活だけど、彼があまりにもあっけらかんとしているので、やがて煩悩も風化してしまった。今となっては、夜のねちこさとは別人なんだよなぁ、などと思うばかりである。いや、これは仕事熱心だと評価すべきなのかもしれないけど。

    「主、部隊が帰って来たんだが……もう一回このままの編成の出陣で構わないのかな?」

     ひょこりと執務室に顔を出した蜂須賀の連隊戦の帰還報告に頷くと、心得たと退出。みんなこの人間座椅子の経緯は知っていて、もはや見ても誰も何も言わない。キスのことも……多分みんな知ってるんだろう。聞かれたことはないけど、蜂須賀には伝えたから。彼が、主が決めたことだから、と気を回して聞かないように計らってくれたのは想像に難くない。気の利く初期刀で、本当に頭が上がらない。
     しかし……今夏の連隊戦、そろそろ挫折しそうな勢いだ。この任務、あまりにも霊力消費が激しい。
     せっかくの高経験値の戦場なのに、霊力を私に戻して少々弱体化している和泉守を出陣させることができないのもストレス。もっとも、刀を振るうのが好きな彼のほうが、私などよりよほどフラストレーションが溜まっていることだろうけれど。しかし彼は何も言わない。それも、気を遣わせているようで辛くなってきた。
     それでも、やるしかないのだけど。
     考えていると、起きろとばかりに顎で頭を小突かれる。小突き返すと、ふいにぐりぐりと頬擦りするようにされた。珍しいな、と見ると、和泉守の瞼が甘えるように落ちている。

    「大丈夫?」
    「んん?」
    「なんか体調悪い? ……あ、もしかして私、霊力取り過ぎちゃってる!? ごめん、」
    「悪くなんかねぇよ。取り過ぎてもねぇ」

     間髪入れずに言われ、納得いかずに

    「そう? でも、本当に無理だったら言ってね」

     そこまで言って、無理だと言われたらどうするのだろう? と思う。
     出陣を控える? この大事な連隊戦の最中に? 彼はそうならないように、口付けてくれていたのに? それでは、彼が今まで身を捧げて維持してくれていたことは、全部無駄だったと言っているようなものなのでは?
     ──和泉守がダメなら、他の人にしてもらうしかないのだ。

    「無理そうだったら……供給、他の人に頼むから」

    彼が気を遣わないよう、静かに続けた。

    「……は?」
    「だってほら、仕事が滞っちゃうしさ。こんのすけも、別に一振りに固定しなくても良いって言ってたし、和泉守も負担でしょ? って、今更って感じだよね! ははは……もっと早く言えば良かったね」

     勢いで言い切ったが、途端に嫌な気分になった。他の人に頼む? そんなのは嘘だ。自分でも分かる。私は多分部屋でメソメソ泣きながら、頭痛と吐き気と目眩に耐えるはず。そうしていつか、泣き疲れて眠ってしまうのだ。
     明日はしてくれるだろうか、と、彼の体調のことを考慮するふりで、自分勝手に望みながら。

    「……フゥン」

     しばらく二人で無言でいたが、やがてそんな興味無さげな呟きが落ちてきた。心臓を切りつけられたような気分だった。
     和泉守は、私が誰と何をしようと、究極興味が無いのだ。
     私がどんなに彼を好きでも、彼は私を好きじゃない。
     なのに望まぬ口付けから、逃げることも、拒否することも、できない。仕事を放り出すような刀じゃないから。
     指の先まで血の気が引く。「ほら、続きやれよ」と彼に仕事の続きを促され、ようやく手が動くような始末。
     ──私だって、こんなこと可笑しいって分かってる。
     いっそのことぶつかって玉砕してしまったほうが、よほど健全なのだろう。だけどその後、毎年来るこの一ヶ月をどうやって乗り切るのかを考えたら、どうしても足踏みしてしまう。
     和泉守に頼み続けるにしろ、決意して他の人に頼むにしろ、どうしたって気まずい。だけど一番最悪なのは、……誰にも頼れなくなった末に、真夏の執務室で一人虚しく死んでいくことだ。
     そう、この状況はまだ『最悪』ではない。そう必死に言い聞かせる。
     飲み込んで、目を瞑って、やり続けるしかない。告白も、他の人も選べない私に残された選択は、もうそれしかないのだ。
     ──どん詰まり。
     そんな単語が頭をぐるりと回って、やがて中心に収まった。もうどこにも行けない。
     これが生涯続くのかと思ったら情けなくて、心の底から泣きたくなった。



     連隊戦開始から二十一日目、夜。
     和泉守が私を好きじゃないということを改めて自覚してから勝手に気まずくなっていたけれど、霊力を計る夜は必ずやってくる。昨日は70をギリギリ下回る程度で、こんな気持ちのまま口付けなくて済んだことにホッと胸を撫で下ろしたけれど、今日は……。
     霊力計を祈るような気持ちで見つめていたが、祈り虚しく数値は48.6。おそるおそる顔を上げる。和泉守はおもむろに私の後頭部に手を伸ばす。その事務的な所作に泣きたくなり、ささやかな抵抗を繰り出す。

    「ね、ねぇ、明日でも良くない?」
    「あぁ? 50切ったらするっつー話だったろうが。あんたが決めたんだぞ」
    「そう、そうだけど、明日いっぱいは多分保つし、これじゃ和泉守にも負担だし、戻し損、んむ」

     唇が合わさる。瞬間、愚かな心が悲嘆を忘れた。
     後頭部に回った指が私の項を引っ掻くように髪を梳く。薄い皮膚を、和泉守の刀を握る少し荒れた皮膚が擦る。感じたような声が漏れ、恥ずかしさに眉が寄る。
     気持ちを理性でコーティングしようとすればするほど、日々、本音が引き摺り出されるようになる。意識しているからそう思うのか、本当にリミッターが外れかかっているのか、もうよく分からない。感じないようにするのはもう無理で、全力でブレーキを踏み抜いて、彼に恋心を見せないようにするので精一杯。
     ふは、と息を零せば、また舌が歯を舐める。慣らされた口が無意識に開いて彼を受け入れようとして、はたとこれは恋心に取られるかを頭の隅っこで考える。だけど口付けが深くなるとすぐにそんなことは考えられなくなる。もっと困るのは、段々と腹に熱が溜まってくることだ。彼にはそんなつもりはないのに、と思うと泣きたくなる。
     しかしいつもはここまでぐるぐるしない。なぜ長いのか、なぜ霊力計が鳴らないのか。
     まだ、まだおわらないの。
     薄目で霊力計を見る。89.1。そんな馬鹿な。いつも舌が入ったら一瞬なのに。
     なに、なにがそんなにたりないの。やっぱりこわれちゃってたの? この機械。
     和泉守の肩を押す。ビクともしなくて、顎が上がって、全然解放されない。

    「は、ね、待って」
    「んん」
    「むぅ、待って、この機械、ん、こわれてない?」

     爪を立てた私にやっと和泉守が顔を上げる。そして私の手を取って、息の荒いまま数値を見る。

    「壊れてねぇよ」
    「うそだぁ」
    「嘘じゃねぇ。ほら見ろ」

     ぱ、と液晶画面を見せられる。和泉守が手首に触れていることによってジワリと数値が上がった。そんな馬鹿な。また思う。

    「だって、さっきは本当に、全然カウントされてなくて、」
    「足りねぇだけだろ。ほら、顔上げろ」
    「もぉむり、」
    「ここでやめたら、明日もこうするだけだぞ」
    「ん、ふぅぅ」

     顎を柔く掴まれ、再び享楽に飲み込まれる。噛まれ、舐られ、舌を吸われて、生理的な涙が滲んでくると同時に、また腹には熱が溜まっていく。和泉守の重みで体が押し潰され、背中に回した指が縋り付くようになる。
     もう霊力計を確認する気力も残ってない。ただ、酔う。浸る。沈む。
     抜け出せないほど深く。
     ピーピー、遠くで電子音が鳴った。和泉守は最後に私の唇をべろりと舐め上げてから離れていく。
     かくりと頭が後ろに落ち、それを添えられた手が阻む。とても体に力が入らず、朦朧として彼を見上げると、薄暗がりの中でさえ爛々と光を反射させる青い瞳とかち合った。
     なんでそんな目をするの。
     そんな、許可を待つような、野生を胸の内側に隠しきれない飼い犬のような、そんな。
     ゆっくりと瞬く。彼は霊力計を外すと不意に私の膝の裏に手を差し込み、姫抱きにして布団まで運んでくれた。先ほどまでの獣性が掻き消えたかのごとく、わざとらしいほど紳士的に。

    「いずみのかみ、」

     呼びかけて、無視されて、布団を口元まで掛けられる。呼びかけたくせに何を言おうと思っていたのかは分からなかったから、ちょうど良かったのかもしれないけれど。
     和泉守がふと布団の両端に手をついた。怖い顔で覆い被さるように近づいて、そして言う。

    「霊力の経口摂取ってのは、こっちに与える意思がなきゃ、受け取れねぇようになってんだよ。長い口吸いのし損だな、ザマァみろ」
    「え……?」
    「ふん。……これに懲りたら、二度と他の奴とするなんて話、オレの前でするんじゃねぇぞ」

     ──頭が一瞬にして覚醒した。
     今の、何、どういう意味。
     起き上がろうとして、「おい、寝てろよ」と言う和泉守の手に阻まれる。その腕を掴んで無理に起き上がり、

    「今の、どういう意味」
    「あぁ?」
    「今、いま、なんでそんなこというの、だって」

     胸の内から今まで抑え付けていた感情が溢れ、掴む腕に力がこもる。和泉守は振り払わない。湖面のように凪いだ瞳で静かに私を見つめるだけ。
     しばらくたって、彼が言った。

    「意味なんてそのまんまだろ」

     と。私は意味が分からなくて、彼の腕を焦れて引く。

    「そのままって、なに。なんでそんな、独占欲みたいな」
    「だから、独占欲だろ」
    「……は?」

     持った手の感覚が遠くなる。目の前にいる刀のことが全然分からなくなった。
     なんで。なんでそんなこと。──本当に?

    「でも、我慢するって、言った」
    「あぁ?」
    「我慢するから、私も譲れって、なのに、なんでそんな、」

     和泉守は私の問いにふと溜め息をつき、頭を搔く。

    「そりゃ、あんたが嫌がったからだろ。あんたがオレと一線越えたくねぇっつーのは、あの嫌がりようで良く分かったし……」
    「違う! そうじゃなくて、」
    「最後までしねぇのに好いた女に触れってんだから、我慢すんのは当然だろうが!」

     爆発したように言われ、ポカンとする。今まで我慢した諸々を噴出させるように彼は続ける。

    「それをあんたは、一線越えたくねぇだろうからこっちが色々配慮してやってんのに、悉く踏み躙りやがって! そりゃ最初に仕掛けたのはこっちだが、どんどん良い声出すようになるわ、やってらんねぇよ!! しかも煽りに煽ったくせに、他のやつに頼むだぁ!? 互いに好き合ってんのにこんな地獄があるかよ!!」
    「ちょっとストーーーーップ!!」

     べし、と彼の口を抑えた。顔が赤いのが自分で分かる。和泉守は、なんだよ、と言わんばかりの顔で私を見た。なんだよ、って、なんだよじゃないよ!

    「い、ずみのかみ、知ってたの……私が、あなたのこと、ギャ!!」

     べろりと手のひらを舐められ、慌てて手を引っ込めた。和泉守の目はいよいよ不機嫌に据わってきている。

    「さすがにこっちに気持ちのねぇ女にろくに相談もしねぇで口吸いなんぞしねぇよ」
    「え、えぇ……?」
    「それとも何か? あんたはオレが好いた女を腕尽くで手篭めにする男に見えんのか?」

     メンチを切るように言われぶんぶん首を振る。バレバレだったことはこれ以上ないくらい恥ずかしいけど、ここで怒らせたら非常にマズイ気がする。

    「え、でも待って、……ってことは私と和泉守って……両思いなの??」
    「まぁ、そうなるな」

     急な情報でもはや目の前に虚無が広がってくる。え、待って、何この急展開。じゃぁ今まで私がここまで悩んでたのって一体なんだったの?

    「え、え、じゃぁ、あの、結婚する??」
    「はぁ!?」

     勢いでぺろっと言ったらめちゃくちゃキレられた。これは違ったみたいだ。ちょっとショックを受ける。

    「す、すみません、あれか、あの、結婚するほどは好きじゃない的な……?」
    「何がどうなってそういう話になんだよ! そもそもこの関係を渋ってたのはそっちだろうが!!」
    「え、あ、そうか。あの、それは和泉守が私を好きだとは思ってなかったからで……」
    「分かった、やっぱりあんた、オレが好いてもいねぇ女の唇奪うような男だとは思ってたんだな!?」
    「違う! なんか違う! ニュアンスが違う! 君を不誠実だと思ってたわけじゃ全然なくて、とにかくこっちの勘違いでした、ごめん!!」

     顔の前でバッテンを作ってがむしゃらに否定。和泉守は

    「そもそもなんでいきなり結婚なんつー話になんだよ……」

     と疲れ切ったような声で言うので、もごもご言い返す。

    「だって、こんのすけが、結婚すれば良いって、そしたら神の眷属になるから、こんな霊力不足みたいな面倒臭いこともなくなるって」
    「そりゃぁお前さん、オレはそれでも良いけどよぉ」
    「良いの!? けど何!?」

     片思いからの結婚! 一足飛びにステップアップしていて思わず大きな声が出て、しかも言質を取ろうとしてしまう。和泉守は私の勢いに押されながら

    「それって神気がどうのって話じゃねぇの」
    「? そうなの? それだとどうなるの?」

     初めての単語に首を傾げると「あのなぁ」と呆れたような声が降る。

    「神の眷属って、あんたどうやってなるか知ってんのか?」
    「? 結婚するんでしょ? こんのすけがそう言って、」
    「そりゃ、あいつは管狐だからな! 他の厄介な事情は差っ引いて話すだろうよ! 良いか、神の眷属になるっつーのはオレが指一つ鳴らしゃぁなれるもんじゃねぇんだ。──あんたのここに、」

     と言って彼は私の下腹あたりを平手で抑える。すこぅしだけ力を込めて、

    「オレの神気が入って、印がついて、初めて成るもんだ」

     しるし、と口の中で呟く。男神の祝福、という昔聞いた物語が不意に頭に浮かんだ。
     思わず座ったまま仰け反った。後ろに転びそうになって、咄嗟に手をつく。

    「神気って、あの、つまり、その」
    「まぐわうってことだな」
    「うわぁぁっぁぁ!!」

     叫びで和泉守の言葉を打ち消す。顔が熱い。熱くて熱くてたまらない。沸騰して倒れそう。顔を覆って唸る耳に「やっぱり知らねぇのか」と嘆息交じりの声が届く。だってそんなの、学校で習わないもん!!

    「神との結婚は契って初めて成立するもんなんだよ。まさかあんた、なんか書類でも書きゃ良いと思ってたのか?」
    「だ、だって」
    「昔っから神との結婚っつー風習はかしこにあっただろ。その時に夫婦であることを証明するもんが紙キレなわけねぇじゃねぇか。……あんた、審神者にしてはゆるっと生きてるよなぁ」
    「す、すみません……」
    「まぁ、収穫もあったから良いわ」
    「収穫? って?」
    「あんたが別に一線越えたくなくて嫌がってたんじゃねぇってこと」

     はたと顔を上げる。和泉守の顔が近くにあって、驚いて首を引く。だけど彼はその距離の分だけジリジリとまた近づいてくる。

    「えっと、あの、」
    「結婚なんて言うくらいだ、オレに触られることに抵抗はねぇんだろ?」
    「そりゃ、まぁ、でも、あの、さっきの今でまぐわいはちょっと、心の準備ができていないと申しますか!」
    「すぐに飲み込めねぇのは分かってらぁ。だから、これからちぃっとずつ慣らしてこうぜ」
    「な、なら、」

     ひたり、首に指が触れた。肩が上がる。すりりと指が這うのに、体が震える。

    「だから、……する気になったらすぐ言えよ。オレが我慢できる内にな」

     がぶり、言えと宣うその口で、私の唇が塞がれる。ぞわぞわと背中を這い上がり、撫で回す指先。いつしか倒されて、覆いかぶさる彼に合わせて、射干玉の髪が囲うように降り落ちてくる。ぱさり、布団を叩く髪の音を聞いた。
     名目なく甘やかされる、期間不定の触れ合いが始まる。



    365日の溺愛

    1000_cm Link Message Mute
    2022/05/30 15:31:31

    一ヶ月の恋人〜霊力枯渇の談〜

    pixivからの保管用です。
    片想いしている兼さんとのっぴきならない理由でキスしなければならない羽目に……という話です。

    初出/2019年8月15日 23:49
    #女審神者  #刀剣乱夢  #兼さに

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